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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
序章.
4/32

1-2

あれから朝食を終えた二人は、約束した鍛錬の時を迎えていた。


自宅の庭。薄茶色の竹柵で覆われて、外部からは様子が見れないように整えられた場所。

白と黒という相反する色に塗られた木刀を持って、数メートルほどの距離を保ち対峙する位置に立っている。

サージュは少しずれた黒の革手袋を裾を掴んで位置を正し、首に手を置いて傾けて鳴らす。

地面に置いていた黒色の木刀を片手でくるりと器用に回し、柄を掴み直したサージュは笑った。

「さて、こうした稽古つけてから大体五年になるねぇ。成果を見せてもらおうか」

挑発めいた言葉に乗るわけではなかったが、吏史は気合を込めて目を据わらせ、両手でしっかりと白の木刀を柄を握る。

「うん!今日こそ一本取ってやる!」

そうして、相対するサージュに剣先を向けた。

「ははは。威勢がいい。これまでずっと利き手じゃない上に片手というハンデを持つ僕から一本も取れてないのに。いい加減、両手くらい使わせてみたらどうだい?」

「ぐうっ…わかってるよ!というか、父さんが武闘派なのは変な感じ、だよな……」

「そんなに意外?」

「すごく、ものすごく意外…強いって…思うし」

サージュは見るからに少食に見舞う体型、華奢にして細身だ。姿勢は真っ直ぐだとしても木刀を握る姿はひたすらに似合わない。だけど強い。

『恵』では比較対象がないとはいえ、外見に合わぬ手練れという評価が吏史にはある。馬鹿にしているわけではない。

「だけど。だからこそ、父さんから一本取って見せたら明日の適性検査も行ける気がする」

寧ろ尊敬の念が込められていた。

サージュに従い、成長することには大きな意味があるに違いないと思わせてくれるのだから。

そう五年の成果を見せる気概と意気を込めていたのだが、肝心のサージュ当人は「…え?」と素っ頓狂な声を上げる。

同調するよう「…えっ」と反応する吏史に対し、サージュは木刀掴まぬ手を横に振って否定した。

「いや、雑魚の部類だけど。【ルド】の生粋の武闘派とは天と地ほどの差がある。僕のは急遽仕立てた見様見真似の剣技だからねぇ、めっちゃ弱いかと」

「めっちゃ弱い…??」

「そう。めちゃくちゃ弱い。『恵』生まれでもないから、そういうタイプでもある」

「………えっ?!」

ギョッと目をむいてしまう。十年間共に生きて初めて知った父親の衝撃的な事実、唐突すぎるカミングアウトである。

『恵』出身じゃないことにも驚きだが、一番の謎にして困惑を招くものは、五年間鍛錬してきてて一度も勝ち星を与えなかったサージュが〈己は弱い〉と自負したことだ。

「なんか、なんか。出身とか。いろいろ気になる、んだけど。……待って、それでオレ、大丈夫なのか?!適性検査明日じゃなかった?!」

「大丈夫。あー、うん。いや、大丈夫。子供の中でなら全然大丈夫。僕の評価自体も判定高めだから」

「そ、そっか。大丈夫ならいいや」

そうして吏史は無理に鵜呑みにする。

俄然、納得はし難いが。問題ないのならばそれでいいと己の教育者に対し全面的な信頼を表す。

それが少しだけこばゆいとばかりに、くっくっとサージュは喉を鳴らし肩を揺らした。

「そこはいいや、じゃないんだよな。ちょっと僕を過信し過ぎだねぇ。懐に入れた身内に全面置くのは宜しくない」

そうしてサージュは己の長い前髪を掻き上げて、額を晒した。口元は三日月の形をとって笑んだままだ。どこか悪役面じみた表情があり、不穏さを醸し出している。

「さて。明確な目標を提示しよう。今日は、何をしてでも両手を使わせる。じゃないと【ルド】への片道切符はないと思え」

雰囲気に押されたじろぎそうになる中でも宣告された言葉は、素直に飲めたのだろう。

了承代わりに吏史は無言で柄を握り、夏空の双眸を据わらせる。

其の姿勢はどこか牙を見せて威嚇する狼を彷彿とさせており、その様にサージュは口角を深めた。

「…気迫自体はちゃんと身につけつつあるようで、何より」

白の木刀と黒の木刀、その剣先を互いに構え向けたまま、牽制し合いながら円状に回る。

数メートルの距離を保ちつつ半円までゆっくりと進んだ。


――これまでずっと五年間、片手だけ使われていた。技量等は相手が上手である。

そんな相手に両手を使わせられるのだろうか?

「(…なら、どうするか)」

全く活路を見出せてないわけではない。吏史は分析していたあることを思案して瞬きを繰り返す。

サージュは神速だが、持久力には欠陥がある。

未だ十歳の吏史に敵わず根を上げたことも少なからずあった。

「(…俺が敵うのはそこしかない)」

疲弊するまで継続させるのが対抗手段。その体力も気概も、今の吏史にはある。

「(基本防御かな。サージュの剣戟を受けないように、立ち回って体力を大事にしよう)」


そう思考を巡らせる吏史を現実に戻さんと、鳴らない手合わせ開始の合図代わりにサージュが先手を取り動く。

前のめりの姿勢で飛び込むよう踏み出す。渾身の脚力は瞬発力を編み出した。一拍立たずに間合いは詰まり、相手の懐に潜らせる。

「っ!」

黒が、瞬きの間で真下から現れた。

大きく肩を揺らす反応をする吏史には構わない。サージュは地面を踏み締める。足元を軸に、心臓部目掛けて打突を放つ。

それは一点集中の技、体重を乗せた一撃だ。腕力がないからこその攻撃手段。サージュは最適を理解していたのだろう。この身は斬るより、穿つのが適していると。

「(――『目で追いつけないなら、相手の呼吸、生まれる風で予測する。肌で、動作の先の軌道を感じ取れ』!)」

だが、そこでやられるほど吏史の仕込み歯甘くない。

直ぐに周囲にはガン!と鈍い音が辺りに響き渡る。サージュは片眉を顰めた。

木刀越しでもそれがよく伝わったのだろう。手応えは硬い。薄い肉を殴る感覚はなかったと。

自身の黒髪が揺らぐ視界に、やがて理由が映される。――理解と理由を得た金瞳が細まった。

「なるほど」

白の木刀が、黒の剣先を防いでいる。

両手を引くように白の木刀を胸元に寄せる形で、遮っていた。

「僕の動きは見えていたのかい?」

「…全然っ、でも今は風で感じとれた。なぁ、五年の成果は感じてくれた?」

「そうだねぇ。今のところはちょっとくらい。ティースプーン一杯分の砂糖くらいは舌辺りで感じたくらい」

「……それって、認め飲み込んではいないけどってやつか…」

「ああ。僕の言い回しに気づいたか。うん、正解。そこはそういうこと」

それでも先手必勝の一撃を防衛してみせたことを褒められたと気づいた吏史は、受けた衝撃で痺れを覚えた手を震わせながらも歯を見せて笑う。

「ところで質問、だけど。今、本気…だったよな?」

「さあ。それはどうかな」

挑発的な返事で返すサージュは、弾くように吏史から離れた。

合わせて木刀の柄を持ち替える。素早く身体を回す。動作で白衣を翻す様は翼を広げる白鳥のようだ。

しかし、剣戟の再開の合図だ。吏史はそう認知する。

動作速度としては先の打突よりも早くない。風を感じ取らずとも見切れる程度だ。

ならば、と手足を中心に息を詰めて全身の力を込めた。早くて軽快な攻撃を重ねられるならば、此方は押し負けない不動で対抗すべきだろう。

「!」

斜め下から斬り上げるのに合わせて、反転位置で体を回しながら木刀を振り上げた。カァン、と木刀同士がぶつかり合う音が辺りに響く。

受けた反動を流すためにサージュが吏史から離れ、身軽に数メートルほと一気に飛ぶ。そこに、吏史が噛み付かんと追撃に躍り出た。

「サージュ!」

両腕ごと振るように渾身の力を込めて、風を切る音を立てて木刀を奮う。

「おっと、呼び捨てかぁ?其処はお父様って呼べよ、吏史」

何度か瞬きを繰り返して瞳に映したサージュは笑んだまま、悠々と黒の木刀を逆手に持ち変えては素早く迫る白を黒の木刀で弾く。

「!ぐぅ?!」

筋力差は歴然とはしてはないが、体格差が大きい。打ち負けたのは、吏史だった。

全身をかけた大振りの動作も悪さしたのだろう。弾かれた拍子に両腕をあげて腹を晒してしまった隙を逃すまいと、サージュに軽く腹を小突かれた。

一定の距離だけは保っているものの、走った痛みには怯んでしまう。

片目を瞑り痛む腹を抑えてしまう吏史に反して、サージュは乱れた黒髪を耳にかける仕草を悠々と行なっていた。

「うん、いいね。いい。ちゃんと見えてきてるのは確かだ。この速度で応戦できてるのは凄く偉い」

そう称賛されるものの、吏史はあまり褒められた心地はしなかった。

今のところは対応できてるだけだ、状況は変わらず動いていない。寧ろ、一方的とも例えられる。

「(…だけどまだ、負けを認めてない)」

勝負事な勝敗の付け方は教えられていた。どちらかが、負けを認めるか、だ。

不動の意を示す光を瞳に宿しながら、サージュを強く睨み木刀を構え直す。

「…いつもより遅くないか?そろそろ両手、使ってもいいぞ」

「へえ。挑発もしてくると」

言葉にしながら苛立つことなく、サージュは口角を吊り上げた。

「全然まだまだだろ。寧ろここから攻撃のテンポを上げてやるさ。――ちゃんと追いついてみろよ」

そして再びサージュは地面を蹴って躍り出る。吏史に向かって踏み出していく。

瞬時に吏史の背後に回り、胴体、背、腰を狙い三連撃の打突を放つ。

それは豹が駆けるのも、車の走行とは違う。驚異すべきにして、音速的とも言える速さだ。

故に、人によっては瞬間移動だと誤認することだろう。相当の神経反射がなければ、眼球が頭部になければ、対応は不可能な技である。

「…ぅ、しろか!」

だが、其のスピードの下で散々鍛えられた吏史だからこそ対応できた。

見えなくてもいい。先と同じように慌てず他の感覚で補填する。質量移動により生まれた風の動きを肌で感じ取ればいい、『見えなければ対面相手の獲物でなく予備動作で予測するか、或いは勘で対応しろ』と教えられている。

その思考の元、吏史は片目を眇めながらも的確の位置に振り返れた。

ほぼ同時に穿たれる三連撃を前にするが、吏史は怯まない。それから逃げても無駄だとも思い知っていたからだ。

「(――怯んで、逃げるな!)」

故に果敢な勇猛心を以て、剣戟で応戦した。

大ぶりな攻撃ではなく、今度は隙を晒さぬよう最小限の動きで対応する。

「(《《あの力》》無しに撃ち合いに勝とうとするな!基本…流す!)」

但し、正面からまともには受けない。受けるのは刀だ。器用に柄を掴み正していきながら、神速とも例えられる三連全ての打突の先を、剣の上身で滑らせるように薙がせていく。

黒髪を乱しながらいなしきった後、吏史は反撃に躍り出る。

駆け出すような姿勢で今使える自身の渾身の力を込めては木刀を振るう。目の前のサージュの木刀を掴む腕、上腕を叩いた。

「ッ!」

先の腹を突かれた仕返しも兼ねていたが、どうやら成立したらしい。サージュは片目を眇めて無理に反撃することなく素早く後方に飛んで退いていく。

距離を取られたと同時に、吏史は集中で詰めていた息を吐いた。

「っ、はは……」

夏瞳を細めて、笑みを溢す。

五年の教えの成果が現れ、活きているのだ。

こうして何度も手合わせを繰り返す中で目が追いつけず地に寝かされたり、ゴム製のボールをはじめにした無機物をあらゆる方向から投げつけられたりとした日々の訓練は無駄ではなかったと安堵した。

「――…おーい。やっと一回攻撃入れたことに喜んでるところ悪いけど、まだやるよ」

そんな成長の余韻を噛み締める数秒の時間を、サージュは与えない。

吏史の意識を引き戻してから、次なる構えをとった。

「知ってる」

それに憤慨することはしない。寧ろ当然だとわかっているだから、口元の笑みをより深めた。

「これ、両手を使わせるまで、なんだろ!」

それからは攻守交代に転じようとする。

木刀を上部に構え、真っ直ぐに佇み天に白刃を立てた霞の構え。

これは、いつか見せられた見様見真似だ。

「…わかってるねぇ。じゃあ、こちらも別の見様見真似で応えてあげよう」

真似された側として応じるようにもサージュは片手だけで器用に木刀を回す。

「世界同様、剣の世界――及び、文明は広く深い」

霞の構えは取らない。腰に突き刺す脇差のように置いては、身を屈めて抜刀術を繰り出すための居合の構えを行う。

「お前は体動かすのが好きそうだからねぇ。存分に楽しめよ」


そうしたやりとりを踏まえ、やがて、吏史から動く。円を描きながら木刀を横に振り上げた。

それに応えるようサージュは抜刀の勢いで前方を薙いだ。

狙いは互いに胴体。位置が、狙いが。合致した。

「…っ!」

「ッ、…」

一度ぶつかり合い、再び音が周囲に立つ。今度は二人ともにその場から弾かれる。だが、それで互いに怯まない。

吏史は片目を軽く瞑るだけで。

「ふーん?」

サージュの方は笑んだまま、気が乗ったような声を漏らすだけだ。

勢いは殺さないように白黒の柄を握る力は強まっていく。互いに軋む音を手から立たせて、敵人に向かって、踏み出した。

カァンと何度も木刀が揺れる音が立つ。まるで嵐を巻き起こすように空に響かせる剣戟が、打ち合いが続いていく。

体を回し、拍子で黒髪は乱れ、サージュは纏う白衣を翻しながら、吏史は唇を噛み息を詰めて、左右上下に白黒の剣の軌道を描かせる。

その全てが相手に届くことなく木刀同士でぶつかり合い、宙で破裂するよう音が何度も弾けた。

「…ん、の!」

連撃を経て、吏史は確信する。

これはジリ貧だ。狙いを変えなければならない。

先程己が背後に回られたことを判断できたように、――否、瞳孔の動きが示唆している。あの金瞳は吏史の動きを見切っているのだと。

揺らぎという迷いはなく、強烈で眩い黄金の光がただある。

隙は簡単には生み出してくれないだろう。

だから剣戟の継続もまずい。

吏史が盤石な壁を殴り続けるだけで、疲弊している。息も上がって汗も球粒のように滲み、地面に幾つか落ちて濡らし始めている。

「息が上がってるねぇ、どうしたぁ?」

唯一混ざっている体力勝負で争うのも手だと僅かに思っていたが、――

「これじゃあ僕に体力勝負、仕掛けられないねぇ」


潰されたと黒髪の隙間から見える黄金の輝きで確信した。

ならば、と思案して、即実行に躍り出る。胴体から脹脛に狙いを定めて身を屈め、足払いにも似た一閃を繰り出す。

「おっと、」

――当然。それはサージュには読まれていた。

長い脚を後方に開脚させる後転で避けられる。

ただ、原則サージュは片手のみ使用と縛っている関係上、地面に手を触れることが叶わない。だいぶ無理をした後転だ。

やや斜め気味な体勢となり、白衣の裾を足に引っ掛けかけた。若干鬱陶しく感じ、サージュの顔が歪む。

「…ッ」

僅かな舌打ち音を立てるものの、感情の荒れを続かせない。ペースを乱されれば掬われるだろうと分析していた。

サージュとて五年は感じてる。老いは咲いた花に枯れさせる摂理だが、若き蕾には芽吹きを与えるのだ。

そう思わせるほど、吏史の成長を認めていた。近くで見てきたのだ、誰よりもわかる。

だからこそサージュは敢えて手を抜かない。この開花を始めた成長を止めるべきではないのだから。

「…――さて、」

躊躇なしの金瞳が動く。真下には屈んだ体勢のままで、隙だらけの獲物《獲物》を捉えている。

即座に判断した。分析するまでもなく振り下せる。立ち上がる前に黒の木刀を叩き込むことが可能だろう。

「僕らしくもない粗暴で粗末なものだけど。避けてみせてくれよ?」

片腕を顔の前に曲げて、一拍経つことはない。地面ごと斬りつけるように木刀で黒の半月を描きながら振り下ろす。

但しそれは一撃ではない。左右方向を重ねた二撃の剣戟だ。

「――――ッ!」

決して、避けられないだろう。それを認識して回避させる時間はないのだから普通ならば直撃だ。

――だが、吏史は《《そう》》ではない。

既に鍛えられた動体視力や勘は速さに追いついている。拮抗する剣戟を何度も経て、神経は鋭敏だ。鼓動は限界まで高まっており、集中力も向上していた。

当意即妙の攻撃を避けられない道理はない。

瞬時に、吏史は身を屈める。地面に顔をつけるほどまでに。

直様片足を軸にして、足を、身体を捻る。

まるで氷上で織りなすスケートのスピンのように、黒の軌道から逃れ、躱す。

「…っ、……あっぶな……!」

噴き出た汗を散らせながら木刀の跡を見れば、己が居た場所の地面が、木刀の軌道通りに数センチほどの深さで掘削され抉られていた。

「(危な、危なかった!当たってたら確実に動けなくなってた…!多少加減してくれてるだろうけど、少し自分の調子が崩れた後の父さんは容赦ない…!)」

土の香りを感じる。一部髪に付着したのやもしれない。

しかし、吏史は払ってる暇はない。強く歯を食いしばるよう噛み締めた。

「(…間違いなく、父さんも疲弊し始めてる!)」

打って出るのなら此処しかないのだ。即座に攻撃に転じようと木刀を持ち直す。

「へぇ。避けれたんだ?それで?次は何をするんだい?いつものように愚直に、真っ直ぐ押してくるのかな」

サージュは吏史に避けられたことも想定していたように笑んで、挑発的な言葉を投げる。

黒髪の隙間からは金が光を受けて煌めいてるように見えた。

そう、煽りに乗ったように木刀を握る手の力が自然と籠める。

やることは既に決まってる、あとはそれを実行するのみ。

吏史は駆け出した。周囲に土を散らしながらがむしゃらに走り抜く。

そうやって距離を詰めた。剣が、相手に届く場所まで。


直接サージュを叩――かない。


木刀の先を地面に突き立てながら前へと進み、大地を踏み締めながら茶色の地面を抉る。真下から上へと切り上げれば、砂塵が舞う。

それをサージュの顔に向けて浴びせてやった。

狙いは目だ。サージュの目が良すぎるから、そこを封じるべきだろう。

真っ向に正しく向かったところで何の成果も得られない。そうしなければ勝てない相手だと重々理解しての躍り出た。

「(このまま目眩しに気を取られ――いや、もう、そうなると前提に動く!本命は足元!少し体勢がズレてる、…今!)」

白の木刀を振るう。転倒を起こす。サージュとて倒れては両手を使わざるを得ないだろうと判断してのこと。

「――――」

刹那。サージュの頭脳は、《《目》》は判断を下す。

飛ばされた砂利を含んだ土を顔に浴びるのは危険だ。異物で目をやられる可能性もある。その確率は99.9%。結論、避けるべきだろう。

しかし片腕のみ使用可能というハンデを背負ったままでは不可能だ。その上で判断がつく、木刀を握る腕では塞ぎようもない。

せいぜい片腕のみの己ができることは、眼前に迫る白の木刀を跳ね返すくらいだ。

「………まあ。こんなものか」

薄い唇が、三日月に描かれた。

「及第点だ」

空いてる片腕で顔を覆い隠し、土煙を浴びるのを防ぎながら木刀を持った手で黒の木刀を弾く。

吏史の持つ木刀は宙で円を描きつつ手から離れた拍子を、隙を逃さず。

瞬発的にもサージュは体を回し遠心力を乗せた剣でその足元を薙払う。

「ッ、ぁっ?!」

転倒を、起こされた。

吏史は苦痛の呻き声混じりに地面に転ぶ。

何の心構えもなかった、受け身も取れずに側面を大きく打ち付けられた影響は大きい。

頬や顔を強く打ったうつ伏せの姿勢のまま、すぐに起きれなくなる。

そんな吏史に対し、サージュは一歩分ほど離れた距離で、吏史の頸に黒の剣先を突きつけた。

「そう。それでいいんだよ。あくまで目的は『両腕を使わせる』ことだ。争いごとに於いて騎士道精神は無用。卑怯上等。規則も誇りもいらない。勝てば官軍だ。相手が銃を持つのなら火薬を濡らす水を浴びせ、鼻がいいのなら悪臭を散らし、飛べることを優位に立つのなら飛行が難しい場所に誘導する。そうして何をされたら一番嫌なのかを常々考えて実行するといい」

一昔前。人類の時代には身体運動を競い合う慣習があったらしい。そこでなら相手を敬い、規則に則るべきだろうが、今のこの世にはそれがない。

「『古烬』が未だに蔓延る乱れた世の中。何があるかわからない。今日僕に起こした行動、判断を決して忘れないように」

だから正しい。まだ吏史の判断は手ぬるくはあるが、片鱗は見せた。

適性検査でもそこを拾われることだろう。そう、サージュのこれまでの五年間を評価して合格を送るだろう。

分析等を得意とする黄金の瞳もそう判断してる。結果に狂いはないはずだ。

ただ。


「(――――――及第点?)」


思考の中で反芻する三文字が吏史を占めて体温が引ける感覚を覚えさせてるまでは、見えなかった。

「ほら、起きな。今日はここで終わ――」

「………あのさ」

「うん?」

教示を経て鍛錬を済ました気になって終わろうとするサージュに対し、呼吸を繰り返しながら吏史は発言を割り込んで僅かに顔を上げて告げる。

「まだ、オレ、全然。終わったつもりない」

サージュは呆気に取られた。それは、空と山吹の虹彩異なる双眸から、ギラつく夏の陽光を放つようだったからだ。

ここで引けない。興醒めをさせたくない。わざわざ五年の成果と期待された、今のは少し卑怯な真似をして上手くいった、それだけ。背伸びができた程度で認め褒めて欲しいとは思わない。

そうした連ねた想いがある。

施された五年が無駄だったと思わせたくない、悲しませたくない。吏史であることをちゃんと証明しなければならない。

そうしなければ夢に向かうと決めた己に、胸張って生きれなくなるではないか。

「まだ、オレの五年間、全然終わってない!」

その想いが吏史に行動を起こさせる。サージュが首を傾げたと同時に腕を伸ばし、目の前のサージュの足首を両手で掴む。

掴めた際での口元の片方は、無理やり引き攣り笑むよう吊り上がっていた。

吏史は装甲を着用してこの鍛錬を始めたわけではない。だというのに、今現在の両腕は焼け焦げた黒が混じる白骸めいた手甲に覆われている。

ドクンドクンと強く脈打ち始めて高まる心音を感じた。指先まで熱い血潮が巡り回るようだ。

鉄のように重く硬く変質した感覚が電流のように走り、全身の筋肉が一度強張るものの、その負荷はすぐに抜け切って疲弊感を抜けさせた自由の体のみ残された。

「オレは今日こそ、絶対に、アンタから一本取るからな」

――この両腕は、吏史が人の身でありながら生まれつきで持つ特性。結びついたもの。

曰く、『骨に似たものでできている。決して鉱石ではない』と分析がされたが、あるアストリネが似たような物質を扱っていたことから同一であれば炭素鉱石よりも強靭な硬度を持つだろうと推測された装甲。

気づけば物心がつく前から、意識に合わせて現出することを可能で、感情の抑揚に呼応して無意識的に限界もする代物。

欠点はある。継続顕現には制限があり、一日二分が限界な点だ。

一秒でも限界時間を越えてしまえば、吏史自身が酸素欠乏症に見舞われる。人は酸素がなければ生きていけない。故に、吏史には命の危険が伴う特性だ。

だがしかし、『それは特別な手』だと。彼の存在に評されたものでもある。

当然、外見的に無骨な変化を遂げるだけではない。不思議なことに、異能とも評価できるであろう装甲は児童に見合わぬ剛腕、身体能力向上を与える。

例えるならば人体の骨程度、一息で粉砕可能だろう。

「―――!な、待てそれは流石にっ、」

当然、それを父親であるサージュが知らぬわけがない。金瞳を大きく瞠目し、焦りを覚えた。

何せ過去に吏史は金属の鉈を折った経歴もある。

「こら!お前!不味いだろ!……吏史!」

分析だけは粛々と果たされた。確率は90.5%。結論、危うい。

誤って力が込められる形で、このまま足首を折られてしまうと。

片足を潰される危機感から、サージュは動く。強引に振り払おうとした。

多少乱暴ではあるが、仕方ない。

瞬きを繰り返しながら下せた判断は相手の感情が爆発してることだ。

先に分析された90.5%の確率を信じ、サージュは抑えることを優先的に動く。

掴まれてない方の足は動かさない。使うのはもう片方の足だ。狙いは小さな頭。四の字固めの派生、絞技の一種に当たる拘束対応を手早く行う。

しかしそれは今の吏史ならば――ハッキリと見えるた。

身体能力向上能力は、動体視力も対象だ。

「アンタがさっき言っただろ!規則も誇りもいらない。自分なりに使える手段を使って、勝利にしがみつけって。そうなんだろ!?」

強く足首を掴んで、地面を蹴る。体を大地に擦りつけたまま体を大きく回す。

そうして頭を捉えようとしたサージュの片足をいなしてから、今度は両腕で胸元に寄せるように抱えて強靭になった筋力で大地を蹴り上げた。

「痛っ、……だぁ?!」

力の軸を奪われた以上、転倒は起こされる。

背面から滑るようにもサージュが地面に倒れ、後頭部を強く打つ。

悶絶する痛みを得たらしく、木刀を掴むことを放棄して頭部を押さえてしまっていた。

そんな無様を晒したサージュから手離れた木刀を吏史は乱暴に掴み、体を起こす。

「こ、の…!」

体勢の不利を、取られた。倒されてしまえば最早体格差は生じない。危機感を抱き焦りが生まれたサージュは顔を歪めて抵抗に動く。

両手の掴みを叩くように弾き避け、すぐに地面に手をつけてから横から蹴り上げようとする。

その足技も見切れていた。片手だけで弾された。

防衛されて反射的に突き出すような掌法を繰り出すが、吏史はサージュの右の腕を木刀で叩き、怯んだのと同時に足を上げて、肘部分を潰さない程度の力で踏みつける。

「ッ!!」

そうして吏史がサージュを抑えきった。

切って、互いの乱れた呼吸が漏れ出てしまいながら、吏史からサージュの上下する喉仏に向けて、黒の剣先を突きつける。

「なぁ、これで、オレ。オレの、五年間の成長、を、ちゃんと、感じてくれたか?」

必死に酸素を取り込影響で何度も呼吸を繰り返し顔を赤く染めた余裕がない。だけど、ひどく得意げな調子で、吏史は笑ってやった。

そのように見下ろしてくる夏瞳を、サージュは金瞳を細めて映し、緩やかに閉じる。

「…………ああ」

数秒かけて、深く、肺に詰まった息を吐き切って。ゆっくりと瞼を開いた。

「なりふり構わず持てる力を使って達成しようとした点は涙ぐましいと同時に喜ばしい。僕の負けだよ。強くなったねぇ」

「――」

吏史の頬が喜色に満ちて紅潮し、口角が笑みの形に変化する。

その表情を見て、サージュは肩をすくめてから口を動かした。

「ただ、自覚してるかい?吏史。――お前は僕に勝つことにムキになって、その両腕を使ってしまったわけだ」

「―――――あ」

確かに、と。納得して母音が零れた。

実際、この力は禁じ手である。

体全体の負荷が激しく、アストリネでなくして異能を使える点からして他者に目撃されるのも良くはないだろうと緊急事態以外での使用を厳禁にされていたのだ。

「その点はマイナス評価。常に冷静沈着にあってほしいものだよ」

――つまり。吏史は目先の勝利に眩んで禁じ手を使用してしまった。褒められたものではない。

「ぁ…えっと、これは…」

慌てふためく吏史に、フッとサージュは笑った。

「お前のその腕は人前で使いでもしたら大騒動になるよ、わかっていたのかな?」

「わ、わかってる!わかってるよ。えっと。もし、誰かにバレたとしても言わせないように…」

「こらこら。人の口はそんなに重くないし、綺麗なものじゃないとはお前がよく知ってるだろう? 秘密を他人に喋らせたくないなら唇をしっかり溶接までしないと難しいものさ。だから、その腕を気にするのならせいぜい明かす相手は心から信用できる相手にするか、いっそのこと大っぴらに明かして秘密じゃなくしてしまうことだろう……ねっ!」

「のぉわぁ?!」

そうした忠告を交えながらサージュは同時に動き出す。吏史は足に強い衝撃を受けた後、立ってもられなくなり視界が反転した。

一面に蒼穹の空が映り、白衣と黒髪から除く金色瞳が映る。

その輝きはサージュのもの、意地悪い表情を浮かべながら覗き込まれたものだ。

「わっ、わわっ。なに、ぅわっ」

何事かと慌てるより早く、薄い胸元に身を預けてしまう。

それで先の視覚情報と合わせて気付いた。

サージュが手早く体勢を崩す技を仕掛けてきたのだろうと。

黒の革手袋や生身の手。違う感触が与えられる両手で髪をぐちゃぐちゃに撫でられたり、頬を揉まれたりとされる。


あまりに急な戯れだ。吏史はひどく驚き気が抜けた。現出していた両腕の装甲も空気に溶ける雪のように実態を無くしかき消えてしまう。

「ちょ、やめろよっ、わわっ!……やめろって!」

「甘い甘い!僕の足元を掬ったのなら、秒で掬われると思うんだな!それと僕のことはお父様と言いなさい!」

「言えるかぁ!こんな、そう言われてもおかしくない態度とってほしい!威厳ない、ないし!」

「へえ、そうかい。生意気言って呼べないのならそのままリーゼントにしちゃおっかな」

ささ、と手早く手が動かれて吏史の前髪がかき上げられた。

「うっわ、似合わな〜〜〜。前髪オールバックにしてもきつい。面がダメだ。子犬のようにまんまるな目のせいで厳つさは出せないねぇ。お前は将来的に素行不良の示しを周囲に曝け出さないことをお勧めするよ」

「あーーーーー!あー!!やーめーろーよー!」

生身になった腕をばたつかせてもがくが意味はない。装甲が解けた以上、力の上下関係は正常化したのだ。

十数秒と時間をかけられてサージュにもみくちゃにされた。

摘まれすぎた頬が赤みを帯び始めた頃で、途端。サージュは戯れた手を止めてくる。

「……?」

何をするのかと訝しげな意志を込めて身構える前に、吏史は両手を背に回されて優しく抱きしめられた。

「え?何…父さん?」

本当になんだろうと、疑問符を浮かべてしまう。空は相変わらず青くて、涼しい風が靡いてくるというのにどこか、場の空気が重く感じて仕方ない。

その中で、サージュはポツリと水滴を落とすように呟く。


「成長が早いよ。確実に明日、お前は此処から離れていくんだろうねぇ」

それは一つの確信で、ほんの僅かに心配が帯びている。しかし前進するために『恵』から離れる子を引き留めない心だ。

「世界の広さを知って、自分を受け入れてくれる者を探す夢を持ったんだしさ。誰かに頼ることだけは忘れないでねぇ。どんな存在でも孤独じゃ何も成り立たないし成し得ないからさ」

「……」

吏史は薄い胸板の中で目を伏せた。

宣告された通り明日の検査が上手くいけば、以降、サージュとは暫し別れることになるのだろう。今生にはならないだろうが正直、寂しくはある。

だけど、『一緒についてきて』なんて我儘は出せなかった。


何せ此処まで見てもらったのだ。

夢を笑うことなくこの村での唯一の味方でいてくれたサージュには、これ以上、負担をかけさせたくはない。

ただでさえ、変わったことをし始めた吏史の父親として村人に後ろ指を刺されてきたのだから。

「(これ以上、大変な目にあってほしくない)」

吏史は抱きしめられる中で手をまごつかせながら、なんとか伝える。

「オレさ。オレ、【ルド】に行けたら、すぐに探す。見つけるよ。友達とか新しい……剣の師匠とか。料理とかも、出来るか、わからないけど。自分でできそうなことは、父さんが教えてくれたことは、ちゃんとする」

離れたとしても心配しなくていい。五年間を決して無駄にしないと。

「だから、安心してよ。此処から出たら、すごく頑張るから」

そう認めた思いを籠めて言葉にすれば、サージュは緩やかに瞼を閉じていた。

「直ぐにできるさ。君が思うよりも、世界は優しい面もある」

茶化しは一切ない。ただ、飛び立つ者の背を押す祝福じみた言葉が綴られる。


「仲間やかけがえのない星《運命》を見つけるために、思いっきり羽を広げておいで」


それが贈られると同時に、木々を揺れる音が立つ。

咄嗟に音の方を見上げれば、赤金の羽根を持つ鳥が大きく羽ばたいて翼を広げ青空に飛び立っていた。



………… 適性検査

・【ルド】が行う他国に住まいながら【ルド】への移住を希望する兵器適正の高い十を迎える子供のスカウト、引き抜きのことを指す。

基本的【ルド】の兵士が他の区に赴くが、派遣人員数は区の期待値と数で変動する。

(例を挙げれば【暁煌】の第四区『希』では総人口三十万人に及び候補者も一千人に及ぶため、二十五人の兵士が派遣される)

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