17
午後二時三十分過ぎ。
「あんなのいらないよ。どうせ高校卒業するまでだし」
明日美が口をとがらせても、父・直人は「いいから持ってろ」と譲らなかった。
あんなの、とは未満章という十八歳未満の者が身に付ける腕章のことだ。
所持や着用は義務ではない。希望する場合は本人が保護者同伴で役所へ受け取りに行かなくてはならない。有給休暇をとった父親とともに車で市役所へ向かっていた。
昨夜から「いらない」とぼやき続ける明日美に、父親は「必要だ」と応え続ける。
「ほんとに大丈夫だって。わたし、人に恨まれるようなコトしないし」
「自分がそのつもりでも、逆恨みってこともある。もう見た目は大人なんだから、ちゃんとしておかないと」
「中身も大人だっていうの」明日美は子供のように頬を膨らませた。「それよりスマホの方がずっとほしい」
「受験が終わってからな」
明日美はさらに頬をフグのように膨らませてみせる。
「お待たせしました」役場窓口で女性職員がにこやかに黄色の腕章を差し出してきた。「城戸明日美さん。一九九四年十一月十五日生まれ。間違いありませんか?」
明日美が頷くと、女性職員は直人に身分証の提示を求めた。
直人と職員のやりとりの間に明日美は受け取った未満章を眺める。
帰国以来、幾度か目にしたが手に取って見るのは初めてだ。
丸みを帯びた文字で『殺しません・殺せません』とグルリと一周書かれている。
笑えない。悪趣味なジョークアイテムようだ。
「お子さんは高校へ編入されるということですので、その未満章の有効期限は来年の三月三一日までということになります。もしそれまでに学校を退学された場合は、期限が十八歳の誕生日前日までとなりますのでご注意ください」
女性職員が差し示したように、未満章には赤い文字でこう記載されている。
ASUMI KIDO 19941115―20130331
八桁の数字は明日美の誕生日と、この腕章の有効期限を示しているらしい。
墓石を連想する。ますます笑えない。
「帰国されたばかりとのことですので念のためにお教えいたします。以前は二十歳までが刑法などで未成年扱いとなっておりましたが、現在はそれが十八歳までとなっていますのでご注意ください」
そういえばそんな話も聞いていたなと思いだす。十八歳だろうが二十歳だろうが犯罪を犯す気はないので関係ないが。
「ほかにご質問などはございますか?」
「またイギリスに戻ることもあるかもしれないのですが、そういった場合は?」
父がそう確認して明日美は驚いた。そんな話は初めて聞いた。
「日本國が発行した出国許可証を持ってまたこちらへお越しください。退学扱いか休学扱いかで異なります。こちらで適宜手続きを行います」女性職員の顔から笑顔が薄れた。「そうそう許可は下りないでしょうけど」
女性職員の態度から嫉妬や敵意がわずかに見えた。「逃げるなんて卑怯だ」だと。
それは直人も感じたようだ。一瞬目をすがめた。それでも「仕事でのことですから」とやんわりといなす。
「他の色はないんですかー?」
明日美は、わざと頭が悪そうな軽薄な口ぶりで尋ねてみた。ショップで薦められたワンピースの色が気に入らないような調子だ。
それが気に障ったようだ。女性職員は不機嫌な目になった。
直人が肘で明日美を小突く。
女性職員も急いで笑顔を取り繕った。
「年齢に応じて、色は決められています。詳しくはそちらの紙に書かれていますのでお読みください」
「バッカみたい」
明日美は未満章を後部座席に放り投げた。
「おいおい、高かったんだぞ」
直人が注意するが、どうでもよさそうな口ぶりではあった。
「こんなのが四万って、おかしくない? スマホか携帯買えるし」
明日美は帰国以来、まだどちらも持っていない。
「どこにいくんだろうなその金は」
「ごめんね、こんなことにお金……」
「明日美が悪いんじゃない。それに金でとりあえず安全が買えるんならな」
明日美は反省して後ろから未満章を取り、膝に置きなおした。
「色のことはなんて書いてある? もっとイケてる色はないのか?」
直人に訊かれ、明日美は紙を取り出して読んだ。
「幼稚園児以下には白。小学生は水色。中学生は緑。高校生および十八歳未満は黄色、だって」
「はぁ、幼稚園?」
信号待ちの間に受け取ってざっと目を通した直人は「ふざけてんな」と紙を明日美に放り返す。
「なにが?」
「小学生は五千円。中学生は一万五千円。しかも色は毎年変わるから腕章も毎年買い替えなきゃいかんとさ」
明日美は紙を見返す。たしかにそう書かれている。
「それじゃ去年のは使えないってことだよね?」
「そうだな」
さらに読んでいく。前年度以前の未満章を着けていても、それに法的な効力はない。むしろ年齢詐称として罰金や禁固までありえるという。
「明日美、そろそろ読むの止めとけ。酔うぞ」
「これって新しいの買えなかったらどうなるんだろう?」
「明日美はこれが最初で最後だろ? 心配しなくていいよ」
「もしもの話。もしわたしがまだ十五とか十六で、来年買えなかったら? お金がなくて買えない人だっているかもしれないじゃない」
「着けること自体は義務じゃないからなー」
たしかに帰国して以来、未満章を着けている者はあまりいない。あきらかに十八歳未満な見た目の子供はまずしていない。持ってもいない子が多いのではないだろうか。
しかし明日美のように『境目』に近い者が未満章を着けているのも確かだ。
「本当ならお国様がタダで配るのが筋ってモンだろうが。テメーらがクソな法律作ったせいだろうがよ」
「お母さんが聞いたら怒るよ、そのしゃべり方」
激しかける父を明日美はたしなめる。直人はハッと我に返った素振りで「内緒な」と笑った。
直人にはもうひとつ用事があって今日の有給を取っていた。
一度家に戻るのも時間がもったいないので、明日美はその用事につきあうことになった。
車は長後からひと駅分大和市寄りの町へと入る。真新しい一戸建てやアパートが集まっている住宅地区だ。
「用事ってなに?」
「一緒に働いてた人が亡くなったから、ちょっと手を合わせてくる」
「その人、殺されちゃったの?」
「そうだ……」
かつての同僚が死んだことで幾つかの人事異動が起こり、直人も日本へ呼び戻された。
「なんで殺されたの?」
「そんなことまで根掘り葉掘り訊くもんじゃないよ」
「だって心配だよ。お父さんも仕事で人に恨まれたりしたらどうするの!」
直人は車を路肩に停めると、明日美と向き合う。
「そんな心配はない。その人の個人的な事情だ。お父さんの仕事は人に恨まれるようなことじゃない。知ってるだろう」
直人は主に工業機器の輸出入の代行や段取りをつける会社の社員だ。たしかに恨みを買うような仕事ではないはずだ。
「だったらいいけど」
「そんなに心配なら、それを借りて会社にいこうかな」
「二度目の成人式だって過ぎてるくせに」
直人が未満章を指差して冗談を飛ばすので、明日美も憎まれ口で応じる。
車は再び走り出す。
明日美は未満章を見る。ハイフンで結ばれた八桁の数字に思う。
(やっぱりお墓みたい)
城戸明日美
1994年11月15日生誕 - 2013年3月31日没。
(墓碑銘無し)
アーメン