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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第一章. 白雷は轟き誕辰を示す【暁煌】
17/38

試練にて

吏史と昇降機を共にした男性兵士ラグダールは、自身が担当する試練の監視場所……鍾乳洞に直通することから洞穴めいた住居が多い地下八千メートル域(地下八階層)にて、一人佇んでいた。


試練開催される日の塔の周辺は、普段以上に兵士が巡回警備しなければならない。

普段から事故を防ぐために各々の階層には昇降機乗車場とその周囲を囲う簡単に越えられない高さで仕切る衝立が建設されてたりと対策はされてるとはいえ、人生が決まる国の催し事となれば様々なトラブルが倍以上に上がり付き纏う。

故に、物理的な不正が行われないか参加権が無いものが試練に挑んで無いか…それらを目を光らせて見つける必要がある。

現兵士であるラグダールは第八から十にかけての階層巡回を受け持っていたのだが…、彼の関心はさらに真下にできてしまっていた。

その脳裏に過ぎるは先、自ら降りたばかりの昇降機内で起きた邂逅――透羽吏史のこと。

試練開催の影響で解放されている最大二千メートル暴風が渦巻く虚空を見つめては、小さな舌打ちを忌々しげに漏らす。


「あのガキ、本当に一万メートルから開始するつもりかよ……」

「ラグダールさん!」

そんなラグダールに、十代ほどの頬の傷が特徴的な淡褐色髪の少年兵士が近づく。

彼は何処かしら大型犬を彷彿させる人懐っこい笑顔を浮かべて、ラグダールに駆け寄っていた。


「ラグダールさん、お久しぶりです!そんなところで立ってて……どうかしたんですか?」

彼の名はベガオス。兵士として加入してから一年程度…『ディーケ』に弟子入りした最年少候補者として期待された若き星だ。


「あー…」

彼を前にしてラグダールは正直に話すべきかどうかを思い、悩み。結局は口を閉ざして頭を掻きながら留めた。

ラグダールは多少の付き合いがあるこの少年兵士の厄介な点を把握している。

ベガオスは孤児院で過ごした経験がある経歴上、『古烬』を心から憎んでいた。

だから、吏史を話題にできるわけもないが…現在ラグダールには胸中にある疑問を解消するべく誰かに問い掛けたい気持ちがある。

故に、言葉を上手く変えることにした。若者の激しい敵意を誘発して受けないよう率直には伝えず、世間話を装った遠回しのお話として。

「ベガオス。お前、去年の自分が挑戦した試練のことは覚えてるか?」

「…?はい!覚えています!この風が吹き荒れる塔を登っていく…ですよね?」

ベガオスは素直に応じ、ラグダールは頷いた。


【ルド】が兵士候補生に向けて行われる『試練』の内容を簡単に例えると、十二刻という時間制限を設けられた塔の登攀だ。

ネルカルの異能により強まった瞬間速度二十五m/sの風が吹き荒ぶ中で、塔の外壁を利用しながら兵士やアストリネが住まう頂天に登れて行けるかどうかを試す内容となっている。

『塔』と例えても風力発電装置など第一区を安定させる様々な機械集合体と例えても過言ではないため、登攀するための足場は十数センチほどではあるとはいえ、――登り切るために幾らでもあった。

その上、ヴァイスハイトが手がけた強靭な建造であることに加え、試練限定でディーケの異能が塔全体に働いており重量負荷が軽減されてる。

故に数百名程度の人間が同時に塔を登ったところで何ら問題もない状態だ。


「俺の場合はHMTで兵士としての才能が認められて、試練は千メートルが開始地点でしたからね」

だが、そんな試練のそもそも前提的な話になるが、――兵士候補生は皆同じ条件というわけではない。

登攀開始地点は一律に同じ高さで開催されるものではなかった。

この試練は、個人の能力ではなく両親の血筋という遺伝子に依存して開始地点は計測される。

個人の身長や学習能力が親に依存されると判明されてるが故の推薦方法が存在した。


「…えっと、ラグダールさんは…」

「…三千メートルからだよ」

「そうなんですか!そこから登り切れたんですね!凄いです!」

「悪意無い分だけタチ悪いわぁ…どーもどーも」

拳を握って力説されたがラグダールは目を糸のように薄めながらへらりと笑い返す。

千メートルから開始となると、『最優秀』『兵士になるべくして生まれた存在』と評されてるようなものだから、其処には多少の妬みも籠っていただろう。

だがシステム的な問題はないと思うため、苛立ちを退けるようもラグダールはベガオスに質問を投げる。

「お前さん、この第一区高層部出身か?」

「はい!そうです!俺の両親は立派な兵士でした!」

「ほー…両親の血筋もしっかりしてるとなると、こりゃあなって当然か……むしろ、ならないとおかしいレベルか」

「まあ……そう、ですね。多くの候補者も居る中で無事難なく、評価高い状態で試練を突破しディーケ様に弟子入りできた己を誇らしく思います」

グッと何かを堪え噛み締めるような表情を一瞬だけ浮かべていたが、直ぐに笑顔に戻したベガオスは言う。

「まあ【ルド】は区番号が低い順に人口率が高くありますからね!第一区高層部出身とはいえ、俺の試練当時は誰がディーケ様に弟子入りできるのかとライバルがたくさんいましたから!」

「ああ。あれか…中々の事件だったよな。一着したやつだけが、ディーケ様の弟子になれるって話で。熱気がすごかったわ〜」

まさに例えて骨肉を争うもの。参加者全員鬼気迫るものがあったものだと当時の試練を思い出してラグダールが頷き苦笑う。


「…とはいえ、やっぱり第一区出身かそうじゃないか下層部か上層部生まれであるかで、【ルド】の民は身体能力に差が生まれがちではあるな。俺も第一区生まれだし」

「そもそも【ルド】に身を置く大体の人類は第一区で生まれますからね」

【暁煌】や【ジャバフォスタ】は区の人口率が第一区を除き均等だが、【ルド】は逆。総人口比率は第一区に偏っている。気候環境調整がアストリネの異能ありきであるが故に仕方ない偏りだ。

そして、第一区の下層か上層かの人口もピラミッド形式のようになっている。下層部は多く、上層部の出生率は少ない。


「まあな、俺は七階…下層部生まれの上澄みだからよ。割と気楽な部類ではあったがまあ。お前は大変だったんだろうな」

そこに実力評価制度の関係も乗せられていた。

第一区上層部生まれ。それだけで、【ルド】に於いては恵まれた身体を持つと示唆される。兵士に至るエリート。人類に浸透された、共通認識。

「兵士同士なら第一区一階生まれだろ。期待クソ重そうだ」

ベガオスという男はそれに当てはまるのだ。見事に期待に応えてあらゆる物を勝ち取ってきた自信が、自尊心がきっとあるのだろう。そうラグダールは分析している。

「なんて事はありませんでしたよ。俺にとって総じて些事です」

現に指摘されてもなお、ベガオスはニッコリと爽やかな笑顔を浮かべていた。しかし、そんなベガオスにも思うことはあるらしい。

笑顔が解けて苦い表情になり、何やら不満を抱え込んだ様子が見て取れるため、思わず「どうした」と尋ねてしまう。

そうすれば頬を掻きつつもベガオスは素直に吐いた。

「いえ、なんて言うか。第一区以外の者や、例外的に他の国での適性検査でスカウトをされて兵士になる場合もある制度がちょっと…嫌だなと思いまして」

「……はぁ…?別によくないか?実力あるんなら他の区出身でも」

「え?あの『古烬』のような急に虫のように湧いてきた奴が増えられても困るじゃないですか。俺たち兵士の沽券に関わりますよ」

聞いたラグダールは小さな溜め息を吐く。やはり、ベガオスには詳細を話さなくてよかったと心底安堵した。しかし半端に終わるわけにもいかないため、ラグダールはその者の名前を出さずに注意を払いながら、己の本題を振る。


「まあそいつの話は置いとけ〜。ちょっと聞いてくれよ。…試練の歴史的にも、三千メートル以下開始で兵士になった事例は無いよな。あるにはあっても、現在アストリネになった方々のみだろう」

「そうですね。ディーケ様は最年少で達成してますが、それでも九千メートル開始だったと思います」

「まあ基本は無理、なんだろうな」

基本試練は通常通り登攀する。塔を形成する機械の端を足場として登り詰めていく。

そのように真面目に登っていってもよいが、十二刻という時間制限の関係上、休憩なしにひたすら登攀し続ける必要がある。

「一万メートル開始からでもぶっ続けで十二時間フルで使えば登り切れる計算らしいが、落ちるプレッシャーに耐えながらそれをできた奴はいねえよ」

そんな無尽蔵な体力、熱意を披露した人間はいない。


「ま。つまりは非現実的な話だよな。……本当に起こるんなら是非、生きてる間に見せてほしいもんだ」

誰かに期待を寄せるような呟きを溢しながら、相変わらず下層に視線を送るラグダールにベガオスは不思議そうに首を傾げた。

それから黒色の瞳を上の方に移動しつつ、己の想いを逡巡させることなくはっきりと告げる。


「お言葉ですが…絶対に無理じゃないですか?天性の身体能力を持つディーケ様やネルカル様が披露した『もう一つの手段』を使うのなら、話は別でしょうが。でも、それって俺たち人類には到底再現不可能な手法ですよね」

「んだな。『風を着地場《足場》としてひたすら跳躍を繰り返す』なんて芸当、アストリネ様以外にできてたまるかよ」

「あはは。まあ、それって無から有を生み出すことにも等しいですからね」

「…だからこそ…兵士はかの方々に畏敬の念を抱いて当然な点もあるわけだがな。野生においてもそうだ。実にシンプルな話だろ。群れのリーダーは特別じゃないといけねえ。力の差が歴然だといい、迷わず心酔できる。むしろ、うちの国じゃあそうじゃなきゃだな…誰もついて行かねえよ」

初めから育ちも生まれも種族すら人類とは異なる者だと痛感してる。

だから、それがないのなら――そうでないなら。新たな歴史が刻まれることなぞ、起こりうるはずもないだろう。

「……初めから『どちらでもない』なら、期待するだけ無駄か」

そう、改めて。吏史が新たな歴史が出来上がることはあり得ない話だと理解し直したラグダールは息を吐いて軍帽を被り直す。

成し遂げるのではないかと期待を込めてしまっていた己を排斥するよう、下層部に視線を送るのもやめた。


「っよーし。そろそろ真面目に巡回すっぞー」

そうして無理に切り上げるような態度が気になったのか、ベガオスは移動したラグダールの背中についていきながら問いかける。


「もしかして、誰かが一万メートルからの開始をしようとしていて…そいつに期待してたんですか?」

やけに鋭いその指摘に、ラグダールは眉間に皺を寄せて舌打ちを漏らす。

此処で言葉濁しても追求されるだけかと悟ってか、横目に見ながら正直に打ち明けた。

「ああ、そうだよ。その上、結構生意気なやつだから印象に残ってな。認めさせてやるから見てろって言ってきたんだよ」

「へえ。そうなんですか。そいつ馬鹿ですね」

「おいおい。ストレートに辛辣だな」

「俺、身の程を弁えないバカと『古烬』は嫌いなんです。無能でやる気のある奴が一番邪魔じゃないですか。後者に至っては《《先天性体質の問題でHMTを扱えない》》害悪非人類のくせに……」

「い、いや、でもよ。あいつは使えるだろ?…制作者じゃない限りはHMTの改造なんざできねえだろうし……」

『古烬』はHMTを扱えない。それが一般常識として知られている。

人体に流れる電流波の違いから、常人ならば発揮されるHMTの充電機能を生かせない。だから、着用義務がある物を備えられない者として、非人類的分別がされてしまう。それが『古烬』の血筋を区別する為の手法であるのだ。

しかし『古烬』の吏史はHMTが扱えた。

要因、原因は不明。間違いなく例外的な現象。

「あいつは……ただの『古烬』じゃねえよ。その点だけは……認めざるを得ない」

故に、彼が特別な体質であることは多くが認めるしかない。

そう、事前に兵士内で共有報告された点をラグダールは掘り起こすよう伝えた。


「そうだ。なんであいつは『古烬』の癖にHMTを扱えるんだ……平和を乱す畜生がアストリネ様の寵愛を、なんで……」


それがものの見事にベガオスの地雷を踏んでしまったらしい。

失態の自覚を経て、口を歪めて。辟易した表情を浮かべた後にラグダールは、真顔で嫉妬に塗れた恨み言を吐くベガオスに顔を向けるのをやめる。

これ以上は続ける気はない。先程の会話で彼の中で話は完結したし、疑問も解決した。


後の切り上げはやや強引に、己に言い聞かせるようにも行なわれる。


「…ま、まあ。何にせよ、だ。普通なら一万メートル開始時点で諦めるって話だろ?わざわざそこから開始するほど酔狂にもなれやしねえ。HMTの結果は正しいんだ。『見込みなし』を突きつけられたんなら夢も諦めるさ。俺でも…いや、きっと誰でもそうする筈だ。これまでの試練の歴史が、無理だって証明してんだから」


一万メートルの下層街から開始するという最大の苦難に見舞われてしまうのは誰だって避ける。挑戦すらしない。

人類は飛翔できる生物ではないのだから、落ちるというリスクを飲めずに聳え立つ塔を前にして萎縮し尻込んで辞退するだろう。


「もし、それでも挑戦する輩は無謀な命知らずか、はたまた生粋の狂人か。或いは世を動かす主人公とやらの器を持つ者かのいずれかに違いないかもな」

「そんな奴いませんよ。アストリネ様以外に居てたまるもんか」

「…おう。そうだなぁ。まあ、そうだろうともよ」

それからラグダールは怒りに沈むベガオスの肩を叩き、仕事である試練の巡回に向かっていった。





「どうしよう」


そして、先の記述通り『見込みなし』と下されてしまった肩で切り揃えた象牙色の髪に梅色瞳を持つひとりの少女。

朝海ともみは、標高一万メートルと高くある塔を前に絶望していた。

但し、最下層部なだけあって電気も十分に行かないのか街灯等の灯りも弱く、空気感も陰鬱としており全体的に暗い。彼女の顔色の悪さは上手く隠れてしまったことだろう。


そんな彼女は【ルド】の第四区『ピジョン』で人間として生まれて育った、ごく普通の少女である。


【ルド】では希少な飲食店に生まれた細身の大食漢で、数十キロメートルの距離を走れきれるほどの体力自慢だ。そのことから有望な兵士候補だと近所の人に囃し立てられていた。

今回の試練に挑むにあたり、『世界を救いたい』などの揺るがぬ信念があったわけではない。

周囲の期待に煽てられて流されてあわよくばの願いを込めて、参加した。


「どうしようどうしよう……うぅ…ぅぅう……」


…それが甘い考えだったと、彼女は痛感し後悔している。

己の左手に着用された黒の腕時計型のHMTの表記を何度見たところで、電子板は一万メートルからの開始告知しか書かれていない。

制限時間の秒数は刻々と進み刻まれている中で、血の気が抜けて涙目になり、色づき悪い唇を戦慄かせた。

「う、うう…嘘、嘘でしょ。や、やっぱり、わ、私の評価低すぎる…っ……せめて、せめて…っよ、四千メートルくらい開始かな、ってぇ、思ってたのに……!」

所詮、己は井戸の中の蛙でしかない。

『見込みなし』と下されて容赦なく一万メートルの最下層に送られ、過酷な試練になるとは予想だにしてなかった故の絶望である。


「(あーーーもーーー!今回の試練は『古烬』もいるみたいだから危険だしやめておけって言ってたお母さんの言うこと、ちゃんと聞いておけばよかったよぉ……!)」


現実を見たくなくて、頭を抱えてその場に蹲り、梅色が覗く目を強く瞑り葛藤した。


「(でもでもだって、だって!?そう!そう、そうだよ!兵士になれば将来安泰だし!?両親だってすごく安心するじゃない!お店も今以上にすっごく繁盛するかもしれないし!も、もしかしたら、奇跡的に私が乗り越えられるかもしれないしぃ!?)」


だけど、なんとか。真っ暗闇の中でなんとか奮起しようとする。

勿体無い精神が強くあった。ここまで来たのだから少しは挑戦してみてもいいのかもしれない。何せこれまで試練に参加するための基礎能力試験に合格するための日々を思い返せばこそ、湧いてしまう思いだ。

「よ、よぉ〜〜〜し…」

そうした葛藤の末、何度か頷きながら拳を握り、失敗を恐れずに向かおうとする。

蹲った姿勢を正し瞼を開いた。


「――――ぁぁああああああああぁ゛あああ!?」


だが、その無謀を止める警鐘のように細く、大きくなっていく悲鳴に鼓膜を揺らし、人の形をしたものが目の前で落下、地面に激突してしまうのを見届けてしまう。

巣から飛び立つことに失敗した翼が未熟な小鳥のように。風に耐えかねた少年が一人、地に墜ちた。


「ぴぃ………」

顔面蒼白になり、恐怖に震えた小鳥のような声が漏れる。大きな悲鳴をあげるのだけは何とか耐えた。

幸い、少年の出血量が激しくなかったからである。

そこまで高い位置からの落下ではなかったのかもしれない。またやネルカルの異能による慈悲が働き衝撃緩和があったのやもしれない。

少年の状態は両手足が捩れた釘のように変形しているが、微かな呼吸だって遠目で確認できた。

一先ず生きていることには安心ではある。――が、近くで待機していた軍服を纏う兵士たちが少年を回収するべく白の担架を手に近付いている。

僅かな心配だけを滲ませた彼らのやりとりは、朝海にはやたら明白に聞こえてきた。


「おーい。大丈夫かー?…あーあ。四肢がひでえことに……」

「おーい。すぐ運ぶぞ!勇気ある若者を死なせるな!今なら神経修復も間に合うかもしれねえ!今代のネルカル様なら、勇敢な若者の精神を評価してくれるはずだ!」

「これだと一生車椅子生活かもしれんねぇ」

「いや、裏では【ジャバフォスタ】主導の人体機械化計画が進んでるらしいし、それ次第じゃないか?」

「それって非人道的な実験もあるんだろ?」

「いや予め通達があるようだし、実験体として名乗り出るのも非推奨らしいがな…もう一つの手段になるかもしれねえな」

「だがなぁりそうなったらなぁ、兵士じゃなくてただのモルモットなんだよ」

「だから公式的には非推奨が出されてるんだって…」


その会話自体は試練に落ちた者の未来が明るくないという明示だ。


国の兵士にもなれなかった後の人生は試練に挑み落ちた者として認知され、憧れのアストリネに尽くすこともできなかった夢の崩落という辛酸を舐め続ける。

……絶望的だ。

まだ挑戦していないけれど、朝海には厳しいことは明白である。先に落ちた少年は自分より評価されて高い位置で出発したのだから尚更思って仕方ない。


「無理じゃん」


結論が溢れたと同時に、不意に掲げられている電子モニターを見上げた。

モニター越しには、【ルド】が誇るアストリネ『三光鳥』が佇んでいる。

臙脂色のダリアが金髪に交ざる眉目秀麗な男性――イプシロンに朝海は注目した。

「……うぅ…」

その存在が口惜しいとばかりに、どこか諦めきれない思いで唸ってしまう。

嘗て朝海はイプシロンに邂逅し、憧れた。

偶々ほんの偶然、簡単に切れてしまうであろう細い糸先が絡んだような縁がある。彼が巡回か何かで第四区にまで訪れた時、少しだけ会話しただけという――淡く薄い関係だが。

「……簡単に諦めきれないよぉ……」

【暁煌】や【ジャバフォスタ】とは違う。いや、より強いと言える。

高貴たる存在に近づける場所にあるからこそ、【ルド】の民はアストリネに焦がれる心を持つ。

遠くから見届けるだけなんてできなくて、近づき認知して貰いたい。そんな特別に愛されたい欲求を掻いてしまったのだろう。


だけどもう朝海は踏み出せない。先に抱いた恐怖を捨て切れず、膝が笑ってる。踏みとどまってばかりの朝海の梅色の瞳には透明な涙がじんわりと浮かび始めていた。


「でも、無理……ほんと無理…帰りたい……」

死にたくはない。落ちて怪我するのは嫌だ。普通にこの先も自分の意思で立って歩いて、進んで生きていきたい。己以上に朝海自身が怪我することを恐れていた優しい両親たちの顔を悲しみで曇らせたくはない。

そんな想いが巡り回る。


「けど…でも、……せめてイプシロン様に…一目くらい……」

しかし、諦め難いと未練が、欲求が彼女を止まらせるよう引き摺った。

ずっとイプシロンに憧れて焦がれていたから、両親の前以外では表立って騒ぐことはしなかったけれど密やかに思い続けていたのだから。

だから、兵士になれた暁に、彼ともう一度面と向かって出会って会話をして、今度は己の名前を覚えて貰いたい。


―――けれど、けれど。やはりそれは死の恐怖に勝るものではない。


「無理ぃ……」

泣きそうな目元を手の甲で乱暴に拭う。一度拭ったところであまり意味がなかった。何せ、緩んでしまった涙腺が引き締まることはない。現状心を追ってくるものは高くあり続けている。


「……今回『古烬』まで参加するらしいから、なんか絶対に条件緩くなったとか、簡単なものになったと思ってたのに…」

どこかでそんなわけがないとはわかっていただろうに、と自分の甘さにより涙が滲む。

国やアストリネのことは好きだけれども、その為に命を賭けれるほどの高尚な覚悟が朝海にはない。その自覚ができているせいで自分がより嫌になりそうだった。

こんなだから自分は『見込みがない』と下されるのではないかと、嫌気がさしてばかりだ。


「――――なぁ」

暗い気持ちに落ち込んでいく朝海に対し、ある意味光明のように、何者かからの声が掛かる。


「…ん?え?」

背からの方向に己を覆う影が過ぎるため、その元となる背後に振り返って相手を見上げた。

「……え?」

それは、どこか幼さが残る顔立ちをした黒髪の少年――透羽吏史だ。

百六十にも満たない朝海を自身の体格の陰で覆えることから、身長は百七十に近しいと察せれる。

しかし彼は他の者と違い容姿が普通ではなかった。

黒髪の内側が真っ白な絹のように広がる奇妙な髪色に金が灯る碧玉と琥珀という色彩異色の双眸。

そんな見るからに目立つ。特別な容姿をした……下手したらアストリネにも見間違えるであろう吏史が、朝海に声をかけてきた。

「っひゅ…」

当然、朝海は誤解を抱く。

声にもならない息で喉が鳴り、その顔色が青から白に変わった。

吏史からは如何にも他者とは違う異質さが醸し出されており、どうしたって下手に逆らわない方がいい雰囲気まで本能的に感じられたのもあるだろう。

もしかすると、もしかしなくても。なんて想像が膨らむ。

――彼は試練を受ける人を視察しに来たアストリネで、試練を前に怖気付いた朝海を叱ろうと声をかけたのやもしれない、と。

「っあの、あのあの……」

咄嗟の言い訳も吃ってしまい、なんなら舌まで噛んで本格的に泣きたくなる。

「うぅっ!?」

もう帰りたいと本格的に思っている中で、吏史の双眸が喜色に満ちるよう大きく開いたと思えば、急に顔を近づけられたため、戸惑いに肩を揺らした。

「あ。ごめんな。オレの名前はと………吏史っていうんだけど」

「は、はい。はいぃ…わ、私は朝海と申します……」

「そっか。朝海さ、さっきの呟き…声。聞こえたんだけど。もしかして……イプシロン推しだったりするのか?」

「……あ。え。う。うん。……は?今呼び捨てにした?」

「やっぱり!推す気持ちわかる。すごくわかる。かっこいいよな」

怪訝そうな朝海の反応は気にすることなく、吏史はうんうんと何度も深く頷いて両腕を組む。

それから人差し指を立てては、何処かしら自慢げに語り始めた。

「三光鳥の中で一番かっこいいよな。やたら自身の力を過信せずに力自慢しないところもあるし、教え慣れてないところは意地っ張らずにちゃんと他の秀でた者に共に学んでくれる誠実さも備えてる。休日には地区犬猫になった子達に定期的に餌やりにしにいく律儀さの一面もあるんだからさ、そこ、すごいよな!他にも良いところ色々あるけどさ、非の打ち所がないと思わないか!?」

吏史に対して前言撤回を朝海は胸中で起こす。

こいつは己の同類だったのかもしれない、と。

そう処理を起こす前に一点重要なことに気づいてしまい、衝撃で思考停止しかけた脳が急速稼働し始めて気づいてしまったので、ハッと大きく目を開かせた。

「(…というか、何、今の。何!今の!!?なんか、今の色々知ってる発言じゃない!?何だったの今の!私が知らないイプシロン様の一面をなみなみと聞かされた感じがすごい!!)――すいません!」

強気な目線を吏史に向けて、低く唸るような声で凄みながら問い詰める。

「どうしたんだ?」

「今、私、貴方にマウント取られませんでしたか?」

「え?……どっちかっていうと…布教?かも。イプシロンには良い所いっぱいあるのに、本人はこういう面あんまり知られたくないみたいだしさ」

「は!?私、貴方にイプシロン様の身内匂わせ追加マウントされたんですけど!?」

「…まあ、そう言われたら確かに、客観的だと身内には近いのかも…」

その場でひっくり返りそうになるがそこは耐えて、顔を手で覆って仰反るだけで耐える。

「じ、じゃあ、貴方…いえ、貴方様はイプシロン様と親しい関係の方なんですか…!!??」

「貴方様?…えっと。まあ、オレはイプシロンだけじゃなくて、ハーヴァとかアルデとも仲がいいというか師……あ。ネルカルとはお泊まり会したことある。向こうが『強制イベントの時間だ!』って真夜中に突撃してきたから…」

「っっかひゅ…」

顔から血の気が引いて、喉から詰まったような音が漏れた。

知って当然の『管界の六主』のアストリネ二名まで話題に出されてしまえば、当然の反応でもある。

朝海は両手を繋ぎ合わせながら、崩れるように地面に膝をつく。

「えっ」

「ごめんなさい!」

動揺した声を上げて顔を歪める吏史に向けて、朝海は地面に頭を擦り付ける勢いで下げては許しを乞う。

「本当にごめんなさい……!ナメクジみたいに鈍臭いのにちょっと体力あるからって周囲に煽てられただけでこの試練も軽く、正直軽くいけると思ったんです…な、生意気に睨んでごめんなさい…試練に臆する臆病者で、ごめんなさい…っ」

最早、彼女の中で吏史はアストリネで確定的だ。見たことがないがこれから表に出るような存在なのだろう。

なんせハーヴァーもアルデも他国に与するアストリネの名前であることは知っていたが故に、そう思わざるを得ない。

そう思わせるに至ったのに決定的だったのはネルカルではあるとはいえ、畏敬の念を持つべきアストリネを前にして臆病風を吹かせて躊躇ったことや睨みつけてしまったことに必死に赦しを乞いた。


「えーっと。さ……何を勘違いしてるかわからないけど。オレもアンタと同じだよ。アストリネじゃなくて、……人間。それで今年開催の試練の挑戦者」

「……んえ?」

恐る恐ると涙目ながらに顔を上げる。

夏空色の目が合った拍子で、吏史は今の発言が嘘ではないのだと頷いた。

「従来ならオレの身体能力なら五百メートル位置開始でも良かったらしいけどな。オレ自身が一万メートル地点から開始しようって決めて此処にいるんだ」

つまり。と、朝海は色々情報を洗い流して脳内でまとめていく。

この吏史はアストリネと近しい関係を持つ人間で、生まれ持っての強者である。

五百メートル開始でも良い、だなんて前例すら聞いたことはないというのに最大のアドバンテージを捨ててまで一万メートル下から試練開始しようとしているのだと。


「えっ…」

だから、ついうっかり。朝海は素直に思ったことを呟いてしまう。


「…え。は?嘘。嘘でしょ。五百メートル開始?とか…凄く楽できたのに?なんで、こんなところから超絶勿体無……っあっっ」


咄嗟に口を抑えても最早遅い。慌てふためいて手を横に振って誤魔化しても何の意味はなかった。

だけど吏史は嫌そう顔を一切浮かべていない。

「凄く正直。同年代でアンタみたいな人は、初めてかも」

むしろそれが清々しいとばかりに、全然怒った様子を見せることなく屈託なく笑っていた。

向けられた表情に少々呆気に取られたように朝海は口をぽかんと開けてしまう。

ただそう長くは続かない。吏史は目の前にある塔を指差して肝心の本題に乗り込んだ。

「で。試練、どうするんだ?行かないのか?」

「えっ。えーっと……その。さっき落ちた人がいたから厳しいかもなー…って」

吃りつつ、曖昧に伝える。彼女としては吏史に同意を求めていた。

適当でもいいから共感の言葉を少しでも得れたら、きっと大人しく引けるだろう。目を泳がせて乱れた髪を指先で弄りつつ辿々しい言い訳をつらつらと重なっていく。

「その、イプシロン様には個人的にお会いしたかったけど。けどね。私…行けるかも!って周りに押されただけなのもあるし。四千メートルくらいかなーって思ってたらこれだしさぁ。私には兵士には向かなかったんだよ。えっと。それっぽいだけの、軽い思いでぇ…」

もう、誰でもいい。誰でもいいから。判断は間違っていたと後悔する時に、選択の責任を押し付けられるような理由になってほしかった。

そうした思いを汲み取ったのか否か。――やがて、吏史の口が開かれる。


「なんでだ?それって、単に朝海の気持ちの問題じゃないか?」


朝海にとって過去の責にならないであろう一言が、放たれた。

感じたままの疑問を捻じ曲げることなく、素直で至極真っ当で率直な意見だけを朝海にぶつけるだけだ。

「さっきの発言を鑑みるけど…もし、アンタが五百メートル開始なら、全然試練に挑んでいたんだよな?兵士になろうとしたはずなんだろ。だったら、周りだとか全然関係ない。初めから放棄して諦めて、やらないだけで」

「……」

痛いところ突かれてしまったことにぐうの音も出なくなるが、吏史は止まらない。しかし長くつらつらと申し出るものではなく、急所のみ的確に刺すような手短な一言で朝海を縋りを突き放す。


「本当は自分の気持ちを否定されたくない気持ちがあるんなら、つべこべ言わずに行動してみればいいのに」

「――――ッ」

噛みかけた唇を、大きく開く。

「ねえ、随分と簡単に言ってくるけど――」

なんせ今の吏史の主張はできる者だけの話だろうと噛みつきかけた。怪我への恐怖がある臆病者はどうなる。一歩も踏み出す勇気がない人への罵声に等しいじゃないか。才能があると選ばれた身のくせに、試練を乗り越えられる癖に。

そう文句を言ってやりたかったのだが、

「じゃ、これ以上はオレの時間も勿体無いからさ、お先!」

吏史は朝海に構わず塔に向かって駆け出していた。


「…は、ぁ?」

惚けた声が漏らしながら朝海が見上げる中でも、吏史は恐れ知らずな不敵な笑みを浮かべている。

立っているだけで体勢が崩れる暴風を前にしながらも、目の前の試練に突き進んでいた。


直ぐ様彼は登攀用に用いられる出っ張りに気付いたのだろう。

躊躇いもなく数センチしかない、足場にもならなさそうな金属板を指先で掴み、軽やかに登る。

一段登ってからは、その場で数秒間制止した。

何かを確認しているのだろう、周囲に視線を回しながら物事を考えるような神妙な表情を浮かべている。

だが、やがて何か確信を得たらしく。その青と黄色、夏空の瞳は――ほんの一瞬、光が灯るよう輝いた。


「よし」

そう小さく一言呟き、吏史は瞬時に目まぐるしく動き始める。


以降は先の足場へ向けて手を伸ばし、慎重に登る手間なんてかけはしない。

むしろ吏史はそのまま、足場に向けて手を伸ばすことなく、墜落を恐れることなく跳び降りる。

「――えっ!?」

何もない宙に突然何故と朝海や周囲が愕然する間も無く――吏史は『見えない足場』に着地した動作を見せた。

その意味を視認するよりも、吏史の行動のほうが早い。彼は踵でその足場を強く蹴り上げるようにして更に上へと即座に跳び立つ。

それからは一拍立たずに連続の跳躍が続いた。

見えない足場を何度も踏み、素早く上に向かって縦横無尽に跳び回る。

上昇気流の影響で暴風が強まってもなお、彼が落ちる気配は感じられない。むしろ、今はそれすらも利用しているのだろう。


その勇猛果敢に頭の上へと目指す中で白が走る黒髪を靡かせる有りようは、風に乗って天に飛翔する巣立ちの燕を彷彿とさせた。


「何…」

何故、跳べるのだろうと、朝海は惚けた声を上げる。

命綱なんて当然ない。落ちれば先の少年のような悲惨な未来を確約される。可能性を自身で崩壊させて、光芒のない暗き道に進む。その末路に辿る一部始終を、吏史だって絶対に見ていただろう。


朝海と同じ恐怖を持つはず。普通なら。

だから後の呟きが自然に溢れた。


「なんで、笑ってられるの?」

――だが、吏史は一片も恐れていないではないか。

むしろ自分は成功して当然、落ちることはないと確信した笑みを浮かべて、失敗なぞ関係ないとばかりに次々と上へ登っていく。

千メートルを超え始めてるのだろう。しかしそれでも彼の影は、速度が落ちることない。

ただただ遠のくなるばかりで、次第に人体の形すらまともに見えなくなっていた。


「速い…」

落ちてしまえばいいのに、なんて。

そんな薄暗い願いをほんの少し祈っていた朝海の浅ましい心を爽快に笑い飛ばす勢いで、吏史は勢い衰えることなく遠ざかる。

地上に留まる者は置いて、自らの空に向かっていく。


その究竟に羽ばたく姿は何者であろうとも誇りを感じ、憧憬を抱かせて魅せられる。


かつて過去に幼いアストリネたちが人々に披露した『風圧を着地場としてひたすら跳躍を繰り返す』という常識外の手法に踊り出たが故に。


「……何でよ」


それを突きつけられてしまって、朝海は嫌でもわからされた。

吏史は普通ではない。きっと、このまま一万メートルの塔を超えて頂きに到達するのだろう。

この試練の主役にして喝采を浴びるのは己であると他の者に見せつけて。地上に足をつけたまま巣立てない臆病者を置いて昇り行く。


そうして、此処で終わり。

朝海という一個人の小さな人間の物語は憧れに届かぬことを悟り、空を見上げて佇む。


しかし数秒ほど経過して、ギリ、と朝海は歯を噛み締める。


「―――ふ、っざけないで!」


目の前に迫る己の終幕を拒絶するよう、朝海は憤慨した。

世間的な体裁なんて気にしない、それだけ大きな感情の噴出たる叫声だ。吏史に注目していた数名が朝海に視線を向けて意識をも傾けていたが、彼女の怒りは止まらない。

梅色の瞳を据わらせたまま、塔の方にまっすぐ駆け出していく。

その行動は実にわかりやすい。先の展開は経験者であれば判断できた。

呆気に取られていた巡回中だったのであろう無精髭の兵士が、朝海に向かって手を伸ばしながら声を張り上げる。

「待て、嬢ちゃん!あんたじゃ流石に無理だ!」

それは真っ当な制止だ。どう考えても無理がある。アストリネたちの寵愛を受けるだけに値する才覚を突きつけた吏史とは違い、朝海は落下してしまうのが目に見えていた。

だけど朝海は首を横に振って、差し出された救いの手を跳ね除ける。


「いやです、私やります!…ちゃんと、挑戦します!」

「いやだから!やる以前の問題だ!嬢ちゃんじゃ無理…」

「いいんです!やりますから!どうか私のことはほっといて……っ、邪魔しないでください!」

ああ、言ってしまった。なんて、思考の隅で俯瞰的に思いながら朝海は挑む。

兵士に無理と指摘されて心から同意できるけれども、もう止まれなくなった。

『もったいない』、なんて呆れられたような発破を掛けられた上に突きつけるように見せつけられた以上、最早引くに引けない。

塔の突き出た十数センチ程度の突起物、足場を掴む。深く息を吸って詰めつつ、全身に力を入れては体を浮かせながら片足から足場に乗せていく。

暴風が吹いてるとはいえ、安定した軽やかな移動ではあったが、今し方進めた距離は一メートルほど、ほんの僅かだけ登れていた。


――残り九千九百九十九メートル。塔は未踏の高山のように聳え立っている。


「…ってる、よ」

怒りで腹が煮え滾ってる。到底収まりきれない想いが沸騰し切っていた。だから、塔を前にしても朝海は絶望なんかしてられない。

前を見上げた、風に靡く髪の向こうでもう一メートル先にある足場を見て、手を伸ばし掴む。

少しずつ登りながらも、苛立って仕方なくて眉間に皺が寄り顔が歪んだ。

無理と、考えるのが普通の精神だろう。安牌をとって何が悪いのか。命に関わる行為に博打なんかしてられない。

「わか、ってるんだよ…!」

――だけど全てわかってる。

吏史の言うことも尤もで、朝海が望む未来を掴もうとせずに挑戦する権利ごと放棄するのが、『もったいない』のだと。

だから、朝海は苛立ってしまう。

吏史に正当に意見されたくせに屈辱を覚え、堂々と昇り行く姿に落ちてしまえと呪い恨んで歪む自分の心の醜さに。

「わかってるん、だから!」

朝海は足場に乗せた片足を軸に、再び全身に力を入れて登る。そうして一つずつ登り向かう。


「でも、私だって…ちゃんと、できるし。っ半端じゃいられない理由があるんだから…!」

そう、苛立ちの末に脳裏に過った過去が今の彼女である。

此処の試験に来たきっかけは浅いかもしれない、だけども心に深く根付いたものが生命を燃やすような無謀に彼女の身を投じ動かしていた。


千メートルごとに配置された映像モニターには、変わらずアストリネたちが映っている。

代表管理者ネルカルの背後には直立不動のディーケとイプシロンが佇んでおり、彼等は雑談も交わすことなく互いに黙して試練に挑む人々を遠くで眺めるばかりだ。

苛立ちを含んだ手の先が震えてしまう。


「(でも、『会いたかった』なんかじゃ、貴方に一生会えない……)」


だけど、進んだ。止まらなかった。簡単に捨てることを宣言するような『会いたかった』ではダメなのだと気付かされたから。

再会を希望する相手は遠い空の頂天に在る存在だ。

簡単に諦めるくらいなら初めから望まない方がいいほどの相手、だから。

無茶であろうが成し遂げなければ望む夢は掴めない。


「っ、!」


また一つ足場を渡り続けていく中で、疲弊感は全身に蓄積していた。一度、足を踏み外しかけて落下しかけたものの、全体重を支える手に力をこめることで持ち堪え、両足をばたつかせながら登り、狭い足場に蹲る形で事なきを得る。


「…っは、は、ぁ…っ!」

落下、しかけた。

その事実に心臓がどくどくと脈動して今にも破裂しそうなほど早鐘を打つ。

死の境界に踏み入れかけた恐怖から冷たい汗が吹き出て小刻みに震え始めたが、朝海は無意識に己の腕に着用される物。黒色のHMTに映る時間を見た。

「…まだ、……時間…ある」

まだ挑戦できる。此処で終わりじゃない。前進することができる。

そう、認識した後、朝海は目を瞑り首を横に振って払い、まっすぐに立つよう姿勢を正す。

立ち止まるという選択肢を放棄して登攀を続け始めながら顔を歪ませた朝海は上に進む。


「(――ごめんなさい。イプシロン様)」

そう内心で認知すらされていない相手への謝罪を繰り返し切なる心地になりながら、また一歩。天に登るための道に手を伸ばした。


「(勝手に悲観して、絶対にそうない願望を貴方に向けていました。だって、世界は都合よく動かない。何かを望むなら自分から変わって動くしかないって、私はわかったのに)」

第四区の門の入り口に待ち続けていても迎えなんか来ないと知っていたから、会うことを望んだくせに。

周囲に囃し立てられながら、朝海から会いに来たつもりだっただろう。

なのに、募らせた想いごと体力をよりつけようと努力した日々ごと無碍にするよう放棄する気だったのか。

自身への雑言を内心で巡らせながら、息を乱し肌には汗粒を浮き立たせながらも、少女は着実に少しずつ昇り始めた。


「(私、貴方にお礼が言いたいんです。あの時、お母さんと逸れて迷子の私を見つけてくれたお礼を、伝えたいんです。兵士になりたい理由も、たったそれだけ。世界の平和を守りたいとか皆と違って高尚な理由はない。多分、些細な、ちっぽけな夢。―――だけど、でも、)」

終わりはまだ遠い。先に昇られた燕の姿は見えない。だけど、最早今の彼女には落ちるという恐怖感はもうない。

瞳にある梅の花色は鮮やかに、昇り行く中で差し込む陽光に照らされ芽吹くように輝くだろう。


「(でも、これが私の本気。天を望む理由なんだから!)」


グッと下唇を噛んで前を据える。

次なる足場に向けて手を伸ばす際、躊躇いによる震えは一切無かった。

………………………【ルド】

・風吹き荒れる浮遊街の下、地下一万メートルの下層区を建設して個人戦力を数値化させて評価するカースト制度を再現した主区(第一区)を中心に軍需生産を主に行い世界の治安を維持する役目を担う総合二十四区の国。

三十代目『ネルカル』が代表管理者であり、『ディーケ』『イプシロン』を従えている。

既出通り評価されるのは力のみである関係上、兵士以外の職種では貧富の差が生まれやすい。



………………………試練

・十五になった【ルド】に在籍する子供達が兵士となるために挑戦する第一区で開催される今の第一区が建設された六十年前からある特有の恒例行事。最長一万メートルとなる塔の頂点を目指し登攀する試験。

春に開催されるその行事には全ての区に住む者に権利があり、参加者の身体能力や血筋を計算した上で相応しい開始地点高度がHMTに表示されてそこから目指す内容となっている。

これにはネルカルの異能による風は妨害や落下死防止まで張られており、試練脱落者は不全などを負いかねない怪我のリスクはあるものの生命までの安全は保障されている。

緊急対応者として現兵士も各開始地点で待機し、あくまで健全な試練を運用している模様。

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