頂天到達、三国会議(with代理人)
この世界には、混凝土で建造された人類史に残るロマネスク建築の外観を生かして再建された市街地がある。
巨大なベルが下がる時計塔や、豪奢なステンドグラスがある教会。海の上を渡る橋まで。
それらはある意味で【ルド】の特徴と言えるだろう。
但し、それらは外観のみで中身は最新の技術で再建し直されている。大体の建造物の扉の先は無駄のない電化で構築されてるのが大半であり、橋を渡るにもHMT自動認識機能がついてるなど改造が施されていた。
最早、かつて人類が築いた旧文明は何処にもない。
そう示すかのように、中央には、第一区を第一区たらしめる物である塔の頂天でもある円柱の建造物までもがある。
そして其処は【ルド】第一区の地下、第二階層に繋がる唯一の場所でもあった。
現在は試練ということもあり、普段は固く閉ざされている床は全開に開かれている。
唯一下層部と繋がる虚空から――やがて、一羽の燕が躍り出た。
透羽吏史は、宙で体勢を整える。着地点を見誤ることもなく、膝を曲げた姿勢で降り立つ。
「――――――フーッ……」
屈んだ姿勢のまま、軽く周囲を見渡すが、未だ己以外の試練突破者はいないことに気づき、汗を片手で払いながら立ち上がる。
「…よし。到着…っと」
しっかりとその場をその足で踏みしめた。
塔の昇降機では特定のHMTを持つ者の許可がなければ登ることすら許されない。下層部の人間においては空を覆う傘にして蓋。そして街。【ルド】に配属されたアストリネと、試練を超えて共に並ぶ権利が与えられた誉高き兵士たちが住まう場所。
【ルド】第一区『イーグル』の最上部、中央街たる場所を。
――【ルド】の環境は、第一区に限らずお世辞にも良いとは言えない。天候や風を操作するアストリネがいなけば、四季の変化の波が激しい。
だから今現在の快晴と穏やかな気候と少し肌寒い気温は、アストリネの加護とも言える。
その場に立って背伸びして、吏史は乱れた息を整えるよう、新鮮な空気を吸い込んで顔を上げた。
視界の端に映る青空を見上げて、太陽の眩しさに目を細めては深く息を吐く。
中天に差し込もうとする輝く太陽と雲ひとつない一面の青空を目視した上で、着用する黒色の腕時計型のHMTで現時刻を確認した。
「…………えーっと、四十八分、くらい?これ、すごくいい記録じゃないか?」
試練が開始してから一時間も経過していない結果を視認して、嬉しそうに口元を緩めて破顔する。
「吏史」
そして、バサ、と鳥が翼を広げ羽ばたくような音が周囲に響く。
「無事、試練は終わったようだな」
それは聞きなれた声だ。すぐさま元を辿るよう、即座に背後に振り返れば、想像していた通りの顔がある。
其処には裾の長い松葉色の外套を風に翻しながら佇む翡翠瞳に金髪の青年。
【ルド】に配属されたアストリネにして、透羽吏史の監査役をも担う二代目イプシロンの姿があった。
しかし、現在の彼は今しがた下層部で流れている映像モニターの格好とは全く異なっている。
纏ってる外套も含めて豪奢な装飾はしていない。濃紺のスラックスにグレーのタートルネックという実に簡素な服装だ。装飾品で目立つのは、左耳に着用された複数個の耳飾りになる。
ある意味でプライベートな服装をしたイプシロンは安堵を含む息を吐いた。
「…一先ず、五年間。俺たちが君に教えたことが活かせたようで、何よりだよ」
自らのHMT――その左耳に着用してる羽根を模した金色の耳飾りを揺らしながら。
「………《《オルド》》!」
吏史は登攀時の緊張感で険しく歪んでいた表情を解き、パァと花を綻ばせるようにも頬を紅潮させて喜色一面に表情を染める。
それからの行動は早い。吏史はイプシロンの目の前にまで駆け寄った。
「来てくれたんだな!嬉しいよ!」
現在の吏史は五年を経てかなり成長したため、百七十センチを超えている。イプシロンとの身長差は数センチほどだ。
近くにまで来られようものなら、かなりの圧が生まれる為、イプシロンの目が若干据わるが吏史はそれを気にしない。
にこにことした満面の笑顔で喜色に声を弾ませながら報告を行った。
「見ての通りだ。試練、超えれたぞ!ちゃんと一万メートル開始で!」
「確認していた。報告はしなくていい」
見ていたと返答された吏史は、己の方に人差し指を指しながら目を瞬かせつつ告げる。
「なあなあ。オレ、良い記録だっただろ?」
「ああ。…それは確かに。ヴァイオラが提示した制限時間内には達成していたんだろう?」
「そう!それもできた!……な、どうだった?どうだったんだ?」
「…ん?」
会話に多少の違和感を持つ。
イプシロンは何度か目をぱちぱちと瞬かせながら思案していれば、胸中で到達した一つの答えをそのまま口にする。
「もしかして、君、俺の評価が欲しいのか?」
「そうそう!めっちゃ欲しい、すごく欲しい!オルドの記録には絶対追いついてないと思うけど、オレの試練結果も悪く無かったよな!?」
「……」
イプシロンは丸まった尻尾を千切れんばかりに振りまくる黒毛の中型犬に駆け寄られては囲むよう足元で回られるという構図と既視感を覚えながらも、投げられた希望に応えるよう返事を行う。
「そうだな。悪く無かった。俺が想像していた時間よりも早い。ヴァイオラは勿論、ジルも君の出した記録に喜ぶだろう」
「マジ?……やった!」
拳を作り大いに喜ぶリアクションを見せる無邪気な反応をする吏史に、イプシロンはふっと肩をすくめて息を吐きつつも口元を緩めた。
「あえて言うなら挑戦する前の態度がいただけなかったかな。今後、あのような挑発は控えた方がいい。ネルカルと交流している内に口調と態度が移ってしまったのかもしれないが、あれは彼女の天性の悪癖だ。自然と敵を作ってしまうよ」
「あ……そこ、しっかり聞こえてた?」
「当然、聞いてたな。俺は君の監視役も兼ねてる立場上、HMT越しで嫌でも聞こえるさ」
「んー。そういえばそうだったな」
「忘れないでほしいところだよ」
「そこを大して気にしたこともないし?」
「もう少し、気にしろ。君の会話を聞いてるのは俺だけじゃない」
頬をかく吏史に、イプシロンは瞼を閉じつつため息を吐く。
――この吏史に置かれた状態自体、五年前に行われた三国会議で決まったことでもある。
吏史の身を保証する各国のアストリネが四六時中、HMTを通して彼の言動管理監視を行い、何かしらの問題行為が見つかり次第、即刻処罰するという誓約。
『古烬』の最新兵器を抱える存在である吏史を社会に迎えるための条件だった。
位置を特定する発信兼全ての会話を録音する盗聴機能は吏史自身についており、基本、透羽吏史の会話はイプシロンを始めに他国の監視役を担うアストリネたちには筒抜けだ。
一部の人権派のアストリネは『プライバシーの侵害ではないか』と訴えたものの、他ならぬ吏史本人が快諾したことで現状に至っている。
「でもオルドや師匠たちにオレの私生活把握されて全部聞かれたところで、何の問題もないしなぁ」
そう人差し指を己の顎にあてがい悩む素振りを見せながら、吏史は自身を軽視する傾向に至らせる最大の要因を呟く。
「だってオレは世界の敵で非人類の『古烬』だろ。『ゴエディア』なんかもあるし、周囲に警戒されて当然だろ」
尊厳がないことに慣れきった様子の静謐な夏空の瞳を向けられてしまって、イプシロンは緩んだ口元を一の字に結んで。一拍の逡巡の後に口を開く。
「………君だけは、他の『古烬』とは違うと世界にも認められてるよ」
少し困ることだった。
吏史の自己軽視の歪みを感じる度に、イプシロンは何とも言い難い心地に立たされてしまう。
だけども、一体どうしたら解決できるのかはわからない。全てひとりで解決してきたイプシロンにはひどく悩ましい難題ではあるし、吏史の場合は下手な慰めは意味がない。変えようとするには世界の認識から覆さないとならないだろう。
生まれた時から常識として決められていることに意を呈したところで意味がないと悟ってるのだから、そのまま受け入れた方が楽なのだから。
だから、イプシロンはその心を庇うようにも不器用な言葉を紡ぐしかない。
「……だから別に。世界の害、敵ではない」
やや、とても。凄く、対応に困るようにも眉間に皺を寄せた表情を浮かべて。
「うん。ありがとう。やっぱオルドは優しいな」
「……俺は事実を述べただけだ」
「いやいや、落ち込んでると誤解させて言わせてしまって申し訳ないなって。…オレはちゃんと自覚して身の程弁えてるし…大して落ち込んでないんだ。大丈夫だからな!」
快活に笑い明るく振る舞う吏史に、イプシロンは心底困るよう視線を泳がし逸らすばかりだ。
「…………。そうか。……ただ、」
そんなやりとりから数秒の沈黙を経て、両腕を組む仕草を交えつつもイプシロンは話題を変え始めた。
「そうだな。君が謎に俺を自慢し称賛する会話もジルやヴァイオラに聞こえてるという点について……言及しようか」
吏史は自慢げに胸元に手を当てて、誇らしげに返事する。
「え?オレは良い感じにオルドの自慢できたと思ってる」
「そうか。俺の方はしっかり他の監視者に笑われてしまったのだが。あくまでそういう認識なんだな君は」
悪意なき善意は有りきの悪意に勝るのだと、そのことを痛感して目が伏せられていくイプシロンに、吏史は深く考え込むように顎に手を当てた。
「朝海もオルドのことを特別視していた気がする。もしかして裏では隼派いたりして」
「いやいない。いるわけがない。……いないように徹してる」
いないと思いたい、と。そう強く思い込むような物言いだ。
イプシロンとしては持て囃されて囲まれるのは勘弁してほしいのだろう。切実さが感じられるような返答だった。
しかし、――彼の中で話題にした朝海に関しては少々思うことがあったのだろうか。その翡翠瞳は横に泳いでばかりである。
「……ところで、君が自慢した子。第四区の子だろう?」
「へぇ。はー。そうなんだなぁ。…そこまでわかるんだ?」
把握してることが意外だと目を瞬かせる吏史に対し、イプシロンは頷いた。
「ああ。俺たちは毎年試練に臨む兵士希望者は一通り目を通してる。今年唯一の一万メートル開始だった子だから印象に残っていたな。ネルカルも話題にしていたよ」
「あー……『稀にも見ない激レア最低評価すぎて面白いけど無理ゲー可哀想』って爆笑してそう…」
「一句違わず、その通りだ。……手を叩いた後は腹を抱えてたよ」
「ははは……あー、…これさ。簡単に想像できるのやばいよなぁ…なんか鷲派の人に不敬とか言われそう…」
「実際は彼女の態度に問題があるので君は気にしなくていいし、その話を無闇矢鱈に馬鹿正直で語らなければいい問題だよ」
吏史としても彼女とは五年の付き合いもあり構図や光景までもが鮮明に想像できてしまうため、イプシロンの指摘含めて眉尻を下げて力無く笑う。
だが、そんな彼の背後に忍び寄る影が差し込んだ。
「!」
その僅かな気配を感知したように瞬時に振り返り、反射的に両腕を柔の型に構える吏史だが、穿つ形にある手先を向けられた少女は動かない。
俊敏な動作で発生した風で腰まで伸びた少女の艶やかな黒髪が靡く中、彼女は色付いた唇で三日月を浮かべ微笑んだ。
「揃って突っ立って会話して、なーにしてんのさ。もしかして、ここに居ない美少女の話題かな?」
腿まで隠れるベージュカラーの毛糸のワンピースを纏い、白色の帽子を深く羽織って鳶色のサングラスを着用した少女。帽子の隙間から丸めて束ねた艶やかな黒髪に、サングラスの向こう側では煌めく碧眼を見せている。
動作一つをも注目させて魅せるよう、黒革靴の踵で地面を叩く動作をした少女に対し、イプシロンは翡翠目を据わらせた。
「ネルカル。まさか君、またサボりか?」
「違いますぅ~~~代表管理者として第一踏破者かつ新兵君の顔を見に来たんですぅ~~~後はこの辺の壁とか古いから大丈夫かなって確認だけどぉ?童顔おじさんが無理に有給取ったから忙しくって」
「数ヶ月前の有給申請も受け付けられないような職場であれば此方からも遠慮したい。明日にでも退職届を提出しよう」
冷淡に告げたイプシロンの言葉に対し、慌てるように反応したのは吏史だ。ネルカルの腕を力強く掴んで、揺さぶる。
「何してんだよ、ナナ!アンタってやつは本当にオルド怒らせるの得意だな!?」
「だって!イプシロンは揶揄い甲斐があるから、つい!ディーケはつまんないんだもん!」
「そんな活きのいい餌で遊ぶ猫じゃないんだからそういうのやめろよ!だからオルドに徹底して避けられるんだぞ!?料理をするのが少し苦手で、趣味は区域猫犬の餌やりとか、結構……いやかなり繊細なところがあるんだからな!」
「え、やば!面白!生まれてから十五年ずっとの付き合いでそれ初めて知ったんですけど!?あー、ごめんごめん、そうだね!陰気内気引き篭もりの三大バッドコミュニケーションズには優しくしないといけなかったよ!こーれは私の落ち度です!」
認めて反省こそさせてはいたが、比喩含めた説得内容はイプシロンにとっては最悪だ。珍しくも眉間に皺を寄せつつ白い眼で見ながらイプシロンは低い声で言う。
「吏史。君、余計なことを言い過ぎでは?」
「…あっ!?」
そうだ、どれもがイプシロンの知られてなかったプライベートではないかと気づいた夏色の瞳が瞠目し、素っ頓狂な声が上がる。
だが、後の祭り。良いこと知れたとばかりにネルカルがご機嫌そうに笑っていた。
「お、オルド。オレ…ごめ、」
「謝罪はいい。騒がしいから、黙れ」
「痛っ!?」
「あいたぁ!?」
賑やかになりつつ場を正すよう口の軽い正直者と問題児をまとめて制するため、イプシロンは素早くネルカルと吏史の頭を叩く。
揃って殴打された場所を押さえて摩る行動に構わず、微かに片目を眇めた後、通知が入って音を鳴らしてきた自身の耳飾り――HMTに触れて操作しては青光の情報版を宙に浮かばせていた。
高速で流れていく文字の羅列の中でも内容を素早く確認できたのだろう。
青光の電子画面が閉ざされた後、イプシロンは頭を抑えたままのふたりに淡々と報告した。
「………はぁ…二時間と三十分と四七秒後に会議だ。吏史が試練を無事突破できたことの報告も兼ねて今後の活動方針を決める」
「あー、有給取っていても会議からは逃げられんのねぇ。管理監視役は大変だなぁ」
「代表管理者の君も当然呼ばれてるが?」
「え?嘘でしょ?ここで次の兵士が来るまでゆっくり過ごすために本を持ってきたのに?……私も?」
問答無用でネルカルの首根っこをイプシロンが掴む。
ネルカルは小柄な部類であることと、イプシロンには筋力がしっかりとあるため、軽々と持ち上げられてしまっていた。
「行くぞ」
「わーん!!ヤダヤダ!折角合法的に楽して休めると思ってたのにぃ!」
「何を言ってるんだか。ただでさえ兵士候補生たちに今下層で放映されている俺たちが《《録画》》と露呈すること自体が良くないことだろうに」
今、世は荒れている。三光鳥の面々に試練を見届けさせるなど暇がないことを存じている兵士たちは批判の声を上げないが、それを何も知らない兵士候補者たちに露呈していけない問題だ。
平穏を享受する者たちには、走る亀裂を伝播させないために隠蔽をしなければならない。
イプシロンが来たのは師として時間内に吏史が試練を超えるか確認しただけで、…ネルカルの場合は休憩。やも知れないが。現状は終着点に立つこと自体まずいことに変わりがない。
「…はぁ……わかってるけど、世知辛い世の中だよ…」
なので、イプシロンがネルカルに働く強引な行動には強く抵抗せず運ばれるがままだ。
「まっ…待って!ちょっと…!」
吏史は慌てながら素直に彼等の後を着いていこうとした。
とと、と軽い足取りでイプシロンの隣に並びかけていたが、――不意に吹いた風で流されたように背後に振り返る。
思わず、立ち止まってしまう中でも荒れた風が何度か吹く。
塔の頂天、下層と天を隔てる隙間。
兵士候補生の終着点を、白混じりの黒髪と青水晶のイヤーカフが揺れる中で見つめていた。
「…どうした?」
何やら思うことがあるのかとイプシロンが声をかけて尋ねれば、ゆっくりと振り返りつつも吏史は申し出る。
「なあ、後で。試練の終わり頃にさ。また此処に来ないか?」
「その頃に要件等が全て片付いてるのならば構わないが、何かあるのか?」
「……ちょっと、な」
脳裏に過ぎった。迷いながらも諦められない思いがある。同じ目をしていた朝海のことが。
「もしかしたらだけど。オレ以外にもう一人、一万メートルの試練できる奴がいるかも。本当ならオルドもネルカルも、気になるだろ?」
その発言の後、運ばれたネルカルとイプシロンは違いに目を瞬かせて、目線を合わせる。ネルカルが肩をすくめた後、イプシロンは顎に手を当てる仕草を交えながら告げた。
「…俺に限らず…じゃないか?民も気になるだろう」
「確かに。できたら素直に驚くよ。なんならあのディーケも興味持つんじゃない?」
そうして予測を呟きながら、ネルカルは吏史に人差し指の先ごと事実を突きつける。
「でも、お前は特別なだけでありえない話だよ。毎年例年、兵士になれるのは三千メートル以内開始の子ばかりだしね。昔、七千メートルから踏破できた子もいたらしいけど…。この身体能力測定による判決自体で初めから篩をかけられてるもんなんだからさ。もし無謀に挑んでる子がいるならそのガッツだけは評価するけども。まあ、致命的な怪我を負わないのを祈るよ」
「そうだな。君の風があるから死にはしないとはいえ……若き者の今後の人生が狭まってしまうのは、俺たちとて強く望んではない」
その先入観が根付いてるが故に、一切の期待は持たれない。
吏史の予感はアストリネたちは一様に起きるわけもない希望観測だと思う言葉を吐いていた。
【ルド】第一区『暁』第一階層、作戦会議室。
施設の外観こそはロマネスク建築ではあるが、内部近代化自体は進んでいる。
それは最先端技術を発展させてることに長けていない【ルド】に於いても他国に劣らない点だ。
会議室においても『門』の広間同様、厳重なセキュリティが設置している。
軍事力を生業とするならばこそ、情報漏洩を徹底して避けているのだろう。策というのは露呈してしまえば形を保てないからだ。
故に、その会議室に向かうためには少なくとも二名のアストリネの存在が必要だった。
会議ということもあり、ネルカルもイプシロンも共に服装を変えており、試練時にも流れたモニター通りの軍装を纏っている。
尚、吏史は試練時と変わらない。無事に突破したとはいえまだ扱いは兵士ではないからだろう。
「これは多分会議終わってからなんだけどさ。後でお前用に特別に用意したもんをイプシロンが渡すからさ、楽しみに待っててね」
「え?」
「新兵おめでとうでもあるじゃん。うっかりさんめ、普通に忘れないでよ。自覚して?」
少し落ち着かない吏史の心境を汲み取ったネルカルはそう声をかけて笑いながらも、一同は一つ目のセキュリティ――透明な強化ガラスで建設された扉の前に到着した。
「まー、基本認証は私でいいか。じゃ、イプシロンは二段検証のところだけよろ」
「ああ、了解だ」
一歩踏み出してから先んじてネルカルが認証を行い、後に保証役としてイプシロンが認証承諾をも行う形でセキュリティは次々と解除されていく。
「これさあ、毎回思うけどさ。マジでめんどくさいよね。短縮化とか…ヴァイスハイトでもどうにもならなかったの?」
彼等が着用する羽根を模したヘッドドレスや耳飾りという自らのHMTで承認申請させる行為や、指紋認証も兼ねたパスワード入力などを済ませていくうちに、ネルカルが世間話を持ちかけるように『ヴァイスハイト』という名前を挙げた。
その名前を聞いた吏史の身が揺れて顔が若干強張らせる中、イプシロンがそっと小さく答える。
「…『陽黒』に巻き込まれた彼は、開発や研究の手を止めてから去ってしまったな」
「へー。…静穏を求めたのかな」
「さあな。彼の考えは誰にもわからないんだよ」
そう。サージュの意思は誰も知らない。
何を以て『古烬』の子を息子として大事に育てていたのか…十年間共にした当人である吏史ですら、理解できないことだ。
肩を竦めてから、ネルカルは呟く。
「私たちは死を遺せない種族とはいえ、去られた後もここまで不透明だと困っちゃうね」
「…そうだな…」
イプシロンも適度な相槌を打つだけで語らず、吏史も何も喋らなかった。
どれだけ謎が渦撒こうとも死者は何も語らない。推測を立てても真意は不透明なのだから無駄なのだと分かりきっている。
故に、それ以上の話は続かなかった。
そんなやりとりを挟みながら一行は、最後のセキュリティ関門となる重々しい玉鋼の金属扉を前にする。
金庫を彷彿とさせるであろう扉の承認作業自体は、ネルカルが一歩前に出て速やかに行っていた。
「あーあー、本日も晴天なり〜」
実に適当な発言ではあるが、意味はある。
何故なら最後のセキュリティは音声認証式だからだ。登録されたアストリネが発する特有の音波や質が鍵となり、無事に認証が果たされた最後の扉は自動的にゆっくりと開いていく。
―――中は、夜の帷が降りたように真っ暗闇だ。
中央には僅な青光を放つ光源が円卓状の机に、背凭れが天に伸びる椅子が三脚ほどある。
もう何度目かの光景として視認していた吏史は、動揺もすることなく呟いた。
「…うーん。相変わらず此処って、暗いよな」
深い闇を表すような高い天井を見上げつつ、そんな感想一つこぼす程度には慣れてはじめている。
「まあ仕方ないさ。現在の技術の会議となるとこのくらいの露光量が望ましい」
背後に並ぶ吏史に応えるようイプシロンが返す中で、周囲を見渡し自身たち以外誰もいないことを目視で認識したネルカルが悩ましげに顎に手を当てていた。
「どうした」
「いや。メンツ足りなくない?ディーケやシングドラは?あいつらどこだ?まさか逃げたか?」
同調するよう吏史も周囲に視線を送る。ネルカルが訴えた通りだ。この場にはアストリネは二名だけしかいない。その理由を知っているらしいイプシロンが、速やかかつ手短に不在理由を説明した。
「ディーケは試練関係の手続申請処理役として現場指揮をとっていて、シングドラは【ジャバフォスタ】に出張中だ」
「はぁ?さてはあいつら……上手いこと言い訳作って逃げたか……」
「いいや、それはない。彼等はサボり癖がある君とは違うよ」
真っ当なイプシロンの指摘に構わず、すぐにあることを思いついたネルカルは指を鳴らし意気揚々と己の名案を語り出す。
「いいや、ディーケならまだ巻き込めるね!よし!此処はイプシロンが生身で会えなくて寂しいってメッセージを送ろう!私が思うに秒で来ると見込んでる。どうかな!」
「……ハッ」
片目を眇めつつ浮かべられたその歪んだ冷笑は、場の空気が一気に冷え込ませた。体感零点下に感じれるほどまでに。
吏史は震えてネルカルは気を削がれて、自身あり気に挙げていた手をゆっくり下げる。
「……本当、心底ディーケのこと嫌いなんだね…」
「な、オレさ、オルドのこんな笑顔…初めて見たかも…」
「ね…。昔から知ってたけど…ここまで露骨に嫌いすぎると、ディーケが可哀想だよ…」
揃ってヒソヒソと口元を手で隠し合いながら話す構図とな吏、直ぐに表情を元の真顔に戻したイプシロンが腕を組んで次の行動をネルカルに促す。
「つまらん冗談や戯言言ってないで持ち場につけネルカル。嫌なら早く始めて終わらすんだ」
「はーい…」
渋々といった調子で、ネルカルは身に纏う外套を払いながら中央部の座に座り込んだ。
彼女の体重や生体反応に呼応するよう、座した椅子を中心に部屋全体の青光の出力が増す。
淡かった円卓が浮き彫りとなり、ネルカルが座するような二つの玉座が顕になる。
だが、イプシロンは座らない。
黙って足音を立てることなくネルカルの横に移動し、吏史は後をついていくよう小さな足音を立てながらも彼の背後に並ぶだけだ。
やがて青色の電磁波が突如として溢れて光柱が昇る。
光線が交錯し複雑に絡み合うが、規則的に形を成そうと編まれていく。その電磁の動き自体、吏史には見覚えがあった。
「(……これ…『門』の光だ)」
内心で確信する中で、やがて光が収束し掻き消える。
同時に『門』の転移を済ませたであろう二人の男女が椅子の前に佇んでいた。
両者共に吏史が認識のない人物だ。
片や、碇や牙を彷彿とさせる黒のタトゥーが刻まれた褐色肌に眉毛まで晒す灰色髪のベリーショートヘアー、夕焼け空を彷彿とさせる橙色の瞳。
イプシロンやディーケよりも身丈も体格も良く、それでいて耳飾りの装飾品が派手なものだから厳つい印象を覚えさせつつも更に格好も肩を見せるようだらしなくジャケットを着用してる点から不遜な印象を与えかねない男性。
片や、イプシロンの赤のダリアが絡む金髪とは違う。決して錆びない黄金髪。後髪は三つ編み状に一纏めに束ね、横髪は腹部までまっすぐ伸びており、整えられた前髪の隙間からは蜂蜜色の瞳を覗かせている。
青年とは相反し派手な印象はない。化粧自体も自然なもので装飾品もない白黒の礼服を見に纏う生真面目そうな女性。
「(…………いや、でも。二人とも『人類』だな)」
しかし少なくとも彼らはアストリネではない。十五年間、多くのアストリネに触れ合ってきた吏史だからこそわかる。肌感では独特の雰囲気を感じれないことから、人間であると識別ができた。
そのため、人類が転移で会議に登場したことに吏史は大きく困惑し、思わずこっそりと目の前に居るイプシロンに尋ねてしまう。
「……誰?」
イプシロンは振り返ることなく、小声で返した。
「彼らはおそらく『代理人』だ」
「代理人?」
「ああ。他国のアストリネたちの誰もが手が空いておらず直接参加が叶わないため、代表管理者の側近が代理として参加してるんだろう」
それはおかしなことだと、吏史は首を傾げた。
「でも、電子通信式会議なら?それなら忙しくても事足りるんじゃあ…」
側近が参加するにしても大事な会議に『人類』を交えるのは、少々矛盾している気がする。
監視対象である吏史を除き、三国会議はアストリネのみで行われていたものだから余計に不可解でならない。
その疑問を受けて、イプシロンは息を吐く。
「良くない話でもあるが、【ジャバフォスタ】の海底通信サーバーに何者かが侵入したという報告が上がったんだ。早急にセキュリティ対策を投じ対応してるらしいが暫しの安全性が確約されていない。故に君の試練を目処にして、こうした信頼を勝ち取れている代理人による会議手法を実験的に行ったんだろうな」
「………」
つまり、それは今段階でも歴史書が正史として保管されて続く形と似ているのかもしれない。結局のところ電子式ではなく現実として残されるものが、決して改竄されることもなく正しく在り続けられるのだろう。
「……そっか…ごめん。質問答えてくれてありがとう」
「気にしなくていい。俺も今しがた推測したばかりだ」
「…あれ?」
「【ジャバフォスタ】に不正アクセスが起きたことしか知らない」
「え?あ。そうなんだ」
すごく納得がいく説明だったからこそ、多少動揺し戸惑ってしまう。その横で会話を聞いていたネルカルが返答した。
「大丈夫〜大体合ってるよん」
どうやら、ネルカルは事情を知っていたらしい。
「………」
せめてイプシロンには伝えればいいのに、という言葉を吐くことなく一旦は堪えて黙り込んだ。
そうした会話で区切りを感じ取ったのだろう。
転移してきた二人は頷き、まずは女性から一歩前に出る様足音を鳴らし姿勢をまっすぐと正しては名乗る。
「三十代目ネルカル様、二代目イプシロン様。お初にお目にかかります。私はブランカと申し上げます。【暁煌】の会議代理人として参上いたしました」
ブランカと名乗った女性は恭しく、ネルカルやイプシロン。初対面であるアストリネたちに恭しく首を垂れた。
「あー、ちょっと髪少し乱れてるよ。お団子のところ」
「!」
ネルカルの唐突の指摘に瞠目した後は、慌てて手を頭に伸ばし、一本はみ出ていた乱れ毛を正す。
「………し、つれい。いたしました……」
「いいよー、もしかして代理人になるの緊張してる?」
「…いえ、慣れては、いるつもりです。……これは言い訳になるのでしょうが、私が【暁煌】第一区から離れてかなりの日にちが経過してるせいで気疲れが溜まり集中力の低下が生じてるのかと……」
「めっちゃブラック環境じゃん、大変だね」
「やりがいは、とてもあります。ので今後自己管理を徹底いたします大変失礼致しました……」
そんな劣悪な職場への皮肉的な前向き代名詞を吐いたブランカは、紅潮仕切った表情で押し黙ってしまった。
それわ経てから、続けて男性の方が気さくに片手を振りながら口を開く。
「…ベアトバルって、今更あんたらに名乗るほどでもねえか。おふたりさん、久しぶり」
ベアトバルと名乗った男性は、イプシロンたちの知り合いらしい。
「おひさ〜」
イプシロンは無言に徹する形で応えなくとも、ネルカルが緩い態度で片手を振り返し応えていた。
…しかし、吏史から見たらどうにも何処かしら馴れ馴れしい印象を受けてしまう。
彼自身の格好の派手さも相まってるのだろうかと、思わず吏史がじっと彼に視線を送っていれば、その橙色の瞳と視線が重なった。
火花が散ったような感覚に思わず身を萎縮させれば、にやりと悪辣に笑まれた。
「……なあ、オルド」
「うん?」
「なんだ、あの人間。……なんだ」
思わず反芻してしまうほど一気に警戒心を高めてしまう。
外套の裾を掴んでしまいながら揺さぶっていたが、イプシロンにはそれが威嚇する手前の犬めいた動作も同然のため、翡翠瞳は据わっていた。
「………彼はヴァイオラの付き人でもある人物だから、そう露骨に警戒しなくていいよ」
「ぇ……」
真顔で淡々と返されたその内容に、吏史はギョッと目を向かせる。
「え!!!???せ、先生の!!??…あんなに……すごく………悪、いや、なんか見た目からもう非行的そうなのに!?」
「おい」
「あっはっはっは!いやはや正直だな、『ゴエディア』君は!」
あまりに正直がすぎる発言だとイプシロンが咎める横で、ベアトバルは手を叩いて豪快に笑う。
「自分の立場を自覚してないでアストリネたちに己とは対等とばかしにものを言う。恐れ知らずにも程がある」
「え、いや…でも、オレは仲間だとは思って、…オレの一方的な気持ちだろうけど。もう、それに慣れたというか…」
「あっはっはっはっは!いやいや、だからキミが当然だと感じてる、その感覚がどうかしてるんだって!」
一頻り笑った後に気が済ませたのか、はー、と深く息を吐いていた
「……ククッ。あのヴァイオラが可愛い弟子をとったと聞いた時は、天変地異の前触れかと思っていたが……その弟子の君が純朴そうなやつで良かったよ。…色んな意味でね」
「…色んな意味で?」
「個人的理由。それも含む……とだけ、伝えておこう」
ベアトバルは戯れを続けることなく、早速本題から割り込むようとあるものを取り出す。
それは十センチほどの円状のもの。一ミリにも満たない薄い金属板だ。
「へぇ。音声のみ録音するディスク盤か。かなり古いやつじゃん。HMTで記録した方が楽だろうに」
「おいおい、三十代目ネルカル。そのHMTは問題になってるところだろ?」
「知ってて揶揄ってんだよ。もっと新しいのが来るかと期待して軽く落胆しただけ」
「古くてもしっかり使えるのなら、活用するべき…だろ?」
「それは当然。違いない」
そうしたやりとりを経てから、ベアトバルは親指の腹で盤を押す。
何かしらの起動がされたことを示すよう、盤からは緑色の光が灯り始めていた。
「…さて、本題の会議を始めよう。【ジャバフォスタ】からの確認事項は『透羽吏史の試練結果』と『兵士着任後の行動』だ」
その行動に合わせるようにブランカも同様の金属盤を取り出し、親指で押しては起動させる。
「…【暁煌】の確認事項も同様です。よろしくお願いいたします」
後はネルカルの発言と開始を待つとばかりに二人は沈黙した。
「――まあ、うん。なら此処はサクッと手短に済ませますかぁ」
この会議自体長々と行う気はない。言うこと自体は決まっていたとばかりに、そう、ネルカルが吐いたたった一呼吸にて、周囲の雰囲気は一変する。
重苦しく重圧負荷が掛かる錯覚を覚えさせる場の空気で、ネルカルが低くはっきりとした声で紡ぐ。
「試練内容は好調だ。透羽吏史は新たな歴史を吏史は刻んだと言える。そのため、十分な能力があると判断した。兵士着任後には彼を中心に『古烬』殲滅隊の再結成を行う」
生まれ持っての強者。異能者。その圧を感じさせた。
そんな彼女の据えた碧眼は、記録に徹する代理人を映しておらず、この場にいないすべての国の同胞に向けて発する。
「そう。かつて結成されていた『平定の狩者』の第二陣《再結成》だ。二十五代目エファムの悲願は成されなければならない、最も始祖に近しい彼が不在であるが故に、私たちの目的や意思をこの一に集約すべきだろう」
意が、込められていた。
各々思惑がある筈だ。資本主義復活に舵を切り、更なる医療革命に進もうとするのは各国の勝手だ。だが、そうして世界を新たに道に向かわせる前に、唯一成すべきことを忘れてはならない。
「故に、三十代目ネルカルの姓を以て此処に宣誓する。【ルド】のアストリネは透羽吏史と共に世を乱す『古烬』の編み出した古代兵器の破壊と殲滅を果たす」
その意を含めた宣誓だった。
内心で吏史は驚愕し、動揺も覚えている。
そのどれもが今しがた聞いたばかりという初耳の連続なのも大きいが、ネルカルが姓名を用いた誓いをしたことが一番大きく、感嘆させていた。
何故ならばアストリネの一族において姓は自身の全てとして扱われる。《《彼ら自身の名前は基本知る機会はない》》。故に、姓名を用いた命や宣誓は重くある。
『《《果たされなければ己が命を差し出す》》』と宣うも同然だ。
だというのにネルカルは微塵も臆することなく、全てのアストリネに向けて空の果てのような蒼穹の瞳を据えたままに告げる。
「忘れてはならない。私たちはアストリネの一族。個々の姓があれど総じて平穏を守り抜く種族。忘却を始祖が許さぬだろう」
ふと、思い出した。歴史の一つとして学んだことを。
牽制でありながら強制する。従わなければ争う意を示す。
「(――今の、まるで、過去にあった戦争の始まり、『宣戦布告』みたいだ)」
彼女から放たれる厳格かつ剣呑な雰囲気も合わさって、当人にそんなつもりは微塵も無かろうとも、そんな感想を抱いて仕方ない。
…ベアトバルもブランカも同様だったのだろう。彼女の宣言には物言いはせず、代理人に徹しているものの目は応用にして語っており、瞳孔が開いて驚愕していた。
「…なあ、これ。もしかしてオルドは初めから知ってたのか?」
だから、思ったことを聞いた。
録音されないよう、先よりも息を潜めた微かな小声で。尋ねた先であるイプシロンはネルカルに最も近しい存在だ。
今し方、彼女が行った……どの国にも大きな反響を生みかねない宣誓は事前に聞いていたのだろうか、と。
その問いを受けたイプシロンは僅かの間押し黙った後、小さく呟いた。
「いや、何も。残念ながら此方は初耳だ」
「は?」
「……俺は、何も、聞いてない」
「ってことは…」
「……概ね、君が予想してる通りだよ」
ディーケやシングドラも聞いてないのかと訴えそうな困惑に満ちた表情でつかみどころのない両手をあげて狼狽えれば、イプシロンの眉間には深い皺が寄っており重々しく苦い表情で首肯された。
「あ、あいつ……」
愕然とする。
つまり、彼女は全部独断で実行してるということだ。【ルド】の代表管理者としてそれはどうなんだと、口を開けたまま身を震わせてしまう。
「そうあまり強い言葉を使うな。……記録されるぞ」
何かを諦めたようにイプシロンが溜息を吐きながら、せめて悪印象を持たれないようにと釘を刺される中で吏史は悟る。
――それは、五年間の付き合いによる経験則から得られた答えだ。
基本、ネルカルの案は何かとイプシロンに咎められていた。(※兵士の人件費を加味した上で経費が足りないなどのご尤もな意見が多い)
しかし、そんなイプシロンは基本体裁にひどく厳しい。【ルド】だけの会議であれば強く叱りつけ説教を行うことも多々あるようだが、吏史の前だとジルやヴァイオラも聞いてる関係上控えめになる。
だからこそ、この場でイプシロンは強く出られない。
代表管理者が格下の立場にある者に叱られる醜態、他国のアストリネたちに大っぴらに晒すわけにはいかないからだ。
「(…何の相談なしに自分が都合良い方向で強行突破するために、此処で宣誓したのかよ…!!)」
覚悟自体はとてもかっこいい。なんて感想を持ったのが一気に馬鹿馬鹿しくなりそうになる。
「……!」
そうだと言うのにネルカルときたら、口を開閉させて呆れる吏史に向けてしてやったりの笑みを浮かべては挑発的にもウインクを贈った。
そして、舌まで覗かせながら口を動かし、とある言葉を伝える。
「(―――)」
解読できてしまった発言内容に、吏史は口元を引き攣らせた。
「(『これから頑張ってね』じゃあ、ないんだよな…頑張るけどさ…)」
報復すると生き方を定めている以上、活動機会を設けたこと自体有難い申し出ではあるが。
あるのだが。頭を抱えたくて仕方ない。
「(やり方が強引すぎる…!)」
吏史だけではなく、その場にいる全員が心一つにして思うことに違いない。
「一つ、一つだけ。代理人として過ぎた行為ではあるが、質問いいだろうか。三十代目ネルカル」
「どうぞ」
急な展開劇に冷たい汗を伝わせながら気を落ち着かせるよう深く、重い息を吐いたベアトバルが、ぎこちない笑みを浮かべたまま尋ねた。
「…『古烬』は確かに滅するべき存在だ。彼らの生み出した発明も跡形もなく消すべき代物だろう。だけど、されどしかし…十五年前その発明者は二十五代目エファムに討たれており、彼らの主犯格はないも同然。分かるか?争いは、戦争は双方の痛みが起こるもの。動けば世界も平穏ではいられない。だというのに二十五代目エファムに代わって、いいや、成り代わって…」
ベアトバルは緊張感を持ちながら、渇く口を動かす。止まってしまわぬ様にひたすらに、手を差し伸べるような仕草と共に発し続けた。
「――貴女が世界を揺るがすつもりかな?」
始祖の系譜を持つ者ならば付き従うだろう。しかし、ネルカルは六主程度。ならばこそ、それは過ぎたる行為ではないかと。遠回しな警告だ。
「…ククッ。何を言うかと思えば…くだらない」
しかし、ネルカルはその質問を受けて不敵の笑みを浮かべていた。
「主犯格が居ないだって?だったら説明してみろよ。何故、透羽吏史と第一級犯罪者月鹿が存在して居る?それが奴らが存命で、暗躍しこの世を荒らそうとしてる証拠だろう」
掌を差し出すように向けては挑発的に仰ぐ。
「尊き者が不在だからこそ、かの者の意を汲み取り目的を達するべきだ。世界を揺らす必要があるのならば、私が代わりに世界を巻き込もう。正しくこの身に宿る力を振るうために」
蒼穹の碧眼には一変の迷いもない。あくまで『始祖』の意に沿っているのは此方だと主張するような物言いだった。
「目の前の我欲に従い、泰平を荒らす者の跋扈を許す行為よりはいい。少なくとも始祖エファムの呪罰は受けずに済むだろうさ。かの三十九代目グラフィスのように」
ルナリナ=ネルカル。
扱う異能通り、巻き上げる竜巻そのものな少女だと吏史は改めて痛感し、最早何を言おうが覆らないだろうと、ベアトバルは諦念を込めた苦笑を浮かべては、重い瞼を閉じては盤を操作した。録音を止めたことを示すよう、緑色の光は消えてしまい、それを懐にしまう。
「…いやぁ、怖いねぇ。多方面を脅しにきたってわけか」
「私たち三光鳥に喧嘩売るんなら反論どうぞ」
「ははっ。無理を言ってくれる」
「…ブランカさんも何かある?あるならどうぞ言って?」
ネルカルに尋ねられたブランカも同様に、すでに記録をやめて盤をしまい込んでいる。
声をかけられて肩を揺らして戸惑い、視線を彷徨わせてから告げた。
「…私の意は、ありません。偉大なる三十代目ネルカル様…貴方様が正しきと認めるのなら、きっとそうなのでしょう」
気さくにアストリネと会話することに慣れてない、普段から敬服すべきだと立場を弁えてるような態度。
全くもって『普通』すぎる反応をされてしまったネルカルは、つまらないものだと欠伸をするよう顔を上げて、
「そう」
とても素っ気ない返事を一つ返すだけだった。
彼女の宣誓には全ての質問に対しての返答が込められていたのも要因だろう。
あれから会議は進むことなく終えてしまい、代理人たちは揃って窶れを滲ませた難しい表情を浮かべたまま『門』を通り帰還した。
「――――あーはっはっはっ!!」
『門』の光が収束し彼等が転移を果たして掻き消えたと同時に、ネルカルは大きな高笑いを会議室に響かせる。
これから先の展開を確信した、勝利の雄叫びにも似ていた。
「いやぁ〜〜〜これは各国の我欲が無駄にある死に損ないの老耄共も今頃ひっくり返ってるんじゃないの〜?『平定の狩者』再結成理由に二十五代目エファムや始祖の呪いまで話題に出されたら、嫌でもこっちに全面協力せざるを得ないもんねぇ〜〜〜!」
はしゃぐネルカルをよそに、怒涛の流れごと理解できていない吏史はイプシロンに尋ねる。
「なあ、…ナナがあんなに喜んでるのはなんでだ?」
実感も納得もできないと訴えれば、イプシロンは頷きながら真顔で答えてくれた。
「歴史書に書いてる記録だ。始祖エファムが始祖が故に可能とした。輩出に関係なく全てのアストリネに刻んだもの、平穏を故意で乱せば命が尽きる…『死の粛清』と言われていることが起きる。随分前の話ではあるが…俺はその呪罰が起きたのを見ている」
「凄惨だったらしいよね。私が生まれた前のことだからよく知らないけどさ」
「……よく知らないのに各国のアストリネへの脅し文句にしたのか、君は」
呆れながら目を眇めて咎めたイプシロンに対し、ネルカルはニッと得意げに笑う。
「でも、これで停滞していたティアも動くじゃん。支援金も【ルド】に集まるよ」
「ああ……なるほど…」
彼女の強引な手段、その最たる目的を察したイプシロンはく溜息を吐いて額を手で抑えた。
「要するに君は大規模な活動するに限って付きまとう、隠蔽工作等の資金運用問題解決を目論んだつもりだったのか……」
それを肯定するようにネルカルが自慢げに首肯する。
「だってさぁ。すぐに動きたくても【ルド】にとってはそれが一番の問題だったじゃん。ちゃんと使うところに無駄なく使ってるんだから、余分なティアがないんだし。だから他国が無駄に貯め込んでるティアを出して欲しかったんだよね〜。特に【暁煌】」
「え?…ティアって…別に……溜め込む必要とかなくて、定期的に配分されるだろ?」
平等に分配される環境で過ごしていた吏史には不思議な話だ。そんなことができるのかと、思わず事情に詳しそうな様子のネルカルたちに尋ねてしまう。
「いや、数年前からそうでもなくなってる。法が少しずつ変わってるんだよね。【暁煌】だと社会体制も変えてきてるわけだし」
人差し指の先を自らの唇に当てて突きながら、ネルカルはポツリとつぶやいた。
「…んー。だから、これは…あくまで推測なんだけど。多分、【暁煌】が資本主義体制を作り始めた悪影響が出てると思うよ。共通通貨であるティアを際限なく稼げて、個人で大量に貯めれるようになっちゃったの。やっぱ良くないな」
「個人で?」
「そ。因みにそれはアストリネも対象なわけね…ティアの貯蓄ができるの。まあ、それで…何が起きてるかっていうと…例えだけど、川上の水を抑えて下の水を不足させる現象を起こしてた…のかな?ほら、分配元はアストリネじゃん。【ルド】もそうだから他もそうだと思うわけね。だから、向こうは民の分配率を下げたりして不正徴収してたと思うよ。それが一ティアだけでも人口分は貯まるわけだから、総人口数が多い【暁煌】だとかなりでかい金額が貯まるんじゃない?」
「…は?なんで?それって……普通に困らないか?」
心から不思議に思う声が漏れる。
水が平等に流れなければ、停滞が起きるだろう。下の人も困る事態に陥るのであれば『上』の異常を察して行動を起こされるのではないか。
「民に…悪いことがバレた時は、追い詰められるのは自分たちなのに」
純粋な疑問を持って吏史が言えば、ネルカルは手を振りつつ同調するようカラカラと笑った。
「本当にね。邪な思想を持つだけでも多くの民の反感買うだけってのに。………まあ、わかってないわけではないから、民が勘付くような…干からびた状態にならないようにギリギリうまくティアを流しつつ陰湿な手法で搾り取っていたんだろう」
「例えばどんな?」
「えーっと。ティア配布時の手数料とか年間定期住居移住費とか?」
「なんだそれ。必要なものを受け取るだけで減って、そこに住むだけで減るのか?」
「そうだね、言い方は悪いけどそういうこと。因みにそれは【ルド】にはないよん。その分、我が国は過酷な労働多いからだけどね……引きこもり適性高いなら【ジャバフォスタ】をお勧めしたいよ。あっちは病弱に優しくて手厚いから。まあ、その傾向が強いのに何故か偶に【ジャバフォスタ】出身なのが嘘にしか思えないって奴もいるけど」
「え?」
「あ。ごめん。話逸れたから戻そう」
吏史は興味を持ち始めるがこれは余談で一旦置くべき話だと、ネルカルは薄く微笑みながら両手で持って移動するジェスチャーをする。
「と、まあ…あいつらは姑息にティアを集めてるだろうけども。正直、それは露呈してない。何故なら不当な分だけ分配の補充が起きてるからだと思う。……予測するに、金銭に頓着がない上に民への還元と考慮がよくできてるローレオンとハーヴァの恩恵だろう。お陰様で……五年前【暁煌】で過ごしていた時、それを感じなかっただろ?」
「…確かに」
その通りだ。
国自体が資源豊富で豊かな恩恵もあるだろうが、サージュと過ごした日々は困窮を感じることなく、穏やかで楽しく過ごせていたと思う。
納得して首肯したが、あとの疑問は残ったままだ。
「でもナナ達にはそれがバレてるのになんでそうし続けてるんだ?」
「あーまぁ。私たちが実害受けてないのもあって、そんな表立って指摘してるわけじゃないせいで調子乗らせてるのが大きいけど…」
ネルカルは立てた人差し指を円を描くように回す。
「彼等そうする理由としては…わざと国の資金不足を起こすことじゃないかなぁ。或いは後の民への言い訳か、名目にしようとか?泣き落とし戦法が通用するかはともかく。『危機に瀕する国を救うために動いてます』アピールになりはするからね。…さて。ここまでの推測を加味しての銭ゲバどもの目的発表と行こうか」
「あ、ああ。…で、その目的って?」
「私が思う目的は此方の負担、輸出料金を吊り上げること。こっちのティア《資産》を削ごうとしたのかもね。素直に従って資金不足に参ってるところ【ルド】には不利な条件しかない契約を結び、上から目線の援助とかしようとしてたんじゃないの〜?【暁煌】は第一区の建築時の恨みで【ルド】を目の敵にしているわけだし、みみっちいというか…姑息な真似をしてもおかしくはない」
但しそれを子供の悪戯程度としか思ってないような、心底小馬鹿にする不敵な笑みを浮かべてネルカルはつぶやいた。
「でもさぁ。別にいいんだよね、そうされても。元よりこっちは環境が過酷だからこそ、民が食料には困らないように徹底してるしさ。自給自足を推進してるし、兵糧攻めは大した意味がない。荒廃した土地でも育つ作物はあるのもいいんだけど…天災関係は配属されたアストリネの力で確実に防ぐことができるから、強みだよ」
「んー…いや、…娯楽品とかが無かったらちょっと…流石に民の生活が荒れるんじゃないのか?」
「でもさぁ。これ言っちゃあ悪いんだけど、それってたかが食えもしない時間潰しの娯楽品でしょ?無くて、なんか困ることあんの?」
バッサリと意見を切られたあとに、吏史は顎に手を当ててこれまで【ルド】で過ごした記憶を掘り返す。その後の感想、意見として――ネルカルの言い分はとても納得ができるということだ。
兵士になれるかで評価が変わる実力主義国家ではあるが、なれなくても関係する仕事自体はあり、献身の救いがあるよう保障もある。
そもそも兵士たちが『力には責任が伴う』という全体的思想が強いのも影響して団結力も高いことも関係して、娯楽品が欠けた程度でこの国は簡単に荒れはしないだろう。
何故なら【ルド】の民は個々の自立心が高く、生活圏全てをアストリネに頼り委ねることはしない。
足りないことがあるなら先ずは自ら出来ることを模索し、解決可能であるならば着手にかかる。
無謀な挑戦も勇気を振り絞って、進めていくに違いない。
「だから、奴らはいいんだよ。心底どーでもいい。此方としては怒らせて困るとするなら【ジャバフォスタ】の方なんだ。我が国としては兵糧攻めより情報戦争がきついんだよね、利便性の関係上…アストリネでも基本着用義務があるHMTの件もあるし下手に怒らせないよう注意してるよ。自国の民が困るのだけは…まあ、避けないと…」
「君の言い分はとても聞こえがいいが、かつての会食で君がノーマナーすぎてグラフィスに苦笑されてアルデに躾けられた話も参考として吏史にするべきじゃないか?」
「待って言わないでよそれは。私の骨幹に関わるし蛸姐さんのマナー講座はトラウマなんだ」
「ああ…厳しいよなぁ…。先生は……」
そこだけは深く頷いて同意した。
ヴァイオラ=アルデ。
管界の一主のアルデを冠しながら吏史の銃の先生を勤める。その上で監視担当まで受け持つ彼女だが、礼儀作法にはとても厳しい。
運動ばかり好む吏史もこの五年間でしっかり体罰込みで躾けられた為、彼女の末恐ろしさは身を持って痛感してる。
「あいつが師匠とかマジで同情するよ。鞭しかないじゃん、多足の蛸だけに」
「へ。は、っははは……」
マナーを正しく覚えるまで神経毒を飲まされた回数は数十を超えてる経験上、大して面白みもないギャグを受けた吏史は遠い目を浮かべて乾いた笑いしか漏らせない。
そもそもの話、この会話自体がアルデ自身に聞かれてしまうから下手な文句も言えなかった。
ひとまず話を戻すべく。
一旦咳払いをしてから片目を閉じつつも、吏史は【暁煌】の一部から受けた嫌がらせの感想を述べる。
「…まあ、表立ってアストリネたちが武力で争わないのは、いいことじゃないか?やる内容もなんか嫌がらせくらいというか、ある意味平和的……か?」
「ぶっちゃけ直接的じゃないのは、始祖の呪罰と…ディーケが怖いからだと思うよね。何がトリガーになって死ぬかもわからず、束になっても勝てない相手なのはわかってて争えば負けるから、身を竦めて嫌がらせしかできないんじゃないかな」
「…あー………なるほどな…」
その抑制要素。ディーケという存在の圧に納得できて頷いた。
現在ディーケは二十五代目エファムが失踪した世では『最強』を冠している。
過去に一度、彼の異能を目の当たりにした経験から、他国のアストリネが過剰にディーケを恐れる理由自体は理解できてしまうため、夏空の瞳が憐れみに据わった。
――ディーケがその気になれば、一夜で国を滅ぼせるだろう。
この一言に尽きる。
「むしろ……よく出来たなぁ。だって、そのディーケにはオルドとナナまでついてるのに」
だから呆れを含めた息を吐けば、ネルカルはそれに同調するよう肩をすくめていた。
「さっきも言ったけど、此方側はどうでもいい。つまらない意思表示と幼稚な挑発で自滅されてもいいわけ。自国も安定してないのに他国まで見てられるかって話でもあるんだけど…」
緩やかに碧眼が細まる。視線は一点、吏史を映す。
「……うん?」
何故見られてるのかと不思議そうに首を傾げれば、ネルカルは柔らかく微笑んだ。
「んまあ。それも言ってられなくなりましたから」
「…世界情勢自体が荒れてるもんな」
目を伏せつつの発言には、『古烬』のせいで、と含み言葉がある。だが、それを肯定しながら何処か否定するようネルカルの返事は早い。
「馬鹿だな。多少強行して呪縛で脅してでも早く動かすかって、理由ができただけだよ」
「…うん?」
「理由は察して」
そう言われても頭に疑問符を浮かべてしまう吏史に、「あ。マジ?」なんて呟いた後は気を取り直すようズレた軍帽の鍔を掴んで正していた。
「…あー、まあ。こうして色々あっても動いたから進むよーって感じで、OK?」
「そこはわかった。…わかってる。とりあえず機会を作ってくれたのには感謝してる。ちょっと強引すぎるけど」
強引、という言葉に反応したようにイプシロンが小さく身を揺らした後、何も相談されずに進められたことを思い出したのだろう。
間違いなく、待ち受けてるであろう。これからすぐ先に差し迫る書類申請手続きのことを想像したのか、額を手で抑えて目を瞑り軽く首を横に振った。
「…その件だが、ある意味前準備も無しに進めたことは俺が謝罪する。俺の油断と、ネルカルへの甘さが招いた結果だからな。次から嫌でも異能で心を読むとするよ」
「ええ。やめてよ。またイプシロンの前では頭の中ピンク色にして精神攻撃するしかなくなるじゃん」
的確かもしれないが、とんでもない対策だ。
思わずそれはどうなんだと突っ込みかけた吏史に対し、浮かべた苦い顔を一瞬で解いたネルカルは呟いた。
「取り敢えず今すぐにでもチーム作らないと。早々に動かないとだしさ」
「え?時間がそんなにないのか?」
「うん。明後日にでも動く必要がある。…一先ず、三人がグループ活動にバランスがいいともよく聞くし、【暁煌】に配属されてる…私が最も欲しいアストリネのことも考えるとなると、年近い若い女の子がいいかな。どう?候補者いる?」
「…此処で探して決めるつもりか、君は」
眉間に皺を寄せて気乗りしないイプシロンの反応に、ネルカルは頬を膨らませて唇を尖らせる。
「むしろ此処の方がいいでしょ。他国の奴らは帰ったし、それなら私たち以外誰にも聞かれない守秘が保たれる空間なんだから。『平定の狩者』に加入してる兵士を兵士間では広めさせたくない。また露骨な贔屓と思われちゃうと、ね。その子が大変でしょ」
納得できる理由と共にその場での確認を促されたイプシロンは、応じるよう頷いた後に、すぐに己のHMT――羽の耳飾りに触れた。
青光が溢れ出し宙に伸びる。そしていくつもの名前が並ぶ電子板として象られていく。
話の流れ的に候補者―――つまり、今年の試練を踏破した新兵たちの名になるのだろう。
「二千メートル内での試練開始者が望ましいか?」
「そだね。基礎能力は高い方が望ましい。……………………でも、そうだな。後は目が大きくて丸くてお尻と胸も立派な小柄な子だと私が嬉しい。なんならそのまま側近候補にしちゃうからついでにリストアップしてて」
「外見審査をしようとするなよ」
早口での要望内容に飢えた獣なのかとイプシロンは心底呆れたらしく、半月型に翡翠瞳を歪ませていたが、すぐに真面目に候補者を探した。
無論、ネルカルの希望は適応しない。
心身ともに逞しく、なおかつチームメイトの出生を気にしない寛容さを備えた人物を優先していく方向で、イプシロンは手早く候補者リストを作成し並び上げる。
「あのさ、その新兵選びの件なんだけど」
そうして吏史に見合う新卒を真面目に探すイプシロンに、吏史は手に肩を置きつつ声をかけた。
「どした?もっと可愛い子がいいって一緒に訴える?」
「遊びじゃないんだから外見審査をしようとするんじゃない。…それで、なんだ?」
碧と翡翠。それぞれのアストリネの視線を受ける吏史は、胸に手を置く動作を交えて告げる。
「さっき、オレが言ってた提案に乗ってくれないか?」
その申し出を受けたイプシロンもネルカルも、揃って何度も目を瞬かせた。
……………………【ルド】第一区『イーグル』
現在の第一区は、かつて二代目ヴァイスハイトがディーケの異能の性質を分析し応用した質量の法則を覆す建造物となる。
建築構造としてはピロティが近しい。
本来ならば地盤崩落しかねないであろう面積差がある最上階と地下の関係ではあるが、それはヴァイスハイトが施した固定維持装置により保たせている。
その為、この国に於いて最も必要なのは電力であり、塔の機能の一つである風力発電は欠けてならない効果の一つだ。
故に、風操作を可能とするネルカルは【ルド】から離れられない存在とも言える。