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出会い

───酷い匂いだな

エルフェール・アランは思わず鼻を覆う。かつては商売の都として栄えた北部だったが、今では貧民共のたまり場になっているらしい。

いわゆるスラム街である。小さな身に金の装飾を鳴らし、お世辞にも街とは呼べない道を歩く。整った眉毛が歪み、鼻腔を転がる悪臭に舌打ちをする。

アラン王国は各国の中でも屈指の領土面積を誇り、豊かな自然を活かした農業や酪農、加工業で名を馳せていた。

彼は齢13歳にして達観しており、王国の第3皇子の座に腰を据えていた。彼の腕章は王族の出自を示し、スラム街の住民が慌てて頭を垂れる。エルフェールは目もくれずに、ズカズカと道を進む。

どうして王国家の人間が、こんなスラム街を歩いているのか───話は4時間前に遡る。

なぁに、単純な話である。父である国王に反抗し、魔術のレッスンをサボった彼が罰として、北部の視察という名目の「おしおき」を課されたほかない。

(なにが視察というのだ。)彼の腹の虫は収まることを知らず、地を踏む足に力が籠る。先程から側近が戸惑いながらも彼の後を追うが、鬱陶しいと言わんばかりにかぶりを振るエルフェール。

ふと布が掛けられた空き家から青白い光が漏れる。横目でそれを捉えたエルフェールは、小首を傾げる。

あれは魔法陣を形成した際に見られる発光。王国専属の講師に、散々詰め込まれた知識が初めて役に立った瞬間だった。

「坊ちゃん!」

エルフェールは側近が声を上げると同時に、空き家へ方向転換する。幼い彼を突き動かしているのは、「好奇心」の3文字であった。空き家に近づいたエルフェールは一瞬の躊躇いもなく、布を引き剥がした。木の板が家らしく重ねられた空間に、エルフェールの影を残して光が差し込む。

エルフェールは目を見開いた。地べたに座り込んだ子供の足元に、血塗られた魔法陣が描かれていた。大きな碧眼、血が滲んだ頬。くたびれた麻の布を頭から被った子供は、エルフェールとそう年の差がないように見受けられた。腕からは未だに少量の血が滴っている。

「女の子…?!坊ちゃん、お知り合いですか?」

側近の男は目を見開きながら、子供に駆け寄る。子供はエルフェール達の突然の来訪に顔色を変えず、ただまっすぐエルフェールをみつめていた。

「……お前、この腕章がみえないのか」

エルフェールは子供を見下ろしながら、自身の腕章を示す。側近の男はエルフェールの行動に驚きながらも、子供の腕に自身のハンカチを巻いて止血する。子供は不思議そうに、手当された自身の腕を掲げ、無機質な瞳で観察する。

「人はみんな、平等だよ。偉いとか偉くないとか、決めるのは君たちじゃない」

何を言っているんだこいつは。エルフェールは顔を歪める。王族へ敬意を払わないのは、恐らく教養のない貧民や国内・外の反乱軍であろう。エルフェールはハッと思い出したように、子供に近づく。子供に寄り添う側近の肩を押しのけると、そこにはやはり血塗られた魔法陣が存在感を示していた。

(見間違いなどではない。これは氷魔を召喚する魔法陣…)

「これ、お前がやったのか?」

エルフェールはまじまじと子供を観察する。側近の言った通り、女なのであろう。肩まで伸びた後ろ髪、長いまつ毛、貧相な身体。服を買う金貨がないのか、使い古した麻布にすっぽり埋まっていた。

「…絵描いただけ」

「絵などではない、これは立派な魔法陣だ。魔術学の心得があるのか?」

「あは、あるわけないでしょ」

ケタケタと笑いながらエルフェールを見上げる子供。少し癪に触ったのか、眉を顰めるたかし。

「……氷魔はどこだ。召喚させたんだろ」

「ひょうま?あ、あの子たちのことか。可哀想だから放ったよ。彼らにだって自由になる権利はある」

「…ッ?!お前、氷魔を放ったのか?!あれが一般人に襲いかかったという事例を聞いたことがないのか?!」

慌てて問いただすエルフェール。側近も子供の口から語られた氷魔の行方に、開いた口が塞がらない。2人の驚きように、我関せずといった様子で、子供は続けた。

「大丈夫。悪いことはしちゃダメって教えたから。手放しに悪い子なんて、いないよ」

不意に浮かべた子供の笑みに、鼓動が早まるエルフェール。嘘だろ、と胸に問いかける。

「……女。名前は」

「えっと…クラウディアとかだった気がする」

(自分の名前を思い出せないバカがどこにいる)ため息をついたたかしだったが、彼の心臓は早鐘のようにけたたましく高鳴る。クラウディアの笑顔が脳裏に焼き付いて消えない。

「クラウディアだな、覚えた」

朱色に染まった頬を隠すように背を向け、空き家を出ようとするエルフェール。首だけを動かし、横目でクラウディアを捉えた。

「また来る。……今度は氷魔を召喚して俺に見せてみろ」

「お菓子があると嬉しいな」

クラウディアの冗談すら、エルフェールを虜にするには充分であった。次は執事に茶菓子を用意させてから来よう。鼻で笑ったエルフェールは、足早にその場を去る。側近の男が聞こえないようにため息をついた後、慌ててエルフェールを追いかける。


クラウディアは柔らかい笑みを浮かべ、彼らの背中に手を振る。空き家に佇む静寂を、クラウディアの腹の音が破る。

「お腹空いた」

誰に語る訳でもなく呟いたクラウディアの言葉は、再び訪れた静寂に溶け込む。立ち上がろうとした瞬間、先程召喚した氷魔達が嬉しそうにスキップして近寄る。

「あれ、君たちじゃないか。寂しくなったの────」

氷魔達に続いて大きな影が、小さなクラウディアを覆う。……今日は随分と客人が多いようだ。

「おじさん、誰?」

「君が、この氷魔を召喚したのかい?」

噛み合わない会話に、目を瞬かせ笑いが零れるクラウディア。なんなんだこの大人は。

「そうだけど、おじさん誰?」

男の目は期待と希望に輝いていた。男はおもむろにマメだらけの右手を、クラウディアに伸ばす。

「俺はリージン、中央の2級魔法士をやってる。原石ちゃん、輝きたくはないか?」

(会話の出来ない大人っているんだ)ジト目で彼を見つめながら、呆れた様子で彼の手を取るクラウディア。彼はクラウディアの手を力強く握り、抱き上げて広い肩に座らせる。「わ!」とクラウディアから小さな悲鳴が零れた。

「今日から君は俺の家族だ!」


「どういうことだ」

エルフェールの手からバスケットが音を立てて落下する。中に詰め込まれた茶菓子たちがカサカサと床に散らばる。彼女は昨日、確かにここに座っていた。生活の痕跡も見受けられたため、ここを拠点にしていることはわかっていた。

「……何だこれは」

先日みた床の魔法陣の隣、新たな血文字が加えられていた。

バイバイ

それは拙い文字で、イの文字が反転してしまっている。まるで、初めて文字を書いたような……。

「クラウディアか」

幼いながらに達観したエルフェールは、大きなため息を零してしゃがみこむ。細かな事情はわからないが、彼女がここに戻らないという予測だけが、彼の頭の中で確かな存在感を放ち、逡巡していた。

側近の男がエルフェールの様子を伺いながら、床に散らばった茶菓子を拾い集める。

彼の淡い初恋は儚く───。

「逃すものか」

散ることはないようだ。



石、魔獣の模型、賞状、男女が二人で微笑む写真─。クラウディアは一つ一つ興味深そうに、観察する。スラム街で魔法士を名乗る男に拾われてから、クラウディアは中央の一軒家を訪ねていた。豪華な装飾が目立つ訳ではないが、こだわりを感じさせるインテリア。リビングを観察して歩いていると、奥の洗面所からネクタイを緩めたリージンが歩いてくる。

「お、なんか気になったのあったか?」

「…なにこの石」

履いていた靴下をソファに放り投げる大人に、呆れた表情に向けながらも棚の上に飾られた石を指す。リージンは少し驚いたように目を見開くと、すぐにクラウディアに駆け寄る。

「これか?これははるか昔、大魔法士が作り上げたとされる伝説の魔法石だ。カッコイイだろ?」

「でも、それが伝説の魔法石だっていう証拠がないんでしょ?見たところもただの石ころですもの、納得だわ」

クラウディアの肩を握り、興奮気味に言葉を並べていたリージンの口が動きを止める。クラウディアが振り返る前に、女性がクラウディアの前に回り込む。女性は優しい手つきでクラウディアの頭を撫でると、柔らかい笑みを浮かべる。

「マーラ!またそれか。確かに物的証拠はないが、この魔法石は高額で出回っていたんだぞ!それに──」

説明に熱が入り立ち上がったリージンは、両手を慌ただしく動かしかながら、必死に言葉を紡ぐ。だが、リージンが口ごもった一瞬でマーラが立ち上がる。優しくリージンの眉間に指を寄せる。

「それに、なんです?貴方が異常なまでの収集癖を直さずに散財できるのは、一体誰のおかげなのかしら」

「……すみませんでした」

「よろしい」

再び柔らかな笑みを浮かべ、ハッとしたようにクラウディアに向き直るマーラ。

「紹介が遅れてごめんなさい。私はマーラ・イブ」

マーラは笑顔を崩さずに横にいたリージンの耳を、白く細い指で掴む。「いだっ?!」

「この人の妻です。貴女は夫から、スラム街で出会ったと聞いていたのだけれど……」

クラウディアはマーラの自己紹介に反応すると、ゆっくりと頭を下げる。マーラはクラウディアの予想外の動きに、温もりの宿った瞳が見開かれる。スラム街で育った子の大抵は教養が身についていないが、例外もいる。いずれも例外の者は────。

「……えっと、確かクラウディアちゃんよね?今日から私たちと家族になりましょう!」

マーラは一瞬動揺を見せたが、嬉しそうに両手を合わせる。まだ痛みが残る耳を擦りながら、クラウディアの前にしゃがみこむリージン。

「マーラの言う通りだ。お前は今日から、『クラウディア・イブ』として暮らしてもらう」

「ちょっと、あなた。女の子にお前って!」

クラウディアは首を傾げた。マーラはクラウディアを抱き上げ、浴室へ足を進める。

「お風呂に入りましょう。綺麗にしてあげますからね」

リージンは妻とクラウディアが浴室に向かったことを確認すると、安堵のため息を吐き出す。彼女は原石。どこで学んだかは知る由もないが、彼女が自身の血で描いた魔法陣は高度なもの。自身が肩書きに並べる、『2級魔法士』の1部しか操ることの出来ない魔術。

彼女は影で終わって良い存在ではない。中央の魔術学校に編入させ、彼女を明るい未来へ導くのだ。

(無論嫌がれば諦めるが……)

中央のギルドから手配した編入希望届を掲げ、未だに残る彼女の謎について思考を巡らせる。

「──ジン!リージン!」

刹那、浴室からマーラの悲鳴にも似た声が響く。リージンはやっとの思いで腰掛けたイスから転ぶように立ち上がり、慌ただしく廊下を駆け抜けた。

「マーラ!一体どうし──」

浴室の扉を勢いよく開けると、そこで待ち受けていたのは、珍しく驚く妻の姿だった。

「あなた!クラウディアちゃんは……」

リージンは慌ててマーラの肩越しにクラウディアの姿を捉える。あるはずの胸の膨らみが、クラウディアに見受けられない。なにが起きているのか、混乱して立ち尽くすリージン。

「お前……まさか」

「はい、男です」



「その……なんだ。悪かった」

夕食の席、リージンがおもむろに頭を下げた。クラウディアは淡々に「異性に思われたところで問題ないですし」と続けたが、リージンは眉間を抑え「大問題だ」と机に伏してしまう。

「私からもごめんなさい。まさかディアちゃんじゃなくて、ディア"くん"だったなんて……」

初めて大人から頭を下げられ、少し混乱するクラウディア。昔からよく間違えられたので、本人にとっては然程の苦痛も感じられなかった。

「その…話しておかなきゃならんことがあってな。お前、魔法士養成学校に興味あるか?」

リージンの口から発せられた言葉は、キラキラと輝き、クラウディアの胸を高鳴らせた。

「魔法士養成学校ちゅーのはな───」

「行きたいです」

「いくらなんでも決断が早くないか?」

予想だにしなかったクラウディアの即答に、リージンは腰が抜けかける。魔法士養成学校、通称─魔法学校について説明を続けようとしたがまずはクラウディアを落ち着かせなくては。

「ディア、落ち着け。だいたいお前、魔法学校についての知識はあるのか?お前が行きたい所がどんな所なのか、知ってからでも遅くは無いだろう」

「…わかりました」

少し冷静になったのか、テーブルに乗り出していた体を椅子に戻したクラウディア。


「─────まぁ、こんなところだな。なにか聞きたいことはあるか?」

「…今は秋ですが、僕は来年の入学試験に挑戦することになるんですか?」

夕食を終えたクラウディアとリージンは、リビングのソファに腰をかけていた。キッチンからはマーラが鼻歌混じりに、食器を洗う音が奏でられていた。

「あぁ、そのことだがな。王都中央校では、編入入学生を受け入れているらしい。つまり─」

「編入試験、ということですね」

「……お前、本当に貧民街育ちか?さっきから足崩さないし、晩飯のときも、ナイフとフォークの使い方がなってた。礼儀や作法は、教育係にしつこく教え込まれないと、咄嗟の行動には出ない。貧民街で知り合った他の奴らは、敬語すらままならない状態だったぞ」

「……」

「まぁ、『洗いざらい吐け』、なんて野暮なこと言うつもりはない。人は誰にでも1つや2つ、秘密があるもんだ。だから──。」

「あなたにも秘密があるのかしら、リージン?」

「目が笑ってない、目が笑ってないよマーラ!」音もなく近寄る妻からの、突然の追求に声が裏返るリージン。

慌てて殺気を感じ、自分よりはるかに小さな背中に隠れる。クラウディアは少々呆れながらも、マーラにリージンを差し出す。「いい子ね、ディアくん。この人、きっとへそくりでも隠しているんだわ」

「……コホン。話を戻すが」

マーラのどす黒いオーラを背に感じながらも、クラウディアに向き直るリージン。

(基本的に奥様が上なんだな)

そんなことを考えていたクラウディアだったが、リージンの言葉を号砲に思考を切替える。

「魔法学校を卒業した生徒の進路だが…。

全体の5割は中央の魔法省への配属。3割は

組合の登録魔法士。最後の2割は、王国専属の

魔法士だが…。いいか、クラウディア。重要なのは、お前が将来何になりたくて、何を

したいかだ。魔法学校はあくまで選択肢って

ことを忘れるな」

「……質問があります、リージンさん」

「敬語はよせ。んで、質問ってのは」

自分の感情を言葉にするのが苦手なのか、

クラウディアは話そうとしてはやめ、また

話そうとしては口を噤んだ。リージンと

マーラはそんな彼を急かすことなく、ただ黙って返答を待つ。ふと、少年の口が開いた。

「僕は──────」

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