第29話 智慧の金
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「君が・・・あの」
「あら、随分簡単に信じるのね」
お父様が情報を全て遮断していることは勿論だけれど、そもそも私は単独で討伐を行っている。それに軍属でもないのだから、私の風貌、容姿を知るものは少ない筈だ。
それにも関わらず、目の前の彼女は私の言うことをどうやら鵜呑みにしているらしい。
世界で最も強い感応する者と言われる『七色』、そのうちの一人が私です。こんな小娘がそう口にしたところで、普通そう簡単に信じられるものだろうか?
「信じるとも。むしろ得心がいったよ。それだけの気配を纏っておいて『ただの通りすがりの学生です』だなんて言われたほうが信じられない」
彼女の言う『気配』とやらが何なのかは私には理解らない。
恐らくは技術を修めた者特有の、身のこなしや佇まいをひっくるめて『気配』と表現しているのだろう。そうであるならば確かに私にも理解出来る。何かを極めた者は得てして、そういった他とは違う空気を纏うものだ。
事実、目の前の彼女からは鋭く研ぎ澄まされた刃のような『気配』が感じられる。
けれど今、湖を眺めてただ立っていただけの私から、そんなものを感じ取れるものだろうか。或いは、私には感じることの出来ない何かが、彼女には見えているのだろうか。
「気配・・・ね。随分と曖昧な理由ね」
「曖昧なんかじゃないさ。他人の細かな動作をよく見れば、大体の実力は理解るものだよ」
「言っていることは理解出来るけれど、私は貴女がここへ来てから一歩も動いていないわよ?」
「態度、視線、瞬き、息遣い、呼吸に伴う胸の上下運動、重心の置き方。例え本人が動いていないつもりでも、情報は読み取ることが可能だよ。私の場合は他人よりもそれが得意なだけさ」
事もなげにそう言い放つ彼女だけれど、それがどれほど難しい技術かは説明するまでもない。手合わせをすれば別だけれど、少なくとも私には、この短い時間でそこまで事細かに情報を読み取ることは出来ない。
感応力を使ったようには見えなかった。つまりソフィアは単純な観察眼が異常なまでに優れているということだろう。
『智慧』とは、心理を見通す力を表す仏教用語・・・だったかしら?
成程、『智慧の金』というのはあながち大袈裟というわけではないらしい。
「尤も、噂の『緋』がこんな少女だったとは思わなかったけどね。やっぱり噂なんてあてにならないな、聞いていた話とは随分違う」
「あら、年齢はそれなりに知られていると思っていたのだけれど。純麗も知っていたみたいだし」
「そうなのかい?少なくとも一般的には知られていないね。私が英国で聞いたことがあるのはミソギ・アマカセという名前と、笑いながら境界鬼の四肢を引き千切るほど凶暴で性格に難がある事。あとは覚醒してたったの二年で境界鬼討伐数が世界一になった化物が日本にいる、というくらいかな?」
誰が凶暴な異常者だ。
と言いたいところではあるけれど、当たらずと雖も遠からず、自分の性格に難があることは理解している。戦闘中に気が昂ぶった時は笑っているような気がするし、実際に社から『怪しいから止めろ』と言われたこともある。それに否定したところで何があるわけでもない。肯定もしないけれど。
「そ。まぁそんなところでしょうね」
「おや、随分な評判だと思うけど気にはならないみたいだね」
「当然でしょう?顔も知らない誰かに何を言われようと、私の知ったことではないわ。他に何も無いなら私達はそろそろ戻るわよ」
未だ朝日は見えなかったけれど、湖の向こう、山の谷間からは薄っすらと陽の光が昇り始めていた。時間にすればほんの10分程度、そう長く話していた訳では無いけれど、良い暇潰しにはなったかしら。
「そうかい?私はもう少しここに居るよ。いやはや、たまには散歩もしてみるものだね。会えて光栄だった・・・よ・・・んん?」
彼女の言葉を聞き終えて、私と社が踵を返そうとした時だった。
彼女の口から出ていた別れの定型文は、しかし歯切れ悪く途中で止まった。
「・・・?まだ何かあるのかしら?」
「・・・最後に一つだけいいかい?」
「ええ」
「その・・・日本校の一年と言っていたけれど、もしかして・・・」
ああ、そのことか。
彼女の質問は、最後まで聞かずとも内容が理解った。
だから私は一言だけを告げ、振り返りもせず、帰路につく歩みも止めなかった。
「私は補欠よ」
* * *
去ってゆく少女の姿が見えなくなるまで、私は眼が離せなかった。
先程まではその場に立ち止まって話していた事もあって、私の眼を以てしても最低限の情報しか読み取れなかった。
だが今はどうだ。
私は、一分の隙も無いその姿に見惚れていた。
全くブレない重心、まるで湖面を滑るように、静かに差し出される足。舗装されているとはいえ、小さな小石や木の枝、樹の根等が無数にある暗がりの遊歩道だというのに、まるでそんなことを感じさせず優雅に去ってゆく後ろ姿。気品すら感じるほどだ。
それが技術的に優れていることは間違いない。とはいえ、ふらつかずに歩くだけならば私にだって出来なくはない。
だがあのえも言われぬ佇まいは、私ではどうしても出せないだろう。
今となっては『戦女神』だなんて呼ばれているけど、所詮は軍人だ。あんなふうに淑やかに歩く方法は知らない。否、歩き方の問題だけではないのだろう。
などと考えていたところで、ふと我に返る。
恥ずかしくも、少し呆けていたようだ。これが戦場であれば首と胴が泣き別れになっていたかも知れない。自らの、普段では有り得ない醜態を人知れず恥じる。それほどまでに、先の『緋』との遭遇は衝撃的だったということだ。
会話をしている最中も常に堂々としていて、常に私の一挙手一投足から眼を離さなかった。見知らぬ相手との不意の遭遇だったというのに、驚く様子は微塵も無く、声色も平静そのもの。何よりも、その立ち姿からはごく一握りの強者のみが発する強い威圧感を感じた。
話に聞いていたような凶暴性はまるで感じられなかった。
むしろ、どちらかといえば冷静で落ち着いている程だ。
だが、それでいてどこか歪な違和感は感じた。ちぐはぐというのだろうか、上手く説明が出来ないけど、内と外が乖離しているようなそんな感覚。
彼女は不思議そうにしていたけど、一目見ただけで直ぐに理解した。直ぐに信じられた。目の前の少女が『緋』であると、幾多の戦場を経験してきた私の本能が、そう言っていた。
軍では作戦行動の他、学園からの要請で生徒に教導を行うこともある。その度に、才能の有りそうな学生には直接声をかけたり、アドバイスをすることもある。
そんな私には生徒というか、弟子のような者が一人居る。
英国の学園内で私が見た中で、飛び抜けて優秀だと感じたその生徒は、今年で二年になる。不運なことに、同世代には他にも天才がいた。しかし贔屓目もあるかもしれないが、米国の天才、モニカ・ラブレットにも引けを取らないと思っている期待の愛弟子だ。
その実力は、未だ二年であるにも関わらず十分過ぎる。今すぐ実戦に出しても一線級の活躍が期待出来るだろう。今年の対抗戦は、米国のモニカ・ラブレットと日本の白雪聖、そして私の弟子。この三人が注目の的になるだろうと思っていた。
白雪聖が三年であることを考えれば、来年は間違いなく二強になる。
否、現時点でもあの子は白雪聖と対等に戦える。上手くすれば今年は英国の優勝も狙えると、そう考えていた。それほどまでに、この三人の実力は頭一つ抜けている。そこらの現役の軍人よりも余程強いとさえ言えるだろう。
だがその考えはたったいま崩れ去った。
実戦に出しても戦える?そこらの軍人よりも強い?
私の見立てが正しければ、まるでお話にならない。その程度では、彼女に一撃入れることすら叶わない。それどころか、試合開始の合図と同時に地を舐めることになるだろう。
モニカ・ラブレットや白雪聖と同世代なことが不運?
そんなことは些細な事だ。たとえどれだけ優れていようと、彼女の前では等しく無意味だ。
はっきり言って反則だ。
子供同士の喧嘩にフル装備の軍人が乱入するようなものだ。
「補欠・・・か」
去り際に彼女が残した言葉を反芻する。
彼女の言葉がそのままの意味ならば、欠員が出ない限り試合には出場しないのだろうか。
だが考えれば考えるほど、天枷禊という鬼札を擁しておきながら補欠に据える意味が理解らない。無条件で勝ちを手に入れられるというのに、使わない理由は一体何なのだろうか。
英国人である私は当然、母国の勝利を願っている。勝つための方策を、管理局や学園側から相談された際も自分なりに精一杯考えたつもりだ。
けれどいくら考えても答えに辿り着かない、そんな難問に直面した私はただ自嘲することしか出来なかった。
「はっ、『智慧の金』が、聞いて呆れるな」
それから暫く、静かに揺れる湖面を眺めながら必死に考えを巡らせたものの、結局いつまで経っても答えは出なかった。
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