第二話 「おとずれ」
第二話 「おとずれ」
カラオケと書いたとこだけ、後で マジックインキで書き足している。
カラオケ喫茶 "おとずれ" と書いた看板が玄関先に出されていた。
川沿いにたった一軒だけで建つこの家は昭和時代の一般的な建売住宅を改築して店にしているようだ。
このあたりには このカラオケ喫茶しかないのだが、客なんて来るのだろうか? 辺鄙な場所に建っているが 家の周辺はよく整理されており 玄関先やその周辺の道も ほうきで掃かれ雑草は刈られている。
川沿いの道で、この奥は何もなさそうだ。
ステンドグラス入りの西洋扉を開けるとチリンチリン・・と、茶店らしい響きがした。
「こんにちわー!」と 井上春名さんが一言、挨拶して中に入った。
「あら、いらっしゃい、春ちゃん 一週間ぶりかしら・・、」和服にかっぽう着を着た女性がカウンター越しに答えた。
喫茶店と言うより、お酒を飲む場所にも見える、窓は右手に一枚あるだけで、明るいと部屋と言う感じには見えなかった。
「よ、春!」
誰だ? そのカウンターに座って昼食?を食べている一人の、・・若い・・男が井上春名さんに声をかけてきた。
カウンターには三人の男が座り、昼食をとっているようだ。
その一番奥に座っている男は"春"って呼んだ・・? 仲がいいの? 井上春名先生の"春"なわけ? オレの方を睨みつけるような感じで見ているその男、オレに何かあるのか? 井上春名先生と一緒に店に入ったて来た事に嫉妬でもしてんのか? 感じ悪っ!
そう言えば、井上春名先生って、ほんとのとこ・・結婚してるのかなぁー、オレはさっきまで一人で都合のいい妄想をしていたが、いつもだけど ほんと自分が嫌になる。
「おっす、梶山くん!」 井上春名先生は答えた。
・・"かじやまくん"、て言ってたから、ただの友達なのかな・・名字で答えたし。
その隣に 年輩の男の人が二人座っていた。
「梶山くんて言って小中学校からの同級生なの、横にいる人は同じ職場の人たちよ。」なんだそうなのか、へへ。
井上春名先生とオレは 二つあるテーブル席の手前の席についた。
「サービス定食二つね、みずほさん。」と注文をする井上春名先生。
「ここね サービス定食しかないの、でもおいしいわよ。」
「そうだよねー、ほんとみずほちゃんのおかげでいろんな定食食えるもんねー、」とカウンター席の手前の男性が言った。
「ああ、ほんと! むかし市内に出張行ったときに、町には定食屋さんがこれでもかってくらい営業しててさぁ、それもどこの店もけっこう旨くってさぁ、あ、でもみずほちゃんの定食の方が旨いけどね。」
「みんな あそこの役場に勤めてる人たちよ。」と 井上春名先生。
「そういえば・・誰ぇ? その方は?」手前の男性が井上春名先生に聞いてきた。
「この人はわたしの勤め先が一緒になる 城島茂先生です。みなさん、よろしくね。」と フレンドリーに可愛く明るく言う春名先生。
「城島茂ぅー?・・・なんだよ、それ 本名かぁ?」と、さっきの睨みつけてきた梶山・・が、言った。
「それ、トキオって言うアイドルグループの誰かと同姓同名じゃねーのぉ? ハハハ!」バカにしやがった!
なんだ こいつ 感じ悪っ!
「ほんとそーね、・・たしか、そんな名前だったかな・・。」と春名先生。
「え!? てことは 玉小の新しい先生ってことか?」と 感じの悪い梶山、さっきそう言っただろっ!
「そうよ、分からないことがあったらいろいろ教えてあげてよ、梶山くん。」と優しい井上春名先生。
「教えてやれよ、梶山ぁ、村ん中案内してやれよ、井上先生と一緒に、」横の男が言う。
「な!? なんでっ? 仕事中でしょ!」・・なんだ、仕事してんのか。
元同級生で役場勤めか・・、どちらかと言うと オレの方がハンサムだろう! ・・たぶん、いや 私の方がハンサムだ! だから、・・だから何だというわけではないが・・。
「井上先生、こいつと結婚してやってよ、ずっぅと彼女いないんだよー、」と真ん中の男が言った、
なにっ!? 結婚してやって!? それはつまりっ、独身だと言うことだっ!!
「何言ってるんすかっ!! ・・春はっ、男だからっ・・結婚しないんだってばっ!」
えらい慌てようだなぁ、赤面までして、・・やっぱ こいつ井上春名先生のことが好きまのか? さっき 男って言ったけど、軽い冗談かな?
だが、大きな声では言えないが オレにも脈はあるって事だ。
「誰が男よっ! もらってくれる人がいるんならとっくに結婚してるわよっ!」
その言葉に嘘、偽り、照れ隠しじゃないのなら、私がもらいます。
「井上先生も早く結婚しちゃいなよー、もう梶山でいいじゃないの?」この真ん中の男っ! 何言ってんのかなぁっ、ほんとーっ! なんで梶山でいいんだよッ! 腹立つなっ!!
「そうそう、村のためにもたくさん赤ちゃん生んでさぁー、ハハハ」・・真ん中の男ぉ・・、何言ってんだよ、このオヤジ、赤ちゃんだと!?
それは国会でも問題にしているセクハラじゃないのかっ! 赤ちゃんを産めだとっ!! 井上春名先生がかっ!? ・・・赤ちゃんはコウノトリが運んでくるんじゃないんだぞっ!・・セクハラだろっ!
「もうーみんなしてぇー・・そう言えば梶山くんは彼女とかいないの?」と 聞く井上春名先生。
「いないんだよねー、だからさぁー」とそのとき。
「それより、そちらの殿方は玉小学校の先生さんなんだよね、・・て事は 年少組のちっちゃい子たちを受け持つのかい?」と かっぽう着を着た女性店主。
その女性店主は そう言いながら 四角いお盆をを一つ持ってきて オレの前に置いた、これがサービス定食か。
「春ちゃんはまっとくれよ。」
「はい。」
小さな一本足のテーブルにおかれたサービス定食は アジの南蛮漬けだった。
「新しく赴任する先生は 校長のクラスを受け持ってもらいますと 聞いているから・・たぶん・・そうそうなると思います。」
「あんたは 市内から来たのかい? 市内の学校とここはぜんぜん違うだろ?」とカウンター席の一番手前に座っている男性が話しかけてきた。
ちょうど 井上春名先生にもサービス定食が運ばれてきた、「はい、どうぞ。」と、女性店主。
「わぁ、美味しそ、いただきまーす。」と、すぐに食べ始めた。
レモン添えのアジ南蛮にゴボウと人参、さつま揚げの煮つけ、ヤッコとキュウリの短冊、もろみ添えに赤だしとごはん。
これでいくらだろう? と値段を考えてしまう、だけど ボリュームがあってしかも体に良さそう。
「都会はやっぱり違うわよ! 小学校でも三十人学級が四クラスもあったりするのよぉ。」と 井上春名先生。
「ほんとか!? 小学校だぜ!」梶山。
「それが 一学年で四クラスよ! だから六学年で・・二十四クラスもあるわけよね、単純に考えて二十四クラスもあるって事は、・・先生だけでも二十四人はいるって事ですかぁ? 城島先生、」
「そう言うことになりますね、・・・。」・・そうだよね、先生の数なんて考えたことなかったけど 二十四人はいるって事になるし、保険医や補佐する教師なんかも二、三人はいるかもしれないな。
「ほんとかよ、そりゃあすごいなぁ、オレが高校んときで 三クラスだったからなぁ・・一学年で。それでもデカいって思ったもんだけど、大学なんてさらに人がいたんでおどろいたもんなぁー。」」と真ん中のセクハラ男が言った。
「あんたら 同じ大学出てんだよねー、あれってやっぱり近辺の村むらから勉強が出来る子たちが集まってるって事なんだよねぇ。」と、女主人事、みずほさんとみんなから呼ばれているらしい。
井上春名先生が答えた、「うん、そうだけど勉強が出来る子はみんな 県外の大学に行ってるの、東京とか。」
「その方が就職に向いてるからな。」手前の男性。
「じゃあ あんたたちは 勉強出来なかったのかい?」
「あ、みずほさん そーじゃなくてぇ、地元で就職する子たちとかは みんなこっちの大学よ。」と 井上春名先生。
「だけど こっちの大学はほんと楽勝だったな、入るのも簡単だわぁ、出るのも簡単、寝てたって卒業出来たもんなぁ。」と続けて手前の男性が答えた。
「え!? そうかしら、卒業するのは難しかったわよ。」と、井上春名先生。
「ああ、そりゃあ、先生は、ほら 教員免許とか 取らなきゃいけなかったから・・」
「それでなのかなぁ・・? だけど一番大変だったのは通学だったなぁ・・、ここから大学までって二時間近くもかかちゃうから 行きも帰りもヘトヘトになっちゃってたもん。」
自転車通学で二時間? 井上春名先生はここから通ってたんだ。
「そういや、春ちゃん 自転車通学だったよねぇ、高校も大学も。」とみずほさん。
二時間かけて大学まで!? 自転車で毎日? オレなら挫折している、てか 始めから通わない。
「自転車好きなの? 春名先生、」 真ん中のセクハラ男。
「んー・・好きって言ったら好きかも―、だけど高校も大学も 仕方がないから自転車通学してただけなんだけど、・・だって うちの村のバスって 始発が9:35分なのよ、その時間に乗ってたら 大学につくころってお昼前なのよ、だから 自転車しかなかったの。それにたまにバス来ないしぃ・・。」バスが来ない? 田舎ならいいのかな。
「自転車以外、考えなかったのかい?・・例えばバイクで通学するとか、アパート借りたり、寮に入るとか。」
「んー、考えたんだけどぉー、お母さんが危ないからってすっごく反対しちゃってぇー。」バイク通学は確かに危ないよ、お母さんが心配するのは当然だよ。
「ククク・・」なんだ 感じの悪い梶山が笑ってる。
「おまえがバイクで田んぼに突っ込んだりするからだよ、ハハハ」
「ちょっ 何言ってんのっ! ・・あぁ あれはあんたがバイク貸してくれるって言うから・・」
「ハハハハハハハ、あーっハハあれね、」梶山の横に座っている二人の男が大きな声で笑い出した。
「そー言えばそんな事があったねぇ、・・たしか高3だっけぇ? 春ちゃんは子供の頃から何かしらやらかしてからぁねぇ。」とみずほさん。
「一人暮らしも させてもらえなかったんだよなぁ、春! だから 春んちの母ちゃんが村から出ていくことも反対したって、・・目を離したら長生きできないからって言われてさ。」梶山。
「アハハハハハハ!」みんなが大笑いする。
みんなが"春名先生"て言うから、ぼくも・・
「あ・・春名・先生って・・やぁ、やんちゃ、・・だったんですねー・・へへ、」あっ、どもっちゃった!
一瞬、間が空いた? ダメかぁっ下の名前で呼ぶのはっ! まだ早かったかぁーっ、さっき会ったばっかだもんなー。
「やんちゃって事もないんですよ、・・ただ田舎の子って ほら、都会っ子と違って 走り回って遊んだりするから・・、だからぁ私も・・」いける? いけるかっ!? いけるのかっ! 下の名前で呼ぶのっ!
「だけどさあ、春名先生ってバイクの免許持ってたんだね。」
だけど、なんだこいつ、さっきからこっちチラチラ見やがって、目つき悪っ! 梶山っ! なに睨んでんだよっ!
「・・免許なんて持ってるわけないよ、無免許で乗ったんだって、・・だいたい今でも車の免許も取らせてもらってないのに。」 あ、そーなの?
「あら、春ちゃんそうだったのぉ? 大変ねー! ここじゃ車がないと不便だもんねー。」
「うん・・・。」
しおらしい・・・、井上春名先生、照れてる表情も可愛いね、そのまま ポシェットとか肩にかけてくれたらもっと可愛らしいのに。
「だから 電動自転車買ったんだもんなー、免許いらねーから、ハハハハ!」
そうか、井上春名先生は車の免許を持っていないから電動自転車が足代わりなんだな、だけど女性は車に乗ってるより自転車、通称ママチャリに乗ってる方がよっぽど可愛げがあるけど。
都会の女たちは、狭い道を大きな四駆や三ナンバーでどこへ行くのも車だ。
車は常に左寄りに走っているから歩行者や自転車が怖がっていてもお構いなしに走る。
その上、自分の言い訳を先に考えるから相手の立場に立って考えない、子供の習い事を高級車で送り迎えしては、止めるとこがないと言って所かまわず路駐する! そんな女の人を可愛いと思えるかっての。
ああっ! 嫌だ嫌だっ!意地悪爺さんみたいな想像してる自分がもっと嫌だ!
悪いところを見ればキリがない!
だが、その習い事で高級車の送り迎えは良しとしよう・・金 持ってんだよな、いいんじゃない。
その高級車の横に ママチャリで子供の習い事の送り迎えをしているお母さんがいる、タイヤの溝が無くなりかけの"ママチャリ"には さっきスーパーに寄って来たんだろう事を思わせる買い物袋に、弟だろうか? 妹だろうか小さな子供がハンドルに掛ける自転車用チャイルドシートに座らされていたりする。
そんなお母さん同士でも、似合いもしない高そうな服を着たババアと話しをする。
ママチャリのお母さんは汗をかいて色あせたロゴの入ったTシャツに、ポシェットをしている。
ずぇーったいっ! "良い母ちゃん"なんだと私は思いますよっ、ほんと!
私は 教師になる前はアルバイトでワンボックスのトラックに 嫌々乗っていた。
米と小麦の30K袋の納品だ、腹が立つほど大変な仕事だった・・。
これを本職にしている人には悪いが、この仕事を定年までやれって言われたら、絶対嫌だ!
泣いてでもわめき散らしてでも、どっかの議員さんや公務員さんみたいな楽な仕事がいいに決まってる!
そんな辛くて、嫌々やっていたバイトで車の運転中だったが、オレの車の前から走ってきたママチャリを見てみると、後ろと前に子供を二人も乗せて、なおかつ買い物帰りなのか、買い物袋が前カゴにはみ出さんばかりに入れてあった、夏はいっぱい汗をかき、冬はほっぺを真っ赤にして自転車に乗っているそんなお母さんは笑顔に満ち、幸せいっぱいの表情をしていた。
だからオレは ポシェットをかけているお母さんたちを見るといつも車幅を開け、ゆっくり通るか、道を譲ってあげていたのだ。
高級車を運転しているババアには 道を譲らない、逆にあおっていた。
極悪人! まっしぐらだったぜっ! 今だから分かるけどよー、・・分かるような気がするってーのぉー? ぜってーオレっちは そのまま行くと大変なことになってたと思うぜっ! 人生、ぶっ壊してたに違いねーぜっ! ・・教師になれて良かった。
おとずれで昼食を井上春名先生におごってもらいました。
・・ああ、なんかとっても穏やかで幸せな気分だよ。
帰り道、
井上春名先生と手をつないで帰りたいなと考えながら来た道を戻って行った。
オレは今まで 女性と手をつないだことがない。
あそこにいた男性三人は役場に戻って行ったとおもいます。
そんなことより 井上春名先生と玉川の川沿いを歩いていたら 島と言っていた中州に以前目撃した河童が こちらを見て立っているではないか! 子どもの遊び場を河童が占拠しているのか? 子どもは無事なのか? 引きずり込まれていないだろうか?
「こんにちわー!」と井上春名先生は河童に声をかけた! 知り合いなのか!? 河童!
河童はフンドシをはいてるっ! フンドシ一丁だ!
「春ちゃんじゃないかぁ・・、」と河童が喋った! 喋れるのかっ!?
春名先生は 河童さんに手を振って挨拶した。
「あの人ね 小田さんて言うのよ、小田松竹さん、昔は世界中の川を旅して来た凄い人なのよ、・・今はこの玉村に住んでるんだけど。」
河童さんにはまた、バイバイと手を振って歩きだした。
「あ、ちょっと・・あの、は 春名先生・・、」
振り返る春名先生、「? ・・何ですか?」
おおっ・・見返り美人だ! なんかいいもの見た感じがする、ポシェットがちょうど左正面で、いいアングル! あ、そうじゃなくて、
「あの、・・・・さっきの河童は、」と言ったら、
「あーっ、言ーってやろ、言ってやろぉ! 小田さんのこと河童って言ったぁ!」なんだ、子供のよう陽気に言われてしまった。
子供の頃の先生に言いつけてやる的な言い方は可愛いじゃないか。
ポシェットがその可愛さをいい具合に引き出している! 男がしたら気持ち悪いだろうな、・・・ああっ!! さっきの感じ悪い梶山みたいなのがポシェットしてるところを想像してしまったあっ!! 気持ちわるぅーっ!!
「城島先生・・? あの、冗談ですよ・・。」
「はっ・・はいっ、ハハハ、そんな事分かってますよ、・・それよりあの人、小田さんて言う人ですか? よっぽど川が好きなんですね、昨日もアパートの前を少し行ったところの川で泳いでるのを見つけましたよ。」
「ああ! でしょ、小田さんが言うにはこの玉川が日本で最後の清流なんだそうです、・・御玉神社の少し上にもとってもきれいな総池って言う池があるんですけど、そこも日本で一番きれいな池だって言ってました。」
「そうなんですか・・、四万十が日本最後の清流って言われてるけどぉ・・、」
「ええ、そうなんですけど、小田さんに言わせれば あれはもう清流なんかじゃないそうなんです。」
「・・そうなんですか。」
確かにあぜ道の横から見ても とてもきれいな川だと言うことはわかる、だけど実際のとこ自分自身が本物の清流と言うのを知らないんだから何とも言えない。
「玉川のことなら小田さんに聞けば何でも教えてくれますよ フフ、 それに泳ぎもカッパみたいに上手だし、五分近くも水中で潜ってられるんですよ、すごいでしょ。」
「五分もですか? そりゃすごい。」
「若い頃は七分半、潜ってられたんですってぇ。」
それにしても井上春名先生は 気取らない喋り方をするんだなぁ、笑顔もキラキラしているって言うのか、目を見ているとこの人は汚れを知らないだろうなって思わせる、学生時代の初恋の女の子みたいだ。
まだお昼を少し過ぎたところ、まだまだ春名先生とお話がしていたい、だけどアパートについたら 春名先生はすぐに階段下のマイ自転車を出して来た、鍵かけないんだ、電動自転車でも盗まれないのかぁ・・、さすが田舎だ。
「じゃあ 城島先生、始業式で。」と言って爽やかに自転車にまたがり走り去って行った。
・・・・・。
・・・もうあんなとこまで行ってしまった、電動ってすごいんだ、軽やかなんだぁ。
・・・この胸の寂しさ、悲しくなるほどの切なさ、・・喪失感と言うのだろうか。
オレは井上春名先生に恋をしてしまったのかもしれない、数時間前に会ったばかりなのに・・、そうか! これが一目惚れというやつなのか!
もしかすると これはあれかもしれない! いや、間違いない! "赤い糸で結ばれた運命の人"なんだ! そうだそうに違いない、なぜか井上春名先生を オレはずっと前から知っている気がする! ・・気のせいかな。
そう、これは生まれる前から決まっていたことなのかもしれない、運命の歯車は必然の出会いで回り始めたんだ、この村で教師になることも、あの嫌なバイトも、友達の輪の中に入れなくて孤独が好きな振りして とうとう四年間、いや五年間、いっかいも女の子と付き合ったことがない事も! それはすべて今日と言う日の準備だったんだっ!
・・女の子と付き合ったことがない、・・オレはモテないのか? いや、そんなはずはない、・・どっちかって言うと オレはカッコいいはずだ! そのはずだ!
だいたいっ! 大学へは女子と出会いのために行く場所だろっ! 小学校の先生になりたいって言ったのもほんとは女子と出会うための立て前が半分以上に決まってんだろ! なぜ大学へは行くんですかって聞かれて、そこに大学があるからですって答えていいのかよっ!
世間の生涯独身男のほとんどは、男三十路になっても童貞だった事が統計で出てた!
遊べるときに遊んで、思い出つくって、晴れやかな清々しい気持ちで大学を卒業したかったっ!
なんか、すんげー脱力感に襲われている、・・・あーしんどー、・・ちょっとその場で和式うんこさん座りをしてみる。
「ふー・・どっこいしょー・・と」
・・なんだろう、・・なんでこんなに悲しい惨めな気持ちなんだろう・・・。
さっきまで 天にも昇る幸せすぎる気持ちで溢れんばかりだったのに・・・。
人と言うものは、辛いことや悲しいこと、惨めなこと、恥ずかしくみっともない事を たくさんたくさん経験すると嫌な大人へとなって行くものだと思う・・・、頭が禿げて枯れていくんだなぁ。
それに意地悪になるし、ひねくれるし、ダダこねるし、ふてくされるし、いじけるし、言い訳するし・・・。
オレは一生独身なんて嫌だ! ずぇったいっ嫌だっ!! 何っのために大学までいったんだよっ!!
うーっ・・考えただけで恐ろしい・・、死のう、て気になる。
ハハハハハ、だが、神が与えたんじゃないかなーて言う試練を乗り越え、オレはっ! やっと、ここまで来たんだ!
教員試験に今年やっと合格し、なんの通達も連絡もないから「え!?忘れられてるの?」と思って約半年!
諦めかけていた先生の仕事が決まったのさっ! どこでもいいからと思って神社でお百度踏んでたら、偶然玉村での採用が決まった!
その偶然が、「必然だったのだよ、フフフ」 オレは無意識のうちに独り言を言ったようだ、言ってから気が付いた。
だけど教員という公務員になって 夏も冬も春までたっぷり休みがあるし、週休二日で子供相手、給料は安いがこんな楽な仕事が他にあるかぁ!?
苦渋を舐めながらでもバイトに勤しんだ事を思えば給料が安くても年功序列ならなんの心配もいらないじゃないか、オレは勝ち組じゃないかっ! そうっ! オレは勝ち組だっ! ハハハハっ!
オレはしゃがんでいたが、すっくと立ち上がり顔を天に向けた、あ、・・・立ちくらみが・・・
ボロアパートが目に入った・・。
「あれー、さっきのおっちゃんじゃんかー。」
はっ!? 誰だっ!
声の方へ振り返ると、さっきの三人のガキ・・・。
「春名先生は帰ったのかー?」
「おっちゃん うんこは終わったんかー?」と三人が笑い出す「ハハハハハハハハハっ!」
「うんこー、やっぱうんこしてたんかあー!?ハハハハハウンコウンコ!」
「は!? うんこ!?」
「そこで うんこしてたじゃんかーハハハハハハハ!」
「パンツはいたままかぁー、ハハハハハハハハ! 出たんかー! ウンコー! ハハハハハハハ!」
井上春名先生んとこの・・生徒・・だよな・・。
「こんなとこで糞なんかするわけないだろっ!」
「クソだってーハハハハハハハ!」
糞のどこがおかしいっ!? 何がそんなにおかしいんだっ!
「おいっ! おまえら、宿題は終わったんだろなっ!」とか言って話の流れをこっちに戻してみる。
「なんで宿題?」
「宿題なんかしてないよおー、ハハハハハハハハ!」
何でそんなに笑うんだ、オレがバカにされてるように見えるだろっ!
「宿題なんかするかっ!ハハハハハハハハ!」
「宿題なんかする奴は女だけだぁっ!」
「ハハハハハハハハハハハハ!」
「どおいう意味だ? なんで宿題やんない? 春名先生に怒られるだろっ!」
「怒られないよ、・・・なあ、」
「おお! 怒られない! 最初ちょっと怒るけど・・」
「あれって怒ってんのかぁ・・?」
怒られてることが伝わってないのか? それともバカだから分かってないのか? いやいや そんなはずはない、そう・・あれだ、春名先生が優しすぎるんだな!
「おい、お前たち、春名先生は優しいのか?」 ちょっと確認しみよっかなー・・
「やさしいよ、すっげーやさしいよなぁー、怒ったりしないもんなー、春名先生」
「ああ、怒るよりも笑ってる!」
「ハハハハハっ!」
そーなのか? ほー怒らないか、そうか怒らないか? それどころか笑うか、・・宿題忘れてるのに?
「お前らっ! 井上春名先生を困らせたりしてんじゃないのか!?」
「・・・困らせてないよ!」
「おまえたちが宿題やんないから困ってんじゃないのかっ?」
「だいたい春名センセは宿題なんか、やんなくたっていいって言ってんだからなぁ!」
「そおだよなあっ! やりたい人だけやればいいっていつも言ってるもんなっ!」
「おおっ!」
おお!、じゃなくてよ、何だよ それ、
「・・宿題はみんながするもんだろっ! だいたいなぁ、宿題やんなくていいなんて言う先生がどこにいるんだよっ! おまえたちは 嘘までつくのかっ!」
「嘘なんついてるかーっ! 春名先生がしなくてもかまわないって言ってんだよおっ!」
「なんなんだ、お前たちは・・、しなくていいわけないっだろっ!」
「お前こそっ 勝手に決めつけんなああっー!!」
「はっ!? おまえっ! 大人に向ってお前ってな・」「春名先生はなあ、勉強よりたくさん遊べって言ってんだよっ!!」 このクソガキっ! 喋ってんだろがっ! 素麺のガキっ!
「小学生は誰にも負けないくらい遊べって言ってるから宿題なんかしないんだよッ!!」
「そうだぞっ! おっさんっ!」 おっさんっ!?
「だからオレたち、遊んでんだよっ!なあっ!」
「おおっ!!そうだっ!! おっさんっ!!」 このクソガキっ! どんな育てられ方してんだよっ!! 口の利き方も知らねーのかっ!!
「どこの世界に、勉強しないで遊べって言う先生がいるんだっ!? ああ!? おまえたちの親なのかっ? もし、親が言ってんならその親も学校に来てもらわないとなあっ!」
「おい、昭吉! このおっさん、春名先生が年少組の先生になるって言ってたじゃん。」こいつは山岡の方か?
しょうきちぃ!? おまえが三人のリーダーかぁ? 素麺のガキぃ!
「・・あのなぁ、」
「・・なんだ?」
「・・・オレは川が大好きだっ! オレの爺ちゃんは オレなんかよりずっと川のこと知ってるし・・ずっと川を守ってきたんだからなっ・・・、」
「はあ? だから何だ?」 何が言いたいんだ、アホガキが。
「・・・春名先生は勉強より・・、その・・思い出作った方が大人になってから、ずっと得だからって言うから・・、」
思い出?? ・・なんだそれ?
「・・勉強より・・その・・、たくさん遊んだ方が立派な大人になれるって言ってるからだなー・・」 自分で言って、照れてるのか?
「あのなぁ、とにかく・・一番たくさん遊んだもんが勝ち・・なんだよっ!」
「・・そうだ、春名先生は、いっぱい遊べって言ってんだよっ! いっぱい遊んだらいっぱい思い出が作れて お得なんだって、・・そのためにはいろんな人と遊んで、一人でいる奴がいたら仲間にして遊べって・・、」
一人でいる奴? 仲間?
今 昭吉が"素麺ならあるからうちに来るかー"と言ったことが頭に浮かんだ。
・・例えふざけて言ったとしても、見ず知らずの人に優しくできるのは 自分が今、幸せだからだろう。
「今は 勉強なんかしなくたっていいんだよっ! ・・金持ちじゃなくても偉くなんなくても、楽しい思い出を子供の頃に創ったもんが勝ちなんだよっ!」
「・・おっちゃんは、知らないのか?」 ・・おっちゃん、・・オレも老けたなーて、思えてくるけど、まだ二十六だから。
「何がだ?」
「・・えっと・・・あれ、何てったっけぇ・・? 人生の半分だってやつ、」
「ああっ!! そうだっ! 今なあっ! 楽しい思い出作ったもんが勝ちなんだよっ!」 ああ、さっきも言ってたなぁ、
「今っ! すっげー楽しい思い出、創ったら人生の半分を勝ったことになるんだよっ!」
横のやつが昭吉に言った、「ああ、あれだ! 子供の十年は一生の半分なんだってやつ・・、」
ああ・・どこかで聞いたことがある、何が言いたいのか、分かってきた。
「おおっ! それだっ!! だからなぁっ! ・・えーと、」なんだよ、そこはカッコつけていいと思うぜ!
少年時代の思い出は 一生の宝になる。
オレの好きな言葉だ、春名先生はそれを子供たちに教えていたのか?
あと こんな言葉もある、
"あなたが生まれたとき、それで親孝行は半分してもらった。"
"あなたが生まれて成長してくれた、もう親孝行はしてもらっている。"
誰が言った言葉か忘れたが オレの心に一番深く入り込んだ 二つの言葉だ。
今のオレがあるのも、子供時代の楽しい思い出があるから、と言うのはきっと大きな理由の一つだろうと思う。
難しく考えず、たぶんきっと楽しかったから、だと思う。
「今のオレたちはっ・・そのっ勉強よりいっぱいすることがあるんだって事なんだよっ!!」
・・投げたな、昭吉。
オレは今 とっても恥じている、子供相手にむきになって・・
・・思い出が一生の宝、なんて 田舎の小学生と真剣に話してること自体が恥ずかしい!
「・・・・春名先生がそう言ったのか?」
「・・・? なにを?」
「あ、・・いや、・・・その、・・分かった、」心の中で反省しよう。
「そうだな、勉強よりも大事なことはあるよな、オレもそう思う。」
「だけど たまには勉強しろよって・・・ケツ叩くけどな、」
昭吉が場の空気を持ち上げた。
「ハハハハ! ああ、どっちなんだよぉーって、ハハハハハハ!」
そして その一言を他の二人がさらに持ち上げた。
「まあ・・どっちにしても勉強しなくていいって言う、春名先生もすごいよなぁ・・・PTAが何も言わないのか?」
考え事は 時に自分を追い詰め、深く沈めてしまう、こんなに鳴いてる蝉の声すら聞こえないほどに。
「春名先生は中学行ってから勉強すればいいって。」
「そうそう、小学校の勉強はしたって意味がないって言ってたよなぁ、」
「ああ、だから 勉強は中学校の先生に教えてもらえって、なあ。」
それって 中学校の先生にすべての責任を押し付けたって事?
「あああっ!!」
なんだ!? 子供たちが、声を上げた!
「ドラさんっ!」
「え!?」
振り返るとオレの部屋の下の住人が出てきていた!
うわっ! なんだ、この人は?
「ドラさん 太陽大丈夫なのかぁ?」
「ハハハ、ほんとだよっ、大丈夫なのかぁ?」
・・ドラさん?
その男は 小柄で痩せこけているのか、面長の四角い顔に頬骨が出て以上に白い肌をしている、と言うより青白い、体の具合でも悪いのか? 薄茶色と灰色が混ざった上下のパジャマ? 履き古された黒い靴を履いて出てきた。
ドラさんの方から静かな風が吹いてきた、・・・臭っ!!
カビ臭っ!!
そのカビ臭い・・異様な感じの男は玄関から二、三歩出たところで 「何してるんだ? うるさくて寝られない、わたしは夜しかダメなんだ。」と 喋った!
夜型って事を言いたいのか!? こんな田舎で何してんだよ、この人は。
三人のうちの誰かが この変な男に返事をした、「ああ、分かってるよ、だから もうどっか行くよ、・・じゃあなー、ドラさん!」と言って、ゆっくり歩いてどこかへ行ってしまった。
「おっちゃーん! またなー、ハハハハハハハ!」
オレにも声をかけていった。
・・オレは少年から見れば、おっさんなのか。
何か楽しい話をしているのだろう、聞き取れないほど向こうへ行ってしまった。
セミの鳴く音、夏の日差し、昼間から聞こえる草むらの小さな虫の音、アパートの周りは稲や草の匂いと共に風に揺れる木漏れ日が穏やかな夏の午後を作り上げていた。
あの気味の悪い男は オレの住む201号室の下の部屋に住んでいる・・・。
何も言わずに その男は自分の部屋に帰って行った。
オレは後ろを振り向き、東の空を見ながら大きく深呼吸をした、・・さっきはかび臭かった、・・なぜあんなにカビ臭いんだ? あの101号室はカビの苗床となっているのか?
川沿いから生い茂る雑草のその上を飛ぶトンボ、夏も終わりなのかな、風が涼しく気持ちいい。
チリーン・・
どこかの部屋の窓につるされてる風鈴の音が聞こえていた。
長いこと忘れていたけど、オレもいっぱい走り回って遊んでいた、それにたくさん笑った、・・・だから勉強が嫌いだったのかな。
振り返るとそこには 静かに佇むアパートと 明るすぎるほどの日差しと日陰だけがあった。
あの痩せこけたカビ臭い男も、少年たちもいなかった。
第二話 「おとずれ」 終わり




