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くくぅ、と明日美のお腹が鳴った。
聞こえたろうに智朗はなんの反応もない。
「お昼食べた?」
訊くと智朗は「まだ」と応えた。
「なにか食べようよ?」
「帰って食べればいいだろ」
「お腹空きすぎて無理。ほら草むしりしたし」
わざとらしくよろめいてみせると智朗は呆れ顔になる。
「まぁ、食欲ないよりはいいけどさ……」
「冷蔵庫開けていい? なにかある?」
「なんもないよ」
拒む響きはなかったので明日美は冷蔵庫を開けてみた。ガランとしている。
「なんにもないんですけど!」
「そう言ったろ!」
マヨネーズ、バター、梅干しなどがあるばかりで食材が入っていない。
「いつもなに食べてるの!?」
「テキトー」
智朗は素っ気なく応える。たしかにテキトーの残骸がゴミ箱から溢れている。コンビニ弁当やカップ麺の空容器。
「自分でご飯作んないの?」
「しないよ。てか面倒くさい」
「女子力低っ!」
「女子力!」
「女子力イコール生活力! よくひとにちゃんと食べろとか言えるよね」
からかううちにあるものを見つけた。チャック付きのビニールパック。粉末のスポーツドリンクかと思ったが少し違った。粉末のプロテインドリンクだ。威嚇的な金色のパッケージに筋肉増強と書かれている。これといいさきほどのジャージ姿といい、智朗らしくない。
「智朗くんさー、なにかスポーツしてる?」
顔を冷蔵庫に突っ込んだまま素知らぬ風に、世間話の体で訊く。
「……んなわけないじゃん」
「だよねー。キャラじゃないよね」
智朗の苦笑を背中で聞く。
「そしたら朝、ジャージでどこ行ってたの」
「べつに……早く目ぇ覚めたから散歩」
だからってジャージで出かけるようなタイプじゃないでしょ、という反論を飲みこむ。隠し事をしている。嘘をついている。
体を鍛えているとしたら抱き上げる力強さと辻褄が合う。そしてスポーツや健康目的の他に体を鍛える理由は。暴力のためではないか。
しかし問い質しても素直に答えるとは思えない。
なにより、今の雰囲気は悪くない。
明日美はそれ以上触れずにプロテインを元に戻した。
棚でそうめんを見つけた。運よく冷蔵庫には麺つゆも残っていた。お昼のメニューは決まった。
「おそうめん~! おそうめん~! Not冷麦~! 運命の分かれ道はいってんさんミリ~」
適当なフレーズを口ずさんで明日美は大鍋の湯に乾麺を投じていく。
「智朗くん、シソ何枚か取ってきて」
「わざわざ買わなくてもいいよ」
「じゃなくて、庭に生えてるって」
「えー?」
場所を伝えると智朗は半信半疑で庭へ下りていく。湯がいた麺を笊にあげて水にさらしていると、シソを手に戻ってきた。
「あった」
「でしょ」
「うち、花しかないと思ってた」
「シソとかハーブ系は虫よけになるからっておばさん前に言ってた」
「ふーん」智朗はしんみりとつぶやく。「うちで食べてたシソって自家製だったんだな」
氷水を張ったボウルを挟んで二人は差し向いにテーブルに着く。
「いただきます!」
「いただきます」
合掌して冷水に泳ぐそうめんに箸を伸ばす。
「どう? おいしい?」
「うん、まぁ」
「よかった」
満足気な明日美に智朗が意地悪く笑う。
「そのヤッター感おかしくね? 茹でただけじゃん」
「彼女の初手料理にダメ出し!」
「だからさ……」続きを飲みこむような間を経て、茶化してくる。「料理? シソ切っただけじゃん」
「ムカつく。シソ食べるな!」
「うちのだし」
もさりっとシソを山盛り椀に入れる智朗。
「生えてるのも知らなかったくせに。おばさん悲しむよ」
悪気などなかったし責める響きもないただの軽口だったが、それでも智朗の手が止まった。
取り繕うべきか迷う明日美よりも早く智朗が口を開いた。
「でもちょうどいい茹で具合じゃん。初めてにしちゃ」
優しい口調だった。
「あっ、ありがとう」
「多すぎだけどな。何人前だよ」
智朗の言う通り、ゆうに五人前は茹でている。
「余ったら冷蔵庫入れとくから、にゅうめんにすればいいよ」
「……わかった」
「作れる?」
「それぐらいできるって」
智朗の答えに明日美はがっかりした。どうせ彼は「面倒くさい」などと答えるだろうから、にゅうめん作りを口実に明日も来るつもりだった。わざと多目に茹でたのに。
(空気読め!)
にらむが智朗は気づきもせずにそうめんをやっつけている。
(まぁいいか)
気を取り直して明日美も箸を動かす。
薬味はチューブのワサビと胡麻とシソだけ。それでも本調子ではない明日美にはちょうどいい。
「久しぶり! 夏のおそうめんサイコー!」
嬉々と箸を動かす明日美につられてか智朗の頬も少し緩んだ。
「二年ぶり?」
「ううん、こないだも食べたよ」
「久しぶりじゃねーじゃん」
「日本で食べるのは久しぶりって意味。やっぱりご飯って、環境っていうか雰囲気大事だよね」
「ロンドンでもそうめん売ってんだ」
「日本人向けのスーパーとかあるしね」
「よかったじゃん、イギリスのメシ、まずいんだろ」
「まずいっていうかお店の味っていうのがないんだよね」
「ん?」
「揚げた物ドーン! 茹でた物ドーン! ボンボンボンってテーブルに置かれるけどほとんど味ついてなくて、あとはお客がテーブルに置いてある調味料で味付けして食べるって感じ」
「楽勝な商売だなー」智朗は可笑しげに笑い、付け足した。「そういえばそんなこと言ってたな」
「よかった。覚えてなかったらかなり悲しかった」
智朗と音信不通になる前の、二人が屈託なく彼氏と彼女だったころの記憶が明日美の心をくすぐる。智朗もこんな気持ちを感じてくれていればいいのにと期待する。
彼は俯き、面の感情を見せてくれない。
他愛もない会話が途切れて、すする音だけがしばらく続く。
ボウルにそうめんを移しながら智朗が釘を刺してくる。
「食べたら帰れよ」
「まーたそんないけずなこと言う」
「うるさい」
思い出したように壁を立ててくるが、それ越しでもだいぶかつての智朗の面影が見えてきた。
結局自分は以前と同じに接していくしかないのかもしれないと明日美は考え始めた。
ボツにしていたシーンを書き直しつつ投稿してるのでペースが遅くて申し訳ない。




