【天命】
“二十四年前”
至508年
――【スワラン】の第四区『ヤヌス』にて。
『平定の狩者』専用の特別作戦室。そこに配置された円卓には、四名が集っていた。
但し発言を続けて会議を進行していくのは三名。
もう一人の少女は机に肘をつくこともせず座り込み、ただ視線を落として沈黙している。
「アストリネが自身の血縁者を売って『古烬』の兵器と物物交換してるだぁ?」
後に部屋全体に渡るのは、心底信じられないとばかりの驚愕と呆れた声だ。
「……で、その証拠は?」
後に問われた黒髪の青年――サージュは、黄金瞳を一度閉じつつ席から立ち上がる。
物的証拠となる書類だけでなく、黒色の小箱じみたメモリを取り出して机に置いた。
「この通り、バッチリあるよ。バックアップデータを保存してるのはもちろんだけど、実物の音声や写真証拠は僕の手元にある」
「へぇ……随分と話が早いじゃん」
「HMTの追跡記録システムが万全に機能していてね。施策も兼ねてアストリネには全機能をつけて置いて産物さ」
サージュが自慢気に告げたが、数拍の沈黙と悩まし気な吐息が部屋に流れていく。
「……いいや、ダメだ。全然、これじゃあ足りねぇ。音のアストリネ……奴の協力があれば合成だって誤魔化せられる。メカリナンの力も重なりゃ写真の捏造だって可能だ。その点に気づかれて容疑者共に論破されちゃあ処罰まで運べねえよ」
懸念自体は正しい。異能という概念が存在する世界では、証拠なぞ幾らでも覆させられる。
有無を言わさせない真たる証明が無ければ、数多の証拠が出揃っていようが意味がない。容疑者に口八丁で言い訳されて、決して認められず不起訴で終わるだろう。
「奴らだってただの馬鹿じゃない。このことを気づかれてる前提で考えるべきだわ」
「………チェッ。それもそうだねぇ。単純な情報だけでは楽に言い逃れられてしまうか……」
サージュが不満気に顔を苦々しく歪める。証拠自体意味がない、なんて。無駄な徒労に終わりそうな展開を悔しがるようだ。
乱暴に椅子に座り直し、行儀も作法も気にすることなく足を組んで忙しなく揺すっていた。
「ふーん……」
その隣に座り込んだシェルアレンが頬杖をつく。
鬱然とした小さな吐息を漏らす。
「……ね。なら、物的証拠というより当事者の証言が必要なのかも。幸い特定できるなら、取引してた『古烬』を捕まえちゃって……吐かせるのが凄く早いと思わない?」
首を僅かに傾ける動作に合わせ、一つに纏めた白銀髪がサラリと肩に流れていく。
「追跡、出来るんでしょ?奴等の拠点に乗り込むなりして、一掃するついでに被疑者か被害者を捕まえちゃお」
夜空めいた双眸は鋭く細まっていた。
「………!」
そんな提案を聞いた途端、サージュは暗い表情を一変させて日が昇ったようにも明るくなる。
「流石はシエル!発想転換が早いね!いやぁ、君の機転力には脱帽だよ。僕には足りないところを君が補ってくれる感覚もたまらない!」
「あーやめて。誰でも思いつくことだから一々称賛しないで、ほんと気色悪い。………これは罵倒!キラキラと目を輝かせるな!!」
「シエルシエル。邪険に扱ったことを感謝されるのと、熱籠った罵倒に興奮されるの。どっちが嫌かい?」
「どっちも気持ち悪い。甲乙つけれない悍ましさなんですけど」
実に賑やかなやり取りで、話は脱線気味である。
本筋から逸れる流れを堰き止めんとばかりに、低い咳払いが場に響く。
「ま、ここはシェルアレンの方針でいい。アホな卑怯者共を追い詰めるにしても証言が強いのは確かだ。…で、だ。どうせだからお前が単身で乗り込め。ついでに拠点ごと潰してこい」
「はーい。ま。提案者、ですからね。行かせてもらいまーす」
単独という負荷に異論を示すことなく、シェルアレンは笑顔で頷いて快諾する。
「サージュは今回もサポートに……まあ、どうせお前のことだ。指示されなくても進んでやるんだろ」
「愚問だねぇ。シエル在るところに僕が居る。君が星なら僕は天体観測する学者でありたい。そしておはようからおやすみまで、挨拶一番乗りするのはこの僕だよ」
「粘着ストーカー宣言はな。胸を張って堂々とするもんじゃねえんだわ」
そのように多少叱りつけられてもサージュはへこたれない。反省だってしないのだ。
「私、来世があったら貝になりたい。空なんて見ずにずっと閉じこもっていたい」
「じゃあ海洋生物学者になって海底の底にいる君を見つけるね。最高の水槽で徹底管理して寿命が尽きるまで見届けてあげる。………いや、寧ろ転生なく今の君を生かすべきか?」
「キッツゥ………」
なんて、シェルアレンに嫌悪を向けられようが、サージュはへこたれない。
何故ならいつもの光景で、迷惑千万をかけることが生き甲斐のように繰り返してるからだ。
鬱々とした思いを連ねるよう、シェルアレンからは若干精神的疲弊を感じさせる長い溜息が溢れていた。
「…おい、シェルアレン」
これ以上、話の腰が折れないように。『 』が名を紡ぐ。
「うん?」
ぱち、と月浮かぶ夜空の瞳を瞬かせて、シェルアレンは視線を動かした。
「そこでなるべく派手に動け。お前が目立てば目立つほどシルファールもより動くだろ。大体『古烬』の過激派は奴さえ潰せば陥落する」
「……。『古烬』を片すには一番いい手段だけどさ。……内側の病はどうするの?」
問題点はそれだけではないだろうと、シェルアレンは指摘する。
今回で判明したことは、命を軽視するような悪行が跋扈してること。
重視するべき点はそれにアストリネ側が加担していることだ。
「許してはいけないでしょ。だって、証言を得て罪を問い罰を与えて終わり……だけは生ぬるい。この程度で済むんだって舐められたら、また似たようなことを繰り返されてしまう」
シェルアレンは懸念した。今回関わったアストリネをただ罰するだけでは、根本的解決に繋がらないのではないかと。
「世の中を正したいなら、もうアストリネの管理権限も削がないと。絶対正義自体も崩れてるんだからさ」
なんて訴えるように提案をしていく。
「人類だって流れる情報に限りがあるから真実を見極めきれない。だからいっそ、全てを明かして彼等の正義感に訴え、世界の危機へ共に立ち会わせてみるのも――」
「ダメだ」
しかし、声は悩む素振りもなく案の途中で一蹴した。
「俺は、今の人類に嘘と真実を見抜ける能力があるとは思えない。犠牲が出れば簡単に迷うし、大衆の波に流されるに決まってる」
手厳しく、理想でしかない事実を突きつけるように返していく。
「そもそも情報力だって俺たちは数で負けてるんだ。どちらが正義かなんて関係無い。誤れば容易に捏造されて、俺たちが“世界の敵”として仕立て上げられるぞ」
「……でも……」
「それに【ルド】の兵士以外で、『古烬』との争いに巻き込むわけにはいかない。民草を駒として使い始めたら、それこそ終わりだ。『一歩離れたところで争いが起きてる』――戦えない奴はこんくらいでいい。あんま荒れさせたくはないのは俺たちも同じ考えだ。……この認識で済まさせるべきなんだよ」
昔の人類史にて。東国の名高き大名は争いに農民を使わなかった。
声は知恵を正しいと判断しているのだ。
「向いてない奴を使えば、終わりだろ。争いは激化する、『古烬』だけで済まなくなる。人類とアストリネの戦争再来に繋がる可能性だって否定しきれん。…なにより、お前としても懸命に生きてる命を散らせるわけにもいかねえ。違うか?」
考えを聞いたシェルアレンは、何処か不満気に目を据える。
「………それは、そうですけど。機会、奪いすぎるのも良くないと思うよ。お願いしないと……成長しないものなのに。………『 』は将来、過干渉すぎて自分の子供に鬱陶しがられそう」
「おい。最後の一言余計だぞ」
声に、若干の怒気を孕まれた。
「あー?なんだムキになるってことは、自覚あるんじゃないんですかー?」
そんなわかりやすい反応にシェルアレンは小さく噴き出しては大きく口を開けて笑うのだ。
「………ハー………サージュ。拠点破壊実行時期は明後日が理想だ。それまでに場所と潜入ルートを割り出してくれ。こいつが使う武器も手配しろよ」
「はいはい。分かりましたよ、反抗期量産機」
「揶揄う時は意気投合するんじゃねえ!馬鹿どもが!」
狼の威嚇めいた低い唸り声を向けられようが子犬の遠吠えだとばかりに、サージュはヘラヘラと薄ら笑う。
全く応えてないその様子にぶつけようのない気持ちを発散するよう、声の主は頭を掻いて髪は乱れるのだ。
そうしたやりとりを経て、――ふと、サージュが目を据える。
ふたりとはまた、別方向に視線を流す。
「……んで?ミカエラ。君、さっきからずーっとお人形さんみたいに座り込んでるけどさ。君からはなんか意見とかないの?」
見守る姿勢を一切崩さない姿を指摘するようにも、問いかけた。
ミカエラと名を呼ばれた紺碧色の髪を持つ少女は、緩やかに伏せていた目を上げていく。
薄氷色の淡い水色の双眸でサージュを始めにシェルアレン等を視認するが、直視を続けることなく再び瞼が降りていた。
夜の海を連想させる濃紺のドレスを身じろぎで揺らすこともなく、結んだ唇を開き、機械的に言葉を紡ぐ。
「あなた方の、決定通りに。我が父もきっと同意することでしょう」
自己というものが感じられない単調な発言だ。
聞いた者達は総じて、片眉を吊り上げて肩をすくめたりと動作で怪訝を現すが――ミカエラ自身に質問したりと深入りすることはなかった。
◆
――後日。
決められた通りに作戦が決行されている。
シェルアレンは単独で『古烬』の拠点に乗り込んでいた。
場所は雪山。
時期季節問わず、年中氷点下となる白銀に染まった山頂付近の拠点。
――【スワラン】管理区にも該当する山に、ひっそりと建設されていた。
「へー。こんなところにも拠点、あったんだ」
シェルアレンは冷たい金属製の壁に触れる。錆びつかないよう手入れされた建物の接目を革手袋越しでなぞり、真っ白な吐息を漏らす。
『灯台下暗しってやつかな。エファムの血縁者たる君でも気づけなかったのだから、これはエファム血統系列に魂売り飛ばした輩が居るかもねぇ』
シェルアレンが身につけるイヤーマフからは、サージュの呆れた溜息が流れていた。
微かな息ごとクリアーに拾われ鼓膜を揺らす。シェルアレンの整った眉が歪み、青筋が浮かぶ。
「あのさ。今の独り言ですから。拾わないで?というか、必要最低限以外の発言はしないでくれますか」
『任せてよん!おはようからおやすみまで、作戦開始から終了まで!天才たるこの僕が、君を隅々までサポートしてあげる!』
「……………」
シェルアレンが言葉を失う。
だが、残念ながら。捨てるわけにもいかない。
気色悪さを全開にするサージュが行うサポート自体は非常に理にかなっていて正しきことだからだ。
理由はHMTの仕様問題。一度、海底サーバーに情報が保存されることにある。
六主の承認を得る形で『平定の狩者』を結成したとはいえ、『古き姓』全般には未だ存在が快く思われてないのが事実。
彼等を中心にして悪徳な取引が発生してる以上、『平定の狩者』は己が活動内容を内通者に抜き取られないよう警戒する必要がある。
――とはいえ。
「ほんとに最悪。新手の拷問じみてる」
嫌がらせに余念がない相手が相方かつ通話先であることは、シェルアレンにとって非常にストレスだった。
『この施設全体の罠は解除しておいたよん。あ、あと扉のロックも解錠したからねー』
「………えぇ…?なんでできたの?」
『そりゃあ、認証履歴とか残ってるから?僕の手に掛かれば偽造認証や相手サーバーのハッキングだって余裕だよぉ?肝心のシルファールに繋がりそうなデータはみつかんなかったのは残念だけど』
なまじ優秀な点も腹が立つポイントと言える。
「………ああ、うん。はい。そうなんだ。ありがとうございます……」
ただシェルアレンは頬を引き攣らせつつも忿懣を現さない。適当な礼を投げ、綺麗な微笑みを携える。
大体、感情剥き出しに怒ったところで、サージュを余計に喜ばせてしまうと知っていたのだ。
嫌悪するならばこそ感情を乱してはなるまいと、落ち着かせるよう肩を竦めて息を吐き過ごす。
「ともかく。暴れるにしてもどんな施設か調べてからなんでしょ。あんまり、うるさくしないで」
何にせよ軽口を叩き合ってるような状況ではないと訴えて、黙らせようとした。
『美しき君の声を独占できるなら、この世界の凡ゆる音を奪うのも悪くないな』
そうしてシェルアレンは甘ったるい蜜のように粘度高く絡みつく吐息混じりの声が注がれてしまい、携えた微笑みは抜け落ちて、真顔へと至る。
――が。
「…………………………で、この先は、ひとまず、探索でいいよね?」
『うーん。まあ、OK〜。痕跡があったら是非確認したいからよろしくぅ』
なんとか、備品破壊に及びかけた衝動を、堪え、冷徹を保ち、片言で行動方針を発してから動き始めるのだ。
◆
――それから数十分を掛けて施設を探索したが、目に見える成果と結果は得られなかった。
手術室や職員が使用したであろう更衣室を始めに多くの物資が残る保管室を見かけたが、いずれの部屋も無人。物抜けの空である。
特に保管室は極めて奇妙だった。
普通の物資で満ちていない。総じて奇妙としか喩えようがない品物で光景が広がっており、妙な澱んだ空気感で満ちてしまってる。
膨張しきった白色の肉塊のホルマリン漬けを始めに、水銀と書かれたラベルが張られたガラス瓶なぞ、お目にかかるべきではない代物だろう。
『ふむ。ここは実験施設的な拠点かもねぇ。それにしたって産物で居るだろう失敗作も『古烬』も見かけないが。入り口近くでうたた寝していた警備員くらいじゃない?……ところで、シエルは髪洗ったら眠くなるタイプかな。僕は誰かの髪を乾かすのが好きなんだ。今度、君に見合う香油をプレゼントしよう』
「人が少なすぎるかな。警備らしい『古烬』だけだったし。もしかしたら既に移動したあとなのかも………」
早口で紡がれたサージュの発言を大半無視しつつシェルアレンが呟きながら、陳列された瓶へ手を伸ばし、その一つを掴む。
上下に回せば肉塊は澄明な液を泳ぐように揺れる。
「なんだろうね、これ」
『そだねぇ。アルデの顕現姿みたい』
「もしかしてタコさんって言いたいの?それは状況的に悪口に該当するんですけど」
『―――……………ふぅ〜ん?』
失礼だと咎めるように苦言を漏らせば、サージュは高揚した声を上げ始めた。
「なに急に」
『もっと高圧的に今のセリフ復唱しない?救いようのない相手に向けるように、さぁ!』
ご褒美の欲求を無視したシェルアレンは室内の探索を再開する。
手で回していた瓶を元の場所に返しつつ、別の棚に陳列されたラベルが何重にも重なって貼られた薬を手にするのだ。
「………『覚醒と現実』……」
乱雑なビルダ語で殴り書きにされた一文を読み上げた後、蓋を回して開く。
「赤色の薬?」
その中身は躑躅色の薬剤だ。
但し、どういう原理で作られたのかも想像できない。非常に怪しい薬と言える。
「光ってる」
何せ、その錠剤は全て。蛍火のように淡い赤色で発光していたからだ。
『へぇ。もしかして“幻覚と虚像”的な青い錠剤があったりして』
「?いや……どうなんだろ。でも、逐一調べてられないかな。というか、これは何に使われてたんだろう」
『奴等が編み出されてる兵器を見る限り、碌でもなさそうだけどねぇ』
シェルアレンはそれを否定しない。本当に彼らが編み出す兵器はどれも酷い代物だからだ。
「……そうだね。『カースライン』だっけ?あの海を陣取ってた珊瑚みたいな兵器も……酷かったし」
瓶を掴んだ手を下ろせば、床に幾つかの赤い錠剤が散っていく。
それがまた昔に破壊した兵器のことを想起させるものだから、目を瞑る。
簡単に凄惨な光景を思い出せた。固体化した強酸が、多くの兵士を蝕む景色を。
その時の被害は甚大で、骨まで酸が届き四肢を切除せざるを得なくなった者までもできていた。
いつ思い出したとて気分が悪い。シェルアレンは憂鬱なため息を吐いて、瞼を開く。
「ほんと、ひどかった。私たちとは違って、人は再生できないのに……」
『それで数十人は兵士引退してたねぇ、確か』
「立てなくなっても、仕方ないし泣かなくていいのにね」
『いちいち王袈裟だよねぇ〜生きてるだけありがたいと思えって感じ。子供みたいにワンワン泣いてほんとみっともない』
サージュの切り捨てるような冷たい態度をよそに、シェルアレンはある人物を脳裏によぎらせる。
――『申し訳、ございません……!申し訳ございません!このラグダール、一生の不覚を…いいえ、兵士失格です…!』
本来なら対処が遅かったと責め立てるべき相手であるシェルアレン達に対し、平謝りし続けていた姿はどうにも忘れ難い。
「………生きることに一生懸命なのはすごく偉いんだけど。なんか、いろいろ背負いすぎたよ」
彼を思い出す度に、シェルアレンは何とも例え難い気持ちで心に溢れてしまっていた。
喉奥から重苦しい苦さを感じ、唇を固く結ぶしかない程までに。
『きっと、彼等は役目を失うと明日が見えないんだろうね。……全く、発想の転換がないもんだ。適応力にも欠ける。いっそ新たな転機と見出して、自己を見直せばいいのに』
「……先が見えない中に放り出されたら迷子になって当然なのかもね。なら、その時は手を取って安全な場所まで一緒に進んであげるのがいいかも」
そうしてシェルアレンは奇妙な薬瓶の蓋を閉じ、腰に掛けたウェストバックにしまい込む。
用が済んだとばかりに部屋を出て、風音が聞こえる先へ早足で進んだ。
『……えー?それって自分の考えで立てないんでしょ?なら、機械の方が断然マシだね。奴等がここまで君の憂いになるのなら【ルド】は要らないな。もう平穏のノイズだよ。国そのものを解体するべきだねぇ』
「どうしてそう極端な考え方しかできないわけ?」
カン、と革靴が硬い金属床を鳴らす。何回も繰り返し立てば音は周囲に反響していた。
『なんでって、そりゃあ、僕のシエルの悩みになってるんだよ?不敬罪にて死刑判決執行。……そうなるように法で整備しよう。ほら、侮辱罪だってあるじゃん?』
「ああ、それはいいかも。法整備されたら真っ先にサージュを罰してあげる」
『え!やった!死刑執行者になってくれるの?!?完璧に見合う武器と衣装を僕がデザインして捧げるよ君に、任せてねぇ』
以降、シェルアレンは返事を放棄し、微笑みの沈黙を選び取る。
暴れ倒してるサージュに相手するだけ無駄だ。これでも恋愛感情がないと公言してるのもある。
『美しい芸術品をより完璧に、美しくなるよう磨く――発明家としての使命にして究極の喜びだ』と鷹揚に語る以上、まともに相手するべきではない。
『肌面積が少ない方が君に似合うよね。というか軽率に出してほしくないかな。なら、美しい君の本体をモチーフにしよう。虹色の結晶が下がるあの羽根は欠かせないよね…どれで表現しようかな。……ダイヤモンドかオパールならどうだい?』
相手の意見は一切聞かず、通話越しでもわかりやすく嬉々とする態度晒してるのだから。サージュ=ヴァイスハイトを健常者と扱うべきではない。
そうして異常者との交流という疲弊を嫌ったシェルアレンは、無言を貫き道進むことに徹していく。
――やがて、通路の奥に設置された換気口に到着した。
歩みを止めて、雪風が通る先を徐に見上げる。
自発的に回る換気扇の向こう側では、白に染まる冬空が垣間見えて、扇の隙間から雪が落ちた。
積雪の影響で床一面には霜が広がってるだけでなく、透明な氷柱が幾重に重なり、剣山を想起させる障壁が出来上がっている。
『マジレスするとこの辺のまともな生体反応は感じられない。だけど、名残はあるねぇ』
サージュの指摘を受けたシェルアレンが身を回るようにして、周囲一帯を確認する。
換気扇室は円状建築が連結する構造。全部で五階層と思わしい。一階はシェルアレンが通ってきた通路のみ。
それ以外は――
「牢獄……かな」
確信を抱くように呟く。
きっと間違いないだろう。拘束具が室内に下がる鉄格子状のものから観察に特化したような硝子張りじみた扉まで、数多くの牢屋が並んでいるのだから。
「ねぇ、さっきの物言い的に……ここが使われた形跡はあるってこと?」
『そうだねぇ。髪を始めとした蓄積した老廃物が全ての部屋から探知できた。つい最近までは取引材料となった者達が収監されていたと……考えるべきかな』
「……嘘でしょ。こんな……すぐに体を壊しそうな、寒すぎる場所で?」
どうしたって管理に向いてない劣悪な環境だろうと疑問を抱いて呟けば、サージュからハッと鼻で笑うような声が聞こえた。
『いやいや、この環境は悪くないよ。実験体が死んだとしてもある程度の自然保存が利くからさ。――ほら。冷凍されたミイラの保存状態はいいだろう?実験観察的観点から見れば、とても理に適ってるよ』
渓谷の氷河で発見されたミイラのように良好な保存状態を保てる。DNAの損傷も防げると判断したのだろうとサージュは得意気に推測を上げていく。
『大分思考が研究者寄りというか、発明家として突き進んでるねぇ。そこは高く評価できる』
「そう。………なら、派手に暴れていいって言われてるし、全体的に壊してやる」
シェルアレンは目を眇めて、言い放つ。
募った不満や不快を発散すると予期させるように床を強く踏みつけた。
『あ。因みに、部屋が荒れた様子は見える?』
「……それは見えない、かな」
一層冷え切った影響で白が濃くなった吐息と共に、聞かれた質問に返答した。
見える範囲での牢屋の扉は正しく封されており、無理に壊された様子もない。
「今の無人状態は、脱走劇とか起きたってわけではなさそう」
『ふむふむ』
そうした予測まできっちりと伝えれば、通信先のサージュは相槌を返した後に、すぐに提案を示す。
『――じゃあ、尚更ここが“怪しい”。てなわけで全体確認よろ。センサーに引っ掛からなかった鼠が潜んでるかもしれないから、しっかり警戒してねぇ』
「………言い方。鼠って何。取引にされた被害者だったら助けるべき対象でしょ?」
『あ。ごめんごめん。君の前では九割九分がスッポンだった。いい直すねぇ。野生の亀さん居るかもだから、噛まれないよう気をつけて〜』
シェルアレンはより鋭く目を据わらせる。何も変わらない侮辱呼称だった。
――ただ、同時に理解していた。
これ以上を注意して、サージュに撤回を望んでも全くの無駄だろうと。
「もういい。サージュ相手に常識求めることが間違いだし……」
嫌味と共に小さな溜息を吐き、首を横に振る。すぐに前を見据えては氷柱へと歩む。
聳え立つ氷山を前にして、天上から真下へと連なる石英のような鋭き尖塔群を視線で辿る。
「――うん」
脳内で描いた経路図は、何ら問題ないものだと納得するよう頷いた。
「これなら余裕。顕現しなくてもいい、かな」
そうしてシェルアレンは跳び立つ。
タン、と軽やかな音をも置き、数メートル上に合った氷柱の鋒を足場に着地を果たす。
目を細めたシェルアレンの白銀髪は大きく揺らぐ。
しかし、そこから時間を要しない。止まることはない。息継ぎも不要だ。
――卓越した身のこなしで、無駄のない跳躍が連続で行われた。
まさに神速。常人離れした神技。束ねた白銀髪の軌跡が残る。
その姿は、天に昇る竜のようだ。
しかし、この程度のことはアストリネであるシェルアレンにとっては造作もないことでもある。
「よっ、と」
経過時間は――二秒。シェルアレンは後転を披露しつつ五階に到着した。
踵で床を軽く踏み鳴らし、肩に掛かる白銀髪を後ろに払う。
それから平らに据えていた瞳で、周囲を見渡す。
逐一サージュに指示されなくとも感じ取れた。
息を潜めてる、二つの気配が。
「……こんにちは〜」
手を口元に添えて、まずは挨拶を投げてみる。
耳を澄ませてみても返事は全く聞こえない。
「こんにちは〜!聞こえてますかー?エファムの系譜、血縁者でーす。誰か居ませんか〜?」
気が抜けるような声を辺りに響かせて、シェルアレンは進む。
歩行方向自体に迷いはない。
返事はなかったものの、確かに聞こえていたのだから。
「………うん。ちゃんと居る、そうだよね?」
そうしてシェルアレンは牢の前で立つ。
灰を被ったような鴇色髪を持ち、薄汚れた患者服を纏う小さき存在に声を掛けた。
「…ヒッ…!」
だが、返事は恐怖で上擦り引き攣る声だ。
異常と言える反応に、シェルアレンは息を呑んで見つめる。
しかし幼女は青痣に染まった両腕を引きずり、扉から遠ざって逃げてしまうのだ。
「ごめ、ごめんなさい。……ごめんなさい、ごめんなさい…っ」
シェルアレンというよりも、“人の形をした存在”を恐れている様子で。
「ごめ、なさい…っ……っ……」
謝罪を頻りなく紡ぐ様子から、推測できる。彼女は心が酷く擦り切れてしまってるのだろうと。
牢の隅で体育座りで縮こまり、震えて俯く姿は憐憫を誘って仕方ない。
「…………。ね、サージュ。この子、アルデが探してた従姉妹の子どもじゃない?」
『可能性は高いねぇ。なに。保護?保護すんの?』
「愚問。しない理由がありません」
『面倒ごとアンハッピーセットお荷物なのに?』
「怒るよ。いや、この後『 』に説教してもらうから」
最低発言をするサージュに苛立ちこそはしたが、シェルアレンは直ぐに気を切り替え、怯える幼女に向けてニッコリと柔らかく微笑む。
「…こっちこそ驚かせちゃって、ごめんね。待ってて。ちゃんと助けてあげる」
救助の意を伝えてから、足を上げて身構えた。
正攻法で牢を開くには鍵が必要だろう。しかし、探す時間もない。
この施設だって破壊するべきだ。
鉄格子を割く行為に躊躇いなぞ、生まれもしない。
だが、――実行する前に突如、シェルアレンに影がかかる。
ただし、既にその存在を察していた夜空の瞳が眇められた。
即座に身を屈めて、弧を描くように体を回した軽やかな回避を行う。
「っえ――ぅあ!?」
銀色光を放つ獲物を片手にして飛び込んできた者の放心を突くように、シェルアレンが即座に伸脚した。
そのまま容赦なく胸ぐらを掴み上げ、すぐ近くの黒鉄の手摺りへ背を押し付けては、五階から放り投げようと試みた。
「――――――え?」
だが、違和感を抱く。
手から伝わる重さは、シェルアレンが感じた殺気に見合わない。
あまりにも軽すぎるのだ。
「―――……っ、子ども……!?」
紺色瞳が大きく瞠る、己が抑え込んでいたのは、紅色差し込む金髪の子どもだ。
この子どもも先のアルデの子と同じ立場で、この施設で実験体にされていたに違いない。
薄汚い患者服を纏い、両腕は刃物で切り刻んだ跡と注射痕が残っているのだから。
「…ぅ、ぐッ……はなせ……ッ!」
眇められた翡翠瞳に映るシェルアレンは、茫然と口を開けた。
子どもが手にしていたのは、ナイフではない。
斜め状に割れた硝子だ。血がついた硝子が、子どもの手から溢れ落ちていく。
落下の衝撃でパリンと砕け散り、派手に分散した音が建物中に反響していた。
「…………えっ、と。あー、ごめん、ね?落ち着いて、落ち着いて、ね?」
『落ち着かなくて動揺に揺れる君も素敵だよ』
「黙って?」
シェルアレンとしてはイヤーマフから聞こえるノイズを一蹴したつもりだが、敵意に満ちた尖った声は子どもたちにも向かう訳で。
無理に作った微笑みもぎこちないせいで、意味がない。揃って恐怖に身をすくめさせていた。
「サージュ。ここは空気読んで喋らないで。……この子達を怯えさせてしまう」
今一度釘を刺すように沈黙を要求してから、シェルアレンは脳裏で、憶測する。
――おそらくこの二人は、件の“取引材料”として差し出された犠牲者だと。
凄惨な傷跡から察するに、今は全てが苦痛を与える敵に見えても仕方ない。
現に目下の子どもは、命の危機に瀕しつつも運命に抗おうと足掻く、強靭な手負の獣を想起させた。
「ぃ…ッ!?」
掌に苦痛が走ったことに、シェルアレンは眉を顰める。
色々思い悩んで意識が逸れたのが、災いを招いたのだらう。
子どもが抵抗に足を動かし腹や胸を蹴り上げてる他に、革手袋越しに犬歯を突き立てられていた。
『ねぇ?シエルが傷つくのは聞いてないんだけど?』
外部からのガヤを無視して、シェルアレンは黙り込む。
此処で反射的に子どもを振り払い、何処かに叩きつける真似をせず。
揺れる翡翠瞳から視線を逸らさない。好きに噛ませ続けた状態で、拘束を緩めにかかる。
「っ、ぅ?!」
そこから単純な解放作業を行うのではなく、受け止めるようにもシェルアレンは子どもを優しく抱き上げた。
「もう、大丈夫。大丈夫だから。此処から必ず出してあげる」
安心を促すように優しく声をかける。
自身はこんな傷は気にしない。どうせ治るものだし、アストリネなら一瞬で治癒ができる。
だからこそ、シェルアレンは治らない傷を負ってしまった小さな身体を労るように、抱きしめ続けるのだ。
「これ以上、痛い思いしなくていいから、ね?」
“敵ではない”、“怯えなくてもいい”。
散々傷つけられて抱いた憎悪を緩和させるには行動で示す必要があると信じて。
――場に静寂に包まれるまで、シェルアレンは幼子の牙を受け続けたまま、抱きしめていた。
数分間経つことで、漸く、冷静さを取り戻し自身を傷つけてきた者たちとの違いを見出したのだろうか。
「…っ、……?……な、に……?」
躊躇いを含む吐息と共に子どもは口を離していく。
気の緩みを感じ、シェルアレンは安堵の息を吐いた。そっと抱えていた子どもを地面に下ろす。
汚れなど気にせず、膝をつける形で視線を合わせてから行動に出始めた。
「……んー、っと」
着用していた月白色のコートを脱ぐ。――が、痩せた子どもにはあまりに大きすぎることに気づいて手を止める。
「……コレ、あげるね。君の方が似合いそうだし」
代わりに深緑色のマフラーを解く。後に子どもに巻きつけるように着せていた。
『ねえ?待って?それは高い奴だよ?君に似合うよう【暁煌】の職人に造らせた至高の逸品なのに!』
慌てふためいたサージュの訴えを無視して、シェルアレンは己の胸元に手を宛てがう。
優美な所作と共に柔らかく微笑み、改めて名乗る。
「私、シェルアレン。アレンでもシェルでも、好きに呼んでいいよ。――ね、君の名前は?」
温もりが残るマフラーを掛けられた子どもは傷が残る手で掴む。
目を泳がせ、罰悪そうにも目を伏せていき、戸惑いと不信の天秤に揺れながら、子どもはマフラーを掴んだ手の力を強めては消え入りそうな声で呟いた。
「……“ゼギル”」
「そう、ゼギル」
シェルアレンはその名を反芻する。
ゼギルの手を優しく持ち上げ、軽く首傾げて笑みを深めては、夜空を想起させる瞳を煌めかせていた。
「ねぇゼギル。こんなところ、派手にぶっ壊しちゃって私と一緒に帰らない?」
ひどく穏やかな声で紡がれるは、破壊を示唆する提案だ。
「……………」
ゼギルの翡翠瞳が、戸惑うように揺れる。
何度も瞬きを繰り返した後、石化したように硬直してしまった。
「―――あれ?……ダメだった?」
怖がらせてしまったやもしれない、と。首傾げる角度を傾けて不思議がるシェルアレンに、淡々とした報告が流れていく。
『あ、シエル。ちょっといい?兵器反応信号が近付いているんだけど』
どうやら、“本命”が登場したらしい。
息を吐いて立ち上がり、軽い調子で申し出たサージュに問い掛けた。
「そう。到着まで何秒後?」
『“真下”』
「うん?」
思わず聞き返した瞬間、地盤がひっくり返される。
余震という予兆もなく、文字通りのことが起きてしまった。
ソレは巨体という物理的手段にて、氷柱ごと金属製の床を破壊しては現れる。
『――こいつはシルファールお手製の生物兵器、分類としては文明破壊型第四十六号機。またの名前を『破娑』という』
サージュの発言を経て、片腕でゼギルを抱き寄せて庇う姿勢を正していたシェルアレンが瞬きを繰り返し、現れた存在の身姿を視認した。
――『破娑』
胴部から頭部まで連なる身体。唇脚綱に属するムカデじみた外見だ。
しかし、如何なる刃を通さぬ重圧な鎧めいた千歳緑色の殻を纏う。
蠢く歩脚は鋭利な棘が剥き出しにされてるようだ。
『そいつの最大の特徴にして脅威点は、王水に近しい液体を自ら生成できることだ』
カチカチと顎肢を鳴らされる。隙間から粘度高い橙赤色の液体が一滴と落ちていく。
金属の塊であるはずの砕けた床を、ジュッと蒸発音を立たせて融解を果たす。
『気を付けてねぇ?王水って、人体なら最恐最悪に有害な溶液だ。エファムたる君は特に問題ないだろうけど……その弱りきった子どもたちに少しでも当たれば、致命傷に足り得るよ。――ま、脅威として評価するなら単純にそれだけじゃないんだけど』
宣言に応じるようにも、『破娑』の頭部からは鎖が連なったような一対の触角が伸び、回る。
そうして周囲の檻を粉砕し薙ぎ払っていった。
『溶液を卵の薄皮のように纏わせた強靭な触角自体もまあまあ凶器じゃないかなぁ。鞭のようにしなやかだし、放たれるスピードもマッハを超えるだろう。並の人間では一撃を受けるだけで瀕死だ。いやぁ子どもには耐え切れないねぇ』
『破娑』にとって、ウォーミングアップにも等しいのだろうか。
触角が三階までの牢屋を、まるで柔らかな豆腐を崩すように破壊し尽くす。
ものの数秒も経過しない。動力が上がり万全になったことを示すよう、触角が地面を叩き砕く。
そして狙い定めた標的へ切先が迫る。音速が如くの勢いで風を破り裂き、目標を貫くために。
「……あのさぁ」
接触を果たす刹那にて。
対象であるシェルアレンは、辟易した様子で片目を眇めて呆れた溜息を吐く。
『ごめんごめん。この状況で君がどう対処するのか。つい、気になっちゃって』
とんでもない言い訳と心籠ってない謝罪だ。
そのあまりの態度に、微笑みで隠すなんて我慢は到底できず、シェルアレンは目を平らにして顔を歪めてしまった。
「だからってわざと難易度上げにかかる?ほんと……どうかと、思う、けどっ!」
気を切り替えるように前を見据え、瞬時に身を翻す。
腹部と頭部。同時に差し迫っていた触角をシェルアレンは腕全体に沿わせることで受け流させた。
金属が擦れるような重音を立てさせ、勢いが削れた隙を突くよう殴りつけて弾く。
だが、その程度で触角は止まらない。
『――甘い甘い。受け流すだけじゃあ、ねぇ?』
波打たせた動作の後、触角は連撃を繰り出す。
回避するのは容易だが、ここで退けばゼギルが巻き込まれることだろう。
シェルアレンは心内で舌を打ち、踵を上げて裏から仕込んだ刃を剥き出しにする。
直ぐに地面を強く踏み、隠し刀を突き立てた。
そうして己を地面に固定させた状態で降り掛かる連撃の嵐を迎え撃つ。
数十と続く連撃をゼギルらには届かせないよう切先を的確に殴り弾いて凌ぐ。
――撃ち合いを経て、『破娑』は攻めきれないと判断したのだろう。
一本の触角がピクッと小刻みな痙攣を起こしたと思えば、猛攻を止めて退いていく。
但し、矛は収めることはない。獲物を仕留めるまで止まらないと示すよう、宙で弧を描きながら触覚が振るわれる。
それは、遠心力を乗せた広範囲に及ぶ薙ぎ払いだ。
シェルアレンだけでなく、ゼギルらも狙い定めたのだろう。
(こいつ!妙に知恵が回る……!)
『破娑』の悪意に気づいたシェルアレンは動く。
先ずは、触手の一角を渾身の力を込めて跳ね返した。
即座に地面から踵の刃を引き抜き、ダメ押しに蹴り上げながら斬りつけて怯ませる。
「ぅ、わっ?!」
後にゼギルを片腕で抱えては、タンッと宙に飛び立ち、身を回す。
迫る触角は一瞬だけ掴み取り、無理矢理に投げ返してやる形で軌道をずらすのだ。
その瞬間、轟音がけたたましく上がり、触角は――幼女が居る牢屋全てを破壊し尽くす。
『――ああ。やっぱり、君の場合は接触しても外殻が多少破壊されるだけか。なんの問題なさそうで何より』
抱えたまま軽やかな着地を果たすシェルアレンの周囲には、砂塵に紛れて光を受けて極彩色に煌めく粉塵が霧散した。
その元は、球和。――猛獣を彷彿とさせる鋭利な爪先が印象的な手甲。その破片。
シェルアレンの本体、その一部だ。
亀裂が幾重に重なることで手甲は崩壊の兆しが見えたが、何ら支障はない。
真下に手を払う。それだけの動作で走った亀裂が塞がり、手甲は完治を果たしていた。
『さ。その足手纏いたちを抱えて、君はどこまでできるかなぁ?』
「セリフ、すごく悪役的だよ。……どっちの味方?」
イヤーマフを介した通信機器からは愉しげに弾む声が聞こえて、シェルアレンの眉間には深い皺が刻まれる。
『僕は君を磨けることを渇望する、発明者さ』
「…………。次の作戦はひとりでやるから。『 』のサポートでもしてたら、どう?」
『いやぁ、アレは完全無敵のゴリラ様じゃん。完成されて磨く必要もない奴は全然唆られないんだよなぁ』
これ以上戯れまいとシェルアレンはサージュに何も答えない。
代わりに、前方にある問題の『破娑』を見据えた。
触角をしならせては口元に寄せ、自身から流れる強力な酸で滴らせる。
まるで刀を研ぐような要領で、触角による撃の殺傷力を高めてる様子だった。
「……こっちが困ること。わかるくらいの賢さ、あるみたい」
シェルアレンは悠長に時間をかけられない状況下であることを悟り、ゼギルを抱える手の力が自然と籠る。
『どうする?』
思案した。荷物を見捨てれば、楽に処理できるだろう。いくら強烈な液体であれどシェルアレンならば大した意味もない。
そんな意を込めてるサージュの挑発的な声は、実に悪魔の囁きと言えた。
緩やかに目を細めて、平らに据わりゆく。
やがて、ある決意を下したように息を吐き、シェルアレンは柔らかな微笑みを浮かべた。
「……ゼギル。私の髪、掴んでてくれる?」
「え?」
横を向くように目を合わせ、シェルアレンは自身の束ねた白銀髪をゼギルの方に差し出す。
ゼギルが素直に髪を掴む様を確認し、唯一破壊されてない牢屋に残る幼女も流し目で視認した。
「そう。そのまま、しっかり離さないよう掴んでて、ね。……其処が尾になるから」
「…………尾?それって、ぇっ!?」
シェルアレンがコートを勢いよく脱ぎ捨てたと同時に、ゼギルは唐突に身を投げ出される。
ただ、指示通りに髪を掴んで居たため、地面に叩きつけられずに済んだ。
「ぅ、ゎっ!!」
しかし奇妙なことは続いていく。
ゼギルの掴んだ髪が、蛇のように畝り身体を宙へと持ち上げるのだ。
「……っ、…ぅう……っ…な、…なに…?」
何が何だか、理解が追いつかない。
戸惑いつつも顔を上げて前を見据えれば、翡翠瞳が驚嘆に大きく瞠る。
シェルアレンの姿は、人ではない姿に変わっていた。
髪は更に伸びたわけではない。その生物に連なる尾毛に変化している。
三メートル近くまで巨大化した全身には、両腕を覆う装甲という外殻が瞬時に覆われた姿。
今の身姿は、さながら竜と人が混じり合った混合種のようだ。
――そう、かろうじて例えられるだけ。決して分類可能な生物ではないだろう。
やがて、そう思える明確な要素は広がってゆく。
封が解かれるように。その背から黄金の羽軸が楕円状に伸びていて。
シャンと硝子が擦れる音が鳴り、節には八つの輝石が下がる。
輝石は外界から何かを受信し、呼応しているのだろうか。
それらは光を乱反射する反応だけでなく、虹色に煌めき発光し続け、凛と透き通る鈴音を反響させた。
『正に、光輪を背負う天の御使めいた幻獣種。過去の書物で君を現すなら、“天使”か“神”と喩えるに違いない』
床に転がったイヤーマフから、高揚した声が流れゆく。
『君の本来の姿を見た者は悍ましさというより、神秘を見出す者が大半だろう』
現象全てを遠隔で観測するサージュは、高揚を隠すことなく独白めいた発言を続けていく。
[――第四十六号機『破娑』]
脳に響くような透明感のある声が、シェルアレンから響いた。片手を上げて伸ばし指先を向けて、敵対者の名を紡ぐ。
『だって、異能自体も天使……裁定者に近しいからねぇ。この世は必ず全ての命には名が下される。君は基本的にそれらを『承認』して存在を許すが、否定だって可能のんだ』
――一瞬。存在する生物全てに無差別の悪寒が襲う。
それは逃げられない大災害を前にするような、本能的警鐘だ。
ゼギルや幼女も、身慄いを覚え怯えを抱くが――彼等は、許されている。それ以上何も起こることはない。
何せ、否定を下されたのは『破娑』。
それからの時間差は生まれずに、存在を許されなくなった者への容赦無い循環が始まってゆく。
『否定された命はあらゆる権利を失い、負荷が襲うだろう。酸素供給や栄養素の分解も許されない。毒や病原菌を跳ね除ける抗体を無くし、微生物らの格好の餌でしかなくなる』
百足型の生物兵器は苦しげにのたうちまわる。
活動に必要な酸素を得られる権利すらない。器官が詰まってしまった。しかし悶えようにも歩肢を始めに分解が始まっているため、起こされる振動や衝撃は弱い。
更に、極寒の地に置いて『破娑』という体温を保つものは――絶好の温床だ。
みるみる内に身には白黴が覆い始め、胞子を放つ菌糸類は健やかに伸び、腐食による地への還元が進み行く。
暴力を振るっていた細い触角は一対纏めて、地面に落ちていた。
『破娑』は、逃れられない崩壊の最中、振り絞るように身を起こす。
せめて強酸にて一矢報いろうと顎ごと口を開き、白銀の龍人へと酸を放った。
『――世に物質を作る権利まで失うから、生成だってできやしない』
だが、液体は生まれない。何もない、空である。
今やこの世界に残す権利すら否定を経て奪われたのか、循環の侵食が進みゆくだけだ。
『破娑』は無意味に虚空を噛む。
『……カミュールの『消滅』とはまた異なるんだよねぇ。『承認』は存在そのものを否定する。過去は残るが、未来には何も残せなくなるんだ』
形や輪郭が、消える。何もかもが崩れて終わりゆく。身が崩壊する苦痛を受けて、地に飲まれる宿命しか許されない。
――そこで、シェルアレンが徐に腕を引く。
弓の弦を引くような動作に合わせ、鈴の音を鳴らす輝石が揺れる。
『まあ、完全に蝕まれ喰われ死ぬ前に、慈悲の一矢が下されるだろうけどねぇ。当然、シエルは境地に立ってるのだから』
音と音、波と波。
ぶつかり合って呼応し続け、極限まで高まり――一瞬にして圧縮動作を経たエネルギーは放たれる。
[――発射]
刹那。三つの輝石からは慈悲の鉄槌たる光矢が放たれた。
それを極光とも喩えられるやもしれない。しかし、いずれにせよ根源的な力を以て圧倒的な破壊力を有してるのは同じことだ。
「!」
閃光が暴発したような眩さが場を包む。
角膜ごと焼いてしまうような猛烈な光に、思わずゼギルは目を瞑る。
――光自体は、すぐに収まった。
「……っ…ぅ……?」
一層と強まる寒さを感じつつも、ゼギルは恐る恐ると瞼を開く。
すぐ見たのは――施設の外、雪に染まる白銀世界。
先の光は轟音も立てることなく対象を隔絶したのだろう。何せそれ以外の説明しようもない形で、骸の断片すら見当たらないのだから。
「…………――」
絶句する中で開放的になった建物を、砂が《・》混じる吹雪が無遠慮に通り傷んだ金髪を凪ぐ。
温暖差で身を振るわせ、クシュンと反射的なくしゃみが漏れ出ていた。
[…出力は弱めたけど、余分に消費、しちゃったかな]
シェルアレンが呟く中、風を突っ切るような音と共に、ハチドリを彷彿とさせる小型の機械が現れては周囲を旋回する。
『やあやあ、お疲れ様。正直な話、初めから顕現して異能を使えばよかったと思うよぉ。総合的に点数としては3.2かな。これ十点満点中ねぇ』
[あのね、この力自体が惜しみなく使うものじゃないんだよ?……というか、何?そのバカみたいな評価伝えるためだけに、わざわざ貴重な機械を私に飛ばしてきたの?]
『そうだよ?』
澱みないようで澱み切った回答だ。シェルアレンが大きな溜息を溢す。
[もういい。これ以上は酸素の無駄だから深く突っ込まない。――今、大事なのはこの子達だし]
その後に、パチンと指を鳴らした。
脱ぎ捨てて転がっていた月白色のコートが極彩色の光を放ちつつ浮かび上がり、ゼギルの身を覆う。
[――怪我はない?]
腰に手をあてる所作と共に、後方へ頭を傾けていた。
[あ。よかったぁ。見た感じは怪我、なさそう]
瞳の色も覗けない白銀の外殻を纏う人ならざる姿で、手を伸ばし、頭を優しく撫でる。
陽気な調子で子供等へ気遣う言葉を掛けてたが、動作含めて非常に怪奇的だ。
しかし幼き情緒であっても、胸中は悍ましさをかき消す畏敬が遥かに凌駕する。
――そんな出会いだったからこそ、今でも焼きつくように鮮明に覚えてしまった。
だからこそ、助けられた若き少年少女。
ヴァイオラとオルドヌングにはわからなかった。
[それじゃあ風邪ひいちゃう前に、さくっと帰りますか]
此処までの存在であろうとも、先の未来では何一つとして報われないことが。
【陽黒によるヤヌス崩壊まで 残り8年】




