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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 タクシーの後部に並んで座る。琴美から香水と煙草の匂いが寄せてくる。大変な仕事だな、と靖男は思った。

「いつもタクシーですか?」

「まさか。行きは電車、帰りはときどきタクシーかな。あとは一緒に働いてるコの彼氏がついでに車で送ってくれたり。途中、何駅分か歩いたり」

「歩き!?」

「ダイエットダイエット。田舎者だから歩くの平気なの」

 つられて琴美の体を盗み見る。たしかにいい効果が出ているプロポーションだ。

「田舎ってどこですか?」

「福岡」

「へー」

 そういえば杏子がそんなことを言っていた気がする。

「九州辺りはまだ今年も蝉が鳴いてるんですか?」

「さあ。わかんないけど」

 故郷への無関心を匂わせる響きが靖男をひるませる。

 すると琴美が口調を明るく改めて喋り出す。

「蝉ってさ、壮絶だよね」

「なにがですか?」

「何年も土の中にいたのに、やっと空を飛べるようになっても何日かで死んじゃうんでしょ?」

「種類によってはもう少し長く生きるみたいですけど」

「それでも人生のピーク短過ぎでしょ」

「そうですね」

「アタシが蝉なら、やっぱり今、土から出たくないわー」

「どうしてですか?」

「こんな頭オカシイ時代よ?」

「……そうですね。鳴いたくらいで殺されちゃたまりませんよね」


 あの人も、こんな時代でなければ今も生きていただろう。


「この国よくなると思う?」

「どうでしょうね。ほら総理大臣や政治家は……」

 幾分真剣味を帯びた琴美の問いに、靖男は答えを霞ませる。

 二人きりではないのだ。タクシーの運転手がどういう人物か分からない以上、立ち入った話は避けるべきだ。下手をすればこんなことでも命取りになりかねない。

 すると運転手が心配無用とばかりに会話に加わってきた。

「変わらないんじゃないですか? あんな法律作った連中は殺されないんですからねー」

 内閣総理大臣をはじめとする政治家たちと、一部の有識者や財界人に公殺法は適用されない。

 彼らは公殺権を持たない代わりに、公殺権行使の対象にはならない。死亡すると国家運営や経済活動に著しく悪影響を及ぼすと予想されるための特例措置だ。

「当分蝉は鳴かないわね」

「子供には蝉の声、聞かせたいですね」

 琴美はどうでもよさそうにつぶやき、靖男はしみじみと応えた。

「あの、今どの辺ですか?」

「もうすぐ長後ですよ」

 運転手の答えに、靖男はそれとなく西を向いて目を数秒閉じた。いつもの黙祷代わりだ。

「どうかしたの今井さん?」

「なにがですか?」

「お葬式みたいな顔してた」

 琴美の指摘に、靖男は狼狽して「ちょっと……」と濁す。

「それにしても、よくアタシだってわかったわね。アタシなんて言われるまで今井さんだって気づかなかった。ごめんなさい」

「いえいえ」

 自分は時々あなたを覗いてしまっていますから、とは言えない靖男であった。



 アパートそばのコンビニに到着して二人はタクシーを降りる。

「もうすぐ子供生まれるんだから、節約しないと」と琴美が強引にタクシーの料金を持つ。

「せめてこれくらいは」と靖男はコンビニで琴美が買おうとしたおにぎりやサラダの勘定を持つ。

 コンビニを出て並んで歩く。時刻はもう午後十一時をまわっている。

「自衛隊さんにボディガードしてもらうなんて贅沢な体験でした」

「元、です。お隣どうしじゃないですか。声かけてもらえればいつでもOKですよ」

「ところで……ごめんね、うるさくない?」

 隣り合った今井家と早川家を見上げて、琴美が訊いてくる。男を連れ込んだときのことだと分かる。

「まぁその、いえ、べつに……あの、カーテンはちゃんと閉めたほうがいいですよ。夜帰ってくるときとか、そちらの部屋のなかが見えることがあるので」

「いいの」

 靖男が言いたいことは察しているだろうに。さっきわざわざ自分から詫びておきながらのこの対応がちぐはぐに思える。

 毎度違う相手との情事や、裸や下着姿を近所に見られて得があるわけでもあるまいに。靖男は腑に落ちないものの、それ以上は追及しようもなかった。

「うちでお茶でもどうですか? 杏子も喜びますよ」

「また今度。もう遅いし、杏子さん夜更かしさせちゃ悪いわ」

 外階段を上がり、別れ際に誘ってみたが琴美は丁寧に断ってきた。

 また、と挨拶を交わして玄関に入る。靴を脱いでいると杏子が待ちかねたようにやってきた。

「ヤスさん、今帰ってきた?」

「そうだけど」妙な質問につい笑ってしまったが、杏子の様子がおかしいことに気づく「どうした?」

「呼び鈴が鳴ったんだけど、誰もいなくて」

「いつ?」

「三十分ぐらい前」

「外に出たのか?」

「うん」

「危ないだろ。出るなよ」

「ごめん。琴美さんかなとか思って。さっき声聞こえたけど、もしかして一緒に帰ってきた?」

「藤沢で偶然会って、タクシーで一緒に帰ってきた」

 答えながら玄関の外を見回す。異常はない。

 すぐさま戸締りをすると、今度はベランダに出て外に目を走らせる。

 どこにも不審者の姿はなかった。

「大丈夫だ」

 掃き出し窓を施錠し、カーテンを閉める。

「オーバーだなー。誰かのいたずらよ。それか呼び鈴壊れたか、ウトウトしてたから勘違いかも」

「でも物騒だから気をつけないと。今度そんなことがあっても絶対に外に出るなよ?」

「了解であります」

 おどけて敬礼する杏子に微笑する。ずっとこうして屈託ない笑顔でそばにいてほしい。

 コンビニの袋を差し出す。

「お土産。アイス」

「まーた無駄使いして」

「俺の小遣いから。子供に」

「そういうことなら食べてあげる。ほら、パパにありがとうは?」

 杏子がお腹を前に出してきたので靖男は手を置く。しかし、今日も別段なにも感じない。

「寝てるのかな。それじゃこれは明日ね」

 杏子は袋を手に冷蔵庫へ向かう。

 靖男は玄関に目を向ける。

 もしかして村上が来たのだろうか。まだなにか話があってやって来たものの、気が変わるかなにかして去っていった――そんな想像をして、すぐに否定する。

 だったら、そもそも靖男を一人で帰すわけがない。

 ここへ来るつもりがあったなら、上がり込む口実にできる靖男の忘れ物を見落とすというのも村上らしくない気がする。

 あんな類の話をするために杏子がいるこの家を訪れるはずもない。

 案ずるようなことではない。きっと真相は杏子が口にした程度のことに違いない。

 そう結論づけて、不安にフタをする。

「どうかした?」

「なんでもない」

 心配気に顔をのぞきこんでくる杏子をそっと抱きしめる。

「お酒くさい」

「ごめん」

 詫びる靖男の背中を、杏子の手が測るように撫でた。

「ヤスさん、少し太ってきたね」

「……マジで?」

「大丈夫。元に戻ってきた感じだから。自衛隊辞めるころはゲッソリしてたし」

「そっか……」

 靖男は抱擁にさらに想いを込めた。

 本当は、気に病み続けなくてはいけないのかもしれない。体重が戻るなど以ての外だ。

 それでも、こんな風に戻っていけるのなら、それは(ゆる)された証だと思い込みたかった。

 赦し主が誰なのか、わからないけれど。

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