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約束の場所は以前に二人でよく行っていた店だと思っていた。
「ちょっと変わってるから」
さっき智朗がそう言っていた意味が分かった。そこは違うファストフードショップになっていた。ぱっと見には気付きづらい、例えば店名が『ORANGE』から『QRANGE』になるような詐欺めいた悪質な変わり方をしていた。店構えも色遣いもほとんど同じだ。
以前はアメリカ資本の世界規模チェーン店だったが、今海外の企業は次々と日本國から撤退している。誤魔化すように偽物じみた店が代わりに入っている。
(ここもかぁ)
帰国以来こんな光景を度々目にしてきた。自分には関わりが薄く苦笑する程度だったが、こうして思い出が変わってしまうのはいい気分ではなかった。
「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます!」
自分と同じ年頃の男子がカウンターのむこうで腰から深くお辞儀して迎えた。
(おおげさだなぁ)
明日美は呆れ、気後れしてしまう。
偽物くさい制服の袖に未満章をつけている。殺されるかもしれないのに接客業なんてと心配し、すぐにそうではないと気付く。
(そっか殺されないし、殺しもしないからこういう仕事に向いてるってことになるんだ?)
それでも丁寧過ぎる男子店員からジュースを受け取り席に着く。
夏休み中ということもあってか、十代や親子連れで店内はそこそこに賑わっていた。
フェイスタオルで顔を叩いて汗を拭く。冷房の中でジュースを口にしてやっとひと心地ついた。
勝手にためいきがこぼれた。
さっきの智朗の態度に腹が立ち、まるで失恋したような気持ちにもなった。
いっそすっぽかして帰ってしまおうか、とも思った。そうすれば智朗は振る舞いを少しは改めるかもしれない。
しかし今すれ違ってしまうと次のチャンスはもうないような胸騒ぎに襲われた。
店は変わってしまったが、ここで放課後や休日によく智朗と過ごしていた。
同じクラスになったことがないので、学校でのことを報告し合い、音楽の話や家族の話をした。
トレイに敷かれたチラシには、『未成年のアルバイト大歓迎!』と大きく載っている。
つられて思い出す。高校一年のゴールデンウィークの頃のこと。
「曲できた?」
「まだ」
半笑いの明日美に、わかってて訊いてるだろ、と智朗は怒ったふりで答える。
智朗は高校入学の祝いに自分用のパソコンを買ってもらっていた。音楽作成ソフトで作曲すると息巻いていたが、苦戦していた。パソコンやソフトの扱いが苦手というわけではない。機械の音に馴染めないのだという。
洋学はジャンルに拘らず幅広く手を伸ばす智朗であったが、結局好んで聴くのはギター弾きのシンガーソングライターやギターバンドだ。
智朗の好みがわかっている明日美にしてみれば案の定な成り行きで可笑しくなってくる。
「だから言ったじゃん」
「やっぱギターにすればよかった」
「弾けるかどうかもわかんないけどね」
「うっせー」
これが最近の定番のやり取りだ。
「いいのないなー」
智朗がぼやく。フリーペーパーでアルバイトを探している。ギターを買うためだ。
二人の高校は原則アルバイト禁止だ。家庭の事情やアルバイトの内容次第では許可が下りることになっているが、申請して通ったという話は聞いたことがない。そこで隠れてアルバイトをする生徒も出てくる。しかし店員のように人前に出る仕事はできない。自然と選択肢は少なくなっていく。
「これとかいいかも……あ、午後三時からって平日は無理だよなー」
ぶつくさ言いながらページをめくる智朗。
「誕生日に買ってもらうっていうのは?」
「パソコン買ってもらっといてさすがにソレは悪いし。ていうか、そんなポンと買ってもらえるかい!」
「使ってないギター貸してってうちのお父さんに頼んだげるのに」
こう提案すると決まって智朗は困った顔をする。
「もし壊したらヤバイだろ」
「なんで壊すこと前提かなぁ」
「慎重なんですよオレ」
「ロッカーとしてそれはどうなの」
「ロッカーだからさ、最後にはこう、『ぐわーん!』とやりたいわけですよ」
智朗が逆さに持ったギターを振り下ろす真似でおどけると、明日美は呆れて笑う。
「物を大事にしない人はエアギターやってなさい」
他愛もない時間が当たり前に平和に過ぎる。
それは明日美がこの国に戻ってからも続くものだと思っていた。
約束より十分ほど遅れて智朗はやってきた。
シャワーを浴びてきたようだ。乾ききっていない髪を後ろに撫でつけている。
白い半袖のワイシャツ、ジーンズにサンダルという出で立ちは長い髪と相まってフォーク青年を連想させた。
近づいてくる智朗を見て、やはり背が伸びたと思う。二年前は一五九センチの明日美より若干高いくらいだったが、十センチは伸びているのではないだろうか。
並んで確かめる隙など与えず智朗は向かいに腰に下ろす。
「遅くなってごめん」
「ううん。注文は?」
「してきた」
頬杖をついてそっぽを向き、目を合わせない智朗。
(さっき干してあった服かな?)明日美は控えめに観察する。(ちゃんと乾いてたのかな)
智朗が喋るのを待つ。
どんな言葉でもいい、智朗から声をかけてほしかった。しかし彼は押し黙っている。
明るく前みたいに、と意識して明日美は口を開く。
「さっきはごめんね、うるさかった?」
「ウルサイっていうかさ……」
「出てきてくれないから」
「だからって、よその家でいきなりギター弾くな」
「あはは。はずかしかった!」
「じゃ、やるなよ」
「アマテラスオオミカミ作戦」
「なんだそれ」智朗は考えたあと、わかったらしい。「べつにギターが上手いから出てきたわけじゃないぞ。イントロしか弾けないでよくあんなコトできるな」
「アレなら簡単かなーって思ったんだけど……」
「うわ、シツレーだな」
智朗の口振りはぶっきら棒だが、声は柔らかくなってきた。頬づえをやめて明日美をちゃんと見ている。
「たいへんお待たせいたしました」
智朗の分が運ばれてきた。未満章をつけていない女子店員は深々とお辞儀をし、二秒後に頭を上げて、お手本のように見事な笑顔を残して去っていく。
明日美はその過剰に丁寧な所作にかえって不快感を覚えたが、智朗は気にした風もない。
ハンバーガー三つ、パイ、フライドポテト、Lサイズのコーラ――明日美は目を丸くする。
「そんなに食べるの?」
「今日最初のメシだから」
答えながらもう食べ始めている。餓えた食べっぷりだ。
(小食だったのに)
明日美は小さなショックを受けながら改めて智朗を観察する。
体格もよくなったようだ。シャツの下に肩や胸があるのがはっきりとわかる。日焼けしにくい体質なので腕は相変わらず色白だが、鍛えているのか筋肉の凹凸がでている。それなりに濃く毛が生えているのもわかる。
昔は智朗に裸を見られることに気遅れがあった。彼の方が華奢できれいな体をしていると思えたからだ。
成長につれて体つきが変わるのは当たり前だ。しかし智朗の変化にはそれだけではない不自然さや無理が伴っていると明日美の目には映った。
ほら、と智朗はフライドポテトを明日美に向ける。こういうところは昔のままだと明日美は安心し、嬉しくなる。
あらかた平らげたところで、智朗は明日美の隣に置かれたミニギターのケースを指差した。
「誰の?」
「お父さんの」
ふーん、と智朗は俯いた。
「弾いてみる? 智朗くんもギター弾くんでしょ?」
「弾かないよ」
「ウソ」
「ウソじゃない」
「ウソだね。聞こえたもん」
「CDの音だろ」
「ちがう。絶対弾いて歌ってた。智朗くんの声だったし」
そこまではっきりと聞こえたわけではないが鎌をかけてみる。
「……ちょっとだけ」
智朗は顔を赤くして、またそっぽを向く。
「アコギ?」
「ああ」
そのアコースティックギターがどんな物なのか、明日美には予想がついた。だから、ここからどう話を進めるべきか迷う。
すると智朗が先手を打ってきた。
「ほんとにもううちに来んな。いいな」
「なんで?」
「もう帰ってくんなって言ったろ。なのに帰ってくるし」
「あのメール、なんで?」
「なんでって……」
「わたしのこと、イヤになった?」
「はぁ?」
「わたし、智朗くんの彼女だよね? それともただエッチしたかっただけ?」
「ちょっとまて、ストップ」
「帰ってくるなって、別れるぞってコト?」
「ちょっとまって」
智朗は顔をテーブルに伏して隠す。しかし耳まで赤い。
明日美も頬の火照りをはっきりと感じるが、もうあとには引けない。
店内はBGMとそれぞれの話題で賑やかで、誰も二人に注意を払っている様子はない。
「ストレート過ぎだろ、おまえ」
「イギリス帰りですから」
額をテーブルにつけたまま弱りきった声を出す智朗に、開き直った明日美は胸を張って応える。
智朗は観念したように顔を上げ、声は低める。
「こんな国に帰ってくんなって意味だよ」テーブルの上で智朗の手が拳を握る。「城戸、オレのこと、聞いてるか?」
「うん。里香がメールで教えてくれた」
「安達か。元気にしてるか?」
「四国に行っちゃった」
「あいつも疎開したのか」
「うん」
「安達から、どこまで聞いた?」
明日美は姿勢を正し、智朗とまっすぐに向き合う。唇も声も震えた。
「おじさん、亡くなったって……」
智朗は頷いた。
「去年のオレの誕生日に、父さんは殺された」




