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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第二章. 落陽の果て、蒼穹に嵐吹く【ルド】
62/63

【落陽】


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡


シルファールの拠点に二十五代目エファムが向かい、討伐を望む

以下の条件いずれかが整い次第、待機担当のアストリネは順次異能使用を決行すること


①エファムの生体反応通知が途絶える

②作戦実行後から百八十分経過

※午後四時を指す

③シルファールが最終兵器を使用する

※ヴァイスハイトが事前に全体通知を行う


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡


頬杖をつきながら通達された作戦を読み終えたローレオンは、怪訝そうな表情を浮かべてHMTの画面を閉じていく。

「………やるせないな」

明確な不満を溢した。


「本当にこれ以外ないのか?これでは……神風特攻にも等しいだろう」

「――そのような甘い雑念は捨てろ。始祖の血脈として正しきことだ。侮辱発言に値するぞ?」

暗闇から投げられた手厳しい返しに、ローレオンは喉奥を詰まらせる。

着用する眼鏡のずれを直してから気を取り直し、反論に出た。

「……雑念ではない。そもそも、イプシロンはこれに納得したのか?」

あまりに冷たい物言いごと非難するよう、眉間に皺を寄せて首を横に振る。

「私は、……納得したとは思えん」

これまで行ってきたイプシロンの奮闘を側から観察していた身としては、到底この作戦を飲むとは思い難い。

ずっと家族であるシェルアレンのために必死に頑張っていたのが、見てよくわかるのだ。


「――逐一、彼奴の意を尋ねる必要もあるまいよ」

声の主に呼応するよう、側に置かれていた燭台が灯る。

映し出された顔は、一見して四十代後半と思しき青髪碧眼の男性だ。


「今頃は何も知らぬまま、我が国で大人しく休んでる頃合いだろう」

皺が刻まれた両眼の目尻に、四つの黒子がある。

身に纏う無駄なき礼服は、主の静謐な知性を形にしたかのようだ。

男性――三十九代目グラフィスはHMTの画面を閉じ、傍に置いた杖を取り上げ、床を鳴らす。

「放っておけ、知ったところで邪魔だ。大した戦力にもならん」

「――なんだと?彼がこの作戦を知らないわけが……」

その横柄すぎる態度が気に障りながらも、ローレオンは耳を疑う。


そもそも前提として、エファムが自己犠牲に等しい作戦に出るのが異常だ。全体的問題と言えるだろう。


「これは、アストリネ全員に関係する。全体周知されて当然の案件だ。……――まさか」

とある可能性に気づいたローレオンは瞠目し、その場から立ち上がる。

拍子で椅子が倒れてしまうが、騒音等は御構い無しに茫然と口を開く。

「……初めから、届かぬようにしたのか?イプシロンには知られないように……!」

食ってかかる物言いに、グラフィスが鼻で笑う。


「証拠は?其はそう推測したが、余が行ったという証拠はあるまい」

「……グラフィス……!家族の問題なんだぞ……!?彼はこの異常な……っ作戦を知るべきではないか……!」

「くだらん情に尾をひっぱらせるな。同じアストリネの六主として恥ずかしい」


ダン!と机に拳が叩きつけられ、卓上の純銀の燭台が大きく揺れる。

「彼はこれまでエファムのために兵器を破壊してきた!本来なら我々が団結して共に解決すべき問題に何度も単身で立ち向かった!多くの人を救ったも同然だ!」

憤怒が溢れてしまう。何故、彼の努力を踏み躙る真似をするのかと。このような理不尽を受けていい筈がないと紡ぐ。

「グラフィス!前線で戦えぬ貴公とて、イプシロンに感謝の念があるだろう!?」

高まる感情に呼応するよう、ローレオンの握り拳の隙間からは彼の異能たる真紅の炎が揺らめく。

反して、グラフィスの瞳は氷点下が如く冷め切っていた。

光届かぬ深海の底を明示するような群青を据えたまま、無言で後方に待機させた無表情の娘を手招く。

持たせていた横長の金属箱を開き、一本の葉巻を手に掴む。


「特にない」

敢えて、ローレオンから漏れ出す炎で葉巻を焚き付けてやった。

「余の代わりに奴らが勝手に動き回っただけ。感謝する道理も感じられないな」

琥珀色の煙が立ち込む中、グラフィスは醒めた眼差しを向けている。

「むしろ、彼方が感謝してほしいものだ。ここまで事を運べたのは間違いなく余の功績だと」

「………っ貴公は、ヴァイスハイトが持つ、情報権利を欲しただけだろうに……!」

苦々しく唸り散らすローレオンの遠吠えを無視し、火がついた葉巻を口に咥えた。

長く吸って肺胞を甘い香りの琥珀色の煙で満たした後、吐き出していく。


「情に揺れるのは結構だがな。余計な真似はするなよ、ローレオン」

その煙を口端から漏らすように、唇を動かした。


「……クオーレ、と言ったか。随分とまあ美味そうな菓子を器用に焼くではないか」

「!」

ローレオンが息を詰まらせ、戦慄く。構わず冷淡に物申す。

「今度、挨拶に伺ってみよう。我が同志を連れてな」

「…………グラフィス……っ……!」

これは遠回しの脅迫だと気付き、眉が吊り上がる。

グラフィスは、『古烬』を疎むアストリネたち一派――『旧き姓』な多くを味方につけているのだ。

彼らと『古烬』であるクオーレと会わせてしまう行為そのものが、一体何に繋がり発展するかは火を見るより明らかだろう。


「全く、情というのは心底下らん。後に其は動けなかったと慙愧して、醜態を晒すのだろうな」


グラフィスの発言を受けたローレオンは、目を眇めて今一度強く炎の拳を叩きつける。

呆気なく机が二つに割れ、炎に包まれた。猛火は昂りを表すように机を灰燼に帰していき、グラフィスとローレオンの間に灰が舞う。


「……だが、情は折れぬ強さを生む。交錯する欲を正すほどの……。其れを、ぞんざいにしたことは……必ず後悔するぞ」

そう嫌厭を隠さず吐き捨てて、ローレオンが足早に部屋を後にした。

客の背を見送ることもせず、グラフィスは悠々と葉巻を再び口にする。


「……ミカエラ。お前が次なるグラフィスを継いだ後、ローレオンの情の根は必ず絶やしておけ」

血の繋がりのみが確かな後継に対し、冷酷に命じていた。


「余らの願いに奴の意思は無用。喪失を与え、反抗の牙を抜くのだぞ」

ある種の目論見にして残酷な指示。だが、それは記録されることはない。

元よりHMTの全体的な管理者はグラフィスにある。真実は深海の底に呑まれるだろう。


「はい。承知いたしました、御父様」

無論、ミカエラも受けた指示に逆らうことなく、優美なカーテシーで応じるのだ。



オルドヌングは己がすべきことを果たすために【ジャバフォスタ】に足を運んだ。

なのに、数日間無駄を過ごしている。


ここまで長い滞在予定は元々なかった。

しかし、対面すべき相手が立て込んでるからと告げられ、客室での待機を余儀なくされている。

「……なんなんだ、一体……」

二日間続けば自然と違和感を抱くものだ。

サージュと連絡がつかない点も相俟って、訝しむには十分すぎる。

「……」

――これ以上は待ってられない。

燻った想いに耐えかねて、オルドヌングは脱走を決行する。


どのタイミングに実行するべきかは、既に決まっていた。

【ジャバフォスタ】の職員たちが帰宅し始め、最も手薄くなる昼過ぎの夕方――


午後四時だ。

その時間帯で脱走すれば狙い通りに巡回も少なく、警備も浅い。

しかしこのまま探索はせず、帰宅を目論む。

サージュは毎日律儀かつ義務的にシェルアレンへ必ず接触するのだ。連絡がつかないならば、その特性を利用して接触すればいいと考えた。

――だが、幸先が悪いことに。


「あら。」

途中、オルドヌングは懐かしい顔と再会を果たす。


「久方ぶりですね。獅子奮迅のご活躍は……おじさまからお伺いしております」

挨拶に合わせて鋼鉄の義手を振り、鴇色髪を揺らしてぎこちない笑顔を浮かべたヴァイオラが告げた。

――桜色の瞳。その虹彩に、オルドヌングと同じ黄金を灯しながら。


「……。これは失礼しました。上手く、笑えなかったようです」

沈黙し硬直するオルドヌングの反応をそのように解釈したのだろう。

自身の硬い頬を揉み込み、笑い直そうと試みる。目をキュッと強く瞑り、パッと瞼を開いてみせた。

「どうでしょう?」

しかし、表情は特段変わってない。

「……いや、別に気にすることでもないし。……変わった点も特にない」

寧ろ、今は笑みすら消えてる。あるのは無だ。

首を横に振ってそう素直に伝えれば、ヴァイオラからはアンニュイな溜息が溢れた。

「ハァ。難しいですね。たとえひとりでも優雅に笑えるようにならねばならぬというのに」

「……それが十八代目の課題というやつか?」

質問を受けたヴァイオラは静かに頷く。

「はい。その通りです。次のアルデとして完璧な淑女のペルソナを身につけなさいというおじさまの課題ですの」

「……そうか。……頑張ってくれ」

随分と変わった題を出すとは思えたがあくまで家庭の事情が故に、オルドヌングが気にかけることではない。

そんな疑問と動揺を心内で留めて労いのみを投げれば、ヴァイオラが小首を傾げる。


「ところで、これからどちらへ?……イプシロンは作戦待機命令が下されてたのでしょう?」

「ん?作戦待機?…………何の話だ?」

「え……………」

聞き返されたヴァイオラが目を瞬かせた。

若干の戸惑いを覚えるよう傾げた頭を横に振り、発言の意味を伝えていく。


「……エファム様が、『古烬』の長シルファールの居場所を特定した、と。本日付けで行われる少数精鋭形式の討伐作戦任務実行にあたり、おじさまも指定区に呼び出されて現場待機されております」


「――――――――――…は?」

オルドヌングは受けた衝撃に息を詰まらせ、溢れんばかりに瞳が瞠目した。


脳内では混乱が生じ、処理が追いつかなくて眩暈まで生まれてしまう。

思わぬ嘔吐感まで湧いて、口元を抑えてしまった。

エファム、エファムが。シルファールの居場所を特定したとなれば、『   』が見つけたのか?

それはこれから己が行うべきだったはず。何故、今更、こうもタイミングを図ったように見つかったのだろう。

「俺は……」

色々巡らせて纏まらずに混乱する思考を振り払うよう、オルドヌングは何度も首を横に振る。

「知らない。知らされてないよ。俺は、その作戦があったことすら、何も」

今、確実に理解できるのは――己が置いて行かれてしまったということだけだ。


「……イプシロン」

ヴァイオラは瞳孔を揺らし逡巡しながら名前を呼ぶ。

無自覚とはいえ己が失言したのは確実で、相手に傷を与えたのも非常にわかりすい。

だから、ここは敢えて唇を開く。隠すことはせずに打ち明かす。

「イプシロン。四代目卿様もこの区で待機しております。今は新たな『門』の実験にあたられてますかと」

転移の異能を持つ者が近くに居ると明かした上で、目を伏せて呟く。


「動くならば急いで下さい。もう作戦は始まってる。……置いて行かれるのも………置いてく方も。とても、寂しいことですから」

ずっと声を震わせて伝えるヴァイオラに、オルドヌングは一つ頷いて返し、己の耳飾り型のHMTを乱暴に掴んで操作する。


『はぁーい。四代目卿でぇす』

「卿!!」

早まる気持ちを堪えきれず、挨拶する余裕もなく怒鳴りつけていた。


『な、なんや急に。こちとら衝撃にしんどい躰やねんぞ………あ?なんや、この地図……『ヤヌス』か?』

「今すぐにこの場所に俺を転移させろ!」

『は?は!?え、ええ?そないなこと急に言われましても…』


惑う返事を卿から受けた瞬間、オルドヌングは据えた瞳を煌めかせる。


「――いいのか?あなたがハーヴァに負担を強いて永続エネルギーの搾取をしてることをローレオン辺りに密告されても」

『ん、なぁ?!おま、おまえさん。なんでそないなこと…!』

「それが嫌なら黙って従え!」

『アホ!従うも何も、もう作戦開始から二時間経っとるわ!向かったとしても色々手遅れやぞ!?』


低く唸るように脅迫することも厭わず、ただ間に合わせることばかりを一心に考えた。

置いてかれた苦しみに浸るはせず、先の喪失を恐れるように。


「手遅れじゃない!勝手に決めつけるな!黙って、俺を『ヤヌス』に送れよ!今すぐに!」

自然と抑えていた感情を荒々しく噴出させて、強制的に物事を動かすのだ。



しかし現実は非情だった。

オルドヌングが転移を果たした頃は全てが終わっていた。

()()()()()()()()、と比喩すべき光景が広がっていたのだ。


大地は枯れていた。

純白の雪が溶けきった焦土。草木が枯れ果てたひび割れた荒野が広がっている。


空は宵闇に飲まれていた。

暗雲より濃い黒曜めいた雲が空を覆い、生臭い油の匂いが香る黒の驟雨が降り注ぐ。


生物たちは皆、総じて死滅していた。

動物も人も何もかもが。木炭のように焼かれきって絶命し切ってる。

かろうじての骨の形と輪郭が、彼らという存在が何であったかだけを示すのみ。


死と終焉に満ちた世界だ。黒き太陽が落ちたような焦熱の暗黒卿(ディストピア)

地獄が今、目の前にある。


「………なん、……で……こんな………」

瞬きを忘れて瞳孔まで溢れんばかりに開き、戦慄したまま絶句する。

風が吹けば金糸を揺らし、鼻につくような臭気と甘い香りでくすぐられた。


やがて、同様に揺れる耳飾り型のHMTが事実のみを通達する。



【陽黒により『ヤヌス』崩壊】



立て続けに報告は行われていく。


【緊急発令】

【スワラン】の汚染深度は深刻。全域を放棄決定。

境界に封鎖ラインを構築。全アストリネは生存者を確保せよ。


「シェルアレ、……!」

無事。いいや、こんな状況で無事と言えるわけがない。期待と信頼に反し失意と慟哭に満ちて心が潰されそうになっていた。

そんな暗澹たる不安を払うように、オルドヌングは装着した手袋を脱ぎ捨てて顕現を起こし、金色の翼へと変えて地を飛び立つ。


【避難警報】

陽黒発生地から半径五十キロメートル以内の者は直ちに脱出せよ。


暗黒の空へ羽ばたいた。

拍子で臭気を吸い込んでしまい、肺を裂かれるような苦痛が走り酷く咳き込んだ。

しかしその程度の不調では引く理由には至らない。

金色の隼は死の骸山を見下ろし、流星の輝きを必死に探し続けていく。


【最終警告】

記録隠蔽不可。早急に人類へ記録通達を行う手続きへ移行せよ。


――だが、見つからない。あの輝きがどこにもない。

暗闇を照らす唯一の、恒星が、どこにもなかった。


途方に暮れることはせずに探し続けていたかったが、体力は消耗していく一方だ。

周囲の空気は視認できるほど濁ってる。より強力な毒として変質し、生物を蝕むのだろうか。

肺の痛さだけではなく徐々に視界にも弊害が出始めて、端から暗くなり始めていた。

ここで、意識を失うわけにはいかない。だが思いに反して――オルドヌングの身体は限界を迎えてしまう。

「ガッ、…ぁ゛!?」

翔けない鳥は地上へ墜落する。

着地態勢も取れず顔や体を枯れ切った大地に打ち付け、派手に転がってしまった。


「――――――ぅ……ッ、……゛……」

動か、ない。呼吸が麻痺、したのだろうか、何もかもが、儘ならない。

「…………………」

弱い咳を漏らし、そこで漸く、冷静になり始めた脳が思案を、紡ぐ。

『ヤヌス』はもうどうしようもない形に、壊れてしまったのだろう。

残された生物全てを汚染するほどまでに。

しかし疑問が浮かぶ。

何故、此処がこのような地獄になったのだろうか?

これもまた、シルファールの起こした兵器によるものなのか――オルドヌングには何も、わからない。

判断材料が、無さすぎた。


「やっぱり来たか。いやぁ、大したバカ者だよ」

熟考に浸るオルドヌングを現実に戻し目覚ますように、頭上から声が掛かる。

唯一まともに動かせる目で、その姿を視認した。


「――ようこそ。シルファール討伐後のヤヌス……死の地(タナト)に」

佇むのは、身に纏う白衣が血に染まり、負った傷が未だ残る満身創痍なサージュ=ヴァイスハイト。

そしてその腕には、とても奇妙な赤ん坊が抱えられていた。


「――――……は?」

オルドヌングはその赤ん坊を、凝視する。

ヒュッと絶えそうな呼吸を晒しつつ、肺を絞り出して声帯を動かし、呟く。

「っ………な、…ぜ……?」

疑問を紡いだ。

何故なら、声も上げずに穏やかな眠りにつく赤ん坊の両腕は『    』と同じ黒骨の手甲が装着されていた。全く不気味で、度し難い。


「………だよね。君は覚えてる側だと思ってた。祝福と……家族関係だった記憶がそうさせてるのかなぁ?」

静かに分析するサージュの言葉もまた、不可解なものだ。オルドヌングは苦しい呼吸を忙しなく繰り返し、動揺ばかり覚えてしまう。

「な、……ん……」

その赤子を見てると、どうにも嫌な予感が胸によぎり、焦燥感で苛まれて仕方ない。

だから、必死に喘ぐようにも尋ねていた。


「そう心配しなくてもいい。シェルアレンは無事だよ。………シェルアレンは、ねぇ?」

「………が、…だけ、じゃ……」

違う。それだけじゃない。何を知っている。シェルアレンの無事は喜ばしいことだが。『    』は、どうしたのか。

そう、訴えるように睨んでもサージュには微塵も伝わらない。

「んー……………」

寧ろ、面倒くさいと思う感情を表に出して頬を掻く。

心が読めないのも勿論あるが、興味関心がないものには無頓着を極めていたのだ。

「………ま、いっか。君が此処で放置で殺してもいいが、その時じゃない。だからここは……生かしてあげようじゃあないか」

そうした判断を打ち明かしたサージュが、動かぬオルドヌングに対し手を伸ばす。

「……っ、!」

耳にかけるような仕草の後、口元を覆うマスク状の機械が装着されて効果は発揮された。

その機械の主な能力は酸素供給らしい。

先まで詰まっていた呼吸が、途端にしやすくなっていた。

呼吸が自由になったので必死に繰り返すオルドヌングに、サージュは流れるように耳飾りのHMTに触れていく。巧みに操作して作業する。


「………うん。これでよし。緊急信号送っといたよ。あと五分で迎えが来て助かるだろう。よかったねぇ〜」

後は何もすることはないと判断したサージュは後を去ろうとした。

「………っ、ま…!」

オルドヌングは慌てて身を起こそうとするが一歩も動けず、後を追うことは叶わない。


「……ま、……で………!」

「後処理は済ませてるよ。これ以上の侵食は起きないとも。ま、仕上げはカフラによろしく」

「そ、ぅ、ゆ………こと、…で、……は……」


匍匐前進すら行える体力が今のオルドヌングに残されてなかった。

震える手を伸ばしても無意味。サージュを止められない。背を向けられたまま、立ち去られてしまう。


「……待……て……っよ………サー…ジュ…!」

せめて心を、覗こうとした。最後の抵抗とばかりに。

この男が事の真相を知らないわけがない、そう踏み切って。


「……ぅ゛あ゛……!?ッ、ぁ、…ぁあぁ゛…!」

――だが、オルドヌングには強烈な衝動が襲う。


突如、頭を金槌で殴られたような痛みが走ったのだ。

頭蓋骨が割れるような頭痛に苛まれるだけでは済まされない。

脳内にはいくつもの言葉が羅列として駆け巡り、衝突を繰り返し混じり合うことなく混雑していく。



◾️◾️存在せず◾️も◾️◾️◾️僕が、◾️◾️◾️ヴァイスハイ◾️の矜持◾️役割◾️持って◾️◾️◾️に生ま◾️◾️意◾️絶◾️に◾️◾️――『完成させてみせる』



声という声が積み重なった状態だ。混沌としたそれを決して読み解けない。まるで、メチャクチャな数式を広げられたような暴力的な情報だった。

それらが急速に回り巡り流れていくものだから、当然――脳の許容を超える。

まともに動けぬ体で、地面でのたうち回った。

悶え苦しみ、耐えかねるように生理的な涙が溢れる顔を腕で、翼で覆い、身を縮こませてしまう。


『あーあ。僕の心を覗くなって、ちゃんと忠告して教えてあげたのにねぇ。まぁでも、せっかくだ。追加でいいことを教えてあげよう』

こうなることすらわかり切っていたような深層心理の声が、悪戯をせせら笑うようにも教示を施す。


『君の異能の真髄は心を覗き、掌握することではない。支配ではなく守護に想いが沿っただろう?』


――オルドヌングの意識が糸切れるように閉じゆく間際にて、言葉の露が落とされていた。



カツン、と硬い杖先が床を鳴らす音で意識が揺さぶられて、オルドヌングは薄目を開く。

指一本も動かせぬ状況で、視線だけ動かす。

『エンブリオ』と思しき薄殻めいた半透明な壁の向こうでは、大海の群青が見えていた。

「………」

目が合わさった瞬間、三十九代目グラフィスが僅かに口を開く。


「ヴァイスハイトから贈られた浄化装置の恩恵があったとはいえ、『タナト』から生き延びるとはな、多少は見直した。――だが、もはや限界だろう。今後は前線に立たぬ方が望ましい」

記された書を読み上げるように、単調で感情籠らぬ言葉が流れていく。

「イプシロン。慈悲深き余が其に名誉ある役目を直接与えてやろう」

重傷者に対して様子を伺い、気遣って尋ねることもしない。グラフィスは定められた決定事項のみを一方的に押し付ける。


「三十代目ネルカルが産まれた。其が教育係として任につけ。これは六主と旧き姓による決定である。覆ることはない」


「……!…っ、…!」

巫山戯るな、と叫びたい衝動がオルドヌングの喉奥から湧いた。

それは実質、責任の枷。相手が六主のネルカルとなれば【ルド】への強制配属となるではないか。

これから先は『    』のことを最優先に探すべきだ。せめて、一応家族ではある彼が戻ってくるまで、己がシェルアレンの側にあるべきだろう。

しかしこの男は引き離すような真似を働こうとしてる。

「――――――!――――」

だが、オルドヌングは目を眇めることしかできない。

歯噛みする動作も儘ならず、吐けるのは浅く短い呼吸だけだった。


「ちょうど良い。シルファールの討伐が終えて、其の帰る場所は何処にもないのだ。……地獄と化したのをその目で見ただろう?」

指摘に口を開き、押し黙る。その様をグラフィスは冷淡に見下ろす。


「素直に表舞台から下がり、ネルカルの育て役に徹するといい。安心しろ、シェルアレン様には余が仕える。――悪いようにはしないとも」

この時、オルドヌングは理解した。

かつて『   』が強行突破を望んだ理由、唾棄すべき我欲。

私利私欲を満たすことのみを目論む強欲の筆頭格は、――グラフィスだった。


「躾はとうに済んだ()()の方が色んな意味で使い勝手が良い」

己こそが神だと驕り高ぶり道理も反論も通じないからこそ、『   』は暴力で強引に破壊するしかないと選んだのだろう。

未来を掴む為にも全てを滅するしか、なかったのだ。


「安寧の為に使い尽くすとも」


脳裏に浮かぶ『    』は、遠くを見据えて真顔で佇んでいる。

その姿に何とも言葉にし難い心苦しさを溢れさせながら、理解しようとせず敵愾心を向けたことへの猛省の念を込めて瞼を閉じた。


◾️


整理整頓がされた書斎の机上には、青色のホログラムがカレンダーを映していた。

その画面を睨みつけるよう注視する、群青瞳の男が居る。

「……ネルカルの血族へ恩は売れた。このままディーケとも話をつけて、奴を【ルド】へ正式配属を下さねば。……下手にメカリナンに目をつけられない程のいい理由が必要だな」

独り言を紡ぎ行き、先々の予定を埋めていく。

「余の思い通りになるうちに、全てを盤石にし、片す」

最大の脅威と危惧していたヴァイスハイトが不在である内が、絶好のチャンス。

邪魔されないようにと性急に事を運び目論むグラフィスに、音もなく水入りのグラスが差し出される。

「……お冷です、お父様」

横目で視認すれば、相手は娘であるミカエラだった。

指定した時間通りに義務的な配膳を行ったのだろう。

グラフィスは息を吐く。労うこともなく無言でグラスを取り、施された水を嚥下した。


直ぐに意識を画面へと戻す。


「………お父様。不躾ながら、私から意を申し立ててもよろしいでしょうか?」

「む?」

片眉を吊り上げて、申し出に訝しむ。

このように意見を口にするよう躾けたつもりはない。普段ならば無用だと跳ね除けたが―――。


「良い。四十代目として言うべきだと思うならば、話してみよ」


グラフィスは敢えてそれを許した。

自分の計画に狂いはない、その自負がある。誰であろうと干渉させるつもりもないが、相手は万全にして完全に育てた(継承者)だった。

慧眼を持って発言するのが当然だと判断し、気まぐれも兼ねて耳を傾けていく。

「ありがとうございます、お父様」

感謝を述べた上で、娘は口を開く。


()()()()()()()()()()()、かと。私からすればイプシロンは、異常者です。シェルアレン様のために命を賭す覚悟が若くして出来上がってる。心を折って飼い殺すなら……三手の承認が必要かと。如何でしょうか?」

提案された内容に感心を抱くよう、グラフィスは無意識に顎を撫でる。


「ふむ…ならばミカエラ。イプシロンも汝が躾けてみるか?」


自身が施したこれまでの教育は疑ってはない。

故に、グラフィスは彼女が其処まで申し立てるのならば、既にどうするべきかも思案してるのだろうと見做している。

「其方のいう三つの承認もくれてやる。__余に利があることなのだろう?」

「ええ、その通りです。お父様」

確信して言い返す父親に対しミカエラは己が胸元に手を添えて、首肯する。


「十三日後に行われる集会までに必ずや、イプシロンを落としてみせます。――全ては大海の願いが為に」

グラフィスを象徴する群青の双眸は、弧を描くようにも僅かに緩んでいた。





【アダマスの悲劇まで 残り13日】


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