繋いだ手
アリシャが近づく足音に、ウラノスはゆっくりと眼を開け、立ち上がる。ゆっくり歩いてくるアリシャをお行儀よく待った。
「ウールー」
高いトーンの声で鳴く。嬉しさが伝わる鳴き声にアリシャはそっと手を伸ばした。ウラノスは頭を下げる。その頭をアリシャは優しく撫でた。
「ねぇ、ウラノス。山の水しか飲めないのね。…そんなことも知らずに、連れまわしてごめんね」
「ウ~ル」
「…私、あなたが今日来てくれてうれしかった。本当よ。でも、…あなたに頼ってばかりいたら、私、強くなれないわ」
「…」
「だからね、またあなたの力が必要になったら、ううん。寂しくて仕方なくなったらあなたを呼ぶ。でもそれまでは一人で頑張ってみたいの。…だから、あなたはあなたの家に帰って。私は、私なりに頑張るから」
「ウ~ル~」
「もし、すぐに呼んだらごめんなさいね」
「ウルッ」
「いいよってこと?」
ウラノスは肯定するように頭を上下に動かす。その様子にアリシャは小さく笑った。
「でも、一回頑張ってみるね。だって、…このままだと私、私の事が嫌いになっちゃうから」
ウラノスは赤い舌を出し、アリシャの顔をなめた。くすぐったくって、アリシャは声を出して笑う。
「ウラノス、ありがとう。…行って。私、頑張るから」
アリシャの言葉に、ウラノスは翼を広げる。しかし、すぐに閉じた。自分の不安な気持ちが伝わったのかと、アリシャは笑みを作る。自分にできる精一杯な笑顔を浮かべた。
「またね、ウラノス」
「ウル」
アリシャの言葉にウラノスは一度頷くと、すぐに翼を広げる。強い風圧にアリシャは両手で髪を押さえた。青い澄み切った空に純白が浮かぶ。何度も振り返るウラノスにアリシャは両手を振った。
「アリシャ」
そっと声をかけられた。振り返ればカミルがアリシャを見ている。
「はい。カミル王子」
「…この数時間で強くなった?」
「…なれてたら、いいですね」
「なんか、聞いていた話と違うな」
まっすぐアリシャを見ながらカミルはそういった。苦笑を浮かべるその顔にアリシャは首を傾げる。
「おとなしい貴族の令嬢だって聞いてたんだけどな」
「…すみません」
謝るアリシャにカミルは首を横に振る。そして笑った。
「すっげぇ好み」
「え?」
「まあ、誕生パーティーを抜け出してたんだもんね。そりゃ、そうか」
「あの、カミル王子?」
カミルが何を言いたいのかわからず、アリシャは混乱する。そんなアリシャを構わず、カミルはそっとアリシャの手を掴んだ。
「ほら、部屋に帰ろう?」
「え、あの…」
「だってさ、繋いでないとどっか行っちゃいそうじゃない?」
「いえ、そ、そんなことは」
「いいから、行こ」
強引に引かれるその手にアリシャはバランスを崩した。
「きゃっ」
衝撃を覚悟して目を閉じた。
「大丈夫ですか?」
けれど痛みは訪れず、代わりにアリシャに降り注いできたのは優しい声。恐る恐る目を開けるとそこには黒髪の端正な顔があった。あまりの近さにアリシャは顔を赤くする。
「ラ、ライモンド様、すみません。…ありがとうございます」
「いえ、お怪我がなくてよかったです。……おい、カミル。考えて行動しろよ」
「わかったから、アリシャから早く離れろよ。お前、いい男なんだからアリシャが穢れる」
そう言いながらカミルはライモンドの手を払うように叩いた。ライモンドは苦笑しながらアリシャから一歩離れる。カミルは手を伸ばし、アリシャの肩に手を置くと、自分の方に引き寄せた。突然のことにアリシャの思考は一時停止する。そんなアリシャの頭上でライモンドが小さくため息を吐いた。
「褒めたいのか貶したいのかどっちだよ」
「本当の事を言ってるだけ」
「別に穢れないけどな」
「でも、惚れるかもしれないだろ?」
「惚れないだろ」
「わかんないだろ?お前、格好いいんだから。でも、アリシャは俺を好きになるんだから、色男は離れてろ」
「あ~、はい、はい」
「約束だからな」
「わかりました~」
「え、あの…えっと…カミル、王子…?」
ゆっくりと思考が戻ってくる。けれど思わぬ会話の内容にアリシャはカミルとライモンドに交互に視線を向けた。そんなアリシャにライモンドは小さく笑う。
「アリシャ様、いいですよ。気にしなくて。こちらの話なので」
「…あ、はい」
「カミル、お前はアリシャ様を困らせるな」
「いいの。俺の婚約者なんだから」
「だからって…」
「だってさ、聖龍に選ばれた貴族の令嬢で、可愛くて、おとなしいから面倒なこと言わないだろうし、結婚するにはいいかなって思ってたけどさ、思ったよりお転婆で、大胆で、こんなギャップ見せられたら、俄然やる気も出てくるっしょ」
「だから!お前は、どうしてそう正直に何でも口にするかな!」
「言ってること変わらないんだからいいだろ?俺はアリシャを好きになるし、アリシャにも好きになってもらう。…だからさ、アリシャ、覚悟しててね」
「……へ?」
突然自分に振られ、思わず変な声が出た。淑女にふさわしくないそれにアリシャは思わず口を押える。そんな様子にカミルは声を出して笑った。
「やっぱ、アリシャ、可愛いな」
「……今の声を褒められても、うれしくありません」
「だって可愛いんだもん。ほら、アリシャ、早く戻ろう?」
「え?」
「はい、手!」
カミルは自分の手をアリシャに伸ばした。意図がわからず、アリシャはただカミルの手を見つめていた。そんなアリシャに焦れたのか、再び強引にアリシャの手を掴む。
「今度デート行こうね」
「え?」
話についていけずきょとんとするアリシャを見て、カミルは笑った。からかうのではなく、愛おしむようなそんな表情に、アリシャはつられて笑みを浮かべる。アリシャの笑みを見て、カミルの笑みが深くなった。
「いつも可愛いけど、やっぱ、笑った方が可愛いね」
笑顔はルシアの代名詞だった。異性に笑顔を褒められたのは父親以外初めてで、アリシャはなんと返せばいいのかわからなかった。けれど、アリシャが何か口にする前に、カミルは手を引いたまま歩みを進める。どうしていいのかわからず、現実逃避のようにアリシャは動く足に集中した。
触れている手から体温が移る気がした。心臓がバクバク音を立てる。その音がカミルに聞こえなければいいなと思った。