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純粋な君は、エンディングにはもういない。

作者: 雪方ハヤ

 これは少し最近の話だった。

 静かな小雨の中。水滴が『僕』の黒いパーカーから垂れている。


 前にはある人の墓が立つ。『僕』はそれに純白なギプソフィラの花束をささげた。

 息を吐き捨てる。いなくなった人が恋しくなった。


「ごめん、ごめん……」


 だけど、『僕』は君を思うと、自分のことを嫌になってしまう。


 僕が住むこの街の特徴といえば長く続く盛夏と、映画の聖地である。有名な映画がモチーフにしている地だから、という理由ではなく、かの有名な映画の脚本家の生まれの地であるから。

 僕――(なぎさ)要介(ようすけ)は高校一年生だ。今日は遠足で地方のテーマパークにきた。晴れやかな空に、葉桜が風に散る姿を眺めていた。


 みんなで集まって休憩スポットで雑談をする。僕は端の席に座り、くつろいでいた。

 あるとき、向かい合った席の子が僕のそばに近づく――。


「ねぇねぇ……『未来人』っていうゲームをやっているでしょ?」


 簡素な白いシャツ姿で、スマホを抱える少女。

 清らかな瞳に、揃えられた前髪。雪のような肌で少し痩せている。背中まで伸びる髪を束ねている。軽い薔薇ばらの匂いが彼女から漂う。


「あ、初めまして……やっていますけど……?」


 話題に出た『未来人』は僕の好きなゲームの名前だ。未来を舞台にして、世界的にも有名だ。

 しかし僕が嬉しいのは別の理由がある。


(女の子が、話しかけてきた!)


「へぇー。よければさ! フレンド追加しない? 私と」


「あ、はい。いっしょにやりましょ!」


 僕は自分の欲にしたがった。

 その後、僕たちはお互いの連絡用のメールを追加し、チャットの初トークは遠足帰りの電車の中だ。


『よろしくー! ゼンゼーン未来人は始めたばっかだけどね』


 かすみ、と書かれている名前。漠然ばくぜんとその名前を耳にしたことがある。


『じゃあ、なにかわからないことあったら聞いてね』


 電車の壁に体をもたせて、慎重に文字を打つ。


『僕、渚要介といいます。よろしくお願いします!』


『私は芽咲花純めさきかすみっていうの』


 そのメールに続きがあった。


『明日、私の席まで来てみて!』


 メールにリアクションをつけ、僕は気持ちを抑えられない。

 家に戻った僕は、自分の部屋に入り、ベッドに寝転がる。さきほどのメールのやり取りが脳から離れられない。


(僕は、かすみさんと付き合いたいな……)


 寝転がる僕の目線は、隣の机に留まる。普段は僕の教科書やペンが置かれている。


「なに、これ?」


 表紙が剥がれたカプセル。二つも、並んでいた。


(父さんはやまいにかかって薬を飲んでいたわ……でもなんで僕の部屋に……?)


 僕はあまり気にせず、ベッドで眠りにつく。その日はよく眠れた。


 次の日の登校中の電車の中。僕のシャツは半袖に変わっている。今までよりも瞼が軽く、寝ぼけを感じないほど元気だ。


「あの……スミマセン」


 ある少女の声が割り込む。馴染みのある声だが、最近にしては久しぶりだ。


「おひさしぶりで、す。ナギサくん」


 僕の顔を仰望する少女は、中学のときのクラスメイト。同じ高校でもクラスは違うため、彼女の声は旧友のように感じる。


(あれ……この子の名前はなんて言うんだっけ……)


「おぼえて、いますか?」


「ご、ごめん、名前忘れちゃった」


 僕の記憶では、彼女は世界の東方にある大国からの留学生。目はいつも、長い前髪と厚いメガネに覆われ、黒いマスクを着用。神秘的というよりも孤独感が伝わる。


「えーと、何かご用ですか?」


「あの……えー、ナンダッケ……」


 彼女は何かしらのワードを思い返そうとする。言葉を溜めた末に――。


「カク、もの? 長い、縦の……」


「えーと、シャーペンですか?」


 僕はバッグの中から筆箱を探し、一本のシャーペンを取り出す。


「あ、イエス! 忘れてしまいました……貸してください」


(シャーペンを忘れてしまったのか。確かに今家に帰って取ろうとしても遅刻するしな)


 僕はシャーペンを彼女に渡した。


「ありがとうございます!」


「帰りの電車で返してくださいね!」


 そして駅に着く。僕と彼女は一緒に学校へ向かった。彼女とはクラスの前で別れる。僕は教室の中に足を踏み込む。


「渚くん、おはよう」


「あ、かすみさん! おはよう」


「ねぇ! これを、あげるよ!」


 かすみさんは両手で二枚のチケットを僕の目の前に見せる。


「こ、これは!?」


「『未来人』の映画だよー。たまたま二枚買っちゃったからいっしょに行かない?」


(えー! な、なにこの展開!?)


 大手ゲーム『未来人』のアニメ映画だ。世界的に人気であるうえ、チケットを獲得するのは難しい。


「あ、嫌だったらゼンゼーン断っていいよー」


「あ、いや行きます! 行きたいです! お金は後で渡します!」


 しかし彼女は納得の表情ではなく、ドヤ顔で一枚のチケットを僕の胸元に押し付けた。


「いいよー! 奢ってあげる、放映は土曜、明日の夜だからね」


(これってまさか両思いの展開……)


 僕は体の力が抜けるような気持ちになる。

 この少女――芽咲花純はクラスの中でも飛び抜ける美貌を持つ。少なくとも僕にはそう見えている。


「あ、ありがとうございます!」


 チケットを受け取り、自分の席へ戻る。それを重宝のようにファイルに入れる。


 僕の席はかなり後ろで窓側だ。前方の様子や窓の景色も視界の中。


「それでは、自画像の続きを描いてください」


 この一日の始まりは美術。僕にとっての一週間に一度の楽しみだ。若手の男性の先生で、親しみやすい人。

 さらに複雑な計算や暗記よりも、僕はクリエイティブな活動が大好きだ。


「おお! 渚くん上手いねぇー。美大目指しているの?」


「あ、いや……美大いくつもりはない、です……」


 僕は自画像も普通の実力だと自負しているが、先生はいつも笑顔で褒めてくれる。

 すると先生の足はかすみさんの机の前に止まる。


「芽咲さんも上手いね! 学年一位の絵のセンスあるよ!」


 前方から騒つく声が伝わる。かすみさんの画力の話ではなく、彼女の成績の話だ。


「芽咲ちゃん……成績もよかったんだよね? テストの順位はなんだっけ?」


 かすみさんは誇りのある顔で、一本の指を出す。


「一応、これだけどね」


「え!? 学年一位?」


 話し声が僕の耳にも伝わり、かすみさんの凄さに驚く。憧れというよりも、僕の負けず嫌いで、かすみさんを超えてみせたい。

 授業の隙間時間。僕は彼女の机へ近づく。チラッと彼女の自画像を見ると、僕の足が固まる。


(う、上手い!)


 顔の輪郭が鮮明に見え、余分な加筆がない。写真のように彼女の整った顔が写し出されている。


「どう?」


 かすみさんの声が、僕を絵画の夢中から引き戻した。


「……あ」


「私の絵、上手いほうかな」


 突如な質問に僕の思考が遅れる。


「はい、とても……上手いです」


「ふーん。渚くんってなんでいつも敬語なの?」


 敬語は、距離感を遠ざけてしまうのは存じている。妙に僕は彼女と距離を感じる。


「いや……敬語で話すのを慣れちゃって……」


「ふーん。でも私のことは好きに呼んでいいよー」


「わ、わかった……」


 一日の授業が終わると、暖かい夕日を見届け、僕は帰りの電車に乗る。ガタン、ゴトンと騒音が走る中、背後から小さな声が届く。


「ナギサくん」


「おお、君か……」


 今朝シャーペンを貸した子だ。半袖の白シャツを着る低身長の彼女は僕の顔を眺める。彼女は両手を差し伸べ、シャーペンを僕に渡す。


「ありがとう、ございました」


「大丈夫。君の名前を聞いてもいいかな? 今朝聞くの忘れてしまって」


 その子はマスクを外し、厚いメガネを丁寧にケースの中に入れる。


「……!?」


 整った顔立ちに雪に近い色の肌。繊細な流し前髪。パチパチ煌めく瞳が僕を見つめる。ぷっくりな唇のルージュが輝く。


「『(ジャン)(シュエ)(バイ)』……と言います」


 可憐かれんな声と驚く容姿に、僕の動きが止まる。


「あの! ナギサくん――」


 すると彼女は突如僕のシャツの袖を掴む。ギュッと力が込められていて、彼女は瞳を上げた。


「ナギサくんへのお礼として……手伝わせてください!」


(え?)


 体が固まっている隙に彼女は言葉を続ける。


「芽咲さんを、ナギサくんの彼女にさせます!」


「えぇー!?」


 一駅着いた後、僕は無理やり彼女を連れて駅から降りた。この子に聞きたいことが多すぎる。


「なんで僕と……かすみさんのことを、知ってるの?」


「いえ、緊張しないでくだ、さい。私、人間を観察するのが好きで……」


「いや怖っ! 人間観察!?」


「貴方は私にシャーペンを貸してくれた。そのお礼に……」


 今朝よりも日本語が流暢りゅうちょうだ。この子が言いたいことも理解できた。


「だから……僕の好きな人を、僕と付き合わせるってこと? それを手伝ってくれるの?」


「はい。芽咲さんをそうさせます!」


「おい! 駅の中で人の名を叫ぶなよ!」


 ずっと僕の顔を見上げる彼女は、電車の方に指をさす。


「とりあえず電車に、乗りましょう?」


「うわ、ごめん! 勝手に連れ出しちゃって……」


 電車に戻った僕たちは連絡先を交換して、メールで会話できるようにした。


「では今日はこんなところで。またね、ジャンさん」


「はい!」


 駅から離れ、自宅に戻る。部屋の扉をあけ、ベッドに体を置かせて、スマホを開く。


『江さん。かすみさんを惚れさせる方法ってなんですか?』


 しばらくした後、彼女からの返信が来た。


『ちょっと待ってください!』


 直後、ビデオ通話がかかってきた。画面の向こうの彼女は今でも眼鏡とマスクは着用中。


「もしもし」


「ナギサくん……これを見てください」


 彼女は自分の部屋の中に座る。一冊の分厚い本が木製の勉強机の上に置かれていた。


「え、これは……?」


「『兵法集』です!」


「なんで兵法の本があるの!?」


 辞書並みに厚い本。表紙は黒の革で、金字で『兵法集』と明朝体で書かれている。


「恋は戦。戦法を知る者、恋愛に勝る! この言葉、ずっと練習、してました」


 あの本以外、デスクの上には可愛いウサギ模様の筆箱、綺麗な参考書が並べてある。


(この本だけ部屋の雰囲気と違うんだよな……)


「えーと……この本に、よると……」


 彼女は重たそうな本持ち上げ、ページを捲る。

 ジャンさんはある場所に目が留まった。


「なにか思い当たりました?」


「ナギサくん! 明日ここに来て――」


 翌日の土曜。突如な誘いに対し、僕はある場所につく。太陽が道路を照らし、汗が僕の日常着に滲む。


ジャンさん……なんで本屋に……?」


 目の前は視界に収まらない壮大なビル。うちの近くでは一番の本屋さんだ。高校受験のために参考書を買いに来た経験がある。


「とりあえず、来てください」


 店内に入ると、程よい涼しい風が吹いている。新品の本の匂いが漂い、ジャンさんは僕の袖を掴む。


「こちらへ!」


「……これは……!?」


 目の前にある本は、僕にとって初めて見るものばかりだった。


「『必見!! 高嶺の花をもぎとるためには!?』『女の子が好きになっちゃう秘密十選!』……」


「どうでしょう? ナギサくん、気になる本はある?」


「いやー特にないかな……」


 彼女は本棚の端にある本を取り出し、表紙を僕に見せた。


「……『私が思う――ステキな子とは?』著者は匿名か」


「芽咲さんを惚れさせるには相手を知ることが必要! 読んでみたら?」


「あの兵法集にはそう書いてあったのか……」


 僕は購入し、ジャンさんの自宅で読むことにした。よく見るアパートの一階、彼女の家に足を踏み入れる。


「お邪魔します」


「本のお金はワリカンでもよかったのに……」


「いえいえ、自分のためですから」


 僕は彼女と部屋の中に入る。通話で見た環境だ。


「私のベッドに、座っていいですよ」


「はい、じゃ失礼します……」


 ふわっとジャンさんのベッドに座ったが、柔らかくて心地よい。


(てか女の子のベッドに座るのって……)


 ジャンさんの綺麗な顔立ちと、可愛らしい振る舞いを思い出すと頬が熱くなる。素顔の彼女はかすみさんと似ている気がする。


「ナギサくん、さっき買った本、貸してもらえないかな?」


「ああ、おっけー」


 ジャンさんはあるページに指を差し、僕に見せる。


「ナギサくん! これ見て」


「プロローグ? えーと『私、最近好きな人ができました……』」


 僕は文章を黙読し始めた。


『相手は素敵な人なの。私の友達(本書のアシスタント)からの評判もすごく良い。そんな相手の特徴を、皆様にお届けしたいです!』


「ナギサくん?」


「この本、アテになりますかね」


 どう考えても主観に過ぎない情報。それに新書であり、参考にするほどの信頼はない。


「そうかな……もっと読んでみましょう?」


 僕は『第一章』を開き、内容を再びざっと読み進む。


『必読! 私の好きな人はゼンゼーン告白して来ないし、ホントに告白待ちの子が多いの(タブン)!』


「なにが『タブン』だよ。これアテになりません。江さん」


 面白い語り口で程よいサイズの文字。フォントも丸くて可愛らしい。ただ参考にはなれない。


「私のおすすめのセンスが、足りてませんでした」


「でも面白そうですし……家に帰ったら読んでみます」


 僕はジャンさんに挨拶して、彼女の家から出た。収穫は得られなかったが、僕はすぐに切り替えた。


(そうだ、今日の夜はかすみさんと映画館の日だ)


 家に戻り、かすみさんとの映画館の準備をし始めた。クローゼットの中を見つめ、深く思考する。


(なるべくかっこよく……オシャレがいいなぁ)


 黒の帽子。無彩色縛りの灰色の服に、黒のパーカーを着て、小さめなショルダーバッグを肩にかける。


(中身は何も入ってないけど、オシャレであればいいや)


 扉を開けて外に出る。すでに日が暮れて空が暗い。急ぎで電車に乗って映画館に向かう。


「ごめんなさい! 遅れましたか?」


「ううん。あと数分あるから早くはいろー」


 僕は少し遅刻をしてしまったが、彼女は不機嫌な様子を見せなかった。


「かすみさん……衣装、綺麗ですね」


 黒のベレー帽に、ホワイトスノーのワンピース。決めるのに時間がかかりそうだ。


「ありがとー。でも渚くんのはちょっとダサいかもなー」


「えっ!? ほんとですか?」


「でもそんな気にしないで」


(このためだけにあれだけ衣装にこだわったのに……!)


 彼女は落ち込む僕の姿を見て、映画館のドアの方に指をさす。


「渚くん、もうすぐ始まっちゃうよ!」


「あ、早くいかなきゃ!」


 映画館の中に入り、チケット確認後、僕たちはシアターに向かう。

 広大なスクリーンの前に座り、僕とかすみさんの間はポップコーンでへだたれている。


「かすみさん……ポップコーン、あとチケット……ありがとうございます」


「いいよーせっかくだから楽しも!」


 映画が始まる。スクリーンの光が真っ暗な場を照らす。未来に転生される主人公は、前世の怠惰たいだな生活から物語が動く。


『ああ、今の生活ってだるい。未来に行ってみたいなー』


 引きこもりの主人公のもとに、スーツ姿の女性が現れる。


『未来なんて、期待してはいけませんよ。君が祈り続けたその願望――いずれ呪いになるよ……』


『えぇ?』


『いいや、私についてきてみてください』


 いきいきとした作画に、有名声優のボイス。どれも驚くべきポイントだ――。


「……!?」


 ギュッと僕の手から握られる感覚が体内に響く。


「か、かすみさん!?」


 手のひらから伝わる体温。あたたかい。

 血管が見える小さな手。指が細くて、白い。

 近づくほど濃くなる薔薇の香り。甘い。

 彼女は唇をゆっくりと僕の耳に近づける。


「――渚くんの衣装、私は嫌いじゃないよ」


 言葉だけでも。軽々なボディタッチだけでも、僕は声の発し方を忘れる。


「あちゃー、かっこつけちゃった。ごめーん映画見よ」


 しばらくすると映画が終わり、館から離れた。三日月が綺麗に空にかかっている。夏とはいえ、夜は肌寒い気もする。


「ありがとー映画に付き合ってくれて」


「いえ、こちらこそありがとうございました」


 いまだに彼女の手の感触が響き回る。普段の些細なタッチとは違い、優しくて温かった。

 僕は家に帰り、服を脱ぎ、風呂に入る。柔らかい湯に包まれ、息を吐く。


(映画のときに告白しとけばよかったのに。あれは脈アリでしょ!?)


 風呂上がりの僕はすぐに部屋に戻り、作業机の前に座った。シャーペンを握り、一枚の純白の紙を取る。


「よし! かすみさんに、『絵の恩返し』をしよう」


 映画のとき、彼女はふと『未来人』の主人公が好きだと言っていた。


「かすみさんは絵が上手いからなー。笑われてしまうかな……」


 輪郭を描き、一本ずつ髪の手を描く。整った顔をペンでえがく。心配はあったが、過程は夢中していた。


「よし……これでどうかな」


 スマホの時間を見ると、すでに何時間も描いていた。


(あっという間だったけど、絵を描くって楽しい)


 すると僕は絵の端に、一文を付け加えた。


(いやー! これは攻めすぎたかなー)


『かすみさん、好きになりました』と。


 そして描き終えた僕はゆっくりと眠りにつく――――。


「――芽咲ちゃん……成績もよかったんだよね? テストの順位はなんだっけ?」


 視界に映るのは一枚の半成品の素描画。僕は見慣れた教室の中にいる。リアルな感覚も伝わりながら、視界が模糊もことしている。


「一応、これだけどね」


 僕の意識は、一人の女性の視線と結ばれていた。女性は、一本の人差し指を出す。


「え!? 学年一位?」


(かすみさんの目線? 僕は夢をしているのか?)


 夢の時間はすぐに終わった。

 僕は朦朧もうろうな意識でスマホを開くと、かすみさんから一通のメールが来ていた。


『今日ひまかな? また遊びにいかない?』


 静まろうとする心が――再びはしる。


『もちろん!!』


 頭で考える前に、メールがもう送信していた。


『おっけー! じゃ十二時に駅前のカフェで会おー』


 僕は昨夜の絵を思い出す。本来なら週明けに贈るつもりだったが、今日にした。

 家から出たのはすでに集合まで十分弱。急ぎ足で僕は駅に向かった。蝉の音が響き、真夏の汗で背後が濡れる。


「ご、ごめんなさい……また遅れました」


「いいよーお腹ペコペコだからカフェでご飯だべよー」


 彼女はナチュラルな白いドレスと、小型のバッグを背負う。


「ほら、ぼーっとしないでよー」


「ご、ごめんなさいぃ!」


 店内に入ると爽風が体に当たり、まろやかなコーヒーの匂いが漂う。僕らは窓側の対面座席に座り、メニューを見渡した。


「私は……パスタにしよっかな……」


「かすみさん……パスタが好きなんですね」


「うん、特にこれ! キノコ風味のパスタが大好きなの」


 そう返された僕も、頬が熱くなる。


「僕も、ここのキノコ風味パスタが好きです!」


「ほんとおいしいよね」


 時が経ち、店員さんがテーブルの上に料理を並べた。鏡のように、僕らの注文はドリンクまで一致している。


(かすみさんの好み、僕と似ている……)


「いただきまーす! ほら渚くんも食べてー」


「あ、いただきます……」


 フォークでパスタを口の中に送る。キノコの風味と微かに甘いソースが味蕾を刺激する。


(そういえば……ここで絵をあげよっかな)


 僕はカバンから一枚の絵を取り出す。決して上手とは言えないが、僕は冷や汗をかく。


「かすみさん! これどうぞ」


 僕は絵を彼女に渡す。かすみさんの目は光った。


「えー! ありがとー」


 彼女は大切そうに絵を小型のバッグに入れた。


「絵うまいね、さすがっ! 最近映画のほうはどう?」


(え……『映画』?)


 僕は聞き間違いをしたかと思った。


「ほら、この前『僕は実力者の脚本家だ』って言ってたよね?」


「え……僕そんなの言ってましたっけ?」


「映画の脚本家が趣味で、現場でアシストしてたって聞いたけど」


 僕の手の動きが止まる。彼女の目には疑問を抱えて、また口を開く。


「言ってなかった? ごめん勘違いをしたかもー。ご飯食べよ?」


(彼女はよく人と関わっているから、記憶が勘違いをしたのかな)


 料理を食べ終え、僕らはある場所に足を運ぶ。日はまだ明るくて熱い。僕の視界に現れたのは壮大な建物――。


「え? 観覧車?」


 市で最も有名であり、デートスポットの観覧車だった。


「ほら今日休日でしょ? 夜になると混んでしまうし、今乗ろうよー」


「な、なんで!?」


 僕の心の声がどんどん脳に喚く。


(えー!? グイグイ来すぎなのでは!?)


「もしかして観覧車に乗りたくなかった?」


「い……いえ、乗りたいです!」


 彼女の言う通り、観覧車の受付は空いている。僕とかすみさんは、同時に中に入った。


(あれ……ここに来たことないのに、慣れな感じがある)


 対面に座る彼女の瞳は僕を見つめる。しかし別の名が僕の口から発する。


ジャンさん?」


「…………え?」


 戸惑う彼女の姿が瞳に映り、僕は焦る。


「ごめんなさい! 間違えました」


「ふーん、まあいいよー。ほら景色みよ?」


 窓から見える視界が広がり、昼の明るさで僕の故郷がよく見える。


「ねえ、渚くん」


「え?」


 景色を見渡す僕の耳に、彼女の声が届く。


「もしさ、私がいなくなったら渚くんはどうなるの?」


「え……なにを?」


 微かな薔薇の匂いが漂い、嗅ぎたくなるほど心地よい。彼女は勉強も良く、性格もやさしい。

 いつのまにか、彼女は僕にとっての完璧人間になっていた。


「僕――かすみさんのことが好きです!」


「…………!?」


 言葉を発した僕の目に涙がにじむ。


「いなくなるなんて考えもしなかった……僕のことなんて好きにならなくていいです、嫌いになってもいいです……でも急に消えたりはしないで……」


 ただそばにいるだけ、目に見える限りの関係でもいい。


「だから幸せになってください! 僕はその姿のかすみさんが見たいです!」


 この気持ちは本当の好きだ。

 決して一時の欲ではない、清らかで澄んだ気持ち。


「ふふ、ありがとう。今日は、ここまでにしよっか」


 気づけば扉のドアが開いていた。彼女は安心させる笑顔を見せ、大きく手を振る。


「渚くん、バイバイ」


「うん、じゃーねー」


 この日のセリフは深く自分の脳に響いた。次の日の学校。好きという気持ちを好きだと言う勇気はあったが、気まずい空気が続くと僕は不安だった。

 すると僕のそばに一人の姿が近づく。


ジャンさん?」


「ナギサくん、いいかな? 話したいことがある」


 僕は教室の外の端に寄せられた。ジャンさんの表情は少し暗く小声だ。


「急遽でごめん……私、じつは来週、帰国してしまうの」


「…………え? まだ戻ってこれる?」


 脳が危機感を覚えているよりも、心の奥の本能から嫌だ、と喚いている。


「ごめんね」


「い、嫌だ! なんで?」


 僕の口は思っている以上に、彼女を求めている。


「……僕たち、まだ会えるよね?」


「どうかな……でもありがとう! 嬉しいよ」


 少女は純粋な笑みが浮かぶ。

 一人で重たい足を運び、賑やかな教室に戻った。僕に向かって、制服姿のかすみさんが近づく。


「かすみさん、おはよう。昨日楽しかったです」


 彼女の純粋な笑みに、かたくなる瞬間があった。


「渚くんって一人称『僕』なんだね。俺とかは言わないんだ」


「うん、そうだよ」


「めずらしいよねー」


 かすみさんの表情に遊び心が湧く。


「私もいつか一人称、僕にしちゃおっかなー」


(かすみさんが『僕』か。想像しにくいかも……)


 僕がボーッとするうちに、かすみさんは自分のスマホを出す。


「『未来人』ずっと一緒にやらなかったね、やろうよ」


 彼女はトントン、と軽く僕の肩を叩く。


(『未来人』……あれ? ストーリーが思い出せない)


 僕もスマホを取り出し、『未来人』のアイコンを押す。


(え……?)


 前回のログインは、もう三年前の話だったと言っている。僕はなにをしていたのだろう。


(いや、以前の記憶も……思い出せない……)


 冗談だと自分に言い聞かせたいが、無力感があるほど思い出せない。


「かすみ、さん?」


 頭を上げると、目の前が虚無になっていた。一瞬、とてつもない孤独感が身にまとう。


(かすみさん……どこに行ったの?)


 キーンコーンカーン……と授業チャイムの音が響き、僕はスマホを閉じた。


 彼女の席を見ても、その姿はいなかった。


「…………かすみ、さん」


 授業が退屈だからなのか、好きな人が急に目線から消えたからなのか、僕の視界がぼやける。


 意識が柔らかくなり、まぶたが重い。

 暖かいなにかに抱きしめられ、僕は徐々に眠りにつく――――。


「はじめ、まして、(ジャン)(シュエ)(バイ)、といいます」


(また夢か。これって……ジャンさんが留学してきた日?)


 懐かしみのある教室の中、周りの人も記憶の奥底から現れる。ジャンさんは今と似ていて、弱気な子だ。


「ねえ、要介。あいつの筆箱、ダサくね?」


 隣の席から幼い男の子が僕に声をかける。男の子の指がさしたのは、ジャンさんが持つ小型のウサギ型の筆箱。


「いや……僕はそう思わないけど」


「まあオレは、そいつのを隠しちゃおっかな」


(え……なんで?)


 休み時間、僕は密かに男の子の行動を見ていた。

 江さんがいない間、男は彼女の筆箱を取り出し、段ボールが積んだ教室の端に隠した。


「あ、あなた! なに、しているの?」


 幸い、戻ってきたジャンさんは男の振る舞いを目撃した。


「バレちゃった……お前の筆箱がダサすぎて目障りだよ」


「やめて、ください、返してください」


 ジャンさんは声を張るが、成長期の男に敵う威圧はなかった。


「やーだね! オレにケンカ勝ったら返すわ」


「嫌だ……返して、ください」


 彼女は手を伸ばし筆箱を奪い返そうとする。


「近づくな! クソメガネ!」


 男は勢いよく両手でジャンさんを押す。彼女のバランスが崩れ、地面にパタっと倒れる。


「や、やめて……」


 男を仰望する江さんの目に涙が回る。


「チェッ、弱ぇ、泣き虫。先生にチクるなよー」


 事件の全貌を目に映した僕は、立ち上がる。


「おい、ジャンさんに返して!」


 言葉を発した僕の心臓がドグっと響く。


ジャンさんが留学してきた日、僕はこうやって彼女を助けていたんだ)


「よ、要介……なんでだよ、チェッ、ほらよ」


 男は不服そうに筆箱をジャンさんに返し、この場から離れた。


「ありがとう、ございます」


「大丈夫、僕、渚要介っていうんだ! よろしくな」


 涙が滲んだ少女の眼差しが輝いた。


「……うん!」


(これが、僕とジャンさんの始まりか?)


 僕はまばたきをする。突如、目の前の光景が一瞬にして変わった。成長したジャンさんが一枚の紙を見せてきた。


「今回も私が、学年一位をもらったねー」


「クゥッ! なんで僕また二位……絶対超えてみせるから!」


(僕の過去記憶か……? 僕ってそんなジャンさんと話してたっけ?)


 彼女は小柄で可愛らしい面でいたずらな笑みをつくる。


ジャンさんほんと完璧人間だわ」


「それは褒めすぎだよー」


 彼女といると、懐かしさや、慣れた感覚が伝わり、最近もよく感じる気がする。


『渚くん! 渚くん!』


 心の奥から、誰かの叫び声が響く。

 僕の目が覚ます。授業はもう終わっていた。デスクの教科書は閉じたまま。僕は約一時間を寝ていた。


 気づけばあと数分で次の授業が始まる。僕は自分の机の上にある一通の手紙を目に映った。


「これは……」


 丸いフォントで可愛く書かれた文字が並ぶ。


『家に帰ってきてから開けてね』


 一日の授業が終わると、僕は手紙を慎重にポケットに入れ、すぐに帰り道に足を運ぶ。

 僕の鼻に、優しいコーヒーの香りが漂う。


(あ、この前かすみさんと行ったカフェだ)


 一回しか行ったことのないカフェなのに、体は慣れた感覚がある。


(はやく家に帰らないと……)


 僕はより駆け足で家に向かう。扉の鍵を開けて、部屋に入り、カバンから手紙を取り出す。


『渚くんへ――』


(かすみさんの、手紙か?)


『この前遊びに付き合ってくれてありがとー。明日、またあの駅前のカフェに来てくれないかな?』


 僕は手紙をそっとデスクの上に置いた。同時に目に入ったのは隣の二つのカプセル。

 かすみさんに対する思いもあるが、もう一つ気になっていることが脳に纏う。


「僕は、きっとなにかを忘れているはずだ」


 椅子に座り、表紙が剥がれた二つのカプセルを眺める。

 比較的に錠剤が少ない方を持つと、表紙の字跡が微かに残っていた。


『記憶……忘……一日五錠……』


 これは記憶に関する薬だ。家にこれを飲む人を思い当たらない。


「それに……『これ』はなんだろう?」


 もう片方の錠剤は減っていない割には、表紙が綺麗に消失している。


「きっと昔、(ジャン)さんとよく関わっているのに、僕は忘れている」


 僕は忘れた内容をいつかジャンさんに直接聞くことにした。僕は再び手紙を手にして眺める。


「……そうだ、この前の本、もっかい読んでみよ」


 デスクの角にある本を取り出した。『私が思う――ステキな子とは?』数日も開けていないため、少し埃が積もっている。


「どれどれ……この前あんま読んでなかったんだよな」


 ページを捲る指は『第二章』と書かれた場所に留まる。文字はこう言っていた。


「私の好きな人について紹介するよー! 相手は勉強が優秀なんだ! でも全てが優秀でなくてもいい。なにかに打ち込んで、『特化型の人間』になることが大事!」


(『特化型の人間』か……僕にはないかもな)


 人生でなにかに全力で打ち込み、なにかの十八番を持っていないはず。


「やっぱこの本、アテにならないかも……そろそろ寝よ」


 不意に僕の手が離れ、ページが走る。指を突き出して止めると、出版社のページが目に映る。


「あ…………この本の著者は匿名か…………」


 チラッと眺める僕の目線は、あるところにピン留められた。


 著者の下の欄――『著者の友達(アシスタント)』の枠。


 隣の名前が、ゾッと僕の心を震えさせる。


「え……? なんで、ここに?」


 驚愕の目先に立つのは、見慣れた名前だった。


『江雪白』


 僕は驚きに追いつかない。


「つまり……あのときジャンさんがこの本を、お勧めしてくれたのは……」


 本の著者は不明。さらにジャンさんが書かれている理由。それは何を意味をするのか。


「もー! 記憶喪失だの、本の関係者はジャンさんだの、頭がパンクしそうだよ……」


 深く息を吐き、天井を見上げて放心状態になる。


「いいや、早く寝よ……」


 ベッドに向かって体を動かせ、柔らかい布団に身を沈ませる。僕は深い眠りにつく――――。

 夢の中の僕は、一枚のチケットを持っている。


(あれ……また夢か、最近頻繁なんだな)


 意識がはっきりとした夢が連発するなんて初めてだ。


(このチケットは……映画のチケット?)


 よく見れば、『アニメーション映画――未来人』と書かれている。


 視線は映画館の前だが、僕はかすみさんと行く前までは、一人で映画館に踏み入れたことは一度もない。


「あ、早くいかなきゃ!」


 沈黙していた体が喋り出す。映画館に入ると、一人の作業服姿の男が現れる。


「渚様、来ていただいたっすね。今回は本当にありがとうございました!」


 若い顔の男、作業服も新めではあるが、なにか共にたずさわった記憶が微かに浮かぶ。


(でも……思い出せない……)


「渚様、それではこちらに」


 僕はスクリーンの前の席に向かう。驚くことに周りには誰もいない。


「…………」


 トン、トン、トン。やさしい足音が背後から伝わる。


「……?」


「渚くん……『僕』は存在する意味がありましたか?」


 謎の声が響き、僕は振り返るが、誰もいない。


(誰……!?)


「でもありがとう、渚くんのおかけで、『僕』はこの世にいるんだ!」


 ゾッと体が固まる。しかし僕の意識よりも前に、自分の声が出た。


「かすみ……さん?」


 意識がぼやけ、ハッと僕は目を覚ます。暗い天井が目に映り、背後から汗が満身に広がる。


「なんていう夢なんだよ……」


 時計を見れば深夜の二時。僕は手で頭をトントンと叩く。


 眠れない夜が続き、次の日になる。早めに朝ごはんを済まし、家に出た頃は集合まで時間がたっぷりある。

 日差しが強く、眩しい太陽が道を照らす。歩く隙に僕は昨日の悩みを思い出す。


 いよいよ駅の前。交差点の向こうに、一人の少女が立っていた。しかし僕は不穏な空気を感じた。

 彼女の服装は全身を覆うような黒のパーカー。かすみさんにしては珍しい。


「かすみさん……!」


 彼女も反応をしたのか、顔を振り返る。駆け足で僕の方に交差点を渡った――一歩目。


「…………!!」


 横から一台の軽トラックが走ってきた。周囲の人からの叫び声も響く。僕は脚部に力を入れた。


「かすみさん! 危ない!!」


 僕は足をはねらせ――彼女を歩道へ押し返した。


 ボン、と体に当たる音が響く。僕は一瞬の眩暈めまいで頭が回り、なまりに圧倒される感覚が走る。


「…………」


 周囲の人がなにかを呟いている。気づけば腕がひどく出血しているが、動こうとしても骨が言うことを聞かない。


(……かすみ、さん……!)


 意識の最後は彼女のほうへ向けた。しかし芽咲花純であるはずの面は――別人なのであった。


「…………!」


 瞼が重くなり、目に映る光景が暗くなる。

 瞼を閉じ、僕の意識が少しずつ消失する。『彼女』について解き明かすことができなくなり――渚要介は安らかに眠った。


 今日より遥か昔の観覧車の中。明るい昼間なのに、一人の少年と、一人の少女が座っていた。


「ナギサくん……なにを書いているの?」


 男はペンを持ち、何枚かの原稿用紙に字を書いていた。


「ああ、これね。最近作家デビューもしよっかなって思ってんの、アシスタントしてくれる?」


「いいよー。すごいね。脚本以外にも手につけるんだ」


 男は厚いメガネをかける少女を見つめ、微笑ましく原稿用紙をカバンにいれる。


「ほら『未来人』の制作会社が僕を後援してくれるって。この本は『恋愛のコツ』についてなんだ!」


「すごいなぁー。頭もいいし、脚本家で……本も書いている。私なんか勉強しかないもん」


 男はふふ、と笑い一本の人差し指を立てる。


「僕なんて(シュエ)(バイ)ちゃんに敵わないよ。学年一位で、完璧人間だし」


 少女は乙女のように口を手で隠す。


「だから『完璧人間』ってなに!? 大手ゲーム映画の脚本家のほうがすごいし……」


「僕ね、クリエイティブな活動が大好きだ――」


 男は窓の外の明るい景色を見つめ、陽光が顔に当たるのを感受する。


「だから次ね、小説家も目指しているんだ」


「そうなの!? 無茶はしないでね、疲れたら休むんだよ」


 男は笑いが吹く。


「知っているさ、(シュエ)(バイ)ちゃん。君みたいな優しい人間を、書いてみたいな」


「そうか……う、嬉しい……どういうキャラなの?」


 男はあごに手を当て、深く考え込む。


「まず名前から決めよう。純白で、清らかな名前がいいな…………よし!」


 男はアイデアが決まり、ドヤ顔で少女のほうに目を寄せる。


「僕の小説のヒロインの名前は――」


 彼が言った名前は、この物語の始まりとなった。


「――『芽咲花純』に決まりだ」


 あれから数年後。もの寂しい小さな墓場の中、ポタポタと小雨が降り、一人の姿がやってきた。黒いパーカーで身を包み、顔を隠している。

 一束のギプソフィラを墓の前に置き、息を吐き捨て、膝を地面につけた。


「ごめん、ごめん……」


 フードを外すと、清秀な顔の少女であった。


『私もいつか一人称、僕にしちゃおっかなー』


 このセリフは彼女の脳に纏う。

 厚いメガネをケースに入れ、顔を墓に近づける。目の前に墓の相手がいるかのように、コソコソと声を出す。


「『芽咲花純』は――最初から存在していないんだよ」


 かつて少年が辿り着けなかった真相が、明かされる。


「君は無茶な仕事を重ね、二つの病いが芽生えたの」


 少女はタイトル『私が思う――ステキな子とは?』という本を取り出す。


「君が成し遂げた出来事の記憶を取り戻すために、『僕』は計画をしはじめたの」


 (ジャン)(シュエ)(バイ)は手を差し伸べ、墓をでる。


「『僕』は君を驚かさないように、君との出会いからゆっくり始めようとしていたのに……」


 渚要介の二つ目の病。(ジャン)(シュエ)(バイ)をモチーフにした二人目の姿――芽咲花純が生まれた。


「君は周りの人に褒められても、芽咲花純のことだと思ったり、一人で映画に行ってもそばに彼女がいると思い込んで……」


 (ジャン)(シュエ)(バイ)は頭を下げて、溢れる涙を手で拭き取る。


「中国に帰ると伝えた日、『僕』は君の教室に入ったのに…………芽咲花純だと思われて……」


 彼女はポケットから一枚の紙を墓の上に置く。


「ごめん、私が君になにかすれば………………ごめん、なさい……」


『定期テスト成績――渚要介(学年一位)』


 少女はずっと、言いたかったセリフを吐いた。


「君はとっくに、私を超えていたよ」


 勉強だけではなく、渚要介が力を尽くした功績も、すべて芽咲花純という物語として成就したでしょう。

 少女は墓を抱きしめ、ずっと祈り続けた。


 君の心が、君の瞳のように、いつまでも澄んでいますように。

読んでくださりありがとうございました。

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