第74話 談合
埃一つ見当たらない畳、真新しい障子。
壺や掛け軸、果ては照明に至るまで、飾られているものは全てが高級品。障子の隙間から庭を見れば、そこには立派な枯山水。高級旅館も斯くやといった、そんな部屋だった。
桂華家本邸。
その一室で、二人の男が酒を片手に会話をしていた。
一人は金髪の、酷く軽薄そうな印象を受ける顔つきの男だ。
そのへらへらとした態度はおよそこの場に似つかわしいとは思えないが、しかしこれが彼の常だった。見た目こそただの優男で、街のそこらに居るホストと言われても納得できそうな外見ではあるが、その実、彼はこの国でも有数の名家の当主である。
この胡散臭い男こそ、桂華家現当主である桂華愉楽だった。こう見えて歳は四十半ばであり、感応する者としての実力も国内では十指に入るほど高い。
そんな桂華愉楽の正面には、白髪を後ろに撫でつけた厳しい目つきの老人がいた。見るからに高そうな着物に身を包み、ぴしりと伸びた背筋からは老いを感じさせない。まるで猛禽のようなその眼光は、一睨みするだけで相手を萎縮させる。
天枷家先代当主、天枷榊は、総じて刃物のような気配を纏う老人だった。
「天魔の現界に成功した時は勝ちを確信したものですが……いやはや、かのご令嬢がまさかあれほどとは……先に教えておいて欲しかったものです」
「……儂とて知らなんだ。あの忌まわしい悪魔の娘が、まさかあれほどとは」
「他人事のように言われては困りますねぇ。貴方の孫でしょうが、アレは。これからどうするおつもりですか?先の失敗のおかげで、天枷の現当主に捕捉されたのはほぼ確実ですよ」
「天枷は古来よりこの国を守ってきた由緒正しき血筋。あのような悪魔の血は流れておらぬわ」
榊はそう言うと、忌々しいとでも言わんばかりに酒を煽り、立派なグラスを机に叩きつけた。彼とて昔はこうではなかった。禊が生まれたころなど、目に入れても痛くないとでもいうような可愛がり振りだった。それが今では、まるで正反対の方向に捻じ曲がっている。愛情は厭悪へと変わり、孫を見る目は境界鬼へと向けるそれと同じものになった。
伝統、誇り、しきたり。
何が直接の理由なのかは分からないが、そんな榊の振る舞いは、こうして協力している愉楽からしてもひどく滑稽で理解不能な感情だった。もっといえば、内心では小馬鹿にしていたほどだ。もしも自分の息子か孫があの少女ほどの力を持って生まれていたのなら、大喜びでそれを利用しただろうと。愉楽にとっては個人的な感情など、実利と目的の前ではどうだっていいものでしかないのだから。
そしてそれは、権力があるからといって、こんな老人に付き従う天枷の分家の者達も同様だった。天枷の力が削げるのならと協力してはいるが、本音を言えばこんな下らない老人派閥に付き合うのは御免だった。とはいえ現在の天枷家と桂華家は折り合いが悪く、愉楽としても天枷の手を取るつもりは毛頭ない。
そして桂華が六家の頂点に君臨する為には、天枷と白雪の力が邪魔であった。故に仕方なく、両家の力を削ぐ為に、こうして老人の計画に付き合っているというわけだ。
「凪に露見したのは、もはや仕方あるまい。あれは頭が切れる。遅かれ早かれ辿り着かれていただろうよ。その前に決定打を与えるつもりだったが……問題は天魔すらをも単騎で屠るあの娘だ。アレさえいなければ、今頃は対抗戦の責任を問うて白雪を引きずり下ろすことは出来ていたのだ」
「それももう出来そうにありませんがねぇ。もっといえば、白雪の弱体が失敗した今、協力関係にある天枷もまた切り崩すのが難しくなりました」
「……」
「こうなると、桂華家としてはもう貴方に協力するメリットはありませんねぇ」
そう言ってどこか他人事のように肩を竦め、頭を振る愉楽。二人が手を結んでいたのには、双方にメリットがあったからだ。愉楽は天枷家と白雪家の弱体化を望み、榊は祓を次期当主につけるための障害、つまりは禊の排除を望んだ。だがどちらも失敗に終わり、結果として愉楽と榊が共謀して起こした事件だということがバレた。
こうなった以上、桂華家としてはこの老人の個人的な感情に付き合うメリットはもうない。つまり先の愉楽の一言は、暗に『協力はここまで』だと告げているようなものだった。
「……ここで降りると?今更無関係では通らんぞ」
「どうですかね?言い訳の余地はあると思いますが」
「そのようなもの、凪に通じるものか。あれだけのことをしたのだ、凪は来るぞ」
「嫌ですねぇ。今時、家同士の抗争なんて流行りませんよ」
そう、他国をも巻き込んであれだけの事件を引き起こしたのだ。天枷、白雪の両家は確実に報復に出るだろう。そうなれば待っているのは六家同士の戦いだ。桂華・旧天枷と、現天枷・白雪陣営に分かれての戦争になる。事此処に居たり、それはもはや避けられない所まで来てしまっている。今更無関係を装ったところで時既に遅し。桂華家が生き残るためには、この戦いに勝つしかなくなっていた。
「あれこれと画策はしたが……結局、雌雄を決するのは力になるというわけだ」
「随分と野蛮なことで」
表面上は消極的な態度を見せつつも、しかし愉楽の表情は変わらない。それどころか、自信に満ち溢れた狡猾な笑みを浮かべている。愉楽とて、この戦いが既に避けられないものであることは理解っているのだ。
「分家には儂の派閥も多い。アレをどうにかすれば、戦力的には恐らく五分だ───勝てるか?」
「愚問ですね」
酒を少量口に含み、味わうように舌で転がす。
そうしてゆっくりと飲み下し、愉楽はにやりと笑って自信満々こう言った。
「却って手間が省けました───無論、勝ちますとも。生き残るのは我々です」




