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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
30/56

歌劇のような登場

刹那。

ジルが抵抗手段に出るよりも、思惑に反してクモガタがジルに二本の前足を伸ばすよりも先に、空気が、一瞬にして場が凍りつく。

屋外に居ながら吹き荒ぶ風が止み、無風になったと思わしい空間変化にして奇妙で異質な感覚。

それはその場に居た意識ある全てが覚えるが、未知に邂逅した者達は思考をも回せなくなってしまう。まるで自らの肉体の操作権を失ったかのように、各々が、狂気に沈んでいたクモガタですら、本能に支配されて硬直していた。

「――ッハ!」

が、ジルだけは僅かな動転だけを経てすぐに息を呑み意識の主導権を己に戻す。

隻眼を何度も瞬かせて、詰まりかけた息を飲みながら周囲を見張る。

そうして反射的にバッと顔を上げてはクモガタを見上げた、そこから直感を得ていた。


――この異常を生み出す主はクモガタの背後にある!


()()!?」

問いかけるようにもジルが声を上げた瞬間、一閃。

クモガタに藍白の光が走る。

走った閃光は太刀筋によるものらしい。

ジルの目の前で描かれた軌道通り、クモガタの身体は胴から斜め右頬にかけて真っ二つ。

その存在そのものを拒絶するように、硬質化された皮膚や体毛筋肉骨ごと他愛無くも鎧袖一触の一撃にて、身を切り裂かれてしまっていた。


そう。その、たった一撃で。勝敗が決してしまうのだ。


「――――――ヒュッ……!」

気道まで裂かれたクモガタの苦痛の悲鳴は上がらない。肺から零れた微かな空気音のみで崩れていく。

「ッ、!」

ジルはそのまま正面にいた事もあり、クモガタから血飛沫をも浴びてしまう。

絹白の髪や白磁の頬が鮮血に濡れてしまったが、目は瞑らなかった。

赤眼を細めて、この所業を行なった存在を見ようと動く。

ずるりと床に崩れた体を倒して最早再生も成せてないクモガタには目もくれない。身が消えてないのだから大きな問題はないのだから、ジルは今、アストリネを容赦なく切り裂いた存在を視認しようと警戒するよう顔を歪めて見渡した。


そしてその人物が、彼女の赤眼に映る。

「―――――」

視野にいたその存在を理解した瞬間、心からの驚愕と動揺を露わにするように、ジルは大きく息を呑んだ。


「吏史?」

茫然とした調子で名前を呼んで以降、ジルは言葉に詰まる。


吏史が扱う黒骨の手甲『ゴエディア』が肩にまで拡がり、肩当てまで形成する甲冑として変化していたからだ。

その上、手首から肘に掛けて連ねた刃が編み出され、更にこの世のものと思えぬ藍白の炎が昇り巡らせている。炎は物事そのものを断絶する意思を持つように、一太刀の形を成していた。

おそらくその炎と思わしきもの纏う刃にて、クモガタを拒絶するよう断ち切り払ったのだろう。そう、想像がつく。


「…ジル?…ジル!」

今し方行った行為への罪悪感等は無い様子で、吏史はジルに駆け寄った。

パシャ、とクモガタから流れ溜まり生まれた血の池を無遠慮に踏み超えながら、己が赤に汚れることも構わずにひどく不安そうな子犬めいた顔を浮かべたまま近づく。

先ほどクモガタから傷つけられたはずの腹部の傷がない状態までもが見えてしまって、ジルの両肩が跳ねるように揺れた。

「怪我とかは、ないか?あ、その前にこの糸をどうにかしないと…これならすぐに切れるかな」

「吏、史……おまえ……」

搾り出すように名前を呼ぶ。

異常が起きてることについてどう、声をかけるべきかを迷う中で、吏史の手で蜘蛛糸が切られた。ようやく解放されたが、両腕は愚か全身に力が入らない。

「吏史、おまえ」

「よかった、大丈夫そうで。ジルを助けられたみたいで、よかった」

その本心と思わしい言葉まで掛けられながら安堵したように、笑われて。ジルは瞳孔を開き狼狽した赤眼が顔を苦渋に、顰めてしまう。

「……――そう、だな」

歯を食いしばるように呻き、目を伏せて。吏史の手を重ねるようにとってやることしかできない。

アストリネに手をかけたことを叱るなんて、ジルにはできそうになかった。

「ああ。…助かったよ、ありがとうな、吏史……」

代わりに、礼を告げるだけだ。

吏史としてはジルを救うために起こしたのだろうから、その思いを踏み躙らないようにした。

責があるのならば、恐らくは『古烬』に何も与えない方針を定めた者達や、――それを変え切れなかった自分たちにあるのだから。

それがあるのに吏史を責め立てる行為は、お門違いだ、八つ当たりと相違ない。


しかし、そんなジルの苦悩はいざ知らず。


「――――なに。それ…なに?」


吏史の過去もアストリネの特徴も深く知らない者は狼狽する。目の前で起きた現象を、ありのまま素直に受け止めてしまい――。


「は?なんなの、なにそれ。今、………ッ」

蜘蛛糸で片腕を覆われたまま、朝海は梅色の双眸を瞠り茫然と口を開けて困惑した。


クモガタは再生することもなく倒れ伏せてしまい、全く動かない。最早、骸同然だ。死体も、同様。


二十八代目クモガタにして人に平穏を与えるアストリネ。尊き存在たる者が突如姿を変貌させた同僚により断ち切られて、今や肉塊同様の状態で倒れ伏せてしまいぴくりとも動くことなく、絶えている。


「ぁ……」

凄まじい量となる情報を遅れて飲み込んで、朝海の喉からはヒュッと風が途切れる音が鳴り、息を詰まらせた。


「……、……し、信じらんない。何してんの」


精神許容の限界を、朝海は迎えたのだろう。

立て続けに理解し難いものたちに襲われ続けた。間陀邏や緑藻の怪物、クモガタの暴走に吏史の進化と暴虐。

何度も命の危機に瀕したも同然だ。

立て続けに心身ともに追い詰められて、トドメに誰かの死を、目撃した。

いくら硬度高いのが長所としても、叩き過ぎればものは形を保てない。運良く形を保ったとしても、ひび割れたら溜まり込んだ中身が漏れ出てしまうものだ。

「人でなし…」

当然、朝海はオブラートで包み発言を慎むことはできない。

精神《正気》という壁が大きく損ないひび割れたのも大きな要因だが、残念ながら朝海は良くも悪くも実直な――アストリネに管理された世界に生き慣れた人間でもあったからだ。

だから紡いでしまう。


「人でなしの、化け物じゃない」

アストリネに手を掛けた吏史に対して言葉という石を投擲するように、静寂を破りながら特定の心を刺す様な、声を。


「―――え?」

しかしその特定の人物である吏史は、事の深刻さを理解しておらず、無知を現すような反応で返してしまう。

「ッッ」

そんなふざけたような反応に怒りが湧いて朝海は紅潮させて戦慄く。


「ッ、な……何、何?!その反応!吏史、今、自分が何したのかわかってないの!?」

「い、…いや、だけど。そもそもアストリネは…」

死を残せない種族である。彼等が死ぬ時はこの世に骸は残らない。だからクモガタはまだ生きてるはずだ。

「――――あ」

だが、それを知らぬであろう朝海に対し開示していいのかと躊躇いが生まれてしまう。

「あ、ああ。いや、…違…」

吏史は焦り慌てるよう手を振りながら、話題を切り替えて訴えた。

「というか、オレはジルを助けるために…こうしなきゃ……ジルが危なかっただろ…?カミュールも、朝海だって助けるために……」

「はぁ?!な、ん…やめてよ!やめて、私を言い訳にしないでよ!吏史が勝手にやって、アストリネ様を、こ、ころして……とんでもないことをしたのに!自分を正当化する材料に私を使わないで!考えなしにしたことでしょ!!」


しかし、その判断は墓穴である。朝海は顔を横にかぶり振り、取り乱し始めた。

半狂乱になる寸前だ。何せ、幾ら吏史が助けたつもりであろうとも、行った行為そのものが問題なのだ、朝海は決して許容できない。

価値観が違う彼女にとって、×す行為は最も嫌悪されるべきもの。

それがたとえ直前で害をなしていた相手だとしてもアストリネは総じて敬愛し尊重すべく相手、×すなんて絶対にありえない。


故に、朝海は癇癪じみた糾弾が止まらなかった。


「どうしてくれんのよ!これで…こんなことをしちゃったら、私たち大罪人じゃない!何も、此処までしなくてもよかったのに!最低………最低、最低…さいってい!!」

自由な方の手で頭を掻きむしって、象牙色の髪を乱す。

「なんで、考えなしにこんなことをしたのよ!」

これまでとは違い、確実に保身が効かないであろう危うい立場に追い込まれたという妄想が彼女の動転を加速させる。

「……オレは」

犯した罪の自覚がなく、眉尻を下げて戸惑うばかりの吏史にも。

「待て、朝海。それ以上は、」

仲裁に入ろうと手を伸ばすジルの動作すら、朝海を更に乱し神経を逆撫でさせて激昂させるには十分なものだ。


――イプシロンだけでなくジルにも大事にされて庇われて、自分が犠牲になってもいいという立ち振る舞いを晒しながら犯してはならぬ領域を呆気なく超えるという不気味さが、一層。朝海にとっては先の狂い始めてたクモガタよりも、余程。


理解し難く、悍ましい。


「……ッ本当、信じらんない…ッ」

怖かった朝海は下唇を血が滲むほど噛み、直ぐに大口を開けて、吐き捨てる。


「…ッ、どうしてくれんのよ!どう責任取るのよ!全部、滅茶苦茶じゃない!!化け物!おまえなんか生きていなければよかった!」


吏史への妬み辛みに恨みというドロドロとした真っ黒の泥濘めいた感情を孕んだ明確な拒絶。

しかしこれだけぶつけられるだけの唾棄すべき行為を行ったのだと突きつけるような、非常に激しい罵声だった。


意識を残し、やりとりを聞いていた男も戸惑いを覚えている。最後に残った彼は己が立場を弁えてるのだろうかはっきりとした誹謗中傷は行わない。

「……確かに、化け物ではあるな……」

だが、朝海に同調するような調子で忍び声で呟いたのに対し、ジルが鋭く睨みつける。


「やめろっ!朝海も言い過ぎだ、お前は口を閉ざせ!そもそもこの子は人間だ、れっきとした――」

「『古烬』では、…あるじゃないですか」

毒を持つ蛇のような鋭い歯を開き見せるジルに対し、朝海が顰め面で主張した。


「『古烬』は人間に分類されない敵、なんですよね。これって、アストリネ様たちが決めたことではないんですか」


そうして、一帯の空気が凍りつき、重苦しくなる中で。


――カミュールだけは、冷徹を保っていた。

吏史から目を逸らすことはせず、大きな藍白瞳に映す。たった一撃でアストリネの一族を伏せさせるという巨大な力の片鱗を見せた吏史を見つめていた。


「………サージュ=ヴァイスハイト…」


そして、微かに。

最早この世のどこにもいない、その名前。かつて世に大きな貢献を遺して去って逝った者を紡ぐ。


決して届くこともない無駄で無意味な問いだと自覚しながらも、カミュールは誰の鼓膜も揺らさないひそやかな声で呟いた。


「これが、貴方が全てを捨ててまで育てたかった『ゴエディア』なんですね」


呟きの後に、カミュールは視線だけ動かして辺りを見直す。


朝海な表情はまだ険しい。未だ非難するよう吏史を鋭く睨み、唇を噛んで未だ波引かぬ激情に震えている。

武装した男は三人の味方がダウンしたことに加えて吏史が呆気なく鎮圧したため、完全に戦意喪失を果たしていた。しかし、投降の意を全面に出すのでらなく、吏史を奇怪な目を防護グラス越しに見続けてるばかり。

流石にジルも今回ばかりは、相当困り果ててるらしい。彼女は迷っている。


「…なぁ、ジル。オレ…何か間違えたのか?」

人でなし、化け物と罵られてしまったのはかなり、堪えたのだろう。吏史は口を僅かに開けたままジルに答えを求めていた。

そんな吏史にかけるべき言葉《正解》は何か、ジルは悩ましげに眉を顰めては沈黙し、慎重かつ真剣に悩むばかりだ。


それ故に屋外ながら途轍もなく硬い空気に満ちていたため、カミュールを息を吐く。


「これ、お借りしますね」

「…え?あっ」

蜘蛛糸が絡む足を動かしてカミュールは男の元に辿り着き、容赦無く警棒を奪う。

迷いなくまだ完全に潰えていないクモガタの方に向かい、正面に立つ。

ある行動を起こそうと警棒を回し両手でしっかりと持ち直しては頭上まで真っ直ぐと上げた………が。

そこからカミュールが動くよりも、先に。


場に満ちる鉛のような空気を一掃するが如く、重い金属音が鳴った。


「待て。これ以上彼を責めなくていい」


音の方向を意識ある者達が総じて見れば、そこには肩に翡翠瞳の金色の小鳥を携えるが、厳しい印象を与える男性が佇んでいる。

灰色調の礼服を纏い、紺色のストールを肩にかけた服装の二メートル以上という恵まれた体躯をした男性だった。


おそらく、先の重低音は彼自身の重量から鳴った音だ。床を踏み締めたことで鳴ったのだろう。

その答えを示すようにも彼が歩み近づく度に、金属床と革靴の間からは重音が立っていた。


「そしてきみ達は吏史を非難する必要もない」

四十後半であろうと思わしい外見をした彼は、金色フレームの片眼鏡のずれを片手で直し、後に黒と灰色の二色が交わるツーブロックヘアーを手直した後は榛色瞳でその場に居た全員を見据える。


彼に重量という剛力に恵まれてることが明らかだ。力でも逆らえないであろうことは予期できるが…。

そもそも前提として、【暁煌】に属するのであれば彼は馴染む深い顔。


武装した男達は背筋を正し硬直して、ジルは目を据えて訝しげな表情に変わり、カミュールは何度か目を瞬かせては小首を傾げていた。


「………あ」

かく言う吏史も、その男がアストリネであることは本能的に察知していたが放つ声自体には聞き覚えがある。

蒼穹での間陀邏との交戦時、火球が降ろされる直前で脳裏に響いてきた声と同じではないかと。


誰かがその者の名を紡ぐ前に、男自ら片手を上げて名乗り出る。


「なぜなら吏史の行為はこの私が承認し、保証するからだ。二十八代目クモガタが立てたハーヴァを貶める謀略に巻き込まれ、目論見を打破するために兵器を全力で使わざるを得なかった、と。――この三十二代目ローレオンの姓を以て保証する」

そうして三十二代目ローレオンが姓を以ての、宣言を果たしていた。


「故にこれ以上の争いを私が禁ずる」

――まさにそれは真打登場。

ここでのローレオンの介入は、良くできた歌劇によるワンシーンのようだ。


だが、カミュールは驚嘆を覚えない。ジルですら彼の登場に驚愕する中で、粛々と己が起こすと決めた行動を実行する。


「えいっ」

問答無用で、腕を、警棒をクモガタに向かって振り下ろす。

非力ゆえに紙を曲げる程度の僅かな力だが、その程度でもクモガタの舌に咲いた柔らかな紫花を拉させるには、十分。

べちゃと湿った音を立てて紫花は折れてしまい、池のように広がった血溜まりは衝撃で跳ね返りカミュールに頬や服、胸元の白百合までに吹き飛んで小さな赤玉が付着した。


ジルを始めに、吏史や朝海までもが意図が読めない行動を起こしたならおやたまカミュールの行動に驚愕する中、ローレオンは榛色瞳を瞬かせる。

突然の同胞への暴行行為に舵を切ったカミュールを見つめていた。


「…はい。今、貴方が見た通りです。三十二代目ローレオン」

その視線を据え返したカミュールは、無用となった血が付いた警棒を放り投げて床に転がす。


「僕が何度も吏史君に協力要請を行い、『花籠』から脱走しました。付き合わさせたままジルさんの無実と救出を図るため、二十八代目クモガタを始末しました。まあ、正直これで死ぬようなら彼はその程度ですがね、……今し方貴方の制止も聞かずにとどめを刺した僕が、主犯です」

逃げも隠れもしないという堂々とした態度を晒しながら自身の身長をゆうに超えるローレオンの前に立ち、肩の金色の小鳥ごと見上げていた。


「違…」

そんなことはない、頼まれた点は確かにあれど行動決断は吏史自身が行ったものだと声を上げかけたが、封殺するようにもカミュールが遮る。

「言いましたよ、吏史くん。――僕は最期まで貴方の味方です」

藍白の瞳を横目に向けて制し、押し黙らせたところで目を瞑りカミュールはローレオンに向き直った。


「さて、三十二代目ローレオン。貴方は六主。その場にて裁く権利を持ってるようなものですが……このまま跡取りもいない最後のカミュールを裁きますか?」

ローレオンは荘厳な雰囲気を携えたまま、カミュールを見下ろす。


「ふむ。……覚悟は立派なものだ。しかし残念ながら、きみの思惑は無駄になる」

「…はい?」

「単にクモガタがこの場で死ななければいい。それだけの話だと思わんかね」


それだけ答えてローレオンは小鳥が乗る肩を動かす。

促すように二、三度揺らされて、漸く、渋々…と。気乗りしない薄目を浮かべた小鳥は、バッと両翼を広げて飛び立つ。

真っ直ぐにクモガタの紫花の花弁に降り立って、鉤爪を掛けて触れる。


「その無愛想な鳥がクモガタ死亡解決策なんですか?…というか、引導を渡した僕がいうのもなんですが、流石にもう彼は限界では?なんなら体感的にそろそろ、崩壊も始まる頃合いかと…」

「いや。実のところ、今回の騒動で彼がジルに対して暴走するのは読んでいてね。それも含めて私は【ルド】に要請依頼を投げた。どうしても()の手を借りたかった。…間陀邏には、また別の意図があるようだが…」

薄氷がひび割れて砕ける音が鉤爪の間から立つ。

その亀裂は幾重にも重なるよう紫花に走り形を失い、砂のように崩れ落ちていく、

「…解決策は小鳥に罪を押し付ける気ですか?」

訝しむカミュールを始めに、クモガタの終幕を多くが悟る――が、しかし。

クモガタの骸は消えゆくことはない。

「―――は?」

近くに居たことで異常を目の当たりにしたカミュールが愕然とする。

何せ、クモガタが徐々に再生力を取り戻し、真っ二つとなっていた肉体が繋がり始めていたからだ。


「これで解決だ。ただ、彼が開花させたことには変わりない、応急手当のようなものだろう。この先、生きたいならば死ぬまでエンブリオの住民になるはずだ」

「ローレオン。何をしたのですか」

冷静に見解を語るローレオンに対し、カミュールは瞠目したまま尋ねていた。

一体何がどうされて。こうして尽きるはずのクモガタの命が繋がっているのだと。

「…どういう手品を使ったのですか?」

「正直な話。私にも詳しい原理はわからない。おそらくは[核]を再構築してるのだと語られている」

ローレオンが話す間にも異能は行われる。

鉤爪が抑える砂は薄紫の球、透明な烏めいた結晶となっていくのを鳥は何度か羽ばたきながら強引にクモガタの肉体に捩じ込んでいく。


「心を――意思を自在に操る異能というのは、[核]が要であり魂という意思をも詰め込んだ種族である我々に於いては……『命をも操られる』のと同義なのやもしれない」

僅かに呻き、呼吸音を漏らし始めるクモガタの姿を森を彷彿とさせる静謐さを携えた翡翠瞳が黙々と見下ろしていた。


「イプシロンの真髄は、心を読むだけに有らず。我らアストリネの命をも操ること」

六主やヴァイスハイト、エファム以外には黙秘していたことだとローレオンは語る。


「…命を繋げられるのならば、その逆も然りと言われるのだがね。断てることも容易にして同義な行為だろう。彼を恐れるアストリネはとても多いんだ」

心を看破するだけに留まらず、心臓と同義の[核]をも操作される――イプシロンは恐れられて同然の存在と言えた。


ローレオンの語りが終わったと同時に、バサッと金色の両翼が羽ばたいていく。用件は済ませたとばかりに宙に飛んだ小鳥はすぐに吏史の元に向かい、その肩に降り立つ。

すぐに吏史は横目に見る。そうして、ただならぬ雰囲気を感じ取れる小鳥と視線を合わせた。


「………オルド?」

その翡翠瞳の中心には見慣れた金色の星が浮かんでいたものだから、吏史は自然とその名を呼んでしまうのだ。


当然、それには近くにいたジルも気づく。

戦友にして親友であるイプシロンと同じだということに。

しかし、ジルはイプシロンの顕現状態の姿をも深く知ってるが故に、素直にそうだと受け止められず。

思考の底を開いて熟考してしまう。


――いや、待て。あいつ、こんな下手したら丸呑みされちゃう雛サイズになれてたか?分体じゃないのか?

昔、できてたような。でも誰かに可愛らしいと揶揄われて二度とならないって拗ねてた……ような……まさか、この子は…オルドの隠し子?

吏史やネルカルが居ながら、こっそり子供を作ってたのか?

いや、吏史達や私かヴァイオラ以外とは、かなり複雑骨折したような関係性を築き上げてるはずだ。ないか。無いか……。なんなら爛れた関係を結ぶ行為自体をディーケが許すように思えない。


なお、真剣な表情を浮かべて深読みを進めてるジルだが、小鳥は隠し子なんてわけもなく。

「……………」

ちゃんと、二代目イプシロンである。

この姿を取ってる理由は、【暁煌】に赴くのに急いでいたからだ。アルデに無理を言って試作品である簡易『門』を通して貰い、僅かな開門を潜り抜けるためにこの様な小さい姿を取り突入してこうなってる。


なので、ジルから聞こえた心の声に反論するよう自己弁護をしてもよかったのだが、この姿では下手に喋りたくはないイプシロンは沈黙を選び取った。

苦言を溢せば元に戻ればいいと促されそうで、そう言われるのが何より面倒だからだ。


――なお、戻れと言われてもそれは出来ない相談。今のイプシロンが人型を取れば、否、アストリネの誰であろうとも顕現状態から人型に変化すれば皆全裸を晒すことになる。

アストリネは完全無欠万能的存在ではない。本体を晒す際では質量の法則がちゃんと働くのだ。纏った服は脱げたり破けるのはよくあること。


なので、諸々の理由含めて喋らないことに徹していたが――金色の小鳥が持つ翡翠目は平らに据わり薄く細まっていく。


「…。あ。本当に、オルドなんだ……」

皮肉なことに吏史には…目の形を始めに蔑みと怒りと呆れが絶妙に混じり合った視線の色にはあまりに覚えがありすぎたため。

己の肩に乗る小鳥が自分の知るイプシロンだと確信したのだ。

「え。どうしたんだよ。そんな駒鳥みたいな可愛い姿をして……うわッ」

それから軽く笑ってしまったために、吏史はイプシロンに肩に乗られたまま羽ばたかれてしまい、翼で顔を叩かれる。指摘そのものを強引に中断させられていた。


そんなやりとりを他所に、無事、とは言い難いが……ひとまず容体が安定したクモガタに近づいたローレオンは暫し見下ろす。

「失礼、感動の再会は…後でも構わないかな?」

直ぐにここを発つべきだと全てのものに方針を提示した後、羽織る背広やストールを脱いだ。

それらをクモガタの身を隠すように被せてる形で剥き出しにされた背を晒せばその榛色瞳が煌めき、頸椎から胸椎に沿って、馬の鬣のように紅蓮の炎が昇りゆく。


「…っきゃ…!」

「っと、……」

「――ゲホッ、なん、…うぉお…っ」


鬣の炎を元として熱風が扇状に広がり、クモガタが敷いていた白糸はその烈火により灰となりて一掃された。

朝海やカミュールの手足の自由が取り戻され、顔まで糸に覆われていて気絶した武装兵を始めに雇われたものたちも敷かれた巣から解放されたのだ。

それを視認したローレオンは己の服を被せたクモガタを俵のように担ぐ。それはここからの移動を示す動作でもあることから、唯一気を失ってない男の背が揺れた。

「…さて、クモガタに雇われたきみも来たまえ、是非、話したいことがある」

「い、いえ。…我々は…」

ローレオンは男に同行を命ずるが、はっきりと答えられず口吃ってしまう。

しかし当然、言葉を濁したところで許されるわけもなく、男の周囲には予備動作の音もなく紅蓮の炎が昇る。

それは天に手を伸ばすように昇っていたが、やがて別の生き物となるようにも揺らぎ、細くしなやかな蔓の形を象っていた。

摩訶不思議現象を前にして、意味もない母音を上げる間も無く男は両手を炎で拘束されてしまう。


「来なさい。そうすれば、私はきみ達も治療で持て成すとしよう。しかし拒み抵抗するのであれば、少々手荒でも連れていく」

「あ……」

「きみも痛感しているだろうが、炎は破壊の力だ。加減する方が難しい。……あまりこちらには逆らってほしくはないものだよ」


実際は炎と漢の手首からは数ミリほど隙間がある拘束ではあるが、身動きを奪えていた。

火の痛みを知るが故に男は炎に恐れを抱く。恐怖するのであれば、ローレオンの意の通りに同行するしかないだろう。


がくりと項垂れる様に俯く形で観念し切った男を始めに、唇を横一の字に噤み不満を露わにする朝海。ジルを助けイプシロンとの合流を果たしたものの暗い顔を浮かべてしまう吏史を連れ……『平定の狩者』一行は、発電塔アトラクターナの戦いを終えて移動した。

……………………………ローレオン

・【暁煌】に配属された燃焼の異能を持つ一族。炎操作の他に物質や生命体の熱操作をも可能としている。

顕現姿は馬に近く、異能発揮時は頸椎から胸椎にかけて炎の鬣が昇る。他のアストリネよりも人体化が巨大であり筋骨隆々の体格を持つ。

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