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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
38/56

悪夢の再来

刹那。

金色の軌跡が二閃と走る。

其処あったのは木の枝を模した『リプラント』だ。重なり合うような形で扉の侵入を拒む障壁が生み出されていたのだが、根本から断ち切られたことにより輪郭から崩れていった。

宙には霧状となった溶液が霧散して、扉の阻みは一掃された中で少女は息を吐く。


「さてさて…開放したのはいいけど。流石に直接触るのは憚れるなぁ」

少女の両腕には、白色の装甲がある。部分的には肋のような歪な形状をしてることから、まるで白骨で構築されたような手甲だ。

その左手には、断ち切り鋏めいた金色の剣を握りしめられていた。

「…かといって裸足なのも…まあ、いいか」

独り言を呟きながら、剣をくるりと回す。

たった一動作で、纏う装甲ごと瞬きのうちに少女の手元から消えてしまう。

奇跡を披露して見せる手品めいた収納だったが、この場に仰天するものはいない。

「――えいやっ」

そして少女は一回転動作という遠心力を乗せて、扉を強く乱暴に蹴り付けた。

強烈な衝撃を受けた扉は破れるようにも埃を立たせながら勢いよく開かれ、密封されて籠っていた部屋の空気ごと開放する。

「失礼しまーす」

そして少女は躊躇いなく、自らが空けた扉の先の部屋を、裸足で踏み入った。

「どうもぉ〜。…おっと、おやおやぁ?こ〜れはこれは」

翠瞳を猫のように細めて、少女はクスリと笑みを溢して、部屋の中心に居た存在を見遣る。

そこには肘掛けがあるタイプの椅子が一つ。

鎮座するは五十代の男性だ。

足首までの長い丈がある藍色の衣装には黄金の龍という猛々しい装飾が施されているが、今は、それに相応しくない状態に陥っている。

そんな男に対して、少女は挑発的にもその名を呼んだ。


「大変そうですねぇ、エルナト様」


『旧き姓』に類する三十八代目エルナトが、『リプラント』の溶液により、その身を囚われていた。

この状態になるまで激しい抵抗をしていたのだろう。

煉瓦色の髪は整えられたオールバックの状態から荒々しく乱れているだけでなく、鎖骨まで伸びた伸びた口周りの髭ごと一部に溶液が絡み付着されていた。


「………よく、その顔を我の前に出せたものだな…」


虫の息のような状態、実に弱々しい声でもエルナトは少女を凄む。

吊り目がちな青の双眸で、苛烈に鋭く刺すように睨み上げていた。

そんな威圧的なエルナトに対し、少女は笑みを崩さない。片手を口元に寄せてせせら笑うばかりだ。


「そうあからさまに不機嫌そうに睨まなくても。冷静に、冷静にね?考えてみてくださいよ。今のあなたには何の気迫もなければ、凄みもない。全く怖くないんですってば」


その通りである。

現在のエルナトは『リプラント』に捕食されるような状態だ。両足の先まで身体を覆われており、無事と言える部位は…最早、両掌のみ。

「何をしても滑稽なだけですよー。ふふっ。新手の負け犬の遠吠えみたい」

どれだけ睨まれたところで、だ。恐怖を覚えることはない。

無垢な子供とて、今のエルナトには脅威を感じないだろう。自身が安全圏にあることが明白なのだから、小馬鹿にされて当然だ。


「………。……この、騒動で、…脱獄したか……」

「ええ。まあ、そりゃあしない理由もないので」

「………貴様だけは、早く処刑するべきだった……」

「そこはまあちょっとだけ同情します。何せ鎌夜…私の兄もねぇ。なんやかんやで処刑されずに生かされておりましたので。厳しすぎるのも問題ですが……優しすぎるのも相当問題だと思いません?」


伸びた髪を指で摘み、くるくると巻き付ける動作を絡めて少女は徐々に力無く項垂れるエルナトに答えている。

エルナトは眉間に深い皺を寄せた。そうして何もすることなく悠々と舐め切った態度を晒してくるのも非常に煩わしい。しかしながら今は、何もできない。

無力さばかり痛感させられてばかりだが――心は、折らず。エルナトは呻きながらなんとか前を向いて、少女を見据えた。


「……して、『古烬』の、第一級犯罪者……――月鹿。我に、なんの用だ…」


呻くようにも忌々しげに名を紡ぐ。名を呼ばれた月鹿の笑みは深まって綺麗に弧を描いている。

それから月鹿は室内にあった侵食されてない椅子を掴み、男の正面位置に置いては対面するよう座り込んだ。

「少しだけ、私とお話ししましょう」

人差し指の先をエルナトに向ける仕草を交えて、そう申し付ける。

「話、だと…?…クハッ。何をしに来たと思えば…『旧き姓』として、我は貴様の口車には乗らんぞ…」

エルナトにもアストリネとしての矜持はあった。

月鹿のような第一級犯罪者の手は借りない心持だ。

これまで散々、人を下に見た。上位種としての権利を主張し、民に送るティアの分配率を下げて自身の富を増やすなど甘い蜜を啜っている。――しかし、そんな姑息な手段を取ってるとはいえ、エルナトは憎らしい『古烬』に対して助けを乞う真似をする気はない。

それを行うならば、ここで朽ちた方がマシだった。人を守る使命に対して誠実さを捨てていても、アストリネとしての自尊心は高くあるのだ。


「バカめ。確かに、今、我は無様ではあるだろうがな。だが、貴様のような小娘の…思い通りにはならん。我の核でも取り出して食べてみるか?ええ?――五年前、貴様がヴァイスハイトにしたように」

挑発的な態度を返してやって、煽ってやった。

逆上されても構わない。寧ろ解放されるのだから気が楽でもある。

アストリネには異能の他に肉体の再生が備わっている関係上、今のエルナトは皮膚を溶かされて血管に焼ける痛みを負う持続的な苦痛を帯びているのだから。それから解放されるのなら儲け物、と思えるだろう。

「…?」

そんなエルナトに対して、月鹿は首を傾げる。

彼の意味を噛み砕き理解するのに多少の時間を得たのか、思考ラグこそは生まれていたが…「なるほど」と一つ頷いてから笑顔でNOを示すように掌を突き出した。


「いえ、あなたの[核]は不要です。全然いらない」

「は?」

「というかそもそも交渉とかじゃなくて、此処に来たの単なる提案?確認に似たなにかだから」

「は…?」

「因みに『六主』に並べる称賛と権利を欲する貴方の内なる欲が叶う絶好の機会が来た。なーんて、あなたにとってめっちゃ美味しいお話だったりしちゃいますけど」

「…はぁ?」


惚けた声をあげてばかりで怪訝そうな表情を浮かべたエルナトに、月鹿は手を伸ばす。

いつの間にかその手には白骨のような装甲を顕現させながら。

「…!…くっ!」

――それには見覚えがあったため、一気に焦りを覚えて僅かに身を揺らした。

吏史が持つ兵器『ゴエディア』は二つある。月鹿もまた、同様のものを所有しているのだ。

破壊されると予感したエルナトは吠えるように叫ぶ。

「我が絶えようとも!貴様の罪は我の同族たるアストリネが…っ」

「だーかーら、あなたの[核]もいらなければ命もどうでもいいですってば」

月鹿はそれを振り払いながらエルナトの胸元を掴む。

そこに付着した溶液のみを、容赦無く引きちぎった。

特注で作られた銀のネックレス状…エルナトが保有するHMTを開放するように晒しては、手を伸ばして指先で触れていく。

「何を…っ」

意味のない行為だろうと言いかけた、が。何故か、HMTは反応し起動し始めた。

「な、ぁ…」

驚愕に、声は震えて口は呆然と開く。

起動したこと自体があり得ないことだ。何故なら『古烬』はHMTが使えないのが道理であり、常識である。

なのに、月鹿は平然と起動させた。

「貴様、何故操作できて……」

碧眼を瞠目させて動揺を覚えるばかりなエルナトをよそに、操作は続く。

青色の光が宙に広がり書面を浮き上がらせた。それを手慣れた手つきで動かして操作し、書物から記録用紙、カルテ状の書類へと変化させて掲示する。


「えーっと。今、この騒ぎとなっている『リプラント』ですけど。兵器には破壊方法が記載されたレポートが残されているんですよ。なので、それ、あげちゃいますねぇ」

「は!?なんだと!?そのようなものがある筈が…」

「これ、三代目ヴァイスハイトの遺物。そして【ジャバフォスタ】が隠していたものですねぇ。…私が何故これを持っているとか使えるのかという説明は正直面倒なので省きますけど…」

「信じられるか!そんなもの……偽物……っ?!」


あるわけがない。そう否定して認めないエルナトを黙らせるものを彼自身のHMTが編み出す。

「ば、馬鹿な、そんなはず…」

書面には記載者の証明となる電子状でのサインが登録されて、記されていた。

HMTはアストリネの異能を主軸とした通信インフラで繋がっているものだ。実物とは異なり、書類サイン偽装等は決して許されない。

『三代目ヴァイスハイト』と明白に記されてるのであれば、それは本物だ。その姓のものが記した書類となるのが、共通にして常識。

「信じて、いただけました?」

そう笑う月鹿に対しての質問自体は大量に浮かぶ。HMTがないとを扱え、ヴァイスハイトのレポートを所有してる件についてはとことん問い詰めたい。

しかし今の不自由なエルナトでは叶わないだろう。

「ご自分の立場はちゃんと理解してるのに。やっぱり中々、頑固な方だ」

そんなどうしようもない状態のエルナトに対し、月鹿は手を口元に当てがってくすくすと笑っていた。


「…ああこれなら確かに彼奴のものだろう。情報も確かだろうさ、奴は信頼はできんが信用はできる。独善的で独創的な有能なのは違いない。しかしそれで我が動くとでも…

「此方としてはどっちでもいいんですよ?同じものをローレオンにお送りしましたので……彼も『リプラント』破壊に向かうでしょうしね」

「…っ」


ローレオンという名を聞いて、エルナトの唯一剥き出しである両手、肘置きを掴む手には血管が浮き出るほどの力が籠る。

そんな露骨は反応を示したエルナトに対し、月鹿は距離を詰めてその顔を覗き込む。

「ねぇ、それで本当に良いの?良いのかなぁ?このままでは順当にローレオンが偉業を成しちゃうよ?」

翠瞳を煌めかせてはエルナトの精神を煽り、その余裕を奪う言葉を立て続けに投げ始めた。

「そして、彼が新たな代表管理者になるんだ。ローレオンは『古烬』含めた人類平等派で、『旧き姓』に良い感情はない彼が着任すれば、あなた方の強引に進めたティア分配制度は即廃止される。今後先の影響力を徹底的に削ごうと目論まれて他国と連携する方針で進むだろう。この場合、間陀邏に責任を負わせても無駄。五百年から続いたエルナトの姓の暦が塵に消える。突きつけられるように、採決で継承権を奪われる形で終わりを迎えるだろう」

その眉間に若干皺まで寄ろうとも。月鹿の口は決して止まらない。言葉という鋭いナイフでエルナトを、何度も刺す。

「果たしてあなたはそれを素直に受け入れられるのかな?今ここで、無意味に、五百年沿ってきた姓の軌跡を終わらせたいと?」

「――――」

エルナトの瞳孔が、開いていた。

それは否定無き肯定にして感情の機微にして胸中にあった誇りの揺らぎ。

己の姓の意味、生の理由を虚無に投げ入れる行為。アストリネであることに執着するエルナトには、耐え難い苦痛となる。

生まれてからアストリネで、それ以外の生を知らぬのだから、尚更のことだ。


心は傾き、選択の変化の兆しを与えてしまう。


「……ぐっぬ…うぅ……我は……」


先まで終わってもいいとまで豪気していたエナルトは唸り、迷う。それを確かに視認した月鹿の笑みは、深まった。


「……さてさて。此処でもう一度お聞きしますねぇ。本当に私の提案、興味ありません?あなたの意を聞かせてくださいな」

「…………」

エルナトは押し黙ったままだ。最早、跳ね除ける気力がないというわけではない。

そしてそれは月鹿に答を望む示しである。

「…ふーん?此処で沈黙の葛藤、かぁ。いや、沈黙の要求。……それがあなたなりの答えですか」

煌めく緑玉がエルナトを映したまま三日月を模っていく。愉悦と嘲りを滲ませて、大きく歪んでいた。


「自尊心が高すぎて教えられる態度がなってませんけど。まあいいです。姓を無意味に枯らすほど、信念を腐らせてないようで安心しましたので」

「…………何が目的だ」

彼女の話自体は、耳を傾けると決めた。

これまでの苦労を崩されないためにはローレオンが評価される世界だけは拒絶しなくてはならないだろう。だが、エルナトは月鹿への警戒を決して解かない。

狙いが不透明なのも、より不信感を募らせた。

エルナトには話すことだけが本当に彼女の目的だとは、決して思えないのだ。

人もアストリネも、何かしらのメリットがなければ動くはずがない。少なくともエルナトはそれが思考生物の行動原理、真理だと認識している。

「目的を明かしてみろ、月鹿。貴様の本心を知らねば……思い通りに動いてやらんぞ」

故に、目を平らに据えて月鹿を鋭く睨み付けるばかりだ。


「いえいえ簡単ですよ。単純に消えてほしいんです。本当、心底邪魔なんですよねぇ、『リプラント』」

しかしエルナトの予想に反して月鹿は目的を隠さない。手を振る動作を交えながら、笑顔であっけらかんと目論見を明かす。

「……は?」

また、気が抜けた声が漏れてしまう。それを月鹿にクスリと笑われて、舌打ちを零した。

先から呆気に取られて翻弄されてることが、実に忌々しくて仕方ない。


「だって、もうコストもやたら重いだけだし圧迫するだけですから。……これは例え話ですけど、容量がかつかつなディスクがあって、そこにある本命のアプリアップデートのために容量を軽くしたい状況下だとします。そんな状態で過去のバックアップを開きまくって増え続けるアプリがあるんですよ。……それって要らなくないですか?不要だと判断してアンストするのが正解ですよね?……つまり、そういうことなんですよ。単純な話、それだけなんです」

「……」

何を言ってるのか、エルナトにはわからない。

例え話にしても月鹿の話はかなりぶっ飛んでいるが、目的としては『リプラント』が破壊されることだけなのは伝わった。

月鹿にとってそれが成すのがローレオンでもエルナト、いずれでも構わないだけで、ある意味で利害は一致と言えるだろう。

敵の敵が一致してるのならば、敵が味方と機能する例もある。味方として利用しない手はない。


――だが、しかし。どうにも経験上、エルナトは嫌な予感を覚えてしまう。


引っかかるのは、過去の記憶だ。

今の月鹿と似たような態度で、意味不明な例え話をして捲し立てるような奴が居た。そいつに吹っ掛けられた決闘で敗北し、煮湯を飲まされた思い出は今でも苦々しく感じられる。

もしも、其奴と系統が同じならば、本命と謳われるものも碌でもないものに違いない。――だからこのまま月鹿の手を取り踊る行為は、正に悪魔の契約に等しいのだろう。

エルナトは予感して、下唇を噛み、唾を飲んでから口を重々しく開く。

「………本命だと?」

「そう、本命のため。……ああ、それは新しい兵器ではないんです。もーっといいものでして。…………できるまでのお楽しみなんですけど。それができたらみんな歓喜すると思いますよ」

間違いなく、と両手を当て愛嬌がある笑みを浮かべてそれを心待ちにする様は、酷く歪なものに見えた。


「…………」

暫し押し黙る。長らく、考え込む。

『リプラント』に侵食された部屋に静寂が満ちゆく最中、エルナトは口を開き破る。


「最後に、一つ教えろ」

話を聞くと決めた時点で、契約を交わしたようなものだと割り切って、最後の質問に踏み込んだ。


「はいはい。何なりと」

「何故『古烬』ながらにして、対アストリネの兵器という立場だ。……なのに、かつてのリーダーが作り上げた対抗手段となる兵器を壊すことに執心するのは何故だ。裏切るつもりなのか」

問われた月鹿は蠱惑的な表情を浮かべて、弧を描く唇に自らの人差し指を当てて片目を眇める。


「裏切りも何もないですよ。だって、世界は……私のために回ってますから」


それは、好き勝手に生きて過ごすだけという宣言。身勝手の極みを受けたエルナトの眉間の皺は深まるばかりだ。


◾️


〈手筈通りにローレオンが異能を使い始めました。限界はこれより二時間半です〉

〈了解。お前はこれからどうするつもりだ?〉

〈この先は死なないように立ち回ります。お荷物の自覚はあるので〉


HMTの操作を済ませ、カミュールはメッセージ画面を閉じる。

間陀邏とのやりとりを終えた後に、目的地に向かって駆け出していた。

これから先は間陀邏に答えた通り避難優先で彼女は動く。

吏史が居なければ、この使い勝手の悪い『消滅』の異能も意味がない。寿命が近いであろうジルや異能を携えてない一般人よりもカミュールは脆弱だ。誰かの足を引っ張り多大な迷惑をかけてしまう前に、身を隠すのが出来る最善だろう。

「(身を隠しながら目になればいい。身を潜める以外の役割はある…!)」

隠れる先の候補は幾つかあった。

まずは第一区に住まう総合数三百人の人類が仮避難している場所。――しかし、そこは候補から真っ先に除外している。

何故ならカミュールは空いた胸元から白百合を咲かせるという異形的一見でアストリネだと露見しやすい。

元よりそれを隠すつもりはないとはいえ…もしアストリネを狙う場合は敵の探知能力次第で民を巻き込む事態になる。それは避けるべきだ。

だからここは、空中に繋がる非常出口、『門』の前が良いとカミュールは判断した。

鎌夜により狙われる可能性が非常に高い制御室からも遠い位置にあるのも、ポイントが高いとも言える。

あとはそこから来る予定の『音』と『光』のアストリネとの合流を図ればいい。

そう判断して比較的安全圏となるであろう場所に移動していたが――


「なあ、お前さぁ。アストリネだろ?」

カミュールは想定外にして不運な遭遇を果たしてしまうことになる。


曲がり角を曲がって衝突しかけたタイミングで、邂逅した。いつの間にか第一区内に侵入していた鎌夜が、行先にしていた通路の真ん中に陣取って佇んでいたのだ。

咄嗟に身を引く形でぶつかること自体は避けたとはいえ、急ブレーキをかけたようなもの。拍子で蹌踉めきはした。

踵で地面を強く踏む形で転倒こそは避けたが、当然それだけで目の前の状況が良くなることはない。


「……。……どうも。主核として適応するのが早かったですね…」

焦りを、僅かに浮き出す汗を悟られないよう、息を潜めて真顔に徹しながら、カミュールは敵意をむき出しに鎌夜を見据えていた。


今の鎌夜は、常人とかけ離れた姿をしている。

首元までの肌には蔓が伸びるように刻まれた深緑色のタトゥーが時折発色しており、栗毛の髪も同色に変色しきっていた。

瞳は死人のように白濁と濁ってるようで生気を感じさせない。その上、虹彩の色は影に覆われたように暗く、暗中に忍ぶ猫のように瞳孔が大きく不気味に開ききっている。


「……すっかり人を捨てられたように見えるのですが、お身体には問題ないのですか?」

「クハッ。胸元に花を咲かせてるような人外にそれ言われちゃおしまいだな」

「元々人じゃないですよ。人外であることをせせら笑われても、反応に困ってしまいますがね」


そう会話を交えながら、ひとまずカミュールは後方に一歩ずつ下がる。距離を置こうと試みた。

「っ?!」

しかし、その道を阻むよう突如真下からは勢いよく深緑色の壁が建造されてしまう。

「逃げんなよ」

その成形を実行したのであろう鎌夜は実に挑発的で腹立たしいにやけ面を浮かべていた。

「…くっ!」

僅かに付着した際に感じた痺れと冷たい粘土のような感覚だ。不快感を得て舌打ちを隠さず漏し、鎌夜を睨む。

「(この液体は恐らく発電所で見たものと同じ、『リプラント』の溶液…!何故、第一区にこんな量のものが…)」

おそらく『リプラント』の主核として適合した際の恩恵だろう。

異能じみた力と仮定すれば、第一区の機械から抽出したということだろうか?

「(……まずい。第一区『暁』のどれもが最新機器で構成されている。其処に内蔵された永続バッテリー源……『リプラント』の溶液が全てこいつの操作対象なら、第一区そのものが鎌夜の庭では……!)」

咄嗟にその考えがよぎったカミュールは、壁から身を引いて蹲る。

「(ともかく急所だけは、守らないと…!)」

そうして己の急所でもある胸元の白百合を両腕で覆い隠し、苦痛に備えようとした。


――だが、しかし。不思議なことに鎌夜からの追撃は飛んでこない。


「……え?」

数秒経過しても、何もなく、刻々と時間が過ぎる。

カミュールが怪訝な表情を浮かべて瞑った目を開き顔を上げれば、傲慢な鎌夜の笑みが深まっている様が見えた。


「……。一体、どういうおつもりなんですか。僕を始末するのはとても簡単なことでしょうに」

「……お前さ、『カミュール』だろ?そうなんだろ?だったらさぁ。お前とちょっと話がしたいことがあるんだよ」

「……」


正直、対話はしたくはないが、拒否権はないのだろう。

後方には立ち塞がる壁が、前方にはそれを建造した鎌夜がいる。最早、逃げ場はない状態だ。

カミュールはこの気まぐれな申し出に付き合わなければならない。金属製の床を敢えて踏み鳴らされてしまいながら、そう暗に伝えられてしまい、藍白瞳が平らに据わる。

「…何ですか」

面倒ごとを押し付けてきた鎌夜への呆れた態度は隠すことなく、酔狂につきあう返しを紡ぐ。

「あのなぁ……」

勿体ぶるように発言の間を開けて、唐突に噴出するようにもからりと笑った後に鎌夜は質問を投げた。


「お前はアストリネをどう思う?」

「は?」


目論見が読めない質問に、カミュールから素っ頓狂な声が上がる。

「……はははっ!」

その反応ごと、小馬鹿にするような笑い声が鎌夜から立ち、カミュールの眉間の皺は深まった。


「………どう思う…なんて。アストリネは世界の……人類の管理者でしょう」

「ちげえよ。んな立場的な話をしてねえんだわ。曰く、奴らの初めは人。[核]を持つまで、アストリネどもは人。以降はそうであることを捨てて形をした何か……そうなんだろ?」

濁り切った藻色の瞳の視線に対して、カミュールは藍白瞳を据え続ける。

やがて蹲った姿勢を正すよう立ち上がり、真正面から鎌夜に対峙するように向き直していた。


「いいえ、アストリネたちの一部は異なります。白雪を初めに、クモガタやシングドラ…郷が該当します。狐に蜘蛛や蝙蝠にアメーバと様々です」

「そうだな、それもある」

「おや、そこはお認めになるのですね」

「ああ。そういう奴らが居るのもまた事実だからな。……だけどよ、考えてみろよ…おかしくないか?何故、奴らは人の形をとる?」

「…白雪のように人型になれない方もおりますが。それに、我々が基本人型を取るのは…人類に恐怖させないため。それも存じ上げてるはずでは?」


問いを返すようにも強気にカミュールがはっきりと告げれば、鎌夜は喉底から込み上げた笑いを抑えるように、「…ククク」と喉鳴らすようにも笑う。

指先で額を抑えて、その答えが心底おかしいとせせら笑うように肩が上下に揺れていた。


「なぁ。それってさ、人である必要あるかよ。何故、人に対して誇示するように動く奴らが居る?崇拝されたいのなら……間陀邏のように進んで人型を取らなければいい。恐怖されてもいずれ人も獣も見慣れるものだろ。なのに、何故だ?何故奴等は人型を取ることにこだわると思う?」

「…はぁ…。…何を仰りたいのですか。回りくどいことは言わず、率直に言えば良いのでは」

実に奇妙な問答だ、カミュールには鎌夜の意図が理解できない。

何を主張したいのかがわからないと、溜息を吐いた。

そんなカミュールに対して、鎌夜はニヤニヤとしながら手を差し伸べていく。首元にまで走るものと同じ、深緑色の紋様に染まり切った歪な掌を見せた。


「人であることを捨てておきながら、人でないながら。何故アストリネは人を模るんだ?自身もまた人であろうとする?――それはよ……一種の表しなんじゃないのか?人を捨てたことへの後悔と、純粋な人類への羨望だ」

「………詭弁ですね」

不快を覚え、眉を吊り上げる。

苛立ちと不快感を隠さずに、カミュールは目の前でヘラヘラと笑う存在に対し鋭く睨み上げた。

「全くの詭弁です。不愉快だ。人を捨てたことへの後悔ですって?僕にそんなものあるわけがないでしょう。そんなちゃんちゃらおかしい話をしに来たのですか?……アストリネに実験をしてあらゆる兵器を作り上げた非人道的破壊者どもが、道理を語ろうとしないでください」

「………まあ、例え話をしようじゃねえか」

聞く価値もないと遮ろうとするカミュールの怒涛の否定を止めるように前置いて、一つ。人差し指を立てながら鎌夜は告げた。


『お前にも、この話くらいは教えてあげる。覚えておきなさい』

その昔、『古烬』の中心に属する父から語られていた嘗ての話を。


「そもそもの話なんだが、カミュールは何故『古烬』囚われてたのか…わかるか?」

「……他のアストリネと比べて非力だった、からでは?」

「それはな、捕えたんじゃなくて自ら保護されたそうだ。その日を境にアストリネから人にする研究と実験を、合意の上でかけたんだよ。目的は『解放』として」

「………。何を、言ってるんです。保護…?『解放』……?」

「二十代目カミュールはな、自ら人になることを懇願してたってことだ。その一縷の望みをかけて、俺たちに頼ったらしい」

「――は?」


カミュールは息を吸い込む。

無表情こそ保てていたが、呼吸は隠せない。ひゅっと息が詰まった拍子で胸元に咲く白百合が動揺を表すように花弁を揺らす。


「嘘じゃないぜ。そういう誓約の下でカミュールは実験を受け入れた。つまり、同意の上で行ったわけだ。アストリネの誰も…その切なる願いを受けてくれなかったから、苦渋の判断ってやつなんだろうよ」

「…同意?同意ですって?そんなわけが…あり得るわけがない…!あんな非人道的なことをされて、同意なわけが…っ」

「四十九代目まで、しっかりと。同意の上だ」


先に否定した思考を持つ以上、自身の先代と言える存在の本音は、動揺を齎すものだろう。

人形に徹していた少女の柔らかい急所(地雷)を踏み抜いてやったという愉悦を覚えるかのように、鎌夜は止まらない。


「なあ、カミュール。だからお前の復讐はお門違いなんだよ。なんで合意の上で行った行為にわざわざわざわざ癇癪を起こして滅ぼすって決めてんだ?」

意気揚々と三日月に歪んだ口を動かし、言い放つ。


「復讐するなら、別の方じゃないのか?近くの身内に近しい存在の願いすら叶えてやれねえ。人の形をした人擬きに目を向けるべきだろ。そもそも奴等が本当に人類の管理者に相応しい種族だって、言える存在か?こうして兵器『リプラント』の管理もしくってよぉ、こうした事故まで起こす奴等が管理者たり得るって宣えるのか?」

「っ……確かに一定数の問題視されるべき者はおりますが、しかし、ローレオンやグラフィスのような上に立つに相応しい存在が…」

「だったらなんでそいつらは」


彼女が覚えた動揺という隙を突き、逃げ道なく追い詰めるようにも正論を踏まえて捲し立てていく。


「お前を邪険にするよう管界から遠ざけたんだ。そいつらが真っ当なら、復讐が正しいと認めて支援するはずだ。なのにしなかったのは、何故だ?」

「―――――ッ…」


一瞬、カミュールの表情が大きく崩れる。目を瞠り、藍白髪が揺れた。明瞭に動揺が差し込んだ。


「だから教えてくれよ。お前の復讐先は、どっちなんだ?『古烬』とアストリネ…一体どちらが滅びるべき種族だと思う?」

「……クッ……」

自分の不動だと思ってやまなかった心が、傾くのを感じたのだろう。すぐに下唇を噛み真顔という冷静の仮面を取り繕って沈黙を貫こうとする。


だけど、鎌夜はカミュールから退かない。


『鎌夜、お前は月鹿のために死になさい』


これは興味本位から動いたことだ。

姫様()に殉じることを教え込まれて、今こうしてローレオンに殉じるブランカに付き合う鎌夜に対して、カミュールが何を反論するのだろうか、気になった。


『そのくだらない、夢を捨てて。凡庸のお前を作った意味を理解しなさい』


唯一の想いを否定されてそれでも、間違いを生んでる可能性が高い復讐に踊るのか?或いは己の非を認めて、目的を手放すのだろうか?


そんな好奇心まで乗りながら、鎌夜はカミュールに近づく。体格による陰で暗く覆われてしまう小柄な身を見下ろした。


それでも怯まず気丈に視線を合わせ続けようとする少女の顎を乱暴に掴み取って、視線を己の方に固定した。


「なあ、教えてくれよ。俺としてはアストリネは消えるべき種族って認識は変わらないけど。お前の復讐には興味あるんだわ」


人類の理解の範疇を超えた異能を扱う化け物揃いのアストリネという種族に生まれながら、脆弱。それでも破壊に足掻くカミュールに尋ねていた。


『その夢は間違えてるよ。お前は弱いだろう。全部、月鹿のために使いなさい』


この心に根深く残る父親を、彼女がどう論破するのか気になったのだ。

「『古烬』側の事実を知った上で、今、お前はアストリネをどう思うんだよ」

いったいどう足掻くのが正解だったのか。

こうして力を手にする前、過去の己への答えを知るために。鎌夜はわざわざこの場に赴いた。


「…………………………」

カミュールは暫し、押し黙る。

数十秒の沈黙を経て、やがて、薄い唇を開く。


「それが、こうして僕の元に来た目的ですが。本来真っ先に抑えるべき操作室に向かうことはせず……こんな嫌がらせをしに来たと……」

「まあ、そうなるな。後、お前が吏史くんのお気に入り臭いのも加点だよ。姫様同様の兵器を持つ彼奴が、困れば困るほど……俺の気分がいい」

鎌夜に快諾された後に、カミュールはわずかに唇を噛み締めて、直ぐに再び動かし始めた。


「……。まず、アストリネが人類管理が、まともにできてないことについては……同意します。それは、貴方の主張が正しい」

邂逅する前に思った意見とは変わらないことだ。

今回の『リプラント』の件に至っては、アストリネ側の落ち度も強くある擁護しがたいこと。

二十五代目エファムが慈悲を与えることなく、初めからジルごと処していれば。きっとこの前代未聞となる事件は起きなかっただろう。

そこにあったのは同情か公正か、いずれにしても全体を考えれば無用な判断だった。

それが覆しようがない事実。


「だからもしも……アストリネがいなければ……『古烬』も存在してなかったでしょうね。『リプラント』を初めにした兵器は生まれなかったのでしょう。その点において客観的に考えてみれば……我々は無用の存在かもしれません」

実に素直な、己の存在を否定する放棄だった。


「へ〜…………そんな感じで認めるんだな。うんうん。はいはい、なるほどねぇ、面白いじゃん」

鎌夜は目を据えた後、カミュールを掴む手を叩くようにも乱暴に離し、目の前で拍手を行う。

何度か拍手音を部屋に響かせた後で、ゆっくりと、手を下ろした。


「じゃあ、そんな物分かりがいいアストリネさんによ、もう一つ…最後に、聞くんだが…」

発言を川切りに、鎌夜の両手が変貌する。


深緑の溶液が床の隙間から溢れ、両手に集約し始めた。徐々に三日月を描く鎌めいた刃と変形し、どこか蟷螂を彷彿とさせる形になっていく。

そうして顕現させた凶器一本の鎌先を、カミュールの喉元に突きつけて、いつでも穿てる姿勢をとる。


「己が無用だと認めるんだ。今ここで死んでも構わねえんだよな?」


刃の先がカミュールの雪白肌の薄い皮膚を破り、赤い血が漏れ出て雫となり肌上に流れ落ちては、白百合の花弁を紅で汚していた。

「大丈夫だ。優しく痛くないように壊してやるよ。悪いやつばっか囲まれてきたからな、物分かりいい子は好きなんだ。好感が持てる。アストリネじゃなかったら告白してたかもしれないレベルまでな」

「………」

そんな死刑宣告と執行直前に等しい状態に晒されたが、カミュールは恐怖を覚えない。身は強張らず、藍白瞳を平坦に据わらせる。

より深く刃が傷つけるのを構わずに喉を上下させてから、薄い唇を開いていた。


「ところで、僕が何方を恨み、滅ぶべきだと謳うかどうか…其処は、はっきりと申し上げておりませんでしたね」

見下ろされてる状態を構わずに、威圧するようまっすぐと見据えながらカミュールが告げる。


「『古烬(貴方)』に決まってるだろう。合意だったかもしれなくても、それでも、母は最期に泣いていたんです。絶対に許せるものか」

もしも人になれたら、アストリネが居なければなんて、そんなものはたらればだ。

己も母もアストリネであり、居なければ存在もしていなかったも同然だろう。

そして、母はカミュールにとって唯一の繋がり。愛してくれた家族だ。

母の合意で嬲るような実験が行われたかもしれなからうが、カミュールにとって理不尽に奪われた事には変わり無い。

[核]が傷ついた母は日々弱っていた。

エンブリオも薬も意味もなく、回復の見込み無い。ただただ終わりに向かって進み続けるのみ。

苦しそうな咳を繰り返し、食事もまともに取れずに衰弱するばかりだ。

そんな母に『置いて行かないで』と散々泣き喚いた。骨と皮しかないような細い手に必死に縋り付いて。

『僕がなんでもするから』

ずっと馬鹿の一つ覚えのように繰り返して泣き叫んだ。

それを母は申し訳なさそうに、辛そうに困り眉を浮かべて謝罪するばかりだった。

『置いて行くのが不安だよ』

そう息を吐くのも苦しい中で切なさを滲ませた掠れた声で呟いていたというのに、そんな想いなんかでは何も変えられないと示すように母は消えた。

『お母さん!お母さん!ぁ、ああぁああ!やだ、やだあ!いかないで、いかないでぉ!いなくならないでよぉ!なんで、なんで…!』

目の前で骸を残すことなく、壊れた[核]だけ置いて消えたのだ。

『かえしてよ………』

幼いカミュールは世界が壊れるような慟哭と、全てを憎悪する憤慨を知った。

それは今でも鮮明に覚えている。


「……それこそではないですか。『古烬』さえ居なかったら、僕の母は生きていた。多くの事故だって起こされなかったでしょう。今も尚、エファムは世に健在で……巻き込まれた多くのアストリネや人々も不幸に見舞われることなく生きていたんです。何が真の人類だ、くだらない。貴方たちは破壊者だ。この世の秩序を荒らす害そのものです」


だからこそ、それが真実だとしても許せない。総じて『古烬』であるならば、忌むべき存在なのだ。

ぼっかりと空いたこの胸に、心に根深く残る恨みがあって。消えない痛みだってある。だから彼等の存在意義も意味も何もかも否定して消し去ってやらねば気が晴れず苦痛だってなくならないだろういつまでも。


『――、幸せになれよ』


そうすることが母の遺言を叶える為でもある。この先、己が生きていく中で幸せに心穏やかであるためにも。

カミュールは必ずこの復讐を完遂させるだろう。


『最期まで見届けてくれ』


最期を覚悟して受け入れている一人含めて、終わらせる。

誓いと約束を果たすまで、カミュールは決して止まれない。

彼女の目は、平坦に据わってばかりだった。


「……ですが、」

――しかし、唐突に。ふ、と。その表情が和らぎ、微かな綻びを得た微笑みに変わる。


「小心者にこの憤慨をぶつけるまではありませんね」

「…はぁ?」

鎌夜の目が丸くなり、素っ頓狂な声が上がった。

呆気に取られた反応に対して、カミュールは手を口元に当てがい隠すという上品な所作で返す。

「だって、力を手に入れて意気揚々と振る舞う先が非力とわかってる僕だというのが器の程度が知れるので。折角なら、嘗て土をつけた相手であるイプシロンやハーヴァであるべきでしょう?後者に至っては弱られてますし。だけど、そうしないのは、彼らに勝てる見込みがない、自信がない、萎縮してる……その自証では?」

侮った相手に馬鹿にされたと伝わったのだろう。

みるみるうちに鎌夜の顔に朱気が走り、大きく歪み始めていく。

だが、カミュールの侮蔑的発言は止まらない。


「どうされました?……もしかして、本当に怖いのですか?彼等が」

喉元に凶器を突きつけられたまま平然とした。大したことがないとばかりに態度を取り、藍白瞳を細めている。

――怒りを覚えると一周回って冷徹になり、表情が損なわれるという話もあるが、カミュールはその状態に近しいのやもしれない。何せ、笑みが止まらないのだから。


「それとも、彼等に手を出すことで…怒り狂う吏史くんを恐れてるのですか?確かに彼は『古烬』の中でも特別そうだ。貴方とは違って」

「………黙れよ」

途端、鎌夜の声に色が乗る。憤怒に染まり戦慄く声が漏れていても、カミュールは構わない。

敢えて、さらに、こまねくような挑発を仕掛けた。


「おやおや。これも正解ですか。子犬のように可愛いヒトですね。……人かどうかは怪しいのですが」

「黙れ!!!」


鎌夜は問いの返事の代わりに、鎌を天に振り上げる。

激情に駆られた衝動に促されるよう、カミュールの首目掛けて鎌を下ろし、その細首を横一閃で断ち切らんとした。


「…気が短い方」

迫ろうとする断頭台じみた白刃を前にして、冷静に呟く。

――大ぶりの動作は隙が大きい。いくら動体視力が平均並程度のカミュールであっても、わかりやすい隙だ。

カミュールは膝を曲げて、身を屈ませる。

先んじて首に突きつけられた刃は首から胸元にかけて、縦一線に傷をつけた。一輪の白百合の花弁が損なってしまう。

「っ…!」

当然、傷は深い。苦痛が走り、眉を顰める。

先とは比にならないほど血も流れ出た。手のひらで流血を抑えたが、直ぐに別の動作を行う。

抑えてる暇はないのだ、カミュールはこの場を乗り切るために抵抗を起こす。


花弁が切れた白百合一輪。それを己から手折り、持っていたペンを握りしめる。

比較的柔らかそうな腹部に狙いを定めた上で、針の代わりとして花を鎌夜に突き立てた。


「――ガ……ッ!?」

鎌夜から悲鳴が上がる。

しかし、カミュールは非力だ。ペンも本来の用途ではないため、深く突き刺さらない。

「…っ、…く…っ!」

奥歯を噛み締めて、渾身の力を絞り出し、軽い体重をかけた。そうして、わずかでも、ペン先――白百合の成分を、鎌夜の体内に捩じ込もうと足掻く。


――この行動は自棄ではない。カミュールにはそうする理由がある。


母――四十九代目カミュールは、『消滅』について何も教えてくれなかった。


きっと、できることならば、四十九代目でカミュールを終わらせるつもりで黙秘したに違いない。


だからカミュールは先代の教えという術がない中で、エファムにすら有効となる『消滅』の異能を独自に解明するしか道がなかったのだ。


正直な話、相当参っていた。

答えは自体どれだけの時間を注いで模索しても、見つからなかったのだ。

HMT、越しに六主や彼らに取り巻く者たちの協力を仰いでも、『消滅』の力の明確な解答はない。

恐らくわかるとすれば……十五年前同時期に全てを捨てて去ってしまった二の姓名だけだろうか。

エファムかヴァイスハイト、いずれかなら知り得てるのだろう。

しかし片や行方不明、片や姓が尽きてしまった。

万策尽きて、詰んでしまったとも言える。


だが、しかし、最近のこと。


発動条件に繋がる情報を得た。

吏史がクモガタ相手にした際に熾したもの。気体ではないであろう、アストリネの平均的な再生力では到底説明つかない――負っていた身体の傷を一瞬で『滅した』と思わしいあの青焔。


仮定するならば恐らくアレが『消滅』の力。片鱗だろう。ならば異能の元は空いた胸に咲く白百合だと考えるのが、自然な道理である。


カミュールは『消滅』の異能の条件を定義した。


「(『相手に花を与えること』が発動条件ならば…っ異能の効力を発揮できるはず…!)」

今のカミュールに逃げ場がない、だからこの案が正解であることに賭けに転じるしかないだろう。

バカな賭けだと頭で理解していても、カミュールには絶対に叶えるべき目的がある。

此処で朽ちるわけはいかないという思いが、彼女に無茶な愚行を起こさせた。

ペン先は1センチほど入り込んでいる。それ以上は押し込むのは難しいだろうか。

「(なら……!)」

鎌夜がまだ怯んで反撃が来ないうちに、粗暴で乱暴な手段に出る。

釘を固定し槌で打ち込むように、片手でペン先を掴んだまま、拳を叩きつける。二度、三度。なりふり構わずに。


やがてカミュールの決起に、『消滅』は応える。


――そんな単純明快な異能ではない。


「………ハー……弱い癖に下手な抵抗しやがって」


鎌夜の地を這うように低い声が、四度目の拳を叩きつけようと振り上げたカミュールの頭上から降りてきた。

そしてそれは、『消滅』が発揮しておらず効いてないことの表しである。

直ぐに殴るのをやめて、身を引こうとした。

「(仕方ない!此処は全力で足を払いを…!!)」

しかしカミュールは此処で、とあることに気づいてしまう。

「……え?」

流れ出る鎌夜の血が、溶液と同じ深緑色が混じってること。青の血を持つ生物は存在するが、人としては正しいとは思えない色をしていた。

そのせいで思考回路にラグを招き、刹那の停止を引き起こす。


「(……血が、『リプラント』の溶液と緑色……)」

正しく、命取りな行動に出てしまったのだ。


――カミュールのガラ空きだった脇腹を始めに、のちに全身にかけて、重い衝撃が走る。


派手に深緑の溶液が周囲に四散して、小さな体で受ける力ではないと暗に示していた。

そのような強烈な蹴撃を華奢な少女に対して容赦無く繰り出した鎌夜は、気怠そうな調子で首を鳴らす。


「手を出す順番なんてどうでもいいだろうが。次はハーヴァ、んでイプシロン。こいつらがやられてバカ怒ってる吏史くんを真正面からぶっ潰してやるよ」

当然カミュールからは返事がない。寧ろそれが都合がいいように勝手に、お構いなしに、一方的にも告げては手を下す。


「あー…しっかしくっそムカついた。優しく壊してやる気失せたわ」

同時に、深緑色の鎌の形状と壁が崩れゆく。

同時に天井の一部に幾重にも線が走り、瓦礫となって落ちた。

非力といえどもカミュールはアストリネ。再生力は標準装備として備わっている。

[核]を潰すか限界まで消耗させた上で致命傷を与えない限りは、存命するとわかっていた。

だから、鎌夜は前者から後者の方を選び直した行動を取る。


「そこで身動き取れねえまま、無力な自分に嘆いてろよ」

山積みになった金属の瓦礫の隙間から、四肢と腹部を瓦礫に押し潰され貫かれて芋虫のような状態で身動き取れないカミュールが見える。

再生しきれないことから赤黒い血が滲み出ており、それが床に広がる様まで、鋭く険しいナイフのような冷たい目で見下ろす。

「ずっと、苦しんだままな」

宣告の後に鎌夜の意に従い、有毒である『リプラント』の溶液がシャボン玉のように六つ、宙に浮かぶ。それはやがて円から変形を果たし杭を象っていき、潰れた四肢や腹部目掛けて穿とうとした。


「(――あの程度の挑発で、これだけ憤慨しますか。精神が未熟…いえ、『特別』という単語が琴線に触れた気がします……)」


鎌夜はまともな理性が働いてない可能性があるとはいえ、付け入れる隙となるかも知れない。

カミュールは瓦礫の下で押し潰されながら、唯一勝手が利く口を動かす。

「メッセージ、を…起動…しなさい…宛先は…」

頭から流れた血の味を感じながら、消え入りそうな小声でHMTを隠れて起動する。青色の光が溢れてメッセージ機能を発揮したホログラムが生み出されていた。

「(――……宛先、僕が送れる、最適な相手、…吏史くん、は、連絡先……知らない。から……間陀邏、…ジルさんにも、伝えなくては…)」

ただで転ぶつもりはない。足手纏いにもなる気も、元よりない。カミュールは意地で足掻き、己の無力に抵抗する。

少しでも役に立とうと音声録音式でメッセージを送り、情報を共有した。

鎌夜が既に第一区に踏み入れてる事実。そして適応の影響で正気であるか定かではなく、毒液にも等しい永久的バッテリーの元となる溶液を自在に操る力を持ったことを。

「(……しかし、参りました。……『カミュール』がここまで追い詰められはしましたが、)」

必要なメッセージを送信したのを最後に、力が抜けていく。

「(……カミュールの存続危機には他のアストリネが来る。……検証も兼ねてましたが、今後は、ないと判断するべきでしょう、ね………)」

これまで精神力で保っていたカミュールの意識は限界を迎え、途切れる。焦点が合ってない藍白瞳が揺れた後に、ゆっくりと糸が切れたように瞼が閉じて、深い暗闇に落ちていく。

「弱っちいやつがいつまで持つかな?そこを測るのは楽しみだ」

最早、避けようもない。有毒性を持つ深緑の杭は鎌夜の意思に従い、更なる苦痛を与えんとカミュールに落とされた。


――しかし、それは成されない。


「(――なんだ?)」

刹那の内にして変化が起こる。息苦しさを覚えるほどに空気に重圧が満ちていく。

五倍くらいの重力負荷がかかったような中で、何かが確実に来るという予感を覚えさせてきた。

鎌夜は意識を逸らす。咄嗟にカミュールに杭を落とす動作を止める。

直ぐに周囲を見回して警戒した。


そして蹄の音が立ち、その存在が姿現すことを予期させられる。


「ッ…速い…!何かが近づいてんのか?!」

高速で近づいてくる何かに対して、鎌夜は驚愕の声を上げた。

せめて直接的な衝突を避けんと後方に飛び退く。

しかし、それの目的は元より鎌夜ではない。先ずはこれ以上の蛮行を阻むことを先決とする。


赤い蹄がカミュールと鎌夜の間に割り込んで、床を踏み鳴らした。


宙に浮かぶ暴虐の杭に対して、刹那。三連撃の紅の軌跡を描く。

世を裂き燃え上がらせるようにも振るわれた焔の斧は、一撃にして二の杭を的確に狙う。

それは強靭なる力。六本の杭は真っ二つに断ち切られ、瞬きの内に炎に包まれ、灰燼と帰した。

燃えてからも形が一秒も残ることはない。

寧ろ、そのものを焼滅されたも同義。灰も残す事なく霧散する。


「……全く。おいたがすぎる」

瞬時に場を制しながら現れたものは、四足の蹄を鳴らす炎の馬――或いは炎人とも言える存在だ。

下半身は紅蓮の馬、上半身は鎧を纏う猛者。無貌にも見えるフルフェイスの装甲まで炎が象ったその姿は、幻獣半人半馬(ケンタウルス)を想起させる炎の化身。


炎の化身は斧を模った炎を片手に掴みながら円を描くように振り回しては身構え直す。その斧先を、鎌夜に突きつけながら宣告した。


「どうやら、きみを再起不能にして分からせねばならないようだな」


何処からか声を発するだけで、化身を中心として高温と熱風が場に満ちる。

彼の感情に炎が呼応しているのだろうか。炎の勢いは酷く激しい。溢れ出す鋭い敵意を表すように、僅かな動作で炎が増して天に昇っていた。

「……っ、…く、」

その激情の矛先たる鎌夜は、唇を大きく歪める。

己より遥かに巨大な体躯、そして超える力を有するであろう存在を見上げるだけでぞくりと肌が粟立って仕方ない。

「ハハッ!……ハハハ!」

しかし、臆せずに、恐れ知らずに歯を見せて笑う。


「そうか、そうかよ!此処で来たか!ローレオン!」

管界の六主、一角であるローレオンに対して、獣が高く吠えるように。

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