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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 二〇一二年八月十一日に時間は戻る。

 そこまで話して喉が疲れたのか(とも)(ろう)はかすれた咳をしてコーラを啜る。

「その人に、会ったの?」

 明日(あす)()の問いに智朗は小さく頷く。

「父さんの葬式のあとに会いに行った。確かめたくて」

 握りしめた拳からにじむ力とは対照的に、智朗の口調は淡々としている。

「あぶないよ」

「制服に未満章までしてりゃ大丈夫だと思ったんだ。でも、そんな問題じゃなかった。メモった住所に行ったら、そこでも葬式やってた。そいつの葬式だよ。けっこうデカイ家でさ。本当に社長だったんだなーってボンヤリしてたら受付の人がオレも親戚だと勘違いしてさ、家の中まで入れちまいやんの」

「その人も、殺されたの?」

 そうならいいと思った。人でなしな発想だが、自業自得だ。

 しかし智朗は首を振る。

「病気で死んでた。父さんが死んだ次の日に」

 (ばち)が当たったんだと慰めを口にしかけて、疑問が湧く。

「おかしいだろ? 次の日に死ぬようなヤツが人殺せるか?」

 首を振るしかない明日美。

「まわりにそれとなく聞いてみたら、癌でひと月も前から入院してたっていうし。次の日に死ぬくらいヤバいヤツが病院抜け出して、父さんを殺しにきたって、おかしいだろ。オレは犯人を見たんだ。アイツ、走って逃げた。絶対に病人なんかじゃなかった」

「誰かが、その人のせいにしたってこと?」

「そう思った」

「おばさんには?」

 智朗は首を振る。

「母さんは葬式やらショックやらでまいってて。オレの話を聞いてもバカなこと言うなって真面目に聞いてくれない。しかたないから家に来た刑事に会いにいった」

「そしたら?」

「もっと相手にされなかった。あのジジイが殺したの一点張り。絶対違うのに。でもどうしていいか分かんなくて。そしたら何日かして、情報提供会社のヤツがうちに来た」

「なにそれ?」

「そのまんまだよ。『松川修也さんを公殺した人物に関してお買い得な情報がありますが、お聞きになりますか?』って。誰も、そんなこと頼んでないのに」

「なんでそんなこと」

「誰かが殺されたら、殺したヤツのことを調べて遺族にその情報を売り込むんだ」

「それって、仕返しする手伝いってこと?」

「情報だけだよ。そいつがどんな性格で、どんな生活をしていて、何時ごろにどこを通ってどこに行ってるか、とか。そういうコトまでは警察が渡す資料には書かれてないから」

 明日美は寒気がした。公殺という法律だけではなく、それさえ金儲けの種にしてしまう人間の業の深さに。

「母さんは相手にしなかった。だから、こっそりオレが買った。未成年には売れないとか言ってふっかけられたけど、貯金でなんとかなった」

「なにが書いてあったの?」

「父さんを殺したのは、やっぱりあのジジイじゃなかった。あのジジイは逆恨みで父さんを殺したがってた。でももう死にそうで無理だった。だから他の人間に殺させたんだ」

「そんなの、ズルっていうか……ダメなんじゃないの!?」

 公殺は自分自身の手で成さなければならないはずだ。

「普通はな。でもジジイは体が動かない病人も平等に権利を使えなきゃ不公平だって、そういう団体に泣きついたんだ。知らなかったけど、そんなこと言う病人や老人や障害者は結構いて、そういう人たちの公殺権も守られるべきだって喚く人権団体もあるんだ。ギャグだよな。日本國、終わってるぜ」

 明日美は考えて、至った答えの非現実さに我ながら呆れた。

「それって、殺し屋みたいな人がいるってこと?」

 そんなわけないよね、と声に笑いを混ぜる。

 しかし智朗は笑わない。

「誰だと思う? その殺し屋」

 そんなこと急に聞かれても――

「わかんない」

「自衛隊。自衛隊の人間が殺したんだよ」

「嘘でしょ……」

 信じられなかった。娯楽物語のように『闇商売な人種』が存在していると言われた方がまだ受け入れられる。

「わかっただろ? こんな国にいてもロクなコトねーよ。さっさとイギリスに帰っちまえ」

「お父さん、こっちに戻ることになったの。だからずっとこっちにいるよ」

 ずっとそれを智朗に伝えたかった。喜んでほしかった。しかし目の前の彼は「なんでだよ?」と眉間に皺を寄せる。

「こっちで人が足りなくなったんだって」

「どうせ殺されたんだろ」

 あっさりと言い当てられた。そうしたことが当たり前なのだろう。明日美は今の日本國の異常さを改めて思いしらされた。

 そして、暗い話はもうたくさんだと心が拒み始めた。雰囲気を変えなくてはと笑顔を作る。

「そうだ、これ」明日美はバックから包みを取り出す。「お土産」

 中身は智朗の好きなミュージシャンのCDとTシャツだ。音信不通になる前、公殺法が始まってから日本國では新譜が手に入りにくいとぼやいていた。喜ぶだろうと帰国の荷物に紛れさせて持ち込んでいた。

 智朗は困り顔で俯き、手を伸ばそうとしない。

 しかし明日美はめげない。もう一つ包みを差し出す。

「これはおばさんに」

「……なに?」

「花の種。イギリスにコッツオルズってすっごく素敵な田舎町があってね、そこってガーデニングの聖地みたいな町なの。おばさんが前に……」

 智朗が遮る。

「ありがとう。でも、全部持って帰って」

「どうして?」

「母さんも死んだ」

「うそ……」

「……自殺」

「どうして!?」

「公殺ってすごいぜ。殺された方も悪いって目で見られんだからさ」

 明日美は昨日の優徒とその母親を思い出す。

「『松川さんとこの旦那さん、きっと銀行で弱い者イジメしてたのよ』みたいに近所のババアどもが言い出しやがって。親戚も似たようなもんだ。父さんを恨んでる奴は他にもいるんじゃないか。そいつらに今度は母さんやオレも狙われるんじゃないか。近くにいて巻き添えくらっちゃたまらないとか言って、うちは村八分状態」

 淡々と語る智朗の指がストローの紙袋を細かくむしっていく。

「いつ? おばさん……」

「今年の四月。母さんさ、正月くらいから家から出なくなった。働かなきゃいけないのに仕事はみつからないし、仲良くしてた近所のババアたちは近づいてもこないし。ちょっとずつおかしくなっていった。自分やオレも命を狙われてるって思いこむようになって……オレに危ないから学校に行くなとか言いだしてさ。で、四月に首吊って死んだ。階段の手すりの柱があるだろ? あそこに紐かけてさ。朝起きて階段下りてたらなんかクッセーの。横をひょっと見たら母さんが首吊ってんだぜ。ありえないだろ。知ってるか? 人間って死んだら筋肉緩んで鼻水もヨダレも小便もウンコもだだ漏れだぜ。父さんもそうだった。映画みたいなきれいな死体ってないんだなーってわかったよ」

 母親の死に様をスラスラと語る智朗は、不快で悲しかった。

 しかしそれを(おもて)に出して拒むのは、智朗をさらに追い詰めてしまうことのように思えた。

「ごめん、キタネーよな」

 智朗は詫びた。

 明日美は目の端にたまった涙を拭う。

「ううん。でも、それじゃ今はどうやってるの? 誰かと一緒に住んでるの?」

 智朗は首を振る。「誰もあんな家に住みたがらないって」

「独り?」

「おう。父さんの保険、殺されても払ってくれるトコだったからとりあえずなんとかなってる」

「親戚の人と一緒に住んだりしなくていいの?」

「こんな厄介者、誰も引き取らないって。叔父さんが後見人っていうか保護者っていうか、親父の保険金とか管理してくれてるし、オレの様子を時々見に来るってことになってる」

「それでいいの?」

「オレも転校とかメンドクセーって言い張ったからな」

(でも学校にはあんまり行ってないって……)

 明日美はその噂を問い質すのはやめた。せっかく学校という平和で自分たちにふさわしい話題が見え始めたのだから。

「受験生だもんね、わたしたち。智朗くん、大学どうするの? もう希望進路とか出した? 第一希望は?」

 智朗は小さく鼻で笑った。少し考えて、こう答えた。

「第一希望は刑務所、第二希望は火葬場、かな」

「えっ……」

 絶句する明日美。意味がわからない。何を言っているのだ。

 智朗は席を立ち、明日美を見下ろした。

「ほんとに、マジでもうオレんトコにくんな。で、なんとかしてイギリスでもアメリカでも行っちまえ。こんな国、みんなで殺し合ってなくなっちまえばいいんだ」

 智朗は去っていく。店を出るまで、一度も振り向きもしなかった。

 明日美は追えなかった。立ち上がることも出来ない。

 智朗が触れもしなかった土産の包みを見つめて、彼の言葉を繰り返す。

「刑務所……火葬場……」

 思春期の自己陶酔した言葉選びでも偽悪でもない。諦念と覚悟に固められた鈍器がごとき質感が、智朗の発したそれらの言葉にはあった。

 凶器をちらつかされたような心地に、明日美は身を震わせた。

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