反撃のゴングが鳴りまして
今回の話は三人称にしました。
本編とは違う書き方で申し訳ありません。
「おかえりなさい。そしてさようなら」
最近、ようやく夫婦らしい幸せを実感しつつあった。仮初めの様な夫婦生活から、ようやく。
ニコラウスが早く妻の顔を見ようと急いで帰宅してみると、出迎えたのは汚い物でも見るような冷ややかな視線とよくわからない別れの言葉を述べる自身の妻だった。
「……すみません、状況が飲み込めないのですが?」
「飲み込めなくても結構ですのよ? ワタクシは理解しておりますから」
バッチーン
久しく聞いていなかった、出会った当初の言葉づかい。その直後の豪快な平手打ち。
呆然とするニコラウスの横を、妻は颯爽と……とは言い難い荒々しい足音と共に通り過ぎる。
そして、今さっきニコラウスが通った扉を抜けて屋敷を出る。
平手を甘んじて受けた左頬は女性の力ではあったけれど、赤く熱を持ち始める。
「……どういうことですか……」
だが、それよりも理解できない状況への混乱からか、「追わなくてよろしいので?」という不審そうな執事の声がするまでその場を動けなかった。
*****
「心配しなくても、奥方はちゃんと信頼のおける奴の屋敷にいる」
この事を予想していたエルヴィンは、案の定、朝一番で仮にも主人である自分を殺そうとするかのような形相で突進してきた、もっとも信頼している部下に対してのほほんと先制した。
「もちろん、納得いく説明をしてくださるのでしょうね?」
が、それに対してあまり効果はなかったかもしれない。
笑ってはいるが、目が据わっている。
仕事中のエルヴィンに向かい合い、身を乗り出すように机に手をついたニコラウスは不自然なほどの猫名で声で詰め寄っている。
主人がエルヴィンで無ければ不敬ととられても仕方がない程度には不遜な態度だ。
「彼女が昨日、私のいない間に貴方と会っていた事は当然ながら知っていますよ?」
まさか、気付いてないとでも?
徐々に背後から黒いオーラが出ているのは気のせいではないだろう。エルヴィンは苦い顔になった。
ちゃんと話すまで、この部屋を出るつもりはないだろう。左腕に抱えられた膨大な量の書類がそれを物語る。最悪の場合、自室に戻らずにここで仕事を続ける気だ。
「……いやぁ、実はね……」
*****
「エルヴィン殿下のお言葉に甘えてしまって、申し訳ありません。……押しかけるような真似を」
「あら、気にしないで! ニコラウスの奥方とは一度ゆっくりお話ししたかったのよ!」
通された応接間で、申し訳なさそうに縮こまるシャルロットに、屋敷の主は嬉しそうな笑顔を見せた。
レイリア・アダムス。
宰相アルスの妻であり、エルヴィンの姉。エルヴィンからの事前情報によれば、結婚というより、そもそもレイリアが恋愛対象ですら無かった今の夫をある意味強引な手段で振り向かせた何ともオトコマエな女性である。
そのレイリアは自らお茶を用意して、シャルロットの向かいに座る。使われている茶器もソファもテーブルも、どれも美しく洗練されているが過剰な装飾があるわけでもない。それは、この屋敷に住む彼らの性格を表しているようでもあった。
「愚弟から話は聞いているわ。余計な事をべらべらと吹き込まれてしまったのでしょう」
「……」
何と答えたらよいのか。
余計な事と言えば、確かにそうなのだろう。昨日のエルヴィンとの会話を思い出す。
ニコラウスの仕事上、領地にある屋敷は遠すぎる。なので城下の貴族階級の別邸が多数ある区画にエルヴィンが別邸として屋敷を与えてくれている。その時、素直に嬉しいと思ったシャルロットの横でニコラウスは微妙な顔をしていた。
その意味をシャルロットは数日で理解する事になった。なんと、エルヴィンは休憩と称してしょっちゅう城を抜け出しては、何の前触れもなく屋敷へと訪れてくれる。いい迷惑だ。
そうしてやってきてはいつも他愛のない話から、ちょっとした政治の話などを気まぐれにしては帰っていく。
ただ、昨日は話の内容が少し違った。それはシャルロットとニコラウスが結婚した当初の事。まだ、お互いに猫を被り、隠し事が多々あった頃のこと。
「……結婚当初、ニコラウスが毎晩のように花街へ赴いていた、と」
正直、元々知りたいと思っていた事ではなかった。元々が恋愛結婚では無い以上、政治的な意味合いも含む婚姻だった。お互いがお互いの素性を気付かれぬように探り合っていたのだ。今でこそ、感情も追い付いてあるべき夫婦の姿に戻ったが。未だに結婚当初の隠し事を尋ね合うようなことはした事が無かった。
多少気になった事はある。けれど、些細な事として気に留める必要などない。それくらいにはどうでもよい事で、信頼関係がゆるぎない今、たとえ知ったとしても二人の気持ちも関係も変わらない。
元々、知らなくてもよかった事だ。
ただ、知る事になるのなら。
「知るなら、本人の口から聞きたかったと思いまして」
それで、どうしようもない感情を持て余してしまいました。
そう零す姿にレイリアは微笑んだ。おそらくその感情には嫉妬も含まれているのだろう。
「エルヴィンの言葉を真に受けすぎるのは良くないわ。例えそれが事実でも、情報が少なければ歪んで見えてしまうから」
シャルロットにもわかる。元々は大国の王女だったのだ。視野は広く、数多の意見を聞き、思考は柔軟に。そして冷静な判断力。今の自分にはそのどれもがかけている気がした。
悩めるシャルロットの向かいで、レイリアは優雅な仕草で冷めかけた茶を口に運んだ。
大変お待たせしました 汗
番外編を書く、と言ってからかなりの間が空いてしまって申し訳ないです……。
感想をいただいたことから思いついたお話です。一話でまとめる予定が思いのほか長くなりましたので次に続きます。