シガテラの怪物
『門』に起きた異常事態により他国からの来訪者がいないと事前確認を踏まえた上で事前確認を踏まえた上で無人の場所で通話したつもりだった【暁煌】に配属されたアストリネ。
ジルコン=ハーヴァは、しっかりと聞き耳を立てていたであろう朝海を見下ろしていた。
両腕を組みながら少しだけ、小さく深呼吸する。そうして動揺で早鐘を打つ心臓の鼓動をも整えた。
聞かれてしまったものは、仕方ない。その上で、それを加味しつつ、提示された同行の申し出を如何するべきか。
そのまま長く沈黙し、熟考していた。
「………」
まず、これからジルが行うに於いて必要な人力はない。戦力は自身のみで充分、他は不要。
また過酷な道になることは予測できるため、超常現象にも等しい自己回復力に長けたアストリネでなければ命の危機に瀕するのが容易に想像が付く。
――結論を出すまでもない、彼女という存在が余計な足枷になりかねないだろう。
しかし、どうにも悩ましい。それ自体はただの同情心なのだが喉に引っかかる程度の気持ちがある。
『断言させてもらう。此方からアンタに期待できることはない』
そう、語弊を生まさせないよう下手に取り繕うことなくキッパリと告げるのは簡単で、きっと正しい。
だけど同時にジルは思うのだ。
前に向き始めた子を、挫く行為になりかねない上に、朝海に深い心傷を与えてしまうのではないかと。
籠の中の雛鳥が広い空に羽ばたこうとしているのに、出鼻を挫くように傷をつけて羽根を折り成長の芽を潰す行為になりかねない。
ジルとて望ましくはない展開だ。それを嫌うなら手を取るしかない。
人間性としてはその選択も過ちではないとしても。それ自体は半端な善意とも自覚はあるが故、継続する沈黙の中で隻眼は僅かに伏せられた。
「……」
己の迷いの詳細、分析はできる。
この葛藤も直球的に言えば、自分の気分を害したくないエゴだろう。
相手に嫌な思いをさせて恨まれたくないからこそ、後の自分のために他者への施しに働くという心理にも近しいはずだ。
だからこそ、一時的な感情論で過ちに繋がるとも言えてしまうとも理解していた。
自然と組んだ手は上腕を握りしめる力を強めてしままいながら、一拍置く。息継ぎするようにもジルは肺から深く息を吐く。
結論は出た。
朝海を連れて行ったところで最初に思った通り無駄に命を散らせるか、ジルの負担になるのは間違いないし、たかが同情心で危機に向かわせる行為を認めてはならない。
やはり此処は断ってやるのが、双方にとって良い。
「――悪いが、」
挙手するようにも片手を上げつつ、しっかりと断ろうとする。
そこで同時に息を飲んだ後に朝海は顔を上げてしまい、ジルは見た。丸められた紙のようにくしゃくしゃで、瞳には涙の幕が張り、水面に漂い揺れる梅の花を。
「………ぁ…」
泣かせてしまったよう、だが。そこで罪悪感という情に揺れるジルではない。
払うようにも首を何度か横に振って、突き放す。
「いいや、泣いても、ダメだ。これからすることは遊びじゃない。命の危険すらあるのに若いアンタを連れて行って、必ず守ってやるなんて無責任なことは……言えない」
それに自信はない。万全な状況であっても口約束はできなかったのだ。
「覚悟は、してます。危険なことだって。寧ろ守られなくてもいいです。お願いします。役に立たさせてください」
「守られなくてもいい、か。……で、具体的には?」
しかしそれでも引く様子のない朝海に、目を伏せて息を吐きつつも告げた。
「こちらの役に立ちたいのなら提示してくれ。仮に、このまま私に着いて行ったとして、アンタは何を差し出せる、何ができる?」
己の価値を示せ。デメリットを上回るメリットを掲示しろと。
ただ一つの思いで世界が自分の思い通りに動くわけでもないことを知ってるが故に、ジルは手厳しく徹して朝海を突き放す。
「何もできないならそれでいい。アンタはそこで大人しく保護されていてくれ」
仮に本当に残られてしまった場合、別のアストリネ達に己の行動が知られてしまい面倒事には繋がるだろう。
だけどそれでもジルは構わない。
「…此方にはあまり時間がない。荷物を多く運ぶ気はないんだ、はっきりと答えてくれ」
そんな達観した想いを胸に、朝海を真っ直ぐに見つめながら告げていた。
「………え、っと……」
朝海は、ジルに告げられたことを思い悩み、黙り込む。まごつくように手の指を絡める。
「…………私…」
彼女には素早くパッと明かせるほどの己の利益を明示できなかったからだ。
先の通話内容からして、判断できることはある。
これから彼女が事を起こし動こうとしているのは定かであり、それが代表管理者である間陀邏の意に従ったものではない。
果たして朝海が彼女に同行して、できることはあるのだろうか?
――否。
『立場』『地位』『価値』『意味』『人類』
改めて自分の立場を顧みて、今ある手札として並べ見てもジルが頷くほどのものはない。
特別な力も血筋でもなく、ただの人間。アストリネに守護される対象だ。何かできなくて当然で何も成し得なくて同然。
「…っ」
その変えられようもない現実的な事実を、ぎりっと食いしばるように歯を噛み締めた。
「私…っ」
両手を強く握りしめた後、朝海は大きく口を開けて吠える。
「根性なら、あります!!!!!!」
衝撃波を放つ勢いの発声を正面から受けたジルは目を点にして惚けてしまい、勢いがありすぎて彼女の白絹めいた白髪が揺れた。
「――――――――…はい?」
それから数秒置いて、揺れ乱れた前髪が自然と元の位置に戻ったと同時にジルは小首を傾げる。
「十五歳です。若いです。体力と根性、根性ならあります!試練も一万メートル開始で、何の特別な異能もなしに到達しました!私は、食堂屋の娘でして、アストリネとの血縁もない花もなければ資産もない慎ましい家系ですが、ですが!十五年生きて飢えた覚えもない、国が指定した身長に合わせられた適正体重を超してしまいましたがすごく健康体という形!そう私を産んで育ててくれた、自慢の両親がいます!」
「ああ。ああうん、そ、そうか。それは、良かった。良かったな?良いことじゃないか…」
グイグイと前進を交えてどう考えたって共有するには不要な自己紹介を朝海はする。ジルは心身ともに来られる体当たりじみた動作を受けた心地だ。
口元を引き攣らせ、鍛え上げられて強靭な体幹を以て一切動くことなく受け止めつつも戸惑いながら相槌は打つ。
「ま、まあそうだな。…【ルド】の貧困差が激しいのは…あくまで第一区のみで、国全体の方針としては食料問題だけは発生しないようすごく対策してるとは聞いてるし、アンタがご両親の愛情を一心に受けて育ったのはいいことだ…だから『平定の狩者』……に選ばれたりしたのかもな」
「…いえ、私が『平定の狩者』になれたのは、たまたまです」
ジルの血より鮮明な赤の隻眼がはた、と瞬く。
どうにもその否定的な言い出し方が気になってしまい、なあなあに流して宥めて断りを入れようとした口を止めてしまい、朝海の、俯きつつも嘘偽りない吐露を許してしまうのだ。
「たまたま、私が試練で最下層開始だったから。同じ位置で開始しようとしていた吏史に声をかけられて、目をかけられたからにすぎない。運だけ。……運だけのやつです。きっと、誰もが…私は運が良かっただけというと思います。だって、私には兵士ですが、…国のためだとか、世界平和のためとか…そんな、持ってて当たり前とされる高尚な思いは、ないから」
本来ならもっと信念が持つ強者がなるべきだった。
「それに、私は吏史ではないんです。戦力としては全然。今後も彼の足元に及ばないと思います。剣だって…まともに振るったことのない素人で。武器を手にしたのもほぼ最近ですし」
世界を支えるにも国を抱えるにも力が要る。だから、朝海では役不足だろう。
「着いて行ったところでメリットも無い、お役に立てるかは怪しい…けど…そんなのって、なんか、悔しいじゃないですか。すっごく悔しいじゃないですか!」
食い気味に答えた、それ自体は自覚があり、理解していると。
「いや、感情だけでは…むしろ、無力だと自分でわかってるなら尚更、これは…押し売りに近いんじゃないのか…?」
「悔しいだけじゃ何の価値もないのはわかってます!気持ちだけで強くなれもしないって、わかってますけど……それで、私なんか要らないって、私は思いたくない」
だけど、朝海だけはそれを認められないと権利を主張した。
「………」
ジルは思わずこめかみ部分を手で押さえる。自分の自認で悩んでいるのは明白であるとはいえ、一方通行な自己主張でしかない。
やはり、見極めようとして聞く必要はなかったのではないだろうかと、思考の水面下では自身の選択に後悔の念を抱いたが、それでも朝海の言葉は続く。目を伏せ目がちに、俯きかけて何度か顔を上げようと試みながら躊躇うようにも横に振り、唇を合間に噛みつつもジルを見た。
「……これもただの感情論でエゴだって、それもわかってます、強い信念がなくて、私は本当に弱い。でも――それを自覚してるからって、弱いからって、全部どうでもいいからって大人しく引くことを選ぶなんて腑抜けた精神。私にはありません……!私にも何かできるはずです」
そして、敢えて、自分を信じてると訴えた。
可能性がまだあると、自分の未来を、開花を信じて羽ばたこうとしてるのだ。
彼女が飛ぶために授けられた翼――腰に装飾品として飾られた、武器と変形する藤色のキューブ型の機械が揺れていた。
「お願いします!此処で何もしないより、何かをさせてください!荷物持ちでも【ルド】の民としての壁でも盾でも、人質として利用できるなら……喜んでなります!」
最早強迫観念じみた想いがあるのだと示すように、朝海は目を強く瞑り何度も首を横に振ってはやがて、もう一度深く頭を下げてから主張する。
「そうじゃないと、そこまでしないと……私は、なんで、何のために。…っ吏史に、命を懸けて助けられて此処にいるのかわからなくなる…!ただの人殺しになるのだけは、それだけは嫌…!」
「……ぁー…」
ジルは感想を抱く。
総評は、実に、身勝手。同情の念は多少あれど、此方の負担を薄々理解した程度での主張はかなり耳障りで気に障る。
だけども、無力な自分に辟易している悲痛じみた切実な思いを連ねてるのも感じ取れた。
足元から崩壊するような感覚を覚える己の意義の喪失。恐怖までをも孕んでることが実にわかりやすい声を、出すものだから。どうにも突き放すのは躊躇いがある。
「……えっと」
僅かに口を開けたまま、沈黙した。
数秒の逡巡を経ても、とっくに出ていた結論を揺るがす感慨が湧いたわけではない。なかったのだけれども。
「………」
流れるようにジルは無意識に。空を映さぬ通路の天井、灰色の金属板を見上げていた。
当然ではあるのだが、其処にはかつて覗き見た、群青――宵闇に浮かぶ黄金の星はない。
そもそもの話、流れ星は同じように煌めかないものだ。
迷いを晴らし照らす正解に繋がる啓示《輝き》を得られないのならば、ジルは自身の心で道を選択するしかないだろう。
ゆっくりと隻眼の瞼を、視覚を閉じて。訪れる静謐に満ちた暗闇を受け入れる。
それからは朝海の主張をしっかりと飲んだ上で、自身の立場に置き換えての想像を行う。
だが、そうした創造的な思案に然程時間はかからない。既に確かな解をジルは得ていた。
朝海は絶対退けない。
ジルをアストリネと分かった上で申し出ているのであれば、尚更。自身が非力な人間と自覚した上でも前に進もうしてる覚悟は、本物だ。此処で断りを入れて放置しても何かしらの行動に出られる可能性がある。望ましい状況にはならないだろう。
『オレ、弱いから前に進みたいんだ』
そして、今の彼女によく似た人をジルは脳裏によぎらせている。
主義権利主張自体は彼の方が乏しいのだけれども。
『弱いから、進み方もわからなくて』
自虐自壊的な方針で傷つくことを、当然のことだと受け入れて笑う姿は痛々しい。
到底、受け入れ難いが続いている。どうにも矯正できずにいるものだから、それで、ジルは強く思うことがあるのだ。
――薪を焚べる真似をするのは、終わりが近いものだけで良いだろうに、と。
しかし、何も手段がないわけではない。寧ろ、朝海の存在は好機到来に等しいまである。
何故なら体験という形で人は真の理解を得る傾向が強い。
故に、朝海と吏史は性格面での間違いの点で近しいのだから、鏡を映すように互いの有り様を見せ合うことが解決に繋がる最適解なのではないだろうか。
なら、ならばと、ジルコン=ハーヴァは、暗く想う。
吏史の為にも朝海を危険な道に連れるのは正しい行為かもしれない。そもそも、彼女が兵士である以上、連れて行く理由となる。彼女自身もそれを望んでいるのだから、諸々都合のいい形でエゴを叶えて仕舞えばいい。
『何をすれば、どうすればいいのか教えて』
なあ、そうだろう。できることなら守る形でいけば、それでいいはずだ。だって、一人にして何かしら妙なことに突っ走られてしまう可能性が高いのだから。傍に置く方がきっといい。
何かしようと追い詰められた鼠が足掻いてしまうように、がむしゃらに動かれて、酷く傷つかれる方が………――きっと辛い。
『オレに、『古烬』との戦い方を、終わらせ方を教えてください』
彼をたった一人の弟子として大事に想う身としては、それがとても、苦しくて、辛い。
そうして改めて得た答えを胸に秘めて、ジルは瞼を緩やかに開く。
鋭い蛇の瞳孔を持つ己の赤眼を、身を竦ませた朝海に対して向ける。
「なぁ、アンタは、吏史と同期…なんだよな」
「あ、はい。そう、ですけども…」
「彼個人をどう思ってる?」
そして一つの質問を、投げた。
「……っ、と」
「答えて欲しい。割と、重要な質問なんでな」
確認も兼ねてるような物言いに朝海は戸惑いを覚えるものの内心で留めては答えを紡ぐ。
「……えっと。私は、彼を『古烬』というより、個人で見てて……狡いと思ってます、けども。イプシロン様がちゃんと認めるだけあってすごく強いとは思いますし、まあ、もう少し言うなら若干、変というか気持ち悪くあるかなと…」
「うん?…気持ち悪…?」
「はい。なんか、これは、私個人の主観で感想ですけども。吏史も生きてる一人なのに、まるで自分がそうじゃないと主張してるというか…そうとしか生きれないと言ってるみたいで、…すごくゾワゾワと、鳥肌が立つんです」
一部の過激的な言い分を反芻する形で咎めかけたものの、朝海の主張…――生まれという偏見に拘らず、あくまで個を見ようとする姿勢。
「例えばの話、なんですけども。もしもいつかなんか腕とか無くなっちゃっても『誰かを助けられたのなら良かった』とか笑いそうで。ぜんぜん、良くなかったのに、自分だけで良かったなんて笑いそうじゃないですか。そうしたあり方と考え方は全然理解できないから、気持ち悪くて……怖いんです」
言葉こそは悪いが、其処にはありのまま見たものをちゃんと受け入れていく柔軟な思考と、『古烬』だとしても偏見を持たずに外敵と見做し拒絶しない姿勢がある。
ただ、環境で歪んだ性格だけが自身では理解し難いだけだと言う朝海の発言を前にして、ジルは僅かに口を開けて息を呑んだ。
「………」
逡巡するよう、二人の間には静寂が少しだけ訪れたものの、やがてジルが再び口を開く。
「まず。吏史を…私の弟子を気持ち悪いとは言わないこと。表現が難しいから直情な発言をしたことはわかるが、言葉が悪すぎて不快でしかない」
「っあ、あっ!…っす、すいません…っ!」
「嘘をつこうとしない誠実さはあるんだ、相手への配慮をもちゃんと身につけて。今後、思ったままに吐き出す行為は無意識に敵を作りかねないから……気をつけてくれ」
「はい…」
先ずは吏史を悪い例え言ったことを叱りつけた上でジルは人差し指を上に立てて、示す。
「……では、これから先に言う二つ。必ず守ってほしい」
そうしてゆっくりと中指も立たれて、二つの前提条件が提示されていく。
「まず、勝手な行動は禁止だ。何があっても此方から指示がない限りは私の傍から離れないこと。それと負傷等でこれ以上の同行が厳しいと見做した場合は私の指示に従い同行をやめ、保護や治療を受けること。この二つ、かな」
発言の後に朝海は恐る恐ると顔を上げて、ジルの赤眼と視線を合わせた。
ジルの表情には怒りはない。梅色の双眸が真紅の蛇眼と重なれば、フッと硬い口元が緩み微笑みが浮かんだ。
そんな表情がよぎったのはほんの一瞬で、後には真剣な表情が浮かぶ。
「そしてこれは、…アンタの善意に賭けての頼みになるが。これから先に起きることや…間陀邏の、この国のアストリネたちの不祥事を、不用意に民に明かさないでほしい」
「え…は、はい。それは、元より明かすつもりは…ありませんでしたが…」
『平定の狩者』としても持てる情報はやたら明かすなとは元より指示されている。朝海には第三者に自身の情報を明かすつもりは毛頭ない。
頷きながらその意を伝えれば、ジルは安堵の息を吐いていた。
「そうか。それならよかった、助かったよ。――また、別の質問になるが……アンタは滞空訓練は済ませてるか?経験は?」
「ほ、ほぼ……ありません……」
先ほど『門』の転移事故で経験を得たばかりで、未経験も同然だと正直に答える。
ジルは特に呆れる様子はなく、「そうか…」と頷き手短に話した。
「先ずは発電所を監視しているはずのアストリネを尋ねたいんだ。旧式の飛行機械を用いて第七区に向かうことになるけどそれでもいいか?」
「え?旧……?…は、はい、特に…異論はないです…!」
何度も頷いてから提案を飲めば、軽く手を合わせ叩かれる。
「よし。なら行こう。元々此処にその旧式機械が保管されてるから都合が良くて。下手したら壊れるかもしれないからすごく危険ではあるけど……早速その根性とやらを見せてくれると嬉しい」
翻されて背を向けられる。白絹の髪が揺れる間も無く早足に移動された。ジルが発した不穏な発言には背筋が冷えるものの、朝海はすぐに追いかけていく。
ジョギング程度ではジルの隣には到底追いつけず、早速ついてこれないなんて事態がないことを務めるよう、突進する勢いで駆け足で進むのだ。
「……は、ハーヴァ様。その…」
声をかけても返答はない、やがて二人は通路を抜けて目の前にある階段を降っていく。
通気口から近いのだろうか。びゅうびゅうとした笛の音色めいた甲高い音が立つ風吹き荒ぶ広間に躍り出た。
「ほら、こっち。緊急脱出口に用があるから」
朝海が周囲を確認する暇はない。ジルは更に先に進み階段の裏側にあるすぐ側に電子パネルがあることからパスワード制で施錠された扉に向かい、素早く指を動かし入力しては開く。
「!」
途端、正面から暴風は放たれ朝海の象牙色の髪やジルの白髪が大きく乱れた。
どうやら扉の先は飛行場と呼ばれる場所だったらしい。広がる灰色の床には道路標示と思わしい線が走り、先は空中に繋がってる。
そこに旅立つ姿勢の形で十数機以上に並べられたるは、両翼を広げる鳥の形を模した鉄製の乗り物――『飛行機』と呼ばれるもの。旧文明の遺産だ。
「えっ……」
宣言通り本当に旧式飛行機械があった事に加えて、その多く保管された光景を前にした朝海は、戸惑いを隠さず何度も瞬きをしながら唖然とした表情で周囲を見渡した。
「…あれ、なんで…これって、確か旧文明のもの……」
飛行機が――ここにあるのは、あり得ないのだ。
何故ならば『古烬』の件も大きくあり、旧文明のものは『悪』とみなされて廃棄される傾向がある。
歴史に残されたほど環境被害が大きかった…かの兵器『陽黒』も、旧文明の遺産。
だからこそ古きは廃して滅するべきなのだとは、耳にタコができるほど聞かされた話だ。
「なのに、なんで、こんなにあるの?」
大量の飛行機が丁重に保管され、手入れされている綺麗な外装がやたら目についた。
「……必要だから。何せ今のアストリネだけでは、新しい機械を一から編み出せない」
「…え」
愕然とする中、どこか罰悪そうにも目を伏せたジルの説明は続く。
「今出ている最新型は旧型の記録更新みたいなもの。新しいものを作り出すにあたり、古いものを参考するのは…よく、あること。だからこれは開発を担当するアストリネたちが必死にかき集めたものなんだよ。この飛行機を参考に、新しい飛行道具を生み出そうとしてるんだ」
「え。いや、…そん、な。でも、そんなことしなくたって…HMTを始めにエンブリオとか、多くの改革が…」
HMTの形としては時計を携帯式に手直ししたように見えるが機能性は画期的で、エンブリオに於いては薬無用と改新的な機械だろう。
それ自体は何も参考にしなかったはずだと言いたげにもジルに視線を送れば、緩やかに否定するよう首を横に振る。
「いいや。その発明品を手がけたヴァイスハイト《創造者》はもういない。十五年前に彼が失踪して以降、ずっと……今のアストリネ達はこうした手法に頼るしかなかったんだよ」
十五年前ヴァイスハイトに去られて以降、文明の開発は停滞していた。その系譜も途絶えてしまっている以上、ヴァイスハイトに継ぐ製品開発に長けた新たなアストリネが現れない限りは裏で旧遺産を掻き集めて試行錯誤し続けるのだろう。
「その新たなアストリネ自体も十五年以降、見つかってないんだけどな……」
どう解決しようもない現状の説明を受けて、朝海は動揺を覚えて瞠目し、困惑を示すよう口を開閉させてばかりだ。
「………あ、の。アストリネ様は、あくまで私たちと対等、平等を謳ってませんでしたか?」
「そうだな」
「………なら、こんな。財を集めてものにするような……旧文明の遺産を集めるだなんて、露呈したら不誠実で不平等にも捉えられかねないのに。人には廃棄するべきものだと主張しながら……これからも隠して、使うんですか」
「うん。そうなる」
「………そんな………」
絶句した朝海から目を逸らすようにも、ジルは飛行機の方に視線を戻す。
操縦席を覗き込み一つ一つの回線が問題ないかと確認していたが――十機以上在る中で、ただ一機だけがジルの判断基準を満たしたのだろう。
助手席までが搭載され観光用途として用いるのであろう白を基調とした水玉模様が辛重なった青色の模様が刻まれた四人用の飛行機の扉を、ジルは軽く撫でるように触れた。
そして飛行機の扉をやや強引に力尽くで開き、運転席に片足を曲げて乗せてから操縦部の点検を目視でし始める中で、ほんの少しだけ、これからも隠蔽し続けることを非難するようにも朝海が呟く。
「狡いですよ、それは。狡くないですか。だって、それって強制しておきながら富が自分たちだけ……みたいなもので。第一、こんなことが民にバレたら大変な事になりかねないのに……」
「アストリネはな。人とは違う、異なる種族だ」
「……え……」
「それが絶対的。そう、違うことを示さないといけない。管理できる高位種族。それを示さなければならない。私たちがアストリネであることは人々に示さないといけない。だから、新しい文明を編み出して人の上の存在で有ることに誇示しなければならないんだ。結果を出さなければ、人々にアストリネの加護は不要だろう?」
重責を含んだ発言で淡々とした姿勢で返すジルに、朝海は瞠目して息を呑み、顔を俯かせた。
「そん、な。ことは。…で、も。そもそも、その、それで旧文明なものを参考にするのは本末転倒というか、」
「うん。そうかもしれないな。だけどやるしかない。それ以外の選択肢はないから」
「………」
「人がアストリネに期待して管理体制を受け入れてくれる以上、成果という報酬を上げなきゃいけないんじゃないかな」
顔を俯かせてしまうしか、ない。
ジルの主張は朝海には実に理解し難いが、それだけ広い視野に立ちあくまで個人ではなく全体を重きに置く姿勢で感じ取れたのだ。
種族すら異なる背負ってるものが、覚悟が。あまりにも違う。
「私たちって……何も、知らないんですね。知れてないんですね…」
「謝ればいいことじゃないから、謝れない。それでも、私たちはどうしても――」
「ああ、いえ。違います。……違うんです。私は別に謝って欲しいわけではなくて。ハーヴァ様や…アストリネ様が悪いと意地悪いとかで強く責め立てたいわけではなくて。このことはもちろん誰にも話しません…親にも」
怒りを抱いたわけではないと即座に否定し、謝罪は無用だと伝えた上で、先の発言理由を朝海は説明する。
「…ただ、個人的な意見ですけど、これは、仕方なくないですか?…だって、こっそりと裏でこうして…飛行機とかを沢山集めるなんて、悪いことを…ではありますけど。でも、頑張って世界の発展と平穏を保つために……新しいのを作ろうと励んでるんですから。私には怒れませんよ……」
「…………」
「必要な方が亡くなってるから…今、そうしないといけなくて。それだけアストリネ様たちが切迫してもいるのに。責められません」
「朝海、」
「それ、よりも…」
ジルの発言を遮って、大したことではないと発言しながら朝海は呟く。
「………とても、恥ずかしくなりました。私たちはアストリネ様達の苦労を知らずに大きな負担になっている」
アストリネが万能でないことも、夢のような発明を提供してきたヴァイスハイトが欠けたことも、大きな損失を未だ人は把握していない。
今日よりも悪くなっている事実をも知らず、平和が続く今の世界を享受し続ける。
「……こんな世界は、大変な状況なのにアストリネ様だけを盲目的に信じてれば良いって、……そんな、殆どの人が抱いてる気持ちは良くなくて。その上でさっき一方的な我儘を押し付けたばかりの私が……色んな意味で、すごく、恥ずかしくなりました」
朝海は眉根を寄せて呟く。
「偶々『平定の狩者』になれて、偶々我儘を許してくださる方に会えただけで、…ただ、運が良かっただけなのに」
改めてジルに押しかけて負担をかけた自分の我儘も恥じるようにも、手の力は籠っていた。
朝海をジルは赤眼を据わらせて見据える。
「凄く今更。我儘についてはそれはそう。それを少し前に今の自覚してて欲しかった」
「す、すいませ…」
「…――まあ、でも、もうこうして許しちゃったし、私も自分の為に同行許可したところもあるから、此処はおあいこってことで」
非難するのも程々に。ジルは手早く切り替えるよう雰囲気を柔らかいものに軟化して解く。
「……ただな、自分たちだけ云々については、それでいいんだよ。自分たちのことで精一杯で、当たり前だ」
そして、朝海が引け目となってる点はさも当然のように断言した。
「…え?」
疑問の声を上げながら、朝海がジルを見る。彼女は少しだけ作業する手を止めて振り返っていたらしい。
「他人ばかり助けられる人もきっと、原動力は自分が幸せになりたいからだ。そうであってほしいと、私は思ってる」
僅かに揺れる白絹に垣間見える鮮やかな紅の蛇目は静謐に在る。まるで世界がそうであるべきだと願い訴えているようだとも、瞳に映される朝海には感じていた。
「…それに、さ。アンタが混乱するのもまあ、仕方ない。急に色々目まぐるしく事が動き、享受していた平穏の日常が変わったんだろう?」
「はい。確かに…急、ではありましたかね…」
「なら慌てるのもわかるかな。急に責任感が乗せられて、自分なりに結果を出さないといけないって焦るものだし」
少し、飛行機の側に背を持たれつつ、ジルは口を動かし紡ぎ続ける。
「それでも心折ることなく停滞を選ばず諦めず、自分なりになんとか世界に貢献しようと動いたその点はいいと思うけど。正義感というより焦燥感じみてはいるけど……行動力自体は立派じゃないか。褒めたっていいし、誇っていいと思う」
「……」
「だから、私の迷惑だったと凄く今更恥じて悔やむくらいなら、尚更。……自分が運が良かったんだって俯くよりもさ。……まあ、なんて…言うのかな」
訴えた。この邂逅も運命も、他ならぬ朝海だから引き寄せたのだ。決して己は凡俗ではなかったと、豪気できるような活躍と成長や実感は、これから得て心から笑えるようになればいい。
そんな想いを込めて、少し言い表しがたいし、なんなら後であまり説得力がないことになりかねなくても、それでもジルは朝海にちゃんと伝えようと口角を上げる。
「未来ではさ」
例えばとしてのお手本を見せるように。ジルは目尻を下げて笑う。
「こうして、笑おう。自分は運が良かったことを胸を張って笑えるように、今、頑張ろう。その方がいいよ。きっといい」
そんな励ましと、肯定的な意見を受けて、朝海は瞠目して両手で胸を合わせから息を、呑んだ。
「………あ、私…………」
例え難い感情を抱えるように押し黙ってしまう朝海に、ジルは問い詰める行為はしない。
一度瞼を閉じて小さく頷いてから浮かべた笑みを解き真顔に戻す。それから視線を流すように操作盤の方に戻し、作業ながらに呟いた。
「…だから、私は、アンタの秀でた柔軟性と将来性に、期待しておこうかな」
数分を経て。
ジルが触れた手の先である操作盤からは、歯車が噛み合うような欠けた何かがハマる音が、パチンと鳴り辺りに響く。
「………ハーヴァ様」
その音で終わったと判断したのだろう。朝海はおずおずと、ジルの大きく見える、多くを背負えそうな背中に声をかける。
音が鳴った通りにジルの準備はできたらしい。横目に朝海を見ては、手で招く。
招かれたことに戸惑いつつも近づけば、朝海は助手席の方に案内され、素直に従い黒の座席に座っていけば、胸元と腰にかけるベルトを着用させられた。
「あの……」
「ジルでいい。ハーヴァ様って畏まられるより、名前の方が、気楽」
「…わ、っかりました。……えっと、ジル様」
フランクすぎる申し出に恐れ慄きつつも朝海は優しい声色で伝えられた彼女の態度に応えるよう、名を呼び直す。
「何?」
「……その……」
そして柔らかく微笑まれながら聞き返されて、発言の先を思い悩んだ。
此処はやはり同行という我儘をぶつけた謝罪をするべきか、一介の人間程度を許してくれたことへの礼を言うべきか。
だけどもその二択は、赤色の蛇瞳を見つめる限り、どちらとも正解じゃない気がした。
だから、朝海は口をぱくぱくと酸素を求める金魚のように開閉させつつも必死に喉奥から絞り出すように、想いを声として紡ぐ。
「頑張ります」
今度は、決して悲鳴を上げないようにしよう。泣き言ばかり抜かさないて、背筋だけは真っ直ぐ正して伸ばすように強く進もう。
そんな意が籠った一言は、目の前のアストリネに伝わったらしい。
ジルは小さく首肯していた。
「――うん。それじゃあ、行こう」
それからジルは話を切り替えるようにも、飛行機の後部に向かう。
「目的の第七区自体が此処からすごく遠いのもあるけど、この飛行機以外壊れてたのがどうにも引っかかるから早めに向かわないと…」
「…え?単に古いから壊れているわけではなかったんですか?」
何かしらの部位を取った――らしい。ガゴン!と重い音が周囲に響いていた。
安全装置か何かだろうかと朝海が確認する間もなく、用が済んだとばかりに素早く来たジルは操縦席に乗り込み、ベルトを手早く閉めて幾つかの操作を行ってハンドルを握る。
「いや、実は……この飛行機以外はバットか何かで叩きつけられたような…乱暴で…人為的な破壊をされていたんだ。私が此処に来る前、客室に誰もいないと嘘を教えられたから………『彼女』と繋がってる可能性がある」
乗車してる飛行機も誘導された感覚を覚えてる旨を伝えてから、ジルは踵でその場を踏み鳴らす。
彼女の異能が発動することを示すよう頬に蛇の鱗が浮き出て赤眼は煌めく。同時に、体内にある発電部位を介して雷が迸る。
「ひっ?!」
発生に驚く朝海を置いて、操縦席と助手席…――高電圧が流れない境界線として明示されるよう白雷の壁が構築された。
「え?え?」
突如形成されたものに戸惑いながら、朝海が窓の外を見る。視野に映る主翼には白い電流が膜のように広がり覆っており、全体に行き渡っていることが窺えた。
「唯一無事であるこの旧式も、何かしら細工されていたら目も当てられない。電気を用いる際に危険性のある原油…エンジン部分は取り除いた。だから、これから魔改造を行う」
「ま、魔改造…?」
「…どうにも、私から発せられる電気は特殊らしい。次元干渉にも届く……いや、面倒な説明は省くんだが。とにかく、本来エネルギーでしかない電気も此方の想像が利くのなら槍や剣などといった武器の一部として物質になるし、それで対象を切ることも刺すことも可能なんだ」
「……なる、ほど?つまり、ジル様は武器はいらないってことなんですね」
「うん。その認識でいい。形状をとった後で元の電気に放散することも可能だし…とにかく、私は色々できるんだ。それが…多少、無謀無茶自壊的なことでもね」
説明を終えた後にニッと不敵に笑むジルに対し、朝海は引き攣った口元を強張らせる。
血の気がすっかり引いて青白い顔で怯える彼女に、心配は無用だとひらひらと手を振った。
「だからこれから私は電気で擬似エンジンを構築してこの飛行機を飛ばすつもり。操作盤を介して内部のモーターを電気で破壊しない限り爆発の心配はないけど……飛行機自体が耐えられなくて途中で崩壊すると思う。ただ、飛行機にはパラシュートが設備としてあるから着地の心配はないからな」
その予言通りに事が確実に起きるとばかりに、耐えきれなかった天井の一部、塗装がついた鉄片が朝海の前に木の葉のように落ちるのだ。
「待ってください!?この飛行機は崩壊前提で飛ばすおつもりなんですか!?ジル様!ちょっと、それは!」
「ところで。少しだけ、勘違いしてるみたいだから話を変えて悪いんだけど――吏史は全然死んでない、健在だ。生きてる」
「―――――ぇ?」
動揺に慌てふためく出発間際、唐突に振られて来た、すっかりそうと思い込んでいた事を否定する断定を受けて、朝海は素っ頓狂な声をあげて惚けてしまう。
その一瞬の隙をつくようにもジルは発進した。
彼女の意思に従い高電圧のエンジンは床を削り火花を激しく散らせ、早速飛行機の一部の塗装を剥がしてしまいながら音速にも近しい速度で飛び出し突き抜けていく。
「ぁああああぁああああああ!はやぃいいいいい!!」
白の軌跡を空に描きながら進む中で自身を支えるベルトを必死に掴み、恐怖心に酷く取り乱される。
「うーん。割と遅いかな。もう少しスピード出してくから、振り落とされないように」
「はい、…はぃいいぃい!?!!!」
ジェット機並みの速度で体全体の圧を感じてるというのにまさかの物言い。宣言通りスピードが上がり始める中、朝海は白目を剥きかけた。
これも新たな試練なのかもしれないが、空そのものを見上げるたびにこの圧と飛行機の揺れを思い出すのかもしれない…。
――そうして、新たなトラウマが朝海に刻まれていく最中。
飛行機が飛び放たれてから数十秒。
ジルの予告通り全体の崩壊が始まっているらしい。内部は何度も地震が起きたように何度も激しく上下に揺れ動いて、乗車した者たちの体が浮いた。その度にお尻が打ち付けられてしまい、朝海は痛みを覚える。
「ふぐぅ…じ、ジル様…っ。こ、これ、そろそろ準備しないとまずい…っ…まずいですよね…!?」
その中でもなんとか、目尻に涙をうかばせながらも目を開きつつ機体の崩壊に備えようと朝海が薄目を開く。
しかし、そこで、丁度、タイミング良くも悪くも。朝海の背後からは深緑色に染まる手が視界を覆うように伸びてきた。
「――――――ぁ?」
実に理解し難いと言わんばかりの疑問符が、小さな声として朝海から漏れる。
ソレを、何と説明したら良いのかわからない。
ソレは粘液に覆われた薄い肌を持つ両生類。ソレは肌に夥しいほどの藻を生えさせた泥の化身。ソレは二足歩行型の骨格を持つ人類。
しかし、ソレが確かなのは溝か酢酸めいた香りを纏っており、相手の鼻腔を刺激して強い不快感を与える悍ましき存在ということだ。
「ぴ…っ!」
その上、ソレには意思がある。気づいた朝海は引き攣った悲鳴を上げた。
そしてソレは歪なりとも生物として、悪意を孕み。悪意の矛先として朝海を選び、複数の瞳孔を持つ赤眼を向けては鋭い爪を持つ指先を伸ばす。
「朝海!!しゃがめ!!」
ジルが張り上げた指示通り、朝海は動く。頭を抱えるように身を屈めてはしゃがみ込む。
同時に、ジルは動く。
赤眼を煌めかせながらハンドルから手を離し、ソレに対して裏拳を叩き込むように殴りつけつつ強烈な電気をも浴びせてやった。
ゴっと鈍い音が立ち、そいつの一部でもあろう深緑色の藻が幾つか舞い散る。――だが、ソレは殴られた衝撃を享受して仰反ったのみ。
跳ね返るように顔を戻せば生えた藻がズレて動き、顔の五割を占める様な巨大な赤眼が覗く。一つの眼球に二つある瞳孔をぐるりと不気味に回しては、目的である朝海を映す。
「ギ、ッシャァアアアアアアアアアアアアァアアア!!!」
顎まで開く巨大な口と開いた。白く細かい綺麗に並んだ鮫のような鋭利な牙を晒して、生えた藻と唾を散らして蛇めいた威嚇の声を上げる。
「っ、こいつ…!」
忌々しげにジルの顔が歪む。
推測はできた。恐らくは電気耐性があるのだろう、と。皮膚の形状で予測するに、絶縁体に近い体質なのやもしれない。
そう判断できた後にジルは自身との相性悪さを覚え、大きく顔を歪ませた。
「や、いやぁ!!嫌!何、やめて、やめてよ!触らないでよぉ!」
だが、ソレの目的はジルではなく朝海。
ジルには目もくれず一心不乱に手を伸ばして何とか朝海を掴もうとしている。
「チッ!!」
逃れようと半狂乱になって泣き始めた朝海を守るべく、ジルは即座に行動した。
先ずは危険視するべく両手だ。肘に向けて速度と力を込めて叩き折る。
剛力を受けた。ソレの両手はへしゃげた木の枝のように折れ曲がってしまう。
「ァアアアアアアアアアアアアァアアア!!!」
しかし、ソレは怯まない。
害をなされても尚、ジルには眼中になくただひたすらに目標である朝海に向かう。
まともに機能しないであろう手をばたつかせて掻くように、執心を見せていた。
「この…これでもダメか!」
目を眇めながらも、ジルは次なる動作に即座に移す。
苦痛がないことは判断がついただから故に次に行うべくは距離を離すことだろう。
故にジルはソレの頭部と思わしい箇所を容赦なく掴み、固定する。
「――――ッシ!」
そして短く息を吐き、空を切りながら、真っ直ぐに正拳突きを放つ。
物理的に強烈な一撃を叩き込まれたソレは、後部座席の方に一気に吹き飛ばされた。一度大きくバウンドしては首を九十度以上に捻じ曲がるという螺子めいた状態で仰向けに倒れていく。
「……フーッ……。……大丈夫か?」
「な、なんとか…」
「それならよかった。――けど、こいつ…一体どっから湧いてきた…?」
全く安心できない状況下ではあるが、ジルは思考する。
この飛行機に乗り込む時にはしっかり後部座席も確認していた。その時では今し方強烈に感じる刺激臭は微塵も感じなかったというのに。
で、あれば。上手く潜まれていたということだろうか?そのような知性は感じれないというのに――
――だが、推測を続けて行う時間は与えられない。
ソレは飛行機に流れる電気を受けて、活性化してるのだろうか。ピクピクと打ち上げられた魚のように痙攣を繰り返ししながらも、人型でしかない肉体改造ら発酵により沸く気泡を上げるように隆起させていく。
「っ…!」
ジルの赤眼が瞠目する中で、やがて、ソレは明確に動作する。
何かを掴もうとするように手を上に伸ばしては金属床を掌で叩く。そしてゆっくりと胴体から身を起こそうとして、一時停止した活動を再開させようとしていた。
「―――――――、――――――。…◾︎◾︎◾︎◾︎、…。――」
ビルダ語とも取れない言葉を地を這うような声で吐き散らしながら蠢いているソレの悍ましさには、身の毛がよだつには十分すぎる。
「……ッ、ぅ……!」
ジルは鳥肌を立つ感覚を覚えて、直視することができない。拒絶するよう顔を思わず背けてしまいながらも硬直することなく、次の動作に出た。
手を回すように電気で構築されたナイフを編み出しては、操作盤を殴るように穿つ。
「ッ!きゃあ!…えっ、ジル様…!?」
その躊躇いなき行動に朝海は驚きと困惑を上げていたが、掻き消すようにピピピッ!と危険信号めいた電子音が操縦席から立つ。
メーターは振り切って回り続け、煙までもが上がり始めていた。
其処からジルは素早く朝海の助手席の扉を蹴りあげる。
暴風を受けて髪は大きく乱れる中でジルは叫ぶ。
「朝海、そのまま直ぐに外に出ろ!跳べ!」
「ぇ、ええ!?」
「あいつと私は相性が悪い。電気が効いてない。その上、狙いはアンタだ!ここでこの飛行機を爆破させて処理をする。しないといけない!」
急な無茶振りに戸惑う中で、無謀な行為には意味があるのだと説明されてしまえば異論は上げられない、そうして朝海は二度目の蒼穹を前にする。
生唾を飲んだ。今度は自身の意思で、この空に躍り出ないといけないのだと。
「――――…っ」
「早く!」
強く目を瞑り葛藤し逡巡したのは、一秒間だけ。自分にできる事が、あった。
ここで躊躇し停滞しない事、ジルの指示通り応えてみせることだ。
「っええい!!」
ままよ、と。朝海は安全装置であるベルトを自らの手で外し、思い切って跳ぶ。
それを視認したジルも一拍遅れる形で行動に出た。但し空に跳ぶ前に、白雷の槍を編み出しては座席に向けて投げつけた。
あの悍ましい生命体の胸部に突き刺さったのを乱れる白髪の隙間から垣間見ては、空に飛ぶ。
空中に躍り出た同時に、パン!と手を合わせて鳴らす。
操作主による放散の合図を受けた雷槍は形状を解いて、周囲全体に散らばり放電する。
過電により飛行機を構築するモーターを始めに機器が破壊されていき、やがて、引火し始めて崩壊の輪が広げていく。
刹那。空を呑む光が走り、赤の爆破が広がった。
「…ッ!…クッ、ソ…ッ!」
爆風と衝撃を背で受けた。背中…否、服が薄い腰部の方が火傷を負っただろう。
すぐには引かぬ上に持続的に苛む痛みで顔は歪むが、――幸い動けなくなるほどの深傷ではない。
すぐさま、ジルは息を詰める。くるりと身を回し、崩れた体勢を整えた。
真っ直ぐに背を伸ばすような姿勢を取り、膝を曲げては電気を操作する。踵、ヒール先を雷の放出先と定めては白雷を集結させては放つ。
それはジェットエンジンというブーストをかける行為も同義。ジルは空で加速するように飛翔する。しかしそれだけではとどまらず最中に背にかけて雷を放出させていく。まるでオーロラめいた白雷の羽、蜻蛉を連想させる半透明の羽を四羽重ね広げては吹き荒れる風に乗り、白の軌跡を描きながら空を駆け出した。
それから五秒とも立たず。ジルは先に跳び降りた朝海に追いつく。
「朝海!」
恐怖で目を瞑って身を縮こめていた彼女の身を両手で受け止めて横に抱き、無事に合流を果たす。
「朝海、無事――」
「…す、すいま…せ…っずびまぜ…私、゛私でも、気付けば、…私も、あれに気付けば、…」
回収した朝海は象牙色の髪は滅茶苦茶に絡みくしゃくしゃで、顔は涙やら鼻水やらでぐずぐずだ。見事に泣き崩れた状態だった。
「…いや。いい。あれが何かは私もわからない……けど。……それでも、私が最後まで気づかなかったのが問題だから、朝海は何も謝らなくていい」
「で、でも…」
「今は、逃げ果せれたことを幸運と思おう」
ひとまず今は互いに無事であることを噛み締めるべきだと、ジルは優しい声を掛けて朝海を諭すよう宥める。
「…はぃ、はい…」
その意味を汲み取れたのか、何度もこくこくと首を縦に頷いていた。
「…予定、変わったから乱暴な着地にはなる、備えてもらってもいい?」
「は、はぃい……えっ、あれ、ジル様も空を飛べるんですか…?」
改めて気づいてポカンと口を開けて惚けながら問いかける。涙で潤んだ景色ではっきり見えたのだ、ジルが空に飛翔する鳥のような姿をしていることに。
そんな朝海にジルは肩を竦めて、苦笑を浮かべていた。
「いいや、私は翼を備えた個体じゃない。ただ、これは自分の異能でどうにかしてるだけなんだ。このまま高度を下げながら移動するよ」
「は、はい」
「ただ、着地する際は地面に向かって雷を打たないといけないかも。強引に衝撃を打ち消す必要はあるから……」
「なるほど。……で、電気耐性、頑張ってつけます……」
「いや、今の内に適応できるものじゃないし……朝海には流さないようにはするから、大丈夫。私は調節が利くタイプの異能だから」
「あっ、あっ。そうなんですね……すごく安心します……」
そんな長閑とも言えるやりとりを経て、溢れていた涙を止めて緊張感が解けつつある朝海に反し、――ジルは内心では警戒心を募らせている。
何故なら現状解決処理したと楽観的には捉えられないからだ。
彼女の中で疑問が積もる。
果たしてあの深緑…腐敗を体現したような悍ましき怪物が、ここで終わるなんて――そんな都合の良い形で済むのだろうか?
もしかすると、これが正しい対処ではなかった可能性もある。
それだけ得体の知れなかった、名状し難き存在なのだ。
「……?ジル様?どうかされましたか?」
「ああ、いや。何でもない。大丈夫……」
故に釈然としない気持ちを蓄積させてしまい、未だ滲む火傷の痛みごと思わず朝海から目を逸らす。
「大丈夫だよ。行こう」
己に言い聞かせるようにも気持ちを、切り上げる。そうするしかない。早く、向かわなければ。不可解ではあるもののジルは本能的に察知して表情は眉間には深い皺が走り、赤の隻眼は険しく据えていた。
「急ごう……」
先ほどのアレ。恐らくは――『リプラント』の一部だ。




