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五話 この町の常識

 三人がカミラに来てから三週間が経過した。

 エドマンドは久しぶりにゆったりとした時間の流れを満喫していた。今日はカミラに来てから初めての休日だ。タフなエドマンドはバイトを始めてからその給料の良さについ休みを取らずに昨日まで一日中バイトをしていたのだが、上司の指示で三週間ぶりに体を休めることになったのだ。

 しかし、とはいってもエドマンドは休みだからといって一日中部屋に閉じこもる性質の人間ではない。むしろ体を動かすのが好きな性格だったため、今はこうして町をぶらぶらとあてもなく歩いている。

 この三週間は実に有意義なものだったとエドマンドは思う。お陰で金も貯まり、生活するのがギリギリという状況から抜け出せた。これだけあれば一週間ほど働かなくても三人分の生活費は足りるだろう。もちろん、だからといって贅沢などできないが。

 今日は日曜日だ。レベッカもレスも休日のようで、朝からどこかにでかけてしまっている。せっかくの休日だから久しぶりにレベッカと共に親子水入らずで町を回ろうと思ったのだが、さすがに年頃だけあって断られてしまった。聞けばバイト先で知り会った友達と出掛けるようだった。頑固と言われるエドマンドでも、やはり年頃の娘達の交流の邪魔はできない。結果、一人こうして町をうろつくことになった。

 別に一人でいることが嫌な訳ではないのだが……行くあてもなく歩くというのは予想以上に辛いものだ。それに考えることもない。強いてあるというならば、やはりシェリルのことだろう。

 シェリル・ホームズ。旧姓ケルトン。

 自分の愛した女であり、最愛の妻である女性。

 彼女との出逢いは些細なものだった。立ち寄った町のバイト先に、同僚として彼女はいた。最初は何の関係も持とうとしなかったが、何度か言葉を交わす内に段々と彼女のことが気になっていく自分に気付いたのだ。それで積極的に話してみると思った以上に気が合い、その内に意気投合した。やがて彼女が赤子、後のレベッカを身ごもった。結婚し、レベッカが生まれてしばらくは家にいたが、一年二年と経つと彼女は家を空けるようになった。研究が忙しいのだろう、そう思って詳しく彼女から理由を訊こうとはしなかった。

 だがある日、エドマンドは見てしまった。

 何気なく入った彼女の部屋。目に入った机の上には一枚の書類があり、深く考えずに手に取った。そこにはエドマンドには到底理解できないような言葉や数式が並んでいた。それを流して読んでいると、書類の一番下にこう書いてあったのだ。

 『不滅の軍隊』計画。

 随伴・戦闘可能高知能人工生命体研究。

 それを見た時、エドマンドは彼女が研究者としてしてはいけない研究をしていることを悟った。

 もともとこの国には昔から『人は人を造るべからず』という教えがあった。だが書類にはその教えに反抗するような内容が書かれてあったのだ。

 エドマンドは悩んだ。彼女にこれを問い詰めるべきか、それとも見過ごすべきか。

 悩んだ末に、エドマンドはこれを見過ごした。問い詰めるなんてことはできなかった。問い詰めてしまえば、それが原因で彼女がどこかにいってしまうような気がしてならなかったのだ。それはなんとしても避けたかった。

 だが、書類を見付けてから数年経ったある日から彼女は家に帰らなくなった。何も言わずに、何の言葉も残さずに彼女はでていってしまったのだ。……否、彼女の身に何かあったと考える方が妥当なのだろうか……。

 とにかく、彼女はいなくなってしまったのだ。

 原因も理由も要因もわからない。

 ただ、いなくなってしまったという事実だけがあるのみだった。

 それが今から十年前の出来事。

 しかし、はっきり言ってしまえば今の状況は十年前とそれほど変わらない。未だになんの情報も掴めてないのだ。これほど探して見付からないということは、やはり彼女に何かあったと考えた方がいいのだろうか……日々そんな考えが頭をよぎるが、エドマンドはその考えを決して肯定しない。したくない。エドマンドがその考えを肯定してしまえばレベッカが悲しむ。悲しむ娘の姿は親のエドマンドには痛かった。

 それに今も昔もレベッカはシェリルの存在を追い掛けている。彼女を生きる目標にしているといっても過言ではない。その目標を失ってしまえば、きっとレベッカは脱力し、変わってしまうだろう。恐らく悪い方向へと。

 だからエドマンドはシェリルの身に何かあったとは考えない。

 彼女は必ず生きている。

 日々そう自分に言い聞かせている。ただの気休めかもしれないが、そう言い聞かせることで少しだが前向きな行動ができるのだ。なら言い聞かせた方がいいに決まっている。

「…………」

 エドマンドは顔をあげた。周囲を見るとやけに静かだ。どうやら思考に没頭している内に大通りから外れてしまったらしい。細い道を進んでみるが、人気はない。道の両脇にある店はどこもぴしゃりと閉まっていた。

「静かな所だな……」

 本当に、不気味なほど静かだ。この時間帯なら声の一つ二つしても不思議ではないというのに……。

 数分歩いた所でやっと人の姿を見付けることができた。質素な身なりな子どもと漆黒のスーツ姿の男が二人。

「……金は?」

 男の側を通り過ぎると、微かだが声が聞こえた。

「持ってきてるよ。ほら」

 幼い声が続く。エドマンドは歩みは止めずに、ちらりとそちらを振り返った。見れば男の子の手には一通の封筒がある。男はそれを乱暴に奪い取り、封を引き千切る。中から出てきたのは大量の札束だった。男はそれを慣れた手付きで数えていく。

「ああ、確かに受け取った。……確認するが、お前を売り飛ばせばいいんだよな?」

「母さんはそう言ってた」

 訝しげな声に男の子が冷たく言い返す。

(……人身売買か)

 歩幅を緩めながら聞き耳を立てていたエドマンドは顔をしかめた。

「それじゃ、いくぞ」

「うん……」

 男達が身をひるがえす。エドマンドは堪らず前に出た。

「ちょっとあんたら、その子を売り飛ばすってのは本当か?」

 男達の前に立つ。男が眉をひそめた。

「あァ? なんだこのおっさん」

「だから何だってんだよ。なんか問題でもあんのか? あ?」

 不機嫌そうな男達に気後れすることなく、エドマンドは彼らを睥睨した。

「大ありだ。いいからその子を今すぐ渡せ。さもないと怪我するぞ」

 エドマンドの言葉を聞いて男達が高らかに笑う。

「怪我するって? 誰に向かって言ってんのかわかってんのか、おっさん」

「怪我すんのはお前の方だ。お節介野郎。邪魔だ。死ね」

 言うや男はさっと懐から拳銃を取り出し、臆することなく引き金を引いた。真昼の路地に一際乾いた音が響く。

(こいつら……本気か)

 建物の陰に隠れ、エドマンドは鼓動が速くなるのを実感した。冷や汗が額から流れ落ちる。懐を探る。武器など持っていない。

「おじさん、いいよ」

 さてどういくか、そう考えた所で幼い声がエドマンドの次の行動を制した。

 まるで諦め切ったような冷たい口調で男の子は続ける。

「仕方ないんだ……もうすぐ正常者狩りだから……」

「正常者狩りだと?」

 聞かない単語にエドマンドは表情を強張らせた。男の子は当たり前のように続ける。

「うん。ぼく七歳になったから、今回の正常者狩りには参加しなきゃいけないんだ。それで母さんはぼくを守るために……」

 彼はそう言ったきり何も言わなくなった。エドマンドは首を傾げるばかりだ。尖った男の声がエドマンドを突き放す。

「いいかおっさん。この町のやつらはみんな常識外れなんだ。それを理解してねぇのに余計な口だすなよ、カスが。ったく迷惑なんだよ……おら、行くぞ」

「…………」

 返事をしない男の子に男の苛立ったような舌打ちがきこえた。足音が遠のいて行く。

「……くそ」

 やがてエドマンドは嘆息を漏らした。立ち上がり、男の子を救えなかった罪悪感に苛まれ再びあてもなく路地を進む。晴れ渡った空を仰ぐ。こちらの心情など関係ないと言わんばかりに絶えまなく燦々と降り注ぐ夏の日差しにため息をつき、エドマンドは冷涼を求めて路地の奥へと歩いて行く。

 人身売買……今まで旅をしてきた中でこんな体験は幾度かしてきた。しかし人気がないとはいえ、こんな白昼堂々と人身売買が行われているのを目撃したのは初めてだった。大抵は人の目を気にして夜に行なわれるのだが……。自分が言えたことではないが、わざわざ昼に行なうとはあの男達はどんな神経をしているのだろうか。銃を何の躊躇いもなく扱う所を見ると少なくとも素人ではないはずだ。ならばわざと昼間に行なったのだろうか。だが昼間に行なって彼らに得などあるのだろうか。あくまで素人目で見てだが、むしろ損の方が多いのではないのだろうか?

 それにさきほど引っかかったことはもうひとつある。

 人身売買が行われるとなれば、それなりの事情があるということはわかり切っていることだが、どうも男の子の言い方がしっくりこない。七歳と言えばまだ幼い部類に入るというのに、自分が売られる、父母と会えなくなるという現実を目の前にしてなぜあそこまで冷静でいられるのだろうか。大人でさえ人身売買に遭えば取り乱すというのに、あの子は驚くほど落ち着いていた。状況把握ができていなかったという可能性はないだろう。話し方からして自分が置かれている状況についてある程度の事情は理解しているようだった。ならばあのやけに大人な受け止め方は何なのだろうか……。

「人身売買が盛んなのか?」

 周囲の環境によって人の常識も変化するというのは、旅をしていれば自ずとわかってくる。たとえば南国と北国では生活環境が全く違う。生活環境が違えば、常識にも自然とずれが生じるのだ。そしてそのずれは他方の地域に行かなければ自覚できない。そのために周囲の環境そのものがその人の常識の全ての基準になる。だから生活環境が異なる両国は、同じく生活の常識が根本から丸きり違うのだ。

 人の常識は環境によって形作られている。きっと今回のはそれが当てはまるのだろう。周囲で人身売買が盛んに行われていれば、男の子もそれが常識なんだと思い込むはずだ。恐らくあの異常なまでの落ち着きようは『これが常識』だと思っていることによって実現していたのだろう。実際、彼は自分が売られることに大して抵抗を持っていないようだった。通常、人身売買という行為が非常識なものだとわかっているなら少しは抵抗してもおかしくないはずなのだ。

 それに人身売買が盛んだと考えれば、昼間に人身売買という行為にも納得がいく。人身売買が盛んならば、この町の人々は恐らく『人身売買は常識』と考えているだろう。ならばもし目撃されたとしても『人身売買は常識』と考えている人が多いため、治安部隊や役人に通報されることもない。

 しかしそれにしても人身売買が盛んというのは一体どんな事情があるのだろうか。確かに人身売買が盛んと考えれば辻褄は合うが、そこがやはり引っかかる。たしか男の子は正常者狩りだからと言っていたが……。

「正常者狩りか……」

 そもそもこの単語自体に聞き覚えがない。異常者狩りならどこの町でも行っている年に一度の行事だが、それとは違うのだろうか……。異常者狩りはその名の通り異常者を狩る行事で、日ごろの警備を強化したものだ。この国の常識でもある。

 しかし正常者狩りというのは……。

「正常者を狩る?」

 単純に考えてそういうことになるが、しかし正常者を狩って一体どうなるというのだろうか。異常者を狩るというのならわかるが、正常者を狩るというのは? 正常者を狩った所でどうなる? 一体そんなことをして誰が得をするのだろうか?

「…………」

 尽きない罪悪感に追われながら、理解不能な彼らの言葉にエドマンドは頭を抱える。

 路地から覗いた空はずっと狭く、いつのまにやら薄ら伸びた雲達が透き通った青を侵食していた。

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