選択
サブタイトル、めっちゃ下手。たぶん、区切るのもここじゃないんだろうな、と思いながら…。また、終わったらちゃんとします。たぶん。
トリスの意見はもっともだった。ウラノスと絆ができたことで、アリシャは第一王子であるカミルの婚約者となった。それは、国のためにいざとなれば聖龍を使うため。聖龍と結んだ絆をこの国のために使うためだ。そうして初めて、カミルの隣を歩き、王宮で暮らすことができるのだ。ただの伯爵家の令嬢では決して手に入れることのできない裕福な生活は、ウラノスとの関係があったからこそのもの。
トリスの言うように圧倒的に不利なこの状況を打破する唯一が、聖龍だとするならば、自分は、ウラノスに助けを求めるべきである。それが第一王子の婚約者である自分の役目であり、それができなければここにいる意味などない。カミルの隣にいる資格などないのだ。
トリスの言葉は、頭では理解できた。そうするべきだとアリシャ自身も思う。そうすることで多くの国民を守ることができるのだ。けれど、敵であっても人は、人だ。その人を殺すようにウラノスに願うことが自分にできるだろうか。もし、それができたとしても、その多くの死を自分は受け止めることができるだろうか。ウラノスを血に染めることができるだろうか。血に染まったウラノスを抱きしめることができるだろうか。
答えは否だ。
きっと心が壊れてしまう。それはもしかしたら、死ぬことよりもつらいことかもしれない。けれど、たかが伯爵家の令嬢一人の心と、国民の命ならば、命の方がずっと重い。
「…わた…し…は…」
それでも、頷くことができなかった。この手で誰かを殺すことなどできるはずもない。
戦争となれば、多くの血が流れる。アリシャではない誰かが、敵を殺すだろう。そうして勝利を収めれば、喜び、安堵するのに、自分は願うことすらできない。国の勝利を願えても、人の死は願えなかった。それが同義だとわかっているのに。そんな自分の弱さやずるさを痛感する。涙があふれ出そうになるのをなんとか耐えることしかアリシャにはできなかった。
トリスが掴んだアリシャの手をカミルが奪う。そして、2人の間に身体を挟み、トリスからアリシャを隠した。
「トリス宰相。悪いが、アリシャにそんなことはさせられない」
カミルの背中から感じる優しさに、嬉しくなる。けれど、それは本来の、第一王子であるカミルとしては間違った発言だ。それがわかるから、アリシャの胸は苦しくなる。
「な、何を言っているのですか?それしか方法がないのですぞ!」
「そんな重い決断をさせたくて、アリシャを婚約者にしたのではない」
「カミル王子。あなたは、この国の第一王子です。ご自分の感情を優先させず、アリシャ様を説得すべきだ!それが国民のためです!」
「…」
「それが、あなたの使命なのですぞ!」
「…日々、剣を握り、国のために戦う私たちにとって、多くの敵を殺すことは栄誉だ。この国のために、敵を倒すことは誇りだ。けれど…アリシャは違う。今まで争いのないところで生きてきた。国のためだから、敵だから。いくらそんな理由をつけてもアリシャにとって人を殺すことは罪悪でしかない。……あなたは、それを背負えと言うのですか?たった一人の大人にもなっていない少女に」
「いや…しかし、それしか…」
カミルの言葉に、トリスは下を向いた。何を守るかの違いだった。けれど天秤にかけるものの重さにあまりにも違いがある。カミルは小さく息を吐いた。冷静さを取り戻し、トリスを見る。
「トリス宰相、…あなたの言うことは正しい。私は第一王子だ。この国のためにアリシャを説得することが一番だろうということはわかっている。けれど、わた…いや、俺には言えない。アリシャに人を殺せと命じろとは言えないんだ」
それは素直な言葉だった。この国を統べる者として、個人の感情を優先させるなどということは本来あってはならない。2人のやりとりを聞いていたヤードとメイソンの表情にかすかに落胆の色が浮かぶ。カミルはそれに気づいたが、それでも何も言わなかった。
「…けれど、それしか、多くの国民を守る方法が…」
「それでは、あなたは言えますか、トリス殿。貴殿の奥方やご令嬢に人を殺せと。自ら人を殺さずともよい。人を殺せと命令するだけでよい、と」
「ラ、ライモンド!なぜ、今、私の妻や娘の話が出てくるのだ!」
突然のライモンドの発言に、トリスが驚きの声を上げる。けれど、ライモンドは表情を変えずに淡々と告げた。
「貴殿が稼ぐ金もまた、この国の税金。その税金で暮らしている奥方やご令嬢はアリシャ様と同じです。貴殿の言っていることは、そういうことだ。税金で何不自由なく暮らしているのだから、敵を殺せと命じることくらい当たり前だろうと。なら、自分の奥方やご令嬢にそう言えますか?」
「そ、それは…」
「なら、どうするおつもりですか、カミル王子。トリス宰相が言うように、聖龍に頼ることができるならばそれが最善の策。それをせぬとおっしゃるのなら、どのような手をお考えで?」
ヤードの言葉には鬼気迫るものがあった。愚策なら首を切られる、そのくらいの緊張感が流れる。
「アリシャに無理矢理、聖龍を戦わせたとしても、聖龍は動かない」
「…どういうことですか?」
「聖龍、…アリシャと絆を結んだ白龍のウラノスは、この国のためにいるのではない。この国などどうでもいいのだ。彼はアリシャのためにだけに存在する。そのくらいの絆がアリシャとウラノスの間にはある。きっと、いや、十中八九、アリシャが願ったとしても、アリシャが心から願うものでなければウラノスは動かない」
「…」
「先ほど言ったのは俺の本心だ。アリシャに人を殺せと命令などさせたくない。けれど、それでも、俺はこの国の第一王子だ。もし、アリシャの心が壊れることで、多くの国民が守られるのなら、どんな手を使ってでも、アリシャに頼む。それに、もしそれでも俺がアリシャを守るというのなら、お前たちが俺を殺し、アリシャにナイフを突きつけてでも、アリシャに言うことを聞かせるだろう」
「…」
「けれど、そんなことでは、聖龍は動かない」
「なぜそう言い切れるのです?」
「ヤード、あなたが知っている聖龍とウラノスは違う。ウラノスは野生の龍だ。しかも白龍。つまり、ほかの龍を統治する龍だ。俺たちが普段見ている人間に従順な龍とは別物なんだ。あいつは、アリシャが望まない願いは、おそらく聞き入れない。…俺は、可能性の低い勝負に、アリシャの心を賭けることはできない」
「なら、どうするのです?負けることを承知で戦うのか、両国の良心を信じて、降伏するのか。十中八九の可能性に賭けるのか。…私は、少しでも可能性があるのなら、聖龍に頼るべきだと思います」
ヤードがそう進言する。そして鋭い視線はアリシャに向けられた。
アリシャには、その目の意味も、自分がすべきことも、わかっていた。わかっているのに、できない。カミルが身体を動かし、ヤードの視線を遮る。嬉しいはずのその行為も、今はアリシャ苦しめるだけだった。優しくしてもらう価値など自分にはない。多くの人を守れるかもしれないのに、それができない自分なんて。
カミルの隣にいたいと思った。隣にいて笑い合いたかった。手を取り、目を見つめ、幸せを感じていたかった。けれど、どうあがいてもカミルは、この国の第一王子であり、その隣に並ぶということは、覚悟を持たなければいけないということ。自分に都合のいいところだけ選び取るなどできない。
けれど、でも、でも、でも、でも、でも。アリシャの心が悲鳴を上げる。
「ウールー!!」
不意に耳に入る鳴き声に、アリシャは顔を上げた。空に浮かんでいたのは、美しい白。いつだって、一番苦しいときに駆けつけてくれたそれに、アリシャは泣きそうになった。
「ウラノス…」
名前を口にした。小さな声はけれど、ウラノスには聞こえたようで、嬉しそうに輪を描きながら、ウラノスは地上に降りてきた。地上に着くと、一度大きく翼を広げ、鳴く。
「ひっ…!」
その大きな声に、トリスは驚き、声を漏らす。ウラノスのあまりの大きさと獰猛な顔つきに、トリスの顔は青白く染まった。もつれながら駆け出すと一目散に、城の中に逃げていく。
「ウラノス!」
アリシャがウラノスに駆け寄った。途端にウラノスの目が優しくなる。
「ウルッ!」
そばに来たアリシャの頬をひと舐めした。アリシャは手を伸ばし、ウラノスを抱きしめる。温かい体温が伝わってきた。
「来てくれたのね、ウラノス。…ありがとう」
会いに来てくれた、それが嬉しくて、涙がこぼれる。その涙をウラノスは舌を伸ばして綺麗に拭った。
「これが、…白龍」
「大きい、ですね」
ヤードとメイソンは一歩も動かず、ウラノスを見ていた。軍で扱う見知った龍とは一回り違うその大きさに声が漏れる。2人の手がその腰にある剣の柄に触れているのは、ウラノスがけして味方でないことを感じ取ったからだろうか。
「隊長殿。警戒しなくて大丈夫です。白龍はアリシャ様の望まないことはしませんから」
「ライモンド…」
「どうして、そう言い切れるのですか?」
「私は、一度、白龍、ウラノスを見ています。ウラノスとアリシャ様との絆はきっとお2人が想像しているよりずっと強い」
「…」
ヤードとメイソンは無言でウラノスとアリシャを見ていた。自分たちの経験から、ウラノスのテリトリーに入ってしまえば、問答無用で攻撃されるのだろうことを感じ取る。だからこそ、ウラノスに触れることのできているアリシャが不思議だった。
「…正直、ずっと、カミル様は何をおっしゃっているのだろうと思っていました。アリシャ様の言うことを聞くのなら、何が何でも聖龍を使って、敵を殲滅すべきだろうと。どうしてそれをしないのだろうと。けれど、なるほど、これを見れば理解できる」
「ああ。アリシャ様以外はどうでもいいのだ、ということが空気を通して伝わってくる。確かにアリシャ様が望まぬ願いは、きっとアリシャ様が言ったところで聞きはしないだろうな。それ以上に…そんなことを言わせた我らを殺しかねない」
何度も死線をくぐってきた2人だからこそ、ウラノスからかすかに漏れる殺気を感じ取る。けれど2人がカミルの意図を理解したとしても圧倒的に不利な状況は変わらない。
「カミル…?」
アリシャとウラノスのやりとりを見ていたカミルが一歩踏み出した。ライモンドが呼びかけるが、返事はない。ゆっくり、近づいていく。
「ヴル!!」
攻撃圏内に入ったのだろう。ウラノスが翼を広げて威嚇した。
「ウラノス!やめて。…カミル様は優しい人よ」
「…ウル」
「大丈夫だから。ね?」
アリシャの言葉にウラノスは渋々、広げた翼をたたむ。けれど、警戒を解かないその様子にカミルは小さく苦笑を浮かべた。
けれどすぐに表情を戻し、まっすぐにウラノスの目を見る。初めて近くで見たその目はかすかに潤んでいた。その丸の中にカミルが映る。
カミルは一つ息を吸い、頭を下げた。突然のことに、ウラノス以外の皆が驚きを示す。
「ウラノス、君にお願いがある」