つながり
その時だった。
目の前の白龍が翼を大きく広げ、警戒を示したのである。アリシャは思わず手を引いた。けれど、その警戒は自分への警戒ではない。その確信がアリシャにはあった。アリシャはとっさに振り返る。
「アリシャ!離れろ!!」
叫んだのは父親のポール。ライフルを構え、何度も娘の名前を呼ぶその後ろには同じようにライフルを構える男たちが数人見えた。おそらく空に浮かぶ聖龍の姿を追ってこの湖に来たのだろう。そして、アリシャがいることに気づき、襲われていると思ったのだ。
男たちの奥には野次馬のようにこちらを見るパーティー参加者の姿。その中に母親のユリアと妹のルシアもいた。手を取り合いながら心配そうにこちらを見ている。
「アリシャ、今助ける!!」
ポールがそう叫んだ。野生の聖龍を傷つけることは禁止されている。しかし人命がかかわるときは例外だった。ポールはライフルの照準を合わせて、じりじりと近づいてくる。射程距離まであと少し。
「やめて、お父様!この子は何もしていません!」
アリシャは、精一杯叫んだ。けれど、喧噪で声が届かない。アリシャは必至で首を横に振った。ただ、触れようとしただけだ。頭を撫でようとしただけ。近づいたのはアリシャの方。
近づいてくるポールに、アリシャはどうすればいいのかわからなかった。今にもライフルを打とうとしている男たちの姿が視界に映り、アリシャは一歩前に出る。そして、白龍の前で大きく手を広げた。
「やめて!」
「アリシャ、そこをどけ!」
怒鳴るようなポールの言葉に、アリシャは懸命に首を横に振る。硬直する状況に焦れたのか、一人がライフルを空に向かって放った。耳を突く音が湖に広がる。
アリシャの後ろから唸る声が聞こえた。立ち上がり、今にも飛び掛かりそうな白龍。野生の聖龍は敵意を向けたものに襲い掛かる。それを思い出した。アリシャは振り返り、白龍の目を見る。
「お願い。お父様たちを傷つけないで。あなたも傷つく前に早く逃げて」
それは懇願だった。アリシャの言葉が通じたかのように、白龍は広げた翼をもとに戻し、座りなおす。
白龍をかばうようなアリシャの行動に周りは動揺していた。けれど目の前の聖龍に紋章はない。国軍が紋章を掛け忘れるなどということはあり得るはずがない。だからこそ、アリシャとともにいる聖龍は野生の筈だ。そうだとしたらなぜ、アリシャを襲わないのか。そして、なぜ、アリシャは恐れないのか。アリシャと白龍を囲む人々に答えを持つ者はいなかった。ただ、硬直した状態が続く。
「お願い。誰にも傷ついてほしくないの。だから逃げて」
アリシャはそっと手を伸ばした。白龍はその手に自ら顔を寄せる。気持ちよさそうに目を細めた。そして、真っ赤な舌でアリシャの頬をひと舐めする。それは犬や猫が飼い主にじゃれているようであった。その行動に周りは騒然とする。野生の聖龍は決して人には懐かない。そのはずだった。
「ど、どういうことだ?」
「とりあえず、銃を降ろせ!」
「いや、でも…」
「おい!どうするんだ!」
「国軍はまだ来ないのか!」
様々な声が飛び交う。ただ一人、ポールだけはライフルの照準を離さない。そんなポールにアリシャは首を横に振った。そしてそっと白龍に手を伸ばす。白龍はもう一度うれしそうに顔を寄せた。
「…」
1人と1匹の姿を見て、ポールはゆっくりと銃を降ろした。
「姉さん!こっちへ」
ルシアが手を伸ばしながらアリシャの元に向かう。そんな彼女に警戒するように白龍は立ち上がり、低い声を上げた。その声に恐怖し、皆が口を閉ざす。ルシアは足を止め、震えた。ユリアがルシアを抱きしめる。
「やめて」
「…ウル?」
「敵じゃないわ」
「ウーウル」
会話をしているように相槌が打たれる。それがおかしくてアリシャは小さく笑った。その顔を白龍は満足そうにまたひと舐めする。
「もしかして、私の心配をしてくれてるの?」
「ウー」
「私が一人で寂しそうにしてたから、来てくれた?」
「ウルッ」
頷くようなしぐさ。気づいてくれた存在がいた。それだけで十分だと思えた。だからアリシャは微笑みながら首を横に振る。
「ちょっと一人になりたかっただけなの。だから大丈夫よ。…本当に大丈夫だから、あなたはあなたの家に帰って。誕生日にあなたに会えただけで私は満足よ」
「ウールル」
白龍は頭を下げる。その意図がわかったから、アリシャは手を伸ばした。うろこのように見えた肌は思いのほか柔らかい。頭を撫でると嬉しそうに小さく鳴いた。
「ほら、もう行って。私は大丈夫だから」
その言葉に一つ頷くと、白龍は空高く飛んだ。風圧でスカートが大きく揺れたが気にしない。ずっとこちらを見てくる白龍に、アリシャは見えなくなるまで手を振った。
白龍の姿が見えなくなると、人々は急に動き始めた。ユリアとルシアがアリシャに駆け寄り、抱きしめる。
「大丈夫?怪我はない?」
「ええ。大丈夫よ」
「姉さん、無事でよかった」
2人は泣きながらアリシャを抱きしめる手に力を込める。そんな3人をポールが包んだ。
「本当に無事でよかった」
「心配させてごめんなさい」
「いいんだ。お前が無事ならそれで」
ポールの言葉にアリシャは小さく頷く。他の人たちもアリシャたちを取り囲んだ。