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11:薔薇の棘、その傷は誰のもの?




「あっ!?」


 一向に痛みが来ない。

 そう思って目を開けるのと、誰かの驚きと痛みの混ざった声が聞こえるのは同時だった。

 目の前に広い背中。

 貴族の正装をして、さっきまで私をエスコートしていた男。その右手には、血のついた剣を持っていた。


「……ぁ、っ…」


 ぞわり、と底から這い上がるような恐怖。

 広い背中に阻まれて、ニコラウスと向かい合っているだろう侍女の姿は見えない。

 生きているのか、死んでいるのか。

 知らないうちに、私の呼吸が荒くなって嗚咽のような声が零れて……。


「大丈夫」


 後ろからグイ、と腰を引かれて抱きしめられた。

 声はエルヴィン様のものだった。


「だいじょうぶ。……全く、あれほど一人になるなと言ったのに」

 

 そんな事を言われていた。

 忠告とはこの事を指していたの?

 は、は、と荒い呼吸を慰めるようにエルヴィン様が私の頭をなでて、髪に唇を寄せた。


「無事でよかった……」


 頭をなでる手が私の両目を覆う。

 何も見えない、暗闇の中。聞こえるのは背中越しのエルヴィン様の鼓動と呼吸。

 そして、鉄のようなにおい。それに混じる、あの濃厚な香水の――――。


「ぐっ……ぅ……」


 ドス、という音と、うめき声。

 反射的に肩が跳ねる。

 慰めるように腰にまわされた手にぽんと叩かれて。

 唐突に光が戻った。


「無事ですか? 奥さん」


 ニコラウスの声だった。

 エルヴィン様の手を無理やりはがして、私を覗きこむ男。

 その頬に、かすかな紅。剣を握ったままの右手は真っ赤に染まって、それは肘まで続いていた。豪華な衣装にも。


「……シャルロット」


 ボロ、と涙があふれて止まらなくなった。人前で泣いたのなんて覚えている限りでは初めてよ。

 名前を呼ばれた事に嬉しいと思ってしまう反面、ニコラウスがした事が恐ろしかった。ニコラウスの背後で、倒れている侍女が数人の騎士たちによって運ばれていく。

 生きているのか、死んでいるのかわからない。

 ニコラウスから、まだあの香りがしている気がする。

 思考が定まらなくて、身体は恐怖に震えて、気力の限界にきているのかもしれない。

 ふらふらな私を支えようと、ニコラウスが手を伸ばす。

 その手に息をのむ。

 その本当にわずかな私の拒絶を感じ取ったのだろう。ニコラウスも自身の手を見た後、私の顔を見て。


「すみません。……怖がらせてしまいました」


 ひどく影のある、哀しい微笑みを見せた。

 そして、決して私とは目を合わせず「身なりを正してきます」とすれ違いざまにこぼして通り過ぎた。

 ニコラウスの足音が聞こえなくなるまで私はその場にじっとしていた。

 今、この庭にいるのは私とエルヴィン様だけ。

 今回の主役級の人間がことごとくフロアから消えたのにも関わらず、この庭は至って静かだし、私達を探している様子もない。


「パーティーはどうなってるの?」

「何も心配する必要はありませんよ。それより、何で簡単に諦めた」


 死んでもいい、と思ったことを言ってるのね。私は何も抵抗しなかったから。


「安心しろ、ニコラウスは殺してない」


 口調が苛立っている。誰がいるかも分からないこの庭で、エルヴィン様が普段の仮面をはがしてしまった。

 私の様子に、エルヴィン様は苛立たし気に髪をかきあげて歪んだ笑いを見せた。


「この口調におどろいてんのか? それだけ俺が不機嫌だって事だよ! お前、ニコラウスの職業をちゃんと把握してたんだろう?」


 ニコラウスは騎士だ。エルヴィン様の信頼厚い。彼の護衛もこなす。

 だから、命のやり取りをしたことはきっとこれが初めてではない。

 頭では分かっていた。ニコラウスはきっと少なからず人を殺したことがあるし、逆に殺されかけた事も多いんだろう。

 でも、心がついていかない。


「あいつはお前を護るために剣を抜いた。それをお前は拒絶するのか? ニコラウスはかなり傷ついただろうな」


 だって、初めてだった。

 あんなに濁った目をしたニコラウスを見るのは。紅く染まった彼を見るのは。

 怖かった。


「言っておくが、お前の知らないところで、お前は多々狙われていたんだ。それをいつも護っていたのはニコラウスだぞ」


 あいつは極力お前にそういうくらい部分を見せないようにしていたけどな。

 あぁ、私はとても甘やかされていたのだわ。

 そして、私の心も身体もニコラウスに護られていたんだ。


「とりあえず、客室に戻ろう。大丈夫だ、誰にも会わない」


 エルヴィン様とその護衛騎士二人に連れられて、廊下へと戻る。

 ニコラウスのあの微笑みが忘れられない。

 あの瞳が忘れられない。


 私を護るために、彼は血に濡れた。

 私を護るために。

 心が震えた。


(死んでない……良かった)


 私なんかのために、その手を汚さなくて良い。

 私なんかのせいで、死ぬ必要なんてない。

 私には、そんな重荷は背負えないかもしれない。



 心が弱っているせいか、ひどく思考も暗かった。


「……真っ青な顔しやがって……ま、しゃーないか。シャワーでも浴びろ」


 いつの間にか客室についていて、エルヴィン様に風呂に放り込まれた。




『シャルロット』




 初めてニコラウスから名前を呼ばれた。

 私を護るために紅く染まったその手を、私は拒絶してしまった。


「ニコラウス……」


 シャワーの水と音にかき消されながら、私は声を上げて泣いた。




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