遠い背中
部屋から出るとまずは3階に上がった。ソレイユは3階建ての施設であり、上から順に紹介していくようである。
「アリシャ様、自己紹介が遅れました。俺は、リカルドと申します。今年で15歳になります」
歩きながらリカルドがそう告げた。身長はアリシャよりも高く、話し方もしっかりしている。けれど、端正な顔立ちの中に、どこか幼さが残っていた。それでもカミルと同い年だと言われてもおそらく気がつかないだろう。15歳ということは、今年でソレイユを卒業しなければならない歳だ。一般的な15歳よりも早く大人にならなければいけなかったのだろうことが容易に想像つく。
「ご丁寧にありがとう。リカルドだからリカなのね」
「はい。みんなからそう呼ばれています」
「私はミヤ。この前8歳になったの」
存在を主張するようにミヤは2,3回ジャンプをしながら手を上げた。ツインテールの茶色い髪は、彼女の動作に合わせて上下に揺れる。その子どもらしい行動になぜか少しホッとした。
「私はアリシャ。17歳です」
「アリシャお姉さん17歳なんだね。じゃあ、カミル様より2歳年下だ」
「そうよ」
「いいな~。カミル様みたいな格好いい人が恋人なんて!」
年齢の割にませた発言に、アリシャはどう反応していいかわからなかった。先ほど「好き」だと言ってしまった以上、反論をしていいのかもわからない。
「えっと、その、ね。…カミル様は…その…」
「アリシャ様、こちらが男子の寝室です」
アリシャの困惑ぶりに助け船を出すようにリカルドが言った。
「そ、そうなの?」
「はい。女子の部屋は1階にあり、2階は先生方の部屋です。基本的に、夜間は各階を行き来できないようになっています」
「しっかりされているのね。ねぇ、先生方は優しい?」
「うん。ときどき怒ると怖いけど、でもすごく優しくて私は大好き!」
「俺もです。とても尊敬しています」
2人の笑顔は偽りのないものであり、それだけでソレイユがよい施設なのだということがわかった。
その後も、リカルドを先頭に順番に施設を見回る。その間、ミヤはずっとアリシャに話しかけていた。その姿がかわいくて、アリシャは笑顔で相槌を打つ。
「あのね、アリシャお姉さん、聞いてくれる?」
「なあに?」
「私ね、ここを卒業したら、お城で働くメイドになりたいの」
「メイド?」
「うん。この施設は国王様と王子様が作ってくれたんだって。私ね、お父さんとお母さんにいっぱい殴られて、いっぱい蹴られたの。それにお父さんとお母さんはいつも怒ってた。小さかったからよく覚えてないけど、それだけは覚えてる。…ずっと苦しかった。でも、近所の人がここに連れてきてくれたんだ。だから、ここでみんなと暮らせているの」
「…そう…なのね」
「うん。いっぱい、いっぱい苦しいことがあったけど、私ね、ここに来られて、先生とみんなに会えて本当によかったって思ってるの」
子どもらしく明るく話すミヤの過去に、アリシャは何を言えばいいかわからなかった。両親に注意されたことはあっても、殴られたことも蹴られたこともない。そんなことが起こる想像さえしたことがなかった。自分がいかに幸せか痛感させられる。アリシャは思わずしゃがみ込みミヤを抱きしめた。
「アリシャお姉さん?」
「ごめんね、何でもないの。…あなたが今、幸せでよかった」
「うん。だからね、私、恩返しがしたいの!」
腰に手を当て自慢気に話すミヤの姿がかわいらしかった。アリシャは泣いてしまいそうになるのを堪える。
「ミヤは偉いね」
「ううん。私だけじゃないよ。リカもそうだったよね?」
「違うよ。俺は軍に入るの」
「軍…?」
15歳の男の子から出てくる言葉としては少し物騒だった。けれどリカルドはまっすぐ前を見据えており、意志の強さが感じられる。
「はい。軍に入って、……第一王子をお守りしたいと思います」
短い間とこちらを伺うような視線から、カミルの正体に気づいているのだろうことがわかる。けれどアリシャは気づいていないふりをした。
「それは素敵ね。でも、怖くはないの?」
「怖いか、ですか。それは…考えてこともなかったです」
「え?でも、軍に入れば、怪我をすることもあるかもしれないのよ?」
「もちろんわかっています。でも、俺、腕には自信があるんです。ライモンド様やカミル様に勝てたことはないけど、同年代に負けない。軍に入れば訓練もできるし。だから、軍に入って、国のために仕えたいと考えています。もうすぐ、軍に入るための試験があるんです。それを受けるつもりです」
「私はね、いっぱい勉強をして、先生たちのお手伝いもするの。そうしたら、メイドになれるって言うから」
「2人とも、…偉いのね」
思わず本音が出た。「国のため」なんてそうそう出てくる言葉ではない。語りはしなかったがリカルドもつらい過去を抱えているのだろう。ここにいる子どもたちは、いろんな事情を抱えてソレイユに来た。そして、国のおかげで生活している。それを正しく理解しているからこその言葉。
きっともっと選択肢はあるはずだ。けれど、孤児という境遇と国の助けになっているという事実から、選ぶ選択が限られたのだろうことは想像がつく。それでも目を輝かせて「夢」を語る2人の姿はアリシャから見てとてもまぶしいものだった。
「そうなの!」
「そんなことないですよ」
真逆の意見が同時に出る。それにミヤは首をかしげ、リカルドは苦笑した。
「偉いとか偉くないとかわからないですけど、でも、ここにいるみんなは多かれ少なかれそう思っています。この国の役に立ちたいって。だって、俺たちが生きてこられたのは国が作ってくれたこの施設があったおかげだから」
リカルドは少し照れたように笑い、話題を変えるように案内を再開した。ミヤは自分の思いを代弁してくれたことが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべている。
アリシャは一拍遅れて、彼らについて行った。
2人、いや、子どもたちみんなの思いに感激し、でもどこか悔しさも感じた。自分がこの子たちの年齢の時、こんな風に将来を考えていただろうか。そもそも、今でさえ、何も決められていない。ウラノスと心を通わせた。それから、どうしたらいいのか。第一王子の婚約者としてどうしたいのか。婚約者以外の道はあるのか。それを考えることすらやめてしまっている。ただ、流されているだけだ。自分は何も考えていない。そのことを改めて突きつけられた気がした。
楽しそうに前を歩くミヤとリカルドの背中がどんどん遠くなっていくようにアリシャには感じられた。




