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だめな娘で、だめな姉

 風が頬を撫でる。アリシャは思い切り息を吸い込み、そして吐き出した。風を感じながら景色を見る。森を抜けると見覚えのある風景が広がった。

「あっ!」

一週間しか経っていないのに、こみ上げてくる懐かしさに思わず声が上がる。そこには、木々に囲まれた立派な家があった。すぐそばには大きな湖が見える。

 一週間前のあの日、ウラノスが去り、国軍が到着すると、アリシャはそのまま馬車に乗せられた。家族や友達に別れの挨拶をする時間さえもらえなかったのだ。それがずっと心残りだった。

 ウラノスが本当に、聖龍の王族ならば、そして、ウラノスが絆を結んだ人間が自分であるとするならば、きっとこの先も王宮で過ごすことになるだろう。たとえカミルと結婚することがなくとも。小娘一人の人生を犠牲にしてもおつりがくるほど聖龍はこの国で大切で、重要な存在だ。自分が聖龍に対して何かできるとは思わないがそれでも自分を守るように寄り添ってくれるウラノスがいる限り、今までのような平凡な日常は訪れない。

 だからこそ、アリシャはきちんと伝えたかった。もしかしたら一生会えないかもしれない。それなら17年間育ててもらった感謝をきちんと伝えたかった。

「ウラノス、お父様たちに会いたいの。だから、周りに気づかれないように下に降りてくれない?」

 王宮を抜け出して会いに来た、ことが周りに知られれば、家族が咎を受けるかもしれない。そう思ったからこそアリシャはウラノスにそう告げる。

 心得たとばかりにウラノスは高度を下げた。木と木の間に身体を隠すようにして地上に降りる。頭を地面につけてくれたので、アリシャはすんなり降りることができた。

土と葉の匂いが鼻孔をつく。一人になりたいとき逃げ込んでいたのはこの森だった。言い思いなどないはずなのに、懐かしい匂いに思わず笑みがこぼれる。

「ウラノス、少しだけここで待っててくれる?すぐに戻ってくるから。そしたら…戻ろう。もし、カミル王子たちが心配していたら申し訳ないし」

 本当はこのまま家に帰ってしまいたかった。けれど、そんな気持ちを消すように左右に首を振る。家に迷惑をかけるわけにもいかない。国王陛下が決めた婚約に逆らうことなどできるはずがないのだ。

けれど、最後に家族を抱きしめたい、抱きしめられたい。そんなわがままくらいは許されるのではないだろうか。アリシャは思わず駆け出していた。抜け出してきたアリシャを家族は怒るかもしれない。けれど、きっと抱きしめてくれる。それだけはわかっていたから。

「お父様、やっぱり私は反対です!」

 突然そんな大きな声が聞こえ、アリシャは足を止めた。とっさに木の陰に隠れる。庭で2人が言い争っている姿が見えた。ポールとルシアだった。いや、言い争いではない。ルシア一人が怒っていた。出て行く機会を失ったアリシャはそのまま2人の様子を見続ける。

「姉さんは好きな人と結婚すべきです。…姉さんは好きな人と笑って暮らすのが似合う人。だから、こんな風な結婚、私は反対です」

「…」

「私がお父様の望む人と結婚します。私なら、どこでもやっていけます。だから、お父様、どうかこの話を断ってください」

 懇願する声は感極まってか、どんどん小さくなっていった。そんなルシアにポールは困ったような笑みを向ける。

「ルシア、お前は賢い子だ。だからわかっているはずだ。どんなに言葉を並べても、現状が変わることはないと」

「…」

「アリシャは優しい子だ。優しくて、みんなの気持ちを汲もうとしてしまうから傷ついてしまう。私も何度も傷つけてしまっただろう。だからこそ、この手で守りたいと思う。私だってできるならば、連れ戻したいさ。優しいあの子に王宮は似合わない」

「なら!」

「でもあの子は聖龍に選ばれてしまった」

「…」

「それが、どういうことかお前にならわかるだろう?」

「…聖龍の力を利用したい人たちに狙われる」

「ああ。そうだ。そして、この家ではきっと守り切れない」

「…」

 断言したポールにルシアは何も言えなかった。ポールが言うようにルシアは賢い子である。17歳になったばかりであるのに、冷静に物事を見ることができ、知識も知恵も持ち合わせている。だからこそわかっていた。聖龍に選ばれた存在ならば、王宮にいるのが一番安全であることが。けれど、それは身体上の安全だけだ。精神上で安全であるとは限らない。だからこそ、ルシアは反対しているのだ。優しいアリシャに王宮は似合わない。

ルシアにとってアリシャは大切な姉だ。生まれた瞬間からずっと一緒にいた。それからいつも傍にいた。何をするのも一緒だった。そんな中、成長するにつれて「明るく元気なルシア」と「地味で内気なアリシャ」と言われるようになっていった。

ルシアはそんな周りの評価をくだらないと一蹴していた。自分はただ周りが望む人物を演じただけ。タイミング良く笑い、タイミング良く手を差し伸べる。それが少しばかり上手なだけだ。けれど、偽物は本物にはかなわない。本物のアリシャの方がずっとずっと素敵な存在であることはルシアが一番知っていた。だからこそ、隣で本物を見つけられる人を待ちたかった。偽物の輝きに群がる輩ではなく、本物を見極められる人。その人がアリシャを幸せにしてくれることを願っていたのだ。政略結婚は自分が担う。だから、アリシャには本当の笑顔で笑っていてほしい、それがルシアのささやかな夢だった。

「…でも!」

「ルシア、そこまでにしなさい」

 決して大きくはない、けれどよく通る声に2人は視線を向ける。

「お母様…」

「どれだけここで話をしたところで何も変わらないわ」

「でも、…それでも、私は何かしたいんです。姉さんのために、姉さんが笑顔でいられるために。だって、それが私の夢だから」

 絞りだしたようなその声はどこか鳴きそうだった。そんなルシアにユリアは小さく首を振る。

「私は、これでよかったと思っています」

「お母様!?」

 予想外の言葉にルシアは目を丸くした。

 静かに吹いた風が、木々を揺らす。アリシャはただ黙って3人の様子を見ていた。耳を澄まし、ユリアの言葉に集中する。

「私たちにとって、アリシャもルシアも、ともに大切な子どもです。けれど、周りから見たら、アリシャはあなたの代わりになってしまう。そのくらい2人は似ているの。顔も声もスタイルも。そして、似ていない部分では、どうしてもルシア、あなたが上なのよ」

「…」

「賢さも柔軟さも話の上手さや明るさも」

「でも、それは…!」

「ええ、そうね。それは、作られたものだわ。けれど、貴族の世界では、いいえ、貴族の世界ではなくても社会で生きていくために、それは必要なこと。相手に合わせて話すことも、相手の望む答えを言うことも。それをあなたは作っていると、自分を卑下するけれど、それは必要なことで、アリシャとあなたを並べれば、あなたが選ばれるのは当たり前なんだと思うわ」

「…」

「でも、あの子じゃなきゃだめだって人が現れた。そこに政治的な思惑があってもいいの。ルシアの代わりではなくアリシャがいいと。アリシャじゃなくてはだめだと第一王子様は言ったわ。私はそれで十分だと思う」

「…」

「あの子が、苦しさを感じて、一人で森に逃げる、なんて日々がなければ母親としてそんな幸せなことはないと思っているの」

 言い切ったユリアをルシアはただ見つめていた。母として、伯爵家の嫁として、自分よりも何年も多く生きているからこその言葉だ。ルシアにはユリアに言える言葉が見つからない。

 ユリアは鋭い視線を緩め、笑みを浮かべた。そっとルシアに手を伸ばす。緊張の糸が切れたようにルシアはユリアの腕の中で泣き始めた。

「わ、私は、ただ、ね、姉さんに幸せに、なってほしくて」

「ええ。私も同じよ。アリシャにも、もちろんルシア、あなたにも幸せになってほしい」

「だから、…姉さんが望まない結婚は止めなきゃって」

「そうね。でも、幸せを決めるのはあの子よ。だから私たちはここで祈りましょう。アリシャの幸せを。でも、もし、アリシャがここに帰ってきたいというのなら、全力で取り返せばいいわ。だって、私たちは家族なんだから」

 抱き合う2人をポールはその上からさらに抱きしめた。

 アリシャはただ、その光景を眺めていた。あの中に入りたいと思う。けれど、入れないとも思った。だって、自分は何もしていない。現状を受け入れることも、もがくことも何もかも。自分はどうしたいのか。どうすればいいのか。それを考えなくてはいけない。

 アリシャは3人に背を向け、来た道を戻っていく。

「ウラノス…戻りましょう」

 アリシャの言葉にウラノスは首を下げた。今度は自らウラノスの背に乗る。

「ウールー」

 翼を広げ、空高く飛んだ。先ほどまで気持ちよかった風が痛く感じる。

「私はだめな娘で、だめな姉だね」

 漏らした言葉は小さすぎて、風にかき消された。

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[一言] 良い家族だな
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