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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
32/56

仲裁(物理)と口論

診療所の屋上では夜風が耐えずに吹き荒んでいた。

発電塔ほどの高所から舞い込む強風の激しさはないとはいえ、象牙髪も白黒髪も乱れて前の視界を不良にさせる勢いはある。


それ自体は強引に呼び招いたジルも例外ではないのだが、隻眼である彼女は苦となるアクシデントではないらしい。

瞬時に体内にある電気を興し、白雷の槍が両手に握られる。大きく円を描くように回し慣らす動きはまさに高速で、ヴォンと風を切る音が立つ。


「よーし。じゃあ二人まとめてかかってこい。私に追いついてみせろ」


意気揚々と戦闘態勢の構えとして槍を突き出すジルに、吏史は素早く片手を上げた。

「待って。待ってくれ。ジル。オレ、武器ない」

青い顔で絶句して震える朝海には長棒が握られてるが、吏史にはない。間陀邏との交戦時、空で落としたばかりである。ジルを侮れないからこそ、アンフェアな状態で手合わせはお断り願いたい…そんな思いで口実としつつ遠慮を示す。

「なるほど。武器がないから嫌だってわけかぁ」

「そう。武器がないから無…り…ぃっ!?」

そんなこともあろうかととばかりにジルは金属の塊をポイっと放り投げた。

慌てて受け取れば、それは空で落とし無くしたはずの自身の武器。ナターシャに作ってもらえた三種混合変形自在の武器だ。

この武器の名は今度確認しておこう…と思いながらもジルと武器を交互に見てしまう。

「え…っえ?は?なんで、これがここに…」

「ほら。これが吏史の武器だろ?ちゃっかりローレオンが回収してたらしい、さっき受け取っておいた。返しておくな」

それ自体は実にありがたい話ではある、が、同時に手合わせからは絶対に逃さないという意志表示でもあるため、吏史の口元は引き攣った。


「いや待ってくれ!オレに真剣を使えということか!?もしジルを傷つけ――」

「構わないな、何故なら私はアストリネ。……まだ、弟子に遅れを取られるつもりはないよ」

むしろ傷つけてみせろとばかりにジルは挑発的にも宣い笑う。

それに威圧を感じて仕方ない。

何せ舌を出しながら的確に獲物に躙り寄る蛇に追い詰められてる気分に陥る。

武器を持っているというのに――まさに子犬二匹同然。象牙色のポメラニアンと黒白斑柄の柴犬。やる気満々の肉食獣を前にして怖気付き、ジリジリと後方に下がってしまう。


「もう開始していいか?」

「あ、あのージル様…ここが私の墓場になるんですか…?」

「ふふっ。そんなわけがあるか。殺しはしない。――初めからその気なら、もう、とっくに二人まとめて首を落としてるよ」

されとて、心から怯えられたとて。そこで容赦遠慮するほど控えめ清楚殊勝な女性ではないのが、ジルである。


「今出せる分、本気の速度で打ち込む。罰も与える。私に地面に叩き落とされた際は各々思うことを正直に叫び明かすこと」

以降の返答反論は一切受け付けない。

声を上げられるよりもジルは開始の合図代わりに息を短く吐き、頸から頬にかけて蛇鱗が浮き出て赤眼を宵闇に煌めかせた。

アストリネの異能は発揮され体内巡る流電を操作し、出力先を足裏に置く。

地面を踏み締め飛び込む音すら置く、白雷の閃光を走らせる。

それは瞬間移動も当然。瞬きのうちに二人の懐に躍り出ており、雷槍を掴む手も引かれており、軌跡を刻む手前の姿を視認させた。

「!」

防御を、と咄嗟に思っても遅い。足払いを兼ねた大振りの横薙ぎが来る。

狙いは膝。打ち付けて薙ぎ払う一撃になるだろう。


「痛ぅ゛…んきゃっ!?」

出力は加減されているとはいえ、痺れる痛みは当然ある上に質量と変形する特殊電気から繰り出される撃は衝撃も与えた。

朝海は正面から倒れてしまうが、ジルは声をかけない。逃げた獲物を追う。かろうじて後方に飛び抜くことで軌道を避けた吏史を。

「っ…!」

武器を剣の形態にして構えた。1秒のタイムラグ。――それはジルにとっては大きな隙。

だが真正面からは挑まない。槍を持つ手を回り変えながら地面に突き立て、棒高跳びの要領で跳躍した。

そのように飛び越える形という大胆な方法で、吏史の背後に回り込んで、魅せる。

「―――は…!?」

背後に着地した後は、槍を大きく横に振り上げた。振り返る余裕は当然、与えない。ジルは瞬発的に二撃、雷を走らせガラ空きな背中に叩き込む。

「ッ゛…ぅ゛ぁ!」

加減した影響もあり吏史がこれだけでは倒れ伏せないのは予測済だ、吏史に立ち直られる前に、と。容赦なくトドメに蹴り上げたことで、吏史も朝海同様うつ伏せに倒れ込んでしまった。


なお、開始宣言されて約五秒の出来事である。

命を奪うならとうに首を落としているとジルは豪気していたが、強ち嘘ではないのだろう。


「はい。まず一本。各自本音を明かしてみろ」

しっかり提示条件通りに地面と熱烈なキスをしてしまった二人を視認したジルは、雷槍を携えたまま手を拱いている。


「………なんか…今……ヴァイオラと手合わせするときの速度じゃなかったか…?」

「それはそう。初めにも言ったが本気の速度は出しているつもりだぞ」

「…そっかぁ…」


答えられながらも吏史は痺れ伏せて動かない。

何故なら自分の本音は廊下で明かしたばかりだ。朝海に変わってもらって理解したいとは過度に望まないし、自分の道を行くと。

「……って」

だから本音という罰の発言に悩んでいれば、身を震わせた朝海から微かな呟きが漏れたがそれは堰の崩壊の兆しであった。


「ずるいんだってば!!吏史ばっかり!…って嫉妬されないと思ってんのかぁ!!私がずーーーーっと、ずぅーーーっと憧れてたイプシロン様にはなんか同居してて特別視されてるし!私に頑張ることを教えてくれたジル様には贔屓目に大事にされてるし!!その上なによ、あの異次元レベルの美少女様!しかもそっちに尽くす気満々!どこでナンパしてきたのさ!死んだんじゃないのかって心配してたこっちが馬鹿らしくなる、ってかなった!!」

滝が如くの勢いで激情が濯ぐ。

あまりの勢いに圧倒されて吏史は思考放棄という放流に連れ去られかけたものの、ハッと意識を戻して事なきを得たがつい、ポロリと溢れてしまう。


「え…しょうもな…」

「ハァ?」

「あ。ごめん。まさか、オレの立場を朝海に羨ましがられるなんて思わなくて。あんな良い両親に囲まれてて羨ましいのか…?嘘だろ?あんなに優しくて安否を気にしてくれてたのに。確かにオレとオルドたちの関係はいいものだろうけどさ。運が良かっただけで…」


隣の芝生が青いという奴だろうかと言い放てばカン!と甲高い音が場に流れる。

朝海は無言で棒を杖に伏せていた状態から立ち上がった音でもあった。

口元は大きく歪み、顔が凄み溢れていて激しく憤慨しているのが見てとれる。実際、かなりの挑発ではあっただろう。素の反応も相まって余計に煽りになったのやもしれない。


「いや…確かに本音を言えと指示したけど…そこまでとは…」

なお、ジルは双方に対してちょっとだけ引いたらしく、口元を手で覆い隠してしまっていた。

だが今更だ。朝海は気にしない。引かれようがどうでもいい。怒れる朝海にはスイッチが入ったも同然だ。


「ジル様。手合わせを続けてください」

「うん…?」

「いっそボコボコにする勢いで構いません。もう痛みで覚えます。体に刻みます。もう明日に響いても良い…っ!吏史の整った顔を腫れるまで続けてやります…!」

「……いや、明日に響くまではやる気はないが…」


怒り滲む申し出を受けたジルはチラリと吏史を横目に見る。朝海の憤慨を受けて疑問符を浮かべる様に、唇に指の腹を当てて歪ませる仕草交えつつ考え込む。


元々、自分は『古烬』だからという考えが根っこから染み付いてたが、カミュールとの出会いで他人への理解を振り払い始めたのだろうか。

なんとなくそんな予感はあった。ジルも彼女と交流してるから、わかること。

カミュールは過激で苛烈、目的のためなら身を削ぎ薪として焚べることも厭わない。刹那的かつ強烈な精神性に引き込まれた可能性が高い。


「兵器としては正解、だけど生きる人としては――不正解か」


共に破滅に進まれる可能性を考慮して、動くと決める。何より、これが師として与えられる最後の施しかもしれないのだから。

「よし、吏史。立て。続行だ」

ジルは唇に当てた手を下ろし、雷槍先でカンと硬い床を叩き鳴らした。


「朝海が折れるまでは本音合戦は続くぞ。いい機会だ、これが最後のつもりで全力を出せ。二人で上手く連携をして私を倒してみせろ」

「ぃ゛…っ!?嘘だろジル!オルドと組むなら兎も角、朝海とでは無理だろ!だってなんか向こうはオレごと攻撃する気満々じゃないか!?」

「いいや、私自身がど素人の自覚あるからこそ、ここでは手を抜かないだけ…!必ず殴る…!」

「ほら!こんなの、実質2VS1みたいなものだろ!」


目を吊り上げ般若めいた雰囲気を担ぐ朝海に慌てて訴える吏史の姿。子犬同士の小競り合い。まあ、到底仲がいいとは言い難いが、微笑ましい光景だ。

「ふふっ」

ジルは軽く吹き出し、隻眼の目元が緩み赤らむ。

「…二人はきっと仲良くなれるとは思うけどな。私の勘でしかないけども」

そう小さく私感を呟きながら、ひとまずは片手で吏史の服を掴み起こして立たせる。懐疑的な珍しい夏空の視線を向けてくるのに合わせて、ジルはにっこりと満面の笑みを浮かべた。


「まあまあ、ここは上限規定してから決行するよ。――じゃ、合計三十本と行こうか」

「…待。え。それってつまり二十九回は必ず叩きのめすってことじゃ…」

口元を引き攣らせて返す吏史には、胴体に向けての三撃の雷槍を奮う形で返答する。


ギィン!!

――同時に、金属音が響き、激しい火花と共に白雷が一部放散した。


「おっ」

ジルは思わず声を上げるが、その口角は喜色に吊り上がる。

「……やっぱり。吏史は私の速さにちゃんと追いついている」

今度は吏史の武器が剣形態をとっていたこともあってか、胴体に掲げる形で防御を取られていたことを心底嬉しそうに笑んでいた。


「ッ…!いや、これ、直感…というか!だから、ジルの神速の連続攻撃は全然、不意打ちだし、まだキツいんだって…――ぇ、グッ!?」

訴えは聞く耳を持たず、ジルは武器に向かって容赦ない正拳突きを咬ます。

電撃と膂力が乗った拳により、吏史は屋上の端まで風を生みながら吹き飛ばされる。

その風を受けて朝海の象牙色の髪が浮き上がり、呆気に取られて瞠目して息を呑む朝海に対し、瞬時にジルは急接近した。

「ぼーっとするな。素人だろうが戦場では無関係にやられるぞ」

蛇の瞳孔が大きく開く。この場においては仮想敵はジルであると認識すべきだ。

「敵も自分の実力も、見誤るなよ」

二兎追うものは一兎も得ない。まとめて相手できるなど思い上がらせないよう、此処で叩き込むべきだろう。

雷槍を回し、両手にしかと掴む形に変える。直線に三つ、閃光を描く。首、肺、鳩尾と容赦無く穿つ怒涛の牙突。

当然、避けられることも防御もできる道理はない。朝海には見切れるほどの動体視力は備わってないどころか、落雷が落ちる速度にも等しく、予測に近い直感的反応はまだ朝海は習得してないのだ。

「――――――…カハっ!」

受けた衝撃で咳き込み、拍子で唾液を散らしながら堪らず朝海は床に倒れ伏せた。

甲状軟骨部分の喉を強く突かれたことで、咳は繰り返されてしまう。

「ゲホ、ゲホゲホッ…ッぅ、え…」

器官からは上手く酸素を取り込めないか細い音が流れ、お腹を抑えて埋めき、うつ伏せる状態から動けず身悶えていた。

「っ、…ぅ……ぁ…っ」

飛ばされた際に後頭部を中心に全身を打ち付けられた吏史もすぐには起き上がれてない様を視認して、そこでようやく、ジルは大して乱れてもない息を吐く。


「さ。ほら、早く立て。残り二十九回。本音合戦は後に回してやる」


当然全然ジルは疲れてはないし傷も得ていない。故にこの一方的な手合わせは終わらないというスパルタ教育の通達が送られた。

朝海はヒュ、と喉を鳴らし続けながら絶望するのではなく、驚愕した。

片目を歪めたまま口元に流れた唾液を拭うことなく、背後で転がる吏史に問いかける。


「…こ、れ…吏史。っぉえ……吏史、こんな、こんな鍛錬、ずっと…受けてたの…?!」

ドブの素人であっても、わかる。この鍛錬は地獄だ。

見た目麗しきアストリネたちから直接手解きを受ける形で和気藹々とはしゃぎ楽しく踊るような優しい訓練を想像していた朝海には、大層、大きいショックを覚えるのだ。

しかもジルの物言い的に、普段回数制限は設けてないのだろう。倒れて吐いても気兼ねなく情けなしに続けた可能性まで、過って。吏史への嫉妬が過ちであることとジルやイプシロンへの憧れが恐怖に滲む感覚に血の気が引く。

そんな中、吏史は呻き震えながら起きようとしつつ答えた。


「…ま、あ…少なくとも、『古烬』殲滅用に使()()にしても、百人人間相手で圧倒できないレベルに育てないとダメだろうってことで……アストリネの三国会議で、定められたから……これ、まだ、優しい方…」

「ばっかじゃないの!?人を食べた猛獣相手でももう少し優しく手心加えられて処理されるでしょ!いくらなんでも鬼畜すぎ!倫理観終わってる!」

「あ。でもオレは別に嫌じゃなかったぞ。体動かすの楽しいし、倒れた時はちゃんと休みもらえたし、メキメキと育った感じもしたし…」

「洗脳!それ新手の洗脳!まさかとは思うけど筋肉痛を成長だと誤認してないよね?!今、あっさり寝かされてる!寝かされてますよー!?強くなったと言われても、全然説得力ないから喜ばないでくださーい!…ああもう、どうしてそう間違った方に振り切れるの!?意味わかんない!吏史は吏史でタチの悪いマゾヒストがすぎるよ!」


荒げた声は止まることなく。勢いのまま、つい、朝海は鬼だのなんだの明け透けに散々言ってしまった。――アストリネであるジルの前で。


己の発言が失礼千万だと気づいてしまった朝海は「ハァッッ…!」と息を詰まらせる。

「えっあっ。これは、すいませ…っ」

「いやいやある意味でそう思われても仕方ないから大丈夫だ。…そんなことより」

恐る恐ると、朝海が口元の涎を拭うのも忘れて見上げたジルの顔には、とても、にこやかな。屈託のない笑みが浮かんでいた。


「朝海がタフで嬉しかったな。出会った時にアピールされた自己紹介通りで安心した。確かに若さと根性、体力がある。――なら、まだやれるよな?」

怒ってはない。寧ろ、彼女は心弾ませてるのだろう。ジルは誰かを鍛えるのが好き…というより手合わせが好きなタイプなのかもしれない。

雷槍をくるくると軽快に回して弄びながら、怯え竦み萎縮して震える朝海に対し、笑みを浮かべたままでジルは告げる。


「これまで何度か稽古つけてほしいって申し出自体はあったのだけれども…。二回寝かされた程度で気絶するか『もう許してほしい』と泣いて懇願する人もアストリネも多かったんだ。その点朝海はいい。折れなかっただけで才能はある。だから、そうだな……折角だから朝海にも本気の打ち込みしてみるか」

「……ジル様待ってください」

「さ、残り二十九回頑張ろうか」

「待ってくださいぃいい!!」


まるで子犬のような鳴くような情けない悲鳴をあげながらご機嫌なジルに起こされる朝海の横目に、吏史はなんとか蹌踉めきつつも自力で起き上がった。

尚、朝海への助け舟は――出さないつもりだ。

続行すると決めたのは朝海で彼女が始めた物語である。完結させるのも朝海であって然るべき。

――けども。


「…よし、わかった。わかったよ、ジル。今日こそ…追いついてやる」

敢えて、吏史は乗った。この一方的な状況で、笑いながら。

その場を強く踏み締めながら夏色の瞳を据わらせ、両手で剣を構え持つ。

何もやられっぱなしではないられない。先に神速を判断できた応用を効かせる。此処は慣れと直感を何度も働かせて、防御を完璧にこなす。

攻撃というどう足掻こうが生まれてしまう隙を突く。

「オレがジルの速さに追いついてやるよ!」

無理かもしれない、また、苦痛を受けるやもしらないという不安や恐怖、迷いが生じることはない。

何よりも吏史はアストリネに追いつけるやもしれない挑戦への高揚が勝る。

自然と両腕には『ゴエディア』が顕現しており、夏空の瞳も淡く煌めいている。


「ああ、威勢がいいな。――凄く、悪くない…!」

そうした奮起を前にしたジルも、歓喜するよう高揚した。彼女にとって下手な誘い文句よりもよほどいい口説き文句。寧ろ戦士であればこそ、話に乗らない理由がない。

「だったら、先ずは吏史からだな!何処まで育ったから、確かめるとしよう!」

笑みを深めては鋭牙を覗かせ、煌めく赤眼を溢れんばかりに大きく瞠った。


そして、地面を蹴り上げる音が立つ。今度は師弟の間に秒差はない。

互いの懐に踏み込んだ瞬間、剣も槍も大きく振りかぶられて構えられていた。

「シッ!」

誰かが短い息を切る。同時に激しい静電気が散って、金属音がけたたましく鳴り響く。


「うっ、…わぁ…」

まるで白い花火が何度も立て続けに弾けてるような光景だ。普通の動体視力である朝海には動きがまともに見えない。光の線が走り、交差すると同時に電気が弾けている。


しかし、吏史は相変わらず押されている。攻防の末に、雷槍で薙られて地面に転がされた。

だけどもすぐに体勢を整えてからジルに立ち向かい、笑みを絶やすことなく心底楽しそうに突き進む。


「どう、だっ!ジル!追いついてきてるだろ!?」

「ああ!前よりも更に動きが冴えてるじゃないか!」

「…っ、追いかけて、いくのが精一杯だけどなぁ!」


弾む会話を聞き、胸を手の前で抑えて拳を握る。

何処までも朝海と吏史とは違うのだろう。寧ろ、同じになれるかもしれないと考えるのは御門違いだった。なら。


自分なりに、朝海も動くしかないわけだ。

そう意を決したように膝を曲げて、白雷が散る剣戟の中に向かい飛び出していく。


「――私、だってぇ!!」

助走をつけて両手で握りしめた棒の先を突き出す。狙いは吏史に完全集中してるジルの脇腹。其処を穿とうとする。

しかし所詮は素人同然の動き、交戦中で素早く身回すジルにより、ついでとばかりに槍で棒を叩き落とされてしまう。――が、そこで朝海は止まらない。

「ええい!!」

棒を叩き落とされた中で、思い切り、痺れなんか気にせずに腰に抱きつく。

「!」

力で振り切るというわずかな隙を、吏史が応えるように剣を振り上げた。

「――チッ!」

ぐるん!と剛力を発揮して朝海ごと抱えながら回るが、その際に片足を上げての回し蹴りを披露しては吏史の剣を弾く。

「ッ、!く…ッ」

「ぁ…くそッ!」

吏史は衝撃に耐える声を漏らし、ジルは悪態を吐いた。これ自体がかなり強引な一手でもあり、其処まで大きな膂力は乗っていない。

当然離せた距離も正拳突きの時と違い其処まで遠くならなかったのだ。

眉間に皺を寄せたジルは体勢を立て直そうと、朝海ごと後方に飛ぶ。

「おい!朝海、何を!こんな捨て身な行動を取って…!」

「っ、ジル様が言ったんですよ……」

呻きが漏れる。体には電流が流れ、ひどく痺れた。帯電状態で象牙色の髪も経っていたが、それでも朝海はジルを離さない。


「二人同時にかかってこいって!言いましたからね!全力でやれることやってるだけです!!」

「勇猛と無謀を履き違えるなよ!己の良さを殺すな!真っ直ぐ素直に、立ち向かえ!」

噛み付くように声を張り上げたのだが、――赤子を捻るように容赦なく、あっさりと。ジルに片手だけで拘束を剥がされてしまい、地面に転がされた。


「…ハァ。今ので相当痺れただろうし、ここで休んでろ。せめて私の動きを目を慣れてくれ。槍と棒は扱いがかなり近いからな、見稽古だけでもきっと意味があるさ」

そうして吏史との交戦に戻るのを痺れで伏せてしまった姿勢で見届ける。

しかし、ぐぐ…と下唇を噛みながら起きようと試みた。

梅色の目には辛酸と苦渋の涙が滲んでいても、それでも朝海には失意の諦念より、悔しさが勝る。


「…私も、私も、体で覚えてやりますから…っ」


ずびっと鼻を啜ってから気合いと根性で奮起した朝海は立つ。

そして転がった己の武器たる棒を拾い、萎縮することなく次元違いの剣戟を展開し、絶えず白雷が放散する中に再び飛び込む。

今度は言われた通りにした。身を捨てるような特攻突撃を行うのではなく、立ち向かう。型も何もない未熟で粗が多い振り下ろしだ。真っ直ぐと上げた両腕ごと袈裟懸けに振り下ろす。

それを、ジルには振り返られることもなく気配だけで察知されてしまい難なく遮られてしまったものの――。


「…いい根性だ!」

その赤色の蛇目は奮起に当てられたように高揚で大きく開き、称賛を紡いだ口元は歓喜に歪んでいた。



そうして。

宣言通り二十九回。ジルにしっかりと寝かされる形で電流を受け続けた二人の身体は、ひどく痺れて切ってしまった。

最早全身麻痺したような状態で、朝海も吏史も並んでの仰向け寝を余儀なくされている。


傾く月と満点の星々を見上げながら、朝海から沈黙を破った。


「結局、ジル様に傷一つもつけられなかったじゃない。私が特攻したのに」

「……なぁ。めちゃくちゃ、強いだろ。ジル」

「え、…まあ、うん。動き真似できる気しない。早すぎ」

「ジルってさ。六主を超えるか並ぶ実力なんだ。ジルがすごいんだよ」


明らかな自慢だ。しかし、自分はこの凄い奴の師匠だと偉そうにステータスとして振る舞うのではなく、あくまで誇らしいのはジルだと評価するような物言い。

そう悪意も何もなく笑う吏史に、朝海は瞼を閉じる。散々打ち負けて転げ汚れた腕で目元を覆い隠す。


「…………私さ。わかってるの。今日の行動だってそう。吏史はジル様のために起こしたことで、多分、私でも同じ選択したってこと。ジル様を助けるために、クモガタ様を討ったと思う。だから、間違えてない……」

感情の噴出に堪えるよう一度口を噤ませたが、直ぐに開きながら否定し傷つけてしまったことを詫びるようにも同調を言葉にした。

「でも。それは私《朝海》にできないじゃん。私は透羽吏史みたいにできないのが。……悔しい。『古烬』とか色々あっても、辛い人生があっての強さだとわかってるつもりだけど。困難を打破できて前に進められるその力が凄く、………羨ましい」

違いを思い知ったかのようにも、朝海は声帯を動かし続ける。己の内に秘めたものを吐露していく。


「私が世界の中心じゃないのはわかってるつもり。アストリネ様においては取るにならない。凄くちっぽけな存在」

全ての人間が思い知ってることだ。異能の前では人は畏怖を覚えるしかない。

「…世界の見方が変わるようなことが起きたけど、この認識は変わらないの」

人間は矮小な存在。どれだけ憧れを注ぎ、一部の悪いことを知ったとて。……彼らの努力と覚悟に並び立てるなんて道理はないだろう。


「だけど、どうしても……夢を見る。なれたら…良いなって。せめて……近くに居ても恥ずかしくない誇れる自分になりたい」

だけどそれで夢を捨て切れるほど。朝海は割り切れる性格でもなく、達観できるほど聞き分けよれば要領もあまりいい方ではなかったのだ。

「それで、吏史に見せつけられた。胸を張ってアストリネ様と対等に並べられる。それをありありと見せられたから……羨ましくて妬ましくて、ぐちゃぐちゃでまとまらない気持ちで頑張ろうとしたの。ジル様に無理やりお願いして、我儘言って着いて行こうとして。そこで頑張れって期待されたこと…凄く嬉しかった」

「…そっか」

「そう。でも。今日、ずっと怖い目に遭い続けてばかりだった。……全然何もできなくてジル様に迷惑ばかり。…お荷物だった。守ることじゃなくて傷つけるだけしかできてない」


そんな自分に嫌気がさして、嫌いになるようなことをしたと自覚して。

じんわりと、朝海の閉じた瞼の裏が潤む。

嗚咽だけは絶対に漏らすまいとギュッと唇をつぐんで耐えて、何度か息を喘ぐように繰り返して落ち着かせてから何とか吐いた。


「…ごめん。っごめん。人でなしとか、化け物とか言って、本当にごめん。カリカリしてた。イライラしてたの、ぶつけた。私、ここに来てからずっと。ずっと、大変ばっかりだから。…信じられないって荒れて、八つ当たりして…ごめんなさい……」

それだけではダメだ。伝えきれてないという自覚がある。まだ、感情という蓋で遮られ、詰まりそうになりつつも紡ぐ。


「助けてくれて、ありがと。………ジル様から聞いてはいたけど。……ちゃんと無事で良かった」

こういう時は、と吏史は考えた。

きっと、ここでやたらめったら声をかけるべきではないかもしれない。

吏史自身も手合わせで疲れてしまっていたし、長丁場となる会話は朝海もしたくないだろう。

それに朝海が抱えた複雑な思いは解消したわけではないし、これからも向き合っていくものだ。解決策は朝海が模索するものでどう進むかも彼女が決めること。

吏史は朝海の立場で置き換えてから考え込み、あと白銀の流星のようなアストリネになりたいと願った幼き自分の夢を思い出しながら、――理解した。


だから夜を照らし続ける星を見上げて、吏史は本心を呟く。


「うん。オレも朝海が無事で良かった」


送る言葉はこれだけ。相槌のような一言で十分だろう。夢を捨てたわけじゃないのだから、尚更だ。


……朝海からの返事はない。代わりに小さく頷くように、嚥下するような微かな音がした。


白黒髪が、夜風に靡いていく。

目にかかるほど伸びた前髪は柳のように揺れていて、見上げる星光が遮られた。

邪魔…ではあるのだが、疲弊し切った体には冷気を帯びる風が心地いい。安堵を覚えさせ、簡単に力が抜毛ていく。


深呼吸を繰り返した。――そこで、今更。ようやく。散々冴えていた意識に眠りが訪れたのだろう。

瞼が重く、降りた。

だけども流石に此処では寝ていられないから、現実に縋りつこうと目を薄めて睨んでしまう。

「お疲れ様」

そこに、白絹髪の隙間から赤眼を覗かせたジルが労りの言葉を投げていた。

姿勢を屈ませて吏史の顔を覗き込んでいる。吏史は指先を動かすのすら億劫で疲れ切ったというのに、彼女の顔には疲労感なんて感じさせてないものだから、唇を噤む。

ジルがアストリネの中でも一等、頭ひとつ抜けた存在だというのは五年間で分かり切っていたつもりだが――やはり、アストリネは遠い存在だ。そう改めて思わされて仕方ない。


「二人とも乱暴にしてごめんな。こういう形でしか…私は介入できそうになくって。でも手合わせてわかったよ。朝海は心身がタフだから棒術がこなれ始めてるし、吏史は動きに無駄がなくなっていたな。……後三年したらオルドは越えられるんじゃないか?」

だけど、困った表情を浮かべて頭を撫でる手つきは慈しみが籠りとても暖かくて優しいものだ。

その所作に絆されたのか。水滴をひとつ、落とすように朝海は口開く。


「…いえ、イプシロン様には、心読まれて…終わりな気がしますが…」

「あー……まずいな、それがあった。オルドは心読むの禁止にしないと。あれはズルだろ。対人において凶悪すぎる。ヴァイオラも銃は禁止だな。柔の体術が私以上に秀でてるんだから無しが丁度いい」

「私はジル様で十分です…。イプシロン様は私は緊張してダメダメになりますし、顔合わせてもないアストリネ様にご指導いただくのはちょっと、萎縮します…」

「そうか。残念」


そうした会話を交えては、朝海は目を覆う腕を下ろす。

「ジル様…よければ、なんですが。私の気持ち。聞いてくれますか」

一度瞼を閉じて開いた後に沈黙し、朝海の発言の続きを待つ形でジルは了承した。

そして、朝海は明瞭に輝く月を見上げる。その梅瞳に月を映しながら手を伸ばす。

指と指の隙間に映る、決して届かぬ浮かぶ月。手を捻り、端に入るのは梅色でも色褪せぬ赤眼だ。

白雷が如くの存在を暫し見つめ、唇をわずかに開いては動かす。


「私は…憧れは遠くて、超えられなくてもいいから。近くにいても知らない誰かに笑われない存在に、頑張ってなります…」

「うん。そう。それはいい目標。方針、決まったようで良かったよ」

誓ったけれど。これの想いは未来で笑うために頑張ることを教えてくれた時点で定まっていた。

だから、単にそう思わせてくれた存在に改めて誓ったも同然だけども朝海は明かさない。聞いてくれるだけで十分だ。


「……ありがとうございます。吏史にはずっと嫉妬し続けそうだけど、頑張り、ますよ…」

伝え切って満足したのだろうか。再び朝海は目元を掲げていた手で覆い隠す。

そのままスゥと、意識に夜の帷がおり切ったようにも小さな息を漏らし、次第に規則正しい寝息に変化していった。


「最近の子は素直だな」

「単純に、朝海がそうなだけが、気がしないでもないかも」

感想の返しを受けて目を瞬かせるジルに対し、吏史が続ける。

「それが朝海のいいところで、悪いところ、じゃないかな」

良くも悪くも正直で素直なのは朝海の性格だろう。率直でもあり愚直。自分の力が不足していて足手纏いになっても心折って武器を投げることなく掴み、届かぬ夢を追うことも辞めきれない所も含めて、やはり、似ているなと吏史は思う。

「そういうところがオレは気に入ってる。『平定の狩者』に朝海を選んで正解だったよ。ジルの思う通りに強くなれると思うし、……最後まで、逃げずに諦めないと思うから」

高く評価をしている吏史に、ジルはフゥンと意地悪い調子で揶揄った。

「気になる女の子、迎えられて嬉しいか?」

「えっ、は?!違う!そんな話じゃ…っ」

慌てふためき声を上げて体を起こしそうなところを、額を小突かれて止められる。

「冗談冗談。慌てすぎ。勿論、そんな話じゃないってわかってる」


不服そうにも唇を尖らせて押し黙る吏史を横目に、ジルは寝入ってしまった朝海を撫でる手を下ろす。

「自分に近しい友達がほしくて、それが朝海だった話だろ。わかってるよ」

意図は理解できてると呟いてから、ジルは吏史の頬の汚れを指先で拭う。


「五年間ずっと見てきたから。吏史のことはわかってるつもり」

「…そういう揶揄いは好きじゃない」

「知っててやってたところはある。この類の戯れ自体、嫌いじゃないことは知ってるから」


頬も突っつかれながらに言われて押し黙りながら不貞腐れはした。面白くないとは思う。だけど、吏史は否定をしない。

こういう交流は遠い存在が近くにいるように感じさせるから、なくなってほしくないものだ。


「私も全然嫌いじゃないんだ。やりすぎてたら、ごめんな」

「……ううん。大丈夫。全然。このくらいなら平気だよ」

「そっか」


風は吹く。ジルの白絹の髪を舞い上がらせて、片目全体を覆い隠す前髪の下には閉じた片目を中心に何かに抉られたような傷跡が見えていた。

「………」

それには何も言うことなく暫く黙って見続けていれば、吏史はジルから提案を受ける。


「…吏史、このまま寝てもいい。手合わせで散々叩き伏せた詫びだ。私が病室まで運んでおくさ」


そんな申し出を受けて、酷く安心した。なら、何も問題は無い。あとのことはジルに任せて此処で眠気に従い寝入ってもいいだろう。

眠らないようにと気張っていた神経を緩和するように何度か深呼吸を繰り返して、瞼を下そうとする。


「…―――ジル……楽しそう、だ」

だけど、眠りにつく間際。

あまりに穏やかに笑っているものだから、吏史は声を何とか紡ぐ。綻ぶ笑みの意を尋ねればジルの目元は赤らんでいた。


「うん。それはもちろん。私はな、――吏史に会ってからずっと楽しいんだよ。楽しくて仕方ない。弟子になんだかんだ、憧れてて。オルドに紹介されて会えたことが凄く嬉しい」


噛み締めてるのか、感じてるのやもしれない。ずっと楽しかった五年間の集大成、その余韻を。

「吏史は、私よりもずっと強くなって遠くに飛んでいく」

手合わせを経てジルが覚えたのは期待ではなく、未来の確信で予測だ。

「それが誇らしいんだ。私の弟子が吏史で、本当によかった」

教え子に超えられることへの寂しさはなく、虚心坦懐たる晴れやかな心境を語った。

――しかし、妙なさざめきが胸に生まれる。

喜ばしい賞賛の嵐だというのにどうしても予感した。ほんのズレを、違和感を抱いてしまったのだ。

「ジル、…何が、どうしたんだ?」

後に投げた問いは、眠気に揺れず滑舌良く明瞭なもので。

ジルは、喜色で頬を綻ばせた曇りなき笑顔を浮かべるばかりだ。


「安心した。これでいなくなっても大丈夫だって」

「…――え?」


それは一体。どういう意味だろうか。

「待っ、…ジル、それは…」

疑問を孕む母音を溢し、言葉の意を尋ねたくてもそれ以上は紡げない。疲れた体は発言すら億劫だった。


今の吏史は漸く重くなった瞼に従い、深き眠りにつくしかないのだろう。

「――……あした、……」

明日、必ず聞かねばならない。

そう心に決めた後の一呼吸を経た吏史は抗いがたい睡魔の誘い飲まれしまい、意識を落とすしかなかった。






深夜が深まる診療所病室前の通路は宵闇に飲まれており人の気配もない。ローレオンの手引きで出払っていた。


だが、宵闇でも映える金色の隼が窓際で佇んでいる。


隼――もとい、夜通しの見張りを担うイプシロンは腕を組みながら星浮かぶ翡翠瞳を据えて、窓外に異常がないかと眺めて続けていた。


「心は読んでいるのだろう?――それでもきみは、私を止めないのか」

意思あるもの全てを読み解く瞳。星を秘める翡翠の視界に映らぬような位置……背後にて。ローレオンが声をかける。

「止めてほしいのか?」

「いいや。できれば、何もしないでほしい」

返事は返されるが、イプシロンの瞳は動かない。振り返ることもなく直立不動の姿勢で、目の前の窓硝子に淡く映る臆病者を見据えるだけだ。


「心は読んでいたよ、ずっと前から。だけど俺が何度忠告を送ろうとも彼女が俺に動くことを望まなかったんだ。君が吏史()()悪意がないからいい。……そんな判断で」

とうに見破っていても危害が及びかねない者が許す以上、イプシロンは動けないのだと明かせば、ローレオンから重いため息が溢れる。


「…拍子抜けだよ。彼女の十五年前の願いまで果たしたきみが、私の一番の障害になると思っていた」

「ハッ。何を語るのかと思えば……俺につまらない与太話でもしに来たのか?」

そう告げるローレオンにイプシロンは肩を揺らし鼻で笑う。

「先も言ったが、俺は他ならぬ彼女に動かないことを望まれたから、そうしてるだけだ」

障害も何も、イプシロンはずっとジルを尊重してるだけだ。勇敢な戦友の決意を汚し鈍らせる、そんな侮辱的行為には出ないだけで。


「だから今、君が無事なのは皮肉なことにジルのおかげだろうよ。――親友、だからな。頼まれるのなら君を壊していたさ」

翡翠瞳を細めて、イプシロンはローレオンに緩やかな所作で振り返る。臙脂色が咲く金糸の隙間から覗く翠瞳は暗中でも煌めいていた。

「…管界の六主の一を壊すのか?」

「――二十五代目エファムが欠けても世界は回り巡る。なら、ローレオン程度いなくなっても何も支障はないだろう?」

「………そうか、やるのか。イプシロン」

不穏な煌めきとともに放たれた発言が、空気が張り詰める。

――ここで仲違い、決裂し、争うというのか。

予感と危機を覚え警戒を高めたローレオンを中心として火の粉が舞う。徐々に火力が増して服の一部を焦がしながら馬の鬣を産み始める。そこから噴く熱風は、イプシロンの肌を撫でて金糸を浮き上がらせた。

「私はここできみと争うことも辞さないがね」

指で掛け直されたモノクルから覗くローレオンの煌めく精悍な榛色瞳は、冷酷にも平らに据える。


「アストリネの処刑者。そう綽名が付くべき異能を備えるきみ相手では此方が不利だろう。何せあの『陽黒』を超えた実績もある。きっと数分とも持たないが……私にも譲れぬものがあるでな」

不利でも武力行使で応じることも辞さないローレオンの剣呑さに、イプシロンはゆっくりと瞼を閉じては再び目線を窓外に向き直す。


「冗談だよ。俺は何もしないさ」

「……何だと?」

呆気に取られたように、ローレオンから上がる炎は掻き消えていた。

熱も一気に落ち着いていく中で、イプシロンは水滴を落とすように事実のみを淡々とつぶやく。


「俺はあくまで【ルド】に配属されるアストリネだ。他国に大きな干渉はできない。――残念だが、今の君を徹底して糾弾し邪魔立てできるのは、間陀邏くらいだろう」

「………。意外だ」

「そうか。まあ、そうなんだろうな。わざわざ『門』の制御を奪ってまでして『平定の狩者』から俺かディーケのいずれかの訪問を嫌ったのに強引に到着した俺が、何もしないと明示するのが意外な筈だ」


何もかもお見通しだ。心を読んだから、事の真相をも読んでいる。だけどイプシロンは不動の傍観者を貫くと宣うものだから、ローレオンは彼が不気味で仕方ない。

だけど、それは主張通りジルにもローレオンの思惑は露呈していて……それでも構わずに進むと彼女が決めているからに他ならないのだと伝わってしまうものだから。

ここで己も引いてはならないという後押しを受けた心地になってしまうのだ。


「…ならば、私も止まらない。狼煙をあげたのは私だ。全て、私の手で終わらせるとしよう」

ローレオンはイプシロンの背に向けて決起を言い放ち、対話を終えたことを示すよう身を翻す。

「では数刻後に。先ずはきみを第一区『暁』に送り届けよう。……吏史を殺そうとする間陀邏を阻む壁に徹してほしくはあるからな」

その跡をイプシロンは追いかけずに佇むだけだ。関心を向けることは決してない。

「おい」

但し、去り際に一言だけ。吐き捨てるようにも投げつけた。


「俺に処刑者とかいう大袈裟で恥ずかしい綽名をつけるな。次、これを宣うようならお望み通り君の[核]を捻じ曲げるぞ」

「………それは大変失礼した。繰り返さぬよう、留意しておくとも」

カツンと何度も。ローレオンから立つ重い足音が聞こえ、遠のいていく。

完全に聞こえなくなる間際で、窓外の第七区『爛』の絶えずに輝く夜景を映しながらイプシロンはある声を鮮明に思い出す。


『こっちには早く来ないでくれよ』


後の全てを此方に託すよう懇願された、らしくもなく弱々しい声色を放ち顔を両手で覆い俯く彼女。

もう処置の限界を悟り、終わりを覚悟してる意思が走馬灯のようにも流れ浮かんで、イプシロンは無意識に呟く。


「なあ、ジル。気づいてるのか。君が大事にしてる吏史は君が必要だということに」


しかし願い夢見て努力しても、物事は上手く運ばれないのだろう。

この世は夢を叶い掴められることはごく稀で、多くが敗れて、壊れゆく。総じて例外はなく平等的に。

人でも『古烬』でもアストリネでも、そう。あのエファムですら。


『君は私にとって最後の――』


不意に未だ鮮明に輝く永遠の夜空が眩く広がる。イプシロンは瞬時にかき消すようにも窓ガラスに額をぶつけ凭れて、少し下に体勢がズレてしまいながら目を伏せる。


「…残酷だよ」

痛感したイプシロンは深い溜息を吐く。

それは未だ夜明け訪れぬ鬱屈した闇中に溶け込ませるにはあまりにも重苦しい。溶けた鉛のような吐露だった。

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