第8話 災禍の緋
「前に出過ぎだぞ!下がれ朝比奈!!」
竹林に囲まれた、観光地としても有名な京都の街に、怒声混じりの叫び声が飛び交っていた。幸いにも、街への侵入は辛うじて防いでいる状態だった。
白雪の本家からも救援が送られてきたお陰でどうにか凌げてはいるものの、あまりの敵の数に彼らは後手を強いられている。
「蘇芳三佐!新手です!二時の方角からBが2体です!!」
「ああ、クソッったれ!!ライン下げるぞ!近接部隊は後退、音無は遠距離から感応力で牽制しろ!」
このままではジリ貧になるのは目に見えていた。
予測の段階で推定深度7だったため、部隊の戦力は万全の状態で挑んだ。
それにも関わらず、現在こうして苦戦を強いられているのは偏に敵の数が原因であった。
Sが一体だけならばまだ良かった。相手がCSの境界鬼であっても対処できる戦力だった筈だ。
だがそれに加えてAが5体に、今増えた敵を加えてBが14体だ。
読みが甘かった、などと言うのは酷というものだろう。そもそも境界振は予測できたとしても、どこまでいっても予測でしかない。十分な戦力を整えたとしても、敵がそれを上回ることなどそう珍しいことでもなかった。
だがこれは、あまりにも予測を外れ過ぎていた。
まるで一年前、例の部隊が壊滅したあの時の再現だった。
遠距離から、音無二尉の放った氷塊が最前列の敵へと殺到する。
近接戦闘を行っていた朝比奈一尉も、感応力を使用した銃を敵へ向けて撃ちつつ後退してくる。だがどちらの攻撃も障壁によって威力が減衰し、有っても無いかのような軽い傷を負わせる程度に留まる。
最後方にいるS級境界鬼から展開されるこの障壁が、彼らを苦しめていた。恐らくは周囲の境界鬼を強化、援護するタイプなのだろう。
ジリジリと、側面に回り込まれないよう細心の注意を払いつつ部隊が後退を始める。幸いにも境界鬼の動きはそこまで早くは無かった。ただ全ての個体が異様に強固で、首魁であるS級境界鬼が展開する障壁と相まって攻撃が通り辛いのだ。
彼らの不運は、部隊の攻撃役に近接型の感応する者が多かったことだろう。近接型は少数戦においてこそ真価を発揮する。優れた単体火力で素早く敵を無力化し、戦闘を有利に運ぶことを目的とした編成だ。少数精鋭で遊撃として任務にあたる第二特務部隊の彼らにとってはその方が都合が良かった。
だが、それぞれがこれほど強固な相手では、いかに単体火力に優れてるとは言え瞬時に倒すことは出来なかった。それに加えてこれほどの数では、手こずっている間にすぐに囲まれてしまう。数は個々の力の差を簡単に覆す、いわば最も単純な暴力だ。
戦力は拮抗し、数で負けている。その結果が今の惨状であった。
戦闘が始まって既に一時間近く経過しているが、倒した境界鬼の数はAが2体にBが5体だけだった。
「損害報告!」
「2名が重体、4名が重傷!戦闘継続困難につき既に後送を始めています!その他軽傷4名!」
「クソっ!割に合わん!!軽傷者の治療を急げ!」
今回の境界振へは隊長であるS級の蘇芳三佐を始め、A級の戦闘系感応する者を7人、A級の防御系と支援系、それにB級の治癒系をそれぞれ2人ずつ編成してきている。そこに白雪家から救援として送られてきた、A級の戦闘系とS級の防御系がそれぞれ1人ずつの計16人で事に当たっていた。通常であれば震度7に十分対処できる戦力である。それどころか、余裕を持って戦闘を進められるほどの戦力である筈だった。
だが現在、既に6名が脱落している。
敵を7体倒した代償としては余りにも被害が大きすぎた。
「白雪家からの救援は、これ以上望めませんか!?このままでは長くは持ちませんよ!?」
現場の指揮官であろう蘇芳三佐と呼ばれた女性が、救援として現場へ駆けつけた白雪六花へと鬼気迫る様子で、まるで懇願するように尋ねる。
「要請はしております。ですが間に合うかどうかは・・・五分五分といったところでしょうか。ともかく、今はなんとしても時間を稼ぐしかありません」
白雪家当主、白雪斑雪の妻である白雪六花が、額に汗を浮かべて蘇芳三佐からの問いに答える。白雪本家が誇るS級の防御系である彼女もまた、焦りを覚えていた。
間違いなく、ここ数年の内では一年前の事件と並んで最大規模の境界振だろう。
彼女が居なければとうに崩壊していただろうが、さりとて防御系の彼女には現状を打破出来るだけの策が無かった。
「支局から通信!周辺市民の避難率は現在78%とのこと!」
「遅すぎる!このままでは我々が全滅するまで粘ったところで間に合わんぞ!」
既に彼らの背後には市街地が迫っていた。
実質的に、今いるここが最終防衛ラインとなるだろう。
3時間ほど前に避難警報は出されていたものの、市民の避難とは時間がかかるものだ。皆が皆、着の身着のままに避難してくれるわけでは無い。中にはどうせ避難せずとも大丈夫だろうと高をくくっている市民もいるだろう。
その事が分かっているわけでもあるまいに、ゆっくりと前進を続ける境界鬼達が蘇芳三佐には腹立たしかった。
とはいえ避難も終わっておらず、これ以上後退も出来ないとなれば覚悟を決めるしかなかった。
「・・・白雪様は撤退を。ここは我々が引き受けます」
「お断りします。私が居なくなれば早晩ここは抜かれるでしょう。そうなれば市街地への被害は未曾有のものとなります。ここは白雪の領域です。見過ごせる筈がありません」
「ですが!白雪本家の貴方をここで失うわけには参りません!」
2人の意見は食い違う。指揮系統で言えば六花の方が上だ。
だがどちらの言い分も正しいが故に、どちらも引き下がらない。
現場の指揮官である蘇芳三佐と白雪六花が言い争いをしている、そんなときだった。
隠しきれない雰囲気の悪さと、悲観から来る士気の低下が生んだ静寂。
そんな中で、2人の背後から場違いとも思える、鈴のなるような声が辺りに響いた。
「随分ギリギリみたいだけれど、どうやら間に合ったようね。やっぱり社は嘘つきだわ」
その声に、言い争っていた2人は背後を振り返る。
声の主は学園の制服を来た少女であった。草を踏み鳴らす音と共にゆっくりと、そして優雅に歩くその様はまるで観光にでも来たどこぞの令嬢のようであった。
「お久しぶりです、六花さん。残りは全部頂いても良いのかしら?」
否、この場で六花のみ面識のある彼女は、紛うこと無く令嬢であった。
気負った様子もなく、挨拶もそこそこに自分へと問いかける彼女を見て、六花は安堵した。間に合った、と。
六花には先程までの焦りが消えてゆくのが分かった。それと同時に、まだ16である少女に全てを任せることで気を楽にするなど、我ながら浅ましいとも。
それでも、六花は張り詰めた緊張に気づかれぬようゆっくりと気を緩めて彼女の問い答え、次いで自らも問う。答えの分かりきった問いだったが、それでも問わない訳にはいかないそれは、彼女の矜持だった。
「ええ、勿論よ。援護は必要ですか?」
「結構です。貴方がたも、お退きなさいな」
手出しを拒否し、前方の境界鬼へと向かって歩き続ける少女のその雰囲気に呑まれたように、隊員達は無言で道を開けてしまう。
その手にはなんの武器も所持しておらず、ただその手に着けた手袋をギリギリと引き絞るのみであった。
隊員達と同じように雰囲気に呑まれてしまっていた蘇芳三佐が、我に返ったかのように声を上げる。
「な・・・待て!貴様は何者だ!白雪様!一体どういう事ですか!」
「落ち着いて下さい。救援の要請はしていると、先程そう言ったではありませんか」
「彼女がそうだと!?巫山戯ないで頂きたい!どう見てもまだ学生ではありませんか!それに、仮に彼女が有望な感応する者だとして、たった一人で何が変わると言うのですか!」
蘇芳の言うことは尤もだった。
戦争と同じだ。局地的な勝利を得られたとしても、一人では大勢を覆すことなど出来はしない。これだけの敵の数だ。一人二人増えたところで稼げる時間が数分伸びる程度に過ぎない。通常であれば。
「良いから、彼女の邪魔をしないよう黙って見ていて下さい」
「何を・・・」
「ちゃんと変わりますよ。戦況も、結末も、貴方の常識も」
蘇芳三佐には六花の言うことがまるで理解出来なかった。
ふと前方へ目をやれば、先の少女が敵にの群れに向かい駆けてゆく後ろ姿が見えた。
* * *
これほどの数の境界鬼を相手にするのは久しぶりだった。
これまでに壊した敵の数なんていちいち覚えてはいないけれど、数で言えば恐らく一年前のあの時が一番多かった筈だ。それに比べれば数体少ないといったところだろうか。
悩んだけれど、結局武器は持ってこなかった。
これも特に理由はないけれど、強いて言うなら取りに行くのが面倒だったといった程度のものだ。私は武器に拘りがない。武器があればそれを使った動きを、武器がなければ素手のまま立ち回るだけだ。
(敵の数は・・・12体かしら。S級は最後までとっておくとして、B級は要らないわね。さっさと間引いて、Aで少し遊びましょうか)
そう方針を決めた私は、目の前のB級境界鬼を無視した。
無視されるとは考えていなかったのだろうか、攻撃してくることもなくあっさりと私を見過ごす。そうして次のB級の前に立った時、ようやく後方から耳障りな喚き声をあげて先程無視した境界鬼が追いかけて来る。
挟まれた形になるけれど、意図してやっていることなのだから問題ない。
意外というべきか、彼らの中にも階級のようなものが有るらしいことは世間的にも知られている。要するに、敵陣の中へと入り込んだ私に対して、まず襲いかかってくるのはB級の9体からということ。
そのとき、ふと違和感を感じた。
よくよく観察してみれば、彼らの全面に薄っすらと何か膜のようなものが壁のように張られていた。
(ああ、障壁ね。確か以前にも似たような能力を持った境界鬼が居たわね)
成程、『軍』と白雪六花がここまで苦戦を強いられた理由はこれか。
奴らの使う障壁は、感応力の効果を著しく減衰させる。これがあると敵の防御が1段、あるいは2段ほど上がる。
確かに厄介だろう。私以外にとっては。
丁寧に管理されているのだろう。
竹林のその足元、短く草が生え揃う地面へと感応力を纏った右足を叩きつける。
それだけで地面は爆ぜる。
爆発音にも似た轟音が夜の竹林に鳴り響き、丁寧に刈り揃えられた草や植え込みと共に土を周囲に撒き散らす。私の感応力が齎したその衝撃は地を伝い、私へと殺到していたB級境界鬼を当然のように巻き込み吹き飛ばした。
障壁なんて私には関係ない。紙を眼前に掲げたところで銃弾を防ぐことは出来ないのと同じ事。私を中心として広範囲に放たれた衝撃は、思惑通りに全てのB級を肉片へと変えた。
「ふふっ」
自然と笑みが溢れる。
私はこうして複数の敵を纏めて吹き飛ばすのが嫌いではなかった。
直接この手に感触は伝わらないけれど、その代わり合法的に地面を壊すことができるから。戦闘中であれば、何を壊したところで後から煩く言われることもない。
だって、境界鬼に壊されようと、私に壊されようと同じことでしょう?
管理局の方々からしても、私が壊した方が境界鬼が減る分お得だもの。
あっさりと手下が壊されたからか、次は3体のA級が怒声を上げて向かってくる。
(3体とも素手ね。彼らもS級の支援ありきなのかしら?)
彼らを覆う、薄く光る粒子を見れば彼らが何かしらの強化を受けていることは分かった。今回のS級は、自身の戦闘力が低い代わりに周囲を強化する、いわば指揮官タイプなのだろう。
(そうなると最後のS級はそれほど期待できないかしら?)
先頭を走るA級の、力だけはそこそこありそうな初撃の拳を躱し、伸びきった敵の右腕へと後ろ回し蹴りを叩き込む。それほど力を込めた訳では無い私の足が境界鬼の太い腕に触れた瞬間から、彼の腕は崩壊を始める。
皮膚を破り、肉と筋繊維を引きちぎりながら骨へ。人間とは比べものにならないほどに太く強靭な骨を圧し折りながら私の足は振り抜かれる。肘から先を吹き飛ばされたことでバランスを崩し、前のめりに転倒する敵の頭部を蹴り飛ばす。まるでサッカーボールのように宙を舞ったその頭部には、呆けたような顔が張り付いていた。
「ふふ、あははっ」
何が起こったのかすらよくわからなかったのだろう。A級などといっても所詮は力任せの畜生で。私の為に壊れるだけの、幼い頃に握りつぶしたあの玩具と同じ。
2体目と3体目は同時に襲いかかってきた。どうやら先の1体目を見て多少は私を警戒しているらしい。
けれど多少では足りない。
私を壊したいのなら、せめて私に触れられる程度には頑丈になって頂戴。
2体目が私の頭上から打ち下ろした拳は、ほんの一歩後ろに下がるだけで簡単に外れてしまう。そうして私が躱すのを待っていたかのように、横薙ぎに振られた3体目の腕が私に迫った。
その丸太のような剛腕に向かって、私は大きく振りかぶった右拳をぶつける。
彼らはきっと、今までその強固な被膜と障壁で相手の攻撃を無効化してきたのだろう。敵の攻撃が通用しないのだから、一方的に攻撃するだけで良かった筈だ。彼らの馬鹿げた腕力ならば、人はただそれだけで挽肉になる。
けれど、私の前では前提が違う。
私の前に立つのならば、私の攻撃を受けてはならない。
私へと迫ったその腕は私を捉えることは無く、持ち主から分かたれて竹林の奥、『軍』の彼らの方へと飛んでゆく。故意に巻き込むような戦い方はしていないつもりだけれど、あのくらいは許して欲しい所だ。別に観戦せずとも安全な場所まで後退していれば良いのだから。
2体が同時に仕掛けてきてから、時間にして2~3秒ほどだろうか。
未だ腕を伸ばした状態の2体目の頭部を右手で掴み、腕を失って錐揉みしながら倒れた3体目の頭部を左手で掴む。未だ攻撃後の硬直が解けていない2体は然程も抵抗出来ないでいた。
両手に掴んだ頭を、そのまま地面へと叩きつける。
水を詰めた袋を高所から落とせばこんな感じなのだろうか。
私の両手には、袋が潰れ弾け飛び、中にたっぷりとつまっていた水が勢いよく噴き出すような、そんな感触がしっかりと伝わってきた。
「うふっ、あははははっ!」
手から脳、足の先まで快感が駆け巡る。
この瞬間だけは、私は、私だけの人生を歩いていると実感できる。
抑えようとしても抑えられない喜びが、声となって溢れ出る。こんな事をしているから『異常者』などと言われるのだろうけれど。
それでも私は辞めない。止められない。
これが私の生まれ持った"性"だ。私を作り、私を私たらしめる根源。
誰にどう思われようと関係ない。私は私のやりたいようにする。
今までも、これからもだ。
けれど喜んでばかりもいられない。まだメインが残っているのだから。
血塗れになりながら、前方へと目を向ければ。
最後の楽しみとして残していたS級は、あろうことか逃走しようとしていた。
確かに、確かに途中から奴は戦闘能力が高くないだろうと予想していた。
だが、逃走とはどういう了見だ。失望した。ガッカリなどという生易しいものではない。怒りすらこみ上げる。なんだそれは。巫山戯るな。
気づけば私は全力で駆け出していた。
目にも留まらぬ速さで、既に逃走を図っていたためにそれなりに距離のあったS級へと。逃げられないと悟ったのか、ともすれば情けない鳴き声のような甲高い音を、その大きな口から放って私を威嚇する境界鬼。
もう、興味がなかった。
「───『焔疾風』」
疾走し、踏み込み、体重を乗せ、一点に全ての力を集約した超高速の貫手。
狙い過たず境界鬼の胸部を深々と貫いた私の腕は、手袋をつけていた手先から肩までが真っ赤に染まっていた。
「・・・最後の最後で、ケチがついてしまったわね」
本当に、今日は運が良いのか悪いのか分からない一日だった。
とはいえ、少しは気が晴れたように思う。
社を連れてきて良かった。
そうでなければ血塗れの制服で学園に行く羽目になるところだった。
それ以前に、今から戻って睡眠時間は確保できるだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、私はゆっくりとその場を後にした。
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