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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第二章. 落陽の果て、蒼穹に嵐吹く【ルド】
57/63

【天翔】

ゼギルからオルドヌングとして生を得てから、早二ヶ月が経過した。


その間でオルドヌングは引取先のエファムのもとで多くの知識を学び、世を知れた。


双子のエファムたちとサージュ。

彼等は数年前に『平定の狩者』という小規模な組織を創りあげ、『古烬』という存在が編み出した蔓延る生体兵器を破壊し続けてる。


しかし、活動は途方もなく、被害も凄惨だ。

だがそれに関しての隠蔽工作が徹底して行われている。

アストリネが管理的立場だからこその対応だろう。大規模な被害が出ていると知られて、人々に不安と混乱を招くのを塞ぐために。


故に、人々の認識とは相違がある。

活動はあれど小規模の被害で済んでおり、大した問題ではない。【ルド】の兵士との連携は完璧順調で、この先と安寧と平和が崩れることはない。

そうした定型文だけを通知して済まし、繰り返し。

人々間には『古烬』への悪感情だけ募らせてるだけして、現実は決して見せないように誤魔化す。


――だから、オルドヌングが生きようとしたキッカケも『平定の狩者』の中では大して珍しくもない。

実際に、よく起きていたことの一つだったのだ。



その日の夜はひどく寝付きが悪く、現実と夢の境目に揺れていた。


ドサッと、夜の帷を切り裂くほどの大きな物音が立ち、鼓膜を揺るがされる。


「っ!?」

思わぬ形で覚醒を促されたオルドヌングは、息を呑んでベッドから飛び起きた。


「………何の音……?」

不思議に思いつつも手を伸ばし、枕元を弄る。そうして横に置いていた純銀めいた球体を掴んだ。

中指を押しつけて指紋認証を済ませ、起動を促されたそれは機械仕掛けの音を立て始める。

中心にレンズ機構を展開した後に、反重力機能をも展開して宙に浮かび始めていた。

まるで、純銀の一つ目が浮かんだような見てくれではあるが、これの主な機能は照明である。

即座にオルドヌングの周囲ごと眩く照らし、数メートル先までの暗闇までが晴れていた。


そうしてオルドヌングは扉に異常がないことを知れる。

「……玄関、とかなのかな……」

独り言を呟きながら、浮遊する懐中電灯を傍に引き連れて、解明すべく部屋外を出た。


毛布に包まる形で満ちる寒気を耐え、何もない静かな通路を通り過ぎる。

先にある玄関へ繋がる階段を慎重に下っていく。


一段ずつ、踏み締めて降りていく途中。

冷え込んだ空気に混じる鉄錆の匂いが鼻腔を擽った。


「っ、ぅ……!?」

足を止めて、走る嫌悪感に顔を歪める。咄嗟に口や鼻を両手で覆うように抑えてしまう。

オルドヌングは嫌でもソレを嗅ぎ慣れていたので、匂いの元の答えに辿りついた。

――これは、血の匂い。しかも大量に流れてるのか、酷く濃いものだ。

階段の途中で蹲り、緊張で身を強張らせる。確実にあるであろう異常に向かうのを恐れて動かずにいた。

しかし、オルドヌングの反応を置いて、自動照明は義務的に動く。

整然とした音を立ててオルドヌングが向かう先であった玄関に対し、光を走らせる。

そうして其処に転がるものを明瞭にした。


「……………ぇ、………」

翡翠瞳が、溢れんばかりに瞠る。


玄関に転がるのは、かろうじて人の形を保つもの。

普段は丁寧に束ねられている白銀髪が引きちぎられたように、床に散らばっていた。


「――――ッ!……ぁ、…ッ!」

緊張感が解けた。

階段に蹲るのをやめて立ち上がり、慌ただしくもオルドヌングはシェルアレンの元へ駆け寄っていく。

近付けば、より酷い状態だと知れた。

両腕は棘に巻かれて無理矢理引きずられたのだろうか、ズタズタに破れたボロ雑巾のようだ。両脚には未だ抜き取られず、棘の断片が食い込んでいるようだ。

そんな状態だからこそ、受ける鈍痛がずっと続いてるのだろう。

魘されるように低い唸り声を漏らし、苦悶に耐えかねて、爪先は床を引っ掻いた。


「………っ、………ぁ、えっと…こういう、時は…!」

しかし、大怪我をしてると分かったところでだ。オルドヌングには正しい対処法がわからない。

知識がないだけでなく、緊急性が必要な状況下で冷徹に動けるほど場に慣れてなかったのだ。

自然と錯乱状態へ陥ってしまう。呼吸も上手く、できなくなるほどに。


ヒュッと何度か喉を鳴らし、動悸早まる心臓を殴るように抑えることで何とかオルドヌングは呼吸に漕ぎ着けては頭を回転させた。

過去の己の経験を思い出す。

兎に角、傷を塞がないといけないという思考へ辿り着いた。

纏っていた毛布をシェルアレンに掛けて身を包む。

――だけど、オルドヌングの知識は其処で終わり。シェルアレンに施せるのもここまでだった。


「…っ、……っ!………どうし、…どうしよ……」

狼狽えて、左右に頭を振って迷う。

「どうし、……どうしたら……おれ、…っ」

どれだけ考えても解決策が浮かばない。今のオルドヌングは無力だ。惑う間にも、シェルアレンに被せた毛布は赤黒い染みに染まっていく。

怪我は治らないのだ。だから、このまま自然と消える、壊れて、終わる。

「まって、まってよ。なんで、…ぜんぜん、こんな…!」

そうした予感が、感情の奔流を産み始めていく。

喉が熱くなり渇きを覚え、胃の奥から迫り上がる。目の奥が痛み出し、翡翠瞳の目尻には大粒の涙が浮き出ていた。


透明な雫で、堰が決壊する直前。

爪も剥がれて皮膚が裂けた、痛ましいとしか言いようがない掌が、そっとオルドヌングの手に重ねられる。


「………っはは。ごめん、ごめん、ね。おどろかせちゃ、った。これ、ちょっと、だけ。ヘマ、しちゃっただけだから……」


無理に搾り出した、ひどく掠れた声だ。

発声自体苦痛だろうのに、それでもシェルアレンは懸命に紡いでる。

「毛布も、ありがと。これ、あったかい、ね。おかげさまで、きっと、すぐに治るよ」

黒泥や砂が付着した顔と焦点の合ってない空虚な目で柔らかな微笑を浮かべて、泣きそうな子供を宥めていた。


「だいじょうぶ。オルドは、なにも、気にしなくていいから、ね」


シェルアレンの思い通り、オルドヌングの涙腺は決壊を免れていた。

しかし、目尻に浮かんだ涙は引っ込まない。

唇を噛んだまま、ブルリと身を震わせる。

それは、夜の寒さを感じた生理現象ではない。

「…なんで?」

情緒薄い幼心に満ちるのは、確かな疑問だ。

強く吠えるように問いかけたい衝動が湧けど、目の前の者があまりに度し難くて、喉が引き攣った。


結局シェルアレンの深い傷は塞がらない。

臙脂色の血は溢れており、肌色は雪のように白く変色を果たす。

「何が、だいじょうぶ………」

どうしたって衰弱していく一方だろうと非難めいた言葉を漏らせば、譫言が繰り返される。


「心配かけて、ごめん。私、まだ、だいじょうぶ。だいじょうぶ、だから」

それにオルドヌングは自然と両手拳を握り、奥歯を噛む。


「――なんで、あやまるの」

理解し難いと訴えるように声を絞り出す。

どうして、何も悪くないだろうに申し訳ないと謝罪するのかと、追及した。


「……どこが、ぜんぜん、大丈夫、なんかじゃない…っ…なにが大丈夫、なんだよ!」

いったい何処が【大丈夫】なのだろうか。

いつかわかると宣って――何一つ、わからないことばかり紡ぐのかと、睥睨して心の惑いをぶつけてしまう。


「……………」

だが、それでもシェルアレンは笑みを崩さない。理想的なまでに美しく、微笑みを浮かべて紡いでいた。


「――でも。君は、守られるべき子どもだから」


事実を突きつけられたことにオルドヌングは茫然としかけるが、直ぐにギリッと歯軋りを立てた。

身を震わせた後に口を開き、鋭く突きつけるようにも唸るように呟く。


「だから、痛いことも、受け入れるの?」


オルドヌングと名を冠する前のゼギルは、それが嫌で逃れようと抵抗したのに。

よりにもよって其処から救い出したシェルアレンが痛みを当然として受け入れるのか?


「だからおれの代わりに、全部、受け入れてるってことなのかよ!」

強く訴えたが、――先は続かない。

シェルアレンは僅かに口を開けたまま何かを紡ごうとして口を開閉させていたが、瞼を閉ざして俯いてしまう。

おそらく、限界だったのだろう。

糸が切れた人形のように何かも語ることはない。微かな呼吸を漏らして、泥濘に意識を沈めてしまっていた。


夜の静寂が再び満ちていく。


広がる冷たい空気や重なる手に対して、体は燃るような熱が湧き上がっている。

手から伝わる弱々しい脈拍ごと手放さないよう、強く握り返した。



――――後日。

よく晴れた昼中、エファムの屋敷の一室にて。


席に着いたオルドヌングは鉛筆を握る手を動かし、紙に数式の解を走らせる。

書き記される長き数式は正しい。文字自体も癖がない達筆だ。

それを眺めていたサージュが、苦渋に満ちた顔を浮かべている。

「君さぁ、ほんとに六歳?知識吸収率がエグいおかしいんだけど。……あーここは嫌がらせで重力場の方程式でも教えとくか……?」

普通ならあり得ない。やたら賢すぎる点に疑問を持ちながらも、次は難解を与えてやろうと目論んで意地悪さを出しつつ、手に持つ数式の本を捲り上げていく。


紙が擦れる音の合間、数式を書き切ったオルドヌングはポツリと呟いた。


「アストリネになるには、どうすればいい?」


それは、サージュにとって予想外。『観測』の範疇を超えた質問だ。

黄金瞳が大きく瞠り、そのまま、呆気に取られた様子でオルドヌングを見る。


「……は?なに?なんで、いきなりそんなこと聞くの?」


サージュに問い返されて、オルドヌングは紙に突き立てる鉛筆の力を込めてしまう。

ガリッと芯が折れ、擦れた音が場に響く。


「ふたりとも、夜遅い。けど。シェルアレンの方は………必ずといっていいほど、ボロボロで帰ってくるんだ」

あの夜以降――理解できた。兵器破壊活動自体が命を懸けた行動なのだろうと。

特にシェルアレン。『    』とは違いぼろ人形のように帰ってくる。

己の体が再生するのをよしとして、無理に活動してるような印象を受けて仕方ない。

肩から指先にかけて硝子片が刺さって皮膚が鱗のようになっても、炭のように焼き焦げた足になったとしても。シェルアレンは何度でも兵器破壊に向かうのだ。

――否応でも感じてしまう。


あの施設にいた頃の自分よりも、シェルアレンの方が酷い苦痛を受け続けてるのではないかと。


「……また、そこに向かえるのが、わからない」

オルドヌングは疑問を抱いてる。

絶対に痛くて嫌なことだろうに。何故、シェルアレンは平然と向かえるのだろうかと。

「なんで、嫌だって言わないで、逃げないんだ?」


そうしてオルドヌングが疑問を紡ぎきった後、聞いたサージュは目を瞬かせる。

任されていた教育事を放棄するよう、息を吐いて本を閉じ、卓上へ無造作に投げ置いた。


「正直、兵器一体だけでもアストリネより強い。そもそも今のアストリネは……全体水準が低いというか、年々レベルが下がってるからねぇ。あのゴリラとシエルくらいだよ。単騎で兵器に真っ向勝負して対抗できるのは」

雑草が群れても意味が無く、刈り取られるだけ。現状切り崩せる力を備えてるのは二十五代目エファム。あの双子だけだとサージュは語る。


「ただ、全部がダメじゃない。三十二代目ローレオンは期待値高い。彼自身も協力姿勢でもあるけど、まだ異能の練度に欠けてるらしい上に、周囲が出させまいと引き留めてる。……何かきっかけがないと戦力増強の見込みはないかな」

つまり、今後もシェルアレンの逆風が変わらないことを知れたオルドヌングの翡翠瞳が、眇められた。


「だから、何。兵器に勝てないって分かってるからって。何もしないでふたりに任せきりなのは、おかしい」

「まぁまぁ、そだね?正式に手を貸してるのも僕だけだし?言いたいことはわかるよ?グラフィスだって、そこそこ戦えるくせに手伝わない。会議も寡黙な娘に任せきり。援助だけちゃんと務めてるけど、――目的は違う」


サージュは徐に己の首飾りに手を伸ばす。

銀装飾に覆われた青色の鉱石部分に軽く触れれば、青色の光は放たれて、ホログラムは宙に面を編み始めた。


「やつは『全ての情報を得る』、ただそれだけの目的さ。このヴァイスハイトが管理するHMTの保管場所を奪いたい一心しかないんだよ」

「……?……ふたりが兵器破壊活動をやめたら、今が壊れるのに?それが何の必要なんだよ?」

「必要だねぇ。“情報”ってもんは脅し材料になるから」


目を伏せて低い唸る真っ直ぐなオルドヌングの疑問に、サージュは浮かんだ画面を閉じてから肩を大きく竦める。


「よーするに、今の自分さえ満たされていればいいわけだ。よくある刹那主義思想。だから、此処まで後先考えずに好き勝手やれる。………ほんと碌でもない上につまらない奴だよ」

そんな侮蔑を込めた低評価を下し、オルドヌングに対し薄く睨むように視線を寄らせた。


「んで。そんな腐ったアストリネの事情はともかく。なんでそれらになりたいと思うわけ?……まさかだけど、『シエルの助けになりたい』とか、そんな馬鹿げた夢を持ったわけじゃないよねぇ?」

「………」

――図星だ。

オルドヌングは突かれたことを隠し通せず、キュッと口を噤んで俯いてしまう。

そのわかりやすい肯定反応に、サージュはハッと笑い飛ばした。

「ハハッ!マジ?いやぁ、無理無理!アストリネになるにしても条件があるんだよ?前代から姓ごと[核]の継承を果たすか――運良く新たに発現するかさ!」

どれだけ優秀であろうとも、運に恵まれなければ到達できない領域だと語る。

もしもを夢見るオルドヌングに、決して叶わないものと釘を刺すよう眼前に指先ごと突きつけていく。


「だけど、異能発現は生まれつきで備わる事例しかない。突然開花する前例も()()ないんだ。――わかるよね?もう六歳の君が、シエルにしてやれるのはせいぜい世話役程度なわけ」

無理なものは無理ととっとと諦めて、所詮叶わない夢だと即刻捨てるべきだ。

拾われたくらいで特別になれた気にならずに、自分に見合った立場を務めればいい。

サージュはそう捲し立て、突きつけた指先が鼻に当たる寸前までオルドヌングと距離を詰めた。


「大人しく守られる側でいろよ、オルドヌング。それが当たり前だし、余計なことしなければシエルたちも安心するんだから」


煌めく金色瞳を前に、オルドヌングは不満気に睨み返す。

「………安心、なんて………」

安心なんて、今の世では曖昧で不安定なものだ。それは本当に必要なのか?

双子が維持する守護の牙城が崩れてしまえば、この平穏だって簡単に壊れゆくものだろう。

そう訴えるように眉根を寄せていく。


『大丈夫だって。これもすぐに治っちゃうから』

なんてことない些事のように。笑って手を振って壊れゆくのを当たり前だと受け入れるのが正しいなんて、到底思い難かったのだ。

徐々にキツく睨むよう、翡翠瞳を眇める。

頭を左右に振って払い、鉛筆を机に叩きつけては歪んだ唇を開く。


「――じゃあ、それを頑張って、傷つかながらも守る奴は、誰が……守ってやるんだよ……!」


皆、誰かに支えられて護られるべきではないのか。

そう意を訴えれば、サージュはゆっくりと瞼を下ろしていく。

僅かに悩み思案するよう己の顎を撫でて手を下しては片目を開き、不意に煌めく金色瞳を覗かせる。

以降は、躊躇せず。敢えて口を開き、容赦なく言い放つのだ。


「――始祖の系譜たるエファムが壊れたとしても構わないさ。次の代を作ればいいだろう?」


オルドヌングの幼い思考でも、発言の異常性は理解できてしまう。

ヒュッと喉を鳴らした拍子で転がっていた鉛筆が床に落ち、割れた黒芯が周囲に散乱した。



――零時を過ぎた深夜。

【スワラン】の第四区『ヤヌス』は長く厳しい冬を迎えており、寒極の域に達している。

設備を整えた分厚い壁の屋敷だろうとも、放熱機がなければ到底過ごせぬ極寒だ。


それでもオルドヌングは暖かな部屋に戻らず、階段の隅で座り込んでいた。


照明は、とうに消えている。今宵は曇り空なのか、窓からも月光が差し込まないため宵闇は深かった。

まるで黒曜で形成された世界と思わしい世界で、枯れ葉のような毛布を羽織り、ひっそりと縮こまる。秒針を刻む時計の音だけが暗中を揺らす中で、自然と訪れる微睡や冬の寒さに耐えながら、待ち人を待ち続けていた。


スンと鼻をならす。自然と重く瞼が下りる目を手の甲で擦る。

腕の皮膚を手で摘み捻り痛みを与えて、意識を手放すまいとしがみつき続けていた。


やがて――重さで床が軋む音が立つ。


「……お前、今何時だと思ってんだ」


オルドヌングが待っていた存在である者は、怪訝そうな表情で見下ろすのだ。

目が合った途端、白い息を長く吐かれ、気怠そうに頭を掻く。

そのままオルドヌングに向かって数歩ほど歩み寄り、目の前に立ってから膝を曲げて目線を合わせてきた。


「なんで起きてた。風邪引くから九時過ぎたら部屋で寝てろって言ったろ」

夜の帳が下りた世では、蒼穹を連想させる瞳は眩しい。光源にも等しい双眸に凝らされる中で、オルドヌングは呟く。


「――シェルアレンがあんなに傷ついてるのにどうして誰も、『   』も守らないんだよ」


その一声はやけに暗く冷たい空気に響き、シンと静まり返させる。

呆気に取られたよう『    』の唇が僅かに開くが、疑問の雫は止まることなくオルドヌングから溢れ落ちていた。


「なんで、守らずに、壊れてもいいってして、置いてくの。……だれも守ろうとしないの?」

声帯を振るわせ、不条理だと疑う純な吐露が溢れ落ちていた。


「エファムだからってのは、変だ。おかしい、こんなの間違ってる」

それは、『    』にとって世界を破る音に等しい。場に沈黙が走り、静寂に満ちて行く。


「おかしい。こんなの、何でそうしてるんだ。なんで、嫌なことから逃げられないんだろう」


――カチッと音が立った。

時計の長針は三時に傾いた音だ。同時に遠ざかっていた意識を現実へ引き戻すものでもある。


「――――――」

わずかに空いたままだった『   』の口から、かすかに呑んだ息が漏れていたが、やがて硬く噤がれた。


「ハァ。なーんで、よりによってお前が気にするかなぁ。……まあ、いい機会だし話しといてやるよ」

墨色髪の隙間で碧眼が細まって、身を屈めるのをやめるよう立ち上がる。

流れるようにもオルドヌングが座る二段下の階段で腰を据え、長い息を吐いた。


「サージュのアホからそれなりに聞いたんだろ。アストリネのことさ」

「…………うん」

「それに追記する。アストリネだけじゃなくてエファムも、代を重ねる度に劣化が続いてるんだわ」


闇夜の静かに語られるのは、アストリネの姓の事情にして、始祖の系譜のみぞ知るべき裏話。

誰にも暴かれてはならないであろう、憶測だ。


「人と交わることで血が薄まりゆく。俺たちは着実に始祖から遠のいてんだ」


『   』はすぐに重い気持ちを切り替えるように顔を横に振り、息を吐く。


「……だけど、まあ。それでも俺たちがエファムだからな。支えられるだけじゃなくて、支えなきゃならん」

体を揺らしたオルドヌングは毛布を掴む手を強張らせて、咄嗟に横顔を見上げる。

エファムの片割れは感情の機微も感じさせない能面じみた表情を、宵闇に浮かべていた。


「お前の……気付いてる通りだよ。俺はさ、めちゃくちゃ強い。二十以上の兵器を相手にしたって苦でもないんだ。今日だって沢山捻り潰してきた。これから先もそうする、万人を救うためにこの力を奮う。行動意味も意義も見出してるから、ずっと続けられる」

ゆっくりと。徐に暗い天井を仰ぐ。

深夜の室内だから空は見えない。しかし遠くの太陽を仰ぎ、思い馳せるように『   』の視線はずっと上を向き続けている。


「でも、シェルアレンは逆だ。彼奴は……異能の代償があるせいで乱用できない。それを気にして縛る前提で戦うから大して強くないし、明確な意味や意義もないんだよ。多分、エファムとしての義務と、俺の野望に付き合ってそうしてるだけだ」

「代償と、……義務と、野望……」

「ああ。そうだ。エファムだと基本的に、付きまとう。例え闘いが嫌でも。身を粉にして世に尽くさなきゃあならない」


オルドヌングが息を呑む中でも、淡々とした客観的事実が紡がれた。


「そうせざるを得ないのは、あいつがアストリネにしてエファムだからだよ」

アストリネの一族の象徴たるエファムは、道を、生き方を選べない。

故に今後もシェルアレンの無茶や摩耗は続いていくのだろう。

しかしオルドヌングは予感はした。

それでも全てなんてことないように笑い、当然のように受け入れて進む筈だと。


「………そう、わかってて、この先も、ずっと黙って見てるだけ?」

小さな絶望を覚え、オルドヌングの声はひどく掠れたものになる。

聞いた『   』は黒骨に覆われた己が手を天に掲げるように伸ばす。

無骨で鋭利な手甲に包まれた手の力が籠り、拳を握った。


「ああ、そうだな。俺では無理だ。先に進み過ぎて置いてくから、あいつを無理に引きずっちまう。……ちゃんと助けてやれもしない」

握りしめた手を膝へ下ろし、首を傾けてオルドヌングを見据えて告げる。


「――だからオルドヌング、お前がシェルアレンを助けろ」

冷厳を以て放たれたその声は、暗闇の中でやけに明瞭に響いた気がした。

「今がおかしいと思うなら、助けたいなら。お前の手で救ってやれ」

息を呑んで瞠り揺れる翡翠瞳を、蒼穹を彷彿とさせる碧眼が見下ろす。

嘘偽りはないと現すように一点の曇なき眼で、紡ぐ。


「その覚悟があるのなら、俺が稽古をつけてやる。勝ち方ってやつを徹底して教え込む」

僅かに沸いた情を絶やさせまいと確固たる想いを含めた言葉を掛けて、握り締めた拳をオルドヌングへ伸ばしていく。


「お前に戦いの才能がないとかアストリネじゃないとか、そんなもんはなしだ。最終的に勝てばいい。……手段を徹底して叩き込んでやる」

やがて、拳はオルドヌングの胸を軽く小突き、幼き身を揺らす。

咄嗟に手で押された場所を抑えていれば、『   』は徐に階段に座り込むのをやめて真っ直ぐに立ち上がった。


「やる気、あんなら今日から始めっぞ。――どうする?」

薄ら笑みを浮かべて、試すような挑発を投げる。

これ以上進まぬのならば置いて行くというある種の明示でもあるのだろう。

意を感じ取れたオルドヌングは、唇を噛んで速やかに立ち上がる。

同時に己を覆う寒さを遮る毛布をも脱ぎ捨てた。


「やる」


確かな決意を秘めたその翡翠瞳は、闇夜に煌めく。


「………それでいい」

輝きを目の当たりにした『   』が、口角を上げて笑みを深めていた。



――時は流れ、三年後。

『至511年』


【ルド】、第一区の屋上に建設された灰色を基調とした円形闘技場『アレイオス』にて。

現在、多くの人々が地面に突っ伏して悶絶していた。


顔や腹を抑えてる者。

真っ赤な顔で鼻水を垂れ流し、喉や股間などの鈍痛に耐え切れずに背を丸めて蹲る者。


――それらは総じて共通して、一人の少年により敗北した者たちだ。


「………っ、ふぅーー……」

オルドヌングは、己の口元を覆っていた灰色のハンカチを乱暴に剥ぎ取った。

髪の乱れを気にすることなく、鬱陶しげに滲んだ汗を乱暴に拭い、乱れきった息を整えるよう肩を上下させて呼吸を繰り返す。


その姿を見守る視線は、二つ。

十数メートル上、グラウンドから最も離れた観戦席にして最上段から注がれている。


「……………っぱ、ラグダール達が引退してから兵士のレベルが著しく低いな。これじゃあ、荷物持ちでも務まらねえよ。戦場でも足手纏いになるだけだ」

「それはそうかもしれませんけども」


終始見守っていた双子のエファムが、隣あって座り込んで会話を交えていく。


「ん?待てよ。こうなると、兵士は……連れてけない……」

片割れと会話に投じる前、『   』が結論から呟いた。深く腰を掛け、脚を腿に乗せるように組み、熟考するように己の顎を撫でる。

「…となると。俺等の負担は兵士程度で改善されるわけじゃない……」

数々の思案に迷走するよう、脚を小刻みに忙しなく揺らしていたが、――やがてひとつの名案に辿りついたのだろうか。

平らに据わる碧眼が僅かに瞠る。


「ッシ!決めたわ」

パンッと手を叩き合わせた後は、悪どい笑みを浮かべていた。


「結論、兵器破壊に兵士は使えない。これから先も俺とお前だけで行く。――但し、このひでぇ結果を【暁煌】の保守思想の奴等に叩きつける。頭数が必要だって分からせて、三十二代目ローレオンを協力者に連れ出すぞ」


十歳未満が故に適性検査も受けてない子供に、成人済みの兵士たちが敗北したのは紛れもない事実。

結果をまとめたレポートを提出し、必要な協力者を得るべきだと『   』が改善策を提案すれば、浅く腰を掛けて行儀良く脚を閉じていたシェルアレンが薄く細めた視線を寄越す。


「……そこは反対しません。お任せします。ので、また別の話するんですけど」

「おう。なんだ?」

「私さ、割と勢いでオルドヌングを家族にしたじゃない」


両腕を組む仕草を交えて、シェルアレンは鉛めいた溜息を漏らす。


「でも結構、長期的な治療とか……()()()()()()()()()()()()人類への公的行為とかで、家にいない時間は多いでしょ?それで、任せきりなのが、申し訳ないなって」

己が栄光を掠め取ってるような現状も含めて、申し訳なさそうにも呟かれた『   』が鼻で笑った。

「アストリネ社会の安泰を維持するために信用を与えるのも、俺たちエファムのつまんねー仕事の一つなわけだし?適材適所ってやつだ、気にすんなよ。こっちはカフラも手伝ってくれてるのもあるが、負担には思わねえ」

「そっか、それならよかったよ。ありがとう。――って、………文句ひとつなく済ませられたら平和だったんだけどな……」


そう、ここはお互いに欠けたものを補う美しい双子仲を垣間見せる感謝の会話では終われないのだ。


「ハァ…………」

不満を紡ぐ前置きのように、シェルアレンは長い溜息を吐く。


「――よくもまあ、こんな品のない戦いをオルドヌングに教えてくれましたね?」


『    』に戦い方というものを学んだオルドヌングの戦い方は、お世辞でも手を叩いて称賛できるものではなかったと訴えるようシェルアレンは口元を引き攣らせて微笑んだ。


「別にいいじゃん。何処が不満なんだか」

「あのですね、99.9パーセントは不満しかないです。まず、初手。閃光手榴弾を用いたところから最悪。この試合も武器の所有は一つだけって話だよね?」

「武器じゃない。道具だろ」


真顔で宣うそれは屁理屈だと、シェルアレンは反論代わりに肩を殴る。

力をこめていたのだが、『     』は揺るがない。巨岩の如く、微塵も動かなかった。


「問題はこれだけじゃない。閃光で怯んだところで模擬刀を振い、顎や頚椎を狙って殴打してかなりの数の兵士を打破したところは……」

「鮮やかだったじゃん。いやー、人体の急所?雑魚なところ教えた甲斐あったわ」

「そこ。誇らしげにしないで。顎を殴り脳震盪を仕掛けた時点ですごく卑怯って話でもあるから」


何度も首肯して満足げに口元を緩める『    』に、シェルアレンは微笑みを引き攣らせる。


「……閃光に怯まなかった兵士たちの猛攻を受けて回避に徹した姿は……まあ、ちゃんと喜べますけど?」


ただ、不満だけでなく素直に褒めれる点もあるともちゃんと明かす。

小鳥が羽ばたくような軽快で素早い動きで翻弄し、場の攪乱を巻き起こす様は見事なものだった。


「それは当然すぎる結果だな。今のあいつ、俺の連撃を紙一重で避けれるし。こいつらのへぼい攻撃なんか止まって見えるだろ」

「とても良いことではあるんだけど……問題は相手の連携を崩した後なんだよね」

「ああ、唐辛子の散布だろ?ありゃ笑えたわ。なんか紅色の花火めいて派手な演出みたいでさ。…………んで。それがどうした?」

「どうした、じゃない。笑い事でもない。なんでそんなものをあの子に持たせてるの?しかもこれまた内緒で」


遂には微笑みを崩して憤怒を示すシェルアレンに、『    』は億劫そうな表情隠さず、指先で耳穴をほじくる。


「は?勝つための道具じゃん。めんどくさ。使ってなんか問題あるのか?」

「あのね、もしかして、なんでも道具と言えば全部通用すると思ってる?」


阿鼻叫喚の地獄絵図が広がったというのに、知識や品々を与えた元凶は微塵も気にしてない様子だ。


それ自体は闘技場全体が真っ赤に染まるほどの量と濃度だった。中で少しでも吸引した者は、鼻腔と目に強烈な刺激が走っていたのだろう。

誘発された咳をすれば更に粉を取り込んでしまい、辛味無限ループの地獄に陥った。

その光景を、今思い出しても余儀なく絶句させられる。


「つーかガキだと舐めてかかって奇策に対応できなかった奴らが悪い。毒霧とかだったら全滅だろうが間抜けすぎる」

とうの元凶はやはり反省の意もなければ、後悔なんかない態度を振る舞っていた。

どう正しようもない事実を前に、シェルアレンは大きなため息を吐き、顔を左右に振る。


「――後の決着手段も最低だったから。途中で介入するか悩んだレベルで酷かったよ?何、アレ。……『   』が教えたの?」

「人体って、マジで脆いし弱いよな。なんで股間を布だけで隠してるかわからん。ほんと世の中舐めてるだろ。兵士ごっこしてんじゃねぇと訴えたいね」

「わかった。もういい。カフラに言いつけてやる」


『   』への注意で効果的なのは己より彼女の苦言だと判断し、シェルアレンはHMTを起動して連絡に取り掛かろうとした。

「いや、手段を教えたのは俺じゃない。ユナだぞ」

しかし即座に衝撃的な発言が飛んだため、通信機械操作の手を止めては、項垂れる。


「………一から十まで、卑怯の塊……。剣の基礎も見受けられないし、型も無しに膂力任せに突いてるだけじゃない……」

「ハッ!伝統剣術だとか騎士道精神とか捨てろやそんなもの。戦いなんざ勝たなきゃ無意味だ」


主義主張は『   』が正統だろう。礼儀や道理など争いの場において無用でしかない。勝てば官軍。勝てなければ、何も語れないのだ。


「……言いたいことはわかってるし、それはそう通りですけど」

シェルアレンとてその主張が正しいとはわかってはいる。だけど、どうにも飲み込めない気持ちがあるのだろうと察した『   』が気怠そうに片目を瞑り訪ねていた。

「んで、何が不満なんだよ」


シェルアレンが目を細めて、無言で『   』から視線を逸らす。流れるように青空を見上げれば不意に微風が吹いた。

長い髪が揺れて顕にされた眉間には、深い皺が刻まれている。


「……私はあの子を都合よく利用するために、引き取ったわけじゃないんだよ?なのに、『   』がそうしてるから不満なわけ」


ただ、シェルアレンとしてはオルドヌングは幸せになればいいと願ってるだけだ。

エファムに拾われて何の不自由もない生活に満たされて。父親に売り飛ばされた過去なんか忘れるべきだろう。


「もう散々嫌な目にあった筈だから、何にも巻き込まれてほしくないのに………巻き込もうとしてるのがほんと、最悪」

この試合結果はオルドヌングが険しい道に向かうと明示された気がしてならないと、胃の腑の重さを覚えつつも、不安を滲ませた不満を吐露していた。


「親かよお前は、めんどくせーな。先でどう生きて選ぶかはあいつの自由だろ。好きにさせてやれ」

それに『    』は全く無要の心配だと一蹴する言葉を投げて、クァと牙めいた歯を見せる大きな欠伸を漏らす。


「まーぁ、これこそ、『尊重』ってやつさ。いいか、あいつはお前のことを守りたいって決めて生き方選んだ」

徐に顎を上げては背伸びして、さりげなくシェルアレンに行動原理を伝えた上で立ち上がり手を叩く。

空気が破裂したような音が響き渡り、闘技場に佇むオルドヌングにも届いたらしい。

両肩を揺らし、身を翻すようにも振り返って、視線が合わさる。

拍子で片耳に着用したHMT、シェルアレンと同じ形をした羽を模した黄金の耳飾りは揺れていた。


「どう転ぼうが確実な成長に繋がる。明日を生きるための力を手にするんだよ。あいつに生きててほしいなら尚更、止めようなんて無粋な真似するな」

「…………分かってる。強くは止めないよ。生き方は自由であるべきだから」

複雑な思いを飲んで、小さく答えたシェルアレンは一度、目を瞑る。


「せめて、思い通りに進んで生きて、笑えるようになってくれたらいいな。……ううん。そうしてあげないと」


喉奥に沸いた願いを呟き、複雑な心境を覆い隠すよう眉間の皺を緩ませていく。


「私たちは始祖の系譜で――エファムだから」


そう告げて綺麗な微笑みの仮面を張り直し、目が合ったオルドヌングに向けてシェルアレンは緩く手を振った。




【陽黒によるヤヌス崩壊まで 残り5年】


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