三香 1
「ねえ、これ、やっぱり三香ちゃんのことじゃない?」
ぽつりと由紀奈が指し示したのは、それまで読んでいた女性向けファッション雑誌のとある頁だった。
「住んでいる場所が鷹石市で…大学がうちで…途中何回か引越ししてて…。名前が山打ミカ、男。三香ちゃんのこととしか思えないよねえ」
「何のことだよ?」
由紀奈から雑誌を受け取り、示される箇所を見る。そこには今はやりの女性作家、滝見月子が連載する小説が掲載されていた。
『あなたに会いたいの』。それがその小説のタイトルだ。
幼い頃離れ離れになった主人公と青年が、近づき、すれ違い、恋愛模様を繰り広げる話…となる予定
の恋愛小説の第3話目だった。
連載途中で話の筋がよくわからないが、言われるままに第3話を読んでみる。
主人公は滝本月子…作者自身の投影だということが、まるわかりの名前だ。
そして月子を愛する青年が山打ミカ。
微妙に地名や人名は変えられているが、確かに、自分のこととしか思えないほど、克明に山内三香自身のことが綴られていた。
「ねえ、三香ちゃん。滝見月子と知り合いなの?…っていうか、付き合うとかしてたの?」
眉をひそめ、いぶかしげに、不安そうに由紀奈が言う。
小説を読む限り、ミカは月子を愛しく思い、まだ大学生だというのに結婚さえ考えている。
勿論三香ではない他人が書いた、作り物の中の話だ。しかしあまりにもミカが三香を思わせる。
由紀奈が愛読しているこの女性誌は月刊だから、この3ヶ月、ずっと彼女は疑問に思っていながら読んでいた、ということか。
「俺は、由紀奈以外つきあった奴はいないよ」
「でも…。これ見た人、きっと、…三香ちゃんが滝見月子と付き合ってるって、思うよ」
くしゃり、と由紀奈の顔が歪む。
涙こそ光らなかったが、由紀奈がどれ程思い悩んでいたかを十分に感じさせる、切ない表情だった。
「馬鹿なこと言うなよ。俺が付き合ってるのは由紀奈だろ。お前今更、俺が去年のクリスマスにやった恥ずかしい告白をなかったことにするのかよ」
道化めいたジェスチャーをまじえて三香が返す。
去年のクリスマス、三香は通学する大学の最寄り駅で、帰省しようとする由紀奈を呼びとめ、プレゼントと薔薇の花束を押し付け、大声で「好きだ。他の奴のところになんか行くな」と告白した。それをよりによって研究室のメンバーに見られ、しばらくは再起不能となったのだ。
それもこれも、三香が心底由紀奈に惚れているから。
その由紀奈に、こんな心元ない、危うい表情を一秒だってさせたくなかった。
「たまたまだろ。滝見月子なんて、顔も見たことないし。
名前がちょっと似てて、大学が同じだからって、俺の訳ないだろ」
「うん…。でも…、男でミカなんて名前、あんまり聞かないよ…」
「最近の名前ってどんどん中性化してるだろ。小説だし、なんとなくかっこいい名前つけて見たら、俺の名前と似てたってオチじゃないの」
努めて明るく三香は言い、由紀奈の肩を抱いて顔を覗き込む。
何の心配もない。ただの勘違い。
由紀奈も三香の目を覗き込み、その真意を測ろうと見つめる。そしてふっと微笑んだ。
「そうだよね。ただの偶然。考えすぎだよね。
…にしたって、自分で自分の名前、かっこいいとか言う?
三香ちゃん、その名前、女みたいだって嫌がってた癖に」
「うるさいよ。ったく」
コーヒーいれるよ、と三香は立ち上がった。
自分の部屋にある雪奈のカップを、大切に戸棚から取り出す。白地に青い花模様の描かれた、いかにも由紀奈らしい清楚なマグカップ。それと、夜空を思わせるような艶のある黒地をはいた、三香のマグカップ。
インスタントでこそないが、大して上手にいれる訳ではない、ただのドリップ式のコーヒーだ。
だが、三香は、このコーヒーに熱湯を注いだときの香りが香ばしくて大好きだったし、
その香りを由紀奈と共に楽しむことを、とても大事にしていた。
その戸棚の奥の、他の食器で隠れた場所に、もう一つぽつんとマグカップが置かれている。
淡い水色だが何の模様もなく、古びていて、少し縁が欠けている。小ぶりで、マグカップと言いながら、恐らく100ミリリットルも入らないような、普通のマグカップの半分くらいのサイズ。もう十数年も一緒にいて今は誰にも使われずに忘れ去られている、そんな風情のマグカップだ。
三香はそれを、昔よく遊びに来ていた、小さいときの親友のものだ、と由紀奈に言ったことがある。
嘘はついていない。ただ黙っていただけだ。
滝見月子は知らない。顔も見たことがない。
だが、滝本月子なら、知っている。
「…っ」
昔よく遊びに来ていた。両親の転勤で引越しても、小学生ながら電車に乗って月に一度は行き来した。始めは手紙で、そのうちメールで数え切れないやりとりをした。そんな幼い頃の大切な友達。
簡易式のフィルターから、コーヒーの雫がゆっくりと落ちていき、やがて止まる。
『あなたに会いたいの』。
三香は月子に会いたくなどなかった。




