第0話 根源
済まない。またゴリラ系女子なんだ。
退屈だった。
両親は私を愛してくれた。二人にとって初めての我が子であったことも手伝ってか、今にして思えば異常なほどに甘やかされていたように思う。産まれて暫くは祖父母にも随分と可愛がってもらっていた筈だ。
望めば何でも与えてくれたし、やりたいことをやらせてもらえた。
記憶を遡り、私にとっての最初の記憶である幼少期まで追想しても、私は両親に叱られた記憶が無い。
笑った記憶も、泣いた記憶も無かった。
天は二物を与えず、なんて言うけれど、長女として生まれた私に神様は多くのものを与えてくれた。
一つは容姿。
自分で言うものでは無いし、別段自慢がしたい訳では無いけれど、事実なのだから仕方がない。両親、特に母に似たのだろう。可愛いというよりは美人系だろうか。
このあたりは自分では分からないところだけれど、少なくとも顔のパーツや輪郭、目鼻の形は整っている。まだ幼かった私を見た周囲の大人たちが皆一様に、『将来はとんでもない美人になる』などと持て囃していたのをぼんやりとだけれど覚えている。
もう一つは家柄。
私はこの国でも歴史のある由緒正しい家に長女として生まれた。
何百年と昔から、国の為に働いてきた家柄だそうだ。
とはいえ、声を大にして言えるような内容ではない。
なんでも、国に害を為す『虫』を潰すことを生業にしてきたそうで、時代が変わる毎それに合わせるようにして数々の『虫』を相手にしてきたそうだ。
嘘か実か、古くは妖怪や鬼とも戦っていたらしく、近年では境界鬼を駆除するのが主な仕事らしい。
いずれにせよ、馬鹿みたいな広さの敷地を持った本邸に、同じく馬鹿みたいな大きさの別邸。その他大小様々な館が自分の家の敷地内に立っている程度には名家だった。
ちなみに地元、家の周囲では我が家は大層有名な家らしい。
そして最後に才能。
これに関しては神が与えてくれたというよりも、単純に遺伝だろうか。
優しい父がくれた繊細さに、優しい母がくれた身体能力。
現当主である父は、戦うことよりも人を動かすことに長けていた。それに加えて周りの空気を読む能力が高く、危機察知能力も高いために指示や決断が早い。
祖父母に言わせれば軟弱者らしいけれど、私はそうは思わなかった。立派な得難い才能だし、父と同じ様に人を使うということは誰にでも出来ることではない。
そんな父が不得手であった分、家業における実働は母がその穴を埋めていた。
分家の出身である母は幼い頃より、本家の跡取りである父を支えるための教育を施されていたらしく、結婚してからはその才を遺憾なく発揮したらしい。
退屈だった。
全てが満たされているということは、必ずしも幸せなことではなかった。
こんな事を言えば顰蹙を買うのはもちろん理解している。
『そんなわけがない』『贅沢を言うな』と、間違いなくそう言われるだろう。
けれど、それならば。
貧しいながらも彼らは笑っていて、満たされている筈の私が笑っていないのは、どうしてなのだろうか。
誰が私を笑顔にしてくれるというのだろう。
幼いながらにして、すっかり笑うことなど諦めかけていた、そんな時だった。
ある日、私が庭で訓練に励んでいる時のことだ。ふと倉庫を整理している執事の姿が目に入り、彼に続くように倉庫の中を覗いてみると、もう遊ばなくなった玩具が仕舞われているのが目に入った。
手にとって見てみれば、遊んだ記憶なんてまるでない、見覚えのない玩具だった。執事が言うには、私がもっともっと小さい頃、よく手に持って遊んでいたそうだ。
今になってもその時何故そうしたのかは解らないけれど、私はそんな玩具を手に、思い切り握りしめたのだ。
すでに家業を継ぐための訓練を始めていたし、母譲りの身体能力を持つ私だ。
いかに幼子の力といえど、手に持った玩具は乾いた音を立ていとも簡単に壊れてしまった。
その時のことは、今でもはっきりと思い出すことができる。
徐々にひしゃげ、壊れる玩具の立てたあの音も。
手に伝わる、心地良いあの僅かな痛みも。
全身を駆け巡る、あの得も言われぬ快感も。
そして、どこか怯えるような瞳で私を見つめる執事の顔も。
視線を少しずらせば倉庫に仕舞われていた大きな鏡と、そこに映る私の姿が見えた。
笑っていた。
笑うことを諦めていた私が、壊れた玩具を手に持ったまま微笑んでいた。
退屈が、消えてゆく。
これが私の始まり。
壊すという事の喜びを知ってしまった私は、それから色々な物を壊した。
あの時のような玩具であったり、庭に積み上げられた木箱であったり。
父の部屋から拝借した真剣を使って敷地内の樹を切りつけてみたり。
訓練用の人形は当然のように真っ先に壊した。
何が良いのかまるで解らないような壺を破壊した時など心が踊った。
雪の日、メイドと共に作った雪像を壊したときは興奮で立っていられなかった。
身近にあった物を粗方壊した時、まだ壊して居ないものなどせいぜいが人間くらいのものであった。けれど私は殺人鬼ではない。人を殺したい訳ではないし、壊して良いものと壊してはいけないものの区別くらいはつく。壊すことを我慢出来ない訳ではなかったし、壊さずには居られないなどという訳でもない。
ただ何かを壊しているときだけ、私は笑っていられる。それだけのことだ。
そうして家中の様々な物を壊しても、父には叱られなかった。母には少し困った顔をされてしまったが、それでもその程度で済まされるのだから私がどれだけ甘やかされていたが分かるというものだ。
なおこの頃に祖父母からは異常者認定されていたように思う。目に見えて会話が減ったのだから。
それからというもの、私は訓練の傍らで物の壊し方を追求するようになった。
ただ壊すのではなく、壊す方法や過程を求め始めたのだ。
そんな私が、初めて人間を壊したのは12歳になった時だった。
家に仕えていたメイドの一人が盗みを働き、逃亡しようとするも敢え無く取り押さえられるという事件が起きた。その際、同僚のメイドを一人殺害までしたのだ。
おまけに動機は取るに足らないもの。恋人に頼まれただの、賭博がどうだのと延々喚き続けていたその犯人を、私が壊した。
殺した訳では無い。
自棄になった相手を追い詰めるにはどうするのか。
追い詰められた人間を更に追い詰めるにはどうするのが効果的なのか。
そうして弱らせたあと、何を言い聞かせれば堕ちるのか。
堕ちた先、最後に何を用意しておけば、彼女を壊せるのか。
数年かけて追求した、私なりの壊し方。
それを一つ一つ、実験でもするかのように試してゆく。時間はいくらでもあった。
上手く行かずに一時反抗された時もあった。それでも時間をかけ、実験結果を書き記し、そうしてゆっくり彼女の心を壊した。
そうして遂に心が壊れたその時の快感ときたら、言葉にすることすら憚られる。
人は殺さずとも壊せると知った。私のやり方は間違っていなかった。
また一つ新しいものを壊すことができたという喜びは、私を更に進ませてくれた。
そうして私はまた、壊したことのないものを探し始めた。
そんな私の興味が、境界鬼へと向くのは自然なことだった。
人間は無理だけれど、奴らであれば物理的に壊すことが出来る。それが許される。
合法的、且つこの家の使命にもそぐう。
そのために訓練を積んできた。そのために学んできた。奴らの壊し方は無論、この頭の中にしっかりと刻まれている。
13歳の誕生日を迎えた冬、私は母に頼み込み例の家業へと同行させてもらった。
未だ『感応力』には目覚めていなかった私だったけれど、それでも十分に通用する、あるいは足手まといにはならないと判断してもらえたのだろう。どのみち、このままであれば一つ下の妹ではなく私が家を継ぐことになる。それもあって母も認めてくれたのだと思う。
全国へと分家を派遣している中、私達本家の人間は関西地域の、それも所謂大物の処理を担当としていた。
今回は京都のある地域、人口3万人ほどの町へと向かう。
この世界に境界鬼が出現するようになった当初は、こうして予測することなどまるで出来なかったらしい。それゆえ突如現れる奴らに対し、なんの対策もできないままに、市民が犠牲になるのをただ指を咥えて見ている事しか出来なかったと聞いている。
境界針の示す場所、町から少し離れた山間部へと到着した私達の眼前。
まるで引き裂かれるように景色が罅割れ、それは境界から姿を現した。
大きさは6メートル程、見上げるほどの体躯に丸太のような腕と脚。額からは両端に2本、中央から1本の角が伸びており、計3本角の境界鬼だった。
境界鬼の強さは角の大きさによって大まかに分けられている。3本角は大物も大物。はっきり言えば今回の戦力ではまるで足りないほどの相手だった。
母の焦り、隊員の恐怖。初陣である私にも解るほどに伝わるそれが、相手の強さを物語っていた。当然私に構っている余裕など、母にも隊員にも、あるはずがなかった。
結論から言えば、この時の戦闘は始まってほんの数分で決着が着いた。
母は吹き飛ばされ、樹に叩きつけられて吐血している。今すぐに死ぬほどではないが重症であることは私にも分かった。
隊員達も同様だ。
腕を失っている者、脚の骨が折れている者、あるいはすでに物言わぬ骸と化している者。無事な者など、私を除いて一人も居なかった。
母が掠れた声で必死に何か叫んでいたが聞き取ることは出来なかった。
聞き取れないけれど、『逃げなさい』などと言っているであろうことは容易に想像がつく。
逃げる?どうして?
当時私は本気でそう思っていた。母は勘違いをしている、と。
私は見学しに来たのではない。私は、コレを壊すために来たのだから。
だが私などよりも余程強いあの母が倒せなかった相手に、私の攻撃が通用するはずもなかった。出立の際に父から渡された刀で斬りつけようとも、そこらに落ちていた薙刀を振るおうとも。斧も、槍も、弓も。
私を敵として認識してすらいないのか、動こうともせずこちらを伺う敵に対して、私の攻撃は何一つ届かなかった。
随分と長く感じられたけれど、時間にすればきっと、ほんの一分程度のことだっただろう。攻撃が皮膚に弾かれ、武器を取り落とし息を吐く私の首元を、ひょいと掴み上げられた。
遠くで母が必死に立ち上がろうとする姿が見えたが、しかし何かをする前に、小さな私は一飲みにされてしまった。母の泣き叫ぶ顔が眼に焼き付いていた。
そんな絶望的な状況だというのに、私が最初に思った事といえば、べとつく境界鬼の唾液が気持ち悪い、であった。次いで臭い、だっただろうか。
私には関係が無い。攻撃が通じなかろうが、丸呑みにされようが。
どうすればコレを壊せるのか。あのころから変わらず私の関心は一つだけ。
私にとって境界鬼とは、私の為に現れた、私だけの玩具だ。
誰にも邪魔なんてさせはしない。コレは私のものだ。私が壊すのだ。
そう思ったとき、頭の中で緋い光が弾けるような感覚があった。
光は身体を駆け抜けて心の臓を叩き、身体を覆いながら、次いで私の両手両足へと集う。
直感で理解した。
『感応力』。
感応力とは深層心理。その者の根源に基いて、響き、発現する力。
私の根源がどういったものかは解らない。
けれど今この時、こうして発現するのならば、それは当然コレを壊すためのものだと、疑いなく信じられる。だから私は手を伸ばした。それだけで良いと理解していたから。
瞬間、私は雪の降り積もる地面へと尻から落ちていた。
四散した境界鬼の唾液と血と肉にまみれ、目も当てられないような状態だったけれど、しかし無傷だった。
その後は涙でくしゃくしゃになった母と、生き残った隊員達とともに近くの分家へと急ぎ搬送された。この時現界した境界鬼は3本角であったことも踏まえてCSと認定され、名を『陸耳御笠』とされたらしい。
これが私の初陣で、初めて境界鬼を壊した時の話。
それからも私は境界鬼を壊し続けた。勿論壊し方を追求しながら。
あるときは素直に斬り殺したり。『感応力』で周辺ごと吹き飛ばしたりもした。
私の『感応力』は類似する前例すら無かったらしく、その殺傷能力と破壊力、効果範囲などを勘案して『災禍』と呼ばれるようになった。
私が戦う度に辺りが破壊されることから、まるで災害でも通ったかのようだということらしいのだけれど、実際は周囲への被害を出さないようにだって出来る。ただ吹き飛ばしたほうが気分がよいというだけの理由だった。
この頃にはいよいよ祖父母から避けられる、というよりも煙たがられるようになった。当主の父は今なお私を溺愛しているけれど、祖父母の影響力は未だ健在で、彼らに睨まれるというのはあまりよろしくはない。
おまけに我が家と似たような役割を担っている各家では私の事がすっかり噂となり、『性格破綻者』だとか、『異常者』『天枷の鬼』などと散々な呼び名で知られているらしい。
それどころか、『災禍の緋』と呼ばれ、いつの間にか感応力者の間では世界的に名が知られているらしかった。
けれど、私は壊すことを止められない。
壊すということは私の根源で、私そのもの。
これが私で、私の全てなのだから。
そして現在。
あれから数年経ち、16歳になった私はついに学園へと通うことになった。
これまでは家庭教師と自学だったけれど、漸くだ。
所謂普通の学園とは異なる、感応力者が現れるようになってから設立された、国内唯一の感応力者の為の学園。この歳になって未だ友人の一人も居ない私だが、うまくやれるだろうか。入学式当日となった今となっては、もはや友人など必要ないのではという境地に足を半分踏み入れてしまっているけれど。
ともあれまずは、目の前の境界鬼を壊してからだ。
いまにもボロ布にされようとしていた、恐らくは私と同じ入学生であろう女子学生を背に、眼前の喚き散らす一本角の境界鬼を捉える。
「頭が高いわよ下郎。誰の前で喚いているのか解っているのかしら?」
私は止まらない。壊したことのないものを壊すために。
「さぁ──────跪けッ!!」
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