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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雪花

作者: 波音久渡

わたし、海に行きたいな。


指先から身体の芯まで冷え込むような、例年にも増して寒すぎる真冬。黒々とした曇天からは今にも雪が降り出しそうなそんな時期、目の前の少女ーーユキは呟いた。

言葉として捉えれば、目的は明確。それでも何故この時期に海に行きたいなどと言うのだろうか。遠方から吹き寄せる潮風はきっと凍えるほど冷たく、この時期に身体で感じたいものでもないだろう。

薄々は分かっている。彼女の言葉の真意も、目的も、その先に待ち受ける悲劇も。


……ダメかな?


力なく微笑みながら、小さく首を傾げるユキの仕草に、私はドキッとしてしまう。洗いたてのシーツで清潔に保たれたベッドに横たわりながら、もう長いこと病床に伏しているユキ。文字通り雪のような美白の彼女から放たれる儚げな笑顔は、私の心を揺さぶるには十二分に事足りる破壊力だった。

けれど、それを許してしまえば、私はきっと後悔する。確証なんてない。それでも、目の前の少女が放つ眼光の強さは、痩せ細ったその身体からは想像も出来ないほどに強い意志を秘めていて。


だいじょぶ。ちゃんと帰ってくるから。


そんな私の心を見透かしたかのように、おどけた様な笑みを浮かべるユキ。その笑みすらも、今の私にとっては懸念すべき要素でしかない。

成績優秀、スポーツ万能、オマケに美人。神から二物も三物も貰った彼女は、数年前に突然病に倒れる。詳しい病名は私もよく分からないのだが、とにかく現在の医療では治療が難しいものらしい。

そんなユキと親友という訳でもなく、ただご近所さんで腐れ縁の私は、暇さえあれば見舞いに足繁く通っていた。とても近くに居るはずなのに、いつしか高嶺の花のように手の届かなくなっていた存在。そんな彼女とこういう状況でなければまともに接することが出来ない自分は、きっと心の奥底でこの関係に安堵している。卑怯者なのだ。


……ダメ?


再びの問いかけに、私はハッと我に返る。いつもそうだ。ユキは私に対してとても積極的に言葉を投げかけてくれるのに、私ときたらウンウンと頷いては自身の気持ちなどまるで包み隠して、ただ話を聞くだけの置物と化している。きっとユキも私のことを、大層つまらない人間だと思っている事だろうに。


少し、お医者さんと両親に聞いてみるね。


このまま言葉を濁したところで、ユキは絶対に引かないだろう。流石に独断では決めかねた私は、至極真っ当な案を提示する。

しかし、ユキは踵を返した私のセーターの袖をちょいと摘むと、明らかに不服そうな表情で無言の静止を試みる。


やだ。二人っきりがいい。


美人から放たれる、上目遣いと猫撫で声のあざと過ぎる合わせ技。気軽に使ったら悪い虫が寄り付きそうで不安になるほど、あまりに魅力的なその姿に私はドギマギしながら、深く溜息を吐いた。


……バレたら大目玉食らうよ?


幸い点滴を打ち続けているような不自由さは無く、連れ出そうと思えば車椅子一つで簡単に運び出せるような状態のユキ。折れてしまった私の表情を見るや否や、満面の笑みで私の腕に抱きついた。


ありがと。嬉しいなぁ。


小声で呟くように告げるユキ。その表情は、私の腕と長く艶のある黒髪に遮られ、覗き見る事はついぞ叶わなかった。






小さな島の小さな診療所。元より常勤の人間も少なく、人の目を盗んでユキを外に連れ出すこと自体は、さほど難しいことでも無かった。無事ユキを誘拐することに成功した私は、自身の土地勘を頼りに黙々と車椅子を押しながら、彼女の望む目的地へと歩を進める。

大袈裟なまでに厚着をしてはいるものの、徐々に近づく海から吹き荒ぶ潮風は想像以上に冷たく、手袋を易々と貫いて私の両手の自由を奪おうと牙を剥く。それはきっとユキも同じで、時々顔を覗くと小刻みに震えながらしかめっ面を崩さない。


……寒くない? 帰る?


冗談交じりに問いかけてはみるものの、当然のようにユキはふるふると力なく首を横に振った。確かに目的も果たさないままのこのこ戻って、ただ怒られるだけではユキも私も面白くはない。


静か、だねぇ。


ここまでの道程で、奇跡かと思うほどに人とすれ違わなかった。まるで世界に二人っきりになったような、そんな幻想を抱いてしまう位には静かすぎる世界。日が完全に落ちて、辺りが暗いのも理由の一つではあるかもしれないが。

程なくして、目的地の海岸へと辿り着く。打ち寄せる漣の音が、曇天に包まれた静かな宵闇に優しく響き渡り、寒さとは裏腹に居心地の悪くない空間を演出していた。


ほら、着いたよ。寒くない?


結局道中の殆どを無言で進んできた私は、同じく無言を貫いていたユキに問いかける。しかし呆けているのか聞き取れなかったのか、海へと視線を釘付けにしたまま微動だにしない。

この近辺の海は割と綺麗で、夏にもなれば海水浴やら観光やらで島外から客が来るくらいには有名なスポット。無論、冬場に海岸へと来る物好きなんて私たちくらいしかいないのだろう、辺りには人っ子一人存在しない。それが余計に静寂を助長しているのは、言うまでもなかった。


……寒いね。

でも、もっと近くに行きたいな。


暫くして、ユキが小さく口を開く。今は海岸沿いの歩道にいるのだが、これ以上近づくと砂浜へと足を踏み入れることになる。私自身は難しくないものの、車椅子ごと突入するわけにもいかないだろう。


だいじょぶ。少しくらい歩けるから。


そんな私の思案を読み取ったかのように、ユキは小さく息を吸うとすぐに吐き出し、すっくと車椅子から立ち上がる。手持ちの防寒着を可能な限り着せていることもあり、一歩を踏み出す度に少しよろめいているのが危なっかしい。


あんまり無理しちゃダメだよ。ほら。


そっと腕を差し出した私の手を取ると、白い息を吐きながらにこりと微笑むユキ。最早言葉を発するのも辛いのだろうか、さっさと彼女を満足させてこの極寒とはおさらばしなければ。

真冬の砂浜に入るのは流石に初めてで、当然の如く足取りは重い。転んでしまえばきっとキンキンに冷えた砂がまとわり付き、不快なことこの上ないだろう。

そんな中を四苦八苦しながら歩を進め、とうとう波打ち際まで来てしまった。堤防とは比にならないほどの冷気が身体に吹きつけ、ユキの手を握る手は微かに温もりを感じつつも小刻みに震えてしまう。


あはは、寒いねぇ。冷凍庫にいるみたい。


冗談混じりの軽口を叩くユキだったが、その表情は全く笑っていない。神妙な面持ちで佇むその姿は、やはりどこか普通じゃない。


ねぇ、そろそろ聞かせてよ。

ここに来たがった、本当の理由。


別段、海が好きという訳でもないだろう。ユキのことを全て知っている訳ではないが、少なくとも今まで共に過ごしてきた人生の中で、彼女にそういった特別な想いがあるとは到底思えない。


なんとなく、だよ?

波の音を、近くで聴きたかったとか。

本当に漠然(ばくぜん)としてて、

理由っぽい理由は

ないのかもしれない。


……ユキってさ、嘘つく時にね

絶対に視線が足元に向くんだよ。

あと言葉が途切れ途切れにもなる。


私の言葉に、明らかに動揺するユキ。握る手の力が一瞬だけ強まり、そんなことはないよと小さく首を横に振るも、私の視線を受けたユキは最終的に項垂れてしまう。


はぁ……どうして分かっちゃうかな。

そんな癖があるなんて、自覚なかったよ。


あー、ごめん。あれ嘘。

めっちゃ鎌かけた。


飄々と嘯く私を驚愕の表情で見上げるユキ。その顔をみるみる内に紅潮させると、私の腕をぽかぽかと叩き出した。


もうっ、嫌い! 性格悪い!

そんなんだから恋人出来ないんだよ!


あはは、それはお互い様でしょ。


茶化すようにけらけらと笑う私だったが、それはきっとこの後に発せられるであろう言葉を無意識に恐れていたのかもしれない。あの深刻そうな表情を見た後で聞くユキの本音なんて、容易に想像がついてしまう。


……わたしね、消えてしまいたいんだ。


開口一番に鋭い切れ味を放つ言葉。先程までの力ない笑顔すらも今は消えて、握る手の震えはより一層大きくなっていく。


もっとずっとこの先に医療が進歩して、

わたしの病気は治るかもしれない。

だけどね、わたしが負ってしまった病は

わたしに与えられた人生の貴重な時間を

たくさん奪っていった。

時間だけじゃない。

周りの人たちもね、

いつ治るか解らないわたしのことなんて

きっと見切りをつけて離れていく。

家族にだってたくさん迷惑をかけた。

わたしが(のこ)せるものなんて、

何も無い。

何も、無いんだ……っ!


そんなことない、と口を衝いてしまいそうになるのを、どうにかグッと堪える。無責任なフォローほど、残酷に心を抉ることくらいは流石に弁えていた。

二人しかいない海岸に響くユキの嗚咽。そんな中私に出来ることはユキの肩に腕を回し、そっと抱きしめることだけだった。


ユキの辛さを全部、解ってはあげられない。

解ろうとすることすら、おこがましいんだ。

でも、これだけは言わせてほしい。

私、ユキのこと好きなんだ。


小さい頃から、なんだかんだで側に居た私とユキ。それでも、彼女が才覚を表して私とは別世界の人間なんだと認知した時、きっと私は無意識にユキと距離を置いていた。

無論、全てが天から与えられたものでは決してない。血の滲むような努力を影でしていることだって、私は知っている。

けれど、ユキは昔から弱いところを隠しながら、人目をそれなりに気に掛けながら、優しく強く生きようとしていた。それが幸か不幸か、周囲の人間と壁を作ってしまっていることも、容易に想像出来てしまう。

そんな彼女の、病による人生の停滞。誤魔化しようのない弱さを露呈してしまったことは、周囲の人間にとっても、ユキ自身にとっても、互いにいいことはなかった。

現に、ユキの入院する診療所に私以外の同級生が見舞いに来ることは、最初の半年を除いてほぼ無い。孤独感に苛まれるのも、無理はなかった。

それでも、私は毎日欠かさずユキに会いに行った。原動力が何だったのかは、とうに忘れている。けれど、ただ一つだけ確かなことがあるとすれば。


私、ずっとユキの背中を追っていたんだ。

昔は手を繋いで隣を歩けたのに、

いつの間にか果てしなく遠く

離れてしまった。そんな気がして。

ユキ自身は、きっとそんなこと思っては

いないんだと思う。それでもね、

私にとってユキは憧れそのものだった。

だからこそ、ユキの背中を見てきたからこそ

解る事だってあるんだ。


不器用に紡ぐ言葉。その全てがユキの凍てついた心に届くかは分からない。それでも、今ここで私の全てをぶつけないと、もう二度とユキの心に触れられない。そんな気がして。


ユキは頑張ってきた。どんな辛い運命にも

必死に抗ってきた。だから、これ以上

頑張れなんて言わない。私にはきっと、

ユキを救う為に出来ることが殆どない。

ただ、側に居てあげる事しか出来ないんだ。


言葉にしてしまえば、何とも陳腐なものだった。これじゃまるで、消えたいと願うユキを引き留める気がまるで無いではないか。

それでも、私の心の奥底から湧き上がってきたのはそんな言葉。嘘偽りない本心であることだけは、疑う余地もなかった。


……変なの。けど、側に居てくれるだけで

わたしはすっごく嬉しいな。

わたしの周りから誰かが消えていくのが

とっても怖かった。いつか独りぼっちで、

誰の記憶にも残らずに、死ぬんだって。

さっき、救うために出来ることが殆どない、

そう言ったよね?

そんなことないよ。わたしにとって

独りじゃないって事実は間違いなく

救いでしかないんだよ?


いつになく優しい声音で紡がれるユキの言葉に、何故だか私の方が胸が熱くなってしまう。何の取り柄もなく、いつしかユキと距離を作ってしまった私だったが、こんな状況になって漸く、ここまで寄り添うことが出来た。

私が求めていたのは他でもない、ユキの側に居てもいいという事実だけだったんだ。


……何だか私まで救われちゃった。

ありがとうね、ユキ。


顔を突き合わせるのは流石に恥ずかしく、きゅっと抱きしめながら私の胸にユキの顔を隠した。もごもごと息苦しそうにしている気がするが、きっと気のせいだろう。


……ねぇユキ、見て。雪が降ってきた。


すっかり暗くなってしまった世界に、空から私たちを祝福するかのように、真っ白な雪が静かに降り注ぐ。そういえば、ユキは昔から名前でからかわれるからって、雪が好きじゃなかったっけ。


ほんとだ。どうりで寒い訳だね。


やっとのことで私の胸から抜け出したユキは、空を見上げ静かに溢す。頭ひとつ分高い私を見上げる形になり、必然的に交わされる二人の視線。ユキの泣き腫らした目にもう悲しみは無く、しかしそれは迷いすらも吹っ切れてしまったようで。


この世界に降り注ぐ雪の花に包まれて、

わたしたち二人しかここにいないんだよ。

ふふっ。なんか、ロマンチックだよね。


そう、かもしれないね。

……念のため、最後に聞いておく。

もう、後戻りはしないんでしょ?


満面の笑みで告げるユキに対して、私はどんな表情を浮かべているのだろうか。寒さで強張っているのは間違いないのだけれど、それでも自分の表情に自信が持てない。

幸福と恐怖の狭間で揺れ動く私の感情。だけど、目の前の無垢な少女はそんなこと微塵にも思っていないのではなかろうか。


うん。もう決めたことだから。

それに、わたしが世界から消えても、

わたしのことを覚えていてくれる人がいる。

だからもう怖くないよ。


……えっと、何か勘違いしてない?

私は確かに側にいるって言ったんだけど、

何で私を置いていこうとしてるの?


……………………ふぇ!?


しんしんと雪が降り続く波打ち際に、ユキの素っ頓狂な声が響き渡る。誰かに気づかれたらどうするつもりなんだろうか。

これまでの話の流れで、どうして独りで消えようなどと思ってしまうのだろう。時々ユキは抜けているというか、ズレているというか……やはり私の理解を超えている。


えっ、だってそれって……えぇっ!?


あのさぁ、これで私がユキ独りにしたら

さっきの言葉全部無駄になっちゃうじゃん。

それに、ここで見捨てたら私絶対に

ユキの後追うよ?


私の言葉に、ユキは反論出来ないのかグッと口をつぐむ。その目が再び潤み始めるのを確認した私は、最早機能していない手袋を行儀悪く脱ぎ捨てると、冷え切ってしまった手をユキの小さな頭にポンと乗せた。

それがユキの中で涙を押しとどめていた堰を切ったのか、またしても私の胸の中に顔を埋めると静かに嗚咽を溢す。


なんか、巻き込んじゃってゴメンね。

一緒に居てくれるのは嬉しいの。

けど、まだ生きられる生命なのに。

わたしの我儘(わがまま)

付き合わせちゃって。

本当に、ゴメン。


誰が我儘に付き合うだって?

これは紛れもなく私の意思だから。

私が勝手に、ユキについていくだけだから。

恨むなら、引きずってでも止められない

凡人な私の弱さを恨むんだね。

それとも、ユキが私を止めてみるかい?


今のユキに対しては少し意地悪が過ぎる質問だったかもしれない。彼女も私に消えてほしい訳ではないだろうけど、かといって私がきっと後に退かないことだって、察してはいるはずなのだ。

暫く悩んだ後に首を小さくふるふると横に降ったのを見た私は、いよいよもって本当の意味で覚悟を決めた。私の中にあった迷いを吹っ切ってくれたのは、言うまでもなく目の前で泣きじゃくる少女なのだ。


……ちゃんと責任、取ってね。


悪戯っぽく告げると、私はこれまでずっと背中に回していた腕をそっと解き放つ。名残惜しくはあるが、この決意が揺らいでしまう前に、ユキの願いを成就しなければ。

もう後少し歩を進めれば、きっと想像を絶する程に冷え切った海が私たちを容赦なく蝕むような、生と死の間にも似た波打ち際。雪明かりに照らされて微かに浮かび上がるその光景は、どことなく天国とも地獄とも似ているようで。


本当に、後悔していない?


どちらからともなく発した言葉は、一字一句違わず重なり合い、残響することなく果てない水平線の彼方へと消えていく。それがあまりに可笑しくて、こんな状況だというのに二人して顔を見合って思わず笑みを溢した。

死の淵にあって尚、こうして笑っていられる。これが幸福な終幕でなく、何だというのだろうか。


後悔はしてないよ。ただひとつだけ、

私の我儘も聞いてほしいんだ。


うん、今この場でわたしに出来ることなら

なんだってする。言ってみて。


…………き。き、きっ。


自分でわざわざ言ったくせに、最後の最期で勇気が出ない。命を投げるよりも遥かに簡単な言葉が、なかなかどうして出てこない。

信じていない訳ではない。

けれど、恐れているのかもしれない。

最期に好きな人に拒絶されてしまうのでは。



ぎゅっ。



そんな私の心中を察したのか、まるで安心してとでも言わんばかりに慈悲に満ちた笑みを浮かべながら、私と唯一繋がっている右手を強く握る。

それだけで、勇気を出すには充分だった。


キス、したいな。


言葉にすればたったの6文字。ユキはユキでそんなことか、といったような表情で小さく溜息を吐くと、見かけからは想像もつかない程乱暴に胸ぐらを掴む。



んっ。



気付けば、一瞬の早業で私の唇はユキの小さな唇に塞がれていた。凍えるように冷たいそれは、それでもとても柔らかく、私を包み込んでくれるような優しい感触。

永遠に続けと願ったものの、存外あっさりとユキは唇を離してしまう。


……初めて、だったんだからね。


……私、も。


ここにきて互いに顔を合わせられない。滅多なことは言うもんじゃないな、と反省しつつ、それでもどちらからともなくもう一度手を強く繋ぎ直す。

もう、思い残すことはない。顔を合わせずとも、言葉にしなくとも、私たちの意思はもう揺らぐことはない。


じゃあ、行こうか。


いつの間にかうっすらと積もり始めた雪を砂と共に踏みしめながら、幻想的な死の世界へと二人並んで足を踏み入れる。

不思議と、冷たいという感覚はなかった。恐ろしいと思う感情すらも。ただひとつ、隣に大好きな人がいる。その事実はどんなに強い恐怖や痛みを以ってしても、塗り替えることは出来ない。

気付けば、その身体の大半を凍えるような寒さの海に浸していた。最早手足の感覚などとうに失われ、それでも決して繋いだ生命の断片を離すまいと、私は精一杯の力を振り絞りユキの華奢な身体を抱き締める。

降っては海に溶け散っていく、あまりに儚い雪の花。私たちの生命も、きっと同じ。


……ユキ、大好きだ。

たとえまた生まれ変わったとしても、

魂だけあの世に置き去りになったとしても、

私は永遠にユキを離さない。約束する。


掠れゆく意識から吐き出される、最期の言葉。顔面を青白く染めながら、それでもまだ辛うじて意識が残っているユキも、努めて優しく微笑むと最期の言葉を紡ぐ。


ありが、とう。大好きだよ、はーー


生命が、消える音が聴こえた気がした。ぐったりと力無く俯いたユキが顔を上げることは二度と無く。

こんな終幕が、私たちにとって正解だったのかどうかは解らない。

それでも、確かに私たちは最期に幸せだった。

それで、いいじゃ、ない、かーー






この日、島から二人の人間が消えた。

あまりに突然の出来事であること、目撃者が誰ひとり現れないこと、手がかりが砂浜に置き去りにされていた車椅子と手袋しかなかったこと。

以上を踏まえ、この事件の真相は迷宮入りすることとなる。一部では、神隠しに遭ったのではないかという噂も立った。毎年冬場になると、現地の人々は祟りを嫌って砂浜には誰ひとり近づかなくなった。

当人たちの思惑とは裏腹に、この島で彼女らの名前を知らないものはいないのだとか。

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