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そうして一つの約束を交わしてから、二人は森を抜けて帰宅した。
来た道を辿った帰路だったが、運良く獰猛な獣たちに遭遇することない。
伸び育った木々が星々の明かりを覆い、黒に染まる暗中を進めて行ける。
沈黙で静寂の深さが高まるよりも早く、口を開いたのはサージュからだった。
「まあでも。お前は悪いことはしましたから罰は送らないとだ。……明日。いや、今日かもしれないけど。朝ごはんは……」
脳裏に浮かぶ選択肢の中、【暁煌】の一区から発祥し流行った食べ物を思い浮かべる。
「お前が苦手なカレーで決定で」
「…ええ…うぇ……」
「まだ食べてないのに謎の嘔吐声出さない。どうしたぁ?」
少し気まずそうに、歩む足を止めかけてしまいながらも吏史は呟く。
「だって、カレーやだ。舌がピリピリして痛い。カレー食べたにおいがついてて。…すごく、なんかやだ」
「んー、つまり配合されたスパイスが口に合わないのかな。…いや、食感系か?」
分析しながら不思議に思う。吏史の好物はカレー以外にあるが、それはカレー同様同時期に亜種として流行し定着した定番料理だからだ。
思う通りに、問いかける様サージュは告げた。
「だったらなんで、お前は同じ部類のシチューは食べれて好物なのかな」
「それは、………甘いから。甘くて、おいしいし野菜、カレーと違ってちゃんと切られてるし。ホッとするし、………あったかいし」
「……成る程。やっぱりスパイスによる刺激がダメなほど舌が敏感なのかな?或いは将来的に甘党に至る伏線だったり……」
「あの、そぉ、…じゃなくて」
「んー?」
「………なんでもない」
吏史が歯切れ悪くも口を窄めてしまう形でその場に沈黙が走るが、無理に聞き出し話させる気概はないサージュは追求することなく敢えてこの場は黙り込んだ。
そんな会話を交えながら数十分。やがて、直ぐに家に辿り着く。扉は未だ開いたままだ。
「あけっぱなし…」
「まあね。お前が居ないことに慌てて飛び出しちゃったからな。ちょっと待ってなさい」
そう返した後、サージュは玄関を潜り抜ける。
周囲の様子を確認したのか、数秒後の時間をかけていた。
「うん。大丈夫。入っておいで」
そう問題ない旨を暗喩で伝えてから、サージュは吏史を手招く。
「ただいま、は?」
「あ。た、ただいまー」
「それでよろしい」
招かれた吏史が素直に家に入って来てから、サージュは外を確認しつつ扉を閉めて施錠した。
泥で濡れた靴を脱ぐ。
それから着込んだ服は衣紋掛けに掛けて直し、サージュは汚れた白衣だけを簡易に畳み、吏史だけが新しい寝巻きに着替えていく。
早々に済ましたサージュは吏史の様子を一瞥し、壁にかかった円状の濃茶色の木縁時計を見上げては呟いた。
「もう一時過ぎちゃったか…」
現時刻を表す長針は二を指そうとしている。
寝るにしてはあまりに遅い時間帯だろう。農作物を育てる作業を担う関係上、三時間後の起床と活動が望まれている。
「…まあ、寝ないよりはマシか」
大した問題ではないと結論つけて、サージュは新しい寝巻き姿になった吏史に声をかけた。
「どうだい?今度は眠れそうかい?」
「うん………父さんは?」
「僕はこのまま徹夜さ」
「それって大丈夫?」
「まあ、もともとそんなに寝なくても平気なんだよねぇ。そういう体質だから気にしなくていいよ」
何てことのないように返して、不安な表情をにじませる吏史をベッドに寝かしつける。
「おやすみ」
後は、そのまま出て行こうとした。明日に必要な準備をしようと、部屋を後にしようとする。
「…ん?」
だが、そこでサージュは服の裾を小さな手に掴まれる形で引き止められた。
夏空の瞳はまだ覚醒している。微睡みの揺らぎ自体はあまり感じられない。
「………」
サージュは黙って、机に置いたランプのスイッチを入れた。
丸いランプから橙色の光が溢れ部屋を淡く照らすが、それは吏史からは眠気を妨げるほどの光量ではない。ベッドのすぐ横の床に座り込んだサージュの顔が見えるだけだ。
「じゃあ、眠れるまで先の話をしようかな」
早速とばかりに、サージュは吏史に夢の成就の手段を指南することに決めたらしい。
子供を寝かしつけるために聞かせる童謡にしてはひどく現実的すぎる話だとしても、吏史の期待には応えられるだろうと、その詳細を明かしていく。
「まずは正当な手段で『恵』を出る。法に則るのがマストだろう」
「…マスト?」
「必要なことって意味」
人差し指を立てて、円を描くような仕草を交えてサージュは説明を続けた。
「中でも望ましいのは【ルド】の適性…いや、異例か。十歳の時に兵士適性が高い未成年に送られる移住確定スカウト、これが一番いい近道だ。望ましいね。アストリネに会う機会が多くなる。なので、これから吏史は五年間徹底して鍛え上げます」
「【ルド】……兵士…?」
「そうそう。前に軽く教えたものだけど、【ルド】は空に近い区の管理を担当する国で、警備巡回等の業務を担える『兵士』を育ててるんだ。それでいろんな国や区に派遣して世の治安維持に貢献するサービス業を主に行っている。中身としては超実力至上主義の国」
「空…あれ、でも。【暁煌】は空に浮いてる…あれ?」
「うん。そうだねぇ。あれは電気を注ぐことで浮力を発生させる鉱石を用いることで【暁煌】は空に国を浮遊させている。ただ、【暁煌】がこうなる状況になったのは三十年前の話だ。それよりももっと前に【ルド】の方が国力増強を図り、かつての身分階層制度を再現すべく地下一万メートルまで掘り起こして下層施設や集落を築いて競争力を煽ってたりしていた前科がある。そのことを根に持っていた【暁煌】が引き合いに出して、行動に出たって話だろう」
説明を聞いても、おかしなことだとしか吏史は思えない。寝た姿勢のまま、浮上した疑問に首を傾げてて視線を上にすれば、サージュは「くくっ」と笑い声を零す。
「……いや、疑問を抱くのはおかしくはない。僕もおかしいと思う」
【ルド】は空の管理を行い、【暁煌】は大地の管理を行う。歴史が義務付けるよう証明されている。
かつて世界を統括したアストリネの始祖『エファム』がそう決めた事だ。自分たちの大元の主に逆らってるようではないか。
そうした疑問が、吏史には湧いて仕方ない。瞬きを繰り返すばかりだ。
「なんで……お互いのところに、国を置いたの?」
「なんでだと思う?」
「………目立ちたかったから、とか?」
考えられた返しにサージュは「寧ろちょっとありそう」と褒めつつ、答えを示す。
「答えは統制役を担ってた『エファム』が不在だからだ。今は、誰が一番のアストリネなのか権利論争してるのかも。じきに【ジャバフォスタ】も参戦するだろう。そうなれば、揺れる。人類も無関係ではいられない事態になり、恒久の平和が崩れる」
「平和が、崩れる…」
「アストリネの中でもより力の強い『管界の六主』が一人でも動けば、そうなるのかもねぇ」
「……だと、したら。なら、オレの夢って、やっぱり難しいってことなのかな…」
他ならぬアストリネ等が平和を乱すのならば、誰に止めようもない。己の夢は本当に夢物語なのだろうか。
そう不安を零せば、サージュは笑みを浮かべて告げた。
「いいや。それこそ、今後の吏史次第だと僕は思うけど」
「……んぇ?」
「盤石だった地盤が時の流れや腐敗で老朽化し、軸が割れて崩壊し掛けてるからこそ、三者の介入が大きな調和を生む。ただの不協和音でも他の音と組まれることで他にない名曲となるか、相反する色を組み合わせて独特の色を現し誰しも惹かれる名画となるか。統計では決して測れぬものにお前がなればいい。それは結果となって夢が叶うはずだ」
「…?………それって、つまり?」
「雑に言うなら。これからすごく頑張れって事」
目を細めてからりと笑い省略した見解を語ったサージュに対し、本当にそれで大丈夫だろうかと、吏史に不安が滲む。
悩ましげにも眉間には皺が寄っていた。
そんな深まる皺を解すよう、サージュは手を伸ばして指先二本で吏史の眉間を揉み込む。
「さて、ちょっとした問題と余談は置いといて、だ。とりあえず【ルド】の適性を高めるのは必須科目だろう。どう転んでも体力はある方が望ましい。座学も噛んでいたほうがいい。僕が知ってる範疇で徹底して指導はするけど、根をあげるのは無しだ」
離れ際には鼻を軽く摘み、息苦しさを感じさせる前にパッと手を広げて離しては、したり顔を浮かべていた。
「何でもするって言ったのは、お前だよ。その力戦奮闘と捉えられる己の発言は最後まで忘れないように」
吏史が提示された目標は〝個人分析配備法〟の異例。【ルド】の適性を高めてスカウトされることだ。
かつて人類が世界を占めていた歴史上において軍事で統一された国の名残から管理担当するアストリネや配属された人類も武闘派が多い。
その傾向から、【ルド】のみが気力溢れる優秀な人材を確保しようと動き十歳の未成年者にも自主選択制で適性検査を行わせていたのだ。
業務内容も護衛を初めとした派遣業務が主である。そのことから、【ルド】を中心に世を回れるだろうという見解があった。
だから、サージュが吏史に仕込む教育は二種。
計算力に数学。語学力に国語。歴史に物理学。
『恵』では必要としないが外に出るには必要最低限となる教養。
そして何より体力。そこに技術。――それは言い換えれば、対人戦闘能力。
だから研鑽を積んで、学んだ。
この森に囲まれる形で閉ざされた鳥籠のような村から、ひとり。広い外に出るために。
…………………『管界の六主』
・始祖エファムが人類史に終止符を打つために生み出した同族。子孫的存在。
間陀邏、ローレオン、ネルカル、ディーケー、グラフィス、アルデを指す。
他のアストリネよりも戦闘力が高い異能を持つが、それは過去の人類との戦争時に必要だった名残。
また、国の管理者は世代単位で入れ替わるが決定は民主的投票ではなく、その時に存在する現代のアストリネ同志の戦闘力で推し量られる。
その為、比較的上記の六主が管理者として立つ事が多いことから『管界の六主』と名付けられた。