05.5:高価な絨毯にシミ
ようやく任務を終えて、名目上奥さんとなった元王女と自宅へ戻りました。
ようやくですよ? 王女が入国する前からの任務だったから、かれこれ三か月くらいは城での生活を余儀なくされていたのです。
ようやくだった……のになぜ。
「なんで俺はとんぼ返りで城に戻らなければならないんでしょうか……」
「それは俺が呼んだから」
エルヴィン様の私室で、仮にも次期国王と顔をつきあわせているにも関わらず、思いっきり不満を表に出したのはそれだけ俺のうっ憤がたまっている証拠だと思って頂きたいものです。普段の俺は何を考えてるかわからない、といわれるほど感情を隠すのが上手いのですから。
対するエルヴィン様は俺の態度などなんのその、語尾にハートでもつきそうなくらい弾んだ声ですね。ついでに顔はニヤついています。……憎たらしい。
「新婚生活はどうだい? ニコ」
「その呼び方はやめてくださいと言っているでしょう。……新婚生活なんて、貴方が命令した任務のおかげで始っていないも同然です」
ため息をつきたいのをこらえる。
そもそも、シャルロットの元々の婚約者だったはずエルヴィン様が彼女を俺の元に嫁がせたくせに、そのエルヴィン様が俺を彼女のそばから遠ざけて自分が彼女と仲良くなっている。
正直、このような現状がかなり不満になるのは避けられないでしょう。
「面白い表情だなぁ、ニコ。俺は、お前のそういう態度が見れただけで、この選択は間違ってなかったって思える」
前に比べたら最近は俺を信頼してたんだろうが。
そう言って、エルヴィン様は優しさを滲ませるような眼差しでこちらを見た。
「なんなんですか、一体……」
「今のお前らを見てると、昔の俺とお前を思い出すんだよなぁ」
今度は一変して爆笑し始めました。……何なんですか、あんた。
けれど、エルヴィン様の言葉に思い当たる節もあります。
この国に輿入れするために入国したシャルロット。まだ彼女と結婚するとは思ってもいなかった俺は、エルヴィン様の背後からその姿を見つめていました。
決して人に弱みを見せないように、ピン、と張りつめた糸が見えるようでした。それでいて、毅然とした、王族にふさわしい寛容さと厳しさを滲ませて。
その姿が、俺には毛を逆立てた猫のように見えていました。……失礼、もうちょっとマシな言い方をすれば、寂しさや孤独を押し隠している、とでも表現しましょうか。
そして、それが騎士となった当初の自分とかぶって見えて、どこか心に引っ掛かりまして。はい。その後、エルヴィン様より彼女と結婚するように言われ、彼女の秘密を知り、余計に彼女から目が離せなくなりましたね。
まぁ、言ってしまえば一目ぼれに近いのかもしれません。正直、シャルロットに対する愛情はありますが、恋情があるかと言われれば、ある、と言い切る事はできませんが。愛し合う者同士だったら当り前な欲望も彼女に対しては抱いていません。だからこそ、「身体を許さないのは構いません」というセリフが口から出たわけですが。……当然ながら、男の生理現象と呼ばれるものは存在しますけれどもね。そう言ったモノの処理は……気持ちの伴わないものであるなら、愛情を向ける相手である必要はないと思うのですよ。はい。
こうして考えてみると、私の持つ、シャルロットに対する愛情というのは恋愛に絡むというよりは、親愛、親子の情、そういった類のものかもしれませんねぇ。
「ところで、シャルロット嬢とは打ち解ける事が出来たのか?」
まだ爆笑を引きずっているらしいエルヴィン様はにやにやと笑いながらテーブルに置かれた紅茶をすする。
「そういえば、エルヴィン様」
「んー? なんだよ」
私が改まって彼を呼べば、ものすごく不審そうにこちらを見た。
まぁ、その気持ちもわかりますが。私がこれ以上ないくらいににこやかにほほ笑んでいますから。ええ。
怒れる微笑の騎士とはワタクシの事でございます。はい。
「私に任務を与え、妻から遠ざけておいて、貴方はずいぶん私の妻と仲良くなったそうで」
「あぁ、おかげさまでね」
「……私は知っているのですよ? そのために、政務を宰相に押しつけて、護衛の騎士を撒いて、あまつさえ止めようとした女官に色目を使った事も」
「!?」
エルヴィン様はブッと紅茶を噴きだした。王子ともあろう方がはしたないと思いませんか? あぁ、高価な、それは高価な絨毯にエルヴィン様の唾液交じりの紅茶のシミが……。汚いし、一体いくらすると思っているのでしょう。我が主ながら、嘆かわしい事です。下々の金銭感覚を理解していただけないとは……。
「っおい、全部聞こえてるぞ!?」
「おや、申し訳ありません。うっかり心の内がダダ漏れに」
「……お前のそういうところがえげつないというかなんというか……」
「お褒めに与かり光栄でございます」
「決して! 決して、褒めてないからな」
さて、これくらいで勘弁して差し上げましょうか。
正直、シャルロットの口からエルヴィン様の名前が出た時、不快だったのですよ。俺の名前すら呼ぼうとしない彼女が、元婚約者の名前は平気で口にするのです。いや、先ほど申し上げたように、恋情というよりは親愛の情を彼女には感じていますが、それでも俺の奥さんですからね。とりあえず、俺との信頼関係を築くより先にエルヴィン様と仲良くなられちゃたまったもんじゃない! と思いまして。ほら、男は独占欲が強く、一度自分のモノと定めたら執着が強くなりますし。……この表現はちょっとシャルロットに失礼ですが。
あぁ、考え出すとまたあの不快感が。
「……ニコラウス・ヴァーグナー」
「はい」
白いタオルで自身の口元と服(服にまで飛び散っていたのですか。なんて情けない。高価な服だというのに以下略)をぬぐったエルヴィン様は威厳のある声音で俺を呼んだ。……呼んだが、その手に白いタオルが握られているせいで威力は半減しています。
「新たな情報が入った。……お前を呼び戻したのはそのためだ」
「はい、心得ております」
「王都からほど遠くないクレイヴァにある華街に潜伏しているらしい。……いけるか?」
「ご命令を。この国に、貴方に見出されたときから、私の主は貴方一人です」
「……命令だ。暗殺者か間諜か、そのものをできれば生け捕りに。無理なら殺してもかまわない」
「御意」
私はさっと部屋を出た。
早ければ早いほど良いでしょう。残念ながら、一度自宅へ戻る時間はなさそうです。あの微妙な空気の中に置き去りにしてしまったシャルロットが心配です。今度はどのくらい時間がかかるのか。情報は華街に潜伏している、というだけ。そこにいるたくさんの人間の中から、ターゲットを探し出さなければ。
できるだけ早く帰ろう。きっと、シャルロットも待っていてくれるでしょう。私の奥さんなのだから。
いつの間にか、外は太陽が沈もうとしている。出るなら、夜の闇にまぎれるのが一番でしょう。
そう思い、馬小屋に向かう。愛馬は今日も毛並みが良い。
「レダ、よろしくお願いしますね」
またがり、駆け出した。
ちらりと見上げたエルヴィン様の私室のバルコニーには、エルヴィン様が立っていた。
「――――」
何かを言っているが、残念ながら馬がいい感じに駆け出しているので全然聞こえませんでした。エルヴィン様、そこら辺は察してください。
*****
「……」
エルヴィンは小さくなっていくニコラウスの姿を眺めながらため息を吐いた。
聞こえないだろうことはわかっていた。それでも言わずには居られなかった。
「……お前は妻帯者だ、ニコラウス。無事に戻ってこい」
危険な任務を何度となくニコラウスに任せてきた。それだけの実力があったし、それを任せるだけの信頼関係もあったから。
ただ。
ニコラウスは自分の命を大切にしない。
下賤の身として生まれ、幼少期は悪事にも手を染めていたという。
だが、数年後に彼の才能をたまたま見抜いた当時の騎士団長と、彼を気に入ったエルヴィンによって身分を与えられ、頭角を現したニコラウス。その恩を還そうとでもいうように。
「お前を結婚させたのは、シャルロット嬢の秘密だけじゃない。……むしろ秘密なんて些細な事さ」
シャルロットの根本はとても優しく、人としての温かさを持つ人間だ。それをとんでもない猫を飼ってかくしているが。
「帰る場所と、お前を待つ人が必要だと思ったからだ」
ニコラウスは、もう自分の命を投げ出すような事はしないだろう。
きっと、早く帰ろうとして、より安全な作戦を練るに違いない。
「俺ってば結構な策士だなぁ」
自画自賛してにやにやと笑うエルヴィンを食器を片づけに来た女官が気持ち悪そうに眺めていた。
そして、口を開いた。
「エルヴィン、この絨毯のシミは何?」
ギョッとして振り返れば、女官だと思っていた女は。
「ゲ、姉ちゃん!?」
「その呼び方はおやめなさい、と何度言ったらわかるのかしら!? どこでだれが聞いているのかわからないのよ!?」
なんと女官の服装をした姉だった。
その後、ひたすら説教をする姉の声は数時間も続いた。
姉に頭の上がらない弟に救いの手、もとい姉の旦那が仲裁に入るのはもう少し後になる。
なんか長くなってしまいました。
更新が遅れ気味で申し訳ありません。