【天翔】
感情に呼応して異なる姿へ変化を果たすは、アストリネの確固たる特徴だ。
ならば両腕が鳥の両翼へ変化したオルドヌングもまた、アストリネだろう。
確信を以って、そのように告げた『 』は繰り返す。
「先も言ったが、直ぐの賛同は求めてない」
紡がれる最中、オルドヌングに冷たい汗が滲む。
感情の、本流を現してるのか。瞠る双眸は揺れており、呼吸は乱れ、浅く繰り返される。
両翼の羽毛は膨れ上がり、小刻みに震えていた。
「別に答えなくてもいい。どうせ俺の目的や行動は変わらない。今後兵器破壊を成すためにお前を使う。兵器破壊の戦力に換算するだけだ。……ただ、そうだな。お前は姓名も定められてないアストリネか」
それらの動揺を置いて、『 』は伏せてた瞼を開き、冷淡な瞳で鋭く見下ろす。
「それを決めなきゃならない。そして、その役目は基本エファムが引き受ける。……だから俺が新たなアストリネであるお前に――姓名をも与えてやるよ」
短く息を吐いた後、手を振り下ろしながら授けるのだ。
「お前は――イプシロン。初代ではなく、二代目イプシロンと名乗れ。その方が色々と都合がいい」
鋭利な牙や二股舌を隠す事なく覗かせて、異能の主――血脈の末裔として、命じるように。
「二代目イプシロン。エファムの姓を以てお前に命ずる。平定の協力者として兵器破壊を成せ」
それは、生まれ持っての超越者としての姿勢にして、その場に居る者の心臓を圧迫するほどの比類なき威圧を含めた絶対的命令。
拒絶は許されない。ある種の暴論とも呼べるだろう。
――そして、『 』の決定はオルドヌングへ恐怖を与えるだけでは留まらず。
冬至の宵にて己へ唯一の道を示してくれた男の印象と評価を、反転させるには十分なものだった。
「………っ……いいさ、やってやるよ…!」
信頼は不信に変わり、不信は嫌悪を生む。
オルドヌングは忌々しげに鋭く睨み、唾棄すべき破壊者に向けて、薄闇の中で荒々しく吐き捨てる。
「だがな、……これだけは先に答えておく……!お前が望む世界に、なんの価値はない……!」
己にとっての一縷の希望を決して失わせないと、苛烈なまでの想いをぶつけた。
「シェルアレンは俺が守り抜く。俺だけが味方になる。……お前と俺は違う!それを証明してやる!」
降りかかる全ての厄を振り払う決意を込めて、挑戦状を果敢に叩きつけるように。
『 』は何も答えない。ただ、青空を彷彿とさせる碧眼は僅かに細まるだけだった。
◆
時は過ぎ、オルドヌングは自室にて身支度を整えている。
『――や。聞こえてるかい?』
途中、身に着ける金色の羽飾りからは単調な声が聞こえてくる。
声の主であるサージュ=ヴァイスハイトは此度の目的についてを飄々とした調子で述べていく。
『今回は【暁煌】の第十八区、農場地帯に隣接する森に棲みついた生態系破壊兵器の討伐と行こうか。名前は『曼珠』、危険度自体は低い。大砲を内部に搭載してる程度かな……それ以外の特出してる点や条件はない』
「そうか、なら――」
『但し今回はローレオンやハーヴァも協力する。安心して向かいなよ』
「…………。そのふたりは、逆に戦力過多じゃないか?」
片や六主の最高峰、片や特殊な出生にして驚異の再生力を備えた存在だ。
過剰としか思えず、苦言を溢してしまう。
『これは僕が決めてない。というか『 』の差配だ。いやー、心配されてんねぇい』
上着のファスナーを上げていた手が、止まった。
「…………ッチ」
小さな舌打ちを漏らすがサージュには届かない。
不要な環境音だとノイズキャンセルされたのをいいことに、オルドヌングは首を横に振って切り替える。
ひとまず上着の着用を済ませてから改めて、サージュに問いかけた。
「質問。兵器には攻略難易度というものがあるのか?」
『ぅんや。単純に僕がそう判断してるだけ。単調な攻撃しか知性も低いタイプだから、エファムたちを向かわせるまでもないってところだってねぇ』
「……つまり。言い方を変えれば、今日のやつは誰でも対応可能ってことだな?」
返しを受けて怪訝そうに顔を歪ませるオルドヌングに、サージュはあっさりと頷くようにも答える。
『うん。そうだよ?でもそれに対応する奴がいないから『平定の狩者』が動くのさ。約束された過密スケジュールってわけ』
オルドヌングは顔を俯せさせ、近くの卓上に置かれた白銀の脚甲を乱暴に掴んでいた。
「なら、ハーヴァやローレオンという希少な戦力を俺の補填に割くのはおかしいだろ。彼等はもっと他の兵器破壊に赴いていいはずで……」
『そりゃあ、そうだけど。仕方ないじゃない?――君、弱いしさ』
嘲笑から始まる事実が、次々と突きつけられるよう紡がれていく。
『まず、再生力が平均以下だよね。他のアストリネなら三十秒程度の傷でも君は一分以上かかる。神経にすら問題あるのか肉体強化だって微々たるものだ。ぶっちゃけ心配されて至極当然――』
――ガン!!
『……いや、あいつのことが嫌いならさぁ。話の止め方も似なくたっていいじゃない?』
装着した踵で床を踏み鳴らした大音を起こし、饒舌多言の勢いを抑えたオルドヌングをサージュは非難する。
だが、オルドヌングは謝罪することもない。
何度かに掛けて脚甲纏った足先で床を繰り返し叩き、着け心地の感覚を確かめていた。
「……つまり、俺は弱いから、誰にもできそうな兵器すらまともに破壊をできないと舐められてるわけか」
『直球的に言えばね。――その通り』
やがて俯いた顔を上げて、オルドヌングが前を見据える。
「“精々やってみろ”なんて、挑発までされてると。………嫌な奴だよ」
脳裏ではしたり顔を浮かべて指で招くような仕草も見せる『 』が過り、不快感を現すよう眉根を寄せた。
「ほんと、性格が悪い」
文句を溢してから防寒も兼ねた紺色の外套を翼のように広げ、素早く腕を通す。
着丈を引っ張り直してから身支度を完了させたオルドヌングは、早足で部屋を後にした。
◆
自然豊かな【暁煌】でも冬時になれば、森の青々しさは消えている。
そんな四季に連なり、葉が落ちきった裸木の森にて。
枯れ葉を巻き上げつつ疾走する三名のアストリネたちが居た。
「これは、いかんな。中々、機会が、ない…!」
外見年齢二十代前後と思わしい青年――ローレオンは、息絶え絶えに呟く。
走り続けてることでやや乱れた黒と灰色交わるツーブロックヘアーを手直した後、榛色瞳で後方を一瞥し、即座に前方に戻す。
「ジル!きみの方が、速いだろう!我々を置いて、先に行きなさい!」
現状打破を図るため、ローレオンは指示を送る。
視線は前方の上、枯れ木間の移動を雷を用いる際で高速跳躍を繰り返す白髪の女性――ジルコン=ハーヴァに向けられていた。
「っ何を言ってるんだ!ふたりを置いて行ける訳がない!」
振り向きざまにジルは大口を開けて吠える。
拍子で赤眼に掛かる絹白髪を鬱陶しげに払いつつ、送られた指示へ改めて反論した。
「大体、この場所が悪いからヤマトは炎を使えないも同然じゃないか!」
尚、ジルの主張通りだ。現状、ローレオンは異能を使えない。
この森自体は水源に恵まれており、幾つも渓流瀑がある――のは、大きな問題ではない。
三十二代目ローレオンの炎は水に弱いほど火力不足ではないからだ。
問題は枯れた森。引火性が高い場所という点にある。
炎にとって蓄積された枯葉など、燃焼物の塊のようなものだ。
兵器を壊すという名目があれど、アストリネ……ましてや六主という立場にあるローレオンが、大規模な山火事を起こすわけにはいかない。
「クッ……!私が、異能の練度を上げて、周囲を燃やさない炎でも、使えればいいのだがな…っ」
そんな都合いい炎なぞ、今の三十二代目ローレオンには備わってないものだから、この場では逃げ仰るしかないわけだ。
「いや!ここは私が囮になる!だから、ふたりが――」
刹那、白の軌跡が走りジルの胸部を貫く。
その正体たる高電圧レーザーは骨や血ごと無情に蒸発させていき、森にまで着弾させる。
後に、高温ガスが激しく巻き上がっていた。
「ジルッ!!」
ローレオンが大きく叫ぶ。
だが、被弾したジルの赤眼は曇らない。瞳孔も開くことなく鋭く細まる。
「ッ!ごめん、大丈夫![核]も無事だ!」
体勢こそ崩れたが、ただ、それだけだ。
アストリネにおいて心臓とも言える[核]は損傷してない。驚異的な再生力は既に働いており、皮膚まで綺麗に修復されていた。
――同時に蒸発してしまった服以外は、元通り。
そのため、上部が生まれた姿で晒されている。
「命に別状なくて何よりだ!……だが!今すぐ顕現で胸元を隠しなさい!」
ローレオンが慌てて誘導するも、ジルは恥じらうことなくきょとんと目を丸くするばかりだ。
「え?顕現?……鱗でってことか?部分的にするのは、ちょっと苦手で……」
「違う!私が訴えてるのは道徳的な問題だ!いいから早く、――っ!」
脱線しかける会話を遮るよう、再び白き砲撃がジルに向けて放たれる。
今度は後方意識していたこともあり、ジルは跳躍移動を行なう形で被弾を避けれていた。
「――グルッグルルッ」
やがて、その場には鳴嚢を備えてない特有の音色が奏でられる。
先からレーザーを放った主たる者が、蛙足を伸脚させては姿を現す。
脅威の跳躍力を以た一飛びのみ。
それだけで走行者たちとの距離を詰め切ってから着地する。
同時に、五メートル以上もある巨体で周囲の冬木をも踏み潰すのだ。
「クルッ?」
これもまた兵器。茄子紺色という毒々しい体色を持つ、蝦蟇型生物兵器。
名を『曼珠』と記録される。
そして『曼珠』は忙しなく瞬き、上下左右に平らな瞳孔を動かして特に素早い獲物を再び視認した。
「クックックックッ」
木々を飛び交うジルに狙いを定め、蝦口が大きく開く。
――顕になるのは蛙特有の長舌ではない。萌葱色の砲台、その発射口だ。
バチバチと静電気が弾ける音を立てて、再び撃つために電気エネルギーを収束が進む。
「――ッ、くそ!」
ジルは鋭く舌を打ち、枝を蹴って高く跳び立つ。
直後、己の足場だった木が放たれた白きレーザーに呑まれて跡形もなく蒸発した。
「ローレオン。何故ハーヴァは対抗しない」
その逃げの一手を取り続ける姿勢を見かねてオルドヌングが尋ねれば、ローレオンは一瞬視線を向ける。
「広範囲に及ぶ放電を危惧してるのだろうな。加減を誤れば、我々を巻き込む」
だからこそジルは闘わず、逃走を選ぶのだ。作戦が崩れても他の安全を優先するために。
その意を知ったオルドヌングは、即座にHMTでサージュに問いを投げた。
「サージュさん。奴の本能は見た目通りなのか?」
オルドヌングが着用する金色の羽を模した耳飾りが、応じるようにも揺れる。
『そうかもね。他の兵器も見た目通りの本能が備わっていた。こいつもそうである可能性は高い』
返しを受けたオルドヌングは瞼を閉じて深く息を吐き、前を向く。
「だったら、俺を案内してくれ。ここ一帯の渓流瀑の中でも特に地盤が緩い場所に。できれば風化が進んで脆い岩が多い方で頼む」
少しの沈黙を経て、『――クハッ』と噴き出すような笑い声をサージュは上げていた。
『いいねぇ。僕としても仕事が早い方がいい』
どこか上機嫌にも返された後、耳飾りからは青光が溢れ出す。
ホログラム機構はオルドヌングの翡翠瞳を覆うゴーグルとして構築され、後に一枚の地図を描く。
目的地となる箇所に金色の円が点滅し始め、正しく向かうための道案内まで点線にて指定されていた。
「……北東……後に東に突っ切る」
道のりを方角の復唱で記憶した後、次にオルドヌングが行うべきは誘発だ。
そう迷うことなく踵を返し、『曼珠』へ駆け出す。
「―――!?おい!イプシロン、待ちなさい!!」
ローレオンの焦る声を置いて、高く飛ぶ。
砲撃を放つ前の『曼珠』へ敢えて、己の姿を横切らせるようにその両眼に映らせた。
より小振りの獲物を明確に視認した『曼珠』の瞳が、揺れる。
釣られるようにも頭を動かし、口部の砲撃先をジルから――オルドヌングへと変えた。
着地した後、オルドヌングは敢えて身を転がる。
『曼珠』の高電圧レーザーを回避する意識動作を起こした瞬間、白光が走る。
「ッ…!」
直撃こそはないが、蒸発で生まれた煙を頭から被ってしまう。
鼻が曲がりそうな物が灼ける嫌な匂いが鼻腔をくすぐるが、そこで怯むことはせず、立ち上がってから目的地へ向かい駆け出した。
「グルルッグルッグルッ」
『曼珠』はオルドヌングの跡を追う。
より、自身が捉えやすい獲物をつけ狙うことに徹し始めた。
『――蛙は小振りで機敏な獲物を本能的に追う。生物的特徴だけど、よく覚えていたね?』
「悪いが、話は!後にしてくれ!」
素直に感心するサージュに対し、オルドヌングは応える余裕がない。
今度はオルドヌングに対し執拗なレーザーが放たれてるのだから。
また一つと躱していくが完全には避けきれず、髪先に加えて外套の一部が蒸発した。
『はいはい。じゃ、僕は鑑賞会と洒落込ませてもらうよ。上手くいくといいねぇ』
「上手く行かせるんだよ……!情報は、もう持ってる!」
――幸い『曼珠』の動きは鈍い。高く跳ぶが、巨体に見合った重さがある。
砲撃自体も連射はなく、溜め込むのに約七秒。相当な時間を要するらしい。
故に疾走しながら必ず行うのは、七秒のカウントだ。
七のタイミングで腕を翼に変えて高く飛び立ち、大きな距離を取る。
そうすることで相手の射線外から外れてみせる手段だ。
そしてそれはオルドヌングの思惑通りに嵌り、レーザーは獲物に当たることなく何度も大地を焼く。
「どうだ!これなら少なくとも、俺に直撃することはな……ぃっ!?」
意気揚々と語ったが、着地と同時に放たれたレーザーがオルドヌングの頬を掠め、横一線の傷が刻まれてしまう。
『行動パターンを学習してきてんじゃん。ジリ貧になりそうだねぇ』
「………さっさと、辿り着けばいい話だ!」
どこか呆れたサージュにはそう乱暴に答えて『曼珠』を引き連れていく。
幾つもの枯れ木を超えながら、同様の手段でレーザーを辛うじて避け続け――目的地となる渓流瀑に到着した。
『さてさて、ここが目的地だよ』
案内完了のアナウンスを聴きながら、奔流する川により濡れた岩盤帯に足を踏み入れていく。
視認することでオルドヌングは理解した。
ここは希望通りの場所だ。
岩の摩耗は進んでる地帯。どの岩もひび割れており、危うい足場と呼称できる。
――もしもどれか一つでも瓦解すれば、岩盤帯の連鎖崩壊は免れないだろう。
だが、オルドヌングはそれらを踏み締め、滝頭へ向かい立つ。
滝壺まで数十メートル以上の高さまである場所に意に介さず、亀裂走る岩で踵を踏む。
直ぐに脚甲に仕込んでいたものを取り出した。
三センチほどの小箱めいたそれを指先で摘み、親指で弾くよう箱についたスイッチを押し込んで『ピッ』と無機質な電子音を鳴らす。
遅れて、『曼珠』も追いつく。
着地を果たしたと同時に、重量を以て激しい水飛沫と地響きを周囲に巻き上げていた。
「グルル。……クックックッ」
鳴き声が立つ。パチパチと何度も瞬きをし、オルドヌングの方へ距離を詰め寄る。
逃げ場ない所に佇む獲物に対し、砲撃を放つために。
『――概ね察してるけど一応聞くね。それは何?』
緊迫した場面で、サージュは軽い調子で問いかける。
オルドヌングは返事より先に、小箱を『曼珠』の足元へ転がるよう放り投げた。
「爆弾」
『だよねぇ』
予想通りだとサージュが答えた瞬間、小箱は起爆する。
場を包む光が走り、衝撃が巡った。
直撃にて脚部を損傷した『曼珠』は転倒する最中、ボン!と重い爆発音が響く。
当然、これだけでは終わらない。
その真下、同じ威力の爆撃を受けていた岩盤も破局的崩壊が起こるのだから。
『曼珠』の巨体は足元の岩盤が崩れたことで、川の奔流に飲み込まれてしまう。
それを狙って起こした岩盤の濁流に飲まれる前、オルドヌングは滝頭から跳び降りる。
『さて、こっから本番だよ。どうにかできそう?』
挑発的なサージュの声にオルドヌングは答えず、短く息を切る。
先ずは宙で身を回し、体勢を整えた。
そして周囲を見渡す。数十メートル先の崖から突き出された懸崖を視認する。
目標は定まった。後は、タイミングだ。
心拍で秒数を数える中、流れ落ちてきた幾つもの岩石がオルドヌングに迫る。
衝突を予期するように己が陰に覆われる瞬間――全身に力を入れて、両翼を広げては回転する。
落ちる岩石を踵という重心をつけ、強く蹴り上げて、己自身を斜に切り込む。
その急降下は一度だけじゃない。連続で取り行う。
縦横無尽に空を駆けた。隼が獲物に向けて素早い滑空を果たすように。
「……強い、身体強化がなくったって…!」
今ある己の技量で、この苦境を乗り越えられる。そう、風を切りながら確信した。
目標地点まで目の前にまで迫ってた。片足を突き出すような、着地姿勢を取る。
――ガン、と重音と共に降り立つ。
装着していた白銀の脚甲が衝撃を殺し切って、着地を果たさせた。
「―――――や、」
った、と成し遂げられた喜びをオルドヌングが噛み締める前、耳飾り式のHMTが大きく揺れる。
『いいや、ダメだねぇ。忘れてないかい?僕は君の希望通りの場所に案内したんだって』
サージュの通達通り。これで終わらない。
着地点とした岩に亀裂が走り、崩落するからだ。
懸崖は瓦礫となり、オルドヌングを再び宙へ堕とす。
「っ、な、ぁ…?!」
一瞬、気が抜けてたせいで体勢が大きく崩れてしまった。
整える、なんて持ち直しは効きそうにない。
泉までの距離も近く、これでは別の懸崖を探すより先に水面に叩きつけられてしまう方が早い。
「…くそッ!」
諦めて受け身体勢を取る方が賢明だと判断を下し、オルドヌングは咄嗟に身を丸めた。
『ま。アイデア自体は面白かったけどね、爪が甘い甘い。……それと、その判断も間違ってるから』
――しかし、真下の滝壺からは『曼珠』の砲口が、覗いてる。
数々の岩雨に身が潰されて機能停止し終えた身体は砂のように崩れ始めていたが、不運なことに口部は未だ健在。
開かれた砲からは溜まったエネルギーが、放たれようとされていた。
―――他ならぬオルドヌングに向けて。
「―――しまっ………!」
受身体勢を、すでに取ってしまった。回避は不可能。避け切れない。
最期に放たれる『曼珠』の砲撃は直撃するだろう。
『やるんならきっちり最後まで。油断大敵だ。今後の反省点にしなよぉ』
サージュの指摘が終えたと同時に――高電圧のレーザーが、空に白の軌跡を描く。
後に散りゆく花弁のように鮮血が舞い上がり、一拍遅れて滝下で広がる泉に水柱が上がっていた。
◆
「―――ブハッ!!」
滝壺の水面にいくつもの水泡が上がった後、勢いよくオルドヌングが顔を出す。
ひどい咳を繰り返す。
必死に酸素を取り込んで、冷たい水で悴んでしまった片腕をなんとか動かし川岸へ這い上がる。
「ゲホ、ゲホゲホッ…!」
胃に入った生臭い水を嘔吐して、乱れ切った呼吸をなんとか、整えた。
――オルドヌングは、自身の容態を確認する。
全身が痺れてる挙句、冬の川水を浴びた影響で身が凍ったように冷たい。身慄いが止まらない。
その上、片側の目が見えづらいようだ。
ただ、潰れたのではなく瞼が切れたのだよう。
証拠として鮮血が滴となりて、小石に色濃い滲みを作っていた。
幸い、角膜も正面から受けたレーザーの影響で焼き切れてなかったのか、物理的にも眼球は無事と言える。
視覚には然程大きな問題はない。
問題は、左腕。
感覚がないこともあり、肘下から蒸発してしまったのだろうと予測できる箇所。
オルドヌングは意を決して長い息を吐く。項垂れたまま、その場に座り込む。
翼から腕に変えた右手を伸ばし、喪失感を感じる左手へと伸ばす。
虚空を引っ掻いてしまうことで、気づいた。
――肘から先までの腕が、無い。
「………はぁ……」
右手を地面に落とし、脱力しきった溜め息を吐く。
「これは、被害を軽減するための犠牲だ……」
言い聞かせるよう、小さく、呟いた。
こうなったのはある意味で仕方ない、と目を眇める。
命あってのものだ、生きてるだけで最高の結果ではないかと重い頭で考える。
「これは、悪くない結果なんだ……」
残った右手で拳を握り何度も言い聞かせ、納得という形で動揺を無理に、飲み込んだ。
『再生するといっても痛覚は死んでないのにまあ、よくやるもんだ。君の場合、他より劣るから戻らないかもしれないのに』
揺れた耳飾りから評価を下すサージュの声が聞こえる中で、オルドヌングは濡れた唇を重く開いた。
「……サージュさん、…止血の対処方法を」
『はいはい。そのくらいなら教えてあげるよ』
体が、徐々に温まることで激痛が遅れてやってくる。それに奥歯を噛んで、額に浮かび始めた脂汗ごと水滴を片手で拭う。
『先ずは服の一部を…そうだね。無くした左腕から取るといい。ほら、手順をさっきの地図みたいに送ったげるよ』
流される指示に従い、オルドヌングは服を紐状に引き裂き、肘の付け根をキツく縛り上げて血管圧迫を施す。
これ以上の流血がないように、最低限の対処は成した。
『あとは君がやることはない。大人しく助けを待つ、かな。これが今の君ができる限界だ。ハーヴァやローレオンには居場所を通知したからね、じきに駆けつけるだろう』
サージュの単調な告知を聞いた後、オルドヌングは小さく尋ねる。
「……なぁ、再生の促進…いや、部位の再生だけを意識的に集中させることは可能か?」
『可能だ。但し、今の君には無理。素養が必要だからねぇ。或いは[核]から送られる巡りを感じ取る気質かなぁ。過去の例を参考するなら……何度か瀕死に追い込まれることで否応にも身につくよ』
「……へぇ。いいことを聞いた」
そこでオルドヌングは瞳孔ごと目を瞠り、口角を吊り上げて笑う。
ある意味大吉報だと思えた。何故ならば、きっと己は今後このような無茶をし続けるから必ず習得できるも同然だろう。
「俺は、他のアストリネより劣るんだろ?だったら俺ができることを、研磨しないと」
きっとそうして自身を追い込むよう突き詰めなければ、シェルアレンを助けられないのだ。
失いたくないなら尚更、苦痛が嫌という甘えた気持ちを殴り捨ててこの先もひとりで。兵器を壊す。
「俺が壊して終わらせる。そのくらいの気概であるべきじゃないか」
『………』
――それは到底、童子が抱くに危うい思想。自壊を厭わぬ自爆的行為だ。
気づいていても、サージュは沈黙を選ぶ。過ちを指摘して倫理を解き、根本的な説得なぞしない。
ただ、何かを記す筆音を微かに漏らすだけだった。
――刹那、白き閃光が場を包む。
遅れてバシャッ!と水飛沫と共に雷が広がった。
「オルドヌング!!」
絹白の髪を振り乱し、赤眼を歪めたジルが雷と共にその場に現れる。
通信で位置情報を共有されてから、全力で駆けつけてきたのだろうか。無尽蔵に近い体力と再生力を誇る息は、僅かに乱れていた。
そんな彼女は左腕を無くしたオルドヌングを見た途端、眉を吊り上げる。闊歩で近付き、その胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「なんでこんな真似をした!?始めに決めたことと違う!!」
捲し立てられた言及を受けたオルドヌングの翡翠瞳は、冷え切っていた。
「何も間違ってない、これが最適解だ。俺は消滅せず君たちも無駄に消耗しないで事が済んでる」
動ぜず怯むことなく言い放つ。そうすれば一層、ジルの顔は歪み、眉間の皺が深まっていく。
「……っこんなのが、最適解なわけ……!」
オルドヌングを掴む手の力が無意識に強まり、身を戦慄かせた。
「最善な訳があって、たまるかっ!」
湧き上がる感情のままに口を開き、鋭利な蛇牙を剥き出しにして吠える。
――だが、それ以上彼女の激情が噴出されることはない。
今度は、赤い炎が場に昇り始めた。
天を焦がすように走る炎柱は、即座に横に広がり壁へと変化を果たす。
即座に壁という殻を突き破る形でローレオンが現れて、ジルの手首を掴んだ。
「ジル、やめなさい」
オルドヌングへ乱暴を働くのをやめて、その手を離すようにジルへ促していく。
「相手は傷が深い。これ以上、傷に触らせるな」
「……ヤマト……!だけど、これは…!」
眉根を寄せて不満を露わにするジルに、ローレオンは静かに首を横に振る。
「彼の言う通りだ。我々は処理に手こずっていた。この結果が最適解と言えるよ」
「………っけど!この子はまだ子どもなんだぞ!?こんな状態になるのを許していいのかよ!?おれたちが守るべき相手じゃないのか!?」
憤慨で激しく訴えるジルを宥めるように、ローレオンは穏やかな声で指摘した。
「違う。アストリネならばこそ、異能の使い方を誤らぬよう……何かを守るべき存在であらねばならない」
その発言は実に効果的で、頭に血が昇っていたジルを冷やすまでだったらしい。
「………っ……!……く……っそ……!」
この場には、アストリネしかいない。状況等に発言に矛盾が生じてる。
故にジルは何も言い返せない。悔しさに血が滲むほど唇を強く噛み、沈黙してしまうのだ。
そうしてジルの力が緩んだのを良いことに。
ローレオンは指先から解くよう、丁重にオルドヌングを解放していく。
無事である片手を取り、まだひとりで立つには覚束ない両足の直立を支えた。
「――とはいえ、始めに決めた作戦に背くのはよろしくはない。この件は『 』に伝えさせてもらうぞ」
咎めるような告知を改まって下す。だが、オルドヌングはそれに異議を唱えない。
「……ハッ」
寧ろ、好都合だと口元を歪めて鼻で笑う。
「是非そうしてくれ。ついでに、『曼珠』は俺ひとりで破壊したことも、一緒に伝えててくれよ」
そんな皮肉の伝達を頼まれてしまったものだから、ローレオンが眉を顰めて怪訝そうに尋ねた。
「……きみは、自身の育て親。家族と呼べるであろう者が嫌いなのかね?」
投げられた疑問に、オルドヌングは悩む素振りも見せない。首を横に振っては意を明かす。
「別に嫌いじゃない。育ててくれたことも感謝もしてる。だけど……受け入れられない点が大きいだけだ」
目を逸らしながらも、そうハッキリと嫌悪を示すのだ。
―――しかし、これで話は終わりを迎えない。
「…………?」
違和感を感じながらも、オルドヌングにはローレオンの声が聞こえていた。
『家族を受け入れられないだと?家族ならばこそ、齟齬があれど受け入れるべきだろう』
やたら上から目線な物言いが鼻につき、オルドヌングは不快感に眉根を寄せる。
「……家族同然だから、なんでも許せるわけでもない。許容できないのはあって同然だ」
『相手は大恩がある。その恩を仇で返すような真似だ。何をそう拒絶する?』
「関係、ないだろ。だいたい、俺は意思のない人形でもないんだ。一介の……アストリネなんだよ」
『……我々の祖たるエファムの系譜だぞ。畏敬の念を持って敬うべきだ』
自分の認識こそが正しいような主張に腹を立つ。奥歯を噛み、歯軋りが鳴った。
今し方触れられてる事自体も不快になってしまい、ローレオンが支えていた手を弾くように、振り払う。
「エファムであることは関係ない!何も!これは、俺の問題だ!放っておいてくれ!」
自己意思や理論を押し付けなぞ傲慢だ。所詮は分かり合えない他者なのだから放っておいてほしいという気持ちを込めて、語気を荒げて強く吠える。
「………?」
しかし、後に飛ぶのはローレオンからの怒涛の罵声や冷淡な罵倒――ではない。
手を払われたローレオンだけでなく会話から外れていたジルまで、一様に目を瞬かせてオルドヌングを不思議そうな視線を送っている。
「…え?」
荒れた態度に呆れず、驚愕と困惑が入り混じった異口同音が、放たれた。
「…は?」
それは、まるで想像にもしてなかった挙動だ。
揃って何を考えてるのかとオルドヌングが目を眇めて睨めば、首を横に振った後にローレオンが口を開く。
「きみ、……先からどうした」
困惑し、疑問と満ちた出方でオルドヌングに尋ねていた。
「誰と会話してる?」
「……は?」
これにはオルドヌングも動揺を覚える。
誰と、と尋ねられる理由がわからない。なんせ、己は他ならぬローレオンと会話していた筈だからだ。
なのに、何故、当事者自体にそう言われてしまうのだろうか?
「何を言って。俺は、先から、喧しく、説教垂れるように持論を言うから、抗弁を…」
そして急速に、奇妙なことが起き始める。
呂律が、回らないのだ。急に頭が沸騰して脳が茹だつように思考が濁っていく。
「妥協が、どうこう。して、当然だと、言って……」
次第に視界が回り始め、世界ごと全てがぐちゃぐちゃに混じり合って、見える。
感覚までもが遠のき、曖昧だ。
崩れないように踵を踏もうとすれば、血の気がサッと引いていく感覚を覚えた。
そうして脳から必要な血まで抜けたものだから、意識も混濁し始める。己の意思通りに体を動かせてるのかも、わからない。
――きっと実体のない雲上を歩む感覚とはこのことなのだろう、と。
どこか他人事のように思考した途端、数滴の赤褐色の血が落ちた。
「……は、……」
鼻腔からの、流血。
それは脳への激しい負荷を得た示しにして、目にみえる反動だ。
しかしオルドヌングはそれを自覚できない。思考がぐずぐずに崩れてるものだから、何かが鼻から垂れた程度の認識だった。
「……な、ん……?」
そのまま、視界が端から削れていく。
ぶつぶつと黒点という虫食いじみた侵食が始まり、――やがて。
意識ごと呑まれてしまったオルドヌングは、真横に倒れた。
「―――イプシロン!?……イプシロン!……まずい!ジル!早急に帰還するぞ!」
途切れかける意識の中、慌てるローレオンの声が二重に聞こえてくる。
『間に合うか?……いや、必ず間に合わせねば……憤慨させてしまう!』
後者の声は直接脳に響くよう、やたら明瞭に感じれてしまっていた。
◆
負傷は相当ひどく、左腕の損傷に加えて前頭葉は血管破裂が起きていたという。
当然だがオルドヌングは白き病室に隔離されて、安静状態を余儀なくされていた。
回復までに暫く時間を要すると宣告されてしまってる。後、数週間はこの状態が継続するらしい。
「……………」
ひどいもどかしさを覚えつつ、まっさらな天井と栄養剤となる点滴を睨むように見据えていれば、すぐ横の卓上に置かれた耳飾り型のHMTが黄色に点滅した。
それは着信信号だ。
但し、オルドヌングの応答には沿わない。
傍の皿に並ぶ切られた林檎を青光に染め上げる勢いでホログラムの光が溢れ、通話を行うためのスピーカー機構が編み出された。
『や』
通信先であるサージュが気さくな挨拶を投げる。
『今回の原因について、僕の結論をサクッと伝えるよ。深傷を負って[核]が活性化した。以上。本格的な再生力が機能したと同時に、眠っていた異能も覚醒して無意識に発揮したんだろうなーってとこ』
今回の件をまとめて伝達しつつ、立て続けに見解を打ち明かす。
『症状等諸々を鑑みて……君の異能は希少稀な精神干渉系、心理系だ。『心理看破』と言ったところかな?何にせよ、今後は使い所は考えたほうがいい。これには理由もある』
分析できたことを語らい対策を提案し、オルドヌングにあれこれ言わさせない勢いで発言は続く。
『君の場合、精度が高すぎるんだ。心理対象の自覚がない深層意識まで見通すほどに。読まれたローレオンの反応が、答えだろうねぇ。……君が耐えきれずに一週間も昏睡したのもそれがある。改めて言うが、再生力が弱すぎるのは、痛手だ』
高機能である代わりに代償が重い。耐えうる機能がオルドヌングに備わってない以上、異能使用を控えるのが最善手だ。
そう、もっともな事を説かれてしまったが、オルドヌングは天井から目を離さない。HMTを一瞥することなく口を開ける。
「それならどうすれば効率よく使えるのか、核心を掴めるまで何度も試せばいい。この先で異能を使わない手は……ないだろ」
『ハハッ。だよねぇ』
元よりオルドヌングがそのように答えると予測していたのだろう。
サージュはやたら愉しげに笑い声を上げていた。
『じゃ、とりまシエルと『 』はよしときな。かく言う僕もおすすめしない。基本持ってる情報量が多いであろう相手は避けるべきだ。不要な記憶を夢で消化してしまうように、脳にも限界があるからさ』
「……アストリネに使う前提で、語るんだな?」
『だって、突き詰めたら心理操作――アストリネの魂たる[核]への干渉も可能そうじゃない?ただの心理看破だけは弱い。手に入れられそうなら、その修得を目指していこう』
その点は期待してるか、あるいは既に成すと見据えてるのだろうか。
サージュの声は機械越しでもわかりやすく弾んでいた。
「……どうして、俺にそこまで協力を?」
オルドヌングにはその姿勢がまったく不思議でならない。
何せかつてサージュは否定した。アストリネにはなれないのだから立場を弁えて諦めろだの、散々な言葉を投げてきたのだ。
ここまで全面的に協力姿勢で来られると、大層気味が悪くて仕方ない。
「何を、企んでるんだ。俺に優しくしても、シェルアレンはあなたのことが嫌いなままだと思うが」
それに対してサージュはなんてことない調子で答える。
『どうせ止まらないと予測してるのはある。後は、僕の好みだよ。――バカなやつは嫌いじゃない。寧ろ好ましく思う』
「――なる、ほど」
理由は奇妙で歪んだ好意だと知り、オルドヌングはやや戸惑いを覚え、返事は吃ってしまっていた。
「それはとんだ……変わり者だな」
瞼を閉じて息を吐き、気を落ち着かせて流してから改めて呟くのだ。
「いつかその好きなバカとやらに悪企みをめちゃくちゃにされないといいな」
『僕が悪いこと企んでる前提で言うのやめてねぇ?……まあ、仰る通り色々考えてますけども』
◆
目的が定まったら、後先は迷わなくて済む。
『――それじゃあ、快気祝いも兼ねて次の兵器と行こうか。イプシロン』
長い治療期間を終えた後、二代目イプシロンとしての奔走が始まった。
『【ジャバフォスタ】第三海洋区に出没した生態破壊兵器『ブルーヴェノム』、厄介なところは神経破壊型の毒分泌と、海月が元だからほぼ水分でできた体質だ。対処法は……焼却は難しい。ここは脱水処分かな?海底から引き摺り出す労力を鑑みれば……ひとりなら相当苦戦するだろうけど……やってみるかい?』
薄々気づいてる。このように無茶をするのは間違いだろう。心理看破の異能なら、戦闘向きではない。
後方支援に回るのがきっと正しい。
「ああ。必要な機械を手配してくれ」
だけど、そんなものは全て言い訳だ。
オルドヌングは退くという選択肢を放棄した。
「相手が生物に近しいなら心理操作で誘導可能だろう、居場所は俺が指定する」
『ワァオ!その発想は面白いなぁ。いいよ、手配したげる。――後に絶対ぶっ倒れるだろうから入院手続きも済ませとくねぇ』
己は他のアストリネよりも劣るのだから、立場に甘んじることはしない。過程で力をつけて、結果で示していくしかないだろう。
『異能の代償も起こるだろうから、特別にエンブリオも手配してやろう』
「ああ、助かる」
身を削ってでも成し遂げる。
そこまでしなければ、きっとシェルアレンは救われない。ずっと負荷をかけられて処分されてしまう。
だから強くなろうとした。がむしゃらに、ひたすらに。
結果と経験を積み重ねて、なんでも使いこなしていく気概で。
◆
(これでいい何も間違えてはない)
◆
そうして兵器破壊活動を続けていた。
数十以上討ち取った時期にもなれば、効率的な身体強化のコツも把握し、異能の扱いや加減にも慣れる。
オルドヌング自身の再生力は変わらず脆弱なままだったとしても、兵器は数を増やす一方が故に戦いは続く。
◆
(覚悟して受け入れたこと)
◆
枯れた荒野の岩裏に身を潜め、雪になれなかった冷たき驟雨が降り注ぐ。
体温が奪われて動きが鈍くなる前に、オルドヌングは素早く傷の手当てを始めた。
『片手が折れてるなら一度撤退するのも手だよ?雨で身動き取れないのは、向こうも同じだし』
「冗談言うな。ここで仕留める。……確実に」
通信先の提案を跳ね除けて、しっかりと包帯を回し固める。
握るなどして骨折れた掌の動作のみ確認し、岩裏から飛び出した。
◆
(強くなることに意味がある、はず、)
◆
血が散った雪原を踏み締めて霜柱を砕き、黒き足音を残して進み、吹雪が止まらぬ空を仰いだ。
「……まだ終わらない」
百に近い兵器を破壊し続けてきたが、それでも終わりが見えないと、辟易するようにも呟く。
シルファールが兵器を編み出し続ける限りは、イタチごっこに他ならない。
いい加減、元凶を見つけなければならないだろう。
しかしあまりにもどかしいことに、手がかりを一向に掴めない状況が続いてる。
ただ、活動自体は決して無駄ではないはずだ。
こうして身を削る勢いで破壊に勤しむからこそ、未だシェルアレンは壊れてないことが何よりの報いだろう。
―――だけど、いつどこで事故が起きて、崩れてしまうのか。
先行き見えない未来に砕けぬ不安が積もり続けてる。
目の前に広がる白雪のように。
◆
【この苦痛をいつまで受ければいい?】
◆
「オルドヌング?」
不意に声がかかり、息を呑む。
どうやら長らく考え事に耽ったせいか、うたた寝るよう意識が遠のいていた、らしい。
首を横に振り気の緩みを払って前を向く。
そうすれば、正面に座するシェルアレンの夜空のような紺色瞳と目が合った。
「ああ、ごめんね。気を遣えなくて…それで、持ってきたものの説明続きなんだけど………そう!これらが【暁煌】の職人が手がけた新作でーす!」
溌剌とした声に促されるよう、目の前の机に並ぶ品々を見遣る。
貝殻の形をした焼き菓子を始めに、チョコレートをふんだんに使用されたであろうケーキ。どれもがとても甘いと思われる菓子だった。
オルドヌングは菓子に注視することはなく、変わった飲み物がなみなみと注がれたグラスへ向かう。
まるで淡い紺色の夜の海に淡く灯る白い星砂が、波のように揺れているようだ。
更に陽光を反射する特徴でもあるのか、窓から差し込む光に反応し輝いている。
「それ、気になる?綺麗だよね」
「……目に留まりはするよ」
「これはね。光を当て続けた時間で味が変わる特性があるドリンク……名前は『ルミナス・ブルーミング』。先に太陽を当てたものを試飲したけど、爽やかな甘さだったからさ。きっと君も気にいるよ」
飲み物の説明を受けたオルドヌングは、無言でそのグラスを持つ。
ただ、すぐに口につけることはしない。
クルクルと手で回し、狭き場所で広がる銀河を眺めるばかりだ。
「……えーっと。もしかして、好きなのなかったかな?この前、私が作ったのは美味しそうに食べてくれたから。てっきり甘いもの好きかと思ったのだけど……」
眉根を下げて微笑むシェルアレンに、オルドヌングは目を伏せていく。
「食事は栄養さえ取れればなんでもいい。あの時は、君が作ってくれたから、それが嬉しかったんだよ」
偽りなき本心を伝えた上で、狐色に焼かれた形のいい菓子も手に取る。
芳醇なバターの香りがするそれを口に運び、咀嚼した。
奥歯ですり潰して嚥下して、煌めくドリンクを一気に飲み干す。
――生クリームや洋梨の香りをつけたシロップ。大量の砂糖を用いたもの特有の口周りのベタつきは確かに感じられる。
だけど今のオルドヌングにはどれもどうにも甘さが淡く、味が薄い。
「…………美味しいよ。ありがとう」
ひとまずこの場は用意してくれたシェルアレンに心配を掛けさせないよう礼を告げて、空になったグラスを机に置く。
「――ね。サージュのやつに、何か唆されてない?」
そんな冷め切った反応を示すオルドヌングに、シェルアレンは静かに問いかけた。
「君は偉いよ。凄いことを成し遂げてくれてる頑張り屋さん。……でもね、本当は救うべき人々よりも大事な……別の想いは、ないの?」
吹き抜けの窓から差し込む日差しが傾き、自然とふたりを分断する。
分け隔ててしまわれた中で、オルドヌングが真顔で答えるのだ。
「……大丈夫だよ、シェルアレン。これは全部、俺が望んでることなんだ。君は何も気にしなくていい」
後の話を誤魔化すように、別の焼き菓子にも手を伸ばす。
「――何も知らなくていいんだ」
キャラメリゼが施されたケーキを摘み、口へと運ぶ。
バリバリと固まった砂糖を前歯で噛み砕き仄かな甘さだけを感じるそれを、無理やり、飲み込んだ。
◆
【ジャバフォスタ】は、第一海洋区を除き海底に施設が建造されている国である。
客室の大窓は昼であれば回遊する生物たちを視認できた。しかし光源を失った夜となれば、何もない暗闇が広がるのみ。
その客室の窓側に置かれたソファーへ腰をかけたオルドヌングは、サージュと通信を交わしていた。
次なる破壊すべき兵器の相談のために。
『――【ルド】の第四区に出没した環境汚染兵器『クリステル』、ダイヤモンドに劣らない強固な外殻を保つために鉄を欲して、工場施設を襲う傾向がある。人類にはまだ隠蔽できてる段階ではあるが、隠しきれなくなる前に処分すべきかなぁ』
「……他のアストリネは、手を貸さないのか?」
『ああ。完全にこっちに丸投げだよ。協力者は君を筆頭にハーヴァにローレオン、それとグラフィス。数が足りてるって判断だろう』
辟易したように長いため息を吐く。
協力せずに全て丸投げして享受だけする連中に対して、憂鬱が募って仕方なかった。
『……しかし君が活動してもう五年かぁ。これ、いつまで続くのかねぇ』
「………」
目を丸くする。
何故ならこのようにサージュがオルドヌングに対し感情を露わにするのは初めてだったからだ。
知り合ってからずっと定期連絡と作戦に協力してもらうだけで、ろくな交流はないしその心理を知れる機会もない。
寧ろこのように話題を振られたこと自体、奇妙な現象だろう。
「………そうだな」
だから、オルドヌングは無意識にも薄く唇を開いていた。
「先が見えなくなるまで続くとも、こんな鬱屈とした感情を持つなんて思わなかったよ」
流れるように消えない傷が残る己の掌を広げる。
指先でなぞり、鑢のようにざらついてる皮膚を撫でていく。
其処は内側の皮膚が焼き爛れたような凄惨な状態だ。
薬や『エンブリオ』の再生医療に頼っても治らない。最早歪な再生がなされてしまい、古傷が硬く刻まれてしまっていた。
これまでオルドヌングが兵器破壊活動にて蓄積した傷。過酷な道の歴史にして無茶の証明とも呼べるのだろう。
『でもいつかは終われるはずだよ。悪行ってもんはそう続かない。必ず滅びるものさ』
「……何、励ましてるのかよ」
『そんなわけ』
らしくもないことをすると真顔でサージュを跳ね除ければ、通話越しで鼻で笑われてしまう。
『君のひっくいテンションに合わせて、付き合ってるだけさ』
そんなサージュの気まぐれは続き、この言動理由も明かされていく。
『先の楽観的思考論自体は『 』が言ってたことさ。僕は微塵も思ってない。悪は手を下すに限る。さっさと上手いこと隠れてるシルファールを見つけないと活動は終わらないさ』
発言の後、オルドヌングは窓外に視線を向ける。何も見えない闇の海を眺めていた。
「…………そのシルファールを見つけ出す方法を、もう、思いついてるんだ」
『………』
口にするのを憚っていた様子で語り始めるオルドヌングに、サージュは興味を示すよう聞き返さないことない。
ただ、無言で続きを促す。
沈黙の静寂が満ちる中でオルドヌングは己の額を手で抑える。
とても長い溜息を吐き切っても、肺に詰まる陰鬱は気持ちが抜けない。
しかしここで押し黙らなかった。
ずっと『可能性』を感じつつもどこか割り切れずに目を背けていた手段に向き直るよう、確かに紡ぐ。
「俺が『古烬』や協力したアストリネの心を組み換えて、別人格を編み出す。強制改心をさせてしまえばいい」
『うん。それは途方も……なくはない。寧ろ確実だ。――但し、君が修得した[核]の修復技能とはちょっと質が違う』
サージュは咎めて悩む素振りも見せない。即座に最適であると認めてから続けていく。
『元あるものを解体して別のものに変換する……危険なものだな。君の魔改造を受けた『古烬』やアストリネは、加減を誤れば狂い果てるだろう』
一つの螺子をつけ忘れた機械が壊れてしまうように。
間違えれば、精神から崩壊すると判断まで下された。
『そして元ある人格を壊すような行為だ。個性を潰し、否定する。ある種の命を奪うに等しい。それを実行するならば――君は殺人鬼に堕ちる』
それも含めて全て、薄々気づいていたこと。
逃げるように目を逸らし続けてたオルドヌングは何も答えられず、場に重たき静寂が満ちていく。
『――ま。といえ相手は裏切り者だ。どちらかと言うと処刑者かも。だから、隠蔽工作は全然してあげてもいいよ。奪う決心がついたら、また話してねぇ』
その程度はサージュにとって些事でしかないよう気さくに告げて、一方的に取り付く間もなく通信が切られた。
長い付き合いといえど、無駄な対話をするほど仲睦まじい関係でもないのだ。
だが、今のオルドヌングにはこのフラットな態度が丁度良かった。
こればかりはひとりで思案して、結論に至るべき案だ。命の問題でもあるのだから、誰かの意見で揺れてはならない。
「………俺が誰かの心を壊し………殺す。その決意さえすれば、」
仰け反りソファーに背を持たれて、首を横に傾ける。身を委ねるように瞼を下ろし瞑りゆく。
「この長い連鎖が終わる。覚悟一つだけで解決する」
心は、とうの昔に決まっていた。シェルアレンが壊れないのなら構わない。
――それに、元より相手は裏切り者だろう。
言い聞かせていけば、自然と納得を覚え、昏い心中に溶け込んでいく。
「――奴等を平定の礎として、消した方がいい」
誰もいない部屋で、泥濘のように真っ黒な本音が広がった。
◆
虚空の底へ沈みゆく。そんな昏き夢を観ている。
底なしの沼でもなく、海溝が深き海でもない。
何せ波に揺らぐ心地もないのだ。ただ、延々と底へと落ち続けてしまう。
そんな奇妙な夢を観ていた。
「…オルド…」
だけどその夢から得られる眠りは深い。
夢の世界という雑念がないからこそ、余計な情報に振り回されずに済んでいるのだろう。
――此処に安らぎもないけれど。よく、眠れていることだけは確かだ。
「オルドさーん?起きてますかー?……おーい!」
しかし、先からやたら明瞭な声が聞こえてくる。
「そろそろ、起きる時間ですよー!?」
声が、強引に底から意識を引き上げてきた。しかしオルドヌングは今、覚醒する気はない。
このまま眠っていたいのだと無視を決め込もうとするが、不意にカーテンが横に引かれる音が立ち、焼きつくほどの眩い光が差し込んでしまう。
「…………っ………!」
それは強烈な刺激だ。強制的に覚醒させられるほどまでに。
億劫そうに唸りを漏らしつつ、オルドヌングは重い瞼を震わせて開き、薄めた翡翠の双眸を世界に覗かせていく。
そうして真っ先に視認するのは、朝日を受けて輝く白銀髪だった。
「おはよう。オルドヌング」
これから外出するのだろうか。
きっちりと服を着込んだシェルアレンが、日向差し込む窓際に佇み小首を傾げて微笑んでいた。
「……………」
オルドヌングは、すぐに返事を紡げない。
「…………………なんだ」
無理やり起こしたことを咎めるようにも怪訝そうな顔を浮かべ、手短に要件のみを尋ねていく。
「………。おはようと言われたら?」
そうすれば挨拶を要求されてしまうため、バツ悪そうにも目を逸らし、肩をすくめて息を吐いた。
「…………おはよう」
「はい。おはようございます。……よかった。起きれて、呼吸があまりにも浅いから心配したよ。もうちょっとで医療班呼ぶところだったや」
どうやら心配されるほど深い眠りだったらしい。
それについては申し訳なさを覚えて、無意識で頬を掻いた。
「――で、さ。もしも元気だったら。これから付き合ってくれない?」
「………これから?」
不意の言葉に怪訝そうな表情で尋ね返せば、シェルアレンは両手を合わせていく。
「そう、これからお出かけに付き合ってほしい。見せたいものがあるんだ」
得意げに名案を明かすようにも、口角を深めながら。
【陽黒によるヤヌス崩壊まで 残り3日】




