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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
21/56

襲来

自身の身一つ。何もない空にある。

自由に宙に流れて落ちゆくような――そんな浮遊感を全身で受けながら吏史は緩やかに瞼を開く。

そして、夏空の瞳が視認した目の前の光景に瞠り息を呑んだ。


「うっそだろ…!?」


そこは一面の空が広がっていた。どうやら実際、吏史は宙に落下していたらしい。

黒髪や服の一部が風で翻る中で、冷静に体を回す。背面から落下する体勢を着地姿勢に整えながら、辺りを見渡す。

白雲に満ちており、地上も見えない。相当標高が高い位置にいると判断できた。


「ぃ、いやぁああああああぁあああ!!?ちょ、なんでなんで!?昨日の今日でこれとか、聞いてないぃぃいいいい!」

劈くような悲鳴だ。ぱち、と瞬きしながら声の方向を見る。

予想通りではあるが、どうやら朝海も同じ状況にいたらしい。

数十メートルほど離れた距離で姦しい悲鳴を上げながら、髪や軍服の外套を風に棚引かせている。流れる涙は強制的に上昇気流に連れ去られてしまいながら、恐怖で身を縮こませていた。

そんな彼女に、吏史は声をかける。


「朝海ー!落ち着け!取り敢えず、死なないことから考えろ!」

「いや何言ってんの!?どう考えたって詰みでしょぉ!この状況!!」

「詰みじゃ……っ、詰みじゃない!まだ手はある!」


技能だけではどうにもならない、この盤面をひっくり返すのに十分な手段を渡されていた。

吏史はその手段となる胸元のガラス管『覚醒剤』を即座に一本、取り出す。

この危機的状況を解決する手段として、最も最善となる異能は―――


「(『風操作』…!空中浮遊も可能だったナナの異能を此処で使うしかない!)」

ネルカルがこれまで用いて見せていた異能の数々を思い出しながら、どう扱っていくかの起点を働かせていた。

「(まずは……朝海を手繰り寄せて回収。一気に地上まで急速落下しつつ、着地寸前で暴風を起こし衝撃を緩和する!……っ異能を使うこと自体、ぶっつけ本番だけど、やるしかない!)」


早々に使うことになるとは、考えたくもなかったが仕方ない。

自身の嫌悪で彼等の信頼を跳ね除けて死んでしまうよりは、朝海の命まで落とす事態になるよりは、ずっと。

そうして吏史は歯を食い縛り、意を決したことに応じるよう黒骨の装甲『ゴエディア』が身に纏う形で顕現する。

指先の強靭な力で斬り捨てるようガラス管の蓋を開けて、その中身を傾けて一気に口に含んだ。

ツンと、痺れに近い刺激的な甘い花の香りが口内と繋がる鼻腔に満ちていく。


「………あっっっっまぁああああぁああ゛!?ぉ、げぇっ…なん、なんだこれ!?蜂蜜を煮詰めきって凝縮した味がする!っやばい喉が痛……」

「は!?そんな食レポ急にされても困る!?何!?何飲んだの!?怖い怖い怖い怖いぃ!!」

呑み心地は水の様だというのに一つ一つが砂糖の甘さだけを追求して濃縮されたような強烈な味だ。焼ける痛みすら覚えて、思わず喉を押さえ軽く何度か咳き込んでしまう。



「ゲホゲホっ、…ど、どういう味かくらい、…オルドに、聞けばよかった…ゲホッ!」

「というか何その腕!なんか急に生えてきた!?…え!?何、そのカッコ良いの…ずるい!ずるくない!?それも特別に支給されたの!?なんで私にはないの!?」

『ゴエディア』を初めて見た朝海は怯えるどころか両拳を握っては振り目を輝かせてずるいと騒ぐ。最早落下する恐怖は霧散しているようだ。

やはり、彼女はある意味で天性の黄金精神。相当タフなのかもしれない。


「ごめ、余裕ができたのなら何より、なんだけど。ゲホッ、ちょっと待っ―――」


パキ。と硝子が割れる音が立つ。否、それは結晶が形成される音だ。

「……え?……―――!」

惚けた意識を覚醒させる展開が、起こる。


「んひゃ?!」

朝海は、突如落ちていく状態から救われた。

「……え、何これガラス……?でも、それよりも硬い……船?」

己を包むように現れた、半透明の硝子――石英。それで構築されて見えざる力で空に浮遊する凹甲板型の船に乗せられて、困惑して顔を横に振る。


そんな誰かに助けられたように拾われた朝海とは反し、吏史は急に真下から現れた赤色の面に叩きつけられそうになっていた。

「…っ!」

勢いは早い。落下と上昇。それぞれの運動が起きる二物体同士による弾性衝突が起きてしまう。

対処せずに当たればどうなるかは、吏史でも想像容易い。

「(このままは拙い!)」

咄嗟にした行動は、せめて足という一点で衝撃を受けないようにすることだ。

身を回して背を向ける。全身の側面で接触するよう努めた。

「ッ゛!」

接触の際には当然全身が痛むものの、吏史はそのまま床に横転し、何度かの回転の後に落ちないよう足を開き手を伸ばして床に手をつけてしがみついてから体を起こす。


「(…………硬い。なんか冷たい……なんだこれ、金属か?いや、どちらかというと…石、みたいな……)」

触れた手から伝わる冷たさに戸惑いながらも、場に蹲ることはせずに立ち上がった。


体が痛み、打ち身を軽く訴えても気にかけられない。今、状況等は良いとはいえない。

赤色の石に立つ吏史の周囲には、多くの石のようなものが次々と現出して始めている。

「…あれって、エメラルド?わわっ、すごいすごい!オパールとかもある…!」

その様々な色を見て朝海はそう声を上げていた。つまり、今し方現れたこれらは宝石と呼ばれる部類のものだと。

「すごい、何これ…」

数十秒経過して、五メートル以上はある宝石が空に浮遊する形で十数個ほど編まれており、空を彩る色彩となっていた。

非現実的で実に不可解な現象を前にした吏史は朝海に尋ねる。

「なあ、空に浮く宝石ってあるのか?」

「それはないと思うけども……」

否定された。そんなはずはない。宝石は鉱石、地上のに眠り育つものだ。空にあるはずがない…と。その返答に吏史は首を傾げた。


「じゃあ何で、これは一体何なんだ?」


謎が謎を招き、戸惑いが落ち着くことはない二人に対し異常が続く。

「!!」

不意に強い敵意を含んだ視線を感じた吏史は、弾かれるように見上げた。その動きに合わせて肩を揺らすものの朝海も同じ場所に視線を送る。


そこに、あった。十数メートルほど離れた距離に浮かぶ柘榴の様に赤い紅玉石の上に、黒影が。


「――……狼?」

形自体は、五メートルはゆうに超えるであろう巨大な狼に見えた。

しかし一見だけの感想で、実際はそうではない。比較的正確に表記するのであれば――黒曜石で編まれた狼の皮を羽織る形で擬態したような四足歩行の『何か』だ。

頭部には細長い鋭角が伸びており、口と思わしい暗黒の虚空には目と思わしい赤色の光が二つ浮かび揺らぎ、その下には鮫のような鋭利な牙が並ぶ。

胴体には一振りだけで多くを切り潰すだろう鋭利な四本の赤色の爪が四肢の先に付着しており、尾と思わしい箇所には九尾を彷彿とさせる複数の石英が連なるように広がっていた。


それは、どの生物にも例え難い存在である。

しかし生物であるのが確かである。

故にいずれにも象られない――それらの生命体を総じた呼称は至高の時代が訪れる五百年前に名付けられており、今は知らぬ人類はいない。

自ずと生物の呼称は人類である朝海から、畏れ多いとばかりに控えめかつ微かに、放たれる。


「――アストリネ」

カツンと音が鳴り響く。突如として姿を現したアストリネが持つ硬質な爪が、足場となる宝石を叩く音だった。


「よお。腐れ『古烬』」

虚空の中から口を動かし、僅かな吐息を漏らしたアストリネが若き男性の声を発する。


その声に聞き覚えがある吏史は、突然理解を拒む存在との遭遇で茫然自失仕掛けた意識を取り戻す。

息を呑んで、その名を呼ぼうとした。


「――あんた、まさか!?まだ――」

「死んでくれよ」

だが、『それ』は吏史に名を最後まで紡がせない。

問答無用の宣戦布告と同時に、空を飲み込む輝きの殺意が煌めく。

創造主の意思に従うよう、色彩の鉱石たちは宙を巡り鋭先を吏史に向ける。

極刑を処す杭となった十数にも及ぶ宝石が、吏史に向けて一斉に放たれた。


吏史の足場となる宝石をも破壊する攻撃だ。逃げ場はない。処刑場に立たせていたも当然である。頭部から脚に掛けて、強固な宝石は肉を穿ち容赦なく生命を奪うだろう。

――皮膚が破れ、一滴の血を流す。肉を割き、骨を砕く。

刹那。

ギリッと歯を食いしばり、『ゴエディア』を纏う両手で拳を握り、全身に力を籠める。

抵抗の呼応するよう吏史の双眸は光が灯るように輝き、意思に応えるよう暴風が放出された。

「!」

まさにそれは風の防壁に等しい。分厚い空気の圧を越えられなかった宝石等は弾かれて、何度も回転しながら数メートルほど距離を離される。

「…っ」

反射的に異能を使えたことに動揺を覚えつつも、吏史は目の前のアストリネから目を逸らさない。それ以上の異能を使わない姿勢を保ち、対話を望もうと見据えていた。


「…テメェ…」

だが、さらに琴線に触れてしまったことを明示されるよう、心底忌々しげに、地を這うような低い声が漏れ出す。


「ネルカルに手を出したな?」

「ぃ゛っ!?」

口元が引き攣る。

しかしそう思われても仕方ない。当然の反応だ。事情を知らないアストリネの前にして風の異能を使えば、『ゴエディア』を持つ以上、ネルカルに手をかけたのかと疑われるだろう。

――状況的に使用せざるを得なかったから、悪手というより誤解の悪循環と言えるが。


「ち、違う!違うって!これは…ナナから譲り受けたものだ!」

「ああ゛!?だったらなんでテメエが風操作の異能を使えてんだよ!」

「それは…!」

どこまで【ルド】の事情を話してもいいかわからず、説明に迷い目も泳ぎ彷徨う。

その反応ではより一層疑念を深めるだけだが、――元より相手は吏史の人柄を理解しておらず『古烬』としか認識していない、『覚醒剤』の存在なぞ認知していなかった。


そもそも前提的な話。彼は吏史とは平和的な対話を望んでおらず、[戦争]を仕掛けている。


「言い訳無用だ。自分は世界一不幸ですみたいな辛気くせえ面して…周りの同情を買うようなその顔が前々からムカついてたんだよ。生かすだけで世界に害を成すような存在の自覚が薄い」


つまり現時点で口火は切られており、和解なぞ初めから無いも同然だ。


「《《案の定》》、お前を生かしたせいで【暁煌】が乱れた。これ以上荒れない為にもテメエを始末するしかない」

カツン、と爪から鳴る音が響く。先よりも重いのは、苛立ちが含まれたからだろう。

そして彼の紅目の揺らめきが増す。

「っ、」

携える異能の出力を上げた、らしい。

その証拠に宙を舞う十数の宝石は何度も分裂し、やがて一面の宝石で満たされる空が展開され、陽光を受けた鉱石たちは眩い反射光を放っていた。

思わず目を瞑りかけるが、細めていく。

睨むように見据えた後、顔面を蒼白とさせて固まる朝海をも視認できた。


「この世界を想う?『古烬』を滅する?そんなくだらねえ夢物語の戯言を宣うくらいなら、今すぐ、ここで往ねや!」


咆哮を上げるような、空に響く声が宝石の空を揺らす。

その雨霰は吏史を襲うが、今度は脳天を穿たんと迫る石英を弾くことはしない。敢えて足場から離れた。宙に飛んだ。落下するのではなく風を操作して自身の体を浮かせつつ、すんでのところで身躱した。


「(…行ける!)」

空を飛ぶ際のコツだとネルカルが言っていた話を思い出しての応用だ。

全身を覆う空気の膜を羽織り空気抵抗を相殺するのは前提に、独自の空間を展開する手法。

『ま。よーするに空を空だと思わないことなんだよね。私に取っては飛ぶことは即ち階段駆け上がる感覚と同じなんだよ』

人差し指を立てて自慢げに話された説明を聞いた当時は、全く意味がわからなかった。だが、実戦でようやく意味が理解できる。


ネルカルに於いて、地上も空も大した差異がない。

足場がないのであれば風で編み、空高く舞うのなら風に乗る。

変幻自在を織りなすには自身が風となって踊ることだ。


「(使い方は同一か一体化…?それに近い感覚か…?いや、深く考えるのは、後!)」

ネルカルの異能は大体は理解できた。

後は、気を集中させるため、息を詰めるように、止める。

一点集中すべきだ。戦争を仕掛けられたとしてもこちらが手を上げるまでは成立しない。夏空の瞳が大きく瞠目した。


「(此処は――直接近付いて、抑え込む!)」

無数と言える宝石の杭が迫る中、個々に彩る的確に対応し、避けていく。


時には腕を断ち切ろうとした紅玉の面に触れて足場にしながら体勢を整えつつ、胴体を割ろうとした碧玉を背面にして転がるようにいなす。


首を断切せんと迫った金剛石を『ゴエディア』を纏う腕で殴りつけて退け、双眸を潰そうと放たれた黒曜石を腰に着用した武器の柄を取り、剣状を象らせては斬り払う。


「(…対応、できは、する!先生の銃弾よりも小さくはないから捉えやすくもある、っけども…!)」

一呼吸という油断すら許されない乱撃に対応しながら思う。

宝石と弾丸とは大きく違う点がある。

弾丸と違い、宝石には硬度があり、剣や腕力程度では砕けない。

つまり、幾ら吏史が的確に回避し切ろうが攻撃の嵐は続き、反撃の余地すら与えられないということだ。


「チッ!…腐ってもジーンに鍛えられただけはあるか!」

カツンと硬い爪の音が鳴る。

同時に、主の呼応するよう宝石の速度が増した。

その動きには一定の速度があることは高い動体視力で分析できていたが故に回避していた甘さを突く一手となる。

「ッ!」

一部白混じりの黒髪が切れて宙に散り、掠めた頬や腹部からは裂かれた皮膚から血が滲んだ。

鍛錬で耐性はつけられたとはいえ、鋭く走る痛みは行動の機敏さを鈍らせる。その鈍さの生まれは隙となり、宝石の刃は傷を次々と作り上げ、頬や腹部に留まらず、身体中に浅い切り傷が重なっていく。


「ちょ…不味くない!?」

状況等に不利を察した朝海は畏敬をも含めた恐怖を払い、攻撃を仕掛けてきたアストリネに向けて声を張り上げた。

「あの!あのぉ!お願いします、待ってください!!誤解です!ネルカル様は全然…全然、生きてます!今日だってお元気に【ルド】で甘い紅茶を飲まれ…」

「ああ゛!?んだテメエ!兵士のくせに『古烬』の肩を持つのか!?」

「ヒッ!!!ち、違いますやい!!!」

「だったら黙って其処で落ち続けてろや!いい子にしてたら後で回収してやるよ!」

しかし凄まれてしまえば怖気ついてしまい、梅色の目に涙を浮かべて萎縮する。

人はアストリネに付き従うもの。深く根付いている畏怖が、歯向かう精神と勇気を簡単に削げるのだ。


誰も朝海を非難できない。仕方ない、と吏史も割り切っていた。

やはり展開としては最悪ではあるが、分かってもらう為に明確に抵抗するしかないのかもしれない―――


「(駄目だ!)」


否。強く目を瞑って選択を跳ね除けた。何故ならそれは、悪手となると予期できた。


「(攻撃に転じる以前の問題だ!そもそもあのアストリネは――間陀邏。代表管理者である彼を攻撃してどうする!?こっちに利がない!)」


そう、【暁煌】の代表管理者たる間陀邏を傷つけようものならば、後々不利になるのは吏史だ。


だから、何とか、無茶でもいいから。やはり間陀邏を傷つけることなく抑え込むことが最善だろう。むしろそれしか許されてない。

吏史の眉間に深い皺が寄った。


どうするか、どうすべきか。


「(どうする…どうする、どうする!?)」


傷と貧血で重くなる体で、必死に迫る宝石の回避を続けながら思考を巡らせる。


「(一体どうするべきなんだ!どうすればこの状態を打破でき…――ッ!)」

そうして、悩み長い思索した先に過ぎるのは、昨夜のこと。

イプシロンに『覚醒剤』を手渡された、あの時の会話だ。


『推測では異能を組み合わせること自体は可能』

結び出された答えは、一つ。

――目には目を。異能には異能を。間陀邏相手となれば、多くの異能を扱い、機転を効かせて押さえ込むしかないだろう。


「(―――ッ、……やるしかない!)」

瞠った目を据えて、決断した。

どうしたってこの状況下での配合使用までイプシロンたちは予測してなかっただろうけども、使うならば今。此処しかない。

そして真上から切り落とそうとする断頭台が如くの紫水晶をすんでで避け、武器を器用に回しながら形状を槍に持ち替える。

長柄を掴み、旋風を描いて異能の暴風を乗せては斬り払った。

迫っていた宝石を一時的に距離を離す形で、数秒の時を得られる。


すぐに懐から翠と赤の円状のシールでマークされた二本の『覚醒剤』を取り出して、親指でガラス管ごと横一閃に断ち切っては中身を口にした。


「…っング…!」

顔が歪む。強烈な刺激物を飲んだ感覚に等しく、喉に焼けるような痛みが走る。

各々異なる花の香りを強く主張した後に嗅覚を殴り、珈琲の渋みと苦味を濃縮した味にとレモンの酸味でイヤな部分を濃く出したような味が調和せずに胃に流れていった。

「…っ、……!」

苦しさを覚えて、吐き気を催す。

だが、吏史は強引に、喉仏を上下させて嚥下する。


やがて息を吐けば早鐘を打つ心音や風音とは別に微かな声が、鼓膜を。脳を揺らした。


『――――――何だ?』

どうやらイプシロンの精神干渉操作の異能は、吏史の場合だと切り替えは効かず、自動的に拾う物らしい。


『あいつ…今、何を飲みやがった?』

声の主である間陀邏は正体がわからない物を飲まれて警戒心を高めている様子だ。

若干、身を揺らすまでもが生理的な涙で潤んだ視界の中で、見えていた。


『いや、何であろうと関係ねえな。小細工に出られる前に、ここで仕留める!』

直ぐに整理されて実行に移られようとしてる、そしてそれは、先んじての予兆ともなるだろう。


空になったガラス管を放り投げて、ゲホッと小さく咳き込みつつも己の武器を持つ手の力を強めながら、身構えた。


「ちょこまかと…!いい加減、くたばれや!」

聞こえていた心理通り、間陀邏が仕掛ける。


七つの宝石が扇状に広がった後、同時に放たれた。

しかし、向けるのは鋭先ではない。技法を変えていた、回避の隙間を無くした上で対象を圧殺する手段に出始める。

「(これだったら風でも―――)」

それは甘い考えだと即座に見切り、吏史は受け止めるのではなく全力で逃避する方に躍り出た。


接着した宝石の上に立ち、足場にしながら操作されてない別の宝石に飛ぶ。ひたすらにそれを繰り返す。

風と共に、自由に、縦横無尽に。次から次へと宝石に着地し瞬発し続け、宝石が形成されて軋む音とは別の、脳に響く心の声を聞き分けながら翻弄し、離れていた間陀邏との距離を詰めていった。


「(――もう、少し!)」


もう少しで接触ができる。条件が揃う。後に、ディーケの異能を発揮すればいい。それで相手の自由は奪えるだろう。


しかし、間陀邏の赤眼は剣呑な光を宿し、蠢く。


『―――こいつ、まさか、こっちの考えを読んでやがってるのか?……イプシロンの異能まで扱えるのか!?』


「(――気づかれた!?)」

看破されたことに驚愕しつつも、吏史は即座に対処する。心を読みながら相手の意を狩り距離詰める策は潰れたも同然だろう。決行し続けるのは、危険行為だ。

アストリネの中でも力が強いことに知られている『管界の六主』に手の内がバレても通用するほど過信はできない。

むしろ、してはならないと痛感していたからこそ、吏史は身を引こうとした。


「しゃらくさい!」

だが、打って出た速度は間陀邏が速い。

手を仰ぐような動作一つでそれが起こる。操作思考が読まれてしまいのならば《《全方位》》に放てばいい。無茶苦茶ではあるが、それを可能とする異能を持つ間陀邏は、吏史の周囲にある巨大な宝石たちを一斉に破裂させた。


砕け散った宝石はそれぞれの色を広げながら範囲二メートルまで無差別に散る。それは、棘が付いた鉄球か散弾銃同様の威力。

「…、ッ゛ぁ…グ…ッ!」

暴風による防壁対処に遅れた吏史の左肩が、余波を受けた。『ゴエディア』に覆われていない箇所だった故の、被弾だ。皮膚や肉を貫通する強固な砕けた宝石の粒が三つ。それが大きなガラス片のように突き刺さってしまい、赤色の鱗のように連なっている。

「(っく、っそ…掠、った……ッ!)」

片目を歪ませた。ジクジクと蝕むような火傷にも似た痛みに痺れてしまい、血が流れていく度に左手の感覚も遠くなる。当然ながら握力もが損なわれていく。

だが、かろうじてそれは致命傷にはならない。

片腕が実質潰れてしまおうが、武器をまともに扱えなくなろうが、口に含んだ異能は発揮できる。

吏史は宝石を足場にして間陀邏に近づくことを諦めて、何もない空に跳んだ。

行うのは試練で披露した『風の足場』に乗ること。それを風操作で発揮して編み出し、間陀邏の宝石弾の範疇や彼の視界に入らぬように俊敏な動きで背後に回る。


「(あれだけ巨大な体躯だ。機敏な動きができるとは思えない。先から大きく動かないのもそれが理由かも――だったら、視界を切って背後に――)」

『―――なぁ、おい、聞こえてんだろ』

最早思考を読まれている前提で、間陀邏は声をかけた。

『直撃を免れるなんて、とことん、悪運がいいやつじゃねえか。そこだけは認めてやるよ』

途端に、吏史の背後に拡散したばかりの眩い宝石が、またもや空を埋め尽くす勢いで現出される。


『だから、次は《《全部》》くれてやる』


彼を舐めたつもりなどなかったが、痛感せざるを得ない。圧倒的な実力差がある。

このまま使ったこともないディーケの異能を使ったところで、間陀邏にとっては『小細工』も同然だろう。

いっそのこと討たれてしまった方が楽なのではないか?と、囁きが脳裏に過ぎる。


「――それでもっ」

一瞬緩んだ全身の力を入れ直した。

しかし、だとしても、打って出なければいけないのだと吠えるよう。吏史は『ゴエディア』を纏う拳を握り大きく振り上げる。


「…っまだ、此処じゃ死ねない!」

今は死ねないのだ。ここでまだ、透羽吏史は終われない。朽ちるわけにはいかない。

不屈の思いに呼応するよう、周囲全体の風が渦を編み出しながら片腕に集う。

渦は徐々に集約した。台風の目のように。空気が、風が、一点集中状に圧縮されていく。

これは槍だ。全てを穿つ風の槍。再び宝石が破裂する前に、この一撃に賭けて放つしかないだろう。


それすらも通用しなければ、終わりだ。もし傷つけても後の不利となる。だが――何も為せぬまま、命討たれるよりはマシだ。

そう、意を決して下唇を噛み、渾身の力を込めて放とうとする直前。


『聞こえるか?吏史少年』


バリトンボイスの男性の声が、脳裏に響いた。

それは吏史が異能を飲み、範囲内にいる者の声が聞こえる状態であることへの理解を示されている。

「――――ぇ」

一瞬。動揺に揺れた吏史を置いて、声は続く。


『この声が聞こえてるのであれば、君の同行者である彼女を連れて左四十五度方面に飛びたまえ』

明確な指示が明示された。この意に従うのであれば、救いの一手を投じるのを約束するように。


『後は、ディーケの重力異能を。これから飛んでくるものに加重するといい』

動揺よりも先に、記憶が掘り起こされた。彼が何者で、誰であるか。


会議にて常に間陀邏と意見を違え言い争っていた、アストリネと聞こえた声が、一致した。


吏史は集約していた風を開放し、一気に間陀邏から距離を離す。

「!」

「え?」

目標は朝海だ。体勢が整ってない彼女を抱き止め、石英の船から連れ出しつつも左四十五度方向に飛んでいく。

『何を…人質に取るつもりか!』

行動の意をそう誤認し始めて追いかけようとする間陀邏だが、――彼の身体を呑み染めるような赤が迫る。

「―――何だ?」

熱を感じ、間陀邏が上に視線を向けた時にそれは着弾する目前だった。ある種の恒星だと、そう思わせるに十分な、巨大な火球が間陀邏を襲う。

「ッ!?んなぁ゛…ッッ!!」

空に浮いた宝石をも砕き呑み焼いていきながら、激突した。

そこからは宝石による防御体勢は間に合わない。火は燃焼という現象効果なはず。炎だけであれば叩き落とすほどの火力はない…がしかし、それはただの火球ではあらず。

実際は鉄。炎を纏った巨大な鉄球だ。衝撃も重さも当然にある。

「くっ。…こ、の!!」

接触により体の一部を焼いてしまうが、アストリネ特有の再生は繰り返されるため貫通はされない。それが余計に逃れられない要素となる。間陀邏は火球という疑似牢獄か火刑を下され身を焼かれたまま、空から撃墜されようとしていた。


「ぐ、ぎ…!ぐ、ぅうう…!ん、のぉ…!!」

だが、巨大な体躯で抵抗を示す。ギリギリと歯軋りを立てながら、爪を宝石に立てて引っ掻き、強引に炎を、鉄を払い振り払おうとする―――が、そこで更に体がめり込んだ。

「!?」

より己が編み出した宝石の足場に伏せた姿勢という屈辱を受けるのを余儀なくされる。それだけの過重が間陀邏を襲っていた。


「なん、何が…!?」

強制的に空からの落下速度を加速されながら、困惑の声を上げる。

体感で気づいていた。これは、炎だけではないと。一体何が起きているのだろうかと原因を探るために視線を回せば、朝海の手を取る吏史の――星のように輝く青と黄色の虹彩と重なった。


『ま、さか―――こ、いつっ!…ディーケの、重力操作まで使えるのか!?おかしいだろ、アイツの異能には条件が…』

否。それは不可能なはずだ。ディーケの異能は『重力』だが《《発揮条件として対象に一度接触する必要がある》》。

だが、その不可能を否定する要素もまたあったと、間陀邏は感覚で知る。

途端に風が更に押し上げてきた。己の一部である尾が暴風に揺れていた。


その発生源である吏史は、乱れた息ごと深く息を吐く。


「ごめんな。間陀邏。少し、墜ちてくれ」


示されるのは、起こされた風は身体の一部であること。『重力』の接触判定に繋がるということだ。加算されてしまった重力で、炎と共に墜落しかないのだろう――。


理解した後に、間陀邏は鋭い歯を開き、戦慄かせた。

「っふ、ざけんな…!」

己の身を焼いてくる忌々しい炎を放ってきた相手にも苛立つように、前足を動かして何度か火球を殴りつける。

だが、割れない。鉄球は砕けない。砕けるまでの威力を込められないのだ。それだけ強い重力が間陀邏を不自由に追い込んでいた。

だが踠き続け、余計に身を燃やしてしまってもそれでも構わずに這い出ようと足掻き続ける最中、空高く響く噴出した怒りの咆哮を上げる。


「ふっざけんなよテメエ!《《ローレオン》》、…ローレオンーーー!!いい加減にしろぉ!何、『古烬』兵器のガキまで、庇ってんだぁああぁああ!!!」


重力という重さが落下速度を上げていく。

瞬くうちに間陀邏の真髄か本質と言える狼に似通った姿の影が遠ざかり、見えなくなる様は赤黒い星が落ちる様だった。


やがて、彼が編んだ宝石の輝きごと完全に見えなくなり、――空になった空が広がることで彼という脅威を乗り越えたことが示される。


「……っは…」

安心感を覚え、気が抜けたのだろう。吏史は見える世界が反転するような大きな眩暈を覚える。

「(ま、ずい)」

血を流しすぎたか、或いは、『ゴエディア』の反動か…『覚醒剤』を一気に三つも飲んだ影響が出てるのかもしれない。どうにも耐え難い疲弊感までもがドッとのし掛かるようにも襲って、体の自由もが効かなくなる。

「(ここでは、まずい、だろ――)」

とうに地上が見え始めてた。この後は朝海と共に着地をしなければならないというのに。ここで意識を手放せば、切り抜けられた意味もない。

左肩の痛みまでもが遠くなる中、歯を噛み締めた。視界の端が暗くなる。それを払うように言い聞かせた。駄目だ。今は、委ねてはならない。道連れてはいけない。朝海を助けないと、もう少し起きていなければ、――


「―――吏史様!」

鋭い女性の声が暗雲に飲み込まれ始めた意識の中で、はっきりと聞こえる。それは脳から響く声ではなく、現実の声だ。

先日、代理人として顔を合わせて知り合ったばかりのブランカが金糸を風に乱しながら現れた。彼女は最新の空中走行用の自動二輪車に跨り、起動音を響かせながら吏史との距離を詰めている。

「…っく!」

しかし、彼女は進みあぐねていた。風に大きく影響する機械である影響が大きいのだろう。吏史が異能で荒らしすぎた暴風の壁が厚く、思い通りに走らせられないのやもしれない。彼女の相貌は、ままならない事態だと表すよう顔を大きく顰めていた。

「ええい……こういう時は!無理に馬力を効かせる、ものです!」

その中でも、ブランカはなんとか操作する。二輪車の出力を上げて風を強引に突き切る選択をした。

転倒する形で墜落しないようにバランスを保ちながら、片目を瞑りつつ、救助対象である吏史達に手を伸ばす。


「吏史様!お手を!どうか、早く!」

彼女から心の声は、聞こえてこない。

恐らくは考えられないほど、必死という示しだろう。つまり他意もなければ……敵意もない。

そして、吏史は視線だけを動かし計算する。目測にして彼女との距離は、数メートル程度。近づくために風を操作する気力はほぼ、無い。

――だが、力を振り絞る形で、一度だけ、身体を動かせはする。

できることは何かあるか、その選択を前にして。


[誰かの笑顔を]


一切の迷いを生じさせることなく、吏史は起こすべき行動を実行した。


「朝海」

「な、何?何!?ところで、あの人は知り合いかどうかだけは教えてほし―――ぃぃい゛い゛っ!?」

宙で体を回し、ハンマー投げの要領で遠心力を乗せて朝海を投げ飛ばす。

風の勢いも乗せられた朝海は見事に投げ飛ばされ、ブランカが乗車する機械に接触し、手を伸ばしていた彼女により服の一部を掴まれて回収された。


『っは、何、して…何してるの!?』

朝海はブランカの胸元に埋もれ、人の温もりを感じると同時に、ハッと息を呑んで吏史の方を慌てて見る。投げ飛ばした影響で遠くなった姿を溢れんばかりに見開かれた梅色が映す。


『何してるの、何してんの!!そういう自己犠牲とかいらない、いらないから!!』

困惑に満ちた声が響いて、吏史の心は安堵に満ちた。


「(――ああ、よかった。上手く行った、みたいだ。これで……)」

五年前と違う。今度は選択を間違えずに命を救えている。

自然と口元が緩み、笑みまでもが溢れた。

しかし、先の動きが最後の吏史の動作。完全に力が抜けた。もう、上手く入らないだろう。

そのことを示すように『ゴエディア』の装甲も溶けてしまい、両腕を空に晒す。

異能も扱えないことを示唆する光景に等しいため、視認した朝海は身を震わせた。


「し、信じられない、信じらんない!バカ!やめて、やめてよ!」

命を賭けて救われたも同然だ。それは許容できないと吠えて怒鳴って殴るように声をかけても、吏史から返事は得られない。意識を欠如するよう昏い瞳が閉じ行き、暴風に攫われては何処かの空へ遠ざかっていく。

「こんなの嫌!いや、いやぁ、やだ、やだよ、……やめて…!!やめてぇえええええええええ!!」

「ダメです!動かないで、落ち着いてください!此処から身を乗り出しては…!」

絶叫じみた悲鳴がこだまする。それだけは、朧げな意識でも届き、汲み取れた。きっと、今、吏史は距離自体が物理的に遠ざかっているのだろう、悲痛に紛れての心の声は、何も聞こえてこない。


薄く繋がっていた意識の線が、完全に途切れ落ちた。


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