演者としての勧誘
正直な話をすると朝海は無茶振りに振られたに等しい立場と言える。
幾ら環境の影響で生まれつき身体能力に恵まれている【ルド】の子だとはいえ朝海は暴力とは無縁な環境に生きていたし、『平定の狩者』として最たる目的とされている『古烬』の殲滅や兵器破壊への情熱も薄い。
その脅威に触れた経験がないからだろう。吏史やカミュールの激情に共感できず、どこか上の空だ。
「【ルド】に帰れたら『平定の狩者』を辞めろ」
だから『リプラント』の討伐作戦を実行する前に、間陀邏に威圧的に睨まれるように言われても朝海は何も反論できなかった。
実際問題そうするべきだろう。朝海とて同じ立場なら、鋭い茜色の瞳が雄弁に語る通りに、『お前には向いていない』と告げて戦場から遠ざける。
「な、何でですか…?」
「無駄死にする前にやめろって言ってんだ。てめえ弱いんだよ。根性とやる気だけがあるだけの雑魚。作戦においての無能。だからこうして一般区民の護衛なんかに回されてんだぞ」
「……うっ…」
理由を問えば刺々しい正論が更に返された。耳が痛る言葉に俯くが、間陀邏は刺し続ける。
「ネルカルやイプシロンがてめえに何を期待してるかは知らんが、あいつ等は【ルド】のアストリネだ。超自己主義の思想共が期待してることなんざ、派手に死なれることくらいだと思え」
「そ、そんな方々ではありません!」
「面しかまともに知らないのに語るな。というか疑問に思わねえのかよ」
顔を上げて噛みついても怪訝そうな表情で正論でまた伏せられるばかり。その通りだ。朝海は彼等のことをあまりよく知らない。
いつもスクリーン越しで見た遠い存在だったネルカルと対面し話したのはつい最近だし、憧れたイプシロンには一度助けられて恩を感じてるけれども距離を取られてるのが事実。
「都合よく透羽吏史の踏み台として利用されてるってことが考えれねーのか。今すぐお花畑思考は捨てろ。不愉快だ」
手厳しいことこの上ないが、間陀邏の言葉は何一つ間違ってないのだ。
かつてHMTが示した通り、朝海は兵士適性が低い。
「朝海が最下層に置かれた理由なんだけどさ、精神性で大きなマイナスかけられてたみたい。試練は身体能力と精神性が基準なんだよね。朝海の場合身体能力はSだけど精神性が最低値のF-。これが何を意味するかというと、もし困難を前にして立ち向かえるか否か。この状況下において『無理。絶対に逃げる』って判断されてるんだよ」
出発する前日、ネルカルにも気さくに笑われながら臆病者だと言われてた。
「でも度胸なんて鍛えられるし、性格なんて幾らでも変えられるから気にしなくていい。今後、関わっていけば嫌でもわかるよ。『古烬』の兵器は残しちゃいけないし、それを生み出した奴らも野放しにできない。理解すれば朝海でも逞しくなれる」
「………そう。ですかねぇ……」
「そうそう。それに急で戦えないことに不安なったって【暁煌】最強のローレオンが協力してくれる話なわけだし、ハーヴァは……ま、勝手に手を貸してくれるだろう。この二名揃ってうちのディーケ並に強いんだから、どう考えたって楽なもんでしょ。イージーゲームだよ」
ネルカルはカラカラと笑っていて。朝海はそれに釣られて眉尻を下げて愛想笑うしかなかった。
何せ、今の発言は、ローレオンやジルの期待だけがあって朝海自身には特段期待してないのが明白ではないか。
だけど、ネルカルに馬鹿にされているという感覚はない。単純にそう思われて仕方ないものだと受け入れた。
アストリネと人類は別の種族。始祖エファムから始まり枝分かれして連なる一族だ。
どうしたって彼等とは同じ枠にもなれないし立場になれない。種も違えれば考え方も異なる。
だから、朝海がどうしても彼等と並ぶことを諦めたくないのならば、目指すべき境地は透羽吏史となるだろう。
そう、透羽吏史ならば、あらゆる困難を前にしても逃げないはずだ。
試練で魅せた太陽に向かい飛ぶ燕のように、目的を阻害する壁をも悠々と超えていける。
「いやぁ!なんで、なんでどうして!」
「誰か助け……やだやだやだ!助けて、助けてぇえ!」
「誰か!ローレオン様をお呼びしろ!誰かぁあ!!緊急信号を!早く!!」
「繋がらない?!HMTが…!!」
六百人の区民が避難する場所に現れた三頭の巨大な蛇『リプラント』が全ての人を飲み込まんと喰らい襲う危機的状況に陥っても、アストリネのような力を惜しみなく発揮して解決できたのかもしれない。
だけど透羽吏史はここにいない。別のところに飛ばされてしまって、いないのだ。
簡単な警備を任されただけの朝海しかいなかったが故に、地獄は展開する。脅威から逃れようとしても災厄が容赦なく飲んで行く。赤く細い舌を伸ばして鼠一匹も残すまいと隅から隅まで巨躯の胴体をしならせて老若男女全ての区民を蛇は喰らう。
「――――――逃げろぉお!!」
周囲に危機を知らせるカジュアルな服装をした帽子を深く被る若い男性の声は、避難所全体に響くことなく途切れた。
それは彼を中心に、多くの人が纏めて大口を開けた巨躯の蛇に飲まれてしまうからだ。
「その子は許してくれ!その子だけは…!ぁああ!」
嗄れた声を張り上げて幼き子供が襲われる光景を前にした和装の老婆が悲鳴をあげて簪で束ねた髪を振り乱し皺だらけの手を伸ばす。
だが、彼女も子を襲った蛇により飲まれた。
「パパぁ!ママぁああ!」
両親を食われる形で奪われた幼い子供が号泣し、足取り覚束なく彷徨うが、それを庇い宥める人の手は伸びない。
その中で、朝海は梅瞳を瞠り立ち尽くして見つめている。
己の武器である棍を強く掴み手放すことだけはしないまま、災害めいた大蛇が暴れて人々を襲う光景を前に立ち向かえずに硬直していた。
「(『リプラント』、本当に、ローレオン様の仰る通りに本当に来た、でも、予測がずれて。区民から襲って…っ)」
心臓が破裂しそうなほど脈動する音だけがやたら明瞭だ。どくんどくんと強く鼓動が繰り返されて全身に血液が巡ってると言うのに、身体は芯から冷たくなる感覚が訪れている。
「(挑まないと)」
声帯がまともに機能しない心内で思う。
「(だって此処にはアストリネ様や吏史がいないんだから、HMTだって繋がらないし、私しかいない)」
間陀邏やクモガタのような異形は見てきた。もう慣れてきた頃だろう、彼等に比べたら威圧感はないただの三頭の蛇ではないかと言い聞かせる。
「(踏み出せ、戦え。人々の為に…!此処で動く必要があるの、朝海。ジル様にだって少し鍛えられてもらった。こんな蛇、あの方に比べたら全然遅い、鈍い、生温い!動きだって全部目で追える、怖くない。走って、殴れば、襲われても、避けながら戦える…!)」
先ずは殴打し払えばいい、今の己なら可能だ。第一区の区民全て犠牲になる前に、不思議とまだ狙われてない内に、戦わなくては。
しかしそうやって己を鼓舞しても無意味、噴気は起こることなく朝海の足は地面に縫い付けられたように動かない。
「(なんで、私、動けないの…!!)」
歯を噛み締める。初めて『リプラント』の脅威を前にして恐怖が完全に定着していた。身は硬直したままだ。
両手足は石化したように言うことを聞かない。
これまで雛鳥として安全な巣の中で大切に育てられてきたから、他人の子供の目の前にまで蛇の鋭牙が迫っても、それを助ける為に巣から飛び出すなんて出来っこないのだ。
「(戦えば、きっと傷がつく)」
痛いはずだ。野菜の皮を剥いた時、包丁で一筋の傷を作れば半べそかいて親に泣きついた朝海が、腹を貫かれる並の強烈な痛みに耐えられるのか?
狙われてないのだから、このまま諦めて……見過ごせばいいではないか。そんな暗い考えが過ぎる中、象牙色の髪から覗く梅色瞳が眇む。
「(ダメでしょ、ダメ!あんな小さい子見捨てるのは終わってる!…動け!動け動け!動いてよバカ!此処で動く必要があるんだから…!だって、どれだけ相手が巨大でも、ヤバくても!私だって『平定の狩者』なんだから…!)」
『都合よく透羽吏史の踏み台として利用されてるってことが考えれねーのか』
「(…私だって頑張るって決めたじゃない!)」
唇を噛み、血を滲ませて痛みを得る。
痛覚が麻痺したように遠のいた意識を取り戻させて、恐怖にさらされていた体の自由を許せた。
朝海は一気に駆け出す。泣いてる子供に迫る蛇牙に狙いを据えて、両腕を振り上げる。限界まで吸い込んだ息を詰めて、全身全霊渾身の力を込めては棍で殴りつけた。
「……っ!(かっ、た…!!硬い!巨大な岩を殴りつけたみたいに、手が痺れる…!)」
土壇場で剛力が発揮したわけではない。蛇牙も砕けなかった、軽く怯ませられた程度である。
目に見える通り、『リプラント』には大したダメージにはなってない。その上無理な体勢を取り繰り出したせいで足がもつれ転倒しかけてた。
「……こっち!」
朝海は目的を子供の方に変える。
突如救われたことを理解できずに目を丸くしてる子供を抱え、朝海は『リプラント』から遠ざける為に駆け出す。
「(戦うにしても先ずはこの子だけでも先に助け出さないと…!)」
それと道が狭い方がいい。避難所ではなく通路に、あのような三頭の大蛇、通路通過は苦戦する。なんならこうしてヘイトを買ったことに意味があって、朝海を狙い人々の被害が減ることになる筈だ。
「(そうだ、来客区!厳重な設備だったはず!其処にこの子を隠して私が追われ続ければ――)」
ただ、生意気な弱い獲物に殴られてしまった『リプラント』は、苛立ちを示すよう目を凝らして瞳孔を鋭く変える。
どうせ固まってるだけ弱き者だから敢えて放置していたのに思わぬ横槍を受けた。
大したことない一撃であったこと含めて煩わしさを覚えたかのように、巨躯に反して機敏な動きを披露する。
とぐろを巻くように胴体を鞭のようにしならせて、瞬時に朝海が子供と共に逃げた先に追いついた。
「う、そ…?!」
「お姉ちゃん!前!」
嗜虐的に口元を歪める『リプラント』は大口を開けて迫り、騒ぐ子供ごと朝海を食らおうとする。
だが、その暴虐は成されなかった。
風を切り裂き滑空する金色の隼が天から荒れ果てた地に降り立つ。
ガン!と大きな音が響く。瓦礫の一部でしかない捻れた鉄棒により、蛇の頭部は穿たれる。
振り乱れた紅差す金色髪の隙間から煌めく翡翠瞳を覗かせて、鉄棒を掴んでいた肌晒す両手を天に上げるようにすれば瞬時に隼の翼腕に変わり行き、宙で回転するよう跳躍することで空に飛翔した。
「ィ…――――」
しかし二代目イプシロンは、そのまま天に戻ることなく即座に真っ直ぐと降りて行く。
地を下ろす蛇に対し、己自身という鎚を打ち込まんと、落下速度をも乗せた蹴りを、突き立てた鉄棒に打ち込んだ。
ゴン!と重い金属音が、鈍く響く。それは周囲に地響きを起こすほどの威力を持ち、鉄棒は最早杭となって蛇に深く減り込む。
「…ガ、ァ」
破壊するには十分な攻撃。蛇は意味なさない音を漏らし、一頭は小刻みな痙攣をしながら砂煙をあげてのたうち回る。
その中でイプシロンは軽やかに、狭い鉄棒を足場にして降り立つ。
蛇に対しては死に間際の害虫のもがきを見下ろすかのように、翡翠瞳は冷徹に据わらせながら。
「!イプシロン様!!」
思わぬ介入と登場だ。朝海は惚けかけてしまうが咄嗟に声を荒げて叫ぶ。
何せイプシロンの背後には、残り二頭が牙を突き立てようと差し迫っていたからだ。
だが、イプシロンは動転する様子はない。タン、と軽やかに鉄棒を蹴って、背面から地面に落下していく。……ように見えた。
一度の瞬きと同時に金色の軌跡が縦横無尽に描かれる。それは突如陽光が暗闇に差し込み照らすように眩い輝きを放つ。
反射的に目を瞑った後には、大きな地響きが二度に渡り起きていた。朝海が直ぐに瞼を開けば、残り二頭も鋭利な岩片に突き立てられて潰される形で処理をされている。
武器がない分、使えるものを利用して潰したのだろう。だとしてもそれは人間技ではない。人理を超えたアストリネらしい制圧方法だ。
イプシロンの翼が羽ばたき、朝海の前に降り立たれる。
一回転しながら地面に足をつけたと同時に、翻った外套を整えるようにもその両腕は人の形に戻されていた。
「朝海。怪我はないか?」
そう、無事を確認されたと同時に浅く繰り返すばかりの呼吸から肩を上下する深呼吸に切り替える。広がる肺胞と共に、恐れられるべき脅威が失せた実感を得て、顔は泣きそうに歪んだ。
「……怪我は、ありません。助けてくださりありがとうございます………」
「なら、いい」
朝海は俯きかけそうになるのを下唇を噛んで耐えて、既に滲んでいた血の味を感じながら、戸惑う子供を抱きしめる。
「………『リプラント』に飲まれた人たちは、救われますか?」
結局、この小さな子供以外は救えなかった。直ぐに動けばもっと、子供の親も助けられたかもしれないというのに。
自責の念に駆られるがままに、返事を待たずしてイプシロンへの質問は続く。
「私達、私に、何かできることはありませんか…?!」
イプシロンは少しの間だけ沈黙し、翡翠瞳を据えて告げる。
「では、その子の側に居て護ることに徹すること。来客室辺りなら『リプラント』の侵食も少ない、安全だ。直ぐにそちらに向かってほしい」
やはり期待されてないのか。できることはその程度なのだろう。
分かっていたとは、いえ、憧れの存在に突きつけられると心に来るものがある。
「朝海。よくやってくれた。よく、抵抗した。……だが、『リプラント』の始末には異能が要求される。後は俺たちに任せてくれないか」
息を呑んで梅色の瞳を大きく瞠った。
「――――――」
褒められた、褒めてくれたのだろうか?報われないと思ったけど、頑張りを見て、認めて。
「あの、イプシロン様。責め…ないんですか?私のこと、もっと早く動けよとか、使えない、とか。弱いとか無能とか雑魚とか……」
「努力してるものに唾を吐く悪趣味は持ってないし、他責ほど無意味で不要なものはないよ。君は懸命に頑張った。お蔭で子供は救われた。少なくとも俺はそのように判断してる」
今度は、別の意味で口をグッと噛むよう一の字に結んで噤む。喉まで込み上げてきた感情を堪えて、せめて大泣きするのだけは堪えていた。
「ねえ!ねぇ!パパとママは助かる!?」
「最善を尽くすと誓おう。だから、彼女と共に過ごしてくれ。できる限りいい子にして待っててほしい。彼女は俺たちの仲間だ。君をちゃんと守ってくれる」
「……うん!わかった、おねえちゃんといい子にするって約束する!約束するから!お願い!」
そう縋り付く子供に対しイプシロンは真顔ながらも優しい口調で返す。約束まで交わして安心を覚えさせてから、子供を朝海に預けて背を向ける。
次の場に向かうために両腕を上げては、再びこれの両腕を隼の翼へと顕現させていた。
「………イプシロン様!!」
朝海は颯爽と立ち去ろうとする背中に向かって、元気いっぱいに声を張り上げる。目を瞑って思いの丈を叫ぶ。
「色々と!ありがとうございます!私の一生物の思い出として刻まれました!!私、私、貴方様のことをこれからもずーーっと推し続けます!!!」
目元を赤らめて目尻に感涙の滴を滲ませながらの発言に、イプシロンは思わず跳躍しかけた足を止めかけてしまったが、すぐに蹴って離陸し飛翔ながら飛び去っていく。
『へえ。吏史と朝海のために身一つで向かうんだ〜?おじさん若い子のために張り切るのはいいけど、メロつかせないようにしなよー?』
――脳裏では、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて揶揄ってくるネルカルの顔がよぎってしまい、頬に青筋が浮かびかけていた。
「きゃーー!!言っちゃった!言っちゃった……けど我慢できなかったぁあ!!」
「お姉ちゃん…?」
「ああ!ごめんね!有頂天でごめん!直ぐに行こうね!よーし!張り切っちゃうぞぉ!」
その上でテンションが上がりきって色めく朝海と戸惑う子供の声が聞こえるものだから、虚無感が重なるイプシロンの翡翠瞳は平らに据わるばかりだ。
――そんな気が遠くなる心地を得ても、イプシロンは瞬きひとつですぐ気を切り替える。
幾ら第一区の民が『リプラント』溶液に耐性があるとて、飲まれてしまったのは宜しいとはいえない、限界はあるだろう。
朝海に助太刀する前には蛇頭を三十四ほど潰したが、キリがない。無限に増殖する一方だ。
「……全く、こんな事態だというのに。何処で何をしてるんだか」
先ほどクモガタから借りて腰に下げたシルバーブレスレット型のHMTが、飛翔の風に揺られている。
「早く来い、ディーケ。ローレオンでも手に負えないんだよ」
そう呟いた後、建物に張り付いた溶液が集約し卵のような形を取り始めた。
直ぐに殻を破る形で、また新たな大蛇が五体生まれて出る。
鋭利な蛇牙を覗かせながらイプシロンに狙いを定めて、舌をチロチロと出し動かしていた。
その群れを前にして、「チッ」とイプシロンは鋭く舌を打つ。
「(本当に次から次へと……この場は部分顕現だけで済ましたかったが、致し方ない)」
手早く判断してから一度着地した。
「(――久方振りにやるか)」
翼腕で己の身を覆い包むように交差すればイプシロンの影は数倍ほどに膨張し始めたが、其処に白雷が轟き落ちる。
「!」
それは一本の光柱が立つほどに眩い露光、世界を白に染め上げるほどの強烈な雷だ。間近で受けたイプシロンは顕現を止めてしまい、困惑した。
真横で落雷が発生したのにも驚きはしたが、驚愕の大半を占めるのは脳裏を掠めるアストリネの顔にある。
そう、どうしてか、ずっと、優しさと笑顔を損なわずに生きていくものだから。密やかに尊敬していたひとりの顔が、幻覚を見せられるように脳裏を掠めて仕方ない。
目を丸くして瞬光の名残を注視するオルドヌングは、惚けて開いた唇を緩やかに動かす。
「……まさか。ジル、君なのか?」
しかしそれはあくまで白雷、空に建つ光柱でしかない。オルドヌングの疑問の解は当然得られないが、何かを暗喩するように光柱は掻き消えた。
――その間に一頭の大蛇が動き出す。
周辺の建物を破壊しつつ胴体をしならせてはイプシロンの背後に回り、死角から襲わんと大口を開けて迫っていた。
◆
吏史の振り下ろした渾身の一撃は、栗色の長髪を数センチほど切るくらいに掠めてしまう。月鹿は、踊るようにも身廻し屈む形で避けていた。
「チッ!」
躱されたことに舌を打ち、片手でパズルを組み替える要領で手早く武器を剣形状から槍に切り替える。
くるりと円を描くよう回しつつ、柄を両手で掴み握り締めて、心臓を狙う鋭い突きを放ち、月鹿に迫った。
だが、それは金色の剣により白刃を沿って受け流す形でいなされる。
「…クソ!!」
立て続けに槍を振るい上下左右に振り回して刃で裂こうとしても金属音が響く剣戟が続くばかりで届かない。
……反射神経、動体視力も高いのだろうか?ジルとも交戦していたと思わしいのに動きは機敏、疲弊を感じさせない。これまでの投獄期間には鍛えられる暇などなかったと小耳に挟んでいたのに、月鹿には何が起きている?
憤慨に染まる思考に、疑問が浮上する。同時に、槍と剣がぶつかり合って火花が激しく散った。
「あはは!やっぱりさぁ、どうも分析しやすいんだよねぇ!力が籠りすぎて筋肉の動きも読みやすいし、武器を振るった時の風が起きるから実にわかりやすい!さぁ、次はどうするの?残りの銃でも撃ってきて――グゥッ!?」
意気揚々と話す途中、月鹿は鈍く呻く。脇腹には吏史による回し蹴りが炸裂していたからだ。
「っ、なる、ほど?……乱暴、だなぁ…っ」
それは、少しだけ予想外の攻撃だ。
内臓や脊髄にまで響く鈍痛に片目を眇めながら笑みを歪ませる月鹿に対し、吏史は異色の瞳を僅かに煌めては問答無用の追撃を行う。
黒骨の『ゴエディア』は両腕に顕現していた、身体能力を限界まで向上している。
故に、多少無理な姿勢ではあるが、ここから更に力を込めることは可能だ。
地についてる片足を軸にして、踵を地面にめり込ませるほど踏み締める。そして今繰り出せる最大限の力を出し、月鹿に打ち込んでいた足を回し横に薙ぎ払うように吹き飛ばす。
弦から弓矢が放たれるが如く真っ直ぐに、月鹿は崩壊しかけた壁を突き抜け壊しながら数十メートルと転がされて、着地点には爆発したような砂煙が舞い上がっていた。
「(……逃すか!ここで終わらせる!)」
五年の時を経て、得体の知れない存在にまで成長してる可能性が高い。
月鹿を此処で仕留めなければ、と。吏史は起きられる前に駆け出して追撃しようと接近を図る。
アドレナリンは出切っていた、鉄串による貫通の傷など気にしてられないくらいに。抱く憎悪は最大限まで増幅している。
カツン、と音がやたら反響するように響く。
――それは、そんな状態の吏史でも。どうしても、目につくものから放たれるものだった。
桃色の撫子が根付くように咲く真っ二つに砕かれた真珠、ジルの[核]。それが、目の前で軽く跳ねながら転がり、割れた床の隙間に落ちていく。
大蛇たちが割って出てきたであろう何処かの底に続く暗闇に。
「(――――……)」
アストリネは[核]を傷つけられてしまえば、おしまいだ。
人間の臓器で言う脳と心臓の役割を果たしている。全ての姓に備わっている超再生能力も[核]があって成せること。[核]を中心とする生命体だ。
痛みはあれど臓器や部位が破損し、気が遠くなるほどの流血しても問題ない。
[核]の限界値さえ迎えなければ存命する。その上、老化を防ぎ、全盛期の肉体年齢を保つのだ。
だから、月鹿により真っ二つにされてしまったあれは、もうジルではない。
死を残せないアストリネが唯一残せる、異能継承を行うためだけの、種のようなもの。
吏史なんかの師匠となってくれた、身を常に案じて生きるように願い大事にしてくれたジルは、もうどこにもいないだろう。
壊された骸だってとっくに砂に返ってるこの世界にジルコン=ハーヴァは、もう。
そう、頭では幾らでも理屈を並べてきて愚かで無意味な行動だと理解していたというのに。
紅葉が舞い散る景色の中で背を向けて佇んだジルが振り返り、満面の笑顔を浮かべて手を振る。そんな鮮明な記憶が過ってしまって。
吏史は自然と進む足の先を変えてしまう。
「―――ッ!!」
通雨の前触れが差し込む夏空めいた泣きそうな顔で、半分しかない[核]に傷ついた手を精一杯伸ばして、掴む。
但し、それは足場のない場所に身を投げたも同然だ。『リプラント』が何処かから出てきた穴に吏史は落下していく。
「ああ、…ああ、もう!くそっ、くそ!!」
落ちながら、[核]を掴んだ手を胸元に抱き寄せた。顔を俯かせて目を瞑り、自分の判断の悪さに苛立つ。
何てバカなことをしたのか。絶対に此処で月鹿を倒すべきだっただろうに。
頭ではそれが一番正しいことだとわかっていたけど、だけど。捨てられるわけがない。だって何も残せない彼女が唯一残せるものだ。大切なのに捨て置けるわけがない。
「出来るわけがないだろ…っ」
歯を噛み合わせて慄きながら、自然と目の端には涙が浮かぶ。落下で吹き荒ぶ風で飛んでいく。
目が乾いたことで多少は冷静になれた。このまま、ただ、落ちゆくわけにはいくまい。
[核]を握り、異色の目を開き平らに据える。
行うのは試練の時に披露した上昇法だ。
猛烈な風を面として捉えて、蹴り上げる。周囲の空間を視認で把握した上で、真横の側面の壁に足をかけた。
それからあの場に戻る為に上昇を図りたかったものの、吏史の道を阻むよう『リプラント』の大蛇が自身が壁になるよう遮る。
奴は口を開けて、喰らわんと大口を開けて迫っていた。
「こいつ……っ邪魔をするなぁ!!」
頬や額に血管を浮き立たせて怒りを露わにしながら武器を取り出す。素早く銃形状に変えては銃口を向けた。
「――きみではどうしようもない。今すぐ、右方向に跳んでもらえるかな。透羽吏史」
引き金を引く前に、やたら既視感と聞きなれ始めて覚えのある声が場に響く。
同時に、真下から熱風と共に紅蓮の軌跡が舞い上がり、吏史の頬を撫でていく。その鮮明な赤を欠片を見て、ハッと息を呑み瞠目した。
「…っ!」
吏史は指示通り、右方向に跳ぶ。
直ぐに直径二メートルほどの紅蓮の斧が投擲されて、円を描きながら吏史を狙っていた大蛇の頭部に突き刺さる。
接触したと同時に斧は派手に放散し、大蛇は悲鳴を上げる間もなく熾された爆炎に飲まれていった。
花火の名残にも似た消えゆく火の粉を横目に、吏史は斧が投げられた真下に視線を向ける。
「っ、ローレオン……」
十数メートル下に佇むのは、灰色のコートを身に纏う三十二代目ローレオンだ。
投擲した姿勢を正しゆっくりと腕を下ろしていく姿に、吏史は苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべていた。
◆
直ぐ様、吏史はローレオンから離れた距離で着地する。
身を屈んだ姿勢を保ち、胸元の[核]を緩く握りしめながら無言で俯く。
二度も助けられた。……だが、正直警戒心を抱かずにはいられない。
吏史にとってローレオンは、クオーレを失った悲しい過去があれどジルを消すことを強要した存在だ。
大切な存在を奪われたばかりの心では、どうにも、彼という存在が許容できずにいる。
「…ジルは、…そうか…」
[核]を自らの心臓のように大事に抱え握りしめる吏史の姿に諸々、聡く、察したのだろう。深く息を吸い込んで息を吐き肩を落としていた。
その反応に苛立ちを覚え、吏史の眉間に皺が寄る。
「やめろよ。悲しむなんて白々しい反応は。こうなることは……予測してたんだろ」
突き刺すように棘を吐き出すことが、やめられない。いけないことだとわかっていても、どうしても飲み込めないやるせなさがあるから非難が止まらない。
「『平定の狩者』の依頼として設けた時点で……この展開を描いていたんだろ。…アンタには、悲しむ権利なんてない…っ」
「そうだな。言う通りだ。どうしても、私が間陀邏を深く傷つけてやろうと意気地になって目論んで、事の詳細をネルカルに話すことなく『リプラント』を破壊する時期を指定した。……反論の余地もない」
その返答内容に、吏史は少しだけ安堵の息を吐く。
「……ナナは、何も知らなかったのか」
ジルの件を知った上で依頼したのかと疑っていたが故に、彼女が何も知らなかったことにひどく安心した。
もしも知った上なら、きっと吏史は彼女も含めて嫌悪感を抱いていたことだろう。
「そもそも。ジルが『リプラント』の主核である事自体は間陀邏と私、イプシロンとアルデしか知らないからな。その件自体は昔の『平定の狩者』の協力者が知り得て秘密にしていた。……私以外は、終わった後も墓に持っていくつもりで、黙して語らなかったことだろうがね」
「………っオルド、なんで……」
だけど。ショックを受けることはあった。イプシロンは何もしなかったことにだ。
何故今回の件でかなり深く関わる立場に居ながら、ローレオンの計画の阻止に動かなかったのだろう?
寧ろ、計画を吏史たちに話さずに傍観者でいた理由がわからなくて、異色の瞳が困惑と僅かな信頼が崩れたように揺れる。
「私も彼が阻止しないの意外だったが、病院で『ジルが止めないからだ』という答えが全てだろう。彼は誰よりも選択の侵害をしたがらない男だ。……私の計画を止めようとしなかった、ジルの意を汲んだと思わしい」
「……よう、するに。ジルは、終わることを受け入れてたって言いたいのか」
イプシロンなりの理由があって止めなかったことを知れたのは、ともかく、やはり吏史には疑問が浮かび付き纏う。
あんなに毎日楽しそうに笑ってたというのに、どうして何故。ジルは死を受け入れたのだろうか。
ローレオンの計画に薄々気づきながら、乗ったことが理解できない。
「ジルは、初めから死にたかったってことかよ…」
発電所での強い想いが通じたのだ。この先は生きてくれる。
それ自体が勝手に甘い夢を見ていただけと言われれば、そうなのだが。どうしても吏史は心の整理が、納得がいかないのだ。
「それは……否定する。ジルはな、とうの昔に終わりを受け入れていた。始めからだ。二十年という期限自体、彼女が彼女として生まれ落ちた時から確約されたものだ」
「――――」
「『リプラント』はいずれ破壊する必要はあった。今の現状の光景がその証明だ。ジルがジルである内に破壊するまでが決定事項だったよ」
そこに様々な想いが巡って、今がある。
ローレオンから解を受けた吏史は、何も言えない。口を一の字に固く結んで押し黙る。
共感も気づきも得れないからこそ、語れなかった。
あんなに翳りも感じさせることなく輝いていたのに終わりを受け入れてたなんて、信じられなくて。
だけどやはり彼女との日々の思い出は楽しいに溢れた綺麗なものばかりだから、手の内にある[核]の軽さが失った悲しさを加速させる。
ただただ、言葉を失うしかなかった。
しかしその場に静寂は訪れることない。
一つの爆発のような地響きが場を揺らした。
今も尚、『リプラント』は胎動を起こしているのだろう。本来の主核が損なわれたとしても代わりがいるせいで、起きた事態の収束はなされていない。
「……吏史。ジルの[核]を今直ぐ食べろ。そのまま放置しても自然と消えるだけだ。花は等しく枯れてしまう」
そう、ローレオンが顔を上げて、吏史に告げた。
吏史の両肩が大きく上下する中で、ローレオンは更に押し込むように発言を続けて畳み掛ける。
「ハーヴァの姓は確実に終わりだが、せめて、弟子であるきみが糧にして意味あるものとして残すべきだと思わないかね?」
「……………うるさい……」
「彼女も、一番弟子であるきみに食されるのならば本望だろう」
「…ッ、そんなわけないだろ!!」
顔が燃えたように真っ赤になり、激昂した。
吏史は胸元の[核]を思わず力を込めて掴んでしまいながら、気のおけぬ仲だったであろうジルを喪っても冷淡を通すローレオンの薄情さを責めるように訴える。
「ジルの生きた意味が、証が、最期が!兵器の、『ゴエディア』の月鹿や、オレに食われることだっただって?……そんなわけあるかよ!あってたまるか!二十年間…ずっと頑張ってきたんだろ?!アンタにならわかるだろ!ジルが、これまでどれだけ頑張ってきたことか……アストリネとして、ただ人を守って多くを幸せにしようと…本気で思っていたって!そう、だったのに、例え『リプラント』の主核だったからって…こんな、こんな仕打ちを受けていいのかよ!これが…兵器の報いだっていうのか…!」
その悲痛とも言える非難を捲し立てられても、ローレオンは眉ひとつ動かさない。わずかな風を得て、身に纏う灰色の外套だけが揺れていた。
「ああ、そう通りだと人や世は答えるだろうな。彼女は『リプラント』の主核。『古烬』の兵器だからこれまでの献身が報われなくて当然だと」
「……………は?……」
――何を、言ってるのか。
あまりの言葉に茫然として、感情が抜けたように呆けた声をあげても、ローレオンは何も表情は変わらない。
「寧ろ、ここで消えてくれてよかった」
ざわついた心に火が付いた。一気に沸いた熱が奔流して巡り回る。
吏史は目を吊り上げて、下唇を強く噛む。力がこもりすぎて前歯が薄皮を破り、血を滲ませて伝い落とさせた。
喉奥から湧き上がる怒気は包み隠さずに『ゴエディア』を顕現させたまま、真っ直ぐに向かう。
今すぐローレオンを一発殴ってやらねば気が済まない、そんな心地で。
「ローレオン!!」
殺気を露わにして武器を取り出しながら、白刃を喉仏に突きつけた。
「今すぐにその発言を撤回しろ、訂正しろ!」
激情に駆られて、苛烈さを露わにする。ローレオンの発言はそれだけの地雷だ。
「……そんなところだ。大半のアストリネも、人々も、口々にそう宣うだろう」
頸動脈を狙われるという危機に瀕する殺意を受けても尚、ローレオンは変わらず不動の冷静を保ち、真顔で佇んでいる。
「管理社会は最早崩壊してる。始祖が理想としていた楽園はどこにもない。あるのは他者のために努力する尊き存在の犠牲を強要し、骸に唾を吐きかける狼藉が許されてしまう排他的な世界だ」
「……なんで、……だよ……」
吏史は、声も、手にした剣を震わせながら問いかけた。
不思議でならない。其処まで気づいていながら、変えられないのか。
ローレオン、六主の一角。異能の境地に至った最強と名高い存在でありながら、何故、ここまで傷付いて、何も変えられてないのだろう。
「あんまりだろ!……正しいやつがちゃんと評価されて、努力が報われて生きれる世界をっ……アンタは凄い力があるのに!なんで作れてないんだよ!」
喪失と、無力感と、行き場のない憤慨が混じり合って、吏史は自然と見開いた異色の瞳から溢れる大粒の涙を、嗚咽ごと吐き捨てるようにも強く訴えた。
「やろうとしたさ。変えるべきだと足掻いたとも。…だが、無駄だった。力があっても上手くいかなかったんだよ」
だけどそれに対してローレオンは炎の使い手でありながら、どこまでも冷たい氷海のように冷静に返す。
「ひとりでは何も変えきれない。アストリネの統制を図るのは容易なのだがな…無理に変えても根強く残る固定観念がある人々には、強行同然だ。正しさを訴えようが今更すぎる。反語にする行動は反感を買う上に、怯えさせてしまうだろう」
仕方ないことだと説く。
実際、『古烬』が生み出した兵器の被害を受けて、始祖の系譜たるエファムや文明発展を促していたヴァイスハイトを始めに多くの姓が狙われて消えたのが事実。彼等が失われた事実は何も変わらない。五年前に『古烬』が第十三区を壊滅させたのも最悪の印象として根深く残る。
「命を奪った者たちを自分たちの懐に入れて生活の一つとして受け入れろなんて、刷り込まれたイメージが定着してる以上、難しい話だ」
これまでの安寧の生活を変えて危険を孕む者たちを受け入れろ。なんて、個々人の善意に訴えるようであり無理難題を突きつけるに等しい。
それが事実、いくら力があろうとも社会というのは暴力では成り立たないという真実を突きつける。
「我々は人類に平和を約束した守護者だ。支配者であるつもりはない。だからこそ、強引な手段は難しい。簡単に変えることは出来ない。…だが、しかし、ならばこそ、必要だと思わないかね?」
この発言を皮切りに、ローレオンは此処で吏史に振り返る。
「…必要?……何が?」
漠然とした不安に駆られて目を揺らす吏史を、涼しい真顔で見据えながら、淡々と己が案を提示した。
「『古烬』の兵器が、『古烬』の兵器を打ち砕く。アストリネと変わらぬ力を発揮して、脅威を討つ。……これまでの印象への改革を起こすと同時に、希望を人々に与え魅せる存在が必要だと思わないか。透羽吏史」
ふたりの間に微風が吹く。
互いの髪や外套の裾が靡き、溶液を散々焼き払い灰が舞う中で、真顔で冷淡に徹するローレオンと泣き腫らして赤らんだ目元を歪ませる怪訝そうな表情を浮かべた吏史の視線が交差する。
「『古烬』ながらに『古烬』を滅する目的を持つきみが世界という舞台の主役となれ。変えるために、人々を魅せろ」
胸元に抱き寄せられた[核]から生える桃色の撫子の花弁は、頻りに揺れていた。
ローレオンが言ってる意味を、吏史は理解している。
復讐に進むのは構わない、それは肯定的。
だが、ただ破壊するだけでなく大切に想うものの守護をも望むのであれば、せめて、生きた意味を穢されたくないと願うのであれば、『人々の前に立ち、魅せるしかない』と明示してるのだ。
「…――」
ドクン、と心臓が脈を打ち緊張感を与えてきて、嫌な冷たい汗を溢れさせた。
『まぁ私の立場は偶像崇拝とそう変わんないかなぁ。その辺の自覚はあるよ、アイドルだよね。普通にそのポジ狙ってる。一々顔を出す理由としても文よりも絵のほうが情報が楽に入ってくるし、執務に引き篭もらずに三光鳥を中心に人々と定期交流というファンサも欠かさないのはさ、群衆と近い距離に来て親しみを覚えやすくするためかな。意味はあるよ?ある種の情に訴えかける、甘んじるみたいなものかもしれないけど』
全身を揺らすような脈動が続く中で、昔に交わした何気ないネルカルとの対話が回想として脳裏に流れていく。
『どんな事態を前にしても、生活がまるッと変わるような変革が起きても、ネルカル様がいるから大丈夫って安心してもらえる。それって凄く大事っしょ?象徴様だからこそ、常に自信を持ってどっしり構えなきゃね』
つまりは、そういうことなのだ。
思考を巡らせる頭が声を流し意味に対しての答えを明示しているように、記憶のネルカルも片目を閉じるような得意げな笑みを浮かべては吏史に突きつけるよう指先で胸元を軽く小突いていた。
『…まあだから、私と人々には信頼があるわけ。大抵の無茶ぶりも許されるので…』
『そうか。では君が提出していた新規建造専門機械案についてだが却下だ。コストに反して想定される収益が割に合わない』
『なんでさ!!それはいいでしょ、カッコいいじゃん!三国と共同してさぁ!【暁煌】の創作映像に出てた巨大機械を作ろうよ!イプシロンってほんと夢見ないよねぇ!』
嗚呼、と鉛のような重い息ごと胃液を吐いてしまいそうだ。
無理だろう。吏史にそれが出来るわけがない。ネルカルだからこそ成功している話ではないか。
彼女が間陀邏と異なり代表管理者に落ち着けてるのも、ネルカルの揺るがない自信や天性、人を惹きつける才能が備わっていたからに他ならない。
【ルド】の人々はネルカルの力を全面的に信頼しており、若くして偉大なる代表管理者として魅せられきっている。
物静かなディーケや、人前に出たがらないイプシロンではこう上手くいかないだろう。適正ではあったのだ。
だと、いうのに。ローレオンはそのネルカルと同じ立場に立って踊れと、吏史に告げている。
「むりだ……」
正直な話、嫌だった。
ジルの[核]を食する前提で話してるのも嫌悪感が増す。断固拒否して断ってしまいたい。
何せ吏史とって別に、人々はどうでもよくて。
ジルやオルドヌング、ヴァイオラを始めにした師匠達。ネルカルやカミュールという偏見無く仲良くしてくれた者。大事という感情は彼等にある。
人々は……。
ナターシャや朝海くらいしか、いない。
アストリネを個として見て寄り添えるのは彼女たちしか知らない。
だって、ずっとそうだ。
吏史から見てアストリネの方が、ずぅっと大きなものを抱えてしまってる。
守られることない環境で苦悩して、苦労して、期待による押しかける重圧と責任に重い息を吐き、上手くいかなかったと肩を落とす。だけどそれでも顔を上げて、自らのすべきことだと言い聞かせてはこの世の平穏を保とうと試行錯誤しながらに進む。
人類は彼等の苦労を知らずに、安寧を甘んじて受けてるものが多い。
多少、薄ら感じていても、自分たちの生活を保つために全て押し付けてしまえばいいとすら思ってるのではないのだろうか?
『任せてしまえばいい。彼等が解決してくれる』
……きっとそうだ。あんな無責任な、身勝手な発言ができる、第十区のハントのようなものがいたのだ。人々は彼のような考えを持つ者が大半だろう。
それが、吏史の結論なものだから。自然と顔は俯いて目は伏せられていた。
此処までの体験がそう、改めて思い知らされたように。
奪われるものがなくなるように。これ以上、己から何も強奪はされたくないからそうして『古烬』殲滅を誓ったのに。
大切なジルを喰らい見せて道化になれと?悪い言い方をしてしまえば、そのとおりなものだから。僅かに開いた唇が震えた。
「無理だ。ローレオン。オレは、アンタが望むように、立てない」
こうして今だって、ジルが壊されたことに怒りで沸騰してる。頭が、どうにかなりそうだ。その場で泣き叫びたくって仕方ないのに。
「きみならできる」
それでもローレオンは可能だと一点張りだ。
「何を……何を根拠にして言ってるんだよ。無理に決まってるだろ…」
「きみはアストリネと同じになりたかったのだろう?まだ、夢を追いたい気持ちがあるならば、進めるとも」
「っだから!無理に決まってるだろ!?夢は抱けない、オレは兵器だ、『古烬』の兵器、『ゴエディア』だ!人に、アストリネに嫌煙されて侮蔑されるべき当然なんだよ、平穏を乱す存在だ!ナナのようになれるわけがない!オレには…できるわけが…っ!」
顔を横に振り狼狽えて、声を荒げ身を戦慄かせては感情の乱れを表す吏史に対し、ローレオンは不動。武器を突きつけられて首筋に傷が生まれて血が滲んでもなお、感情の抑揚がない声を放つ。
「できるできないの問題ではないだろうに。きみは、努力が報われて救われたいのではないのかな?」
「………っ、………ちがう、…違う!オレは…オレ自身が、救われたいわけじゃ…!」
「いいや違うなきみはずっと救われたいんだ。誰しも始めから死にたいとは思っていない。それが我々意思のある生物だ。……イプシロンを始めにしたものたちに生きる希望を見出したからこそ、守ろうとしたんだろう?復讐ではなく彼らの未来を優先していた変化をくれたから、弱りきった心に沁みた恩を返すために。……わかるんだよ。吏史。何せ、私ときみはよく似ている」
ローレオンは己の指先で吏史を指す。
大きく瞠る異色の瞳孔に映る己ごと、桃色の撫子が咲く[核]を抱く吏史を見返し、見下ろした。
「よく似ているよ。愛した者を失った後、道を誤ってしまう前の私にだ」
そんな悲しみの色を滲み灯す榛色瞳を見つめ返した吏史は言葉を失う。
――誰しも、喪った傷を抱えている。
喪失で得た傷を、どうやって受け入れてしまうべきかは自分次第で。生きる道を選ぶのかは己が選択することだ。
だからもしも傷の埋め方や道を誤り、其処で新たな傷が生まれてしまっても、後戻りはできなくて。選んだ道に向かってただ突き進むしかないのだろう。
間違っていると、わかっていても。
「私は間違えた。教えを求めずに間違えてしまったが、きみはどうするのだろうな」
力があるが故に道を外したアストリネは問いかける。
「ジルを守るために、きみができることは何か。改めて考えてみるといい」
◾️
カン、と音を立てて銀色の指輪が落ちていく。
指輪は前進に回転しながら進んでいき、道阻む瓦礫に躓くようにも転がった。
先に落ちていた、対になるような金色の指輪に寄り添うように。
「……ジーン。お前が最後に守りたかったもんは……どんな形になっても守ってやる。お前に誓う。二十三代目間陀邏の姓に於いて、お前に誓う……」
周囲は凄惨な状況だった。深緑色の溶液に塗れて血と肉、骨が飛び散っている。まるで無理矢理に絡みつく何かを乱暴に剥ぎ取ってちぎり投げつけたようなそんな現場だ。
間陀邏はその場所の中心に立つ。
揃いの指輪を見つめながら、立ち尽くしていた。
「見てろ。お前を追い詰めて壊した奴ごと潰す。この事変を産んだ奴らも、総じてだ」
獣爪に引っ掻かれてボロボロの両腕がゆっくりと修復されていく。
這うような低声を吐き出し、爪が赤い鉱石に変質し始める手で顔を覆っては人体化する己が忌々しいと表すようにぐしゃりと強く、握り締める。
「直ぐにおれもそっちに行くから……待ってろ」
並ぶ二つの指輪は本来の輝きを失うほど煤汚れてしまっている。しかし、その濁りは誰に拾われ拭われることはない。




