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ペア  作者: 文月 勢
第5章
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49.決戦前夜

「ただいまー」

 玄関にラケバを置くと同時に、母さんがお玉を手に持ちながらエプロン姿で駆け寄ってきた。

「おかえり! 試合、どうだった?」

「……勝った!」

 少し間を置いてからVサインを見せる。

「えーすごいじゃん! それじゃ今夜はより腕を振るわなくちゃね。今ご飯つくってるところだから先にお風呂入っちゃいなさい」

「分かった。あっ、でもその前にいつものやってくるわ」

 バックからラケットケースを取り出して肩にかける。準備オッケー。

「はいはい。気をつけるのよ」

「行ってきまーす!」

 勢いよく外に飛び出し、親水公園を目指して走り出した。

 五月下旬。日中は大分暖かくなってきてはいるけど夜はまだ冷える。ケガだけはしないようにランニングのペースは控えめにいこう。

 今夜は満月なのか月がきれいだ。見ているだけで心が落ち着く。明日のことを考えるとつい興奮してしまう今の俺には助かる存在だ。

 一歩一歩、着実に足を進めていく。この夜のランニングと素振りもやり始めてからもう二年と少しが経つ。最初はただ「上手くなりたい」っていう気持ちから始めたけど、今ではすっかり日課として定着している。たとえ明日が全国をかけた大一番でもこれだけは欠かせない。やらないと逆に落ち着かないんだよな。

 この日課が自分の力になっているかどうかは正直分からない。もちろんなっていると信じたいけど。でも今まで歩んできた道は全て明日の試合につながっているはずだ。そう考えるとなんだかしみじみする――って、ダメだダメだ! しみじみするのはまだ早い! 色々考えるのは明日勝ってからにしよう。

 そんなことを考えていたらいつの間にか親水公園に着いていた。早速ケースからラケットを取り出して素振りを始める。

 ブンッ、ブンッ、と誰もいない公園に風切り音が響く。

 相手をできるだけイメージしてラケットを振っていく。すると目の前に熊谷と新の姿が現れた。熊谷から放たれるボールは速くて重い。案の定、一度はその力に押しきられてしまった。でも俺の隣にはハルがいる。続いて放たれたボールを今度は二人で一緒に打ち返した。ボールは新と熊谷を打ち抜いていき、虚像たちの姿は消えていった。

 熊谷たちとの対戦は次で三度目になる。最初はスコアこそ4―6の僅差だったけど、スコア以上に力の差を感じた。そして前回はあと一歩、あと一歩のところで届かなかった。でもあの堂上ですら負けることはあるんだ。絶対に負けないヤツなんていない。

 荒れた呼吸を整えるように深呼吸をした。

 三度目の対戦。三度目の正直。次は絶対に勝つ。一度は落とされたあの高く険しい壁を、次こそは登りきってみせる。



 風呂から上がって食卓へ行くと、テーブルには夕飯が並び始めていた。メニューは煮込みハンバーグ! 大好物によだれが垂れる。残りのおかずと箸を並べて、最後に丼いっぱいにご飯を盛る。マンガ盛りってやつだ。

「ご飯、俺と母さんのだけでいいの?」

「いいわよ。お父さんとお兄ちゃんは遅くなるみたいだから」

「二人とも大変だね」

「そうね」

 母さんの茶碗もテーブルへ運んでいき、『いただきます』と食べ始めた。

「明日はみんなで応援に行くからね。やっとアンタがテニスするところを見られるわ」

「うん。お待たせ」

 今までも母さんからは「テニスの試合を見に行きたい」と言われていたけど、俺がNGを出していた。サッカーの試合は小さい頃から応援を兼ねてよく見に来てもらっていたけど、テニスはまだまだ下手だったし恥ずかしかったから。だから「全国行きを決める試合まで勝ち上がったらね」とずっと拒んでいた。でもそれが今回実現したってわけ。

「それにしてもアンタ、試合後だっていうのによくやるわね、日課のあれ。明日は大切な試合なんだから今日くらい休めばいいのに」

「まいひちやっへることはから、やはないとひがふまないんはよね。――ウッ」

 口いっぱいにご飯とハンバーグを頬張りながらしゃべったもんだからむせてしまった。急いでコップの水を流し込んで事なきを得る。

「落ち着いて食べなさいよ」

 案の定怒られてしまった。

 それからは明日の試合に懸ける想いとか、これまでのチームでの出来事とか、ハルとのダブルスのこととか、いろいろと母さんに話した。母さんはどれに対しても笑って頷きながら聞いてくれた。

 そしてこの前赤井に会ったことも。

「あの日もこうして二人でご飯食べたよね」

 何気ない日だったけど、〝あの試合〟から一向に立ち直れずにいた俺は、気分転換にもなるからと母さんから買い物をお願いされた。その日の夕飯中に俺はサッカーをやめることを伝えるも、溢れ出る気持ちを抑えきれなくて母さんに当たってしまった。

「そうね」

 母さんはそっと答えた。あの日も夕飯は煮込みハンバーグだった。

 急にお互い静かになった。やっぱりあの日のことは特別というか、これまで進んで話そうとは思わなかった。でもあの日があったから今がある。それだけは言える。あの日の選択は間違ってなかったと思うし、今思えば必要な瞬間だったんだと心底感じる。

「いろいろあったと思うけど、母さんにも一つだけ分かったことがあるよ」

 なに? と聞くと、母さんはテーブルに手をついて前のめりになると俺に顔を近づけてきた。

「今のアンタ、いい顔してる」

 そう言うと目尻のシワがいっぱいになるまで笑った。

「そうかな?」

 でも、そうだといいな。

「明日、がんばってね」

「うん!」

 その後、俺はマンガ盛りのご飯とハンバーグを三個平らげた。俺が大好きな煮込みハンバーグ。母さんも今日だけは絶対このメニューにしようと前から決めてくれていたんだろうな。なんかそんな感じがする。でも今日の味はあの日食べた煮込みハンバーグの味と同じくらい最高においしかった。

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