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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
37/57

夢の再会


二十五代目エファム。

始祖エファムの再来だと高く評価されていた前『平定の狩者』のリーダーにして、アストリネの始祖の血縁。

その他様々な異伝があるが、間違いなく全てのアストリネの旗印とされるべき存在と言える。

「………」

指摘するようにも呼び示したハントの言葉に対し、流星は否定を示さない。

ただただ見向きもせず、吏史だけを双眸に映し、優美に柔らかな微笑みを携えて佇むのみ。

眼中にもないと表す態度ではあるが、ハントは無言の肯定と受け取ったのだろう。何も言えずに崩れ落ちた姿勢のまま、平伏するようにも俯いてしまっていた。


「んー。ひとまず不純物が体にあるみたいだ。じゃ、それちょっと、取っちゃおうか」

発言の意を理解できずに疑問符を浮かべる間もなく、突如、吏史の肩に触れたと思えば皮膚を引っ張るように何かを摘み抜き取っていく。

「…はっ!?」

驚嘆に満ちた声が上がった。

それだけで吏史の毒で麻痺してた体の異常が一瞬にして消え失せていたからだ。

咄嗟に両腕で体を起こして流星を見上げれば、先までなかった紅葉色の指ひとつにも満たない球体を掌で転がしてるのが見えた。

「調子、どう?毒のついでに色々取っちゃったけど」

調子と言われて腹部や胸元に触れる。『取った』と告げたように何かしらの異能で吏史の毒を抜いて動けるように改善してくれたのだろう。

しかしながら奇妙なのは、毒を飲む前よりも身体の調子がいいことにあるが。

「……寧ろ、なんだ…怖い。……ついでに色々って、オレから何を取って…??」

精神的な緊張感もあって心拍数は高まってしまい、瞳孔を大きく開いたまま尋ねてしまう。

「色々〜。言語化は難しいんだ、ごめんね。でも、悪いものだけを取ったつもりだから」

『悪いもの』と評した球体を宙に放り投げては手に掴む。手のひらに収まったそれを容赦無く握り潰し、ガラスが砕ける音を立たせながら物理的破壊しているのまで、見た。

夜空の輝きを表す様な見た目に反して、相当力が強いのが伺える。

やはりそうなのか、と口元を引き攣りかけながら思えた。ハントがそう呼んだように…エファムの系譜であることに間違いないということだろうか―――

「立てる?」

熟考しかけた吏史に声が掛かる。

屈む姿勢を正すように立ち上がって、綺麗な手を差し出してきた。


「………えっと、」

月が浮かぶ夜空の紺瞳を見返しながら、吏史は咄嗟に手を取れずに戸惑う。


此処で再会するとは、思わなかった。

二度と会えないのではないか――いや、会わない方がいいと考えていた相手だ。

幼い頃の、憎悪をまだ知らない無邪気な夢そのものだと言っても過言ではない。

だから、会えば、きっと。抱く決心が鈍ると予感していた。

実際、その通りだ。

相手が何も変わらない姿だからこそ、余計に。自分だけが変わってしまった自覚を与える。

黒骨の装甲めいた『ゴエディア』の色が、自身の手が煤と泥に塗れてるような感覚に陥り、気が重くなった。


「(――や、ばい)」

白の陶器でできたような傷一つない掌を前にしたものだから、余計に。表情が強張ってしまう。



何故、今、ここに、居るのだろうか。

夜空の虹彩に映る変わってしまった自身が見えて、不安が込み上げて仕方ない。

惨めで可哀想だと思われてないだろうか?

そんな筈はないのだ。あれからずっと、頑張ってるつもりで、今度は生かしてくれたアストリネたちのために生きようとしてる。

己は『古烬』、滅ぶべき存在だとしても、ちゃんと生かされた目的を果たすつもりで。

二度とサージュのように、大事なものを何も奪われないために。いつか終わるつもりで進もうと。

だから、――だから。


ぐちゃぐちゃに崩されてまとまらない感情と共に、巡るような思考に暮れる中。


『――人でなし!』


朝海に怒鳴り叩きつけられた言葉が今更吏史の自尊心に欠けた精神に響き、胸が苛まれた痛みを覚える。疑問もすぐに湧いた。


この白銀の流星には、あの頃と変わってしまった今の透羽吏史が、どう映り見えているのだろう。


「(もしも悍ましい怪物だと、思われていたら…)」

今、道を間違えてると突きつけられるようなものだ。自己否定に他ならない。


そんな、不安に沈みかける吏史の胸中を酌み取ったのだろうか。

或いは憔悴しきった表情を浮かべたこと揺らぎを察したのやもしれない。

流星は小首を傾げ、夜空の瞳を緩やかに細めていく。

「―――……」

口角を上げて、浮かんだ微笑みを深めさせていた。


「シェルアレン。エルでいいよ。或いは、アルとでも。好きに呼んで」

「…え」

不意にかけられた申し出に意図が分からず目を瞬かせる吏史に、流星は人差し指を立てて自身を指す。

「これは…私の名前。まあ……エファムの姓は……私に取って大事じゃない。捨てたも同然な行動だってしてるわけだから。そう大して偉くもない存在なんだ。それでも……どうかな。名前、呼んでくれる?」

そうした提案を受けて、吏史は呆気に取られる。

姓で存在説明が完結するアストリネにとって固有証明ともなる名を明かす行為は、信頼を送るのも同義。シェルアレンはそれをあっさりと行ったのだ。

――吏史をただの一人として、認めるように。

「別に嬉しくない?ちょっと押し付け気味だった?」

「………そんなことは……」

ない。そんなわけがない。

首を横に振って主張する。動揺こそしたが、名前を知れたのは嬉しいことだ。


「良かった。じゃあ、(シェルアレン)を好きに呼んでほしい。そのままだと、ちょっと長いからね。どうか君が思うように私を定義してくれないかな」

「………」


吏史は、シェルアレンをどう呼ぶべきか思い悩む。

改めて頭から下までの姿を見た。

人の姿をしながら、何処かしら人の枠から外れた造形美を持つ者。

男と決めるには声が透き通る上にやや高く、女と判断するには体幹が逞しいように窺える。

しかし、骨格や身体的特徴で性別を判断しようにもそれが明白に見える服装ではないため、正確な判断がつきようにもなかった。


「………シエル」

「……。うん?」

だから、吏史は、単純に頭三文字で略する。シェルアレンを――()()()と呼ぶ。


「シエルでいいか…?」

「…………」

シエルと定義つけられた後、僅かに夜空の瞳を見開いて、感情の機微を垣間見せた気がした。

「うん。いいよ」

しかし、漣が立つ挙動自体はすぐに落ち着かせたらしい。

浮かべた微笑みは崩さず、差し出したままだった手を、改めて花が綻ぶように一度握っては開いて主張する。


「今度は、立てそう?」

「……………」

今度こそ何かしら迷いはないかと問われ、吏史は下唇を噛む。

直ぐに、意を決するよう顔を上げて、目の前のシエルの手を勢いよく掴んでいた。

「……ああ!」

これ以上、シエルを前に醜態を晒せない思いがあり、今はこうして逡巡してる時間も惜しいのを思い出せたが故の即断だ。

掴んだ手を引かれる形で、吏史は立ち上がる。

立って、軽く床を踏み締めてから前を見れば、微笑むシエルと目が合う。十年前とは異なり、互いの身長差は然程ないことが感じられた。

「よかった。君の立ち直りが予想以上に早くて」

そう言いながらシエルが一歩、吏史に踏み出す。

故に整った相貌に近付かれ、吐息まで感じれそうな距離となる。

「は、えっ。ちょっと…」

果実めいた体臭を感じ取れてしまう近さに戸惑いながら即座に身を引くが、その顔は触れ合うことなく横に通り過ぎられて――耳に唇が寄せられた。


「今この時だと、君が困るのはわかってる。だから、ちゃんと間に合うように送ってあげる」


内緒話を耳打ちするように密やかにも囁かれて、青と金の夏空の瞳が大きく瞠る。

「それって…」

何を意味するのかとシエルに説明を求めるよりも早く。グルン、と吏史の視界が大きく反転した。


「っのわぁ?!」

どうやら手を引っ張られたまま、体を回されたらしい。ハンマー投げの要領でシエルは容赦なく吏史を一回転して円を描くように振り回しては、玄関ではない方向に向けて、パッと手を離す。


「(っ嘘だろ…!壁に投げつけられたのか!?)」


あまりにも唐突かつ急すぎる展開だが、咄嗟にそう判断はついた。吏史はすぐさま受身の体勢を取ろうとする。

「――ぇ?」

手を握ろうとした拍子に、夜風にあたられるような冷たい空気を背中で受けて感じた。

それに違和感を覚え、素っ頓狂な声をあげてしまう。

視界に映るシエルは、微笑んだままだ。惚ける吏史を穏やかに見送るように、ひらひらと手を振っていた。


「いってらっしゃい。運が悪かったら、またね」


視界の端が暗くなる。四方の隅から視野が欠けていくように、瞬時に暗闇が吏史の世界を覆っていく。

「―――っ、シエル!」

それは自身が影に身を包まれるようにも飲まれてしまったからだろう。

気づきを得たが、最早、遅い――


それから一動作も許されることはない。透羽吏史の姿は刹那にて、影ごと掻き消えてしまっていた。


空いていた虚の痕跡は何もない。

しかしその名残を感じるように、シエルは暫し動かず、影があった場所を見つめ佇んでいた。


「……一体、彼をどこに…」


その中でハントは愕然する。

たった今、目の前で人一人が消されたようなものだ。

腰は未だに抜けた状態であり、理解に苦しむ光景である。故に、答えを求めたハントはシエルに尋ねてしまう。

「な、何を、何をされたのですか……?」

発する声は、震えていた。

シエルが吏史の手を掴んだ際、その背後にいきなり生まれ出たのは黒色の虚空の穴だ。

得体の知れないそこに遠慮なく、シエルは吏史を投げ入れて彼ごと掻き消した。

「もしや、抹消を…?そんな……」

最悪の展開を想像するなら、始末したのだろう。

だから真意を知りたくて不遜な態度なんて気にしてもられずにハントはシエルに尋ねていた。

だけどシエルは微笑みを崩すことなく、ただただその場で佇むばかりだから実に不気味で仕方ない。

「………あのね」

場が静寂に包まれる前に、微笑みを崩さないシエルがゆっくりと口を開く。

「何を勘違いしてるのかわからないけど。消してないよ?今は……『門』と同じものを編み出して、そこに投げ入れた。『遠視』で簡易的に第一区に座標を合わせた上で作ったものだよ。……でも、『門』とは違って即興で仕立て上げたから次元接続は不安定。往復不可の片道式だけど、行きたい所に送り出すだけなら、それで十分だと思わない?」

そうシエルはハントに説明する。

さも当然のように、道端の小石を拾い上げてみせたように平然とした調子で、起こしたのは自らの異能であると披露した。

「…あ、あり得ない…」

しかしハントの動揺は収まらない。理解を拒み、混乱を生じさせており、許容し難いと思わずそう声が漏れてしまう。


何故なら、『門』を自己完結で編み出すなど出来はしないからだ。


『門』は【ジャバフォスタ】に配属されたアストリネの異能を軸に、ヴァイスハイトが年月と代を重ね掛けて編み出した叡智。

多くを費やすことで生まれ出た文明の利器であるとハントは知っている。たったひとりで成せる技ではない。

「……あり得ない。貴方様が幾らエファムとはいえ、アストリネが扱える異能はただ一つの筈…それに、同じ異能は存在し得ない…!」

その上、アストリネに近しい異能はあるが、同一する異能もないのだと、そのように出来ていることをハントは知っていたが故に、否定を叫ぶ。

「んー。よく知ってるね。となると…アストリネたちから相当情報を得てるそれなりの立場の人間か。そっかそっか。じゃあ、教えてあげる」

真っ向の異議を前にシエルは笑みは崩さない。

最早、嘲を向けるかのようにも穏やかに目を細めて微笑んだまま、軽く首を傾けるばかりだ。


「そもそもの話。今の『門』自体が私が()()を下ろす形で運用されているものだよ。それができるんだから…使えて当然じゃない?」

()()…?…何を言って…いや…」

「何なら(なぎ)さんにでもできない芸当ではある。時を遡るとかじゃないんだけど……でも、特殊で特別。何せこの悪い時を変えて、覆せてしまえる転移だから」


中々鵜呑みしがたい発言だ。だが、ハントは完全に否定しようがない。

老いた思考を回し、発言の先を想像できたこと。

そもそも『エファム』はこの管理下社会の象徴的な存在であり、明確な異能は歴史でも明示されていない。

謎のヴェールに包まれている始祖の系譜の末裔ならば、常識の枠に当て嵌まらないのだろう。

ならばこそ、目の前の存在は他のアストリネより上回る異能を扱うのかもしれない。万能にして全能。森羅万象の神と称えられるべき力を持つ可能性も高い筈―――。


そうしてハントが思考を巡らせ真の理解を得る手前、シエルは己の唇に人差し指をあてがった。


「そう。私が『承認』した特別な転移。だからこれから変わっていくよ。……あまり混乱しないように、ね?」


発言と同時に突如、世界が白く染まる。

ハントはそれが己の視力の問題かと思考が過るものの、勘違いだと示すように……直ぐに強烈な爆音にも近しい音が轟く。

「ぬうぉっ」

驚愕の声を上げながら飛び跳ね、両肩を上下して身を竦ませる。思わず、目も瞑っていた。

それは正に轟音と呼称するに相応しいものだ。

衰えた聴力でも、鼓膜が破れるのではないかと誤認した。それだけの轟音。音が引いた今でも、耳鳴りとして残るほどに。


「何、だ……なんなんだ、一体」

突如起きた展開に動揺しながらも、ハントは恐る恐ると瞼を開く。


「…………!?……な、ぁ……」

其処に、シエルの姿はどこにもない。

目を瞑ってからたった数秒の出来事のはずなのに、シエルは影も名残も残すことなく消え失せていた。

慌てて老体に鞭を打って体を動かし、玄関を開いて外を見渡す。


――だが、誰もいない。ハントの黒瞳に映るのは満開の花畑だけだ。


「…………そんな……一体何処に…」

花の香りを乗せた風がサァ、と吹いて、ハントの頬を撫でて通り過ぎていく。

「…幻…だったのか?いや、しかし、」

名残すらかき消すような心地が故に、誤認した。だが、すぐに己を諭すように否定する。

幻覚ではない、ないはずだ。

何故なら家の中には毒を入れた空のコップが未だ床に転がっている。吏史も…シエルも存在していた、確たる証拠となるだろう。


「居たはずなのに……」

何故こうもハントは現実から覚めたように夢心地なのか。全く不思議でならないものだ。


茫然自失とする中でも鼻腔をくすぐる風は揺蕩う。ハントはその風の流れに促されるよう、自然と青空を見上げた。

そして、その空に広がる光景を認識し、驚愕で黒曜瞳が大きく開く。


「――――なん、だ……これは…」


まるで大樹が青空を覆い尽くし伸びるかのように、【暁煌】の青空には無数の白の軌跡が迸っていた。


◼︎


「う、わぁあぁ――――!?」

吏史は暗闇の世界を真っ逆さまに落ちて続けている。体感三分ほどではあるが、十分常識外にして不可解な展開だ。一体何処まで落ち続けねばならないのか、そもそもこの黒き世界から解放されるのだろうか。

「(いつまで経っても地上が見えない……これ……何処まで続くんだよ…!?)」

わからないが故に顔は引き攣るばかりだ。

「!」

しかし突如、世界に変化は訪れる。ふわりと、風が吹いた。体を浮かせられる感覚の後、徐々に世界の黒が視界の端から晴れていく。

「(!……なんだ、……黒い幕が上がるみたいに……緑色の建物…?)」

全てが深緑色の膜に包まれたような、廃墟と例えるには悍ましく不気味な光景を目の当たりにする。

「(どこか見覚えが…っいや、いやいや、今はともかくも!)」

惚けてる場合ではない。行うべきは、安全なる着地だ。吏史は空中で体勢を整え試みようとする。

「(間に合うか?!こうなったらナナの『覚醒剤』を―――)ぅぶふッ!?」

しかし先に地面に激突した。

幸い、不思議なことに。これまで落下し続けてた圧による加速は激突時に乗らなかったらしい。着地点が硬い地面ではないのも功を奏したのだろう。

吏史は柔らかい生垣に顔ごと上半身を突っ込む形で着地……を果たしたので、吏史は打撲や骨折等の被害は得ずに済んでいた。


「………【暁煌】に来てから、なんか、やたらと落ちてばっかりな気がする…」

尚、吏史の認識は間違いではない。


しかし吏史はそのような事実で己が不幸だと天を仰ぐことはせず、草むらから上体を起こし顔についた木の葉を払う。

そうして体勢と状態を整えながら、まずは硬く閉めた己の握り拳を開いた。

そこにあるのは紺色の殻に覆われた鶏卵のような物体だ。鉄球のように無機質で冷たく重い感触がある。

「…何だこれ…」

初めから吏史が持っていたものではなく、シエルが別れ際に渡してきたもの。

親指で撫でてみれば淡く発光してるように伺えるのも相まって、到底、ただの卵とは思えない。


「しかし名前……知れたけど……謎だらけだな…」

シエル――シェルアレン。恐らくは二十五代目エファムに該当する存在。

吏史が五歳の時に出会った白銀の流星の夢。

それが何故、今、まだ何もなしえてない踏み出したばかりの吏史の前に現れて、手を貸そうと宣いながらこのような行動を起こしたのかも判断しかねる。

思考含めて全てが謎に満ちた存在だ。


『運が悪かったら、またね』

「運が悪かったら、…か…」


ひとまず、吏史はシエルについて熟考するのはやめた。

また会える予感がしたのもあるが、まずこの場ですべきなのは周囲の探索だろうと周囲を見る。

辿り着いた場所は、どこの区とも言い難い。もしも何かに例えるのならば『文明の終わり』と多くが評するだろう。

日差しは明るく差し込んでいる、が。其処にあるのは非現実的な終幕を迎えたような情景だった。

第七区のように電子方面に発展した形跡が雑草のように有象無象に張った深緑の物体が生い茂ってる。それだけではなく、一部の道や建物らしき壁に、まるで巨大な菌糸類…茸めいたものが連なるようにすくすくと傘を拡げて成長しているようだ。

それだけでなく、その茸は傘下のひだから目に見えるほどの胞子を噴出させながら繁殖という侵食を続けてる。

とても悍ましい光景だ。

集合体恐怖症か、神経質でなくても切り落とすか燃やすべきかの衝動を駆り立てられてしまうものである。思わずゾワっと肌が粟立つのを吏史は感じた。


「なんかもう、既に運が悪い状態に立たされてる気がするんだが…」

どう考えたって悪い状況下であることを察した吏史は口元を引き攣らせたが、一先ずは卵を懐に仕舞いこもうとする。


「――――ん!?っは、え!?なん…」

途端、その卵の殻全体がひび割れ始めた。


「待て待て!なんでいきなり急に…もしかしてそういう……そういう感じか!?っえ…オレ、シエルに何を渡されたんだ!?」

まるで孵化を表すようではあるが、未知の物質であるため怪しい。寧ろ、爆弾の類で起爆したのではないかと誤認してしまい、吏史は卵を落とさぬようにしつつも慌てふためくばかりだ。

勿論状況説明が可能なシエルはこの場にいないため解決策が投じられるわけもなく、ひび割れた殻の破片が地面に落ちて中身が解放されようとした。

「ちょっと待っ―――」

感情を享受するなんて都合がいいことは発揮されない。殻は完全に砕け散る。

卵を中心に暴風が発生して吏史の髪を大きく巻き上げて、同時に閃光まで弾けるように広がった。


「うわっ!?」

眩しさに思わず咄嗟に目を瞑ってしまう。

ただ、暴風といっても吏史の体幹を上回るような瞬間風速的なものではなかったし、閃光以外の衝撃も()()()()なかったので倒れるなんてこともない。



「―――痛ぁ゛ッ!?」

誰かの苦痛の悲鳴と共に、地面が多少振動するのを足元で感じる。

……何者かが急に、落ちてきたのだろうか?

そう判断しながらも、三秒ほどの硬直を経てから吏史は恐る恐ると閉じた瞼を開く。


「ッ…!ッ……くっっそ……!」

恐らく腰を強打したのであろう、手で抑えた状態で地面に倒れ伏せる白髪の女性が前に居る。

声も含めて覚えがありすぎるその女性を異色の瞳に映した吏史は、何度も目を瞬かせた。

「…エルのやつ……っせめて、何をするかの説明くらいしてくれよ…っ」

「―――ジル!」

悪態をつきながら伏せた状態から体を起こそうとするジルの名を吏史は呼ぶ。


すぐにジルも反応を示し、弾かれるように顔を上げては大きく瞠った紅の隻眼を吏史に向けていた。



――それから吏史とジルは、周辺の探索を行いながら互いに状況説明を交わしていく。


「そうか。吏史もシェルアレン…エルと会っていたんだな」


道の邪魔となる茸は互いの持つ武器で容赦無く薙ぎ払って切り開き、その場に踏みとどまることなくふたりは先に進んでいた。

「やっぱり、ジルはシエルとは知り合いなのか」

「うん。恩がある相手だ。長い間会ってなかったが……流石に覚えてる。しかし、本当に久々に会ったな…十五年ぶりか?といってもまともに会話するどころか、いきなり此処に落とされたわけだけど」

どうやら共通してシエルに遭遇し、その者により此処に飛ばされたらしい。

移動式に違いがあるとすれば、ジルの方は投げられるようにではなく、道案内の要領で落とし穴に落とされたのだとか。

語るジルの表情はどこかしら空笑い気味で、哀愁が漂っていた。


「でも会って…って、それって何分前くらいなんだ?」

「何分とかなくて……ついさっきの話だな」

「―――それってなんかおかしくないか?」


どうにも納得いかず喉に引っ掛る。吏史は首を傾げて聞き返した。

「辻褄が合わないというか、オレの体感なんだけど。シエルと話したのはついさっきのことだぞ。…ジルだって、そうなんだよな?」

そう、妙に時間が合わない。

ジルは第二十区にいて、吏史は第十区にいた。だけどシエルは両者の前に現れて、事を起こしている。

同軸に姿を現したようなものだ。常識的に考えてそれはあり得ない。

「だから…もしかして、そういう異能……なのか?」

例えば分身を可能とする異能として考えるのならば、この疑問は解消される。

真偽を求めるように知っているであろうジルに尋ねれば、首を左右に振られていた。


「分身する異能を持つアストリネは居る、けど。それをエルが持っていたのは知らない。そもそも異能がなんなのか……私にもわからない」

「………え?」

「エルは『平定の狩者』としても異能を用いるというより、武装だけで解決してたんだ。徹底して誰にも異能を見せなかった。……二十五代目エファムの弟子であるオルドでも詳細は知らないと思う」

「はっ―――弟子ぃ!?」

「っと……」


まさかの事実だ。

吏史の声は裏返り、目をひん剥く。

同時に謎にぬかるんだ地面を踏みしめたのもあり、体勢が崩れて転びそうになるが、ジルに腕を掴まれる形で支えられてことなきを得た。

少々間抜けではあるものの、それだけ吏史に於いては度肝を抜くほどの衝撃的な情報だ。

「……あ……あー…」

うっかり。それを、話してしまった…とジルは吏史の腕を離しながら、自身の失態を自覚するよう口元を手で覆う。

やがて、観念して認めるようにも首肯した。


「そう、なんだけど。なんならヴァイオラも短期間はそうで」

「…は?!ヴァイオラも!?」

「うん。まあ、内緒な。内緒にしててくれ。これは『旧き姓』に色々と言われるのを避けて一部のアストリネしか知らない話だ。ふたりとも、この事実を墓に持って行く気概だし、誰にも言わないように気をつけてる」

「いや…それはいい全然秘密にするけど、なんで?弟子であることに何か問題があるのか?」

「……それは……多分、吏史が多くの兵士に睨まれてる理由と、すごく近い」

「……………」


例にするなら『なんでお前が特別扱いされてるんだ』…など。主に羨望が該当するのだろうか。

これまで兵士に言われた口々に告げられた苦言を参照するなら、その辺りになるやもしれない。

吏史は神妙な表情で考え込む。


「……シエルって…わけわかんないんだな…」

急な情報で殴られ戸惑ったとはいえ、感想としてはこれに尽きる。

脳裏でのシエルは穏やかな微笑みを浮かべて手を振っているのに、焼きつくのは姿ばかりで中身は何もわからない。

考えれば考えるほど謎を招き、底知れない深淵を覗かせてくるばかりだ。

結局、何を考えて、思い、ジルと吏史を此処へ導いたのだろう。

『手を貸す』とは宣っていたが、いろんな説明がなってない…気がしてならない。


「まあ、エルはな。放任だった。例えるなら試しに谷から突き落としてみるタイプ。……よく誰かに怒られてた気がする」

「あー…なるほどなー…今まさにオレたちがされてる感じか?」

「多分……そう。常にこちらのアドリブ力を試してる気がする」

「……適当な面があるのか……」

「あるなぁ。結構杜撰なイメージあるかも……オルドもヴァイオラもエルを反面教師にしてるのかもな。出来るだけ丁寧な対応を心掛けてる気がするし」


同意するようにジルは息を吐いて頷く。どこかしら呆れた様子は隠せてなかった。


「……しかし、参ったな。先からHMTの調子が悪いせいで現在地も不明だからここに来る前までグラフィスとヴァイオラとメッセージでやりとりしていたのに、それも繋がらない」

そうした会話を交えた探索を続けていたのだが、兆しは見られない。

ひたすらに深碧の世の情景は続くばかりだ。


「確かに、そうだな。オレも……朝海やナナにつながらない」

「……不思議な感覚なんだが。此処、私は妙に見覚えがある。だから此処は【暁煌】の何処かだから……通信も辛うじて届くはずなんだがな。もう少し、進んでみないといけないか……?」

「うん。色々試してみよう」


しかし通信も絶える中でもふたりは途方に暮れることはない。僅かな道筋を掴もうと、壁を壊してみたり、何かしらのオブジェクトと思わしいものを動かすなど試行錯誤を行っていく。


「次――」

そう、諦めることなく進んでいれば、急な地響きが起きた。

剣を構えて意識していた影響が強く出て、少し体勢が崩れて蹌踉めいてしまう。

「う、っわぁ?!」

一歩後方に下がった途端、吏史は柔らかい藻を踏み抜いたらしく、片足を床に突っ込ませてしまった。

「吏史!?怪我はないか?」

「あ、うん。踏んだだけで別に何にも…」

ジルに心配されるまでもない、ただ。突き破るような感覚があるだけだ。

直ぐに床から片足を引き抜いたが――どうやら其処は穴ではなく階段だったらしい。

「……――地下?」

その上、地下道に続くと思わしい道だ。

新しい道とも言えるだろうが、照明もなく陽光が届かぬ道が故に、奥は暗中に満ちていて風が僅かに通る音が不気味な啜り泣きのようにも聞こえてくる。

それを前にした吏史が僅かに踏み込むのを躊躇していれば、ジルが片手で挙手をした。


「……よし。ここは私が先に進む」

「…っえ、いや。ジルはいいよ。ダメだろ。オレが進まないと…」

「寧ろお願いだ、私から進まさせてくれ。HMTの通信を早々に繋げたいのもあるけど、少し確かめたいのがあるんだ」


そうして先んじて行こうとする吏史を制し、ジルは先陣を切って一段ずつ慎重に歩む。

その際に金色の指輪型のHMTを前方に翳しながら進んでいたが…数十メートルと進んでもHMTはメッセージの受信を示さない。沈黙ばかりで、ジルの眉間の皺は険しく深まった。


「……。大丈夫か?」

「全然、ダメだな。やっぱり…恐らく地形の影響も出てる気がする。空気も薄いから此処が高所の可能性が高いんだろう。ただ、それだけでなく交信電波妨害してるように感じれるな」

「妨害……此処がアトラクターナみたいなところであるってことか?」

「あくまで私見でしかないがな。ただ、気になることはあるんだ。此処全体に微力な電流自体はあるんだが、それが妙に操作しづらくて……」

「!それって、ジルが限界で弱ってる影響とかは!?」

「いや、私は再生力が落ち込んでしまってるだけで、異能自体は問題なく扱える筈…だけど。……一先ず試してみるか」


そして、苔に覆われたように真緑に染まった壁にジルは触れて、電流操作を図る。

「外は微量すぎて望めなかったが、此処なら電力が多い…」

頸から頬にかけて蛇鱗を浮き立たせながら、異能発揮を表すように赤眼を煌めかせた。

「…っ!」

――だが、流れる電気は彼女の手に纏まらない。

バチィっ!と白色の静電気が手と壁の間で激しく弾けるのだ。


「………やっぱり、難しいか」

拍子で仰け反った掌をジルは険しい表情で数秒見つめてから、拳を握り締めては横に振り払う。


「となると、此処では私の異能はあまり宛にならなさそうだな。有事の際には吏史のサポートを取る方針でもいいかな?」

「それでいいけど……まさか、さ。今は一国の大事なのに、シエルはそれを知ってながらジルの異能がまともに通用しないような場所に送ったってことには…ならないよな?」

「………。エルがそんな、あからさまな私の妨害をするとは思えないが…」

ジルが知る限りでは逆が故に、否定する。寧ろシエルは意味のあることしか行わない印象が彼女の中で強かった。

今回、誰にも秘匿していた異能を披露してまでこの地に送ったのであれば、不利的状況であるこの地に何かがあるはずに違いない。

もしも障害だと判断を下されようものならば、直接的に粛々と捩じ伏せるように潰しにかかるだろう。

シェルアレンは、そういう印象が深く残る。


「ただ、回りくどいのは嫌いだったからな。……絶対に何か意味があるはずなんだけど………ん?」

思考を回しながら視界も動かしていれば、深緑苔に覆われた壁の隙間に対し、ある違和感を抱く。

「……んん…?」

隻眼の赤を瞬かせた後、遠目に見るよう側めた。

そしてジルは金属製の壁に、刻むように黒色で記されたとある文字を、視認する。

「…は?!」

途端、ジルは食いつくようにもそこに手を伸ばし、壁を覆う苔を払うように乱暴に引き千切り始めた。

「……ジル?どうしたんだ?」

その尋常じゃない様子を見かねて吏史が声をかけるが、黙ってジルは作業を続ける。

引っ掻く勢いで何度も絡む苔を手で払い――やがて、何かしらを番号付ける壁の黒文字と共に電子開閉式自動扉と思わしい設備の一部が明かされた。

「……っ……嘘だろ……」

ジルは愕然と息を詰まらせかけながら、呟く。

『B56–P1152』

その番号には見覚えがあるのだろう。否、寧ろ、【暁煌】のアストリネであればこそ、見慣れ切ってしまう番号標識だ。

「だから、さっきからどうしたんだよ…」

それが何かと判別つかない吏史は、ひたすらに戸惑って声をかける。

確かな温度差が漂うのは感じていたから、戸惑うようにも目を丸くしていた。

そしてその中で、ジルは前髪を掻きむしるようにも掻き上げる。

「…ああ、嘘だろ、嘘…っ、だったら、なら、…この状況はまずい……!」

「ジル?ジル!だから先から何がどうして――」

「此処がそうなんだよ…!」

バッと勢いよく振り返り、ジルは戦々恐々と歪めた顔ごと揺らぐ赤眼を向けた。

そして、己の気づきを荒げた声で紡ぐ。


「吏史……此処なんだよ。()()()()()()()()()だ…!この保管番号は第一区『暁』しかないものだ、間違いない…!」


吏史は息を呑む、青と金色の瞳が大きく瞠る。

ジルの言葉に疑念は持たなかった。彼女がそう判断するならば、此の終末と思わしき地は最新技術で浮遊する空中区として名高き【暁煌】第一区『暁』なのだろうと呑んだ。

「…ぁ…」

後から溢れた多大な不安に塗れた小さな母音が漏れ出る。

脳裏にはイプシロンの横顔が過っていた。

ここが第一区『暁』というならば、なら、先に向かっていたイプシロンの安否はどうなるのだろう?


「(――いや!オルドに限ってそんな、倒されたはずがない…絶対にないだろう、けど!)」


顔を横に振り不安を掻き消しながら、周囲を改めて見渡す。

深緑の苔か藻、成長促進した菌糸類により飲み込まれたような悍ましい光景を。

「ここが『暁』なら、一体何が起きてこうなったんだよ…!」

理由等は到底、何もわからない。判断がつくわけもない。

くしゃりと顔に皺が寄って大きく、歪む。

どれだけ考えても解明は難しい。吏史の知識では目の前の現象はあまりにも、難解すぎていた。


「わからない…っなんで、こんな…っくそ!!」

しかしジルも全く同じような状況だ。

彼女の立場でもこの変化経緯は判断しあぐねる。心の動揺もあって不可解な出来事を前に苛立ちを覚えるよう、目の前の壁を強く殴りつける。

「第十三区に続いて、第一区まで…!奴等の餌食になったのか…!?」

実際、やられてしまったようなものだろう。

そしてこれは、人類には到底隠しきれない前代未聞の大事件となるに違いない。

500年以上と続くアストリネの管理世界に於いて、二度目の醜態にして失態として言い逃れもつかずに確実に晒され、歴史に刻まれるだろう。

壁を殴りつけた拳が震え、手の力は強まり、深緑色が混じる鮮血が滲み流れ出ては手首まで伝った。

「……最、悪だ。これでは、多くの人が、犠牲に……っ…。煌瞑が…代表管理者になってる間に…っ」

ジルの脳裏には、間陀邏の顔がよぎる。

人を毛嫌いし興味関心を向けない二十三代目、間陀邏。

そんな彼女が代表管理者になりたがった理由はただ一つ。

ティアを集めること。使用料が高価な『エンブリオ』を継続して用いるため、ジルを長く生かすためだけ。たった、それだけだ。

一つの想いしかなかった。その一つの想いで争いを生ませ、本来ローレオンがなるべきだった立場を、勝ち取った。『旧き姓』に利用されて祭り上げるようにも着いてしまったのだ。

『それだけならやめた方がいいよ。なあ、ヤマトに頼もう。私の事は気にしなくていいから…』

『――おれにとってはそれだけの問題じゃねえんだよ!』

そう怒らせてしまい、余計に奮起させた。後ろめたい鮮明な記憶として残っている。

――ただ、そうしてなってしまったのが、問題だ。

責任の所在を求められるのは、いつどの時どの種族であろうとも象徴的存在となる。

きっと、この事件を解決したとしても後々追い詰められるのは間陀邏を利用しようとした者たちではなく、間陀邏だろう。

蛇の、尻尾切りのようなもの。押し付けられて、切り捨てられる。無責任だったことを咎められるべきだとは思うが、糾弾されて処される立場ではないだろう。もっと他にも、そうされて然るべき存在が居るはずなのに。

「っ、これも、『リプラント』による影響なら……私のせいじゃないか…!」

あの日にジルコン=ハーヴァとしての生を望まなければ、このようなことにはならなかった。嫌でもそんな考えが過ぎってしまう。

「私の、せいだ………!」

悔やむ気持ちが溢れて体が戦慄いた。

この展開自体、ジルの我儘が生んだものかもしれない。多くの犠牲も生まれなかっただろう。

元々間陀邏ではなくローレオンが代表管理者になれば、五年前の第十三区の事件も未然に防げたであろうと囁かれていたのだから。

「私が居なければ…」

深い後悔が胸中に生まれ始めて、身が震えて力が籠る。しかし先についた握り拳の傷は再生されず、幾つもの血という深緑色が混じる雫が伝い落ちていく。ズキン、と沁みるような痛みが響いた。

「…違う」

唇を噛んで強く目を瞑る直前、吏史が否定を口にする。


「違う!!ジルのせいじゃない!っそれに……まだ…人類の犠牲が出てるわけでもない……!」

掛けられた言葉に息を詰まらせて閉じ掛けた目を開きながら、ジルは吏史に振り返った。

絶望に心折れ始めて燻むジルの赤眼とは異なり、吏史の異色の双眸は希望に輝いている。


「ここに来る間に人らしき影もない。見当たらなかった。それに、オルドたちもいたんだ!きっと人類を安全な場所に避難させてくれてる。本当に本当の最悪の事態にはなってない…!」


絶望視してないのには理由があった。第十区の住民であるハントは、カミュールの焦りを感じ取って問題が起きてることと仮定しただけで大きな事件になっているとは把握していない。

つまり、未だ表立っておらず、人類にこの事態は知られてないことを示すはずだ。

「オレたちが此処でできることはまだあるはずだろ…っ第一区だってわかったなら、尚更だ…!」

最悪を考えるのではなく、前向きに捉えるべきだろうと。ジルが自責の念で押し潰されないように、生まれてこなければよかったなんて思わせないように、吏史は必死に取り持とうとした。


「だから、存在が間違えてたなんて絶対に言うな!…例えジル自身がそう思っていても、オレが……認めないからな…!」

ジルは隻眼の瞼を閉じると同時に、血塗れの手を壁からゆっくりと下ろしていく。


「……悪い。少し…動揺した」

折れかけてる場合ではないと、悟った。これ以上、吏史を不安にさせてどうするのか。

切なる想いを酌み取るようにも、ジルはうつ伏せかけていた顔を上げて赤眼を開き首肯する。


「吏史の言う通りだ。此処が第一区なら……これから先は私たちができることを探そう」


そうして方針を定めたと同時に――物事の胎動となる一石が、投じられた。



ザバ!と不審な音が周囲に響く。

突如として立ったそれは、生い茂った芝生を何かが勢いよく土ごと破り割った物音だ。

「「!」」

瞬時に吏史やジルは、反射的に音源方向に向けて振り返りながら行動した。

互いに目を据えては襲撃の兆しであると即座に判断する。

剣に槍と、それぞれの武器を素早く手にしては迎撃せん身構えた。


有るのは通路、何もない水平状の金属製の床…その筈だ。

しかし、其処は蔓延る深緑色が集約するように畝りながら人の腕で模る歪な何かが生まれ出ている。

腕の形状をしてるだけ。

指から腕全体にかけて、真っ直ぐに伸びてるわけではない。一つ一つの関節が逆方向に捻じ曲がったような状態だ。

しかしそのような状態であれ、ソレは確かな意志を持つように蠢いている。


――ゴキ、ボキ。

折れ曲がった骨を、グルンと回しながら這っていた。

生物としては至極不気味な反応で、故障した人形としてみれば実にそれらしい動きを披露しながら徐々に、少しずつ、その姿が現されていく。

腕から肩に頭部から腹部。深緑の藻か苔で構成されたような人間めいたが、緩慢な動作で成長しながらこの場に顕現せんとしていた。

「…っ!…こいつ……っ!」

ジルはソレに見覚えがある。

眉間の皺が深まって歯軋りを立てるように唇が歪む、雷槍を掴む力もが強まった。

同じではないか、飛行機に搭乗されて朝海を襲ってきたあの怪物と。

面倒なことこの上ない。間違いなく、電気耐性はあるのだろう。そうなればジルの異能は通用しない。

「面倒な……」

低く唸りながらも、同じように物理的手段で相手することを決めて目を平らに据えた。

現状は爆破物となるものは扉越しにあるものの、大量すぎて用いられないだろう。

此処は吏史と共に離脱するのが最優先だ――そこまで手段を考えてる中で。

一滴の水が水面に滴り落ちるように、ジルの未だ癒えない深緑色混じりの血が床に落ちた。


どうしようもなく、自分とは切り離せない形。『リプラント』に連なる生命だと明示する色である。


景色に広がる深緑と、同じ色。隻眼に映した途端、ジルは閃きを得てしまう。


「……………ぁ…」

震えた声を漏らして、息を呑んだ。


――『リプラント』、雷を操るアストリネたちを犠牲にして作り上げた生物兵器。

彼等の核を解体抽出し、とある大蛇と融合させて開発された人造アストリネとして造られたものだ。

無限といえる再生力は、大蛇の性質と雷による基礎代謝促進による。

深緑色という変わった色の体液をしているが、これは融合時の変異であり葉緑体を多く含んでいる性質があるからだ。


だから、この兵器にはプラントと呼称付けられているのだろう。

電気というエネルギーを提供するだけでなく、植物のような性質も備えていたものだから。再び巡り回る永久機関を指すように、REをも添えて。


そんな生物兵器の主核は、シェルアレンの指南で人の形を、ジルコン=ハーヴァとしての生を得た。

ジルという主核を損失しても巨大な蛇の兵器は完全に機能停止することはない。流れる溶液は永続する電気バッテリーの主材料として、利用されることになる。HMTの最新型の機器として世界に蔓延した。


ただ、ジルコンは知らない。

己という存在は何故造られて、どういった意図を込めて産まれたのだろうかと。

[内部からの崩壊というコンセプトで造られた兵器]であったことはシェルアレンから共有されていたが、兵器としての機能自体は明白にされていない。

そうした自己開示や分析をしないまま、アストリネとしての道を進み、思うままに謳歌して生きて……分からずじまいだった――。


しかし、その答えが今此処で、浮かんでしまったのだ。

寧ろ、第一区の危機原因が『リプラント』と仮定するならば、辿り着いて至極当然とも言える。


「ま、さか………」

答えを経て身慄いを覚えたジルには冷たい汗が溢れて、頬をなぞるように伝い落ちた。


「これら全部が……『リプラント』の……っ」


深緑の怪物の正体。

二十年間。長年蓄積された溶液から意志が生まれ出たものではないか。

かつてジルという個が形成される前、『リプラント』完成のために犠牲にされたアストリネたちの怨恨が目を覚ますかのように。

無限の電力を有するが故に一体の顕現を引き金に止まることなく、無数に産まれ出た可能性が高いのだろう。

その答えを示すように、一の具現化から次々と腕が伸びていき群衆となる。

この世に生きる全てに対し、かつて抱いた怨嗟で秩序に仇なさんと機械のバッテリーという形で培養されたものたちが、怨恨の波としてジルと吏史の前に現れていく。


「――ッ、数が……!ジル!オレが前に出る、道を開ける、だからっ!」

対抗せんと身を乗り出し駆け出そうとした吏史の前に、ジルは腕を掲げて、遮った。


「?!急に何を……っ」

「ダメだ!こいつは私の異能が効かない!痛覚もない、追い払うこと自体は可能だろうが、この数では……相手にしても疲弊するだけなんだよ!」

「っ!なら、どうするんだ?!このまま待ってるだけじゃあ……囲まれるぞ!」


これから先、襲い掛かられるのは明白だ。肌が粟立ち、悪寒ごと予感を覚えている。

相手にするなと言われてもこの地下道にも等しい空間では他のルートを探すのは難しい。地上に繋がる道自体も深緑の群衆に遮られ始めているのだから。


「ジル!もうダメだ、こうなったら相手しないと…――」

――やがて、一体の。

文字通り毛色が違う深緑の色が濃く、黒に近い怪物が一歩前に踏み出してくる。


口らしき箇所を開き、せせら笑うように笑みらしき形に歪めては――水かきめいた膜がある両手を広げ伸ばして、襲い掛かった。


「は、」

その動きは途轍もなく、速い。

翻弄されるのではない。ただ真っ向に、真正面から飛んでこられていた。瞬き一つを行った間で吏史はソレに頭を乱暴に掴まれてしまう。

「ッ……こい、つ!」

「吏史!!」

吏史が『ゴエディア』を現出しながら剣で抵抗し、ジルが異能を発揮しながら雷槍を手に持ち駆けつけようと動く。しかしジルは咄嗟に耐性高い相手であることを思い出してしまい、身と共に瞠った隻眼もが揺れた。

「(下手するとただ、吏史を巻き込んでしまうだけに…!)」

「っぁぐっ!?」

迷う最中でソレは箍外れた剛力を発揮する。剣を持つ吏史を仰向けに身を倒す。

叩きつけられた衝撃の反動まで受けた吏史は怯み、そして、剥き出しにされた喉に向かって牙を立てんとばかりに、勢いよく開いた口を近づけた。


「吏史!!」

まずい。しかし相手に雷が効かない、無駄だ。


「(あれこれ言い訳を考えるな!今すぐ吏史からアレを遠ざけなければ――!)」


そう止まりそうになる手を握りしめて、奮起する。

ジルは赤眼を煌めかせ目を鋭く据えながら雷槍を手に掴んで回す。

束ねた雷をエペという突きを主とした武器を彷彿とさせる極細形状にまで変形させた上で、投擲を行った。

白の軌跡を直線に残しながら、的確に、膂力も乗った一撃が襲撃者の頭部部分に命中する。

鋭い牙突めいた衝撃を受けたも同然が故に、吏史から強制的に退かされて、数メートルの距離をも離された。


「…っ、ジル!ごめん!ありがとう!」

「いい!!気にするな、兎に角ここは逃げ――」

しかし発言を遮るように、突如、ぐらりと、大きな地響きが起きた。

その振動は立ちあがろうとしていた吏史や立っていたジルが影響を受け、体が左右に揺れてしまう。

各々強い体幹で転倒こそ塞ぐが、突如起きた振動の正体が何かと、混乱を抱きつつも周囲を見渡した。

「っ……今度は一体なんなんだ?!」

次から次へとまるでアトラクションのように、立て続けに事象が忙しなく巡るものだから、荒げた声をあげてジルは眉間に深い皺を寄せていた。


――そして、その地響きの正体は、直ぐに現れる。

ジルが迎え撃つよう身構えるよりも速く、轟音と共に壁を突き破る形で馳せ参じた。


編まれた黒曜石を羽織るように狼めいた輪郭を持つ四本の紅玉石の爪を持つ、四足歩行の巨大なケモノが。


「…っ間陀邏……!」

「――――煌瞑…!?」

二十三代目間陀邏の顕現姿を前にして、それぞれの双眸は大きく見開き、動揺に揺れていた。


◾️


『リプラント』の溶液に飲まれるように覆われた第一区『暁』。

アストリネ住居区となる通路も例外なく深緑に染まり上がっている。

しかしそこには、一人の少女が悠々と歩んでいた。


「ふーふん。ふふふーん…」

ご機嫌を表すような鼻歌を歌いながら、少女は進む。

飾りない質素なデザインをした橙色のワンピースと足首まで伸びてしまった癖が残る栗色の髪を靡かせながら、裸足で深緑に染まった道を踏み締めていた。


「痛っ」

しかしその途中、金属でできた通路の出っ張りか何かを足で踏みつけてしまったようだ。

足裏に生じた痛みで、伸びた前髪の隙間から覗く橄欖石めいた双眸ごと顔を歪ませながら後方に引いて、その場で踏みとどまってしまう。

ジクジクと痛みで滲みる足裏を見れば、赤い鮮血が滲み出ていた。

だが、出血自体は少量のみで留まり、雫として落ちることはないが。

だとしても痛み自体は残るものなので、重いため息は小さな口から溢れていた。


「あーあ。…脱走したから仕方ないとはいえ、靴は欲しいなぁ…けど、後にしますか」

ひとまずは、と。

負った傷に構わず再度目的の場所に少女は向かおうとするが、途中、その場全体が大きく揺れた。

「…――おお」

思わず声を上げる。それは、地震めいた震動だ。

天井からはハラリと木の葉のように塗装の一部が落ちて少女の頬を撫でてもくるが、止まる理由とはなり得ない。

「……予定通りで予測通り。始まって暴れてるっぽいし、急がないと」

先に進むのを優先して、少女は深緑の床を踏み続ける。


「布石というものは早めに張ってこそ、だものねぇ」

口元に三日月を浮かべる少女の呟きは、誰にも聞き取られない。

それは正しく独り言だ。

周囲にあるのは怨恨を集わせるだけの溶液のみ。言葉の意味を理解する道理もないだろう。

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