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アストリネの一族  作者: 廻羽真架
序章.
13/38

2-5

突如の乱入者にひどく驚いてる吏史に対し、手が伸びて触れられる。

「大丈夫だよ、俺だ。イプシロンだ。あまり動かないようにするが少し痛む。すまないが其処だけは我慢してくれ」

触れられたことで身を強張らせる吏史に優しく声をかけて、胎内にある傷を労るような手つきで服という拘束を緩めて楽にさせていた。

「……外部より、内部が深刻そうだな」

軽い診察の後に懐から赤茶色の瓶を取り出して蓋を開き、赤色のオブラートで包まれた錠剤を一錠指で摘む。

それを、吏史の口元に寄せた。

「これを」

飲め、と促すようにイプシロンは唇に押し付ける。

これは薬なのだろう。

全身を苛む苦痛から逃すための救済なのだと、予感はしていた。

「…ぁ…」

だけど、躊躇いが生まれる。僅かに空いた唇が震えて、飲み込めるほど開けそうにない。

ある思考が吏史を掠め、生存本能を抑えていたのだ。


「(オレは月鹿と同じ。『古烬』、なら。…世界の平和を乱す敵…)」


助けられる価値なんて、ない。自分ならば見捨てる、そうする。未来の不穏分子を生かすなんて以ての外だ、そうであって然るべきだ。

「(今のオレのような人を、『恵』みたいな状況を。……生きてるだけで、作ってしまうかもしれない)」

月鹿も鎌夜もそう告げた。自分を回収するためにこのように動いたのだと。

だからこそ今の地獄は、吏史が招いたことではないかと思えて、五年間の努力という尊厳も破壊されたことも相待って、気力そのものが折れかけていたのだ。

サージュ=ヴァイスハイトが殺された理由が他ならぬ夢を見た己自身にあるのでは無いかと。

「(もう、無理だ。嫌だ。生きてるだけで、全部奪われて。否定される、なんて…)」

ただ、そうとイプシロンに言える余力もないため、薬を飲まない形で優しさを受け取れない意を示せば、イプシロンの陽光が灯る翡翠の瞳が緩やかに伏せられた。


「…奪うだけしか能がない連中に、何をそう怖気ついている」

何処かしら呆れ返るようにも、無用な心配だと宣言するようにも、深く息を吐く。


「早くこの薬を飲むんだ、吏史。君は、自分のためにも飲んで、生きるべきだ」

その激情を孕む物言いに吏史の夏空の瞳が大きく溢れんばかりに瞠ったが、イプシロンの表情は真顔から変わらない。

ただ、その翡翠瞳だけは煌々と強く輝き主張していた。

「悔しくないのか?ずっと君を傷つけてきた彼女に負けたままでいいのか?強奪してきた相手を許すとでも?…そんなわけがないだろう」

このまま折れるな、諦めるなと。自身ごと放棄して現実から逃げてはならないと、奮い立たせるために支え木を差し出す行為にも似通っている。

「決して赦すな、間違っている相手に諦念の慈悲を与えるな。報復はあって然るべきだ。無駄なことじゃない。そもそも何故、不幸に貶めて傷を与えた奴がこの先笑って生きることを許容する必要がある?不要だ。そんな偽善、捨てろ。他人を平然と傷つける奴は総じてろくでなしだ。同様の痛みを与え返さないといけない」

そう、心から吏史を活気付けるような真剣な想いが、強烈な光を放つ翡翠の双眸から窺えた。

「だから、諦めるな。そんな奴等なんかに心を折るな。自分のためにも、……君を想ったサージュさんの想いを無碍にしたくないのであればこそ、此処で死んではいけない。このまま諦めるのは、今の君が過ちだと君自身が認めてしまう」

息を呑みながら、一の字に結んだ唇を振るわせる。心の奥から湧く想いに戦慄く吏史に送る言葉は続いていく。


「だから、生きて、報復を果たせ」

そして声が、過ぎる。先に、散々と憎き相手にやられた否定が、脳裏に。


『だからサージュさん自体が無駄だったのかもねー』

『せいぜい弱すぎる自分と、そういうふうに育てたヴァイスハイトの存在を恨めよ』


鮮明に思い出せて、辛酸が沸いた。

口の中は鉄の味しかしないはずなのに、それを上回るような耐え難い辛さが押し寄せる。

その中でも、だからこそ、イプシロンの声は明瞭に響いた。


「君という存在こそが正しき真理であると、奴等に証明してみせろ」


身を震わせたまま、吏史は口を開く。

今、少年を動かすのは悔しさからだった。

夢を否定した者は許せない。奪った者を認めてはいけない。

いけないのだと、ゆっくりとした動作で首を横に振りながら、僅かに開いた目を歪ませた。

イプシロンの説得には同調できただから、折れかけた心の軸を、主軸を定めていく。

嘲笑い馬鹿にして否んた人たちの顔が次々と浮かび、最後には玄関の向こう側で笑顔で見送る家族の顔がよぎって、目の端に涙が浮かぶが、息を絶え絶えながらに紡ぐ。

「ぉ、れは…っオレ、はっ」

――何を想って、サージュが『古烬』だった自分を生かし傍に置いたのかわからない。

だけど、それでも。

それでもサージュが家族としてずっと見てくれたのは本当のことだった。

「…オレ、はぁ…!」

否定されたくない。そうだ。イプシロンの言う通りだこんなことがされていいはずが無い。こんな理不尽と暴虐が許せるものか。

―――ならばこそ、と。答えは自然と導かれる。

血の味がするのを構わず、溢れた答えごと歯を強く噛み締めて呼吸を取り持つ。

「…っオレは、…生きて、」

夢を見た今の自分を守ったサージュが何も間違ってなかったと必ず証明してみせるべきだ。

生きて、この雪辱を相手に晴らす。


そうしなければいけない。


そうでなければ吏史は誰にも見てもらえない。

見てくれていた父にも、『特別』と謳ってくれたあの銀の流星にも、きっと離れられてしまって本当の意味で一人になるだろう。


それが自分が消えてなくなるより怖い、だから。


「生き、て、オレを……証明する……っ!」

いくつもの涙の筋を編み出しながら吏史は唇に寄せられた薬を口に含み、奥歯で強く噛み砕いた。



一方、ジルを前にした鎌夜は焦りを覚える。

「…!しまっ…!」

電気操作に特化した異能は特徴的だ。

彼女がハーヴァ《アストリネ》であると威風堂々と名乗られた鎌夜は身を引こうとする。元より叶うと思ってもない本能的な避忌だ。

だが、既にジルの手には圧縮されて槍となった白雷が握られていた。

「姫様!逃げ――――」

刹那。

双刀槍の形を模した雷槍を風車のように回しながら、十にも及ぶ怒濤の乱撃を奔らせる。

接触すると同時に対象に強烈な電流を流すものだ。生半可な体では耐えきれようもない。

「――――――――!!」

常人である鎌夜では、声も出さずに気を刈り取られて、白目を向いて仰向けに倒れてしまう。

「そんな…嘘でしょ早…っ」

吏史とは異なり、何も見れなかった。解析できない相手を前にした事実に月鹿はペリドットを大きく見開き驚愕の声を漏らす。

対し、ジルは即座に次なる行動に躍り出る。倒れた鎌夜に構うことなく短く息を切って地面を蹴った。

白の雷光は止まらない。残りの侵略者はまだ残っている。その対象である月鹿を粛清すべく、一気に距離を詰めていく。

「っ、父様に言われた避けるべきアストリネじゃない…!強いアストリネじゃないもん!」

月鹿はこのまま、ジルを迎え撃とうとする。

取り込んだばかりの目は解析できていた。ジルの動きだって見えるのだ。何の問題もない。鍛錬なんかしなくても、この異能さえあれば危険視されている三姓名でなければ勝てるはずだ。

「かかって、きなさいよ!」

無謀かつ気丈にも雷を纏う者を迎え撃たんと鋏を構えるが、――突如。

二人の間に数センチほどの黒い砲丸が投げ入れられた。

「!」

「何!?」

予想外の展開だと、ジルも月鹿も瞠目する。

爆薬かと判断したジルは直撃しないよう即座に身を引くが、見たこともない形を目の当たりにして解析できなかった月鹿は戸惑う。

一秒後にその物体に亀裂が走り破裂することで、疑問の解答が示された。

排水管が破裂し蒸気が噴出した音が立つ。距離にして数メートル以上の場を白く塗り潰すほどの濃霧めいた白煙が謎の鉄球から勢いよく溢れたのだ。

故にそれは視界不良を生み出し、強制的にジルと月鹿の衝突を避けさせるものである。

「チィッ!ただの発煙筒《目眩し》か!だったら、そのまま突っ込むべきだった!」

退避が判断ミスであったことに苛立った声を隠さず、ジルは険しい顔を浮かべ鋭牙をのぞかせながら吠えつつ両腕を振りかぶる。

「第三者の介入だか何だか知らないが、…それだけあの娘が大事だとは伝わった。必ず捕えてやる!」

雷槍の電圧を上げて周囲に紫電を漏れさせた状態まで高め切り、大ぶりに振い満ちていた白煙を雷光で一気に斬り払った。

電流の刃によって一斉に霧が晴れるが、第三者…漆黒のフードを深く被った者が既に回収を始めている。

「何してるのよ!あたしならあいつをどうにかでき…ちょっと!少しくらい反撃したらどうなの!」

不満げな声を上げる月鹿を小脇に抱え、鎌夜を雑に俵に担いで白銀の腕輪と思わしいものを地面に投げ捨てた。

着地の衝撃を得てその機械は展開する。アーチを描き、天に柱を築き、そして一つの門が建つ。

扉代わりとしていずれかの行き先へ繋ぐであろう青色の電磁波の揺らぎが生まれ始めていた。

「『門』!?まさか、嘘だろう!?……簡易式は【ジャバフォスタ】でもまだ試作品段階、未完成なはずなのに……――――ッ!?」

世に出回っていない開発中であるはずの機械に瞠目するが、その僅かな動揺という隙を撃たれてしまう。


――――パァンッ!

一発の弾丸が空気を裂き、火薬を燃やした銀の空薬莢が落ちる。


黒フードが片手から取り出した銃の引き金が引かれたのだ。

弾丸は的確に狙い度取りに、ジルの頚部に直撃し、大きな風穴を開けて口部にかけて破損させる。


赤の花弁が派手に四散した。壊れた水道管のように勢いよく血飛沫が広がり、彼女を中心に地面を赤黒く濡らしていく。


「やっ、た!やった!…あはは!やっぱり父様が警戒してないアストリネなんか…――――は?」


だが、それは決定的な勝利を齎す狼煙とは決してなりえない。

月鹿の高笑いも、ジルの負った傷も瞬時に消えた。

歪曲された説明ではなくそれがまごうことなき事実、既にジルコン=ハーヴァの傷は消えている。

それは発生した事象の否定じみた修復作用、健全なるアストリネならば備わる超再生能力。

完治速度はコンマ単位。たった一秒とて、経過することはなく傷は消えていた。

負傷の証拠として残るのは、彼女が纏う服に付着した血の汚れのみだ。


そして、これはある種の証明にして宣告でもある。


たかが一発の弾丸による頸動脈の破損程度、アストリネには擦り傷にもなりやしないのだと。


「――ッッ」

動揺が掻き消えて冷酷に至る零度にして鋭利な蛇の紅き目と視線が重なった月鹿は、睨まれた蛙のように慄き背筋を震わせる。

恐れが彼女を支配してしまったのだろう。

「ねぇ!」

威勢のよさが消えて、自尊心も自信も殴り捨てる。最早なりふり構わず、反射的に癇癪を起こし叫ぶようにも黒フードの背を叩く。

「ねぇ!もう早く行ってよ!もう、なんでもいいから、後で怒られるから、っ早く!」

今すぐここから、あのアストリネから逃げるように促した。


「チッ!」

ジルは舌打ちを漏らす。

元より超回復による反動自体はない、すぐに動ける。

とはいえ不意を撃たれた事実による思考力の停止は有った。

その僅かな時間を稼がせてしまったため、門は目的地に繋がり青色の電磁波の幕を展開している。

この場からの早急なる離脱を行うため、黒フードは月鹿を連れて潜り抜けていくだろう。


「このまま見逃がすとでも?」


転移で完全に逃げられてしまう前に、ジルは手を打つ。掴んでいた雷槍を大振りに回す。

距離は数メートル以上生まれているものの、彼女にとっては大した問題ではない。

粛々と罪人に白雷を落とすべく執り行おうと、槍を掴む手に力が籠り血管が浮かんだ。

「ッシ!」

短い息を吐くと同時に、強靭な肉体から繰り出される膂力を乗せた雷槍を一直線に投擲した。

今度は弾丸ではなく、白い雷撃が空気を、世界を裂いていく。

「!」

フードを羽織ったものは翻った際に外套の一部を切り裂かれながらも直撃を辛うじて避ける。

ジルの瞳孔鋭き真紅の目が細まった。躱されることも彼女にとっては想定内、狙い通り。

地面に白き雷槍が着弾したと同時に、電圧を抑えていた主から離れた槍は形状を失いエネルギーが周囲に拡散される。

楕円状の白色の電磁波が、発生した。

「…っ!」

「きゃあああ!?」

それはまとめて電流を浴びせるだけではなく、脆弱な機械を破壊する妨害を主とした一手。電気エネルギーを元に形成されていた簡易門をも巻き込む一撃である。

本命である門の青色の電磁波の膜は途切れてしまい、主機能を損なわせていた。

痺れによる余波が残るのだろうか、黒フードは残留する電流を静電気として漏らしながら微弱に動くのみである。

「…もう!もう何!?何で、あたしが…あいつの解析もできないの!おかしい!おかしい!」

現状、ジルによって一方的にいいようにされているも同然だ。アストリネを破壊できる上回った存在であるはずなのに何故追い詰められているのか。理解し難く認め難い。

遂には喚き始めた少女にも容赦無く、次なる雷槍を装填補充したジルが距離を詰めて駆け出す。

既に振りかぶられた槍が届く前に黒フードが動き、強引に月鹿のみを抱いて脚部に装着していた簡易反重力機を稼働させたことで空に高く飛ぶ。

高度を維持するために高熱エネルギー放出機…搭載していたジェット機能まで稼働させて、赤く細い炎を編み出しながら槍の軌道から逃れ、彼女の槍を空ぶらせた。

「…クッ!こいつ、どこまで逃げる手段を用意して…!」

空に飛ばれたことでジルは眉間に皺を寄せる。

身体的特徴上、何も用意していなければジルは空中対抗手段に乏しいからだ。撃墜できないこともないが、広範囲に及ぶ。イプシロンは兎も角手負の吏史を巻き込む可能性が高い上に後の被害を思うとそれは撃ち辛い。

どうするか、どうすべきかと策を練ろうとジルが思考を巡らせる間にも、黒フードは高く飛んでいく。薄雲に紛れる影として消えようとしている。

このまま地上を這うことしかできない蛇は空を睨みながら何もできず、易々と敵を見逃してしまうだろう―――。


「…最後には空に逃げるやもしれないと予測していたが。本当にその通りになるとはな」


吏史の折れた肋骨に対し応急処理を済ませた手を引いて、イプシロンは立ち上がってそう呟く。

薄らと瞼開いた夏空の瞳が見たのは、巨大な金属だ。推測百七十五となるイプシロンの身丈をゆうに超えるほどの巨大な弓だった。

イプシロンはそれを取り出した後、着用していた上着や手袋を手早く脱ぎ、両袖のファスナーを上げて両腕を晒しては大きく下に払う。

「―――――っ」

吏史は息を呑んだ。

信じられない、目を疑うような変化を目の当たりにした。

扇子が扇状に広がるように仕舞い込んでいた金色の翼がイプシロンの両腕に現れてる。――否。それは変化だ。最早、その両腕は人の形状をしておらず、鳥の翼そのものだ。


「さて。墜とすか」


突風が赤が混じる金糸を靡かせる中、黄金が灯る翡翠の瞳を影が舞う空に向ける。

イプシロンは同時に、獲物に対し弓を構えた。


―――弓幹は耐久性のみを重視された硬質な鈍色の金属で製作されており、弦は本来一本で得るべき点を何重にも重ねるように編まれて一束としてあるが故に強靭である。

ひと昔の人類史として残る神話。その物語にて語られる狩りの女神の名を則り『アルティミス』と名称されている武器だ。


イプシロンは異能を用いる際に両腕が猛禽類と同様の翼と変化する特性上、飛び道具を扱えない難があった。

故にイプシロンに対し遠距離等で優位を取ろうとする輩に対し、撃を与えるための解を編み出したのだ。

ただ、通常となれば、この武器は腕で引くことを推奨されていない。あまりにも強靭が過ぎる。他の人間が扱ってもまともに弦が弾けないという形で終わるだろう。


否、それが当然である。そうであって然るべきだ。何故ならこの弓は『脚力』を利用して放つものとして製作されたからだ。


地面ごと弦を踏み抜き、弓柄を上向きに蹴り上げた。

「セット」

イプシロンの声に反応して脚部に仕込んでいた武具が起動し展開する。

脹脛箇所がスリット式で開けられていたスラックスの隙間から自発的に、ある物が取り出されていく。

矢筈から射付節まで全てが強度による威力を重視優先された超合金製の矢だ。

機械動作音を立てながら既に引かれた弦に掛かるまでもが自動的に行われた後、イプシロンは位置調整による動作音…金属が軋む音を立たせながら鏃を対象に向ける。


「……目標との距離、風向き、速力。無問題オールクリア


弓矢の羽丈には敢えて己自身の鋭き羽を用いていた。

それは抵抗となる空気を裂くため、速度を上げるため、更なる加速要素をかねている。

「…!」

黒フードはイプシロンから放たれる異常に気付き、ただ飛ぶのではなく旋回をしながらその場から離れようとする。

しかし遅い。無意味だ。既に異能発揮された隼の目は遠くであろうが獲物の動きを的確に捉える。

今更小刻みな動きを披露するなど姑息な真似をされたところで、イプシロンには静止画同然。思考は読める。そうなれば、敵の次なる予測なぞ容易にできるのだから。


故に、翡翠の輝きは煤けない。眩耀を保ったままイプシロンから刹那の一矢が放たれる。


発射ファイヤー


光が、空を駆ける速度。同等と思わせる速さで光芒一閃の一撃が対象に迫り行く。

「ねえ!待って!少し止まっ、」

今更解析が進んだのだろうか。月鹿から焦りの声が上がるがそれすら後手だ。

遠隔射撃用の弾丸速度を超えた金属製の矢は一秒内に着矢される。

変えられない。イプシロンの矢から逃げられない。

どれだけ縦横無尽に蠢き高く飛ぼうとも既に見切られ、意は読まれ、予測されていた。


――本能的な分析、未来視にも近しいのだろう。墜とされるのは、当然。寧ろ必然的だ。


「――――――――!!」

そして、光矢は獲物を破壊する。

一矢の直撃を受けて腰部全体を貫通された黒フードから溢れるのは、――機械の歯車や電子基盤、導線などだ。

飛翔に必要だったそれらが空中に四散し舞い散り落ちてしまい、浮遊状態は維持できず墜落していく。


「いやぁあああああああ!!」

共に落ちていく少女の悲鳴に対し、二者のアストリネたちは眉ひとつ動かすことなく冷徹な視線だけを送った。

やがて火災の余波を受けて黒ずんだ森の大木に落ち、枝や木が重さで折れた音が何度も響き、最後には重い物が地面に落ちた地響きで揺れる。


「…………」

数秒、後の音の発生が何もないことを聞き届けたジルが息を吐いて緊張を解いた後、イプシロンに振り返っては肩をすくめた。

「お見事。捕虜にするためにあの少女はわざと撃たなかったんだな」

「当たり前だ。ヴァイスハイトについてを話させないといけないだろう。それに…」

イプシロンは横目で吏史に視線を送る。

気づいて、交差しあった時にゆっくりと頷きながらジルの方に目を戻していた。

「彼女を処断する権利は彼にあるはずだ。殺すのは簡単だが、報復としては生ぬるい」

その思想を聞いた後、今度はジルが重い息を吐く。

「タダで済むとは思えないからオルドと敵対したくないって言う者は多いよな…。気持ちが分かりそうだ」

イプシロンは瞼を閉じて、息を吐いた。

「何を言うんだか。そもそもアストリネ同士で戦うことはないだろう」

「…………ああ。そうだな。平和を乱す存在を忌む。その共通認識で私たちは異能を使い、生きてる」

そうしたやりとりの後、ジルはひと足先に拘束すべく落下した木の根元に向かう。


「っ、ぅ、ぐ…!」

吏史も動こうとした。取り返したいという気持ちで、憎悪に近い気持ちで無理に動こうとする。

だけど、重傷を負った体ではすぐに動けない。半分だけ体を転がせただけで、儘ならなかった。

そんな吏史を案じたように、イプシロンがすぐ近くに寄っては膝をつく。

「…無理はするな。飲ませた薬もすぐ効く代物ではない」

肩に手を、翼を重ね、これ以上は動かぬように制する。横になった拍子で焼けた地面を吸い込まないよう黒布のハンカチを取り出してから口元に当てた。

「成し遂げたい気持ちはわかるが、この場は俺たちに任せてくれ。今はそのまま。ゆっくり呼吸を続けるんだ」

…。……多少思い悩んだが。吏史は指示に、従う。

何度か呼吸を繰り返しているうちに瞼が重たくなってくる。

………。………。

………………。

息を吐くたびに暗中からは睡魔の漣が生まれ、眠りの揺籠にあてられる。

衰弱して疲弊し切った体では微睡の誘いには到底逆らえず、意識が暗闇に落ち、暗転した。




「……」

麻酔効果も期待できる無臭の眠薬を染み込ませていた黒のハンカチを吏史の口元に当てがったまま、イプシロンは翼を下ろすようにも退いていく。


微動だにせず小さな呼吸を漏らすのみで深く眠り込んだ吏史の状態を数秒間確認した後、自身の外套を被せた。

そして素早く己の両翼を後方に引く。まるで畳むようにも翼が人の手の形に戻る。すかさず開放的なまで上げていたファスナーを下ろし、手袋を着用し直す。

手首までしっかりと乱れなく着けて、ジルが先に向かった木の元に早足で向かった。


既に作業は完了していたらしい。雷で編んだ紐で月鹿への拘束は済ませている。落下した影響で煤と木の葉だらけでワンピースが台無しになっていた。

そして、あれだけ騒がしかったが今は大人しい。横に転がされて微動だにしない。

そんな少女を見下ろしているジルに、イプシロンは声をかける。

「ジル、状況は?」

「見ての通りだ。気絶してる。落ちた衝撃で気を失ったらしい」

「…そうか。これなら運送も楽でいい。五月蝿いと面倒なはずだからな」

「いや、待て」

ジルは遮るように控えめに片手を上げた。

「ダメだ。オルドには悪いが譲れない。此奴は【暁煌】で預かる。事件が起きた場所が起きた場所だからな」

そう制して【暁煌】で処理を決行しようとするジルの返事を受けて、イプシロンの眉間には大きな皺が寄る。

「…君個人が監視拘束するのなら兎も角。其方の腑抜けた看守による杜撰管理だけは勘弁してくれないか?もし彼女が脱獄する事件になったら、ただでさえどん底な評価が最低を超えてマイナスになるんだが」

「流石に信用なさすぎるだろ!?」

大きなショックを受けている様子ではあるが、イプシロンの口は止まらない。淡々とながら積もった不満や不信を言語化して突き刺していく。

「何を言う。【暁煌】は資本主義復活方針に舵を切ってから管理腐敗具合が深刻だろう。民は声を上げないのは法改正による情報遮断の悪い影響が出てるな、彼らは自ら国のアストリネたちの顔も知らない。その実態が杜撰かつ怠慢さをもしれないから認識できず声をあげれないんだ。茹で蛙のような状況とそう変わりないというのに」

「…っ、う…。顔を知られすぎてて神格化されるのは勿論よろしくないことだろうに、それに乗っかって下層部による弱者の貧困問題を解決せず力のみを盲信的に祭り上げさせる実力主義社会という暴力的思想に民に突き進みさせる野蛮さは如何かと、思うが?」

「【ルド】は、……これでいい。結果的には民とアストリネの関係が近いが故に、互いに監視しあえてるからだ。…というか、その野蛮な国に着任する俺に文句言われてる異常性を自覚してくれないか」

「………うっ……」

「君たちは甘いんだよ。国の実態を知っている側に甘すぎる体制を取りすぎだ。その甘さが故に第一区以外は奴ら《古烬》の巣窟。生産系を受け持つ国故にティアが自然と集まる中でありながら他国に還元循環しようとせず内部留保して経済停滞を煽ろうとしている。……以上を以て、俺は【暁煌】出身のアストリネは間陀邏と君以外は信用していない。彼女は兵士たちの愛国《忠誠》心が強い【ルド】か、情報管理は徹底してる【ジャバフォスタ】で厳重管理した方がいいに決まってる」

「なにも…何も言えない…っ…というか私より【暁煌】の情勢に詳しいのはなんなんだ…」

「それは俺が直接探ってるからだ」

一つ一つと指を上げながら指摘される度に頭痛を覚えるように抱えたジルの様子を、イプシロンは絶対零度の瞳を向けながら告げた。

「いや待て。どうやってだ。おかしいだろそれは」

それは聞き捨てならないと、ジルは顔を訝しげに歪めて紅玉瞳で鋭く刺すように見返す。

「…。此方のアストリネ訪問履歴にアンタの名前は残って無……ッハ?!まさか…!」

「………」

到達した答えに対しての無言の肯定を受け、ジルは戦慄く手を握り締める。

それでなんとか、イプシロンの両肩を掴んで揺さぶりたい気持ちを堪えて耐えていた。

「ズルだろ、それは…!確かにアンタならではのやり方だろうけど、狡いだろ…!」

「私用も兼ねて軽く様子見してただけなんだがな。兎に角、最低最悪だぞ、君たちの国。アストリネまで私利私欲に塗れてどうする。資本主義計画の失敗は確定だな。管理する役目放棄としか思えない。こうなればいっそ解体したほうがマシなのでは?」

「それでもこ、…っ…っ、間陀邏が頑張ってるから!私も頑張るから!本気で叩き潰そうとしないでくれないか!」

「いや、君たちが頑張ったところで…醜態が露呈すれば人類は君たちごと批判するぞ。アストリネの信条を汚すのを許すまいとグラフィスかネルカルが動くだろうな。単騎で国を滅ぼせる程度の異能があるのは彼女たちだ。…なので、俺は彼女たちが直接叩く決断を下すまでの報告文を上手く纏めるとするよ」

「もう少しだけ黙っててくれ、頼む!大体それを条件に指導役も引き受けた…じゃないか!後!すごく私の国に文句言いたい気持ちはわかるけど、…わかるけどな!それでもやっぱりダメだ!」

だが、引かない。イプシロンにチクチクと言葉の針で刺されて責められてもこればかりは譲れないとジルは片手を上げて訴える。

「それでも此方に任せてほしい。頼む、オルド。本当にヴァイスハイトに手をかけた可能性があるなら尚更。…『ローレオン』…いや、『カミュール』には見せる必要があるんだ」

イプシロンは緩やかに瞼を閉じた。

その血族の事情を知っているが故に、イプシロンは強くは言えない。

そうすることに強い意味があると知っているからこそ食い下がりはしながったが、…但し一つ、と人差し指を突きつけるように掲げた。

「………条件だ」

これだけは守り通すべきという条件を、イプシロンは伝える。

「第一級犯罪者としてグラフィスに必ず見せろ。彼女の異能ならば逃げられたとしても犯罪者としての落胤が残る」

温情も容赦もない発言であったが、ジルは特に抵抗なく瞬きの後に首肯した。

「わかった。必ずそのように手配する」

快諾された後、イプシロンは両腕を組んで目を伏せる。

「…なら、最悪逃げられてもいいかもしれないな。…行方を眩ませている《《二十五代目エファム》》の情報に繋がるのであれば…」

{ハーヴァ……イプシロン}

懸念している呟きに反応するように、気を失った月鹿とは離れた場所で半壊した機械の頭部から電子音が漏れた。

翡翠と真紅の瞳が音元に向けて動く。

それは黒ローブだったものの一部から放たれるもの。発生元が分かった途端、ジルはその元に近づき、黒ローブを掴んで隠されたものを日の元に晒す。先に中身を連想させる一部を空中で散らしていたことから察しはつくが、決定的な姿が明かされた。

ジルはその中身を見るなり忌々しげに顔を歪め、吐き捨てるように呟く。

「こいつ、まだ動くのか」

黒ローブの正体は、遠隔操作が可能な人型の機械だったのだ。

ショーケースに飾られるマネキンにも似た無貌の造形をした機械全体は矢の衝撃から亀裂が入っていたが、それでも尚、稼働を示すように白い静電気を漏らしながらも何かを掴むよう手を動かしていた。

恐らくは操作元となる主がまだ操作している証明だ。何かを伝えるためにだろうか。ノイズ混じりの通信、機械声が頻りなく流れてくる。

音声機能が型をなしてないせいも相待って掠れており、電波向こうの主の性別は識別しづらかった。


{……忌々しい、穢れた獣。…神にもなれん、不完全な、擬きども…}

だが、世の平和を守護する生命体に対しての敬意も感じられない不遜横柄な態度のみが明瞭に伝わる声が流れていく。

{必ず、我々が、真の人類が、お前たちの誇り、尊厳、異能……全てを}

心底怨嗟が籠った声の捨て台詞は、ノイズという乱れはなく。

明白な宣戦布告として投げられる。


{奪ってやるぞ}


拍子に機械の限界が訪れて、導線に火が着いた。

「はは。あはは、『あはははっ、はははっ!〔ははははっ!アハハハはぁはは」

壊れた音声からは老若男女の笑い声が重なって上がる。不協和音でしかないその音を前に、目を据えたジルが近付いていく。


「ああ、そうか。それができるなら、やってみろ」


嫌悪、憤怒、どうしようもない憎悪に塗れていることを伝わせる言の葉を聞いたイプシロンは、どうしても過去を思い出してしまう。心の痛みごと見ないフリをするように、緩やかに瞳を閉じた。

同時に、ジルは雷槍を持つ。

けたたましい機械を完全に停止させるべく、風を切りながら槍を振りかぶる。

速やかに粛々と、破壊の音が立つ。


『欲による争いが再び招かれるだろう』


そう、かつて始祖が世界に提示した後世の憂うべき予見の狼煙はじまりのように、焼けきった黒の世界に重く成り響いていた。


……………イプシロン

・【ルド】に配属された生物との意思疎通や感覚共有を可能とする精神関与異能『接続』操作能力を持つ一族。

顕現姿能力は隼に近く、異能発揮する際は両腕の部分顕現を基本的に行う。全身を隼ほどの大きさの鳥に変化できる特性もある。

操作対象生物はアストリネ、人間。機械でも操作主が人間ならば範疇。

但し前提条件としてイプシロンが精神強度で上回る相手でなければならないが、身心が強靭でなければイプシロン足り得ない為、並大抵のものが対象。

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