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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
序章.
8/31

1-6

不安が滲むような女性の小声が、天幕を僅かに揺らす。

「彼の【ルド】への移住について、親御様からご許可はいただいているのかしら…」

彼女から離れたところで、アストリネの一族たるイプシロンは弟子にすると決めた吏史に対し、今後について教示しているのが見える。

「……ここにいた方がいいと思うのだけど…」

彼らに聞こえないよう、聞こえても失礼のないよう極力を努めた微声を独り言のように呟けば、隣に立つダインラスは顎に手当てて首を傾げた。

「なんだどうしたナターシャ。らしくもなくナイーブだな。一族様の弟子になる人類はそういないのだぞ。あってもアストリネから寵愛を賜った混血者が基本だ。血縁もない純粋な人類が選ばれたのはとても名誉あることで、我々【ルド】の民は優秀な同胞の誕生を喜ぶべきではないか?」

「黙りなさい。声が大きい。私の独り言を拾わないでちょうだい」

わざわざ汲み取ってほしくもないことを無神経に拾い、普通の声量で話しかけるダインラスに対し頬に青筋を立てて低い声で咎めた後、ナターシャは鋭く睨むように碧眼の視線を向けた。

「……ちょっと思うことがあるだけ」

「ふん。貴様がどれだけ思おうが選択し、志願したのは少年だ。いくら心労をかけたところで無駄だ。この先の未来は少年のもの。少年次第だろう」

「知ってるわよ。言われなくても」

「俺は心が弾んでたまらないがな。考えてみろ、《《あの》》イプシロン様だぞ?『陽黒』を超えた尊敬すべき戦士でありながら長らく弟子を持たなかった方が、有力継承者となる弟子を育てると吏史少年を選んだ。これは歴史が始まり動く。その感動的な場面と言ってもいい…!」

じ両手を広げて背景にキラキラと眩しく躍動する光を放つような、実に鬱陶しい雰囲気である。隣のナターシャは向ける視線の鋭さを増させるばかりだ。

「はぁ……いいわよね。あんたと私は初めから選ばれた戦士。ネルカル様の『試練』を超えられた合格者だから。――知ってるのだから、あんたもどこかで思ってるでしょう?あの子は他の子供と違う。尊大ではない、世の甘さを知らずに万能感を晒して喚かないの。礼儀を保とうとする素直な子。なのに、《《あれ》》を受けるのが、十歳の子ならどれだけ過酷で苦痛と苦難に溢れてることか」

「………」

ダインラスは神妙な面持ちに変化し、ナターシャの独り言は続く。

イプシロンの説明を受けた後、おずおずと下手に触れぬような腰低い態度でイプシロンが帯刀する武器を見せてもらおうと試みて「後でなら構わない」と断られる様子は、微笑ましい姿だと捉えられるやもしれない。

「…あんな、ちゃんと誰かに愛されていたような子供が受けるべき試練じゃない」

少なくともナターシャは《《其方側》》だった。だから、彼女は吏史を歓迎できそうにない。そんな複雑な感情が込められて歪んだ表情を浮かべしまう。

「…フンッ」

だが、その反対側に立つダインラスはナターシャの憂ある横顔を鼻で笑い、口角を吊り上げた。

「貴様、随分と偉い立場に立ったものだな?我々《【ルド】》は最も強靭な兵士であらねばならない。試練は過酷であって然るべきだろう。それなのに不満を言うつもりか?」

「違う。この私のように才能あふれる者なら受けるべき試練よ」

「はは!ならば、それが答えではないか!」

ムキになるよう自ら答えを告げたことを可笑しそうに笑声を上げたことで嘲笑される理由を自覚したナターシャは、悔しそうに唇を噛み顔を赤くする。

そんな彼女に慰めの言葉はかけず、ダインラスは告げた。

「吏史少年は乗り越えるだろう。イプシロン様に選ばれたのだ、才能のある人物に違いない」

しかしそれは吏史個人の能力というより、人類の上位的種にあたるアストリネへの絶対なる狂信。

アストリネが下す全て決定に過ちはないという確信に至らしめるほどの盲信だった。



そんな二人が話してることは吏史に取って聞き取りづらいが気になって仕方ない。

だが、今は目の前のイプシロンだろう。それに彼は二人のことは一切気にしていない様子なのだ。

だから、吏史も気にしなくていい。故に声を上げようと開きかけた唇を閉じて、意識ごと戻した。

弟子にすると決めて、師匠となることを決めた憧れのアストリネのひとり。彼の真意を少しずつ歩み寄って図るように。

「吏史、君の個人情報を提示してもらってもいいか?」

「あ、はい」

言われた通りに自身を認証させながら手首に着用された端末を差し出す。青いホログラムの光を放ちながら吏史の情報が開示される。

宙に生まれたカルテを眺めた後、イプシロンは指をゆっくりと動かして何かを操作し始めていた。

「あの、いったい何をして…」

HMTヒューマンマネジメントトークンは人類に着用義務がある機械。海底サーバーに直結しており、常に生体反応電子流に反応して監視管理されている代物だ。……住居変更申請まで可能だったことは知ってたか?」

「知ってる。ます。……確かにオレ以外でも操作できてた………し。多分。海底云々も言って、いたかも…?」

これまでのサージュの指導や言動を思い出してみたが、うろ覚えだ。興味が唆られた武器の話以外は明瞭ではない。

ただ、それらしいのは何となく話してはいたと感覚があったので、そう主張した。

「そうか。なら、いい。申請は俺が行うとしよう」

イプシロンは特に呆れもせず、黙々と手を動かしていく。

HMTの操作は生体に於ける神経網から流れる脳信号を拾う仕様だ。操作時に必要なのは指先一つ。たた、触れるだけでいい。そうするだけで脳に描いた言語に反応して自動的に入力される。

申請に記入箇所にイプシロンが触れれば、信号は受諾された。必要事項や承諾の旨を記載し、区間移動の理由文が自発的に打ち込まれ流れていく。

「あの、オレが自分でしなくていいんですか?」

吏史はそこまで面倒見てもらうとは思っていなかったので、これは想定外の展開だ。

何もしないで見てるだけだと今後の評価に繋がりかねないと思い、楽を選ばず相手に呆れられないように申し出る。

だが、イプシロンは操作する指を下ろさない。粛々と申請操作を続けていた。

「いいよ。此処は俺の名前で通したほうが早い」

「そうなんだ。…ですか」

「ああ。【ジャバフォスタ】はアストリネの優待的通信回線を設けているんだ。本来なら法律を通り承認判定等で一週間を要する申請も、俺なら一時間で済む」

「……つまり。ネルカル…様とかトップなら変わったり?」

「そうならない。これはグラフィスの意向だよ。彼女を始めにその血縁は代々連ねて頑固で強固で厳粛だ。『己を含めて一族に優劣はない』と一点張りで海底ケーブルを建設した時から変わってない。どの代でも他の意見を跳ね除けてる」

質問で返されたのは一族の内情も交わっていた。貴重とも言える。

それを聞いてもいいのだろうかと思う反面、イプシロンが気にした様子を見せないものだから無用のものかと感じ取れた。

「もし機械の性質そのものを組み変えられるとするならヴァイスハイトだけだろう。彼の場合優遇というより、改善ではあるのだろうけど」

「…ヴァイスハイト」

「ああ。二代目から三代目にかけて、世界の文明発展に大きく貢献したアストリネのことだ」

つまり今の世を形成した創世者と例えられる。どんなアストリネなのだろうかと純粋な疑問が湧くが、想像もつけないと吏史は目を伏せた。

「そう!彼のお方のお陰で、我ら【ルド】の政策も順調そのもの!!」

ダインラスの突然会話に割り込む。その荒波が如くの熱意を受けた吏史は肩を揺らして動揺する。

「…今は、俺と吏史が話してるのだが」

「大変失礼しました!しかし!感謝の意を表したくなるものです!人類の幸福をお守り続けるアストリネ様への敬意が止まらない!感慨無量の幸福!公式的な讃美歌がないのが非っっ常に残念ならない!!」

「同僚が申し訳ありません、イプシロン様。どうやら彼とお話しする様で感動を覚えたらしく。……黙らせます」

「では、すぐに頼まれてくれても?」

「承知いたしました」

咆哮か雄叫びをあげそうな勢いで燃え上がるダインラスに反してナターシャとイプシロンの冷ややかだ。

まるで夏と冬、それほど明らかな温度差だ。

零点下の冬纏うナターシャはイプシロンの命に応じたよう首肯しては、集中していなければ見えないであろう速度でダインラスの首を腕で挟むよう掴み抑える。

「ぬぉおおお…!!ぐ、ぬぬ…中々、やるではないか…ぐぅっ」

彼女の逞しい腕による圧迫を経て、ゴキっと太い骨が折れたような不穏な音が鳴ったが、吏史は敢えて気にしないことにした。

「悪いな。騒がしくて。ただ、兵士だとダインラスのような者が多いから早いうちに慣れておいてほしい」

「わかっ…りました」

気になりはするが、気になりはするものの、イプシロンは全然気にしてないのだ。

彼は瞼を伏せて一心に画面を見つめつつ、ゆっくりと指を動かし申請操作を行なっている。その姿勢を真似するべきだろう。

気を取り直すようにも首を横に振り、吏史はイプシロンに一歩近づいてから声をかけた。

「えっと、オレはいつ【ルド】に向かうんですか?」

「申請が終えてからじゃないと、だな。そうでないと区間の移動は法律違反になる。早くても申請から一時間後だ」

――一時間後。

それを承諾するよう頷いてHMTの青色の画面端に見える現時刻を確認する。

9時48分。

「(早くて午前中…)」

区間の移動も三国共同開発により眼を疑うような技術だとは聞いていた。それも含めて期待で体の揺れが生まれ始めてそわつく吏史にイプシロンは申請を進めながら呟く。

「楽しみか?」

「ま、まあ…はい」

「法律が改正されてから人類の移動は簡単に叶うことじゃない。【ルド】と【暁煌】は大海で隔たれている。『門』《ゲート》…光学式移動転移装置を用いなければ戻れないだろう」

陽光を灯す翡翠瞳は感情を見せない、目はものを語らない。だが吏史には意が汲み取れた。

「君は、寂しくないのか。大切な人から離れて行くことが」

最後通達のようなそれは、嫌味ではなく気遣いだ。

イプシロンは真顔ではあるものの、声色は優しい。それに何より――やはり、どこか見覚えのある翡翠瞳は仄かな暖かみが感じられる。

所感は嘘をつかないのだ。間違えることはあれど、第一印象から生まれる正直な感想は重要だ。

イプシロンはすごく強いだろう。だけど、進んで暴力を好む人物には思えない。

だから、拒絶めいた沈黙はしなかった。彼の問いかけに応えるように、手を胸元においてからはっきり言う。

「さっき答えた通りです。オレは、それでもいいと答えました」

「……」

改めて聞き届けたイプシロンは伏せていた瞼を開く。

「そうか。君は思ったよりも子供じゃない、まだ体が小さいだけの大人だな」

「……」

「さて。画面を閉じてくれるか。もう申請は済ませたよ」

完成した申請書を送って処理を終わらせ、イプシロンはHMTから指を離し、吏史に操作面を閉じさせては、未だ無言で戯れているナターシャたちに視線を向けた。

「俺は一度【ルド】に戻る。他の手続きが必要だからだ。承認されるまでの一時間後に戻るが、それまで彼を見ててもらっても?」

ナターシャはダインラスの拘束技を解き、ダインラスは体の痛みを無視してすぐに姿勢を正す。

一種の敬礼のよう胸に手を当てて真っ直ぐな姿勢で頭を下げた。

「はい!お任せを!」

「謹んでお受けいたします。吏史君は私たちに任せてください」

返答を聞いてからイプシロンは背を向けて天幕を出る、何処かへ進み始める。

その背を自然と目で追っていた吏史だが…体全体を飲み込むほど大きな影が差し込んだ。

何事かと影の元を見上げれば、ニッと笑って並びのいい白歯を見せる大男がそこにいる。――ダインラスだ。今、彼は音も立てずに近づいてきたらしい。

ただでさえ近い状態だというのに、更に詰め寄ってきた。

「よし、吏史少年。ゲームをしよう!」

「………ゲーム?」

「そうだ。ゲームだ。此処は娯楽がない、広々とした田んぼしかない。しかしイプシロン様は我々にこの場を預け…いや、お前に構えと仰った。そして私は暇だ!ゲームをしよう!」

激しい主張に追いやられるよう、ジリジリと数歩ほど距離をとってしまう。

その分だけダインラスもにじり寄って距離を詰めるため、吏史は次第に天幕の隅に追いやられていた。

さながら捕食者に袋小路に追いやられる小動物の光景を彷彿とさせる。

窮鼠の構図と陥る前に颯爽とナターシャが間に割り込んでは、ダインラスの足を思いっきり踏みつけた。

「ぐぁ?!」

十五センチ程の高いヒールで踏まれてしまえば、相当な痛みが襲うものだ。

耐えかねて悲鳴をあげて足を抑えるようダインラスが蹲る中、ナターシャは悪びれる様子もなく気遣うよう吏史に声をかける。

「吏史君。無理に付き合わなくていいのよ。ゲームといっても時間で競う耐久マラソンしかしないから、この脳筋は」

「…常に、【ルド】の民は肉体の限界を…突破する必要があるというのに…っ有望の種子の芽を潰そうとするなぞ無粋な真似を…っ」

「黙りなさい。イプシロン様は『見守れ』というニュアンスでの発言だったわ。正しいのは私」

その主張を聞き入れ難いとばかりにダインラスは瞠目しては立ち上がった。

頭一つ分以上の身長差があるナターシャを睨みながら見下ろす。体格による重圧感があり迫力も感じられる。相手を怖気させるには十分な姿だが、緑髪の隙間から見えるナターシャの碧瞳は恐れなく据わるばかりだ。

「兵士としての自覚が薄いようだな。ナターシャ」

「下された命を正しく拝受する暗黙の義務があることを理解していないようね、ダインラス」

かなり馬が合わず、意見や思想も対立し険悪な仲なのだろう。二人の目線のその隙間に火花が散っている幻覚が吏史には見えてしまい、冷たい汗が滲んで伝いそうだった。

こういう時の対処法コミュニケーションは経験もなく必要だと学んでないため、どこにも伸ばせない手を彷徨わせて狼狽えるしかない。

一向にお互い引かぬ状態で目の前の気に入らない相手を威嚇することばかりに熱中する二人を前にして、吏史はあることに気づいてハッと息を呑む。

「(逆に来る予定じゃなかったイプシロンがいなかったら、オレの適性検査もこんな空気感だったのか…?!)」

正直な話。流石に嫌だ。きっと我慢できなくて何かしら不用意な発言をした可能性が高いことが容易に想像できた。

だから、あの時強引さもあった二人に押し出されることなく居座ってくれたイプシロンに対し吏史は内心ですごく感謝の意を抱く。

なんなら好感度も上昇して『強そう』から『ありがたい存在かも』まで評価が変わった。――だけど、現状そのイプシロンはこの場にいないわけで。

空気感が嫌で変えたいなら、吏史が自分でどうにかするしかないのだ。

「――あの!」

吏史は挙手するよう片手をあげてながら主張する。声に反応した二人が振り返り視線がほぼ同時に向けられてきたが、黒と青の双眸による圧に負けぬよう、一度唇を噤んで開く。

「…あのっ【ルド】にはどんな武器があるか、仕事とか知りたい。教えて…ください!」

その申し出を受けた二人は互いに凄み睨むのを中断し、吏史の方を見た。

お互いに顔を合わせた後、ニヤリと笑い合う。

「良い興味だ!自らに合う獲物を探すのは兵士の基本だからな!」

「アストリネ様をはじめ、我々兵士が如何にこの世界平和に貢献しているかをお聞かせますよ」

両腕を力強く交差して豪気するように告げるダインラスに、得意げに微笑むナターシャという軟化した態度を見て、吏史は安堵の息を吐いた。


―――そうして、暫くは二人の話を真面目に傍聴する。

一見金属の棒をおもわしいものを折ったと思えば、組み込まれていた布や節、足が展開されて一つの椅子構築させるという高度技術を目の当たりにして気が弾んだが、二人が話してくれた内容も吏史には大変面白いものだった。


「【ルド】での食事は基本長期保存食が中心となります。区含めて冬が長く平均気温も例年低い傾向にある国ですからね。作物を育てるにしても温室区以外では安定しません。その関係上、猟を自発的に行い自炊できるものが多いですよ」

「専ら肉を焼く!塩と肉、あるいは魚で十分だぞ。少年!」

「それはありえません。ちゃんと【暁煌】から輸入する野菜類もありますよ。安心してください」

環境が異なるが故に大きく変化する食文化。

「万メートルの底の地下に興味はありますか?あまり治安は良いとは言えませんが、興味があるのでしたら見に行くことをお勧めしましょう。私たちの水源となる鍾乳洞エリアもございますので、そこは大変実物です」

「頂に到達できなかった弱き者もわんさかいるが気にするな!ネルカル様は彼らを生かす慈悲をくださっており、天と我ら兵士のために働く者たちでもあるからな!その甲斐あって風の神殿は過ごしやすいぞ!常に適正気温が保たれており、天に到達したものの権利である真の太陽を浴びることができる!」

あくまで軍事関係を基準としてるが故の力関係による優劣に於ける都市の状況。地下街のこと。

「私たちは才覚があったが故に試練を乗り越え到達し兵士となりました。平等的に選ばれた貴方も十五で試練を受けることになるのでしょう。…過酷でしょうが、頑張ってください。アストリネの方々に評価されれば、未成年でも業務に就ける名誉を獲れますので」

「少年なら問題ないな!イプシロン様の弟子として恥じぬ上昇を見せてくれ!」

「……乗り越えれさえすれば、兵士として武器という翼が授かれるのです。貴方の望む通りのものが」

天に昇る兵士と至るまでの過程やその条件《試練》。

そのどれもが珍しくあった好奇心がそそられるものだ。そう言えば、とかつて話されたことを思い出しつつ吏史は気になっていたことを問いかける。

「【ルド】の主区には風に関係する機械があるって、聞いたけど…」

「おお!よく知っているな!そうだ、第一区には一代目ヴァイスハイト様の協力を得て二十八代目ネルカル様が主導の下建設された機械がある。塔とは別に建設されたものだ」

「…塔?」

「第一区の兵士移住区を天たらしめるものです。主軸…、柱…と言えば伝わるでしょうか?」

「えっと、建物を支えてるってこと?」

「その通り!塔は先に話した試練でも関係してるが……それとはまた別。第一区だけでなく他の区を支える巨大な風力発電機の役割も果たしてるのだ。ネルカル様が用いられる異能ありきでもあるが」

「…?」

ダインラスは人差し指を立てて示した。

「少年、風力は何を必要とするかな?」

「……風?」

吏史が考えた通りの答えを提示すれば、肯定の拍手を送る。

「そう、正解だ。ネルカル様の異能。彼女が起こす風で我々は生活できてるとも言える。そして、その件の塔の形状も話すのだが…移住区は横幅に広いから……例えるならば、そうだな。巨大な傘下のようなものだな。最下層地下一万メートル下でも見られるが故に、その地が下層部のもの達に於いて空の代わりとなる」

「……それって……」

ある考えがよぎった。

それは空が見えない下層の者達は不満を持たないのだろうか。見える景色が狭まってることに、不安はないだろうのか。

「……なんか、ないのかな。そうであるのを、思うこととか…」

吏史なりの疑問を抱き呟けば、ナターシャが横槍して素早く答えた。

「疑問は尤もですが、彼等に不満はありません。初めからそうなのも大きく影響してるでしょう。…そもそも『力ある者が自ら空を掴む権利を得られる』。その揺るがぬ信条の下、我が国は成り立っておりますから」

「平等的に生まれたアストリネ様も一度は下層に落とされるらしいからな。今代のネルカル様やディーケ様は十で天に到達したと聞いている。イプシロン様は確か…十二ほどだっただろうか?」

顎に手を当てながら自身の持つ情報を洗うダインラスに対し、ナターシャが咎めるように鋭く睨む。

「年齢なんてどちらでもいいじゃない。その三方まとめて十五になる前に試練をこなした。総じて異例かつ特別よ」

「勘違いされては困る!貶しとらんわ!私は『三光鳥さんこうちょう』が一翼にして最も慈悲深きイプシロン様を敬愛している!!」

「なら、基本表立って出ようとしてないお方なのに簡単に素性を明かした己の浅はかさを反省なさい」

「すまん!我が国の光を少年に自慢したかった!」

そんな一方が咎め噛み合い、真反対の思想を交わす二人のやりとりを瞬きしながら聞いていた吏史は一人納得していた。

だから『他国より機会が多い』とダインラスは宣ったのだろう、と。

アストリネも平等に試練を受ける儀であるなら住処自体を分けている【暁煌】と異なり生活を共にする機会が多い。親しんでいる様子からして、彼らにとってはアストリネは近しい存在に違いない。

「ナターシャ!離してくれんかな!普通に痛いぞ!」

「黙りなさい。この脳筋が」

「…『三光鳥』って何?」

反省の色を見せないダインラスの耳をつねり始めていたナターシャは、手放さないままで吏史から投げられた質問に答える。

「それは…イプシロン様に聞いたらいいと思うわ。かの方と話すきっかけになるから」

そう、後のことを気遣いながらナターシャは好奇心を振り払わないよう軽い説明は施す。

「一応簡単に言うと【ルド】のアストリネの中でも特別な方々ってことよ。他国でもこの三方の存在は影響力が強い。そこは知っている?」

「『管界の六主』までなら…必要だからって、教えてもらってる、…父さんに。だけど、イプシロン…様は初耳かも」

首を捻りながら吏史は答えた。イプシロンは聞いたことがなかったのだと。

それやはり自分の知らないことはまだまだあり、世界が広いことを示すに違いない。そう噛み砕いていれば、あることに興味を持ったらしいナターシャが目を瞬かせた。

「あら。…もしかしてだけど、貴方の鍛錬や知識はお父さんが教えてくれたの?」

「うん!そうだよ、父さんは色々知ってるんだ!」

途端、顔を明るくして嬉しそうに答える様を微笑ましいとばかりにナターシャは開いてる手で口元を覆う。

「ふふ。あら、そう。『恵』には必要のない勉学に励む親も居たのね」

「義務教育制限を撤廃した区を設けるなど、【暁煌】では放任的な意向にあるからな!意思尊重を謳ってはいるようだが、良いことは思えん!心に刻むべき事変に関心を持たず、知らぬままに平和だけを享受なぞあまりに呑気すぎると呆れていたのだよ。だから少年、とても良い親だ!誇るといい!」

耳を引っ張られて顔が傾いたままではあるが、相変わらず元気な調子でダインラスは感心したように吠える。

「…そう言うもの知って、…るんですか?」

『恵』に赴く適性検査に来る立場となると知れるのだろうかと思いながら尋ねれば、両腕を組んだダインラスが手早く答えた。

「ああ!【ルド】の民の兵士となれば、他国の情勢も知れる機会が多い!だから『恵』には期待してなかったのだ!」

ただ、正直に話されても不思議に思うことはまだ残っていた。吏史は思案で目線を上に泳がせそうになりつつもそのまま質問を重ねる。

「さっき人類はそう簡単に移動できないって言ってたのはどう言うこと?」

「仕事となると、また別なのですよ。貴方の場合だとそうなります。公式的な兵士にならないと機会がない。先のイプシロン様はそれを示唆されていたのかと」

ナターシャの説明で納得して、質問はもうないとばかりに口をつぐんだ。


そこで、ダインラスとナターシャはお互い目を合わせる。何かを決めた面持ちで、同時に頷いた後に向き直して口を開いたのはナターシャだった。


「さて、此処からが本題にして我々【ルド】の兵士の真髄。一番の問題かつ主な仕事となることお教えしましょう。…それは、『古烬』の対処にあります。貴方の場合お父さんが教えているだろうけど『古烬』は人類でありながら人類である権利を捨てた欲に塗れた畜生。戦乱を招き平和を乱す、――悪魔のような存在です」

嫌悪感が染み付いた発言に続けて、ダインラスが語気を強めることをやめて真剣な表情で告げる。

「少年に教えておこう。奴らの主な戦力。最大の特徴にして烙印は独特の武器《獲物》にあるらしいのだ」

「最大の、特徴…」

鸚鵡返しして復唱する吏史に頷き、人差し指を立てて片目を閉じながらダインラスはそれを教示した。

「十年前。奴らは尊き始祖の血縁エファムの一族を手にかけたことで、特殊な兵器を編み出すことに成功したらしい。空間具現化にも似た武器とは聞いているが、…詳細はまだ晒せてないが…その兵器でアストリネ様の命を奪われた例がある。これは民衆の混乱を防ぐため、一部の兵士のみが聞いている事実。公的には発表されてないことだ」

「…――――」

「全く、悍ましい獣だと思わんか。『陽黒』『アダマスの悲劇』…そのどれもが許されるものではないと言うのに、まだ罪を重ねるのだよ」

絶句、した。

『古烬』の元に起きた事件については歴史としてサージュに教えられている。多くの人も巻き込まれ、支柱エファムを失う機会となったのだ。世界で一番有名な事件と言っても過言ではない。

アストリネや人類にとって、最も忌むべき事件だったのだ。

「現在、奴らはまだ滅んでいない」

そしてナターシャが本題に入るべく、低い声で呟く。

「しかしあくまで肉体は人の形の獣であるが故に、簡単に紛れられてしまう」

その事実が忌々しいことであると浸透させるような、怨嗟が籠った発言だった。


「アストリネ様の庇護を受けない野獣でありながら兵器を用いて命を狙っている。そのくせ己らが人間として振る舞ってのさばってるのです。故に、我々兵士は各国に潜む彼らを処断することを目的としてるのですよ。あれでも元は人類。同じだった存在の役目として悪い芽を摘もうと使命感を抱くのは必然にして道理でしょう」


兵器。空間具現化。武器。

それら全て説明の中で発言された単語だ、何せ、吏史は『古烬』に関係するよく知らない。

だから、言語化された要素でしかないはずだ。

「(なんで、心臓、うるさいんだろう)」

動悸はやたら激しくなり、警鐘を鳴らすよう重い脈動を打ち苛んでくる。

おかしなことだ。二人には後ろめたいことだってないし、別に怒られることは何もしない。

なのに、どうして悪いことをしてしまったような。叱られる手前のような《《切迫感》》が己に帯び始めてるだろうのか。


――それは、どれだけ思考を巡らせ、何故と反芻させてもなお、理由が分かりそうになかった。


「うん?どうした少年。顔色がよろしくないが」

声をかけてきたダインラスに肩を大きく揺らす。

思わず身を引いて椅子から立ち上がった勢い余ってか、音を立てて椅子が倒れてしまっていた。

「……吏史少年?」

「どうかされましたか?」

ナターシャ含めてとても不思議がられているが、それもそうだろう。何せ吏史も今、自身の気持ちがよくわからない。

黙って、唇を噛んで。首を横に振ってしまうだけだ。

そんな吏史をダインラスは暫く顎を撫でて眺めて悩む。時間を掛けて理由を模索したのだろう。やがて顎に添えられた手が降りて、指先は吏史を指し示す。

「―――少年。もしや、」

己の見解を紡ごうとした。――――だが、その先をダインレスは紡げない。


一拍。衝撃の予兆たる光が、『恵』を、三人が居る天幕内をも包んだ。

それが一体、何を示すか。

経験則から判断したダインラスとナターシャは動く。

即座に、即決的に。此の場に於いて最も守るべき対象に向けて腕を伸ばした。

「少年!」

「吏史君!」

光が引く頃に、吏史は二人という体の壁に覆われる形になり、直ぐに轟音が響く。

それは、鼓膜を大きく破らんとする砲撃に近しい。

激しい暴風が起きた。

瞬間風速は四十m/s以上とあるだろう。猛烈なる風は人の自由を奪い、しなやかさに欠けた脆弱な樹木を折り、建物を破壊する威力がある。

当然、外界とは開放的な天幕にいた三人にも被害は向く。例外はない。

叩きつけるような衝撃とともに天幕の支柱が折れ、その形を崩壊させた。

「いかん!少年!動くな!そのまま目を閉じろ!」

「お願いだから動かないで!貴方を守る義務が私たちにあるのです!」

怒鳴るような急声に恐怖を覚えながらも、指示通りに目を瞑る。

暗い世界が視界を包み、やがて騒々しい音がけたたましく鳴り響く。その合間に微かな苦痛の呻めき声が聞こえた。

それでも身を包む人の身の壁の温かさは引くことはない。荒波が過ぎるのを耐え忍んでるようだった。二人が動くなと指示した以上何も言えず、吏史は目を瞑り続けて待つ。

猛烈な風が止むまで数十秒の間、ひどく長いものに感じれた。


――――――――漸く。風が止んだ感覚を肌で感じ取って、身を動かす。


二人の声は聞こえない。だが、生きてることを示す微かな呼吸音が二つ、耳鳴りが響く鼓膜を揺らした。

数秒の躊躇と葛藤を覚えながら吏史は恐る恐ると、瞼を開ける。

覆い被さっていた際、天幕が崩壊した拍子でどこかしら強打したのだろうか。二人の瞼は重く閉じきっていて、黒と青の彩度…虹彩が見えない。恐らくは気を失ってると判断がついた。

「(なんだろう、鉄臭い、ような)」

嫌な予感を覚えながらも、力が抜けた二人の壁から匍匐前進で這い出る。

天幕は崩壊しているようだ。多くの壊れた物や布が転がっている。

まずは、膝立ちの姿勢を取ってから庇ってくれた二人から確認した。

一見して外傷らしいものが確認できない。髪も肌も制服も赤色に滲んでいない。だが、念を入れて吏史は二人を仰向けに寝かせて呼吸しやすいようにする。だが、そのまま放ってはいけない。

「(……医療機関に、連絡、通さないと)」

昔に教えられた通りにHMTを操作し、人を呼ぼうとした。

「……あ、れ」

――だが、HMTは反応しない。

どれだけ指先で叩くよう押しても、認識対象である角膜を除かせても、画面は暗いままだ。

「――――」

HMTがつかない。今、強く叩きつけたわけではない、外観からして破損したわけではないはずなのに何度押しても同じこと。反応なく沈黙したままだ。

「なんで…?!」

幼い吏史にもわかってしまう。これは異常だ。本来起きないことが、想定外が立て続けに起き始めている。

そもそもあの光だってなんだったのか、判断分析できない。一体何が起こったのか。怒涛の不安が押し寄せて、噛み合わせた歯がカチカチと震えて鳴りそうになった。

「(どうし、よう)」

どうしようか。どうしたらいいのだろう。そう困惑してばかりだ。学を得ても実際経験を積まなければ冷静さは保てない。

危機的状況と困難に見舞われた少年は戸惑うばかりで最善手が浮かばない。

それでも、なんとか考えた。二人の呼吸は浅く、暫し目覚めることはないのだ。多分、おそらく放置するのは危険だろう。

だから、答えを。ここは自分一人で割り出さないといけないのだ。途方に暮れても変化はない。元より頼れる大人はいない。

『君は小さな大人なんだな』

村から旅立つと決めて、進まないといけないのだから。わからなくてもどうにかするしかないのだ。

血の気が引く中で吏史は思いつく。

「……ま、まだ、無事な通信機械…」

別の手段。村のどこかの家で人を訪ねて、HMTが使えるかを尋ねればいい。

今できる最善は、それだけだろう。膝立ちのまま吏史は立ち上がり、『恵』に向けて振り返る。


「ハ、」

拍子で黒髪が揺れ、青と黄色の夏瞳は大きく見開く。蒼然として、息を呑んだ。

視界には一面の黒と赤が映り込んでいた。

豊かな畑の緑は損なわれ、水は枯れている。家は木材が炭化して石灰は形を損ない崩れて落ち、最早それは焼き焦げられた廃墟同然だ。

眼球だけ動かして周囲を見回せば、わかることは家一つ一つが真下から噴火が起きたような惨状に思える。どこからも人の気配は何も感じられない。

ただ、一気に燃焼仕上げた時の残滓だろうか。いくつもの灰が粉雪のように舞い上がっている。

そんな、世界の終わりのような光景が広がっていた。

「…はっ、ハッ…!」

地獄のような光景だ。なのに、一面の光景としてあるから目は背けられない。見続けてるうちに吏史の動悸が激しくなる。

呼吸は痙攣を覚えたように、過呼吸めいた息を漏らした。

全てを燃やし尽くしてない炎が残ってる景色のせいだろうか。

嫌に、ヤケに、喉が熱で焼けるような感覚があって、息の乱れが苦しさが加速するばかりだ。

「ハッ、ハッ、ハーッ、ハーッ…!」

理由はある。精神的にも。吏史にはとある考えが過ぎっていた。

この場所は『恵』の配給の入り口付近に当たる、村の端だ。だけど、見える炎は中央ではない。奥の方で未だ燃えている。

――つまりは反対側の端。住居まで。吏史の家にも炎が出回っているのだろう。

まだ。その方向には家が、家に、残っているではないか。置いて、残してきた。置いていくつもりだった。一度別れを済ませて自由を渡せた筈の相手。


「――」


呼吸が止まる。煩い心臓も、あれだけ動悸が激しかったのに器官としての機能を停止し止まった。

だけど、それも一瞬のこと。

直ぐに、生存欲が働き脳が動かす。のちに理解を拒んでいた意識を抑え込んで右脳が蓋を開ける。

糧たる夢の理由。

そう夢を抱いた、望む形で、彼に褒めてもらいたいという欲を向けた。

吏史の唯一、大事なもの。


「父、さん、」


見送ってくれた家族サージュの笑顔が脳裏に過れば、ブワリと一気に汗線が開き切って冷汗は頬から顎に伝わい、粒となって乾いた地に小さく濡らす。


「父さん!!」

吏史は走り出した。

横になって動けない二人を置いて。

後ろ髪引かれることなく、本能で自分の意思を優先した。

前ばかり見過ぎて足元の石に躓き、転倒仕掛けるものの、それでも出せる全力で疾走する。

黒い地面を踏み抜き蹴り上げ、残火の熱に当てられながらも、ただ、必死に、真っ直ぐに。


『なんともなかった』なんて、慌てて戻ってきたことを笑われる妄想をして、どうかそれが現実であってほしいと願う少年は泣き出す手前のくしゃくしゃな顔で、臭気に満ちた黒い道を進んで行った。



至526年

【ルド】の適性検査中、【暁煌】第十三区『恵』にて『古烬』の襲撃事件が発生。

兵器を用いて擬似的な【陽黒】の再現を行なったものと推測される。

負傷者二名。死傷者四十九名。行方不明者二名の大事件となった。


……… 『古烬』

・「我々こそが人類である。星から降りた怪物の支配に屈することなく、この星の真なる自由を必ず取り戻す。我々は勇敢な狩人だ―― ――シルファール」

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