【天理】
【スワラン】――第一区『ステラ』。
此処は他の区に比べ、内陸部の平均気温は摂氏マイナス五十五度となる極寒の地。
南極点に最も近いため、白夜もある。正に日が沈まぬ純白の地域だと呼称できるだろう。
また、その区では棲まう生物が少ない。
極限環境に適応した微生物か、沿岸部に生息するペンギンやアザラシ、シロクマなど寒冷に慣れ育った生物が通るのみ。
人類が住まうのに向いてない地区が故に、未踏の地に等しい。
――というのが、この世界の共通認識にして常識である。
「今日はね、とある村に案内するつもり。其処を守ってる樹………お世話になってるお爺ちゃんを紹介したいんだ」
極地用の防寒具を纏い『ステラ』を進む最中。
シェルアレンからそのように告げられたオルドヌングだが、まず真っ先に己の耳を疑った。
「………良く聞こえなかった。もう一回、言ってもらえないか?」
遂に味覚だけでなく聴覚まで衰えてしまったのかとマイナス面で捉えてしまい、人差し指を立てては復唱を申し出たが、シェルアレンは目を瞬かせる。
「もう一回って……別に嘘じゃないんだよ?『ステラ』の氷底から入れる村があって、其処を守る樹が、お爺ちゃんが居て」
「はぁ……うん。そうか……」
「本当なんだって!まあ、うん。でも、この情報はエファム以外ならカフラとグラフィスしか知らないし……鵜呑みできなくても仕方ないかも。兎に角見たらわかるから、着いてきて」
そう気を切り替えたシェルアレンが氷床の亀裂の下――数十メートル下の湖の底へ降りていく。
氷壁を蹴り上げるように左右に渡った動きに追従し、オルドヌングも難なくこなす。
先んじて見本を得たようなものだ。造作もなく着地まで熟せば、見届けていたシェルアレンが軽い拍手を送る。
「ほんと、私がちゃんと見れてなかったうちに逞しくなったよね。……申し訳ないかも」
「……?シェルアレンがそう思う必要は別にないんじゃないか?」
「それもそうかもしれないけど……」
返しを受けたシェルアレンは何処か複雑そうに目を伏せて、すぐに微笑みで誤魔化した。
「――ううん。ごめん、気にしないでね。とりあえず先に行こっか」
無理に話題を切り替えられたことへの違和感を持ちつつもオルドヌングは言及せず、後をついていく。
「……その村自体は特別なもので、住まう者たちも変わってるのか?」
代わりに、すぐ後ろに並んでから別の話題を振った。
「そう……だね。温暖気候でしか育たない花があるように彼等もまた『大樹』から生まれたアストリネ、『ビルダ』の加護がないと生きていけない子たちだよ」
「――ビルダ?」
オルドヌングは目を丸くして瞬かせ、すぐに神妙な表情に戻す。
「……ビルダ……共通語を冠するアストリネか。存在したのか……」
己は長らくアストリネとして兵器破壊に勤しみ奔走し続けてきたが、そのような覚えやすい姓名は噂でも聞くことがなかったのだ。
これまでの記憶を掘り返しても、やはり、覚えがない。
「……うん。聞いたことない。ここまで馴染み深い姓を持つなら、六主やカフラのように歴史に載っていてもおかしくないんじゃないのか?」
不思議なことだと腕を組み顎に手を宛てがって思案する横で、シェルアレンが同意するようにも頷く。
「その疑問はご尤も。だけど、存在しているのが事実で……秘匿されてるんだよ」
「………秘匿に……?」
後に難しい顔を浮かべ、すぐ横にある氷の絶壁を見上げる。不純物がない純水で作られた透明な氷は渡る者たちの姿を透過していた。
「――そう、秘密にされてる。これは歴史が誰かに作られてるって示しなんだろうね」
その深刻さすら感じられる返しに、オルドヌングは面持ちを固くする。
「……でも。それは誰が、何の目的で?」
内心では若干の動揺を覚えつつ険しい表情を浮かべて慎重に訪ねれば、途端にシェルアレンは遠い目で天を仰いだ。
「あー、いや……それが。ビルダ爺の場合は、『俗世から離れて引きこもりたかった』。から、みたいで……」
「………そうか。……」
あまりに心底しょうもない理由と言える。
思わずオルドヌングも目を横に泳がせてしまい、なんともいえない気持ちを胸中で抱え込むよう押し黙る他なかった。
◆
そんな対話を交えつつ、氷床の底を歩き続けて数十分ほど経過する。
「あっ。あったあった。ほら、こっち」
漸く目的の場所を見つけたらしい。
シェルアレンは早足でその場所へと進み、ある場所の前で立ち止まってからオルドヌングを手招いた。
誘われるようにオルドヌングは大股で距離を詰め、案内された氷壁を前にする。
そして目の当たりにした光景に驚愕で目を瞠り、そのまま食い入るようにも凝視した。
「……なんだ?……光ってる……?」
氷壁に、緑光が灯っているのだ。
脈を打つような点滅を繰り返しており、明らかな異質さを現してる。
「ここがこの先入るべき扉になります。因みに開き方は、こう」
その壁に対して、シェルアレンは白珠めいた手甲じみた顕現を行った手で軽く触れる。
――瞬間、緑光は強まり一辺を緑へ染め上げてきた。
「…っ!」
咄嗟にオルドヌングが目を庇うよう腕で覆う動作をするも、すぐに光の激しさは収まっていく。
「……は?!」
眩さ自体は引いたものの、今度は氷壁に楕円状の光輪が生まれたため、呆気に取られてしまうのだ。
「……なん、…だこれは……」
開いた白光の虚空は開門を示すように口を広げてる。揺らめく様も、陽炎を想起させた。
「……卿が編む『門』とは、また違う……?」
「うん。これも同じ異能だね。そして私たちはこの先に進む必要がある。一定以上のアストリネを飲まないと閉じれない原理みたい」
「一定以上……?どういう原理なんだ、それ」
顕現化を止めて人の形へと直し、手袋を付け直したシェルアレンは受けた問いを熟考するようにも首を傾ける。
「んー……多分、穴埋めとか、充填に近いのかも?空いたことに変わりがないから詰めないといけないのかもね。ともかく特別なものだから……」
確証もない曖昧な推測で返してから、オルドヌングへ手を差し出した。
「……うん?」
唐突すぎる行動だ。白い革手袋の掌とシェルアレンを交互に見れば、催促するようにも手招かれる。
「ビルダとティアによる合作異能は、エファムの系譜以外は入れない。特例自体はあるけど、それも直接彼らと会わないと貰えない。だからこうするの」
シェルアレンはニッコリと微笑んで、オルドヌングと触れ合う寸前まで手を伸ばした。
「私と手を繋いで?そうじゃないと、オルドが極光に耐えきれない。宇宙で氷が気体となるように……かき消されてしまうから」
結論、これは必要な接触だ。
そう理解できたオルドヌングが、手を重ねるように触れていく。
「これでいいか?」
手袋越しでも消えない傷の感覚は伝わるだろう。大事な相手を不快にさせるわけには、いかない。
そのようにシェルアレンを思いやり、気遣った結果だ。
――しかし、シェルアレンは無遠慮に手を掴む形で応える。
「っちょ、おい!?」
かなり強い力だった。
そのまま引っ張られてしまえばオルドヌングでも碌に抵抗もできず、白き空間に引き摺られてしまう。
「流石に強引すぎ、―――……ッ!」
文句を言いかけたオルドヌングを呑むのは、恒星に飲まれるような極光だ。
思わず目を瞑ってしまう。だが、その強烈な光は最早凶器。瞼程度なぞ容易に貫通し、視覚を苛んで来る。
それだけでない。奇妙なことに今は踏み締める地の感覚もなかった。今や己が浮いてるのか、直立してるのか認識まで曖昧だ。
確かなのは――繋いでる手だけ。
「シェル、……シェルアレン!これは一体……!?」
「大丈夫〜!これが先の話してたこと!不法侵入されないよう外敵を払う防衛機能が働いてるだけ。すぐに終わるよ〜!」
シェルアレンの宣言通りその『すぐ』が果たされて、暖かな突風がオルドヌングの髪を巻き上げていく。
「……!……?」
巡るましい情報量に気が動転しそうになるが、一先ず息を吐いて落ち着かせた。
足元の感覚は、今は確かだ。角膜を刺すようなあの眩しさも感じられない。
ただ、安全な場所に着地したという実感も得られないせいで、どうにも漠然とした不安が拭えないでいた。
「もう、目を開けてもいいよ」
踏み出すことを躊躇うオルドヌングにシェルアレンは優しく声をかける。
小さく頷き、その言葉を信じるようにも恐る恐ると慎重に瞼を開く。
そうして視界に映る光景に息を呑んだ。
――広がるのは、虹色に煌めく幻想卿。
瑩徹の結晶が形成するは豊かな木々。それらは連なり森としてある。
そして、どの木々にも鮮やかな七色に輝く潤輝の実が結ばれていた。
その林檎を想起させる実が一つ、風に揺られる形で自然と小川へ落ちてゆく。
水面と触れたと同時に凛と鈴音を奏で、実は水に溶けて行き、七色の光輪という波紋を広げるのだ。
また幻想卿と思わせる要素は、煌めく結晶の森だけではない。
空もまた、そう評価ざるを得ない景色である。
朝の青と夜の紺が混在していたのだ。
決して交わらぬはずの月と太陽が、雲無き空にて並行して浮かぶ。
陰陽めいた空に在る星は、蒼穹と夜空を跨ぐ流れる銀河を紡ぎ、燦爛と煌めいた。
「………なんだ。ここ」
「んー。特に名前は決まってないみたい。因みに、此処は通信も届かないんだよ。時の流れがない空間みたいだから、なのかも」
百聞は一見にしかず。シェルアレンは繋いだ手を離しつつ己の羽形の耳飾り――HMTへ触れる。
何度か指で強く押していたが、何も反応を示さない。壊れてしまったように黙するのみだ。
「ね?点かないでしょ?」
「……通信が効かないってことか?それはそれで……不味いだろ」
「でもこんなところにまでサージュに追われて知られたくないし……正直、安心要素といいますか……」
「そうか?サージュさんなら別に話してなくても、君のことを全て勝手に把握して………ぁ……」
「……………」
わかりやすく不機嫌を顔に露わにしたシェルアレンの表情が、暗雲立ちこみ曇ってゆく。
「ごめん。ここではあんまり考えたくない」
やつれたように微かに微笑むシェルアレンを見かねて、オルドヌングは閉口せざるを得なかった。
「…………シェルアレン……」
――不意に、嗄れた老人の声が響き渡る。
名を呼ばれたシェルアレンは暗い表情を取り払い、その場で佇む。
その反応を奇妙に思いつつもオルドヌングは近づく何かの気配を感じ、身を強張らせていた。
「……シェルアレン、かや?」
やがて、嗄れた声の元となる存在が姿を現す。まるで地を這う蛇のように結晶の樹――その根先が現れるのだ。
「ッ!新たな兵器か…!?」
咄嗟に接敵だと判断したオルドヌングが、シェルアレンの前へ割り込むように踊り出る。
片足を上げて、脚甲に仕込んだ武器を向けようとした。
「待って。オルド、大丈夫だよ」
「…?!」
そこでシェルアレンが、手を引く形で制止する。
制止されるとは微塵も思わなかったオルドヌングは息を呑んで、目を瞠った。
「は…!?な、何故止めるんだ……!?」
「これは兵器じゃないんだよ。さっき話したお爺ちゃん……ビルダの本体なんだ」
「…………は?…………え?これが、ビルダの……」
とんだ情報だ。オルドヌングは呆気に取られて口を開いたまま閉じれない。
「うん。そうだよ。ちょっと……待っててね……」
その困惑を横目に、シェルアレンは根先へ向き直り、手を振って気さくに話しかける。
「久しぶり、ビルダ爺」
「………はっ!?」
思わず瞠目し素っ頓狂な声を上げるほど、オルドヌングは大きな衝撃を受けた。
この根先が、共通語名を冠するアストリネ……『ビルダ』なのだと。
人型ではなく動物姿のアストリネも存在してるとはいえ、草木――樹木の姿を持つ姿をする者は聞いたこともなければ、初見。
俄か信じ難く、受け入れ辛い。こうして直面しても事実だと簡単に飲み込めずにいた。
「おお。その羊毛のように柔らかな態度と清流めいた透き通る声………やはり、シェルアレンかぁ。久しいのぉ。……ええっと。お主がここに来るのは……何年振りだったかな」
「んー、大体……十年くらい」
「おやおや。おやぁ、そうかぁ。だからこんなに大きくなったのだねぇ」
子を慈しみ、愛でるように。根先がシェルアレンの頭を撫で回す。
束ねた髪が乱れるが、シェルアレンは特段気にすることなく目元を緩めて受け入れた。
「ところで……隣の少年はどなた様かな?ふむ。……所謂、美形とやらに該当しそうな造形をしておるが……」
一頻り撫で回した後に、ビルダがオルドヌングに注目する。
「……俺は、」
急な注視に戸惑い逡巡しつつも、ひとまず自己紹介をすべきだと開口して答えようとした。
「―――――ハァァア……!?」
だがオルドヌングが紡ぐより先に、ビルダは雷を受けたような天啓を受ける。
荒げた声を上げて痙攣した後に、根先をオルドヌングとシェルアレンの間に割り込んでから尋ねていた。
「……ま、まさか。お主も…‥数年前の『 』とカフラ嬢のように、わしに結婚予定の報告を…しにきて……!?」
「先に『 』が話してると思うけどこの子はディーケの系譜。私たちが引き取ったんだよ。紆余曲折経て別の異能に覚醒してるけどね。家族ってところ―――だよね?」
ニッコリとシェルアレンに微笑まれたオルドヌングは、何度か目を瞬かせる。
「ああ、そうだな。俺たちは家族だよ」
それに対して平然と答えた。
二十五代目エファムたちが、オルドヌングの保護者的立ち位置だ。
もし関係性に何かしらの名前をつけるのなら、家族が最適だろう。
『 』とは多少思想の違いで関係が歪んでいても、そうあること自体は間違いない。
異論はないことだと深く頷き、同意を示す。
「ああ……そう、なのね。……そう………」
返答の後で謎に落胆を示すよう、ビルダの根先が俯くように下がってしまう。
「ビルダ爺」
そんなビルダの根を軽く手で叩き、シェルアレンが先へ促した。
「とりあえず、オルドヌングに彼らと会わさせてよ。それと今後……ここを通る許可も与えてほしい」
「……?彼等に会わせることは自体は一向に構わんが……通過許可を、かえ?」
「何か問題でも?」
「いいやぁ。無いには無いが……質問が必要じゃの」
話が進むのを見届けているオルドヌングに、ビルダが根先を向ける。
「――いくつか、聞こう」
眼前にまで切っ先を突きつけられ、詰問じみた形で問われゆく。
「もし、争いが生まれぬ平穏を成すなら。何を無くすべきだと思うかな」
あまりに唐突すぎる問答だ。戸惑いこそは生まれたものの、前を向いて意を紡ぐ。
「俺なら“理不尽”を消す」
もしもがあるのならば、これで間違いないと示した。
名を冠するだけで責任や咎が付き纏う。ならばそれを消せれば、きっと傷つかないはずだ。
自分だけでない。『 』もが抱え込んでしまった悩みも解決するだろうと。
「……ふむ。それについてだが、全ての心を消すのが有効だ。心理操作の異能を持つお主ならば可能だろう?」
それに対し、ビルダは疑問を重ねていく。
「何故、お主はそれをしない?」
根先を翡翠瞳に突きつけたまま、問い詰めた。
「願うのなら、何もかも思い通りに消せるだろう。何故そうしない、出来ないのか?」
「――――」
そこで、オルドヌングはビルダの意図を理解する。
恐らくビルダは己の異能をどう扱うのか問うてるのだ。
あまりにも直近の問題ではあるが、もう、既にどうするかは心に決めている。
だからオルドヌングは真っ直ぐに答えた。
「違う、できるよ。そうすることで大事なものを護れるのなら………異能を使う」
あれだけ思い悩み、踏み出す事へ躊躇を覚えたというのに。言葉にしてしまえば気管に詰まることなくストン、と心に落ちてゆく感覚がした。
「――――なるほど、なるほど。いいんじゃないかな」
ただ、問うたビルダはオルドヌングを否定しない。
寧ろ危うい正義感を垣間見れたと満足げに頷くよう、根先を上下させては肯定する。
「罪悪感に苛まれながらも、一途を貫こうとする姿勢は大変好ましい。まあまあ気に入ったよ――ほれ、わしはお前にやるとしよう」
根は蛇のように畝り、瞬時にオルドヌングの首を覆う。
ある種の首輪のようだと思った瞬間――世界が白に染まっていた。
「ッ、ぅぐ…!?」
網膜を、直接レーザーで焼かれたようだ。
そんな内側から起こされる痛みに耐えかねてオルドヌングは目を強く瞑り、目尻から生理的な涙を溢れさせてしまう。
「オルド!?……ビルダ爺?何をしたの?」
「待て、そうすぐ怒るな。ここはな、お主の祝福だと箔をつけなければならん」
声に圧を乗せて凄むシェルアレンに慌てたビルダが説明していく横で、オルドヌングに走る目の痛みの波は徐々に引き始めていく。
顔を横に振り息を吐き、後に瞼をゆっくりと開いた。
「――………え?これって……」
シェルアレンは目を丸くして、惚けてしまう。
翡翠に黄金の太陽が刻まれるように、双眸の虹彩が染められていたからだ。
「鏤脳の麗、証にして祝福じゃ。心理を読み解けるものなら一番効果を実感し、合うものだろう。今後、此奴は欲求を抑制される。――代わりに、真に愛するべきものしか見えないようになるようにな」
「え?それはやりすぎじゃ……」
「いいや。完全に馴染めば、初めから見なくていい醜き心をも分別できるようになる。それ自体は決して悪いことじゃあない」
一度は不満を口に仕掛けたシェルアレンをそう宣うことで、強引に納得させたビルダ。
しかし彼の発言はこれで終わることなく、更に提示し続けられた。
「じゃが、ここを渡る条件を設ける。――『シェルアレンのみを想う限り』だ。もし、資格をなくても完全剥奪までする意地悪はしない、だが………」
もしそうなれば、と。
根先は複雑に交錯する未来を暗示するように、オルドヌングの首元に絡んだままで忠告を紡ぐ。
「ゆめ忘れること勿れ。全てを捨てるまで、お主は許されんぞ」
下された判決に対し、シェルアレンが不満を示すように眉根を寄せて首を傾けた。
「ねぇ。ビルダ爺?どうして一方的に痛い思いさせておいて……制限まで設けるの?ちょっと、意味わかんないかな?」
「これでもお主に免じてかなーり譲歩した決定じゃぞ!?」
詰め寄るシェルアレンにビルダは根先を立てて返す中で、息を整えて落ち着かせたオルドヌングが怪訝そうな表情を向ける。
「……貴方はいずれ、俺がそうなるって予感をしてるのか?」
権限云々の問題ではない。
この先、オルドヌングがシェルアレンを見捨てる未来を予期するような物言いが気に障る。
開示させるべく揺れる根先を横目で据えて問えば、喉を鳴らすようにビルダが笑い始めた。
「そりゃそうじゃ!口先だけが立派で自分の異能を活用しないのなら、信用するわけがない」
そうしてビルダはシェルアレンに敢えて聞こえない声量で密やかに囁く。
「献身を享受する世に疲弊した『 』は改革を望み、シェルアレンは進化を望んだぞ。お主も後悔したくないなら、先の選択を間違えないことだな」
高みから見物に洒落込んで、全てを等閑視する物言いだ。オルドヌングの眉間の皺は深まっていた。
「こら、ビルダ爺」
漂い始めた不穏な空気を祓うよう、ビルダの根先をシェルアレンが手掴みする。
「若者弄りは、そこまでにしなさい」
後に満面の笑みで手首を回し、ビルダ自身も強く捻じ曲げた。
「あだだだだだだ!?こら、こら!戯れるにしても加減、加減なさい!」
ミシミシと木繊維が悲鳴を上げるような音がビルダから立ち、陸に上げられた魚が跳ねるように根先が蠢くがシェルアレンの力は緩和されない。
「でも悪癖は咎めないと……」
「いや、弄っとらん!わしはな!此奴を特別扱いせんと決めとるんじゃ!寧ろお主がこの小僧を選んだ理由を言いなさい!」
「え?……私としてはオルドがこの空間を行き来できるようになったら、窮地に陥った時の緊急避難先としてすごく便利かな〜って」
「ばっかもーん!この神聖なる場所を地下シェルター的な扱いをするんじゃぬぁーい!!」
怒鳴るビルダに対し、シェルアレンは冷め切った目を向けた。
「……昔はその扱いでいいって言ってくれたじゃない。私たちに『逃げ場所にしていい』ってさ。――それ、嘘だったの?」
「そっ、れは………………」
過去の自分の教えを出されてしまったビルダは勢いが削がれて吃り始めて、しなだれるように根先が下を向いていた。
シェルアレンはそれ以上の追撃をしない。パッと掌を広げて捻る拘束を解放する。
「ごめんね。もう行こ」
さりげなくオルドヌングの手を掴み引き、次なる場所へ向かい始めた。
「意地悪なお爺ちゃんの言うことは忘れてね〜次見れるものは、だいぶ癒されるだろうからさ。安心してよ」
「……………こ、これ。待ちなさい。わしが案内するから…」
弱い引き留めを図るビルダに、シェルアレンは綺麗すぎる微笑みを浮かべる。
「だーめ。オルドと積もるお話もしたいから、ビルダ爺はついてこないで」
「そ、それなら、空気読んで離れておくから別にいいだろう。なぜそうわしを除け者に……」
「…………一番の理由はね、ビルダ爺から聞こえる氷が削れるような音がして、ちょっと。――蚊の羽音みたいでやや不快かな」
ビルダが地面にのの字を描き始めて黙ってしまったが、シェルアレンは構わず先へ進む。
オルドヌングはビルダに対し憐憫の眼差しを向けていたが、後ろ髪を引かれることはなく前方へ向き直す。
「本当に良かったのか?」
念を兼ねてそう問いかければ、シェルアレンは開いた手で横に振って返した。
「いいのいいの。あのくらい強く言わないと、勝手に話に割り込んでくるよ」
「そうか…………」
頷いた後、白銀髪を鬣のように揺らして進む背中を眺めていた。
――ふと、そこでオルドヌングは感じ取れてしまう。
心理干渉の異能だと意思ある生物の感情の機微に鋭敏な点があったのだ。
だから、気づいてしまった。
激情で脈拍と熱が高まった手を緩く握り返し、口を開く。
「――怒ってるなら、無理に笑わなくてもいいよ」
少しの間を開けて、忿懣していることを指摘されたシェルアレンは笑い上げた。
「……そんなことないですよ〜」
誤魔化されたのだろう。強張りを感じた手からオルドヌングは、相手の意を汲み取れる。
だからそれ以上の追及を行うなぞ無粋な真似をしなかった。
そもそも心は本来、誰に暴かれるべきではない。
皆、不満や本音を良心で包み隠して誤魔化し生きている。
話したくないならば、秘匿にされるべきだろう。
「そうか」
オルドヌングは何も見ないよう、瞼を閉ざすのだ。




