夢の終わり【暁煌】第十三区『恵』・1-1
見渡す限りの青々とした緑の森。その自然に住う獣たち。
伸び連なる樹齢五十年以上の木々の奥地には、生態系を荒さぬ程度に農場用として整地された田地が広がっている。
其処は一家庭が過ごすのに最適な二階屋式の庭付きの住居が規則的に建設された約五十名ほどが住まう村だ。
其処に住う人々の生活圏が安全になる様、大型の獣の潜入を拒む森と黒鉄性の柵が建てられており、村全体の電気供給と柵まで賄う発電量を誇る灰色の屋外タンクじみた太陽光発電式の機械が置かれている。
また、玉石が転がる川は田地と繋がって常に適量分供給されるポンプとなる黒色の円柱型の水源確保装置までもが設置されていた。
そんな緑と青を中心としてありながら未開の地とは相反した文明的な機械が要所に置かれている村の名を【暁煌】第十三管理区『恵』という。
〝個人分析配備法〟により「身体能力が比較的高く、年間通しての建設された作業を得意とする農家的人材」が派遣される管理区だ。
無論、『恵』には娯楽施設のようなものはない。必要としない人種で選別されている。彼等が能動的に動くのは、業務として割り振られた畑仕事のみ。
その為人々から不満の声は決して上がらない。
何故なら与えられた役割をこなせば、報酬として衣食住の供給が約束される。平等に、体型等の不足分も補充される形で。
作業不適正による苦しみは与えられない。
個々人は精神の成熟を果たす二十の時に行われる個人定期精神鑑定がある。そうして適性ある業務に合わせて移住区への手厚い斡旋があるのも大きい。
区外への興味は唆られたため、隔絶された閉鎖的な世界だという自覚はない。
この世を管理するアストリネたちから送られる世界情勢共有は、十年前での『古烬』殲滅宣言を最後に行われることがなかったからだ。
人類は敷かれた環境に順応し、従順に過ごし続けた。やりがいを感じる業務をこなしていき、満たされた平穏の日々が提供がある。
無為な日常を自ら変革させ、壊そうとは決して思わない。
故に、『恵』に於いて奔走する者は異常である。
しかしそれでも、『恵』には懸命に密やかに広き外を望んで努力に励む者がいた。
蒼穹の空の下、陽光を受けて金赤の羽毛を輝かせる鳥が羽ばたきながら『恵』の端に建築された一軒家の木に止まる。
両翼を畳んでは、緑に淡い金色を灯す変わった虹彩の瞳を傾けては、屋内の様子。食事中である親子の姿を映していた。
「ご馳走様!」
頸が見える程度に切り揃えられた黒髪に瞳の色は青と黄。太陽浮かぶ夏空を表すような虹彩異相症を持つ少年、吏史はフォークを空の皿の上に置き、朝の食事を済ませる。
十の子供にしては多い量だったが、自ら鍛錬に励む吏史には十分の量だ。食べ終えたら早速鍛錬の続きとばかりに騒々しく椅子から立ち上がって、駆け足気味に玄関に向かおうした。
寝巻きからの着替え自体はもう済んでおり、首元まで隠れる黒のスポーツウェアを着用している。
これから先は体を動かすだけだと、吏史は一つの思考に染まっていた。
「……はぁ…」
そんな吏史の単純思考を読んだように、対面の席に座る研究職に従事しているような白衣まで纏う男性が溜息を吐く。
外見年齢にすると二十代と思わしい男は青色の水晶めいた宝石が下がるネックレスを鎖骨部分で揺らし、パンを細かく千切る指動かす黒の革手袋で覆われた手を止めて、吏史同様頸が見えるまでの短な後ろ髪に反し横は顎まで伸びている己の黒髪を鬱陶しげにも耳に掛けた。
「吏史」
黄金を溶かし瞳の形を象ったような金のつり目を、目の前の吏史に向けて制する。
「ちゃんとよく噛んで食べてるのかい?早食いは体に良くないよ」
そうして吏史に注意する男の名前はサージュ。吏史の父に当たる人物だ。
アストリネが管理する名を被らせてはいけない世の中においては、こうした和名と英名での親子関係はなくはない。――少しだけ、珍しいケースではあるのだが。
「ご、めん。でもオレ。…早く鍛錬…しないと」
「待ちなさい。立つ鳥跡を濁さず精神で行こう。お前が慌てて食べすぎたせいで口元やテーブルの汚れがすごいからさ」
小刻みに忙しなく動き慌しい息子に対し、サージュは手招きする様に止める。
そのまま吏史に素直に止まれたことをいい事に、手招いた手の人差し指でパンクズやシチューの汁で汚れた机を指す。
「台拭きがある。それでちゃんと自分のところ拭いてから、鍛錬し、」
「わかった!」
「ちょっと。返事早い。一旦呼吸して待つんだ。今取るから、」
紺色の濡れ布巾が吏史が遠いのをサージュが気遣い運ぶよりも先に、吏史は素直に言われた通りにしようと早々に行動に出た。
身を乗り出して、前のめりの姿勢では服が机につく。そして吏史の目の前にあった食事後の皿がある。
パンにつけたジャムの残りや夜から仕込んでいたシチューの残滓が、吏史の洗い立てである白色のシャツに付着した。
台拭きを掴んだ吏史が机の汚れを素直に拭き始めていく度に動作が発生するので、服の汚れはひどくなるばかりである。
「拭けた!どうだ?!」
パァ、と花開く様に笑んだ吏史が成果を見せてくる。よく拭かれた白色の机が綺麗になったが、ジャムやシチューがついた服の状態は酷い。きっと洗濯の際では落とすには苦労する事だろう。
「…………まずは一旦、一旦ねぇ。椅子に座りなさい」
それを行うことになるサージュの目は薄く開いたままだ。台拭きを掴み損ねた手を動かし、両手を組んで、膝を机につけた姿勢を取って指示をする。
身を乗り出すのをやめて布巾を掴んだまま、吏史は座り込んだ。
「えー。それではお知らせです。吏史くんがせっかちすぎたせいで、乾いたばかりの服が台無しになりました。罰として今日一日はベタベタのジャムとシチューがついた状態で過ごしてもらいます」
「え? ……別に、いつも通り誰に会う予定もないからこれでいいよ。鍛錬と勉強しかしないし…」
「あー……。…あのねぇ、良くないよ?朝の食事内容を周囲に曝け出す己を恥じるべきだよ?友達いない無敵精神で罰受けることを開き直られても普通に困るな、反応も」
叱責を理解していない反論に対し、サージュは額に手を当てて首を横に振り息を吐く。
「いいかい。これがわかってないようならまずいから、ちゃんと言語化しよう。今の行動は余計な手間が発生しただけ。僕が服洗う仕事が増えて大変なの迷惑。行動力があるのはいいことでも、早とちりはいただけないな。将来的にお前も苦労するんだから今のうちに直しなさい」
「……でも、机はちゃんと拭いた……」
「その主張はタイミング悪すぎ、やめなさい。言い訳にしか聞こえないから。机は拭いたことは褒めよう。褒めるとも。とても偉い。お前は良い行動を行った。だけど失敗してよくない結果も出したこれが事実。事を仕損じて注意されてるんだよ。気分が悪いだろう?」
「じゃあ普通に、ちょっと褒めてくれるだけでいいじゃないか」
「拗ねない拗ねない。素直に褒められたいなら直していこうねぇって話なんだって。何度かの注意だけど、何事も行動する前には一旦足踏みをして止まって、周囲の状況を確認してからにしな。OK?」
若干の不満はあれど。サージュの言うことに違いがない。吏史は大人しく噛み付くような反論せずにこくんと首肯する。
その素直さに応じる様にサージュも頷いたので、そこまで強く怒っていない事を察した吏史が頷いた際に落ちていた視線を上げて恐る恐ると確認する。
「………あの。さ。その。そろそろ鍛錬、行っていい?後は久しぶりに…父さん、とも手合わせしたい…んだけど」
「へぇいいねぇ。正直ですこと。明日が本番だから焦ってるのかな?」
「うぐっ」
「悪いことじゃないよ。気合い十分なの伝わったさ。だけど次、今回と同じような事をしたら一週間鍛錬禁止の刑に処そう。それを飲めるんだったら付き合ってあげるよ」
「……………」
「勿論、この条件くらいなら飲めるよね?」
相手が呻き声を上げようがゴリ押す気概を含む、ニッコリと毒気ない表情をサージュは浮かべた。
釘刺しだ。あからさまだが真っ当な。早く自分のことをやりたがった罰だと理解してるため、吏史は弁明しようとしない。
萎れた花の様に再度俯いた吏史は、唇を尖らせて罰悪そうにモゴモゴと動かす。
「………はい…」
受け入れはしたが、したい事を抑制されてやや不服そうな様子を隠さない吏史にサージュは呆れた目を向けながらも、もう一つと注意するために人差し指を立てる。
「後、僕のことは尊敬と敬意を持ってお父様と呼びなさい」
「それは嫌だ」
申し出を受けて今度は吏史がスッと表情を真顔にして目を据わらせ、Noを突きつけるように首を横に振った。
「本当に嫌だ。なんか、言ったらオレの今後の脅し材料にしてきそう」
「それは邪推だねぇ」
「…後、言ったら………癖になってなんか、外でも言うかもだし……」
「……あー、もしかしてまた隣の子に嫌なことでも言われたのかい?」
「………」
気まずさを持って顔を横に背ける。
それは、サージュの予測通りだ。周囲の子供には色々言われていた。
まず、サージュの外見が大きく起因してることだ。
今年で三十九を迎えると曰うサージュの外見年齢は相当に低い。
黒曜石の髪は白が混じることなく烏の濡れ羽のように艶があり、肌はシワも傷もなく白の陶器めいている。
ただでさえ周囲には親子ではなく、兄弟や、……養子だと間違われがちだ。
其処で周囲に囃し立てられたせいもあって、サージュを父と呼ぶのも妙な照れ臭さや気まずさを覚え始めている。複雑な心境があって仕方ない。
迷うよう横目に視線を逸らした吏史の心境を汲み取ったように、サージュは肩を竦めた。
「まあ、お前なりの反抗期として多めに見てあげるよ」
周囲に上手く馴染めなかった子供を叱らず、慰める優しさを送る。
「……」
優しさ自体は暖かい。じんわりと胸があったかく感じるものの。お父様と呼ばないだけでここまで言われるのだろうかと気づいた吏史が眉根を寄せていればサージュはにっこりと軽く微笑み、「それに、」と発言を続けた。
「どうせここに置いて行く嫌いな相手だ。気にするだけ無駄だと思わないかい?」
「…………」
それには首肯すれば、サージュは笑みを描く口角を深めた。
「他人なんか気にして後ろ向いても楽しくないしねぇ。自分の気持ち大事だ。それに、前を生きると決めたんだから何にも前向きでいこう。……それじゃあ、僕の食事をさっさと済ませてから手合わせを始めようか」
そう告げてからサージュは己の皿にある細かく千切った皿の上のパンを摘んで、口に含み飲み下すという細か過ぎる咀嚼を繰り返す。
「…………なんか。さ。父さんって食べ方、独特?だよな。本当は大人になったらそういうのがマナーだったりするのか?」
「ハハッ。そんなわけがない。これは人類共通の病的異常食法だねぇ。けれど、今の僕にはこのくらいがちょうどいいんだよ」
そう宣いながらも啄む形でしか自ら食事できない小鳥よりも少食じみたサージュの奇妙な食事光景を、吏史は瞬きを繰り返しながら見つめていた。
………… 人類
・ヒト科人種。五百年前のアストリネの世界統一以降法の下で管理されるべき異能を持たぬ種族。
『基本同名禁止令』の下、『個人分析配備法』にて適性区に仕分けられた場所で一生を過ごすこととなる。
敷かれた法に逆らわない限り、安寧の時を約束された種族。