「一人余っている男とでも回ってこい」と婚約者が言うので、壁際の公爵閣下に同伴をお願いしました
春の四日会の初日、王宮・硝子苑の茶席入口は貴族で賑わっていた。柱のそばには監査院総裁シュタイン公爵コンラート閣下が一人で立たれている。そこへパメラ様を連れた婚約者のロベール様が現れ、私の四枚の同伴手配書と銀軸ペンを見て言い放った。
「この四日間はパメラと回るのに忙しい。地味な枠に付き合う暇はないから、端で余っている男にでも名前を書かせて済ませてこい。僕の名前は使うなよ」
視線が集まる中、私は冷めた胸の内で算盤を弾いた。証人の前で拒まれるなら、銀葉茶三百箱の転売益八百枚分から四日目の婚姻助成金五千枚まで一銭も渡さず有責で精算できる。私は一礼し、四枚の手配書からロベール様の名を二重線で消した。
「ロベール様のご意向、皆様の前で承りました。手配書に貴方様のお名前は一切使いません」
鼻で笑って立ち去る二人に背を向け、シュタイン公爵閣下へ歩み寄り、深く礼を執った。南部水運を握る閣下なら三百箱の買付枠と無関税枠三千枚の実利で乗ってくださるはずだ。
「ご無礼をお許しください、シュタイン公爵閣下。婚約者より同行辞退と代役許可が出ました。一枚目には当家の特級銀葉茶・三百箱の買付権がございます。実務のお取引として同伴者欄にご署名をお願いできませんか」
閣下は表情を変えず手配書とペンを受け取り、一枚目の同伴者欄に署名して印章指輪を捺した。
「引き受けよう、ベルク嬢。ベルク領の銀葉茶は質が良く南部水運なら四日で済む。当家も三百箱の枠を確保したかった。モレル卿の辞退と代役許可は諸卿も聞いているな。残る三枚も条件次第で検討しよう。参ろうか」
閣下が手配書を返して腕を差し出し、係官が変更印を捺した直後、ロベール様が戻ってきて係官に命じた。
「商会へ転売する銀葉茶の見本箱と買付証を出せ」
「モレル卿ご自身の指示で同伴者欄がシュタイン公爵閣下に書き換えられ、三百箱の買付権は公爵閣下へ移動いたしました」
台帳を示されて周囲がざわめき、パメラ様が見上げる横でロベール様は顔を赤くして怒鳴った。
「たかが茶葉の枠一つくれてやる! 残りの三枚も大したものではない、物好きな閣下に全部引き取ってもらえ!」
私は手配書を揃え、ロベール様へ一礼した。腹いせに残り三枚も手放すとは細則を読んでおられないらしい。これで二日目の礼装から四日目の有責解消まで、言質が揃った。
「ロベール様、残る三枚の権利放棄も皆様の前で承りました。――閣下、二日目の工芸院枠に続き、三日目の通商院査定は当家の茶葉・六百箱の無関税納入枠、金貨三千枚相当の取引です。茶席で原価や輸送条件の帳簿をご覧いただき、ご署名をご検討いただけますか」
閣下は頷き、ロベール様へ視線を移した。
「モレル卿、今の言葉で残る三枚の権利放棄も成立した。係官、台帳に明記し、買付証と見本箱は当家の席へ回せ。――結構な条件だ、ベルク嬢。茶席で貴嬢の茶と帳簿を拝見したい」
「かしこまりました。台帳へ明記いたします」
係官が一礼して見本箱と買付証を茶席へ運ばせると、パメラ様がロベール様の袖を引いた。
「ロベール様、見本箱はどうなさるの?」
「あんな地味な席など最初から用はない! 残りも勝手にしろ、行くぞ!」
舌打ちして立ち去る二人を背に、私はシュタイン公爵閣下の腕に導かれて特別茶席の卓へと歩を進めた。
◇
二日目の午後、王立工芸院の特注品引渡室。居合わせた貴族の客たちが見守る中、工房長マルタンが私と閣下に四日目の夜会用の特注礼装一式を示し、二枚目の同伴手配書の手続きを進めていた。そこへパメラ様を連れたロベール様が現れ、目を輝かせる彼女の横で言い放った。
「約束通り、その特注礼装と宝飾一式はパメラに渡してもらう。地味なナディアには似合わないから譲れ。マルタン、残金はモレル家のツケにしておけ」
マルタンが台帳を押さえて手を止めた。前金二百枚を私が納め、半年も残金五百枚を滞納した品を、さらにツケで贈るおつもりらしい。監査院総裁の閣下の前でモレル家の乱脈を示せるのは好都合だ。私は二枚目を卓に広げた。
「ロベール様、二枚目の枠は昨日放棄されたものです。礼装の残金も当家で精算いたしますので、お譲りできません。マルタン殿、当家のツケに紛れ込んでいたパメラ様用の装飾品三点・金貨三百枚分は、ロベール様個人の現金払いに切り離してありますわね。請求書をどうぞ。――閣下、ご署名をお願いできますか」
閣下は二枚目の同伴者欄に署名して印章指輪を捺し、公爵家の即時決済証書を卓に置いた。
「いや、残金は当家が持つ。四日目の夜会で私の隣に立つ貴嬢の礼装だ、必要経費だろう。マルタン、この一式はベルク嬢個人の所有として手配書を受理せよ。モレル卿、自ら放棄し代金も放置した品に指図する権利はない」
マルタンは手配書と証書を受理し、請求書をロベール様へ突きつけた。
「二枚目と残金五百枚は公爵閣下に決済いただき、礼装一式はナディア様個人の所有となりました。別口のパメラ様用の装飾品三点・金貨三百枚分は、今この場で現金か個人借用証でお支払いください」
客がざわめき、パメラ様が詰め寄る横でロベール様は叫んだ。
「なぜ今ここで!」
他家のツケで見栄を張った報いだ。私は受理済みの二枚目を鞄へ収めた。閣下が五百枚を即決されたのも、明日の査定に未払いが絡む手間を省く実務判断だろう。この借りは茶葉の卸値できっちり相殺しなければ。
「ロベール様、三百枚の精算は工房長殿とお済ませください。マルタン殿、礼装は屋敷へ配送を頼みます。――閣下、五百枚の決済に感謝いたします。この分は銀葉茶の帳簿で相殺いたしますので、明日の査定に向けて原価と輸送条件のすり合わせをお願いできますか」
閣下は低く頷かれた。
「必要経費のつもりだが、貴嬢の気が済むなら帳簿と合わせて確認しよう。マルタン、礼装の配送とモレル卿の精算を頼む」
客たちの冷ややかな囁きの中、パメラ様が声を上げた。
「ロベール様、三百枚くらいすぐに払えますわよね?」
突きつけられた借用証にロベール様が汗を浮かべ、震える手で署名して部屋の隅へ引き下がるのを背に、私は閣下と並んで引渡室を後にした。
◇
三日目の午後は王立通商院の査定室だった。立ち会いの商会主や貴族が並ぶ中、主席査定官が三枚目の手配書――王宮への無関税納入権、金貨三千枚相当の共同枠――を手に取ったところへ、血相を変えたロベール様が一人で駆け込んできた。
「待て! 父上に叱責されて飛んできたんだ。まだ婚約は解消されていない! この金貨三千枚相当の共同納入枠はモレル家の権利だ。勝手にシュタイン公爵の名を入れるなど認めないぞ!」
査定官が手を止めた。私は生産帳簿の背を指で撫でる。八百枚や五百枚の枠は放置し、叱られた途端に三千枚の枠だけ欲しがるとは。帳簿を見たこともない方に、原価が答えられるはずがない。
「ロベール様、残り三枚は初日に皆様の前で放棄なさいました。――閣下、お願いできますか」
閣下はペンを受け取って同伴者欄に署名し、印章指輪を捺した。
「特級銀葉茶は南部水運で四日、月五十箱・年間六百箱で金貨三千枚相当。原価と卸値は査定欄に記した。――主席査定官、受理を進めよ」
主席査定官は王宮の記録簿を改め、ロベール様へ告げた。
「初日にモレル卿ご自身が残り三枚を放棄された記録がございます。それでも主張なさるなら、規定通り今ここで、月別数量・輸送日数・原価と卸値を即答してください」
周囲が注視する中、ロベール様は顔色を変えて口ごもった。
「げ、原価だと……? そんな細かい数字、帳簿など一度も見たことがないのに分かるわけがないだろう!」
立ち尽くす姿に呆れたざわめきが広がった。私は生産帳簿を卓へ開いて置いた。これで六百箱の無関税枠も守り抜ける。
「ロベール様、帳簿を見たことがないとのご明言、承りました。査定官殿、閣下との連署で受理をお願いいたします」
閣下が静かに言い添えた。
「モレル卿、数字一つ答えられぬ以上、連署の資格はない」
主席査定官は生産帳簿と照合して一礼し、承認印を捺した。
「かしこまりました。モレル卿の資格喪失を記録し、三枚目の無関税納入枠・金貨三千枚相当はベルク嬢とシュタイン公爵閣下の連署にて受理いたしました。モレル家の権利は消滅します」
ロベール様は青ざめて呻いた。
「そ、そんな……三千枚の枠がなくなったら父上に何と言えば……!」
逃げるように退室するロベール様を見送り、私は受理された三枚目を鞄へ収め、閣下と頷き交わした。
◇
そして最終日の夜、王宮の大広間では春の夜会が開かれ、中央の席で式部卿が四枚目の手配書――婚約継続確認簿、兼、婚姻助成金五千枚の申請書――を受け付けていた。四枚を揃えて閣下と進み出た私の前に、父君のモレル伯爵とパメラ様を連れたロベール様が立ち塞がった。
「式部卿、待ってください! ナディアは四日間も他の男と連れ歩いた、不貞行為だ! ナディア有責での破棄と、持参金と助成金五千枚の引き渡しを要求します!」
大広間がざわめき、式部卿が確認簿を押さえた。私は銀緑のリボンの手配書を指で揃える。自ら放棄しておきながら、細則も読まずに五千枚と持参金をご所望とは。私は四枚を式部卿の卓に並べた。
「ロベール様、初日に全四枚を放棄された記録が台帳にございます。規定により、別の未婚男性の名で四枚を出せば婿側有責の解消となり、五千枚も持参金も渡りません。――閣下、式部卿殿、ご署名と提出をお願いいたします」
閣下は四枚目に署名して印章指輪を捺した。
「三枚目まで連署した以上、四枚目まで責任を持つのは当然だ。――式部卿、改めを頼む」
式部卿が四枚を改める。
「四枚すべてにロベール殿の同行拒否による変更印がある。助成金も持参金もモレル家には渡らない」
青ざめたロベール様がパメラ様にすがった。
「その五千枚はパメラの叔父を通じて財務院の役職を買うため今夜渡す約束なんだ! 金が入らなければ破滅する!」
場が騒然とし、モレル伯爵とパメラ様が凍りつく中、式部卿が通達を示した。
「パメラ嬢の叔父は横領と詐欺で監査院に拘束された。義務放棄と売官未遂により、ロベール殿有責での即時婚約解消とモレル家の取り調べを命じる」
五千枚で官職を買うつもりだったとは。最後まで守り抜けたのは、監査院総裁の閣下にも茶葉と摘発の実利があったゆえだろう。五百枚の相殺も対等に済ませなければ。私は式部卿と閣下へ頭を下げた。
「式部卿殿、裁定を承りました。ロベール様、精算は完了です。――閣下、四日間のご連署に感謝いたします。礼装残金五百枚の相殺につき、後ほど最終帳簿をご確認いただけますか」
閣下は答える代わりに式部卿へ告げた。
「売官と不正に情状酌量はない。式部卿、控えさせた監査院の係官に連行させよう」
式部卿が確認簿に最終承認印を捺し、衛兵と係官が三人を取り囲んだ。
「これにて全四枚の受理と、ロベール殿有責での婚約解消を完了とする」
「ま、待ってくれ!」
「私は知らなかったのよ!」
喚く二人と項垂れる伯爵が衛兵に連れ出され、会場に弦楽が戻っていく。閣下は私の手を取り、帳簿の確認は外でと告げて、硝子苑のテラスへ私を伴われた。
◇
初日に閣下と出会った硝子苑のテラスに、他の人影はなかった。澄んだ月光がガラス屋根と春の花々を白く照らし、遠い大広間の弦楽が微かに届いている。
手元の石卓には、ロベール様の名が二重線で消され、四枚すべてに閣下の署名と印、そして式部卿の最終承認印が並んだ銀緑のリボンの同伴手配書と初日の銀軸ペンがある。その傍らで開いた生産帳簿を、鞄から出した八角形の銀の文鎮が押さえている。昨秋、北回廊の展示卓に誰かが残していった、古い略紋入りの品だ。
閣下は文鎮にそっと指先を添えて私を見つめられた。
「……この文鎮を、ずっと持っていてくれたのだな、ベルク嬢。いや、ナディア。昨秋の北回廊で衝立とこの文鎮を置き、侍従長室経由で銀葉茶を五十箱買い上げたのは俺だ。以来、毎朝君の茶を飲んでいた。初日にこの硝子苑にいたのも、君を見守るためだった」
私は息を呑み、文鎮と閣下のお顔を見比べた。昨秋、冷たい風の中で一人原価を計算していた展示卓を救った五十箱の注文主が、まさか閣下ご自身だったとは。閣下は一歩近づき、低い声で告げられた。
「礼装の五百枚の相殺も要らない。最初からただの取引ではなかった。昨秋、冷たい風の中で帳簿を守り抜いた君を見て以来、ずっと君を想っていた。――ナディア、取引相手ではなく、俺の妻になってくれないか」
真っ直ぐな言葉が胸に落ち、指先まで熱いものが込み上げた。四日間のすべてを水運や監査の実利ゆえの取引だと思い込んでいた私の計算が、音を立てて崩れていく。小石で帳簿を押さえていたあの北回廊の日から、数字ばかりの私をずっと想っていてくださったのだと知り、頬が微かに熱を帯びた。私は文鎮を両手で包み込み、深く一礼した。
「……当家の秋の決算を救ってくださったのは、閣下だったのですね。ずっとお礼を申し上げたくて持ち歩いておりました」
顔を上げると、閣下がわずかに目元を和らげて頷かれた。私は四枚の手配書と銀軸ペンにそっと手を添え、潤んだ瞳で微笑んだ。
「二日目の五百枚の相殺も、一生かけてお返しする帳簿に書き換えなければなりませんわね。実務と数字ばかりの私でよろしければ――閣下、どうか末永くお傍に置いてくださいませ」
穏やかな夜風がテラスを吹き抜け、月光が手配書と銀軸ペンを白く照らす。閣下は手配書に添えた私の手の上に、その大きな掌をそっと重ねられた。
◇ コンラート視点
春の四日会が幕を閉じて数日後の朝、シュタイン公爵邸の窓辺の卓には、白磁の茶碗から立ち昇る銀葉茶の湯気が揺れていた。広げられた生産帳簿の端を押さえているのは、冷たい北回廊の小石ではなく、底に我が家の古い略紋が刻まれた八角形の銀の文鎮だ。昨秋、侍従長室を通じて匿名で五十箱を買い上げて以来、俺は王立監査院へ登庁する前のこの一杯をずっと一人で飲んできた。だが今朝は、すぐ向かいの席に茶を淹れた本人が座っている。
「閣下、今朝の銀葉茶の湯加減はいかがでしょうか。南部水運で四日かけて届いたばかりの新茶を開けましたの。二日目の工芸院で決済していただいた礼装の残金五百枚も、こちらの新しい帳簿へ書き換えておきましたわ」
ナディアは銀緑のリボンで綴じられた四枚の同伴手配書の横に銀軸ペンを揃え、穏やかに微笑んだ。手配書には二重線で消されたロベールの名に代わって俺の署名と印章、そして式部卿の最終承認印が並んでいる。売官詐欺に手を染めた財務院の下級書記とともにモレル家が監査院の取り調べを受ける一方、ベルク領の年間三百箱の買付枠と六百箱の無関税納入枠はすべて滞りなく動き始めていた。
帳簿に並ぶ端正な数字を見つめると、昨秋の朝、風に煽られる紙面を小石で押さえながら原価と利益を計算していた彼女の横顔が蘇る。この四日間も、彼女は不当な言いがかりに涙一つ見せず、私的な装飾品三百枚の付け回しを切り離し、査定の数字と細則を盾に一歩も引かなかった。俺の腕に添えられた小さな手の温度にどれほど鼓動が跳ねても、俺は公爵の地位や恩義で彼女を縛るまいと、合理的な取引相手の仮面を被り続けたのだ。無愛想な俺など都合の良い看板に過ぎないと思い込んでいたから、彼女があの文鎮をずっと鞄に入れて持ち歩いていたと知った時は、息が詰まるほど胸を揺さぶられた。
俺は卓の上へ手を伸ばし、朝日を弾く八角形の銀の文鎮と、帳簿に添えられた彼女の指先にそっと触れた。
「相殺は要らないと言ったはずだ、ナディア。その五百枚も、三百箱と六百箱の枠も、最初から俺が君の隣に立つための口実に過ぎない」
ナディアは微かに頬を染め、帳簿の上で手のひらを返して俺の指を優しく受け止めた。
「まあ、監査院総裁ともあろうお方が、ずいぶんと採算を度外視したお取引ですこと。……ですが、昨秋に風除けの衝立とこの文鎮を置いてくださった時から、私の帳簿はずっと閣下お一人に買い占められておりますわ」
開け放たれた窓から春の朝風が吹き込み、四枚の手配書を結ぶ銀緑のリボンを静かに揺らした。俺は白磁の茶碗を取り上げて澄んだ香りを吸い込み、二人のあいだにある帳簿をわずかに引き寄せた。
「なら、登庁の前に今月の数字を二人で検めよう。――もう一杯、君の淹れた茶をくれないか、ナディア」




