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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
22/56

透羽吏史としての始まり、邂逅


―――視界に広がるのは真っ白な空間だ。

部屋全体が純白で、窓の外も朝日が差し込むだけで色は見当たらない。

何も描かれてないキャンパスの上めいた光景に、唯一の色形として佇むのは、ひとりの黒髪の女性だった。


もし、ネルカルを天に昇る紺青の星と例えるならば、彼女は花壇の隅に密やかに咲く白花だろう。

石英めいた淡い灰色の瞳も相俟って、どちらかというと純朴で、素朴な印象を受ける。派手な華やかさはないが愛嬌が伺えた。

豪奢な装飾品もない。フリルやリボンという飾りもない淡いラベンダー色のワンピースだけを纏っていて、だけどそれでもその質素さが、彼女が纏う穏やかな雰囲気に合ってる気がした。


そんな彼女が口を開く。どこか楽しそうに手を合わせて。


「◾︎◾︎◾︎さんとの子供、産まれたみたいなんですよ」

無邪気に声を弾ませながら、合わせた手を擦り合わせて照れ臭そうにも提案する。


「あの、これから一緒に観にいきませんか?…ふふ、よかった。楽しみです。◾︎◾︎◾︎さんに似てて、とても可愛いんだろうな」

目元が赤らんでいて、受け入れたことの喜色に染まっていた。


「◾︎◾︎◾︎◾︎さん。あの、よかったら帰りにお出かけもしましょうね」

しかし彼女に覚えはない。彼女の話す名は存じない。故に確実に、断言するように、わかる。


「えへへ。少しでも、一緒に過ごしたくって。これって我儘になっちゃいますか?」


そうして名も顔も知らぬ彼女に愛おしそうに笑われて、剥離した意識の中で吏史は理解した。

これは、己の記憶ではない。透羽吏史が得た記憶ではない。


多分。これは誰かの心。眩い日々として鮮明に刻み覚えていたほど大切に思う、過去の断片だ。





――アフッ!!


「っう゛!?…っ、っ゛……?…ぐ、ぅ゛………」

気が抜けるような声で吠えられた声で、吏史は目を覚ます。

その犬のようで、膨らんだ風船から空気抜けるような、少し間抜けた吠えられ方を正面から受けた影響もあるのだろうか。仰向けの姿勢であることに気づけた後は、妙に気抜けした。

後に、痛覚が走る。後頭部だけでなく、身体全体が痛みを訴えていた。肺が潰れたのかもしれない。息がし辛く呼吸がままならない。指先一つ動かすのも億劫の中で震えながら瞼を開き、薄目に開く。


そうして、吏史は世界を、夏空の瞳に映す。


「………昼………庭……と、ぃ、…犬……??」

呻きながら呟いた。

花が咲き、緑に満ちた木々までが見える。

とても立派な庭園の地面に倒れていて、中型犬ほどの大きさをした純白の長毛種の目が青い犬?が胸元に乗っかっていた。

「うぐっ…ぇ……」

息苦しさを隠せないくぐもった声が出る。負った傷が悪いというより、乗っかる白犬が横に広く太い見た目通りに重いせいだろう。

そんなふとましい白犬は舌を出して、自身の黒鼻が乾かぬように何度も舐め上げている。靴下を履いたような黒色の前足を動かされるたびに、肺が潰れる重さを吏史は覚えて、何度か咳き込んでいく。

それを繰り返すたびに、淡い世界がクリアーになった。

「………………生き、てる……」

どうやら、ここは現世。彼岸を渡ることはなかったらしい。

白犬の重さと肩に突き刺さる宝石による痛みが現実だと教えてくれた。

だがしかし同時に疑問も湧く。あんな高所から落ちたのだから、どこに落ちたって身体はバラバラになるはずだろう。


「生きてる」

しかし、今、吏史は五体繋がって生きている。

ダイヤモンドに劣らぬ硬度で造られたHMTですら、落下衝撃に耐えかねて壊れたらしく一切の反応なく沈黙していたとしても。それが紛れもない事実で現実だった。


「ァウン!」


何故己が生きてるのかと巡り回る疑問で思考が満たされる直前、それを吹き飛ばすような大きな鳴き声が上がる。

そいつは寝ている場合ではないと急かすように前足を仕切りなく動かして、吏史の胸元を叩いてくるが、それがどうにも焦りを含んだ動作に思えて、このまま横になっていたい気持ちはあれど、応えるように吏史は身を起こそうとした。

そうすれば白犬は大人しく吏史の上から降りていく。ずし…と自らの重量で地面に足を埋めさせていたが、付着した土による不快感をなんとか、足を上げてばたつかせてから払う。

「ゥフッ…アゥ…!」

そして、太い体躯やフサフサの長尾を左右に動かしながら何処かへ向かい案内し始めた。

時折ちゃんと吏史がついてきてるか確認するよう振り返りつつも、白犬は庭園の出口に歩いてる。

「…なんだ?」

不思議に思いながら、やや重い足を引き摺りつつも動かして、吏史は白犬の足跡を辿りついて行く。

庭園の扉を抜ければ、そこには急斜な階段と緑色の丘の上に立つ赤色の屋根の建築物――住居が見えた。


つまり、此処は誰かの家の庭だった可能性が高いらしい。


「此処、お前の飼い主さんの家か?」

思わず白犬に尋ねてみるが、返事には鳴かれない。そもそも言語も理解されてるかも怪しいが、兎に角白犬はワンともすんとも言わずに、尾を振りながら階段を登り始めていた―――が。


「……フゥ……」

どうやら一段目で気力尽きたらしく、横たわられてしまった。


「ええ…」

吏史は口元を引き攣らせながら身を屈み、そいつのでっぷり肥えた腹をつっつく。嫌ではあったらしく、口を大きく開けて噛み付こうとされたものの、己の肉が阻害して吏史の手に牙が届かず、何度か開閉するばかりで上手く噛めていない。


「いや、…案内途中でさぁ…倒れるなよ…」

呆れはするが、このまま放っては置けなかった。吏史は無事である片手で、白犬のお尻を支える形で持ち上げる。

途端、ずっしりとした重さという負荷がのし掛かり、転倒しかけてしまった。

「…ぉ、重………小麦袋三つ分並に重い……っ!?」

中型犬くらいの大きさだというのに、体感、数十キロ以上は確実にあると判断できた。片腕で持つのは大きな負荷で、階段を登り切るには苦労する羽目になる。

「…っ、…っは…」

何十段を超えて住居にたどり着いた頃には、全身の汗腺が開き切って汗だくだった。片手では抱えきれなくなり、白犬を地面に下ろしてしまった後、四つん這いに伏せた姿勢で息を吐く。

「……なあ、おまっ、……なんで、こんなに重いんだよ…っ」

後ろ足と口を動かして痒いお尻の方を掻こうとして転がってしまう白犬が見えたが、現在吏史は構える余裕はない。

なんとか、呼吸を繰り返して息を整えた後に、立ち上がって住居を見上げた。


丘の上に立つ、二階建ての住居。それを覆い囲うような青々しい森の山がある。他の建造物は見当たらず、ポツンと置かれていた。

【暁煌】であることは確かだろうが、あまりにも建造物以外の文明がないものだから、この場所が非常に秘匿的で、神秘的で、乖離的な印象を与えてくる。

建物自体は屋根以外古い印象はなく、むしろ何度か改築したのだろう。壁面には何度も修復したことを示すよう色が異なっていた。

――故に、判断できる。其処に誰かが住んでいるのは明白だと。


吏史は意を決して、住居に向かって足を運んだ。

誰かが住んでいるのであれば聞こう。『古烬』であることを伏せて、傷もなんとか隠し、一体此処は何処なのかを尋ねなければ。

跡を白犬が付いてくる中で、吏史は庭と直結する開きっぱなしの掃き出し窓に近づいて、拡声器代わりに口元に手を当てては声を投げる。


「すいませーん」

………返事はない。静寂だけが続いていた。


「あのー、すいません。誰か居ませんかー?」

静まり返ったままだ。不在であること示される。或いは住民がいるように見せかけて、実際はそうではなかったのかもしれない。そう思い、吏史が手を下げた瞬間。


「フォン!ォオーン!」

白犬が勢いよく吠え始める。足元で飛び跳ね回って、頻りなく吏史に何かを訴えた。

尋常ならないその様子に、吏史はしばし白犬を見下ろす。

「フォーン!アォン!アフッ、アゥ!」

何度も鳴きながら跳ねていたが、派手に動きすぎて疲れたらしい。やがて口を開けたまま舌を出して座り込んだ。

その反応をなんてこともはない、と切れるほど。薄情にもなれず。吏史は今度は、空いた窓の向こう側を覗き込むよう、目を細めて凝らす。


数秒、数十秒。些細な動きがないかを息を潜めて見届けていれば―――日陰で、何かが蠢いた。


「!!」

同時に敵意を孕んだ鋭い視線を感じ、吏史は肩を揺らして咄嗟に動く。即座に武器を取り、銃口を向けようと腰に手を伸ばす。


だが、手の先は何も掴めない、虚空を掴んだ。授けられたばかりの武器が手元にないことに気づき、指先がぎこちなく引き攣る。

「なん、―――ぁ!?」

武器が無い原因はすぐに思いついて声が上がった。間陀邏との激しい攻防時に使用していたが、武器自体を仕舞う行為を忘れていたではないか。

つまり、今は空で放流された状態で、喪失したも同然だと気づき、サァと血の気が引いた。

「嘘だろあの武器作ってもらったばっかりで…」

「アォン!!」

「ッハ!?」

白犬に吠えられて、前を向く。眼前には数センチほど平たく伸びた白紐の線が迫っていた。

「―――――!!」

肌を、粟立たせる。

本能的に、紐自体に接触してはならない予感がした。しかし、武器はない。

故に吏史が取った行動は――肩に突き刺さった宝石を引き抜き抜き、武器の代わりにすることだ。

「っぐ……んのぉ!!」

止血の役目も担っていたものが抜けた拍子で、血も散布する。走る苦痛に顔も歪む。自傷も同然だっただろう。

しかし、目の前の白紐に対処するには、致し方ない痛みだと噛み締めて割り切った。

小刀のように宝石を持ち替えながら、先ずは動体視力で見極めた的確な位置で弾くように払う。

「(っ、なんだ?)」

宝石越しで分かったことは、紐の硬度ではない。まるで金属並みに硬いことだ。

「(やっぱり、ただの紐じゃ…)」

確信する中で白紐は意思を持った蛇のように波打つ形で揺らぐ。

一瞬は怯みの色を見せたが、持ち直したように再び迫る。吏史はそれを避けることはしない。鋭い動体視力で軌跡を見極めて的確に左右に腕を振い、間髪容れずに繰り出された三度の牙突も的確に弾いて拒む。


実に不気味な怪奇現象ではあるが、吏史は白紐に何も忌避も畏怖も覚えなかった。

何故なら白紐は速度も遅く軟弱だ。これまで対峙したアストリネ達は愚か――月鹿も含めて、到底比べ物にはならない脆弱な存在。恐れるに足らない。


「(こいつにはっ、兵器も、異能も…使うまでもないっ!)」

そして白紐を横に強く払い除けて、壁に叩きつける。動かれてしまう前に躊躇なく渾身の力を込めて、素手のまま、殴る要領で、宝石を杭に見立てて壁に突く。


「――――――――!!」

急所を刺す行為にも等しかったのだろうか。

宝石に穿たれた後は、白紐はまるで幾度も強い電流を受けたように痙攣し、のたうちまわり悶える動きを見せる。

しかし、それは長くとは続かない。やがて、神経締めされた魚のように白紐は唐突に――だらんと、亀裂の走る壁に垂れ下がっていた。


「………?止まった…?」

「アフッ!」

「え?なんだなんだ」

白紐がなんだったのかと流血する肩を抑えて不思議に思う中で、白犬が一度吠えてたと思えば吏史の足元で飛ぶのをやめて、窓から家の中に侵入する。爪音を立てさせながら奥に進まれてしまった。


「いや、ちょ…待てって、お前…!」

ひとまず白犬から見たら脅威を越えたのだろうとも判断し、吏史も続いて家に足を踏み入れる。


家の中は争いが起きたようにぐちゃぐちゃだ。

紅茶の甘い香りに満ちている。香りの元を辿ってリビングの丸型の机を見れば、赤いマグカップが横に倒れており、中身はフローリングに溜まり込んでいた。


「(これ、さっきの白紐が何か関係して…?)」

「アゥン!」


分析する前に白犬に呼ばれしまい、吏史は足早に玄関に向かう。


「アフッ!アォン!」

玄関の狭い通路には、幾重にも重なる形で白紐に包まれた―――誰か、が居た。そうと例えるしかできないものが転がっていた。

何故ならそれが、繭に包まれた羽化前の蚕のような状態に見えたから。実際は体の全体がミイラのように白布で覆われており、唯一呼吸だけは許すように小さな鼻だけが剥き出しに晒されている。

その要素で、吏史はそれが人であることが判断できた。


「ちょ…!アンタ、大丈夫か!?」

白犬が前足でそれを掻いてる動作から、おそらくは飼い主だろう。状況等も加味して先の意味不明白紐の被害者に違いない。

今すぐ助けなくてはと、膝をついて近づき、まずは片手で白紐を強引に剥がそうとした。

「…っ、硬ぁ…!」

しかし、隙間なく接着剤で埋められたようにうまく引き剥がせない。まるで混凝土の壁を前にした心地だから、厄介なものだと眉間には皺が寄り顔が歪んだ。

「…こうなったら…っ」

意識集中して、吏史は『ゴエディア』を現出させる。纏うことで得られる身体力向上と鋭利な装甲。これらを利用しようとの爪先ように鋭い部分を平らな白紐の僅かな境目に引っ掛けては呟いた。

「皮膚に癒着してて一緒に剥がれるとか、そういうやばいオチとかはないでくれよ…っ」

剛力を発揮して勢いよく、引き千切る。

バリ、と数センチと分厚い皮の繊維が裂かれたような音と共に、その繭の中身が露呈した。


時が、止まったような錯覚を吏史は覚える。


実際手は止まっていたし、戸惑いと緊張が走って硬直して、苛んでいた肩の痛みは一瞬だけ遠くなり、乖離した世界に立たされた心地を得た。それだけ衝撃的だったのだろう。


「……え?」


前髪の一部が三つ編みに結われた白藍色、快晴の海面と同じ色をしている足首まで届きそうなほど伸びた長い髪。

陽の光を通さなかった肌は陶器のように真っ白で、四肢は簡単に手折れてしまえそうなほど細い。全体的な肉つき自体も薄い体だ。唇もが薄く、血色が良いとは到底言いがたい。

纏う淡い薄青色のレース調に胸元の深紫色のリボンが映えるショート丈のドレスは肩と臍といった一部の肌が透けて見える。

身長は百五十センチにも満たない、小柄かつ非力な印象を受ける少女だった。

「………ぇ、……なん…」

しかし、ただの少女ではない。それだけではない。吏史からは虚を突かれた声が漏れる。

波打ち際に立ち、波に攫われて消えてしまいそうな、泡沫になる手前の人魚姫。そんな淡い儚さを連想させるほど外見とはいえ。

だけど、そう、別に、単純に造形で見惚れていたわけではない。


「…………百合の……女の子?」

何より注目すべきは、彼女の胸元だったため、そんな声が漏れた。


生命を根城にした百合が生えている。

例えではなく、そのままの意味。少女の胸には直接満開の硝子細工でできたような半透明な花弁を持つ百合の花束が咲いていた。

そう、彼女の胸部は百合の束を纏める花瓶のように伽藍堂だ。皮膚や筋肉等はなく、胸骨に覆われているはずなのになく、虚の中身を曝け出す形で花を咲かせている。

心臓という生命を象徴する臓器を根として百合の花束を胸元に開花させてるという、明らかに人ならざるものであろう事を象徴させた。そんな異形の少女だった。


吏史が口を開けて惚けてしまいかける言葉を無くしてしまう中、不意に、生きてるのかと確認するために、そっと。『ゴエディア』を解いた。生身の手で、彼女の胸元に咲く花束に触れていく。


柔らかな花弁の感触と、温もりを感じ得た。

そして触れた拍子以外で僅かに、微かに。百合の花弁は漣を起こし揺れるのを見る。その波は心音と同じく一定で、鼓動じみていた。


「……生きてる……?」

つまりそれは、少女が虚構の作り物ではなく一つの生命体であると示唆するのだろう。


「アゥン!」

「――っ!?ハッ!!」

惚けてる場合ではないと注意するよう白犬に吠えられてしまい、肩を大きく跳ねさせてしまった吏史は慌てて手を離しては、再び『ゴエディア』の力を発揮して残りの白紐の拘束を解いていく。


「(な、にしてるんだ、何してるんだ!?まずい、軽率に女の子に触れる行為は、失礼にあたるって先生にも……っ、……)」

しかし、『綺麗』だと感想を抱いた。他者に対して心から容姿に衝撃を覚え思うのは、あの銀の流星以降かもしれない。


「…………作り物みたいだと思った」


ポツリと一言だけ呟いて、妙に高まる心音を理解し難いと眉根を寄せながらの作業を続けていく。それはやや粗暴な行為だったのだろう。

「……っ、ン……ンン……」

やがて、揺さぶられた少女の閉ざされた瞼が震える。浮上し始めた意識の浮上は止まらない。ゆっくりと純白のヴェールを上げるようにも開かれて、吏史と視線が合わさった。

「(……う、わ…)」

髪と同じように瞳までもが淡い空を閉じ込めた白藍色だと知り、胸中では感嘆の声が漏れてしまいながら目を彷徨わせてしまいそうになる。


「………………………………」

だが、そんな妙な羞恥心に駆られる吏史を置いて。少女の寝起きで緩んだ筈の表情が徐々に険しさを増している。どうやら、目の前の吏史に対して警戒心を高めてる様子だ。

「あ、いや!待ってくれ!オレは、」

「アフッ!」

吏史が慌てて事情を説明する前に、尻尾を振りながら白犬は少女に顔を覗かせた。途端に、同時に彼女の剣呑な表情が緩む。

何度か目を丸くしてパチパチと瞬かせた後に、首を傾げながら吏史は尋ねられた。


「……どなた様でしょうか」

「…あー…オレは…」


一安心をして息を吐きながら、素直に名乗るべきか、悩み、言葉が濁る。


「えっ、と……」

彼女の風貌からして、アストリネである可能性が高い点と、代表管理者の間陀邏に襲われた経緯が吏史に躊躇いを作らせた。


「(もしかしたら、この子は間陀邏の思想に寄った子かも知れない。ここでちゃんと名乗るのはまずい………よな)」

せいぜいこの場では言えて【ルド】から来た兵士…のみだろう。そう決めて意を決するよう拳を握り、「オレは」と言いかけたところで、少女が何度か目を瞬かせては呟く。


「ふむ…。白が縦に走る黒髪に…目元が緩んだ幼いお顔。青と黄色の……異色の瞳、…涅色の骨のような、手甲」

人差し指で一つ一つ指して、特徴を抜粋する動作を交えていけば、彼女の中で答えが生まれたらしい。「あ」と閃きめいた小さな声の後、紡がれた。


「もしや、貴方は透羽吏史くん…ですか。『古烬』の兵器、『ゴエディア』所有者の」

「ぃ゛…っ!?」

吏史から引き攣った声が漏れて、瞠目する。図星と教えてしまう反応だ。

失態を犯したと自覚すると同時に、吏史は後方に跳び退いた。そうして反射的にも少女から距離を置き、まだ動ける片手を前に翳す。まるで降伏の意を伝えるように。


「待て!待ってくれ!オレは、アンタと争うつもりは…!」

「え。いいえ…僕も別に争うつもりはありませんよ」

「――――うん?」

「むしろ、安心しました。本当に貴方が透羽吏史くんなら元より合流する予定でしたので…こうして難を逃してもらえて、よかったです」


まさかの返しを受けて、吏史は呆気に取られつつも掲げた手を下ろす。

「では、我が姓名を名乗りましょうか。それできっと伝わるでしょうから」

反面、少女はゆっくりと体を起こし始める。少し、前に流れる形で乱れた白藍色の髪を緩やかに後ろに払い流していた。


「僕はカミュール。五十代目カミュールと申します」

そして吏史から注目を浴びる中、彼女は自らの姓を名乗りあげる。


「…!カミュールって、『平定の狩者』に参加希望した…」

「はい、そうです。唯一、名を挙げて表明したアストリネでもあるのでしょうね」

姓名を知って、彼女自身を理解した吏史に対しカミュールは近づく。離れられないのを良いことに目の前まで寄っては屈む。

垂れ目気味の大きな瞳を向け、覗き込んでは藍白色の虹彩に捕えるように映す。


「(――い、や。これ、近――――)」

彼女から視線を逸らし彷徨わせて逃れることすらもできず、カミュールという存在を認知してからずっと、高まってばかりで煩い己の心音を聴きながら見返すしかできない。

そんなふうにどうしようもなく、全身に絡む泥濘に囚われた吏史に対し、カミュールは鈴を転がした涼やかで心地よい声で歌うようにも告げる。


「透羽吏史くん」

この先の運命を共に進むという誓いにも等しい、発言を紡ぐ。


「あらためまして。助けてくれてありがとうございます。この恩に報いるため、世界の害を滅ぼすために……」


扉からは陽が差し込み、カミュールと吏史の二人を照らしていた。

長い藍白色髪がサラリと流れ行き、頬を撫で、甘い百合の芳香が漂い鼻腔をくすぐる。


「最期まで、貴方の味方であり続けましょう」


故に、吏史は、花の丘で一面の青空を見上げながら迎える暖かな朝の心地を錯覚し、床についた手の力を無意識に込めつつ思う。


『此処ではない遠い場所から、来たよ』

彼女が纏う雰囲気は、吏史の心深くに根付き今もなお輝く銀の流星によく似ている。




一方その頃。

無事ブランカに回収された朝海だが、彼女は目的である空中浮遊区……第一区『暁』に足を踏み入れられていない。

あの後、地上に降りたのだ。

鉄筋コンクリート製の連なるように建設された建物に満ちた、食品輸入輸出の管理行うことを主な業務となる勤勉なものたちで集まる__第二区『希』に。

用があるのは第一区の方だと朝海なりにブランカに伝えたが、どこか申し訳なさそうな表情で拒否されていた。

「今現在第一区『暁』では、『門』の異常に加えて発電所の問題が起きておりまして……【ルド】の兵士といえども代表管理者に許可されない限りは出入り不可の状態です」

そう、二十三代目間陀邏の許可がなければそもそも入れないのだと。あくまで部外者だからこそ仕方ない対処であると拒否理由自体納得はしているが、客室内に閉じ込めるよう案内された上で思うことはある。


「(__吏史なら、この人の態度対応とか、展開とか変わってたんじゃないの?)」


あの激しく宝石が煌めいた空中にて、ブランカは確かに吏史の名を呼んだ。浮上した邪推を肯定させてしまい余計に嫌な思いになるものの、それ以上に朝海を助けて何処かに飛ばされてしまった吏史のことを思うと気が深く沈む。


「どうしよう。……どうしようどうしよう…」


迷いの言葉を反芻しながら何度も円状に歩き回った。まるで放浪徘徊する熊のような動作だ。しかし、顔面は血が抜けきったように蒼白で、狼狽えているのが見て取れる。


「いや、どうしようじゃないよ。そうじゃなくてまた、通話……通話かけなきゃ……」

募る不安に耐えかねたのだろう、朝海は腕にあるHMTを押し呼び出し用の連絡先を開く。

最新の連絡先の上から連続で並ぶ吏史の名を選択し、立て続けに通信をかけてみた。


「お願い、お願いだから出て。出てよ…無事でしたー無傷でーす!みたいな、ぶっちゃけ杞憂でしたオチとかさぁ…っ」

しかしやはり、祈り虚しく。吏史からの返事は一向にない。もう十件以上のメッセージも送りつけているのだが、無意味だと示すように全て未読のままだ。


「イプシロンさま…」

首を頻りなく横に振りながらHMTを操作して探すも連絡先登録はされていない。

彼の師匠で保護者的な立場にある憧れのアストリネ。しかし彼を前にするとあまりに緊張しすぎたものだから、朝海は個別連絡先を入手していなかった。


「ね、ネルカルさま…」

過呼吸じみた状態に陥りながら操作して探すも連絡先登録はない。

己を認め懇意にしてくれた代表管理者たるアストリネ。頼りにしようとしたが、別に連絡先を交換したわけじゃなかった。


「ディーケさまにワンチャン…」

こうなれば自棄だと特に大した接点もないアストリネに突撃しようとしたが、当然、個別連絡先を得てるわけもなく。


「…ぁあああああああああ…!」

詰みだ。当然親や友人をあてにして任務情報等を流すわけにもいかないので、詰みである。報連相すらまともにできないならば、どうしようもない。やる気だけある無能、お荷物とは朝海を指すのだろう。

だから、こうだから。

吏史には庇われるように助けられてしまったのだと、頭を抱えて床に崩れ落ちて伏せる。

「わた、私、結局。何も…ぅう…ぅぐ…ふ、ぅ゛ううううううぅうう…」

情けない、ただただ悔しい。いかに自分が守られていた環境で過ごして、いかに脆弱なのかを自覚して、唇を噛み涙を流す。こんな危機的状況も何も対応できないで蹲るしかない自分の甘さと軽率さを痛感して、泣いてしまう。

それだけでは何も解決にならないというのに。堪らなく無力感を感じたまま、朝海はさめざめと大粒の涙を溢し泣いてしまうばかりだ。


[―――して、……]

そうして泣き続けてるところで、不意に誰かの声が聞こえて鼓膜を揺らす。

「………ぅえ……?」

すぐに朝海は顔を上げて周囲を見た。

耳をすませばどうやら声は扉の向こうから微かに聞こえてきてるらしい。蹲る姿勢だけをやめて立ち上がり、扉の方に向かう。

開く前に、両手で赤らんだ目元を擦った。鼻水を啜って唇を強く噛む。そうして自然と溢れる涙を堪えてから意を決し、手で押した。


「悪い。それで頼みたい。…うん。わかってる。時間自体はあまりかけたくないのは、こちらも同じだ」

扉向こうの通路には、一人の女性が佇んでいる。

絹のような白髪に蛇の様に瞳孔が鋭い赤目の女性だ。髪で隠れているが、僅かに傷跡らしきものが垣間見えたことから隻眼なのやもしれない。青のジャケット以外は白黒のシャツやズボンというシンプルだがカジュアルスタイルだが、彼女の豊満な体のラインは隠せていなかった。

そんな彼女、恐らくはHMTを使用しているのだろう。左指に着用した金色の指輪を唇に近づけて、何者かと会話している様子だ。


「間陀邏が……あいつが事を起こした責任は、私が持つよ。兵器『リプラント』の破壊にも急ぐ。ああ、ハーヴァの姓名に掛けて」

姓名の誓いを聞いて、彼女がアストリネであることを朝海は瞬時に理解する。

そして同時に、脳裏に過るのは先日の試練内のこと。吏史に楽しげに語られた話だ。

『――オレはイプシロンだけじゃなくて、ハーヴァとかアルデとも……』

〔彼の腹心であるハーヴァを味方につけた方が成功率は高いだろう〕

「…あ」

咄嗟に口元を押さえて、一瞬の迷いの末にその場で身を屈めてしまった。

ハーヴァならば先日共有された任務に少しだけ記載されていた…あの、間陀邏の腹心にあたる存在で、同時に吏史とは親しい仲にあたるアストリネ。


――だがしかし、何故、こんな外部客室の通路で。そのアストリネが、コソコソと隠れて何をしてるのだろう。


「(ここなら【暁煌】の人は……そんなに通らない筈よね。客室用だし…………何だか、やましいこと、してるみたい)」

間陀邏に襲撃されたこともありハーヴァに対して朝海の警戒心は高まるばかりだ。信用できるかそうでないか、見極めるべきではないだろうかと。


「(…しかも、今は外部の誰かと連絡取り合ってるみたいだし…)」

水滴ひとつ分程度の懐疑心を抱き、朝海はハーヴァに注目する。

一動作を見逃さぬよう梅色の瞳を見開き目を凝らす中で、ハーヴァは通話相手に意識を傾けたまま、相槌を打つように首肯した。


「…ああ。なら、先ずは破壊された発電所の現場確認からだな。すぐに引き受けよう。其方も、元凶の特定と復旧作業等に急いでくれ」


ぱち、と朝海は何度か瞬きしながら、その発言の意味や意図を先のも含め合わせて噛む。

「(…『リプラント』の破壊……発電所、元凶…?の特定かな。復旧…たぶん『門』の依頼だよね…だって、あれ、明らかに変というか、飛んだ先含めておかしかったもんね…)」

「…わかってる。この事態を表に出させない。必ず私たちアストリネ内で解決させる。させなければならない」

そうした必死な、切実で懸命な思いが籠る小さく震えを含んだ声も聞こえて。ハーヴァに対しての疑念を薄め、朝海は考えを改める。

「――私たちは、守る役目を果たさないといけないだろう」

彼女の目的は此方と近しいのではないかと、答えに行き着いた。


「(二十三代目間陀邏側の…アストリネじゃない?)」

そもそも見た目も間陀邏とは違い、ちゃんとした人間女性に見える。その時点で人類には友好的な部類だと判断していいのだろう。

「(だったらこの方と共に行動して協力した方が色々動けるし、任務解決に繋がるかも………)」

ならば、と屈んでいた姿勢を正し立ち上がろうとする。だけど、生まれた迷いで身が強張って、床に縫い付けられたように上手く起き上がれなかった。

「(なんで…………あ、)」

疑問を即座に解決する自覚を行って、胸中に自己否定の言葉の羅列が流れていく。


自分が役に立てるわけがない。透羽吏史と朝海は違う。その劣等感は謝りではない。お前は何も成しえないだろう。


《吏史に身を挺して助けられてしまったように、今度はハーヴァの足を引っ張るつもりか?》


そうひたすらに無力で無能だと存在そのものを非難するような囁きを耳打ちされた気がして、目を強く瞑った。

「(…煩い!)」

陰鬱した気持ちで迷う気持ちも、自分も、思い込んだ妄想評価も。全部が姦しいと払うよう、朝海は壁に手を当てて勢いよく立ち上がる。

「(元々正解なんて用意されてないし、私が選択するしかないんだ!このままずっと塞ぎ込んで反省していても、それこそ意味がないじゃない!何のために私、あいつに助けられたの?あの時、試練も果たしてここで頑張ろうって決めたの?――これはきっと、行動しなかった後悔の方が大きい、そう。だから…っ)」

自粛をし続けるのだけは避けなければ。何のための兵士、『平定の狩者』か。このチーム自体全てが透羽吏史のために再結成したわけではないだろう。

今、中心となるべき人物の行方がわからないのであればこそ。

「(吏史がいないのなら、いない分まで私ができることを、私なりにちゃんとしないと…!)」

決起した朝海の唇は一の字に硬く結び、梅色の瞳は決意を込めたよう据わっていた。


それから一歩。強く前に踏み締めるように踊り出て、ハーヴァに声を掛ける。


「――あの!!」


通信の方に意識を傾けていたのか、突然現れて大きな声を張り上げた朝海の登場にハーヴァは肩を揺らした後、隻眼を大きく見開いて向けていた。


「あの、いきなり………すいません。お話を聞いてしまった上で、かつ、誠に不躾ながら、貴方様にお願いしたいことがあるのですが!」

驚かせてしまっての謝罪は紡げず、要件だけを手短に伝えようとする。

吃らないよう、自分の意思と誠意を相手方に明かすために、懸命にはっきりと。拳を握り締めて言う。


「私は【ルド】の兵士です。これでも、『平定の狩者』配属された…朝海です!」

「…え。それならアンタは吏史の…」

「どうか…わ、私を…私をお供させてください!…お役に……立ってみせます!人質なり、盾なり。【ルド】の兵士なら幾らでも使いようがありますから、だから…っ!」

最早これは押し売りに近い。自覚は若干あれど、朝海は怯むことなく己を制さずに主張する。どうしても何かを成し得たいのだ。成さねばならない。

そうでなければ、何故吏史に救われたのかわからない。だからこそ少しでも責を果たす使命に駆られたままに朝海は進もうとする。


「どうか…どうかお願いします!!私にも平和を守る役目を、一緒に背負わさせてください!」


そうした決死の思いを込めるよう頭を深く下げて必死に同行を頼み込む朝海を前に、ハーヴァ――…ジルは、その赤色の蛇眼に少女を映しては何度も瞬かせていた。

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