降伏せよ
「白龍…?」
数ヶ月前に聖龍を統べると言われている白龍と絆を結んだ少女の話を思い出した。その少女はその功績から第一王子の婚約者となっているはずである。そのことを思い出し、ファルムの胸に一つの希望が小さく灯った。
「ヴル――――!!」
再び叫び声を上げながら、白龍は地面に降り立った。その背から降りてきた姿にファルムは小さく息を飲む。
「ウラノス、ありがとう」
「カミル王子!!」
ファルムはカミルの名前を読んだ。ウラノスと呼ばれた見たこともない大きな白龍は、睨むようにファルムを見たが、一瞥しただけですぐに視線を逸らした。ファルムは警戒しながらもすぐにカミルに駆け寄る。守るように横に並んだ。
「ファルム隊長、ずいぶん待たせた」
見知ったはずのカミルの端正な顔立ち。けれど、どこか以前とは違う目にファルムは姿勢を正した。
「いえ。よくぞ来てくださいました」
「ここからは、俺が指揮を執る」
「はっ」
「状況は?」
「はい。ダージャ国は1万ほどの兵士に百ほどの大砲でこちらに侵攻しています。近隣の住民はすでに避難をさせましたが、それほど遠くには逃げられていません。こちらの兵士はおよそ2千。大砲は旧式のものが30あればいい方です」
「そうか」
「防壁はほとんど壊されました」
「ダージャ国王は?」
「はい。ダージャ国王は好戦的な性格で、今まで、戦いに前線で参加しています。今回もおそらくそうだとは思いますが、まだ場所は確認できていません」
「わかった」
「カミル王子、攻撃を開始しますか?」
ファルムは唾を飲み込みながらそう尋ねる。カミルが聖龍と現れたことで、この無数に飛ぶ聖龍が味方であることがわかった。これほどの聖龍がいれば勝機は掴んだも同然。だからこその問いに、けれどカミルは首を横に振った。
「攻撃はしない」
「ですが…」
「けれど、降伏もしない」
「それはどういう…?」
「見ていてくれ」
それだけ言うとカミルは数歩前に出た。そして声を張り上げる。
「私は、ナーリ国第一王子、カミルである。ダージャ国王、話がしたい。武器を置いて出てきてほしい」
ウラノスの声に、しんと静まったその場にカミルの声が響く。返事はない。それでも続けた。
「我らナーリ国には聖龍がついている。この無数の聖龍が見えないはずがない。どれだけ大砲があろうが、戦って勝てるはずがない」
カミルの言葉に反応するかのように空を飛ぶ聖龍たちは低い声で鳴き始めた。唸るようなその声が恐怖を増長させる。
「今すぐ降伏してください。そうすれば、危害は加えないと約束しましょう」
カミルの言葉に、敵軍がざわめき始めた。
「こ、こんなに龍が?」
「こんなのは聞いてない!」
若い兵士だろうか。手元にある銃を握りしめ、空を見ながらそう叫ぶ。恐怖は伝染していく。空で旋回する聖龍に、敵の兵士たちはうろたえ始めた。
「静まれ!」
バン!!
動揺をかき消す銃声があたりを包んだ。空に向けて撃たれたそれに、ナーリ国の兵士たちは身を低くする。カミルはアリシャを背に隠し、そのカミルの前にファルムは移動した。
「王子、下がってください」
「いや、下がらない。俺は大丈夫だ。もし何かあれば真っ先にアリシャを守れ」
「…はっ!」
一拍遅れながらもファルムはそう返事をする。視線だけでアリシャの姿を確認した。聖龍に好かれた少女、それがアリシャなのであろうとファルムは一瞬で理解する。
「動揺するでない」
低い声がそう告げる。その声にカミルは聞き覚えがあった。
父である国王とともに何度も会っているダージャ国の国王、ガルサス。五十を少し超えたであろうその頭には白いものが目立つ。けれども、屈強な肉体に、鋭い目つきは衰えを知らない。
声の方に視線を向ける。彼は前線にいた。兵士たちが横並びで銃を構えるその3列目。一国の国王であるガルサスがそれほど前線にいるのは、士気を高めるためでもあるだろうが、それ以上に己の力に自信がある証拠だ。彼を取り囲むのは、他より質のいい装備を付けた男たち。国王を守るダージャ国最強の兵士たちなのだろうとわかる。
「我らには最新の大砲がある。龍を一発で仕留められる大砲だ。この戦い、我らの勝利は約束されている。さあ、武器を手に持て、皆の者!目の前の敵を倒すのだ!!」
自信に満ちたその声に、兵士たちはその手に持っている武器を握りしめた。弾を装填する音が聞こえる。
「大砲、用意!」
ガルサスの言葉に、大砲に砲弾が詰め込まれる。
「その龍を撃て―――!!」
鉄がすれる音が聞こえ、かすかに燃える匂いがした。着火した大砲は、ウラノスに狙いを付ける。カミルが乗っていること、さらに、その大きさに、純白さ。それ故に、本能的にウラノスが聖龍たちの王であることがわかったのだろう。
鈍い音とともに、黒い鉛が飛んだ。
「ウラノス――!!」
アリシャの甲高い声が響く。けれど、恐れていた衝撃は、訪れなかった。
「なっ…!」
ウラノスが吐いた火が一瞬にして大砲を灰にしたからである。ウラノスの目の前で粉雪のように舞う灰に、誰もが言葉を発することを忘れた。
「ヴル―――――!!!!!」
割れんばかりの鳴き声に、空に飛ぶ聖龍が一斉に反応した。翼を広げ、次から次へと急降下する。敵の頭上、あと数センチの高さで聖龍たちは駆け抜けた。次から次へと来る聖龍に、敵軍の兵士はたまらず、尻を地面に付ける。思わず手放した武器が風圧で飛んでいった。
どのくらい経っただろうか。体感にして数十分、けれど実際は、一瞬のことだったであろう。聖龍たちは再び空に上がり、太陽の光を遮断する。
「ヴル!!!」
降伏せよ、そう言っているかのように、ウラノスが鳴いた。その声に、一人の兵士が武器を落とす。
ガシャ。武器が地面に当たり、音を立てた。
ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ――――。連鎖するかのように、同じ音が鳴り続ける。
「お、お前ら、何をしている!!」
ガルサスが声を荒げた。けれど、兵士たちは武器を手放し、地面に膝をつく。しばらくすれば1万の兵士の中で、立っているのはガルサスを囲む男たちだけになった。
「お前ら、武器を持て!国に残した家族がどうなってもいいのか!!」
その言葉で、ダージャ国の状況のおおよそを掴んだ。そしてカミルは勝利を確信する。脅し、脅されるその関係はひどく脆い。
「武器を置け」
カミルの言葉が静かに響いた。1万の兵士全員に聞こえるはずはないのに、全員がカミルを見ているようだった。
「武器を置き、肘と膝を地面につけ、降伏せよ。そうすれば、あなたたちの命、そして家族の命も守ると約束しよう。…ナーリ国は奪わない。こちらに害をなす者以外」
カミルの言葉に反応するように、一人、また一人と降伏の合図を取る。波紋のように広がるそれに、アリシャは一つ、息を吐いた。
ガルサスの周りの男たち以外が全員伏せるその状態で、ファルムは部下に指示を出し、ガルサスたちを捕えた。武器を奪われたガルサスの前に、カミルが立つ。ガルサスは拘束されながらも、カミルを鋭い目で睨みつけた。
「…ナーリ国に聖龍はこれほどいないはずだ。そして、野生の聖龍は敵も同然。なのに、これは一体…?」
「どれほど前の話をしているのですか?今や聖龍は我らの味方です」
自信ありげにカミルは笑う。それは今後の牽制とアリシャの存在を隠す両方の意味を持つ言葉だった。
「…」
「ダージャ国王、教えてください。…我らは和平を結び、自治を認めていた。税金さえ払えば、宗教すらも認めていた」
「…」
「ナーリ国とダージャ国は、良好な関係だと思っていました」
「……私もだ」
思いも寄らぬ同意に、カミルは一瞬言葉を飲み込む。
「…では、なぜ、侵攻を?」
「それが、長きにわたるダージャ国王の使命だったからだ」
「使命?」
「我が国とナーリ国は以前から敵同士であった。それがいつしか、我らは貴国に従うようになった。和平を結び、自治を許された。そう、許されたのだ。…それは、国王としては許すことのできないものだ」
「…」
「国王は誰かに許されるものではない。自らが政をし、民を導く者だ。だから先祖はいつの日かナーリ国を倒すその希望を後に続く者に託した。それが使命だ。…しかし、その使命を胸にしながらも、時代は変わった。高性能の機械ができ、我が国でも資源がとれるようになった。長い距離を移動できるようになり、物流が生まれた。…我が国と貴国の関係は良好になっていったのだ。そして、和平を結んだ。貴国はチャルキ国を含め、我が国を信頼した。…そこに、隙が生まれた」
「…」
「ナーリ国の制圧。それができる者が真の国王となる。それがダージャ国王の長年の使命」
「そうして国民を脅し、兵士に?」
「…龍に対抗できる性能のいい大砲を作ることができた。それをチャルキ国に売り、同盟を結んだ。チャルキ国でも我らと同じ使命を国王は背負っていたから」
「それが国民を危険にさらすことだとは思わなかったのですか?」
「国民よりも、国王の使命の方がより重要だからな」
ガルサスはカミルの目を見てはっきりとそう言った。その目の力は強い。カミルは口を開いたが、けれど何も言えなかった。きっとナーリ国の第一王子として生まれた自分にはわからないものがそこにあるのだろう。共感も同意もできない。けれど、自分が否定していいものでもないのだと思った。
「…最後まで抵抗したあなたとその側近は、一度牢へ入っていただきます。しかしその前に降伏した兵士は武器を取り上げた上で、国に帰します。もちろん、いくつかの集団に分け、こちらの兵士も付けますが」
「…」
「ガルサス王、ともに話し合いませんか。我らは、いい関係だった。物流もあり、文化の交流もあった。和平を結び、共存していた」
「…」
「過去ではなく、未来の話をしましょう。我が国と貴国に生きる国民のためにも」
「…あなたは、若いな」
どこか嘲笑を含む笑みを浮かべた。そのガルサスにカミルは首を横に振る。
「いいえ、過去に囚われているあなたほどではありません」
「…」
続かない言葉にカミルは右手を挙げた。それを合図に、兵士たちがガルサスたちを縛りあげる。
「ファルム隊長、俺の言葉の通りに」
「はっ!」
それだけいうとファルムは、いくつかの部隊に指示を出し始める。それを見届け、カミルはアリシャの元に戻った。