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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第二章. 落陽の果て、蒼穹に嵐吹く【ルド】
46/56

十七代目メカリナン

白を基調とした集中医療室は静寂に包まれていた。

自己修復機能を高める卵型医療機器――エンブリオ以外になく、機械使用時でも基本的に無音だ。

物音が立つことがなければ、溶液流出を防ぐように固く封されてるものだから、外部からでは使用者の容体確認もままならない。

治療が間に合ったか、手遅れか。

いずれに傾いてるのかもわからない。


「だから、利用者でないものは相手の無事を祈り待つのみなんだよねー…ほんと、歯痒いや」


墓前のような重々しい空気に満ちる場で、ネルカルは腕を組んだ姿勢で呟いた。

澄み渡る蒼穹の双眸が注視するのは、一点。使用されたエンブリオのみ。

数メートル離れた先で起動して医療対象者を癒やし続ける機械から、決して目を逸らさない。

「ネルカル様」

そう目を凝らす彼女に、兵士の制服を纏う癖毛が特徴的な鮮やかな新緑髪の女性が、カルテを片手にして控えめな声をかけた。


「なーに?」

「二代目イプシロン様は……依然意識不明です。現在も『エンブリオ』で回復を図っておりますが……自己再生自体もかなり、落ち込んでおりますので………その、もしかしたら[核]に、傷が出来た可能性が………」

「そっか」


なんとなく、ネルカル自身も予想はしてたこと。

巻き戻しの勢いの再生力を有してるアストリネに於いて、真の心臓と言えるべき箇所[核]。それが傷ついてる可能性が高いのだと。

人が急所を穿たれるように、破壊されれば死に至る。空気に触れれば花を咲かせ、次代に繋げる沈黙の種にしかならない。

だから、[核]が傷を負うのなら、それは覆しようがない致命傷に繋がるだろう。

エンブリオも[核]の修復はどうにもならず、皮肉なことに治せる異能を持つのは――現在使用している者が扱う異能のみだ。


つまり、手詰まり。やはり祈ることしか許されない。


「……うん。報告ありがとう。じゃあ後はもうイプシロン自身に賭けるしかないんだね」

深く息を吐いて、部下にあたる兵士の前だからこそ流すことに徹する。


「……はい」

「なら、『エンブリオ』での継続回復維持を全力で回しておいて。他に必要な承認手続き等とかは、後で全部私が済ませるからさ」

「……承知いたしました」


重い面持ちを浮かべ、気まずさを覚えた女性兵士は、踵を返し、一声かけることなく足早に退室する。


それからはネルカルはずっと黙り込んだままだ。

数十分以上掛けて同じ姿勢。稼働し続けるエンブリオを見続けるのみ。

だとしても完全なる傷の医療は果たされず、使用者の意識が戻ることはない。

容態が著しく悪いと示されるように。


それでも継続して黙り込んで見続けるネルカルだったが……――漸く、先んじて呼びつけた待ち人の一人がやって来たらしい。


ドタバタと雪崩れ込むような騒々しい音と共に、自動的に開かれる扉が乱暴にも手で開かれる。

「ナナ!」

息を乱した吏史が、血相を変えた様子で医療室に飛び込んできた。


「……おっつー」

ネルカルは笑顔で振り返り、手をひらりと左右に動かして気さくな挨拶を投げる。


「――オルドの容体は!?」

乱れた息を整えて、直ぐに吏史は噛み付く勢いでネルカルに問いかけていた。


「先に送った通知が全てかな。それ以外も以上も以下もないし、変化もないよ」

余裕のない反面、ネルカルは冷静に払い返し、再びエンブリオの方に視線を戻す。

使用者がイプシロンであることを暗示するような仕草だ。自ずと吏史の視線も、起動し続けるエンブリオの方に向けられた。


「はいじゃあ朝海が来る前に軽く本題話しとくね。今回の襲撃者自体は場にいたディーケが即座に掃除した。幸い被害者はイプシロンだけだ」

「被害…いや、それよりも怪我、は。オルドの怪我は?いつ治る?命に別状はない、んだよな」

「落ち着いてねー?どのみち今はまだ助かるかもわかんないん段階だよ。だから、待ってても仕方ないし、私たちでこの事件の真相開示に動かないと」

「―――ッなんでそんなに冷たいんだよ!!こんな状況で落ち着けるか!」


信じられない。訴えるようにも大きく振るう腕の先では拳を握りしめていた。

異色の瞳は敵意を込めて歪み、ネルカルを睨んでる。


「そうやって世界や人のためだと言って!ジルと同じようにオルドも切り捨てるつもりかよ!?」


だが吏史は、それ以上罵声は紡げなかった。

目を合わさった途端、怒鳴りつけて開いた口を閉ざしてしまう。

――瞳孔開き切っているネルカルの碧眼と視線が合わさったからだ。

目が物語っている。今、吏史と同じ気持ちだ。

だけど代表管理者としての威厳を保たねならない。

内心では焦って喪失の不安に揺れていたとしても、ネルカルとしてこうあらねばならないのだと。


そう、察した。汲み取れた。だから冷たいと非難し激情をぶつけるのは――違う。

「…………」

水をかけられたように冷えた頭で、吏史は考える。

ネルカルが正しい。先ずはこの事件の真相を追い、解決せねばならないだろう。

理解した吏史が目を伏せて息を吐く。落ち着き様を見計らって、ネルカルは首を傾げて問いかけた。


「……気づいてくれたかな?」

「……悪かったよ……」

「はいダメ!そこ!演技が溶けてますよー!?そこで謝んないの!」

漂い始めた微妙な空気ごと笑い飛ばす勢いで、ネルカルは吏史の背中をバンバンと強く叩く。


「周囲には強いんだって自負してる設定なんだから、ネガティヴはやめて常に胸を張りな!」

「いやでも、自分の非は認めないと」

「まあ此処で『言われなくてもわかってる』って生意気されようものなら問答無用で代表管理者への不敬パンチ下してたから正解の反応ではあるけどね」

「は……?」


とても何が言いたげに吏史は真顔を向ける。

その視線ごと軽く流すように、ネルカルは手を振って払った。


「ま、使え……頼れる大人が居ないからこそ。私たちなりに若者らしさ全開でがむしゃらに頑張んないとね」

「今使えるって言いかけたか?」

「気のせい気のせい」


猫のような笑顔を浮かべてウインクで誤魔化し、人差し指を吏史に向けて頬を突っつく。

それを半目で受けながら吏史は実感した。落ち込んでるように見えたが、ネルカルの調子は変わらないなと。


「……まあいいから、先の話を続けてくれ」

直ぐに吏史も乱れた心を持ち直すよう息を吐き、ネルカルに続きを促す。

「オッケー。じゃあ、話戻すよ?」

ネルカルは頷いて応え、脱線した事件に流れを戻していった。


「で、どこまで話したっけ?あっ。ディーケが襲撃者をメタメタに叩き潰したってところまでかな?」

薄紅が塗られた唇を指でなぞる仕草を交えて、ネルカルは思い返すようにも呟く。


「主犯格は二十代前半の男。経歴は試練に失敗して工場関係の武器製造業者。尋問自体は済んでいて支離滅裂な主張しか繰り返さない。『可哀想』『寂しかった』って意味もわからないことを連呼していたよ。……でも、気になる一言が聞けたかも」

自然と組んだ両腕の先、手の指先を動かして腕を叩く。そうして熟考を交えながら、紡いだ。


「『戻ってきて、お父さん』……因みにこれ聞いてさ、なんか思いつく?」


不可解だ。吏史は怪訝そうは表情を浮かべて小首を傾げる。直ぐに左右に振っては思いつかないと否定した。


「正直、意思疎通が取れぬ者らしい不気味極めた発言だという感想しか持てない」

「……だよねぇ。意味わっかんないよねー。私もそうだよ。何がお父さんじゃって感じ。ディーケもイプシロンも女関係噂無しの独身未婚マンだよ」

不快を覚えたことは隠さずに、笑みを削ぎ落としてネルカルは真顔で報告する。

「なお、この件については蛸姉さんに連絡させていただきました。……けど関係検索結果は照合無し。赤の他人。つまりあいつらとは何も因縁がなかったわけだから、まあ無差別的な攻撃の可能性が高いよね……」

「え、いやでも……」

やはり、どうにも納得いかなかった。

【ルド】における最高司令的立場に立つアストリネたち。通称『三光鳥』は敵を作りやすくはあったが、皆総じてディーケの存在を恐れていたからだ。

仮に暗躍して入念な計画を練ったとしても、イプシロンに看破されてしまうのもあって。

彼等に歯向かうものは、いないも同然。――この要素だけでなく。


「あー、言いたいことわかるよ。だから、余計にわかんないよね」

「うん。そうだな……俺もわからない」

「まあイプシロンが油断してました、ディーケを庇いましたーって仮定してもさ。――なんか変じゃん?」


ネルカルは疑問符を頭上に浮かべるように呟き、吏史は首肯して同意する。

今回の有様が『イプシロンの油断が招いた』と仮定したとして、ふたりには納得いかない点があった。


「まあ気づかないのも変じゃん。悪意と殺意。んなもんさぁ、心読まなくたって分かることだよ」

悪意と殺意は、すごくわかりやすいのだ。

視線の圧を感じさせてくる。向けられれば肌がひりつく。戦闘に慣れた者であれば、より過敏に反応するだろう。

その上、イプシロンは【ルド】にて最多の実戦経験を積んでいる。

彼に悟られないほど心を潜めて無我で銃を向ける、なんて。兵士になりきれなかったものたちができていい芸当ではない。

「だから、理解不能。意味わかんない」

無意識の内に眉間に深い皺を寄せたネルカルは、熟考し続けるばかりだ。

「……」

吏史も難しい表情で腕を組み、口元に手を当てがって考え込み始める。


一体、今回の件は……何が裏にあるのだろうかと。


「――そうなるとすれば、考えられるのは一つだと思わないかい?ネルカル」


カツン、と床を鳴らす高いヒールの音が鶴の一声のように明瞭に響く。

開きっぱなしだった扉にふたりが振り返れば、その音の元たる者が佇んでいた。


「訳のわからない理解不能の権化、『古烬』の兵器と仮定するのはどうだ?合点がいくんじゃないか?」


色抜けた白髪を団子状に纏め、紫陽花を想起させる華やかなかんざしで彩る六十代と思わしい女性だ。

青から緑の青空の森林を彷彿とさせるグラデーションの色彩に、豪奢な羽根模様が描かれた和装。

黒革のファージャケットに丈夫そうなロングブーツという武装めいた装飾品を身に纏っており、実に溌溂かつ強烈的で印象に残る。

この女性そのものが、老いて今もなおも現役かつ健在であることを体現してるようだ。

実際、紫色の紅差す口元が弧を描き不適な笑み浮かべる様はよく映えており、底知れぬ強さを感じて仕方ない。


「久しぶりだね。ネルカル。そっちの坊やは初めましてだ」

おそらく見た目から得られる印象通り、卓越した能力を持つ老獪な女性なのだろう。


「うっっわ〜〜〜〜。最悪、帰ってきた。……そんまま【暁煌】に所属しても良かったんだよ?」

「バカ言うんじゃないよ。アタシが大人しく仮配置されていた理由は消えちまったんだ。……向こうにはね、もうアタシが居る意味がない」

ネルカルはもうどこか物悲しそうなもんだから、女性は呆れたように重い吐息を溢していた。


「……ったく。戻ってきてやったってのに。喜ばないのかいお前は」

「全然全くべっつに嬉しくないよ?寧ろ快適だった生活が終わったから嘆かわしいよ」

「おうおう。そうかい大いに喜びな。今日からアタシが経理ガッツリ見てやるからね。イプシロンだけじゃ抑えきれんかった暴走も徹底抑制してやるよ」

「うわ終わったわ。これからお先真っ暗じゃん」


女性が鼻で笑ってネルカルの額を軽く小突くが、ネルカルは露骨に嫌そうな表情を浮かべてる。

――実に親しげな会話だった。


「…っと。そうだった。アタシは知ってても坊やが知らないかもねぇ」

吏史が一歩下がった位置で眺めていれば、女性は藤色の瞳を向けてくる。

視線を重ねてから革手袋に覆われた手を軽く振り、挨拶を行った。


「アタシが『光』操作のアストリネ十七代目メカリナン。カンデラ=メカリナンさ。よろしく」

「………よろしく」

アストリネだったらしい。

『古烬』の兵器と侮蔑を向けられなかったことに困惑は覚えるものの、吏史は応じるように頭を下げて挨拶を返す。


「ま、今の会話から大体察せられたと思うけど。アタシは元々【ルド】のアストリネなのさ。十年前に『旧き姓』によるティアの問題があったからね。奴等の暴走を抑えるためにローレオンと協力して【暁煌】へ派遣されてて長らく不在にしてたんだよ」

胸元に手を当てる仕草交え、身の上話をカンデラは語る。

その横で、こっそり告げ口するようネルカルが吏史に耳打ちをした。


「……『光』の異能はさ。だいぶお飾り。実際は1ティア単位を気にする銭ゲバ、或いは守銭奴だかんね。思想も強めだから憑らないように気をつけなよ」

「ネルカル〜アタシは代表管理者だろうが関係ない生意気な小娘に容赦しないよ〜?」

「ほら!すぐこんなこと言う奴だから!ね!?」


ただ、実際問題ネルカルの態度はよろしくない。

否定しきれない部分でもあるので、吏史は同意を求められても全力で目を逸らす。

「ちょっと!!何その反応!!」

「はいはい相変わらず喧しい鷲だね。喚き鳴くんじゃないよ」

裏切りだの吏史を責めるように騒ぐ前のネルカルを、カンデラは頭に手を乗せる形で抑えつけて黙らせた。


「――で。アタシの紹介は無事済んだわけだから。……改めて言うが……この件については兵器だと当てはめた方が納得がいくんじゃないかい?」

己の頭が手置きにされたことに大変不服そうながらも、ネルカルは頷いて同意する。


「んまぁ、そうだねぇ。そうかな。それは様々な理由説明が端折れてしまうワイルドカードだ。全否定はしないけど……それと確信できる証拠はあるの?私の立場でもそれらしいのは【ルド】に見当たらなかったのに?」

「ああ、シングドラと協力して手にしたよ。ヴァイスハイトレポートをね。隠居中のローレオンから横流ししてもらったもんだ」

「……マジ?」

「大マジさ」


手に入れたと聞いたネルカルは、太陽が昇るかのように不満そうな顔から破顔させた。

すぐ後にパチパチと手を叩き、歓喜の拍手を行う。


「やるじゃん!……よくあのグラフィスの目を掻い潜れたね?」

「その代わり破損が酷くて内容も一部だったそうだが……手に入れただけでも僥倖だろう?」

「それは確かに。ちょっとはあのテンプレ微笑みが崩れてくれたら尚更いいけどね」


ネルカルが笑みを深め、カンデラはククッと喉を鳴らす。

両者共に嫌味めいた完璧な弧を口元に浮かべるため、悪人面そのもの。犯行計画の現場じみた光景のようだ。


「ヴァイスハイトレポート…………」

ただ、吏史の関心は景色にない。話題にされたレポートの名前に反応している。

こめかみに指を当てがって、数秒後にレポートについてを思い出した。


「もしかして、ブランカが発電所で語っていた……サージュの遺品……この世に残された兵器について詳細が記載されているという、レポートのことか?」

「そうだね。これも今の会話で察したと思うけど。グラフィスが押収して隠し持ってたわけ」

事情を聞いた吏史は、怪訝そうに顔を顰める。

「……は?護る立場にあるくせに、ブランカとか……共有先を間違えていたのかよ」

恨み言も含むように声は唸るように低い。

元々グラフィスへの心象自体良くなかったとはいえ、より悪くなるばかりだ。


「そもそもアストリネ内で共有すればいいのに、なんで情報を包み隠してるんだよ」

「…まあ、ブランカの件は関与してる可能性が高いし。隠すとなると大方読まれると都合が悪いもんが書いてあったんだろうよ。……『大海の願い』に関するもんかもしれないねぇ」

「『大海の願い』?」


淡々と行われるカンデラの推察から新たな用語を聞き、吏史は目を丸くして何度も瞬かせた。

「グラフィスの『大海の願い』…」

噛み砕くようにも頷き、脳内で反芻し覚えこむ吏史に、ネルカルはどこか不満そうな顔で警告も兼ねて指差してくる。


「絶対、碌でもないから今後聞いても賛同しない方がいいよ。初代グラフィスはその願いを祖たるエファムに打ち明けたところ『お前は悪だ』と全否定されたって話は割と有名なんだから」

「そこまでなのか?」

「そうだよ?……その上、【ジャバフォスタ】から条件付きで逃げ出してきた優秀な研究者も居るレベルなんでしょ?」


ね?と賛同を求めるようにもネルカルはカンデラに尋ねれば、特に抵抗もなく頷かれた。

「ああ。そうさね。確かにそんな話があった。名前は…ブロード、ヴィラ、イアン……だったかな」

「……なら、本当に碌でもないかもな……」

肯定で返した吏史の眉間には深い皺が寄る。

そう思えたのはふたりの意見もあるが、グラフィスの行動が何よりの証明だ。

やましいことさえなければ、レポートのような重要なものを隠すことはない。平和の守護者であるならば、どれだけ不都合なことがあろうとも渡すべきだ。


「(――グラフィスは、自分の都合でジルが苦しんで消えていいと思ってたんだ。だから、ブランカにレポートを取られても気にしなかった…)」


その事実が、グラフィスの顔を覆うヴェールの陰りを深め、黒曜に染め上げている。


「……。確かにグラフィスは信用ならんが、アルデは信頼できるよ。何なら、今回のイプシロンの話を聞いて【ルド】に来てくれるようだからね」

「……!ヴァイオラが?」

「ああそうさ。ヴァイオラ=アルデも兵器の仕業を真っ先に疑っていた。イプシロンの治療ついでに今回の件が解明解決するまで加勢するらしい」


聞いた情報に一気に希望の兆しを見出すように、吏史とネルカルは同時に安堵の息を吐く。

「はーーー………ほんと、こういう時の蛸姉さんのフッ軽助かるわ〜………イプシロンはヒーラーだけど自分の[核]だけ治せないもんね。自己治癒能力も高くないから薬にも頼りしがちだし」

「だけど安心するには早いよ。アルデが来るまでイプシロン自身が持つかどうかの問題もある。そもそも、アルデが来てもなんの意味がない可能性も捨てきれないんだ」

若者二人の浅慮さを指摘するように、カンデラは釘を刺す。

「…なんだい、その顔は」

途端に揃って罰悪そうに口を一の字に結ぶものだから、肩をすくめて苦笑を浮かべていた。


「ま、一旦はアルデの到着までだ。そっちはするべきことをしときな。先ずはシングドラと合流してヴァイスハイトレポートの内容を確認。それで今回の謎が判明するようなら沿った行動をするのが無難だろう。……因みにだが既にシングドラにはここに来るよう伝えてるよ」

「あ。そうなんだ。さすがババ………さん、色々把握と処理と段取り手配が早いね」

「今なんて言った?」

「いや何もないですぅ」


口が過ぎる呼称をつけたネルカルの頬に、カンデラの手が伸びて乱暴に掴まれる。


「これが代表管理者としての礼儀かい。見てない間に随分と偉くなったもんだねぇ?ええ?小娘ぇ?『さん』をつければ敬えるわけじゃないとアタシが無礼講で教えてやろうか?」

「ちょっちょっ、普通にいひゃい!ねじんないれよ!むふぁに派手なちゅめてるせいでいふぁいからぁ!あ゛ー!?もう唇傷ついふぁったぁ!傷治っちゃった無駄に!」

「よかったじゃないか。超回復じゃないか。若くて元気な証拠だ」


改めて自由に育ちすぎたものだと呆れ返り、カンデラは払い手離す。

すぐにネルカルの額を指を弾いて当てたため、「痛っ」と短い悲鳴が上がった。


「……そろそろ、朝海とかいう嬢ちゃんが来る頃合いだろ?シングドラを呼びよせてる件もある。さ、透羽の坊やを連れてこっから出ていきな」

ネルカルは少し腫れた頬を撫でながらカンデラを見上げる。

気遣いとは概ね察せれた。

カンデラはある程度情報を把握してる。朝海の一番の特徴はイプシロンに憧れてることだ。

そんな彼女にこの現場を突きつけるのは酷でしかない。吏史以上に取り乱す可能性もあることを、考慮してるのだろう。

だから、ネルカルは反抗心を表に出さず、頷いた。


「それはまあそうだから…この場は任せる。…ねぇ。イプシロンが起きたらHMTに連絡入れてよ。状況説明して欲しいってのもあるけど……」

「はいはい。あんたは産まれてからずっと面倒見てくれたお兄ちゃんが大好きだもんねぇ。コイツが無事に起きたら坊やにも連絡するさ。…約束するよ」


肩をすくめた指摘で返されて、ネルカルは罰悪そうにも碧眼を横に逸らす。

どこか恥じらいを隠すような仕草でもあったが、直ぐに切り替えて、満面の笑みに変えて両手を合わせるのだ。


「うん!じゃ、イプシロン用に出来立てお手製トロデンスミルクティ〜でも持ってくるね!」

「は?ふざけんじゃないよ」

途端。カンデラの藤瞳が大きく瞠り、地の底を這うような低い声が放たれる。


「確かソレは……砂糖大さじ二十三杯に大量のスパイスが混入していた代物だな?そんな新手の毒液を飲ませる?…はーーーー…やめな。イプシロンが血糖値スパイクでぶっ倒れちまうよ」

カンデラが憤怒する理由は今し方語られた通りだろう。

ミルクで煮出しされた紅茶に大量の甘味料を投入することで水飴のような粘度を保つ代物。ミルクティーキャラメルといえば、聞こえのいいものだ。

病的な甘党……であっても、食べるには相当きつい品であるのには違いないし、飲み物で換算してはいけない。

「………ん?」

そんなものを重症者に飲ませるなと説教しかけたカンデラは僅かに口を開き、何かに気づいたように手で覆う。

訝しみながら、ネルカルにひとつ確認した。


「―――小娘。まさか、いつもそれを飲んでるんじゃないんだろうね?」

そしてネルカルは己の異能たる風を起こし、脱兎が如く逃げ出していく。

「ってこらぁ!!無言で逃げんじゃないよ!待ちな!!」

制止を振り切って逃げに徹するため、とても素早い。

カンデラの手は彼女の肩を掴めることはなく、空を切ってしまう。


「ネルカル!!アタシの追及から逃げるつもりかい!?だったらそれを飲んでる証明じゃないのか、このバカたれ!体に悪いもん飲み続ける行為が自傷そのもの!アストリネの自己回復力が落ち込むから控えろと言っただろう、この小娘が!何回言えばわかるんだい!!実は鷲じゃなくて蜂が本体にあるだろう!?」


顔に青筋を立ててカンデラは怒鳴りネルカルが逃げた通路まで追いかけて行く。

「コラァアァアア!誰であろうと関係なく自分を気遣う善意の忠告くらいは聞かんかぁああ!!」

しかしネルカルにしっかりと逃走を果たされてしまったらしい。カンデラの怒りの咆哮が後に響いていた。

「…………」

一連の流れをしっかり見て聞いた吏史は、何とも言えない気まずさを覚えて目を伏せる。

結んだ口は複雑な波を描くように歪んでいた。

「…くそっ!こんなくだらないことに異能を使うんじゃないよっ!馬鹿タレが!」

全くもってご尤もすぎる意見だと、心内では同意するよう何度も頷く。

この件については幾らネルカルの友達といえども、擁護する理由が微塵もありゃしない。


「……。えっと。オレもそろそろ失礼します。オルドに何かあったら、連絡よろしくお願いします」

とはいえ、此処に長居するのは気まずいと判断した。

ひとまず断りを入れてから、吏史は頭を深々と下げて切り上げる。

先のやり取りでカンデラの人格が問題ないと判断できた。この場は任せて、吏史がするべきことに向かっても大丈夫だろう――。


「――待ちな、坊や。アタシから言いたいことがあるんだよ」

そんな吏史に声をかけ、カンデラは手招く。

応じて振り返った瞬間には、眼前までカンデラに近づかれたのだ。

見える彼女が抱く藤色の瞳は燻むことなく煌めいている。


「長く生きた経験、なんだがねぇ」

そんな彼女から発する芳香する花の甘い香りから逃れるように、吏史は背をのけ反らせた。

反射的な仕草を咎められるようにも、カンデラは指先で鼻先を軽く小突く。

そうして吏史に目を丸くする中で語りかけた。


「失うことは何も怖いことじゃない。生きてる限りは世界の終わりにはならないよ。寧ろ、また始めから新しく手にすることができる再起だと思えるようにしな」


青と黄色。夏空を想起させる異色の目が何度も瞬く。

恐らくの意図は、察しれた。

カンデラはジルのために動く吏史に説いてるのかもしれない。今の生き方について問題があると、指摘も兼ねてる可能性が高い。


だから、吏史は直ぐに返さず。一度瞼を深く閉じては息を溢した。


「それは無理だ。ジルのことは割り切れないし、未だあの終わりには納得してない」

こんな事件に巻き込まれることなく穏便に済ませられま筈だ。首を横に振って訴える。

「何もされなかったことが……正直、恨めしい」

尊厳を破壊するような死に様だったから受け入れられない。

これまで彼女が必死で守ってきた【暁煌】は壊滅したような状況で、月鹿に追い詰められて斬り捨てられた。

無念と喩えなければ、なんと言うべきか。


「…ジルがあんな終わりをしていいはずがない」

僅かに眉を顰めながら、呟く。


こんな終わりを迎えるべきではなかったと。

――未来に生きるのが難しかったのなら、せめて。

これまでの頑張りが報われるように祝福された上で穏やかな眠りについてほしかった。


……そう、吏史は心から思う。


「こんな、全然納得してないのに。ジルの思いも何も知らないで……否定ばかりする奴もオレは許せない」


煌めく藤の瞳が痛いほど突き刺す中で、吏史は怯まずに見返した。

「ただ、守られてる奴だけに、……自分に何も影響がないなら何があっても許すような奴らに。馬鹿にされたくないんだよ。オレはこれからも、オレの正しさを貫く。自分の世界を守る。……皆が、そうしてるように」

これはある種のごく自然な防衛本能だ。

赤の他人よりも身近な存在を選ぶのは、感情極まった意思動物らしい行動だろうと反論を示す。

「――坊や……アタシは既に知ってるアンタのことを語られたいわけじゃあない。単に……覚えていて欲しいだけさ。どれだけ大切にしたって意図せず手のひらから零れ落ちて失うこともあるんだ」

だけどカンデラは緩やかに首を左右に振り、否定する。吏史に伝えたいのはそういう話ではないと。

単純な世の道理、或いは独自の感性だ。

今日と同じ明日が続くとは限らない。

昨日まで隣に居た者は忽然と消えたり、前触れもなく事故で沈黙の骸となり得る。

そういう、理屈や法とも無縁の無常は確かに存在するのだ。

「それにどうだい。少し背伸びして頑張り始めてもコレなんだ。掌からこぼれ落ちる。アタシが言いたいことはわかるだろう?」


指差された医療機器エンブリオは依然沈黙し続けている。

未だ使用者であるイプシロンの意識が回復することないと示すように、わずかな稼働音も立てることなく静寂を保つばかりだ。


「天命ってもんはね、常に平等的で残酷なもんなんだよ。絶対なんかどこにもないんだ。頑張るのはいいけどね。それが報われなかったから無駄だったと落胆しないように。……適度に息抜きもするんだよ」


吏史は目を伏せた。彼女が言う意味がわからないわけではない。

彼女の優しさから紡がれた気遣いであるのも、十分察せられた。

沈黙してからすぐに、目を伏せるのをやめて、応える。

「……メカリナン、ありがとう。一先ずアンタがいい奴だってことはわかった。……安心した」

吏史は礼を添えて、本心と事実で応える。

「でも、もう三ヶ月前で自分にも落胆し切ったんだ。単なる言葉として受け取るだけにするよ」

再び明確に拒絶で答えられたカンデラが目を瞠る中で、吏史は己が意をはっきりと伝えた。

「許せないのは目の前で見てて何もできなかったオレ自身もなんだ。だからこうするって決めた以上、突き通さないと。……ちゃんと生きていくために」

どれだけ後悔する選択になっても進み始めた以上は止まることなく、突き進むしかない。


「この世界でしたいことは、オレ自身の力で果たす」


透羽吏史が選んだのはそんな道。

心駆られてるが故に余裕はなくて休む間もない。覚悟した上で活動してるから無用の心配だと伝えるように、微笑んだ。

それに気付かされたカンデラの目が瞠り、徐々に細まって顔の皺が深まっていく。

「透羽の坊や……お前さんは……」

先の言葉は続かない。

カンデラは口を開きかけては硬く閉じる。

息を詰めて唾を飲みこんでから、ハッと乾いた笑いを漏らしていた。


「……長く生きて経験で培ったもんだって自分の観察眼には自信があるつもりだったんだが。もう、腐っちまったかな」

笑い飛ばすしかなかった、見誤った自分ごと。その危うさを説いたつもりの相手は理解した上で駆け出している。あらゆるものをかけた上で尖り切ってしまってるのだ。

だから、カンデラがしたことは無用の心配というやつだ。持論を説かれたところで何の意味もない。心には届かぬ境界が生まれてて、その範囲内に在らねば通用するわけがないのだから。


ふと、カンデラは改めて吏史と目を合わせてみる。青と黄色の異色の瞳は熾烈に輝いていた。


「……昔、誰かに……今の坊やと同じことを説いた気がするよ…だからきっとアタシは耄碌してたんだ」

忘却してしまった過去への追悼じみた独り言を呟き、限界まで肺胞を広げるような長い深呼吸を行い、目を瞑ってから直ぐに開く。


そうして気を切り替えたのだろう。

何処か悩ましい表情から一変し、カンデラは困ったような笑顔を浮かべていた。


「悪かったねぇ……透羽の坊や。今の話は無しだ。ボケたババアの独り言だと、流しておくれ」


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