ある日、聖龍に好かれた少女は、第一王子の婚約者となりました。
これにて、完結!
アリシャはウラノスに寄り添いながらカミルを待っていた。静かな風がアリシャの長い髪を揺らす。
「カミル様」
どこか不安そうにカミルの名前を呼んだ。だから、カミルは場違いだとは思いながらも、安心させるように笑みを浮かべる。
「終わったよ。いや、違うか。始まったといった方がいいのかもしれない。…おそらく、ライモンドたちもうまくやっているはずだ。仕事ができる3人だからね」
「はい。私もそう思います」
「…アリシャ、ごめんね」
「え?」
「危険な目にあわせた。…君をこんな場所に連れてくるはずじゃなかったのに」
崩れた防壁、散乱する武器。遠くでは敵兵の罵声も飛んでいる。こんな場所に連れてきたくはなかった。表情が曇るカミルに、アリシャは首を横に振って笑って見せた。
「危険などありませんでした。だって、カミル様が守ってくれていましたから。それに、ウラノスも傍にいてくれた」
アリシャの言葉に、背後にいるウラノスはどこか満足そうな顔をした。姫と騎士のようなそんな関係に、絆を見せつけられたような気持ちになる。
「それは、…それで妬けるね」
「カミル様…」
「けれど、この勝利は、ウラノスのおかげだ。ウラノスがいてくれなければ、多くの犠牲が出ていた」
「…」
「アリシャ、それからウラノス、…本当に、ありがとう」
聖龍がアリシャを選んでくれたから、だからこそ、今回の勝利がある。カミルはアリシャとウラノスに頭を下げた。周りの兵士たちがその光景に驚いているがそんなことはどうでもいい。一歩でも間違えれば、この国は滅んでいた。それなのに、血が流れなかったのは、アリシャとウラノスのおかげだ。
アリシャがカミルの肩に手を伸し、カミルの身体を起こした。
「頭を上げてください。カミル様、私は何もしておりません」
「いいや、アリシャがいなければ聖龍は俺たちに協力してくれなかった。アリシャとウラノスの関係があったからこその勝利だ」
カミルの青い瞳にアリシャが映る。アリシャは首を横に振った。
「…確かにそうかもしれません。けれど、カミル様が聖龍を戦わせるのではなく、聖龍と協力する方法を選択したからこそ、ウラノスはカミル様の言葉に従ってくれたのです。だから、これは、カミル様の功績です」
まっすぐ目を見てアリシャは言った。おそらく本心から出た言葉であろう。けれどカミルは、それは違うと思った。アリシャがいなければウラノスは動かなかった。もし、一つだけ自分に功績があったとするならば、聖龍と絆を結んだアリシャを心から愛したことだ。政治的戦略で傍にいたのなら、ウラノスはカミルの言葉に耳を貸さなかっただろう。
「…君を…好きになって、よかった」
「…え?」
急な告白にアリシャは動揺する。そんな様子にカミルは思わず口角を上げた。けれど、すぐに表情を元に戻す。
「アリシャ、ここから先は俺の仕事だ。ダージャ国に帰す兵士の中にも不穏分子がいるのかもしれない。最後まで気は抜けない」
「…はい」
「もしかしたら、ガルサス王と話し合いが決裂するかもしれない。…正直、どうなるか、俺にもわからない」
「…」
「でも…俺は、アリシャと俺で目の前の人とその後ろにいる人々の両方を救うと決めた。だから、俺にできるすべてを出し切ると約束するよ」
「はい」
「だから、アリシャは俺を信じて待っていてほしい。安全な場所で」
最後の言葉を強調した。それで伝えたいことはアリシャに伝わるはずだ。どこか迷うような視線。けれど、これ以上アリシャを危険にさらすのは避けたかった。
「…」
「アリシャ、俺のお願いを聞いて」
「……無事に戻ってきてくれると約束してくれますか?」
ためらうようなアリシャの言葉に、カミルはアリシャの目を見た。澄んだ目に自分が映る。
「約束する。必ずアリシャのもとに帰るよ」
そう言い切った。カミルの口から出た『帰る』という言葉に、今度こそアリシャは素直に頷く。
いつの間にか、アリシャがカミルの『帰る』場所になっていた。
ある日突然、聖龍に好かれ、第一王子の婚約者となった。そこには、はじめ、政略しかなかった。ナーリ国で重要とされている聖龍と絆を結んだ少女。その少女を傍に置くための戦略。そこに愛はなかった。けれど、傍にいるうちに、アリシャはカミルのことを知っていった。まっすぐに自分を見つめる瞳も、どこか少年のようにからかう姿も。その一つ一つをアリシャは愛しく思うようなっていった。そして、カミルの描くこの国を一緒に歩みたいと強く思ったのだ。
アリシャは目の前に立つカミルを見つめた。その青い瞳に自分が映る。けれど、それだけでは足りなかった。だから、そっと手を伸ばす。柔らかな白い手はカミルの頬に触れた。突然のことに驚くカミルを無視し、アリシャは背伸びをした。小さなリップ音がやけに響く。
「ええ。待っています。…第一王子の婚約者として。だから、無事に、帰ってきてください」
目を丸くするカミルにアリシャは小さく笑う。そして何も言わず、会釈をすると、ウラノスの背に乗った。どこか頬が赤い気がするのは気のせいではないだろう。
「ウラノス、お願い」
アリシャを背に乗せたウラノスは、来たときとは違う速度で浮上する。
「ウ~ル~」
ウラノスの声が響き渡った。次第に見えなくなる純白をカミルは見つめながら、右手で唇に触れる。空を見上げれば、無数の聖龍たちが去って行く。その光景を見ながら、場違いながらも笑い出したくなった。
これから先、問題は山積みだ。ダージャ国、チャルキ国との協議も重ねていかなければならない。戦争を仕掛けようとしたのだ。それ相応の代償が必要である。けれど、それは新しい火種を生みかねない。カミルが考えているほどスムーズに進むことばかりではないだろう。なるべく血を流さないと決めたのならば、より多くの努力が必要だ。国内にも慎重派と過激派が出てくるだろう。最大の幸福のために、誰かを切らなければならないこともあるはずだ。政はきれい事ばかりでは務まらない。
けれど、今、カミルの頭の中を占めるのは、小さく幸せな未来のことだけだった。国の未来も、政治も、この一瞬だけは忘れた。ただ、カミルという一人の男として、小さな未来を想像する。まだ結婚もしていないはずだが、アリシャと自分の子どもができた後のことを考えた。アリシャとの間に子どもができたら、話してやろう、と心に決める。
「ある日、聖龍に好かれた少女は、第一王子の婚約者となりました。初めてのキスは、少女からでした」と。