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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 今井靖男のことはやはり母に黙っていることにした。

 真相を告げたところで母は復讐など絶対にしないだろう。

 そして智朗自身もなにもしないと心に決めた。

 復讐なんてくだらない。憎しみは憎しみを産むだけだ――陳腐な言葉を繰り返して、無理やりにでも自分を着地させようとした。

 こんなときのための音楽だ。父が愛して、自分も愛しているラヴ&ピースの精神だ。

 しかし――

 ”I LOVE YOU”

 ”I WANT YOU”

 ”I NEED YOU”

 甘くきれいで正しい(ことば)は、ただ耳を滑っていく。まったく心に響いてこない。

 こんなことは初めてだ。どんなに苦しいときも辛いときも、救ってくれる歌が必ずあったのに。

 片っ端から好きな曲を聴いた。しかしなにも起こらなかった。変わらなかった。

 これ以上世界が静かになることが恐くなって、智朗はステレオを止めた。



 夏休み最終日、智朗はパソコンのメールソフトを立ちあげた。最後に開いたメールは明日美(あすみ)からの『誕生日おめでとう!』という件名のもの。

 十七歳を祝う言葉。いつもの冗談。いつものやりとり。そして最後に ギター見せてね、と書かれていた。だから夜にギターの写真を添えて返信するつもりだった。

 それなのに、あんなことが起こった。

 『メールを読まなきゃ』

 『返事をしないと』

 『心配してるだろうな』

 焦りや義務感や申し訳なさに苛まれて、それでもなにもできないまま今日まで来てしまった。

 なにが起きたのか、明日美に黙っているわけにはいかない。半月も放っておいて、なにもなかった(てい)で返信などできるわけもなかった。


 明日から新学期が始まる。これを機に少しずつでも日常を取り戻していきたかった。

 真っ先に取り戻したい日常――それは明日美とのつながりだった。

 あれから数十通、明日美からメールが届いていた。

 一週間ほど前の日付で、

『おじさんのことを聞きました』

 件名にそう書かれたメールがあった。同級の誰かが伝えたのだろう。

 悼みと励ましが綴られていたが、どこか的外れに思えた。まるで胸に響いてこない。

(オレやお母さんの気持ちがわかるもんか)

 決めつけて憤る一方で他人(ひと)の厚意、それも世界でいちばん大事に想う人の気持ちさえ疎み拒否する自分の性根の悪さと卑屈さが嫌になる。

 『ありがとう』

 『オレは大丈夫です』

 『元気にしています』

 こんな簡単な言葉さえ返せないまま、智朗はブラウザを閉じた。



 二学期を迎えた。

 智朗はけして社交的とはいえない。人目を惹く容姿も人好きのする陽気さも持ち合わせていない。これで帰宅部とくればクラス内の序列はせいぜい(ちゅう)の下から下の上といったところだ。

 それでも数少ない友人たちとの関係は大事にしてきたつもりだし、極力周囲から浮き上がらないように注意してきた。その甲斐あってかこれまでクラスでイジメや無視の対象になったことはなかった。

 これからもそうだと智朗は思っていた。せめて学校では以前と変わらずにいたかった。

 智朗の父親が公殺されたことはクラスの誰もが知っているようだった。

 級友たちは皆口々に「元気を出せ」と大同小異に声をかけてきた。

 しかし、それ以降誰も智朗に接してこない。誰も智朗に関わろうとしない。

 仲のよかった面々は休み時間の度にそそくさと姿を消し、授業が始まると戻ってきた。昼休みにも置いてきぼりをくらい、智朗はぽつねんと弁当を食べた。

「どこ行ってんだよ」

 はじめは好奇心で訊くが、「ちょっと……」とはぐらかす返事が続くうちに智朗は自分が避けられていると感づいた。



 少し気をつければ陰口は簡単に聞こえてくる。

 友人たちが他のクラスメイトに訊かれて答えていた。

「松川のオヤジってさ、なんで殺されたの?」

「潰れそうな会社から無理やり借金取り立てして、その会社潰しちまったんだって」

「うわ、えげつな。サラ金ヤクザじゃんそれ。そりゃ殺されるわ」

「松川の家ってさ、やたらキレーじゃん? あれってさ、オーリョー? そんなんで建ってんじゃね?」

「あーありえるね。金返せーとかコワイヒトくるんじゃないの」

「バッカ、横領なら警察だろ、犯罪なんだから」

「松川さーもうお先真っ暗なんじゃね? ヤバイ」

「あーゆータイプってキレるとなにすっかわかんないから」

 女子も口々に勝手なことを言う。

「絡まないほうがいいよ。卒業した途端に逆ギレて誰か殺すかもしんないしさ」

「最初からあんなオタク相手にしてないし」

「でもカノジョいたじゃん。ほら、外国行ったの」

城戸(きど)ね。もう帰ってこないっしょ」

 人の噂も七五日というが、受けた心の傷は七五日で癒えるわけではない。

 それでもイジメに遭わないだけマシだと思われた。

(孤立上等だよ。ロックってそういうもんだし)

 智朗は開き直って独りの学校生活を送るようになっていった。

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