急展開
そこからは一瞬だった。
駆けつけた国軍が人々から事情を聞き始めた。白龍の出現に、アリシャとのやり取り。それらを聞いた国軍は、その場でポールと話をつけ、アリシャを王宮へ連れていったのである。
初めて謁見した王は肖像画で見ていた顔と同じだった。少しだけふくよかで、優しそうで、けれど目が鋭い。アリシャは王の前で数時間前に起こった白龍とのやり取りを事細かく説明した。少しだけ考えるように首を捻った王から出た言葉は、アリシャの想像をはるかに超えるものだった。
「アリシャ。君は、私の息子と結婚してもらう」
「…え?」
「君は今から第一王子の婚約者だ」
そこから先は正直、覚えていない。知らぬ間に大きな部屋に連れてこられ、ドレスに着替えさせられた。そして気が付けば第一王子のカミルが目の前にいたのだ。
「今日から俺が君の婚約者だよ。よろしくね」
そう言って出された手に無意識に自分の手を重ねた。持ち上げられ小さなリップ音が鳴る。
「かわいい子でよかった。俺ってツイてるね」
そう言うカミルは絵本に出てくる王子様のようにキラキラする顔で笑ったのだ。
「あの日、アリシャが出会った白龍はたぶん、聖龍の王様なんだと思う。小さいからまだ子どもだろうけど」
カミルの言葉にアリシャは目を丸くした。
「王様、ですか…?聖龍の?それに…あれで子ども?」
「そう。生まれたばかりではないけど、子どもだと思うよ。…たぶん、飛べるようになって、すぐにアリシャに会いに来たんじゃないかな?アリシャのことが大好きなんだよ、あの白龍様は」
「そんなことは…」
「それがさ、あるんだよね」
どこか含みを持たせた言い方にアリシャは首を傾げる。
「ナーリ国では聖龍を大切にしてるでしょ?第一王子が一応、聖龍の関係のトップになっててさ、10歳の時からかな、ずっと聖龍の研究をしているんだ」
「研究…?」
「古い文献を読んだり、聖龍を観察したりしてね。聖龍の世話もしてるよ。…9年間の研究で、わかったことがあるんだ」
「わかったこと、ですか?」
「ああ。聖龍にも、人間みたいに『王』みたいな存在がいるんだ。まあ、1匹じゃないから王族って言った方が正しいかもしれないけど。それでね、その聖龍の王族は、白いんだ」
「白…」
驚いたアリシャにカミルは一つ頷いて見せる。
「そう。アリシャ、君が好かれた聖龍と同じ色」
「…」
「一般的に聖龍の肌は少し水色がかった色をしている。国軍で飼っている聖龍はもちろん、野生で見られる龍も薄水色だ。だけど、滅多に見られないけれど、白い聖龍も存在していて、その聖龍に他の聖龍は従っている。つまり、純白の聖龍は王族。まあ、聖龍たちのトップに立つ存在かな」
「…聖龍の王族…」
「そうなんだよね。それで、ここからがもっと面白いんだけど、いくつかの文献によると、何十年かに一度、人間と心を通わす白龍が現れるみたいなんだよね。その理由も原因もわかっていない。どうしてその人間なのかも全くわかってない。けど、その一人に白龍は全面的に従う。固い絆で結ばれるみたいなんだ」
「…」
「そして、今回はアリシャが選ばれた」
「え?」
「そうでなければ、野生の聖龍に触れた君が今ここにいるはずがない」
「いや…でも、そんな…」
「だから、俺は、…俺たちは、アリシャ、君を傍に置きたいんだよ」
楽し気に話す雰囲気ががらりと変わった。まっすぐこちらを見るカミルの表情はどこか真剣で、どこか怖かった。吸い込まれるようなカミルの目の青さに、アリシャは黙ることしかできない。
「聖龍に選ばれた。それはつまり、君がこの国にとって、重要な存在になったってことなんだ。だから、アリシャは俺と結婚するしかないんだよ」
「…」
「あ、もしかして、好きな人とかいた?」
「え?…好きな…人…?」
予想していなかった単語に動揺する。そんなアリシャに構わず、カミルは綺麗な顔で笑って見せた。
「でも、ごめん。諦めて」
明るい声で言うその言葉が、とても冷たく聞こえた。
「……カミル王子は、それで…いいんでしょうか?婚約者が私で…」
「もちろん」
「でも、第一王子には、婚約者様が、いたはずですよね?」
カミルは3年前に、公爵家の令嬢であり、幼馴染みでもあるエマとの婚約を発表していた。幼馴染みということもあり、2人はいつも楽しそうにしていた。美男美女の仲睦まじい様子は、社交界でもたびたび見られ、それは、少女たちの憧れとなっていたのだ。アリシャも父親に連れられた夜会で何度か2人の姿を見ている。肩を寄せ合い笑い合う2人の姿に、アリシャもまたときめいていた。
「エマのこと?まあ、仕方がないよね」
カミルの物言いに、アリシャはどこか失望を覚えた。「仕方がない」の一言で片づけるにはカミルとエマはお似合い過ぎだったから。
高い身長に引き締まった身体、端正な顔立ちのカミル。ブロンドの長い髪を靡かせ、妖艶に笑うエマ。第一王子のカミルと公爵家の一人娘のエマは見た目も身分も相応で、幼少期から長い時間を共に過ごしていた。ナーリ国で男は16歳で成人を迎える。カミルとエマは、カミルが成人して、晴れて婚約者となった。
それは貴族の世界では夢でしかない恋愛結婚なのだと思っていた。好きな者同士が一緒になる。そんな幸せな光景なのだと思っていたのだ。だからこそ、アリシャの口調は強くなる。
「エマ様の事を好きだったのではないのですか?」
「好き?まあ、小さいころから一緒だったからね、好きだったよ。まあ、どっちかっていうと姉とか妹とかそんな感じだったけど。でも、好きになろうとはしてたよ。やっぱ、好きな人と結婚したいじゃん」
「…」
「でも、もうそれは過去の話。俺はアリシャを好きになって、アリシャに俺を好きになってもらう。今は、それだけ。それが第一王子たる俺の役目だからね」
「…」
あまりに正直な言葉に、アリシャはなんと言えばいいのかわからなかった。
どこかで期待していたのかもしれない。全員がルシアを見ているこの状況でも、誰かが自分を好きになってくれるのではないか、と。誰かの一番になれるのではないか、と。白馬に乗った王子様なんて、贅沢言わない。誰でもいい。自分を好きだと言ってくれる人が現れるのではないかと。もしかしたら、カミルがそうなのかもしれないと。
でも、目の前のこの人は、義務を果たそうとしているだけだ。白龍が選んだ自分を無理やりにでも愛そうとしている。
「それは、…悲しくはありませんか?」
どこか声が震えている。けれど、そんなアリシャとは正反対の声でカミルは静かに言った。
「人ってさ、自由なようで自由じゃないよね?」
「え?」
「生まれてきた家とか、見た目とか、性格とか。全然平等じゃなくて、はじめに与えられたもので、できることって、どうしても限られてくる。やろうと思えばなんでもできるなんて、言ったり、言われたりもするけど、それって、幻想だと思わない?」
「…」
「でもさ、自分が持っているものの中で、最大限に幸せになることは努力次第でできると思ってるんだよね、俺。だからさ、俺は、第一王子という立場で、君を好きになって、君に好きになってもらう。そうして、この国を守っていく。それが、俺に与えられた中で、一番の幸せだと思ってるから」
「…」
「だからさ、俺を好きになってよ。俺も、好きになるからさ」
何かを言わなければいけないことはわかっていた。けれど、アリシャはただまっすぐ見つめるカミルの青い目だけを見ていた。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。糸が張り詰めたような部屋の空気が変わる。アリシャは思わず一つ息を吐いた。音がする方に顔を向ければ、微苦笑を浮かべる青年が立っていた。短く切りそろえられた黒髪に、腰には剣が2本。筋肉質の彼は開いていた扉から部屋に足を踏み入れる。
「ライじゃん」
「カミル、正直に言いすぎだ」
ライと呼ばれた青年はカミルより少し歳が上だろうか。第一王子であるカミルに対してため口を使っていることにアリシャは多少なりとも驚く。そんなアリシャに気づいたのか、片膝をつけ、紳士の挨拶をした。
「カミル王子の側近で、ライモンドと申します。王子からは『ライ』と呼ばれております。どうぞ、お好きにお呼びください」
「…ライモンド様…?」
アリシャの呼びかけにライモンドはすっと立ち上がった。そのしぐさは洗練されている。
「はい。私の家は、代々王家に仕えており、王子とも幼いころから一緒に過ごしています。王子は私の事を『友』と言ってくれているため、ほかに人がいない場所では友として接していております。気にされるようでしたら、気を付けますが」
「あ、いえ、少し驚いてしまっただけです。私の事は気にせず、いつもどおりにしてください」
「それではお言葉に甘えます。アリシャ様はカミルと一緒にいる時間が多いと思いますので、そう言ってもらえると助かります」
ライモンドの言葉にアリシャはただ、苦笑を浮かべる。アリシャが婚約者になることを誰もが疑問に思っていないこの状況に、当事者であるはずのアリシャだけがついていけてない。ただの伯爵家の長女であるのに、執事もメイドもそして側近すらも第一王子の婚約者としてアリシャを扱った。それが苦しくて、叫びたくなる。
無性に家族に会いたくなった。母に抱き着き、妹と笑い、父の優しい目を見たい。今まで当たり前にできていたそんなことが、急にできなくなるとは思わなかった。
「……あの、カミル王子、ライモンド様。…少し、一人に、なりたい…です」
失礼なことを言っている自覚は十分にあった。だから、下を向いたまま言う。不敬罪に当たるならそれでもよかった。
「そっか。わかった」
「…おい、カミル」
あまりにもあっけらかんと言うカミルにライモンドが名前を呼び指摘する。けれど、カミルは気にせず続けた。
「息抜きはした方がいいよね。俺たちは出てくよ。体調が悪くないなら庭に出てみればいい。いろんな花が咲いているから、きっと気に入ると思う」
「…ありがとうございます」
「ううん。アリシャ、…ごめんね」
それだけを言い残し、ライモンドを連れてカミルが出て行った。最後の「ごめんね」があまりに悲しい響きで、流れに巻き込まれたのはカミルも同じだったと思い出す。
婚約者と関係を断ち、初めて会ったアリシャを婚約者とする。それはきっとカミルにも苦しい出来事のはずだ。きっといろんなものを押し殺し、アリシャとの婚約を了承したのだろうと今になって思う。
ふと、窓の外を見た。暖かい日差しが注いでいる。空は青くて、気持ちよさそうだった。カミルの出現により出て行った侍女はまだ戻ってきてはいない。それでもいいと、アリシャは部屋を出る。王宮に来てから一人で出歩いたことはなかった。